モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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笑っていてほしいから

 

 

 一般メイドたちの食事を終えた深夜、ナザリックの食堂は休憩時間に入る。睡眠・飲食を不要とするアイテムの数は限られており、大墳墓へ就寝する者は多い。

 

 ナザリック地下大墳墓は眠るのだ。

 

 訪れる者が極端に少なく、ナーベラル・ガンマ級に気を抜いて待機していた料理長は、何の前触れもなく出現したヘロヘロ、ぶくぶく茶釜、ベルリバーに度肝を抜かれた。

 

「あ、あなた様は! ベルリバー様ぁ!?」

 

 厨房で椅子から転げ落ち、失禁までするのではないかと怯える茸頭に、ため息を吐かずにいられない。

 

「このやり取り、延々と繰り返すんでしょうね」

「ええ、だって僕らはNPCの神様ですから」

「がんばっ!」

「やれやれ……君が料理長かな。お腹が空いたから何か作ってくれるか」

「は、はい!」

 

 慌てて立ち上がった料理長は軍人並みの敬礼を行った。

 

「あたしはケーキでいいよ!」

「俺にもよろしく。お任せで」

「ははぁっ! 直ちに!」

 

 

 途端に騒がしくなった厨房で、副料理長・パティシエを呼び出して慌ただしく支度を始めた。体から漂ってくる雰囲気が囀るは歓喜の歌。どこからともなく交響曲第九番が聞こえてくる。

 

 副料理長がドリンクの蘊蓄でわずかな時間を稼いでいる間、椅子に腰かけたベルリバーの眼前に生姜焼き定食、茶釜には特大いちごホールケーキ、ヘロヘロには唐揚げの山が差し出された。なぜこの選択(チョイス)なのかと突っ込む言葉は、顔に点々と生えている何かを輝かせる茸頭に押し戻された。

 

「ありがとう、料理長」

「はっ! 光栄の極み! 何かございましたらすぐに及びくださいませ!」

 

 立ち去る三名の足音が軍靴のように揃っている。料理長は責務を全うし、その背中は誰よりも誇らしい。彼が声の届かぬ場所まで引っ込んでから、ようやくベルリバーが一つの口を開いた。

 

「……多くない?」

「加減を教えるべきよね」

「残すならくださいよー。俺ならいくらでも食べられますから」

「やなこった! アマイモンは私のものだ!」

「そうですか……」

 

 茶釜は一人で食べきるつもりのようだ。食事に舌鼓を打ちながらひとしきり味を賞賛し、三名の話題はベルリバーがこの世界に来た経緯に移る。

 

「ふーん、一週間も経ってたんだ」

「そのエ・ランテルで、弐式炎雷さんはお元気でしたか?」

「……やっぱり気付かれてましたか」

「当たり前でしょう」

「隠密って言えば彼しかいないよねぇ。装備だって鬼みたいな覆面だったじゃん」

 

 そもそも、ベルリバーがどこまで真剣に隠そうとしたのか疑わしいものだ。隠密、忍びなどのキーワードを出した時点で連想されるのは弐式炎雷以外にあり得ない。プレアデス最強の魔法詠唱者、ナーベラル・ガンマの創造主であり、不動のかくれんぼ王者。軍師ぷにっと萌えをもってして”頭がおかしい”と言わしめた男。

 

「ニンニンとか言ってなかった」

「はは、流石にそれは言ってなかったです」

 

 ベルリバーの体に生えている大量の口、食べ物を詰め込まれている口とは別の口が笑った。物を食べながら会話ができるのは、この体になって便利なことの一つだ。

 

「エ・ランテルで何をしてるんですか?」

「そう、ですね……話せば長くなりますし、あんまり明るい話じゃないんですが」

「詳しく!」

「最初から話しましょうか。俺がこの世界へ転移したのは1週間前、場所は要塞都市エ・ランテルの近くでした。道に迷っていたところを、若い貴族の馬車に拾われたんです」

 

 

 

 

 生まれて初めて乗る幌馬車は居心地が良かった。舗装されていない道は時おり体を跳ね上げたが、程よい揺れ(バイブ)に居眠りでもしたくなった。

 

 一つの口で欠伸をかみ殺しても、所持している口の数が多すぎる。各々が独立した動きをするので、欠伸を殺すのはすっかり諦めた。会話するのに必要な口は一つあればいい。

 

「魔導国ですか。モモンガさん、なんでギルド名に改名したのかな……あ、モモンガさんっていうのはそのアンデッドの魔導王さんの名前です。仲間だけに許された名前とでもしておいてください」

 

 ベルリバーは鎧を着ていないと体の部位が見分けられない。出鱈目かつ無秩序に大量の口を生やした肉塊が蠢き、幾重にも重なる声は人間の正気を削る。指先をちょいと動かすだけで、瑞々しい内臓がぎゅにゅぎゅにゅと音を出して蠕動する。

 

「く、口がぁ! 口が動いたアアア!」

「トーケル坊ちゃん、お気を確かに! それでも次期当主ですか!」

 

 ビョルケンハイム家の次期当主の若者トーケルは涙・鼻水・涎、流せることのできる体液を総動員して怯えた。それを宥める従者のアンドレも、平静を装いながら大量の脂汗を滴らせて床に染みを作っていた。

 

「トーケル坊ちゃん、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。私は元人間ですから食べたりはしません」

「ひぃぃ! 喋ったぁぁあ!」

「なんか、申し訳ないです」

「こちらこそ、申し訳ございません……」

 

