早朝、ナザリックへ転移したアインズは守護者達の報告を受けていた。
観光に来た女性客三名は、呼び戻されたエントマを加えたプレアデスに背後で監視されていた。
ティアは例の通りに瞳を潤ませ頬を上気させながらユリにおぶさっており、他の二名と違って既に十分な満喫をしていた。
イビルアイのアインズと二人になる策は失敗に終わり、二人は執務室のソファーで出された紅茶を飲んでいた。
紅茶は少し苦かった。
眼鏡をかけたアインズは、アウラが両手で差し出した報告書に目を通す。
「魚の養殖は順調か。報告ありがとう、アウラ。」
「えへへーありがとうございます、アインズ様!」
「ところで、報告書に書いてある、蛇の嫁入り案とは何だ?」
「はい、トブの大森林に住むナーガたちが、ヤトノカミ様に若く美しい
「既婚者の奴は蛇を嫁にせん……あの蛇どもめ、子供に何てこというんだ」
そちらは即時却下をされ、アインズは気を付けの姿勢をして見上げている少女に目をやる。
「ではリザードマンの魚養殖に戻ってくれ。いつもありがとう、アウラ。何か欲しい物はあるか?」
「あ……はい……頭を撫でて欲しいです」
「そんなことでいいのか。ではこちらに来るがいい。」
「えへへへ」
アインズの骨の右手を堪能した彼女は、礼を言って上気した顔のままに立ち去っていった。
報告者が交代する隙にイビルアイを盗み見ると、羨ましそうにこちらを見ていた。
赤い顔をして走り去る姉と交代し、弟のマーレが入室してくる。
「あ、あの、アインズ様。言われた通りに畑にする土地の高低差を直しておきました」
「ご苦労だったな、マーレ。何か問題はあったか?」
「い、いえ。何もありませんでした。」
「可愛い……あれは女? 男のにほひが」
「静かになさって下さいぃ。足の一本くらい食べちゃいますよぉ。」
マーレを見たティラがソファーから動こうとしていたが、アインズの邪魔をさせまいと目を光らせる
イビルアイが静かにため息を吐いていた。
「農場に利用する苗木の準備を、ドライアードに頼んでくれ。少し歩けばすぐに食べ物がある土地が理想だ。」
「はい!任せてください、アインズ様!」
「マーレ、アウラにも言ったのだが、何か欲しいものはあるか?」
「あ……あの、そのぅ……抱っこして欲しいです」
姉と
お姫様抱っこされる予定だったマーレの顔は、何とも言えない複雑な顔をしていた。
「では苗木の準備を頼んだぞ、マーレ。」
「………はい。」
理想の抱かれ方ではないにせよ、舞い上がる彼の顔は姉と同様に赤かった。
胸に秘めた彼の思いは、そのまま胸の中に放置され、足早に退室していく。
守護者の報告も落ち着き、アインズは皆から集められた政策の提案書を適当に眺める。
「下水浄化用スライムの増員……羊皮紙問題解決へ向けて龍狩り……男女の衣服の交換? 異種族の娼館……って誰だ、こんな政策出した奴は。好き勝手に出させ過ぎたか」
アインズの独り言は、イビルアイの背後で佇むソリュシャンに届く。
「アインズ様、私であればスライムの増員と異種族の娼館、二つが賄えますわ。」
「……はぁ?」
珍しく女性問題以外でアインズの顎が落ちる。
脳裏にバスタオル一枚を身にまとい、洗面器片手に浴室の支度をするソリュシャンが浮かんだ。
「スライムの増員は種族特性を使えば容易かと思われます。娼館はスライム達を教育し、姿形を人間に似せれば問題ありませんわ。幸いなことにセバス様が娼婦を大量に連れ帰りましたので、彼女たちの有効活用も可能です。」
「……そういうことか。ソリュシャン、その件に関係なく好奇心で聞くのだが……人間を飲み込んで産毛だけ溶かすという真似は可能か?」
「はい、可能でございます。ですが、その場合は頭を外に出しておかなければなりません。」
「ふむ……エステのような真似も面白いかもしれないな」
異種族がそれぞれの特性を生かして働く、
「帝国でエルフの奴隷が売られていたな……まとめてこちらで引き取り、エルフ国の情報を頂くか」
ソリュシャンが暗殺者のスキルを使い、物思いに耽るアインズとの距離を一瞬で詰める。
「アインズ様……私の望みは三吉君様のお役目を頂きとうございます」
「なっ、何を言っている。」
「私だってスライム種でございます。ご入浴の際はお命じ下されば、私の酸でより一層、アインズ様の御身に白磁の磨きをかけて御覧に入れます。」
