翌日、目を覚ましたレイナースは、眠るヤトに朝食を用意してから邸宅を後にした。
宮廷に着くと、早々に執務室へ呼び出しがかかる。
跪くレイナースに、ジルは魔導国の蛇の人柄・性格などを事細かに聞き出した。
彼女も特に隠すことなく、自分から見た彼の性格を細かく教えた。
「思いのほか、短絡的な性格だな。魔導王もそうなのだろうか。」
「いえ、自分とは正反対の性格だと、お酒を飲みながら話しておりました」
「……あまり考えたくないな。種族までは知らないか?」
「はい、別の話に移ってしまいました。魔法詠唱者という点は間違いないかと。」
「じ…フールーダの耳には入れられんな。ありがとう、レイナース。下がって良い。」
レイナースは立ち上がることなく、跪いたままで話を続ける。
「陛下、お願いがございます。」
「なんだ?」
「私、重爆ことレイナース・ロックブルズは、四騎士を辞めさせて頂きとうございます。」
レイナースは呪いが解けて弱体化した事と、帝国を出て別の場所で暮らすと説明した。
ジルは複雑な表情で、話を聞いていた。
魔導国のスパイである可能性を考慮していた折りに、彼女が自ら申し出るとは予想しなかった。
「私のような者を拾って頂き、感謝に尽きません。今までありがとうございました、皇帝陛下。お貸し頂いた装備品とアイテムは、メイドに渡しておきます。」
晴れやかな表情で主君に微笑みかけた。
疑いの眼差しを向けようとしていたジルは、毒気を抜かれて微笑み返す。
「レイナース。お前は、洗脳されたのか?」
「……そうかもしれません。私は魔導国へ行きます」
「私が言うのも変なのだが、元気でな。」
「はい、また今夜お会いしましょう。」
「うん?」
「今夜、彼の踊り相手を務めさせて頂きますわ。」
しんみりした顔をしていたジルは表情を一変させ、口を開いて固まっていた。
前日の時点でヤトとジルは、この展開を予想できなかった。
レイナースが微笑んで出ていった後、しばらく表情が固まっていた。
振りかかった災いの出目は、誰にも予期せぬ方向へ転がっていく。
◆
口を開きっぱなしのジルを置いて執務室を出たレイナースは、その足で騎士の休憩所に向かう。
部下の騎士達と談笑をしていた、目当ての人物は直ぐに見つけられた。
「雷光、話をしたいのだが、時間あるだろうか。」
「珍しいな、重爆さんよ。俺の妾にでもなりたいのか?」
帝国四騎士、雷光の二つ名を持つバジウッド・ペシュメルは、粗暴な印象の顔つきだが笑うと朗らかな男だった。
彼は娼館上がりの妻と妾を持っており、五人の女性が同じ家で暮らしていた。
きつい目で睨みつけるレイナースは、抗議をしながら話を続ける。
「ふざけるな。私は真面目に話している。」
「冗談だよ。それで、何の件だ?」
「ここでは人目もある。こちらに来てほしい。」
好奇の目で見る部下を残し、二人は人気の少ない食堂へ移動した。
午前中の早い時間から食事を摂る者の姿は無く、料理長とメイドの姿しかなかった。
気を使ったメイドが飲み物を持ってくる。
「それで、何の件だ。お前さんが俺に話しかけるなんて、年に数回しかないだろう。」
「その……正妻のいる人の妾になるには、どうすればいいのだろうか」
「……はぁ?」
先ほどのジルと同様に、口を開き間の抜けた顔で放心した後、聞き間違いを疑って耳をほじくっていた。
「聞き間違いか?妾になりたいって言ったか?」
「その通りだ。」
「ほぉー……妾って、まさかあの蛇の旦那か?」
レイナースは沈黙で返したが、肯定だとバジウッドは解釈する。
「確かに髪型変えて女らしくなったよな。けどよ、本当にそれでいいのか?人間に化けていても、血も涙もない蛇だろ?」
「決めた事だ。」
「あの重爆が恋ねぇ……」
真面目な顔で彼女をしげしげと眺めた。
親密さの足りない彼の視線に耐え切れず、レイナースは話を催促する。