 姿形こそ違うが、日本でよく見られるサラリーマンの挨拶らしき光景だ。

 

 怯える坊ちゃん貴族を捨て置き、従者の男性から聞くところによれば、彼らは次期当主に相応しき武勇伝を作るべくエ・ランテルで冒険者を雇って魔物を狩るのだという。土地を治める領主ともなれば虫も殺せぬようでは思い切った決断は出来ず、優しいだけの領主では内政も成り立つまい。異世界ならではの家訓に感心した。

 

「特に今回は奮発しましてね、英雄チーム”漆黒”を名指しで頼もうかと。坊ちゃんは領民の血税だと反対してましたが、英雄と肩を並べて戦ったとなればこれ以上ない武勲ですから」

 

 そう言って従者の男は笑った。裏表を感じさせない、相手を信用させようとする笑みだった。

 

「ご立派な家訓ですね」

「坊ちゃんは奇妙な風習だと馬鹿にしていますが、そうは言いながらも実践経験の重要性はご理解していらっしゃるようで」

「魔物との戦いは切っても切れませんからね。素晴らしいことだと思います」

「光栄です。魔導王陛下の御友人に恐れ多いんですがね」

「もしよろしければ、乗せてくれたお礼にお手伝いしましょうか? これも何かの縁です。冒険者を雇うお金が浮きますし、私もバトルの勘を取り戻せます。これでも鍛えていますんで、そこいらの魔物なんかちょちょいのちょいですよー、あはは」

 

 ベルリバーは怯える空気を緩和しようと気を使い、両手を上げておどけて見せた。従者のアンドレはそれを察して主君を見やるも、肝心の若者を更に怯えさせただけだった。

 

「あー……ベルリバー様、お気遣いは無用です」

「残念ですね……」

 

 現在、主は馬車の隅っこで顔を膝に埋め込んで体育座りしている。顔立ちの良い美形な青年も、こうなってしまっては魔物に怯えて震えて眠る幼子と変わらない。

 

「いつもはこうじゃないんですよ。ああ見えても、普段は領民のことを思いやる良き領主なんですが……」

「……本当、申し訳ありません」

「ああ、いえいえ! もし坊ちゃんが、ベルリバー様の容姿を克服できたのならその時は是非、お願いします」

 

 あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王の友人と共闘したとなれば、これ以上ない武勲となるはずだ。何より、魔法と剣士を併用して使えるという彼の実力を間近で見てみたい欲求に駆られている。そちらに多大な未練を残しつつも、これ以上、肉塊が余計な真似をするとトーケルが失禁しかねない。武勇伝を作りにきて黒歴史を拵えるわけにはいかない。未来永劫、彼はおもらし領主として称えられるのだ。

 

「そ、それに、大英雄モモン様とその相棒の美姫ナーベ嬢を雇うとなれば、それだけで一つのステータスですからね。幸い、王都へ出張っていた漆黒がエ・ランテルで活動を再開した噂を聞きつけまして」

 

 最上位の冒険者の階級がなぜアダマンタイトなのかと聞きたいところだが、水を差すわけにはいかずに聞き流した。

 

「何でも、二人のうち片割れだけが帰還したので、これまで休んでいた件へのお詫びも兼ねて価格を一時的に下げたようです。これ幸いと彼らを雇い、安全な場所で狩りを行う予定です。何しろ、成人の儀では全員が帰還したわけじゃありませんので」

 

 そのモモンとやらが誰かは知らないが、名前と強さを考えればそれとなく誰かは知れてくる。相方の女性はNPCだろう。となれば、ナザリックそのものが転移した可能性が高い。

 

 この出会いは情報収集に大いに貢献してくれた。

 

「それでは、冒険者組合までお付き合いします。もしかすると、知り合いに会えるかもしれませんからね」

「し、知り合いですか……魔導王陛下は王都にしかいないと思いますが」

「興味もありますから」

 

 旅は道連れ世は情け、必要な情報をくれた彼らへ、何らかの恩返しがしたいところだ。

 

 情けなく怯えているトーケルは、決して無能ではないのだろう。剣の腕前もそれなりに立ち、護衛などいなくてもゴブリン程度なら一人で討伐できる実力はありそうだ。領主になるための教育も知識も備え、女性受けの良い容姿を持ちながら自らを律する理性もある。

 

 だが、実践経験は少ない。本で読んだ知識を凌駕するほど、ベルリバーの姿が恐ろしすぎた。アンドレでさえ長時間に渡って彼を直視すれば、意識は彼岸まで飛んでいきそうだ。

 

 ベルリバーの転移地点はエ・ランテルからすぐの場所で、幌馬車はすぐに要塞都市へ到着した。アンドレの予想と寸分違わず、入口の検閲に引っかかる。担当した衛兵、魔術組合の人間はトーケルの二の舞だった。

 

「ですから私はベルリバーと言って、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の友人です」

「ひいい! しゃ、喋ったぁぁ!」

「またかい……」

「あー……ベルリバー殿、交渉は私にお任せください」

「何から何まで、ご迷惑おかけします」

「いえいえ、これも何かの縁でしょう」

 

 結局、ベルリバーは貸し与えられたローブに包まれ、「私は積み荷です」という顔をしてやり過ごすしかなかった。

 

 魔導王陛下の友人という確証はなくても、全員が素肌で感じていた。彼は人間風情がどうこうできるようなものではなく、肌から伝わる存在感は形容しがたく名状しがたきものであれど、確かな力だ。

 