「……ソリュシャン。ヘロヘロさんに顔向けができん。娼館の件は却下する」
「……三吉君様だけ……ずるいです」
アインズにだけ見えるように少し拗ねた表情をする彼女を、何か無礼を働いているのではと心配するユリが不安な表情で見ていた。
視界の隅ではエントマが黒いおやつを食べはじめ、イビルアイとティラが露骨に引いていた。
「スライム増員の件は任せよう。
「ご入浴の件も御検討をお願いします。」
「う……うーむ、いや、入浴はいら……ヤ、ヤトが戻ったらそちらは検討する。今は下水道の整備に向けた仕事を行ってくれ」
真剣な眼差しを無下にする事も出来ず、メイドの美女と裸の付き合いをする件は先送りにされた。
ヒソヒソ声で幻想的な会話を楽しんでいると、パンドラが軍靴を鳴らして入室してくるのが見え、ソリュシャンは持ち場に戻っていった。
「アインズ様!!」
「……数日前に会っただろう」
「これは失礼いたしました。ただいま、アルベド殿がニグレド殿の漆黒聖典監視情報を持って参ります。」
「パンドラズ・アクターよ、お前も参謀として同席せよ。」
「はい、勿論でございます。」
パンドラは軍帽を掴んで背中を向けて静止し、その姿を皆に見せつけ、沈静化が起きない程度にアインズへ羞恥をもたらした。
今日も絶好調だった。
「時に洗脳したアンデッドはどうだ?」
「はい、アインズ様の威厳あるお姿を解除した段階で、私が担当したアンデッド全てが案山子のように動かなくなりました。」
「ふむ……そうか。パンドラ、案山子は王宮中庭へ転移させ、レベルアップに使用する。POPモンスターは湧き出ると同時に王宮中庭へ直接転移を行いたい、転移装置を作成せよ。洗脳する手間が省ける。それが終わったら王宮の中庭をレベルアップ専用のダンジョンのようにしたいのだが、空いている者に協力を仰ぎ、地下にダンジョンの作成にかかれ」
「畏まりました! 我が敬愛するアインズ・ウール・ゴウン様! このパンドラズ・アクター、必ずや御身に報いてみせましょう」
ナチス式の敬礼をする彼によって、執務室には静寂が訪れる。
「……分かったら静かに待機を」
「おお! イビルアイ嬢ではありませんか! 本日はアインズ様の――」
「パンドラ、騒々しいわよ。アインズ様の御前です、静まりなさい。」
アインズが止めるまでもなく、情報を持って入室したアルベドが止めてくれた。
「アルベド、ナザリックに籠らせて済まないな。」
「いえ、アインズ様にお会いできるのであれば、如何なる業務も苦ではありませんわ。」
「早速だが、ニグレドの情報を教えて欲しい。」
「はい。手始めに、宝物殿の場所が分かりました。」
◆
「あー……状況を整理しよう。どうしてこうなったんだっけか」
「あんたが、得体の知れないものに飛び込んだからこうなったのよ。」
「いや、だってよ。踏み込んだら床が無かったんだから、仕方ないだろ。」
「どうすんのよ。子供連れで変な場所に送られて。」
「イミーナ、少し落ち着きましょう。子供達が怯えています。」
「……ごめん」
今にも泣きだしそうな表情で、姉の影に隠れている二人の人見知りな少女は、瞳を潤す液体をごしごしと拭った。
「お姉さま……」
「お家帰りたい……」
「今日から私達は魔導国で暮らすの。心配しないで、私が一緒だから。」
「……うん」
話は数刻前に遡る。
すぐに帰還するつもりだったアインズは、ナザリックへの転移ゲートを閉じる事なく執務室へ放置した。
ヤトが帝都で買い取った人材は全て前日に転移しており、彼の中でこの日は誰も王宮を訪れない目測だった。
前日の平和な魔導国の様子や、王都の内政で一段落ついたなどの影響により、彼の警戒は完全に緩んでいた。
転移してからしばらく後に王宮を訪れたワーカーチームの“フォーサイト”は、ヘッケランを筆頭に最後尾をアルシェと手を繋ぐ妹二人にした一行は、王宮のメイドに魔導王がいる執務室へ案内された。
緊張した面持ちで案内した彼女は、執務室まで案内を終えて足早に去った。
魔導王の人物像をカリスマ性の溢れる年配男性と勝手に想像し、僅かに緊張で顔を強張らせるヘッケランは、ノックも忘れてドアを開ける。
一歩踏み出したつもりの利き足は、着地することなく闇に飲まれ、リーダーを助けようと仲間もその家族も纏めて、赤黒い闇に飲み込まれた。