「さっさと話を」
「わかった、わかった。」
身を乗り出した彼女を、両手を前に出して制した。
下手をするとそのまま攻撃されそうだった。
「あー……そうだなぁ。大事なのは正妻と仲良くやれるかどうかだ。だから、付き合った女は最初に正妻と会わせるんだよ。そこで駄目だったら他の妾とも上手くやれねぇ」
「なるほど、正妻か。」
「中には正妻から奪おうとする猛者もいるけどな。そういう女は他の妾とも軋轢を起こしちまうから、最後は追い出されんだよ。結局、正妻には勝てねえのさ。正式な妻にするほど惚れた女だからな。」
「……そうか」
「参考になったか?」
「ありがとう、バジウッド。」
レイナースは今までまともに話をしなかった同僚に、初めて微笑みかけた。
バジウッドが見惚れている間に、機嫌の良さそうな彼女は食堂を立ち去った。
「すっかり恋する女だな。」
まだ温かさを感じる飲み物を口に含んだ。
砂糖が入れられていたのか、かなり甘かった。
◆
正式に退職の話を終えた彼女は、アイテムと装備品を返却して、邸宅へ帰還した。
玄関のドアを開けると、用意した朝食が手つかずで残されており、挨拶も無しに消えたかと心配して応接間へ急ぐと、黒髪の男はまだ眠りこけていた。
幸せそうな寝顔に頬が緩むが、気を引き締めて不機嫌な表情に作り替える。
力を入れ過ぎて、口元が引き攣っていた。
「起きなさい。昨夜の続きを始めますわよ。」
「うー……あと五分」
「起きろ!」
「はい。」
昨夜の稽古がトラウマになり、怒鳴り声に敏感になっていた。
のろのろと気怠い体を起こすと、厳しい師匠が普段着で仁王立ちしていた。
引きつる口元が、彼に昨晩のトラウマを思い起こす。
午後遅くまで鬼神のような彼女に仕込まれ、舞踏会開催の夕方まで眠りに落ちた。
彼が倒れた後、男性用の衣服を用意する彼女は微笑んでいた。
今回の舞踏会の会場として、宮廷に複数ある用途の部屋で、最も大きい場所が使用されていた。
舞踏会は単に踊るだけの会というわけでは無く、それは1つの権力闘争の場であり、縁故を強めるための場所でもある。
大広間では貴族たちが令嬢を連れて、新たな同盟国である魔導国の中枢人物を我先に見ようと、定刻より早く集まっていた。
令嬢を連れた者は、あわよくば側室、更に言うなら略奪婚を期待して、複数いる娘の中で特別な美人を連れてきていた。
宮廷の正門前にヤトとレイナースが馬車で到着する。
心配そうなガゼフが腕を組んで待っていた。
二人を見つけると安心して笑顔になった。
「そうか、ロックブルズ殿がヤトを。」
「はい、私が厳しく踊りの指導を致しましたわ。これでも貴族出身ですから。」
「本当に、美しくなられたな。」
「ありがとうございます、ストロノーフ様。」
「私は隅の方で待機していよう。彼をよろしく頼む、ロックブルズ殿。」
「お任せください。恥ずかしくないよう、こちらで操縦いたします。」
平和に談笑する二人を余所に、不貞腐れた表情のヤトが水を差す。
「……人形みたいに言うな」
「黙りなさい。」
軽い口論をする二人と、それを見守るガゼフは、案内人に通されて宮廷に入っていった。
◆
一足先に会場入りしたガゼフを見送り、二人はお呼びがかかるのを待っていた。
「帰りてえ……」
「首のスカーフがだらしない。」
口づけでもせんばかりに近寄り、両手を首の後ろに回して、襟と赤いスカーフを正した。
彼女が婚約者から略奪した赤いスカーフは、大きな銀の硬貨が付いていた。
ヤトの格好はシャツの胸元から首までスカーフがある以外は、黒いジャケットに黒いシャツといつもの服装だった。
レイナースが薦めた典型的な中世貴族の服は、アインズが見ている事を想定して気が乗らなかった。
高級なジャケットなので舞踏会でもさほど問題はない。
「こんなスカーフなどいらな――」