 その気になれば、要塞都市など箱庭と変わらないだろう。気まぐれで暴れれば、あっという間も与えられずに都市を消し飛ばせる。体の震えを自覚すると同時、彼が魔導王の友人であると全員が理解している。魔導王の難度は400超えだというが、その友人もまた等しく超越者なのだ。

 

 もし、彼が魔導王の友人ではなく、魔導国の敵対者、人間に仇なす魔物だったとしても、対処できるのは”漆黒”だけだ。その点で言えば、冒険者組合へ共に出向くのは悪い選択肢ではなかった。

 

 衛兵とアンドレの間で、真っ先に冒険者組合へ出向くべきと決まった。

 

「しっかし、賑わってる街ですねえ」

「そうですね。活気があっていい街だ」

 

 正直な感想を言えば自由奔放に観光したいところだが、自分の容姿を考えると非常に不味い。今は馬車の中から見れる街の景色で満足するしかない。

 

 そして冒険者組合、いつもは賑わっている組合は異様な静けさに包まれていた。扉のきしむ音が組合中に響き、居合わせた人間の視線を集めた。

 

「ひっ!」

 

 誰かが小さな悲鳴を上げた。

 

 アンドレとベルリバーは恐怖の視線を跳ねのけながら受付に向かう。トーケルは当然ながら付いて来ず、馬車の中へ居残った。ベルリバーの容姿が、組合の中へ更なる静寂をもたらしていた。

 

 冒険者、依頼者併せて数十名の人間が見守る最中、アンドレとベルリバーは足取りも重く受付に到着する。先客が受付嬢を困らせ、今しばらく時間がかかりそうだ。

 

「……どうすればわかってもらえるんですか」

「困ったな……」

 

 黒いローブに身を包み、顔さえもフードに覆われて見通せない怪人物が、襤褸布を纏った双子の幼児の頭を撫でた。

 

 

 

 

「あれ、これで終わりですか?」

「弐式炎雷さんと出会った瞬間に話を切らないでよ! 打ち切り? 打ち切りエンドなの!? やっぱり打ち切りか! 円盤(UFO)の売り上げが悪かったんだな!」

「UFO……?」

 

 中途半端なところで全ての口を閉ざしたベルリバーへ、茶釜が湯気を立てて抗議した。

 

「茶釜さん、お腹の具合は」

「スライムのお腹ってどこなんでしょうか」

「あたしに聞くな」

「そうじゃなくて、まだ食べられますか? なんか食べ足りないんですが」

「大食らいですねぇ、口がいっぱいあるから胃袋も一つじゃないんですか?」

 

 そう言ったヘロヘロへ同意をするように幾つかの口が開閉を始めた。

 

「ああ、駄目だ……お腹が空いた」

「何か食べないと話の続きが聞けなそうですね」

 

 ヘロヘロが厨房へ向けて手を上げると、料理長の威勢の良い返事が投げつけられた。

 

 彼らの会話を盗み聞きして空気を読み、料理長は既に次の料理へ取り掛かっている。副料理長が間を繋ぐべく、ドリンクメニューを差し出してくれた。

 

「お酒でも飲もうかな」

「酒の夜語りですね」

「お酒かぁ……甘いカクテル、お任せで」

「俺はコーヒーでいいです」

「じゃあ俺は紅茶」

「なによ、二人も酒飲みなさいよ」

「なぜ?」

「じゃあ、コーヒーベースのお酒で」

「じゃあ、紅茶ベースのお酒で」

「ああ、んもうっ、そうじゃないのに」

 

 酒と煙草は同じ場所で呑むと絆が深まるという。それは、共感作用によって同じ釜の飯を食った気分になるからだ。その感覚を味わいたかった茶釜の気持ちがわからないでもないが、今は食欲を満たさなくてはならない。時間はたっぷりとある、嗜好品の類は後回しにしても問題ない。

 

 副料理長は彼らの会話に水を差すまいと一言も話さず、一礼をして作業に取り掛かった。食堂にはコーヒーとも紅茶ともつかない妙な匂いが流れた。

 

 やがて周囲の情緒を崩す濃厚な香りが充満し、ベルリバーの前にパンとサラダと肉が大皿に積み重なった。凝った料理などではなく、単純明快な料理にベルリバーの口が歓喜の涎を零した。

 

 到底、人間一人が食べる量でない。各々の料理が輝きを放ちながら見る者の食欲を刺激したが、ホールケーキを一気食いして食欲が満たされた茶釜がため息を吐く。

 

「胸やけしそうだわ。いくらなんでも食べ過ぎじゃない?」

「お腹が空くんですよ」

「会話の続きをお願いしたいんですが」

「ああ、失礼。それで、どうやら彼は、冒険者の登録をしているところでした」

 

 冒険者組合に流れ者が登録するのは後を絶たないが、消息を絶つのも珍しいことではない。来るもの拒まず、去る者追わず、そうした対応に慣れている受付の女性も、今回は頭を抱えるしかなかった。

 

 見た目が怪しい黒いローブの男は、フード状に被ったローブの闇から顔も覗かせない。身分が不確かな彼が連れてきた新米冒険者も、見た目五歳程度の双子の女児だというのだから正気とは思えなかった。

 

 折り悪く、久方ぶりに復帰してくれた”漆黒”の美姫ナーベも、道路を塞ぐ大岩を破壊する組合の依頼をこなすために組合長アインザックと出ている。彼女がいれば得体の知れない彼を外へ放り出すくらいは頼めた。

 

「冒険者とは魔物と戦う傭兵のようなものですから、いくらなんでもその子たちを登録するのは……ちょっと」

 