改めて広大で荘厳なナザリック地下大墳墓九階層を眺め、息を飲む。
材質が不明な床や壁、天井を照らしている見たこともない装飾の灯り、申し訳程度に置かれている彫像品など、全てが国宝級の財宝だった。
ここまで全てが美しいと、落ちている石ころまで値がつくのではないかと感じてしまう。
「しっかし……すげえな……これじゃ神話の世界だぜ」
「ヘッケラン、まずは人を探してここがどこなのかを尋ねましょう。迷い込んだと素直に伝え、魔導王に会わなくては。」
「あ……ああ、そうだよな」
ヘッケランは手近な大部屋のドアを、恐る恐る開ける。
円卓の間では巨大な黒曜石の円卓に41の椅子が並べられている。
この日、円卓の間の掃除を担当するメイドは既に掃除を終えており、室内には誰の姿も見えなかった。
「こんちわー……」
「誰もいないわね。」
「これだけ掃除が行き届いているのです。誰かに声が届きそうですが。」
「おーい!誰かいないかー!」
「お姉さま、ここどこ?」
「お腹空いてきた……」
朝食も摂らず早くに宿を出発したので、子供には円卓の上に置いてある果物の誘惑が魅力的だった。
「少し待って。王様に挨拶しなきゃダメ。」
廊下ではヘッケランが大声で誰かを呼んでいる。
「誰かー!」
「……」
廊下の奥で眼鏡をかけ、長い金髪のメイドがこちらを伺っていると気付く。
「おお、いたいた。すみませんが、道に迷っちまって、ここはどこですかね?」
「侵入者を確認しました。」
◆
「ふむ……ツアーに話して評議国を巻き込むのも手だな」
「アインズ様、法国攻略作戦はお任せください!既にいくつかの策を練っております。王国を手に入れるきっかけとなった、デミウルゴス殿の策にも引けを取らないものでございます。」
「わかった、それは後で聞こう」
「魔導王陛下、ここに
隙の無い敬礼で立ち尽くすパンドラに、改めて彼が
うるせえ、と内心で文句をいいながら、アインズは盛り上がっていた彼を下がらせた。
「アルベド。イビルアイを残し人払いをして欲しい。大事な話がある。」
「はいい!即座に!」
プロポーズだと信じて疑わないアルベドは、きびきびした動作で指示を出し、とても頼りがいがあった。
人間だと告白をする前のアインズが密かに緊張していたが、瞳の星を増量させた彼女には関係なかった。
だが、予定通りに事は運ばず、ノックも無しにドアが開かれ、一般メイドのリュミエールが駆け込んで来る。
「何事です、騒々しい。」
「アインズ様!侵入者でございます!」
「なんだ、我々は大事な……なに? 侵入者? このナザリック地下大墳墓にか?」
肩で息をする一般メイドのリュミエールは、鬼気迫る表情で続ける。
「はい!どうやって侵入したのか不明ですが、九階層の円卓の間付近にて確認しました。」
「……私の転移ゲートから入ったか。すぐに行こう。キーノとティラはここで待て。巻き添えを食いたくないだろう」
殺気を立ち上らせたアインズに、イビルアイとティラの選択肢は頷くしかなかった。
「アインズ様、ここは私が」
「相手の正体が不明なうちに、迂闊な真似はできん。しかし……ヤトが送った人材は昨日に全て届いたはずだ。追加の人員など聞いていないのだが」
アルベドがアインズよりも膨大な殺気の波動を身に纏う。
「よくもプロポーズの邪魔を……下等な虫けらなど、即座に殺してみせましょう」
「プロポーズ!?求婚ですか!?アインズ様、私はどうすれば」
「私は不要。勝手に寝床へ忍び込む。まとめて楽しんでもいい」
「お黙りなさい、泥棒猫ども。アインズ様がナザリック外の者と、夜をお楽しみになる訳がないでしょう。」
「アルベドさんとは違った魅力が」
「何でもイける。」
あー……また始まったー……
土足で踏み込んだ侵入者への燃え上がりかけた怒りは、違う事で騒ぎ始める女性陣により沈静化をせずに冷え込んでいく。
「騒々しい、静まれ。今は侵入者の確認が最優先だ。リュミエール、侵入者は何をしている。」
「現在、円卓の間にて、形だけですがおもてなしをしております。」
「すぐに行こう。アルベドは付き従え、イビルアイとティラはここで待機だ。」
◆
「お姉さま、これすごく美味しいよ!」
「おかわり欲しいな……」
「しっ、今は静かにして。」
大人には紅茶、子供には果実飲料を出され、異形の見張りに入口から監視をされる‟フォーサイト”は黙って王の到着を待った。