「魔導国の王族、ヤトノカミ様のご入場です!」
「うわー……」
大きな両開きのドアが開かれ、地獄の門が開いたような気がした。
静かに入場する二人に会場全員の視線が集まり、緊張で体が硬直する。
レイナースに手を引かれ、ゆっくりだが歩みを進める。
彼女は化粧をしてピンクのドレスに身を包み、胸に自分で加工した赤いブローチを着けていた。
ストレートの美しい金髪を左目の上あたりで分け、微笑みながら主賓の手をひいた。
四騎士に会っている者でも、同一人物と気付かない程に美しかった。
魔導国の彼に取り入ろうとしていた貴族の令嬢たちは出鼻をくじかれ、彼女の美しさに嫉妬の視線を向ける。
その女性に手を引かれる南方出身の、黒い衣装に身を包んだ舞踏会では珍しい男性に視線を移す。
高貴な参加者の、好奇な視線に射殺されそうなヤトは、すぐにでも逃げ出したかった。
一介のサラリーマンだった彼が、公の舞踏会など参加する機会はなく、放射能のように降り注ぐ視線への抵抗力も弱い。
かといって、逃げ出してアインズに迷惑を掛けるわけにもいかず、いっそ緊張で死んでしまいたかった。
一歩一歩をゆっくりと進み、奥に座るジルに時間を掛けて到達した。
予想通りに固まっている彼に、穏やかな笑顔を向けていた。
「よく来てくれたな、ヤト。レイナースも綺麗になったな。今日は楽しんでくれ。」
「ありがとうございます、ジルクニフ皇帝陛下。」
レイナースはドレスの裾を軽く摘み、膝を折って貴族らしいお辞儀をした。
激しい緊張と動揺を併発したヤトは、喉が渇いて声が出なかった。
通訳は彼女がしてくれた。
「招いてくれてありがとうと言いたいようです。」
「そうか?来てくれないかと思ったぞ、ヤト。」
ジルは手を差し出して握手を交わした。
蛇の化身が委縮しているようで、数日前の溜飲が下がっていく。
やがて音楽家が集まり、立食形式の舞踏会が始まる。
開始早々に貴族たちが娘を連れて挨拶に来たが、この後に訪れる踊りの恐怖が、彼の両耳を詰まらせていた。
後になって顔と名前を思い出せたのは、一人だけだった。
可愛らしい貴族の令嬢は、新たな国家の王族に取り入ろうと、積極的に話しかける。
「ヤトノカミ様、私は結婚相手を探しております。」
「趣味はハープを嗜んでおりますわ。」
「南方の方が好みなのですが、既に好い方がいらっしゃいまして?」
目がガラス玉に変わり耳の穴が塞がった彼には、取り囲む女性が何を言っても届かず、反応の悪さに距離を詰めようとすると、隣の美しいレイナースに遮られた。
遠目で見ていたジルが見かねて、メイドに飲み物を運ばせていた。
「御酒を召しませ。」
透き通ったシャンパンに似た炭酸飲料を飲み干し、一息つくと見覚えのある中年貴族がいた。
「……フェメール侯、でしたか? 先日はすみません」
「とんでもない、こちらも改めて非礼を詫びさせて欲しい。」
軽く頭を下げたヤトに対して、笑って握手を求めた。
「小耳に挟んだのだが、魔導国は人材不足を解消するために人を集めているとか?」
「その通りです。法国に壊滅させられた村の復興と、農場を監督する人材が必要です。使用人を連れて来てもいいですよ。」
「是非、お願いしたい。早速、魔導国へ行く支度を始めよう。王都へ行けばいいのですかな?」
「はい、ヤトノカミの名前で訪ねてきてください。」
帝都より明るそうな己の未来に、期待を込めて目を輝かせた。
この日、勧誘できたのは彼だけだった。
仮に勧誘できたとしても、粛清されて立場が弱いとはいえ、国を捨てる覚悟のある貴族はいなかった。
フェメール候と今後の話をしていると、音楽が変わる。
数名の女性が近寄ってくるのが見え、どうやら踊りの時間なのだと気が付く。
彼女達が届く前に、レイナースはヤトの手を素早く取って、中心へと連れ出した。