 物珍しい状況に、いつもは野次を飛ばし、新人をいびろうとする中堅冒険者たちも遠巻きに眺めるだけだ。静まり返った組合に、彼らの会話は良く聞こえた。

 

「俺が強いから問題はありませんが」

 

 失笑が聞こえ、受付嬢はまるで自分が嗤われているような気分になった。

 

「失礼ですが、あなたのお名前は?」

「匿名で」

「はぁ……どこの出身ですか?」

「言えない」

「お顔を拝見できますか?」

「できない」

「……どうしろと?」

「登録してほしい」

「その子供たちを?」

「俺が子守をする。何も問題ない」

 

 何から何まで問題だらけだ。多少、身元が怪しくても大抵の人間を登録する受付嬢でさえ、これには頭を抱えてしまった。彼は現れてから一貫し、彼女を安心させる材料を何一つ与えようとしない。

 

「この二人は帝国の貴族出身だ。特に身分は問題ない」

「そういうことじゃないんです……」

「じゃあ何が問題なんだ」

「面倒くさい……ナーベ様、組合長、早く帰って来て」

「はぁ?」

「あ、いえ、あの……ですから、その、そういうことではなくて、命の保証がない仕事を幼い子供にさせるなんてどういう神経してるんですか? 頭がおかしいのですか? 一度、神殿へ出向いて治療をして頂いたらいかがですか? 少しはマシになるのでは?」

 

 泣きぼくろの受付嬢も、徐々にとげとげしい態度に変わる。彼女の言う通り、どこからどう見ても子供を誘拐して肉体労働させようとしている奴隷商人か何かだ。

 

 そろそろ衛兵を呼ぶべきかと彼女の内部世界で検討されていたところで、都合よくビョルケンハイム家の人間が受付に現れた。彼女の位置からはカウンターが邪魔して地を這うベルリバーが見えない。取り巻きの怯えた顔の意味はよくわからないが、怪人物と双子を後回しにして時間を稼ぐにはうってつけだ。

 

 その内、組合長なり、美姫ナーベなり、どちらかが戻ってくるかもしれない。

 

「申し訳ありませんが、少しお待ちください」

「わかった」

 

 このままお引き取り願いたかった。

 

「お待たせしました、こちらで伺います」

「ああ、失礼。”漆黒”へ指名依頼を出したいんですが」

「漆黒は現在、別の依頼に出ております。直に戻ると思いますが、依頼内容は先にこちらでお伺いを――」

 

 打ち合わせを始めた両者の後方、ベルリバーは自分を見つめる大衆の視線が恐怖一色であると気付いていた。いたたまれない気持ちは、圧倒的な好奇心に抑え込まれている。ベルリバーは肉塊の体を蠢かし、物珍しそうにギルド内をきょろきょろとしている。

 

 放っておかれた黒ローブの不審者が後ろへ顔を向けたとき、肉塊と目が合って時間が止まる。

 

「ベルリバーさん!」

 

 怪人物に名を呼ばれ、ベルリバーの頭の中で様々な閃きが起きた。

 

「ギルドの誰かですか?」

「……」

 

 沈黙を以て応ずる場合、往々にして肯定であることが多い。

 

「ちょっと、話しませんか?」

「……ええ」

 

 ベルリバーと彼は組合中央に置かれた待合ソファーへ向かう。偉そうに陣取っていた冒険者たちが、慌てて遠くへ逃げていった。

 

「どうも」

 

 ベルリバーの幾重にも重なる声が、彼我の距離を大きく開いてくれた。

 

 受付嬢の絹を切り裂く悲鳴が組合の外まで響き渡り、アンドレが必死で宥めていた。丸くなっていた彼が立ち上がると、どう見ても人間を食らう化け物だ。彼女の反応は真っ当なものであり、ベルリバーは羞恥心を必死で押し殺した。

 

 既に興味は隣に座った彼に移動している。

 

 双子の女児は年齢にそぐわず大人しかった。隣にちょこんと座り、ぼんやりと天井を眺めている。順調に成長すれば、将来はとても美人になるだろう。

 

「可愛いですね、その子たち。西洋人形みたいです」

「ベルリバーさん。今日ここで俺と出会ったことは誰にも内緒にしてもらえませんか?」

「どうしてですか、弐式炎雷さん」

「っ!」

「動揺は肯定にしかなりませんよ」

 

 鎌をかけられたと気付いた時には遅い。一撃で正体を看破され、怪人物はフードを脱ぐしかなかった。文字通り兜を脱ぐとでも言いたいのだろうか。見物人たちが彼の素顔を見てどよめいている。人間都市の冒険者組合に、見たこともない二匹の異形種が出現すればそうなる。

 

「ああ、やっぱり。声でわかりましたよ。相変わらず中身はつるつるですね」

「放っておいてくれ……」

「一発で知り合いに出会えてよかったですよ。これからどうしようかとおも――」

「俺の頼みを聞いてもらえますか?」

「はい?」

 

 会話をぶった切る弐式炎雷の声は急激に暗く、沈んでいた。元より明るい声ではないが、これは暗すぎる。本物の暗殺者にでもなったのか。

 

「王都でアルシェという娘がいます。この子たちの姉なんですが、彼女が悪夢に苛まれている原因を探って欲しい。夢魔の類かと思ったが、周辺に魔物の気配はない。あんたなら頭がいいから、精神的、医療的な観点で原因を特定して治せるはずだ」