子どもだけが嬉しそうにジュースを飲んでいた。
入口で見張っているエイトエッジ・アサシンには見覚えがあったが、帝都で会った彼とは違い、監視の視線に紛れて送られてくる敵意に、‟フォーサイト”の面々は口を閉ざして王の到着を待った。
程なくしてドアがノックされ、絶対の支配者が入室する。
「アルシェ、あのアンデッドの正体は分かるか?」
「知性を感じるところから察するに、上位のスケルトン系?」
「二人とも静かにっ!」
入室したアインズとアルベドを確認後、エイトエッジ・アサシンは退出した。
白い淫魔の金色の瞳から発せられる穏やかでない視線に、先に誤解を解こうとヘッケランが口を開く。
「まずは謝罪をさせて頂きたい。アインズ・ウール・ゴウン魔導王……様?」
「如何にも私が魔導王だ。どうやってここに入ったか話せ。」
アインズの態度は対外的な支配者としてのそれであり、気さくに話ができる軽いものではなかった。
彼らの口からヤトノカミの名が出るかで、生殺与奪を判断すると決めていた。
仮に彼らの口からヤトの名前が出なければ、アインズは幼子であっても躊躇うことなく殺しただろう。
「あー……案内された部屋に入ったら変な暗闇に吸い込まれて、気が付いたらここに。勝手に入り込んでしまったことは謝罪いたします」
ヘッケランは軽く頭を下げた。
「王宮に何の用事で来た。」
「はい、魔導王陛下のお仲間に王宮へ来るようにと」
「どんな奴だったか申せ。」
「あ……と……てかてかした昆虫のようでした」
「昆虫?」
自分のミスで彼らを招いてしまったことで警戒は僅かに緩んでいたが、ヤトが昆虫の特殊鎧で対応したと知らないアインズは、相手が嘘を言っていると考え始める。
蛇神が送り込んだ人材でないのなら、生かす理由も思いつかなかった。
「あの、陛下はアンデッドなのですか?」
「見た通りだが、なぜそれを知らない。本当にここに来るように言われたのか?」
アンデッドという情報まで知らない彼らにアインズの猜疑心が深まっていき、魔導王が南方出身の“人”だと思っていた“フォーサイト”も、懐疑的な目で相手を見極めようとしていた。
背後でアルベドが
「ここに来るように言った者の名を言え。先に言うが、間違ったら命の保証はない。」
眼窩に妖しい光を宿す骸骨に、ヘッケランは回答を間違った場合を想像し、ごくりと唾を飲みこむ。
「アルシェ、あの旦那の名前は覚えてるか……?」
「覚えている。魔導王様、魔導国の蛇ヤトノカミさんが許可をしていた。私が妹達と暮らせる家が欲しい。」
アルシェが恐る恐るだがヤトの名を出した瞬間、アインズの張りつめた空気がこれ以上ない程に緩み、誰よりも先に深いため息を吐いた。
「はぁー……あの蛇野郎。アルベド、下がって良い。彼らはヤトノカミに送られた貴重な人材だ。イビルアイとティラが勝手に動かぬように、見張っていてくれ」
「しかし、下等な人間が栄光あるナザリック地下大墳墓に、許可なく足を踏み入れるなど」
「下がれというのが、聞けないのか?」
アインズの眼窩に妖しい光が宿り、アルベドを睨む。
「……申し訳ありません。私は執務室で待機しております」
「すまない。アルベドには大切な話があったのだが、それはまた後日としよう。」
「はい! アルベドは、いつでも準備が――」
「早く下がれ」
「あうぅ……失礼します」
特に怒られたわけではないのだが、過剰に落ち込むアルベドは走って部屋を出ていった。
言い過ぎた彼女の精神的なケアを考慮しつつ、前日に送られてきた者と毛色の違う彼らを品定めする。
「ヤトノカミに何と言われているか教えてくれ。」
「初めまして魔導王様。アルシェ・イーブ・リイル・フルトです。ヤトノカミさんから学校を作りたいから協力しろと言われています。私は帝国魔法学院に在籍して、主席魔法詠唱者を師に持ちます。」
「……がっこう?」
「はい、後で私の後輩が王宮に来ると思います。」
「ふむ……しかし、学生二人で学校が作れるか」
「それに関しては――」
アルシェは妹達と暮らすために、家と仕事を得る交渉を交え、自分を必死で売り込む。
場面は変わって執務室に戻り、アルベドがプレアデスを退出させ、イビルアイ、ティラと真面目な話を始める。
「イビルアイ、あなたはアインズ様の正妻になろうとしているの?」