魔導国主賓の為に中央は大きく開かれ、全員が見守る中で踊り始めた。
突き刺さる視線が、再び恐ろしくなる。
何よりも至近距離でヤトを見つめる、目前の美しい女性が怖かった。
「そこ、危ない。」
「はい。」
レイナースは危なっかしい箇所に差し掛かるたびに、小声で彼に注意をした。
「このまま、話を聞いてくれ。」
下を向いて、足を見ている彼は答えない。
「魔導国に連れて行って欲しい。」
「……何?」
「ラキュースに会わせてほしい。」
動揺した彼は危なく転びそうだった。
遠くでジルが笑っていたのを見つけ、少し落ち着きを取り戻す。
「私は……孤独だ。何でもするから、寂しい女を側においてほしい」
「死ぬかもしれない。」
「ここにいても、死んだようなものだ。覚悟はできている」
「連れていかなかったらどうなる?」
「……死んじゃおうかな。」
急激に光を失った虚ろな瞳は、嘘を言って脅しているようには見えず、かつて自室に籠って自傷行為に明け暮れた自分と重なる。
暗く静かな心の水面が波打ち、充分に感情移入してしまっていると、ここでやっと気が付いた。
目の前の女性により、周囲の視線に対する緊張が消える。
「俺が好きなのか?」
「わからない。私は誰でもよかったのかもしれない。呪いが治れば全て上手くいくと思っていた私には、孤独しか残らなかった。今は誰かについて行きたい。」
「そうか。」
「妾になりたいわけじゃない。いい男がいれば結婚する。その時は、お前など捨ててやるさ。」
「……嘘だな。やれやれ、蛇に惹かれる物好きは、ラキュースだけかと思った」
「人知を超えた存在なのだと、自覚すべきだ。」
「そうだな。」
音楽は緩やかな曲調に変わり、周囲で踊っていた者は、パートナーを抱き寄せていた。
「ここで抱き寄せるのだ。」
腰に手を回して彼女を抱き寄せる。
「上手くできたか?」
「及第点だ。」
「厳しい師匠のおかげだな。」
レイナースも肩に両手を回し、体を密着させた。
「………あなたが……好き」
少しでも密着させようと、手に力を込める。
口にした囁きは、彼に届かなかった。
聞えていなくても恥ずかしくなり、誤魔化すように普通の話を始めた。
「き……今日は私の家に、泊まってくれ。その方が近い」
「何もしないぞ。」
「しつこい男だ。妻に嫌われるぞ。」
「蛇だからな。」
周りが羨む二人は、体を合わせて揺れていた。
◆
離れた場所でジルとガゼフが話をしていた。
レイナースの抜けた穴を埋めようと考えたジルは、ガゼフに引き抜き話するも見事に断られてしまい、止む無く話題を変える。
「初日の印象と大分違うが、あそこで踊っている彼と大蛇は別人か?」
「あちらが本来の彼なのだ。」
「王国貴族を惨殺したのは本当か?」
「本当だ。腐敗した反国王派閥の貴族は、彼の大切なものに足で泥をかけた。一度怒ると自分でも止められないようだ。」
「大切なものとは?」
「友人であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王、ナザリックという場所とその部下、そして蒼の薔薇の細君だ。」
「私が侮辱したらどうなる?」
試すようなジルの言い方に、惨劇の悲哀と恐怖が呼び起こされ、ガゼフは皇帝に近寄る。
「……何があっても、それだけはやめてくれ。皇帝陛下を殺してでも止めさせて頂く。彼が本気になれば、ここにいる人間全員を殺すのに数刻とかからないだろう。それだけで済めばいいが、魔導王は魔法一発で国を滅ぼせるのだぞ」
声の調子を落としたガゼフは冗談を言っているとは思えず、ジルは恐ろしい想像に青くなり話題を変えた。
会場の中央では、招いた主賓と元部下の女性が寄り添って踊っていた。
「彼はいつもああなのか?」
「普段はいい奴なのだ。スラムの孤児を、大量に支配下の村に送ったと聞いている。」