「……なぜ?」

「報酬は払う」

「いや、そうじゃなくて」

「俺は彼女たちを育てないといけないんだ」

「だから、なぜ?」

「疑問が多いな」

「異世界初心者なので」

 

 冗談に笑ってはくれなかった。

 

「俺は……」

 

 どれほど待っても、そこから先の言葉が続かない。恐らく一発で状況が把握できる言葉を言おうとしているのだろうが、このまま待っていても埒が明かない。

 

「そのアルシェって子はどんな子?」

「ちょっとぽっちゃりした、とても綺麗な十代の少女だ。アインズ・ウール……モモンガさんの嫁になりたいらしい。もっとも、恋に恋する少女って感じだが」

「へえ、モモンガさんもモテますね」

「絶対に許さん」

「お父さんは厳しいですね」

「まあな……」

「この子らの母親は?」

「……」

 

 このやりとりでそれとなく悟るしかない。

 

 考えられるのは、姉妹の両親と何かあったのだ。口を濁すあたり、母親が死んだ場面を目の当たりにしたという線が濃厚だ。

 

「孤児ですか」

「厳密には違う。アルシェは恐らく17歳前後だ。魔導国の王都で宮廷勤務。つまりエリートらしいな」

「ほー。モモンガさんの好みだったんですかね」

「それは違うと思うが……。小金を稼ぐので必死になり過ぎて、この子たちの面倒もろくに見れないから俺が勝手に引き取った」

「それ、誘拐じゃありません?」

「断じて違う。この子たちは姉の力になるため、自分たちも金を稼ぎたいと言っていたんだ。そのために手っ取り早いのは冒険者になることだと知っている、だから俺が手を貸すんだ」

 

 弐式炎雷が二人の頭に手を乗せると、双子はニコニコと笑った。純真無垢な天使のような笑顔だった。

 

 それがベルリバーを苛立たせた。

 

 肉塊の腕を伸ばして弐式炎雷の胸倉を掴んで引き寄せた。子供たちの笑顔を崩すまいと、彼にだけ聞こえるよう囁きに怒気を込めた。

 

「俺は、あんたがあの子らの母親と何があったのか知らないし、聞かない。酷い最後だったからあんたが義務感を負った、違いますか?」

「相変わらず、期待通りの頭だよ、ベルリバーさん」

「そこまで察した上で言わせてもらうが、あんたは間違ってる」

「仕方ないじゃないか。それがこの子たちの望んだことだ」

 

 胸倉を掴んで引き寄せているベルリバーの手を更に上から掴む弐式炎雷の手には、過剰な力が込められていた。

 

「例えば、音改さんと先に出会っていれば商人になる可能性もあった。だが、そうはならなかった。どうにもならなくなってから、この子たちは両手を血に染めた暗殺者と出会った。なら、俺の成すべきことは一つしかない」

「少年兵」

 

 ベルリバーは人差し指を突き出した。

 

「戦争で殺しを覚えさせられた子供たちは人殺しで生計を立てる。やがて、殺すことでしか生活ができないと知り、社会復帰できずに軍隊へ逆戻りか、犯罪者として生きる。平和な世界に残された戦争の異物、血みどろの獣だ」

「そうはならない。魔物が存在する世界で、戦闘の仕事はいくらでもある」

「教育はどうする」

「俺が善悪を教える。何が悪で、何が正義であるかを、冒険者として成長する過程で教え――」

「俺たちは神ではない!」

 

 ベルリバーの体に生えた口が、一斉に叫んだ。建物を地盤から揺らすほどの咆哮に、その場に居合わせた全員が体を震わせ、空気を這う音の振動に耳を塞ぐしかなかった。

 

「正義や悪を……一個人が指導すべきではない!」

 

 弐式炎雷は知らずに彼の地雷を踏みつけた。今度は胸倉を掴み上げられ、弐式炎雷の体は絞首刑者のように宙ぶらりんだ。体は揺らいでも心は揺るがず、意見は変わらない。

 

「母親に甘えることさえ、あの子たちは許されなかった! それが弱肉強食だというなら、俺はそんな世界さえも許さない」

「そっちが本音だよ! あんたは昔から人間嫌いの節があったが、今は世界まで憎んでいる。あの子らの母親を救えなかった自分を含め、そんな自分が存在している世界までそっくり全部憎んでいる。それは人間嫌いじゃない、ただの自己嫌悪だよ馬鹿野郎!」

 

 二人の口論を見守るものが冒険者組合崩壊の未来予想図を浮かべている最中、ベルリバーの怒号はなおも続く。

 

「手を血塗れにした少年兵を作ってどうする。鬼神のごとき憎悪を子供たちに継承するつもりか? 逆なんだよ、あんたのやってることは!」

「……この子たちは、よく笑うようになってくれたよ」

 

 本物の異形となった彼の顔には、叡智からほど遠いもの特有の頑迷さが宿っていた。彼の心はこちらの声が届かないほど遠く、暗い場所にあるようだ。

 

 双子がソファーから飛び降りて、ベルリバーの体をそっと優しく撫でた。

 

「なんだよ、それ。なんでそんな」

「笑っていてほしいから」

 

 静かに、弐式炎雷の足は地面を付き、双子が心配そうに抱き着いた。彼女たちの声を一回も聞いていないのは、彼女たちもまた病んでいる可能性の示唆でもあった。

 

「子供は学校に行き、未来を好きに選ぶべきだよ」

「クーデリカ、ウレイリカ、お前たちはどうなりたいんだ」

「お姉様の力になりたいの」

「お金を稼いで、お姉様を助けたいの」

「ほら、な」

 