「あの重爆が女になるとは……どうやって落としたのやら」
「本人に聞いてくれ。」
過去に戦場で会ったままのガゼフと、レイナースの満たされた表情はジルの警戒を溶かしていった。
舞踏会で一矢報いた事により、心中にあった胸のつかえも取れていた。
「終わったら私の所に呼んでくれ。同盟の件をよろしく頼むと伝えたい。帝国の繁栄にも協力して欲しいからな。それと今日までの非礼を詫びよう。」
「必ず伝えておこう、皇帝陛下。」
ジルとガゼフは、メイドが持ってきたお酒を取り、グラスをぶつけて乾杯をした。
二人の間に涼しげな音が鳴る。
皇帝の笑顔はガゼフから見ても屈託ない笑顔で、友人を信用してくれた若き皇帝にガゼフも笑いかけた。
舞踏会は滞りなく終わり、来賓の貴族たちが去った会場で、皇帝と話をする。
ジルは同盟に関して、笑顔で握手を求めてきた。
若き皇帝ジルクニフは敵対心の少ない同盟を了承した。
快楽殺人者ではないヤトを見て、今は強国との同盟を素直に喜んだ。
災いの出目はジルにとって悪いものではなかった。
アインズとの謁見が近づいている以上、災いはまだ転がっているのだが。
◆
翌朝、馬車を追加で用意し、最低限の荷物を載せた彼女は、二人で帝都の入口へ向かった。
引っ越しの準備に手間取ったレイナースは、帝都入口へ向かいながら、寝不足の欠伸を噛み殺した。
入り口では他の三名がヤトの来るのを待っていた。
「よお、旦那。妾さんも連れていくのか?」
「ヤトノカミ様、なぜここに彼女がいるのですか?」
「おはようございます。お恥ずかしいのですが、私は魔導国に引っ越します。」
両手に大きな荷物を持った彼女は、恥ずかしそうにお辞儀をした。
「……ヤト、魔導国へ連れていくのか。最近のヤトはろくでなしだな。細君に何を言われても、私は知らんぞ」
「……ノーコメント」
ガゼフの目は明確に咎めていた。
ばつが悪そうに顔をしかめて、逃げるように馬車に乗った。
ヤトとレイナースは自然に同じ馬車に乗った。
「ありゃあ帰ったら修羅場だぜ。」
ガガーランの楽しそうな声に、ガゼフとザリュースはため息を吐いた。
帝国での成すべきことを終えた彼らは、帝都を後にした。
二人きりの馬車では、眠そうな両名が話をしていた。
「舌づけとは」
「適当に言った嘘だ。そんな呪いはない。」
羞恥で顔が赤くならないよう、平常心を必死で保った。
恋の呪いだと勘違いするレイナースは、物騒な事を言いだす。
「私にもできそうだが、試していいか?」
「……何を言ってんのかわからんが、やめてくれ」
「私はラキュースと上手くやれるだろうか。」
「駄目ならどうする。一人旅にでも出るのか?」
「……いやだ」
「ラキュースは怖いから頑張れ。ここからはお前次第だ。」
「駄目なら殺されてもいい……だが、嘘でもいいから、好きだと言って欲し――」
「殺されはしない。だから言わない。」
彼女の胸に痛みが刺す。
無理だと最初から分かっていた。
顔は彼女に向いているが、心は向いていない。
大切なのは自分ではないと分かっていても、平和で孤独な生活は御免だった。
前を向いて覚悟を決めたレイナースと、進むも戻るも碌な出目なしと直感するヤトは、揺れる馬車に心地よく居眠りをはじめた。
◆
丸一日の時間を掛け、翌日の正午には見慣れた魔導国に到着した。
「明日は休みだ、アインズさんには俺から言っておく。」
欠伸をしながら、三名に指示を出す。
「わかった。ザリュースは私の家に泊まってもらう。」
「ガゼフ殿、よろしくお願いします。」
「俺も泊まっても――」
ガガーランが割り込んできた。
「宿泊している宿に帰ってくれ。」
一緒にいられるかと言いたげなガゼフは、ガガーランを真っすぐ見据えた。
振られた逞しい戦士は、分かっていたので残念そうではなかった。
「ちっ……残念だぜ」
「……好色だな」
「旦那にゃ負けるぞ。」
「……」
ヤトの後頭部に視線で穴を開けようとしている、背後の女性が気になった。
その場で彼らは解散し、それぞれの邸宅へ戻っていく。
いつの間に買ったのか、ザリュースは土産の酒を抱えてよたよたと歩いていた。
緊張で固まるレイナースを見て、自身の顔も強張る。
無言で正妻の待つ自宅へ向かう、二人の足取りは重かった。
玄関を開けると、生命力を溢れさせた明るいラキュースが、全力疾走してくるのが見える。
「ヤト! おかえー……り?」
疾走が尻すぼみになった彼女は、徐々に失速し玄関で立ち止まる。
両手で荷物を持つ、金髪の美しい女性が彼女の目に映る。
「……どなたですか?」
「元帝国四騎士だ、ラキュースに会いたいというから連れてきた」
「そうなの?」
軽い口調に反して顔に不安が浮かび、ヤトの心中は罪悪感で彩られる。
「は……初めまして、ラキュース様。レイナース・ロックブルズと申します」
荷物を持った彼女は、深々とお辞儀をした。
「俺はアインズさんに会いに行ってくる。彼女と話をしてやってくれ」
「ちょっと待ちなさい!」
妻の怒鳴り声に、レイナースは体を跳ねさせた。
不安そうな彼女の顔を見たくなかったヤトは、現実逃避するようにドアを急いで閉めた。
本当は走ってくる彼女を受け止めたかったが、レイナースの前でそうもいかない。
玄関には押し込められた固い顔のレイナースと、捨てられるのではとの不安がもやもやと立ち込めるラキュースが残された。
◆
王宮の執務室では、派手な行いがアインズに咎められていた。
「資金稼ぎと同盟お疲れさん。後はこちらで皇帝に会いに行こう。それで? 妾を連れて帰ってきた……だと?」
アインズの眼窩に赤い光が宿る。
「知ってましたか? 二回も行為に及ぶと、成人男性が1時間マラソンした程度の疲労に加えて、猛烈な眠気が襲うって。だからハーレムなんてやってもしょうがな――」
「ふざけるな。」
何か思う所がありそうな強い口調だった。
「…すいません。」
「ラキュースは何と?」
「今、二人で話してます。何を話してるかは知らねッス。」
「いい加減だな……」
久しぶりにアインズのため息を聞いた。
「だいたいですな、まだ抱いてないから妾ではありません。」
「惚れたのか?」
「……わかりません。まぁ、放っておけませんね」
「お前なぁ、“こいつには俺がいなきゃダメなんだ”ってダメ男の台詞だぞ。」
「……返す言葉も刀もございません」
ヤトは畏まって座り直し、頭を軽く下げた。
「刀は必要ないだろ。あまり正妻を悲しませるなよな。彼女は今後の魔導国に必要な人間なんだから。」
「明日、連れてきます。ティラに忍者でも仕込ませましょう。カースドナイトの職業が、解呪により消失した珍しいケースなので価値はあります」
「……確かに珍しい。職業の件もそうだが、ヤトがいない間に色々な事実が判明したから話をしよう。長くなりそうだから蛇に戻っていいぞ」
蛇神の姿に戻った彼に、アイテムボックスからコップに入った茶色い飲み物を出した。
上に白いクリームが乗っており、茶色い線で蛇の絵が書いてあった。
「なんスか、この甘ったるそうな飲み物は。」
「キャラメル・ラキヤト。」
「……はい?」
十日近く王都を不在にした彼に話す事は多く、帝国への対応の件やついでの雑談も入り混じって、二人の話は朝まで続いた。
仮に途中で終わったにせよ、ラキュースに合わす顔が無い彼は、邸宅に戻らなかっただろう。
◆
応接間では、話を聞いたラキュースが、かつてない険悪な顔でレイナースを睨んでいた。
イビルアイは諸事情があって出てかけており、常駐しているツアレとエイトエッジ・アサシンは、気を使って自室と物置に隠れていた。
「妾になりたいって、妻の私が許せると思いますか?」
「思いません。」
「出ていって下さい。ここは私とあの人の家です」