 いっそ全力でぶん殴ってやろうかとも思ったが、この場では弐式炎雷に分がある。かつての仲間であろうと、今のベルリバーは双子の未来を阻む邪魔者だ。

 

「……異世界ってのは楽しむものだろう。異世界まで来て、現実みたいな生き方を子供たちに強要するなんて馬鹿げてるよ」

 

 この場において最も必要とされるのは自分ではない。互いに本気でやり合えば、深手を負い、何も解決できずに終わるだろう。ベルリバーは握り拳を下ろすしかなかった。

 

「アルシェという少女の件は引き受けた。それから、俺が王都から戻ったら、一発殴らせてもらう」

「できるもんならやってみろ」

「逃げるなよ?」

「逃げも隠れもさせてもらうぜ。何しろ俺は隠密だからな」

「チッ」

 

 ベルリバーの舌打ちを満足げに眺めてから、つるつるした顔の弐式炎雷はナザリックの場所をベルリバーに教えてくれた。

 

「合流するならそこに行くといい」

「なぜ知っているんだ?」

「この子たちが覚えていたから、旅の途中で立ち寄って確認した」

「墓参りか?」

「……さて、ね」

 

 役目を終えたとばかり、彼は双子を抱えて掻き消えた。影も形も残すことなく、隠密に相応しい去り方だ。

 

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いていると同様、闇夜の狩人は森を走りながら自らもまた獣となっているんだよ」

 

 届くことのない自分の言葉が、弐式炎雷の作り出した風に乗って外へ出て行った。

 

 

 

 

「いや、届くことない言葉って。なんスか、最後の情緒的な表現は」

「そしてアンドレさんに簡単な挨拶を済ませてから、私は一人、ナザリックを目指して旅立ったのでした。めでたしめでたし」

 

 最後、大幅に端折られたものの、弐式炎雷がどんな状況なのかは把握できた。

 

「随分、拗れてますね……」

「馬鹿ばっかね」

「まあ、最初に出会った存在に多大な影響を受けるのは仕方ありません。ユングが出会いの重要さを説いていましたが、持論の正しさの証明として今の彼を見ればむせび泣くでしょうね」

 

 想像の域を出ないが、双子の母親と男女の出会い方をしてすんなり別れられなかった。悔恨を残す形で別離、つまりは死別した彼だからこそ、零れ種の子供たちに執着しているのだ。

 

「違う生き方なんていくらでもできるのに」

「暗殺者イベントクリアに必要なのはやまいこさんでしょうね」

「永遠の姉ですか」

 

 ベルリバーの理想郷、ユグドラシル時代を再現するのであれば弐式炎雷がそちらへかまけていてはいけない。

 

「姉と自称保護者じゃ、立場が違いますよ。やまいこさんなら相手の都合なんてお構いなしにぶっ飛ばしてくれるでしょう。俺はそこまで出来ませんから」

「殺人鬼対鬼教師ですか……」

「殺人鬼なの?」

「鋭いですね、ヘロヘロさん。あれは多分、もう何人も殺してますね」

 

 彼がこの世界に来た時期として考えられるのは、ベルリバー帰還より遡ること一週間以上前だろう。王都への移動距離、そこから数日経過してエ・ランテルへの移動距離を考慮すれば、生計を立てる手段はいくらもない。

 

 導き出される解答は盗賊だ。

 

「彼のことだから、悪人ばかりを襲って金を奪ったんでしょうけどね」

「ザ・ニンジャですね」

「うわぁ……」

 

 ぶくぶく茶釜が露骨に引いていた。

 

「殺人はさほど問題ではありませんよ」

「そうですかぁ? だって、俺たちだって元人間なのに」

「殺人という行為そのものではなく、自分がどう考えるかが問題なんです。確かに殺人は良くないが、それを意地になって避けるのは違うんじゃないかと。生まれ変わった私たちは化け物なんですよ。無理に人間面するのはよくない」

「私はやだぁ」

 

 茶釜が口を開いた。

 

 何をするのかと思いきや、女性にあるまじき特大のゲップだった。ヘロヘロが触手を伸ばして無作法を咎めた。

 

「茶釜さん……いくらなんでも女の人なんですから」

「なによ、悪い!?」

「悪いでしょう」

「あーあ、こんなのつまんないよ! だいたい、なんでみんな素直に異世界転生ものの頭空っぽな登場人物の振る舞いができないわけ! 頭空っぽで夢詰め込もうぜ!」

「なんか、どこかで聞いたような……」

「あああ、どいつもこいつもムカつく! アニメ化されたラノベのキャラなんか見て見なさいよ、どいつもこいつも何も考えずに適当に生きてんじゃん。よっぽど、馬鹿の方が楽しそうだよ。あーあ、馬鹿は偉大だなー」

「じゃないと、茶釜さんがいつまでもピエロですもんね」

 

 刹那、茶釜の全身を彩る桃色が色褪せたように見えた。

 

「……いつ気付いた?」

「最初から」

「あっちゃー……」

「え、なに? 何ですか?」

 

 何らかの意思の疎通を始めた二人に、置いてけぼりにされたヘロヘロが首を振って慌てている。

 

「ヘロヘロさん。茶釜さんは、ペロロンチーノさんが妙に大人びた振りをするから自棄になってはっちゃけているんですよ」

「だって……調子狂うじゃん? あの馬鹿が大人しいなんてさ」

「ああー……言われてみればボケとツッコミが入れ替わった感じですね」

 