「ごめんなさい、出来ません。」
苛立ちが眉間の皺で窺えた。
「悪い予感が当たったわね……あの馬鹿蛇。戻ってきたら覚えてなさい。それで、どうすれば出て行ってもらえるの?」
「あの……彼には指一本触れていません」
「……本当に?」
予想以上に怒っているラキュースは、目を細めて疑いの眼差しを向けており、レイナースは縮こまった。
幸せな二人を邪魔した事に自己嫌悪し、頭が少しずつ下がっていく。
「私から誘ったのですが、抱いてくれませんでした。本当に申し訳ありません。」
「……彼は何と?」
「大切な妻がいるからと断られました。」
「ふふ……ふーん。そ、そうなんだ」
にやける顔を見られまいと横を向いたが、手遅れだった。
正妻のニヤニヤした顔で、妾の緊張感が緩む。
「私は……彼が好きなんだと思います。私を真正面から見てくれた彼が、暗い闇に光を当てるように私を見てくれた彼を」
そこまで言って立ち上がり、ラキュースの隣に平伏した。
「ですから、お願いします。何でもしますから、ここに置いてください。」
ラキュースの目に、いつかの自分と目の前の女性が重なる。
イビルアイ・アルベドとアインズの件もあり、それ以上強く言えなかった。
「座りなさい。」
「はい。」
「……彼は何と言いましたか?」
「ラキュースは怖いから頑張れ、と。」
舌を仕舞い忘れた間抜けな蛇がラキュースの頭に浮かび、吐き慣れた深いため息を出す。
「あの蛇野郎……これだけは約束して、あの人は私の物だから、許可なく手を出さないように」
「はい。」
「申請は私にするように。私だって、その……あまりしてないんだから」
「はい。」
「あの人に好きだと言わせて。本当に好きかもわからないのに、ここにはおけません。」
「ラキュースさんは、たくさん言われましたか?」
「ラキュースでいいわ。あまり言いたがらないのよ、あの人。」
「……羨ましい、です」
「馬鹿な蛇の癖に、モテるなんて生意気ね。」
「私もそう思います。」
「ふふっ。」
二人は同じように笑い合った。
「それでは、まず彼の立場から説明するわね。ナザリック地下大墳墓の支配者である彼の立場を考えると、大変なのはこれからで」
「その前に、一つだけ言わせてください。」
「何?」
大事な話を遮られ、ラキュースの眉間に皺が寄る。
「私に居場所を下さって、ありがとうございます。」
深々と頭を下げる彼女を見て、真面目な顔でしばらく考え込んでいた。
以前にベッドの上で聞いた、彼の言葉を思い出す。
「……そう。あなたは彼と同じなのね」
「え?」
「生きる理由がわからないのでしょう?」
ラキュースは優しい目で話を続ける。
「あの人に振り向いてもらえなくても、あなたはここにいなさい。妾や側室に拘らなくても、メイドとしてでもいいから、ここにいていいの。強くなって冒険者も悪くないわよ。」
生命力に溢れる、光に満ちた優しい笑顔で、ラキュースは笑いかけた。
自分とは違う魅力の彼女に、レイナースは言葉に詰まる。
「あ……あの……」
「あなたは一人じゃないの。」
「どうして……」
涙が出ていると気が付いた。
いくら拭っても止まる気配が無かった。
そっと近寄ったラキュースは、彼女を抱きしめた。
「今日は胸を貸してあげる。でも今後は彼の胸を借りてね。」
口から嗚咽が漏れ、涙は止めどなく溢れた。
ラキュースに抱きしめられてすすり泣く彼女は、落ち着くまで頭を撫でられていた。
「大丈夫よ。今までよく頑張ったわね。一人で辛かったでしょう。」
「……うぐっ……二人の幸せを……邪魔して……ごめんなさい」
「何か欲しい物があったら言って。ここで暮らすのだから。」
「……ともだち」
「私がいるからね。」
「……うん」
年下のラキュースに抱きしめられる彼女は、母親に甘える少女のようだった。
もう寂しくはなかった。