 はじめてヘロヘロはそこへ思い至る。茶釜の発言に差異は見られないが、まるで昔のペロロンチーノを踏襲しているかのようにやかましい。声量だけで言えば確実に入れ替わっている。

 

「なあに、それ。失礼くない? ……別にいいけど。ゲームではっちゃけてたやつが異世界にきて大人になったつもりなんて寒いよね。昔みたいにバカやって笑ってさ、なんなら昔以上に馬鹿やっちまえばいいのに。あれじゃあハーレムなんて夢のまた夢だわさ」

「人は変わるものですから……」

「元を正せば、あの野郎が私を誘ったんだよ、異世界にさぁ! ……この世界にきて花畑焼き払っちゃってから調子が狂いだした気がするわ」

 

 姉弟が転移して最初に出会った人物がうら若き女性であったのなら、もしかするとペロロンチーノは昔の自分を取り戻したかもしれない。たらればの妄想ではあるが、そう考えずにいられないのは今の彼に不満を抱いているからだ。

 

「だって、みんな幸せになりたいんだよ……」

 

 ヘロヘロは茶釜が姉らしき発言をしているのを初めて聞いた。人間の容姿こそしていないが、仮に人間の姿をしていれば物憂げな美しい表情に思われた。

 

「優しいお姉ちゃんですね」

「やまちゃんには負けるよ」

「茶釜さんはいい女ですね」

「なぁにぃ? 私は攻略できないのよー? でもぉ、どうしてもっていうならぁー、王都でデートくらいなら特別にしてあげてもいいかなぁー」

 

 茶釜は鼻にかかった声で、女性らしさを強調した。返ってきた言葉には何の感情も感じさせない無機質なものだ。

 

「遠慮します」

「結構です」

「は? なに?」

 

 短い返事でありながら、茶釜の声は急激に刺々しくなった。

 

「だからいりません」

「結構です」

「なんだよ! 今いい女だつったじゃん!」

「スライムは好みじゃないんで」

「俺もスライムは好みじゃ――」

「お前もスライムじゃ!」

「同種族はご遠慮願います」

「なんだそれはこの色情魔め! メイド十四人に手を付けやがって」

「俺の作ったNPCだから何の問題もないでしょう」

「確かに色情魔ですね」

「ベルリバーさんまでやめてくださいよ!」

「思い知ったか! エッチ馬鹿変態1号!」

 

 茶釜が本気で怒っていたのかは誰にもわからない。彼女の怒号で場が収束し、ヘロヘロがぽつりとつぶやいた。

 

「ベルリバーさんの説教、利いてるといいですね」

「俺は後押ししただけですよ」

「今ごろ、シャルティアの部屋へ向かってたりして」

「だといいですね」

 

 全員、項垂れながら歩いているペロロンチーノを空中に浮かべた。

 

 アインズから音改帰還の通知が入るまで、三名は食堂でくつろいでいた。

 

 

 

 

 ベルリバーの帰還後、アインズが宝物殿に顔を出す時間を捻出できたのは6日後の夜だった。こっそりと宝物殿を訪れると、ソファーに腰かけているパンドラは気配を察し、読んでいた純白の本を閉じた。

 

「ようこそ、宝物殿へ」

 

 立ち上がって数歩、歩み出た軍靴の音が響く。今日も敬礼は折り目正しく、誇らしげに見せつけた。

 

「我らの偉大なるぅアインズ様!」

「ああ……」

「至高の41人の御方々が順次帰還した今、参謀という地位は無意味となりました。それでもこのパンドラズ・アクター! 日夜、アインズ様の理想郷を建設すべく、お役にたつ政策をいくらでも考案し、アインズ様がいつ、知恵を求められてもいいように準備している次第でございます!」

「そうか……」

 

 何も聞いていないが勝手に話してくれた。パンドラと話すとき、精神の抑制を繰り返すのは恒例行事だ。敬礼をしたまま動かない彼の姿を改めて見れば、やはり軍服は格好いいと思う程度の童心がまだ残されていた。

 

(衣装は格好いいんだけど……問題は所作だな)

 

「いかがなさいました?」

「ああ、いや……」

 

 ここで自分が彼を受け入れてこそ、ペロロンチーノへ進言ができる。自分もまた異世界へ降り立ったとは言い難いが、それは過去に執着すると同義だ。アインズが異世界を楽しむのであれば、仲間へ執着するのをやめなければならない。

 

「……不可能だ」

「はい?」

「ああ……いや」

 

 いつも通り誤魔化そうと思った寸前、アインズを押し止めた何か。

 

 パンドラ(黒歴史)と真剣に向き合おうと思ったこの逢瀬は、さっさと追い払おうとしていたこれまでとは違う。アインズと向き合っているNPCの彼は、ユグドラシルを楽しんでいた鈴木悟の童心そのものだ。未来と過去、化け物と人間、一人の人間から派生した、相反する2つの心が対峙しているのだ。

 

(なんて、ちょっと大げさか)

 

 彼を自分の過去の童心として、今の自分をどう思うのかと聞いてみたくなった。

 

「パンドラズ・アクター。お前の造物主は私だ、そうだな?」

「はい!」

「私をどう思う?」

「……ほう?」

「私は未だに、仲間に執着を止められない。これは種族特性が変質したものだ。まるで狂人のような――」

「それがまず間違いなのでございます」

 

 パンドラの姿がぐねぐねと揺らぎ、タブラ・スマラグディナに変わった。

 

「これより先、不敬なる発言が含まれるため、容姿を変質させて頂きました」

「構わん、申せ」

 

 首をコキコキと傾げ、タブラ・スマラグディナの姿で言った。

 

「例えば、何者にも執着しない人間が異世界へ飛んだのなら楽しいでしょう。何も持っていない者が全てを手に入れる物語となるのです」

 

 姿を変えても所作は変わらず、ブレインイーターは両手を広げて天井を仰いだ。

 

「片や、何もかも手に入れた人間が異世界転移するのであれば、それは喪失の物語です。物語の冒頭、転移して早々に家族、財産、地位や名声を全て失うのです」

「そうだな……」

「アインズ様、御身はこの世界へ来て、何を失いましたか?」

「何も失っていない。私には家族、財産、地位、友人、何も――」

「それが最初の間違いなのでございます」

 

 パンドラが一歩前に出ると、アインズは一歩後ろへ下がった。彼に気圧されるなど初めての経験で、怒りよりも戸惑いを感じた。

 

「人間とは、なにかに執着する生き物なのです。手に入れた地位、財産、家族、どれほどの幸福を得ようと、人間は満足などしません。この世に未練がないものは執着しないのです」

「そうだ、だから俺に未練は――」

「誤魔化してはいけません。アインズ様は確実に喪失し、執着なさいました。41人の御方々との接触が異世界にて永遠に絶たれたことで、過去の思い出という財産に」

 

 血が流れていない骨の体が、まるで心臓を握られたように身が縮み上がった。

 

 パンドラの言う通り、単身でこの世界へ来たとしても仲間がいないのであれば本質的に満たされることはない。現実と異世界で分け隔たれたとしても、彼らと再会して新たな冒険に出られるのであれば、あらゆるものを犠牲にしただろう。

 

「アインズ様はそうでなければならなかった。現実に何も持たないなど、謙遜を通り越して嫌味でございます。何かに執着しない人生、それはとても侘しく、哀れな生でございましたでしょう。しかし、アインズ様は違う。仲間に執着するが故、我らNPCへ慈愛を注ぎながら、いつか戻られると信じてご盟友へ執着する。素晴らしい人生ではありませんか!」

 

 語尾を強調するごとにパンドラは一歩進む。気が付けば、壁際にまで押し込まれていた。

 

「これらを踏まえた上でお答えください」

「……なんだ」

「あれほど執着していた41人の方々、その帰還が現実のものとなった今、御心はどれほど満たされているのですか? それは同時に、皆さまの巻き起こす騒動の尻拭いをアインズ様が一手に担うということになるのです。なぜならば! アインズ様は魔導国、異形種どもの王、化け物たちを統べる者、文字通りの大君主(オーバーロード)! 皆がアインズ様を支配者と認めながらも、こぞってアインズ様へ迷惑をかける、それは御方にとって幸せなのでしょうか?」

 

 パンドラは軍服の姿に戻って跪いた。

 

「お答えください。この私に、アインズ様の創造物であるこの私めに、アインズ様の今の心境をお聞かせください。これは、父上の御心を知っておくべきと考える子の矜持なのです」

 

 答えを求められているが、さほど難しいことではない。結論は考える前に出ている。

 

「まったく、みんなして好き勝手にこの世界を暴れ回ってくれる。恐らく、これから戻るものもそうだろう。その都度、何らかの問題を持ち込んで私を困らせてくれる。私は……他人に迷惑を掛けられるのがこんなにも楽しいと思ったことはない。そうして一つ、また一つ、問題を解決するごとに仲間が増え、俺の心が満たされていく」

 

 頭蓋にある自分の意識が揺らぐ。鈴木悟の残滓と、オーバーロードの意識が混ざり合うような、船酔いに似た感覚。

 

「私は、幸せだよ」

 

 抑え込み、答えを言い切った。一呼吸おいてからパンドラは立ち上がった。至近距離で最敬礼をされたが、今度は感情が抑制されなかった。何か、微笑ましいものを見るかのように胸が暖かくなった。

 

「思い残すことはない、何も未練はない。それは自分を納得させるだけのまやかしです。人間は強欲なのです」

「人間とは……かくも業が深いものだ」

「人間に作られた私もまた、業が深いのでございます。貢献し、惜しまれながらも己の全てを犠牲にする、それこそがNPCたる生き様。私の生は全て、アインズ様の幸福のために」

「馬鹿げている。私なんかのために――」

「ご自身でそうお思いになろうと私は、御身にだけは笑っていてほしいと願っています」

 

 流石に感情の抑制を必要とした。少なくともこの日に分かったのは、パンドラはいつまでも変わらず、彼はNPCの中で誰よりも幸せそうだ。それは造物主が初めからそこにいて、ナザリックの頂点に君臨し続けている自負なのだろう。

 

「宝物殿の財宝でも愛でようと思ったが、興が削がれた。また出直すとしよう」

「畏まりました、いつでもお待ち申し上げております」

 

 アインズはローブを翻して立ち去った。パンドラを受け入れるには今しばらくの辛抱が必要だが、人間は慣れる生き物だ。パンドラを鈴木悟(過去の自分)として、受け入れる日はそう遠くない。

 

 アインズが立ち去ったのを確認し、パンドラがハンカチを取り出して必死で隠していた冷や汗を拭った。

 

「この逢瀬は、”後押し”だと考えさせていただきます。ならば、私も動かなければなりません。アインズ様の物語の結末に向けて」

 

 パンドラはソファーへ腰かけ、読みかけだった純白の本を開いた。

 

 

 






なぜティーカップは4つあった?

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