「いえ、アインズ様が妻をたくさん娶るなら、その一人になろうかと思います。」
「私は美女が好き。」
「はっきり言っておくけど、ナザリック外の者がアインズ様に娶られるのは気に入らないわね。」
「アルベドさんが正妻になるように協力をします。」
「私はあなたでも可」
アルベドに色彩鮮やかに染め上げた瞳を向けるティラは、相変わらずとても邪魔だった。
「ティラは少し黙れ。アインズ様の大事な話は何でしょうか。」
「くふふ……私へのプロポーズに決まっているでしょう」
「……ではなぜ私も呼ばれたんでしょうか」
「まさか、いきなり二人に……あぁさすがはアインズ様、二人まとめて娶ろうとは、なんと器の大きい御方……」
「うー……? そうでしょうか、何か打ち明けることがある気がしますけど……」
「もうだめ!我慢できないわ!」
「え?あっ」
愛が暴走したアルベドは、イビルアイたちを置いて走り出した。
執務室のドアをぶち破って出ていったアルベドと、その後を必死に追いかけるイビルアイに、慌てたプレアデスが室内確認の為に入ると、ティラがソファーで欠伸をしていた。
その後、ティラはプレアデス三名の監視により迂闊に散策できず、かえってフラストレーションを溜めて帰還することになる。
◆
「……話は分かった」
自己紹介を終えた一行はアルシェが話している間、用意された朝食を旨そうに食べていた。
空腹のクーデリカ、ウレイリカは、姉の話を邪魔しないように行儀よく目玉焼きにがっついていた。
「タレントを使って私を見てみろ。」
「……ごめんなさい、もう試しました。その……魔法の力を感じません」
「指輪を外せばわかるだろう。」
アインズは右手の指輪を外す。
「おげぇぇぇぇ!」
膨大な魔力の奔流に耐え切れず、アルシェはその場で嘔吐する。
ここまで上手く話を進めてきたのを壊すまいと必死に手で押さえたが、嘔吐物は指の間を縫って漏れ出していた。
「ちょっと!何をしたの!」
「お姉さまぁ!いやああ!」
「死んじゃうよぅ! お姉さまがぁ……うわああ!」
「アルシェ!しっかりなさい!」
「魔導王さんよ、あんた俺の仲間に何したんだよ!」
「……」
無言で指輪を嵌め直し、不快な表情を浮かべて待機するリュミエールに掃除の手配をさせた。
アインズの神域の魔力を感じた彼女は、落ち着くまでかなりの時間を要した。
早熟な魔法詠唱者には、精神力が足りていなかった。
「……すまなかったな。その……この程度で耐え切れないとは予想できなかった」
複数の意味で涙目のアルシェは、労わるアインズの顔を見ることが出来なかった。
「はぁ……はぁ……あの……本当にごめんなさい。汚したものは弁償を、一生かかってでもなんとか支払います」
「大した損害ではない、忘れろ。おかげで君たちのレベルも分かった。」
はっきりと言わなかったが、弱すぎるという現実が彼ら全員を行儀良くする。
「次にヘッケランに問う。」
「へ、へい。」
「お前達のチームはどの程度の強さだ。」
「ミスリル級冒険者に匹敵します。ワーカーとしてはそれなりに名が売れて、横の繋がりもそれなりに広いです。」
畏まったヘッケランが応じた。
「ふむ……ミスリルで名が売れるのか。次はイミーナ。お前はハーフエルフだが、親は誰だ?」
「あ、はい。親はエルフとハーフエルフです。出身は――」
「出身は必要ない。さて、ロバーデイク。」
「はい、なんでしょうか。」
「信仰系魔法詠唱者は私の部下にもいるのだが、信じる神がお前たちの神とはまるで違う。お前達の信仰する六大神だが、アレは私と同じ存在、法国の上層部や我々がプレイヤーと呼ぶ存在だと知っているか?」
すぐに終わって安心するイミーナとは違い、質問の意図が不明なロバーデイクは相手の意図を探ろうと無表情になる。
「……何を言っているのですか?」
「知らないのだな。神を見たことがあるか?」
「……いえ……ですが魔法を使う時、大きな存在を感じるのです」
「大きな存在……やはりユグドラシルのルールがこの世界に何らかの形で適用されて……ゲームプログラムが適用される世界? 何らかの魔力の源泉がどこかに存在するとすれば、それは何だ?」
口を開こうと思ったロバーデイクにかぶせるように、執務室のドアが打ち破られる。
「アインズ様ぁ!アルベドは、もう我慢が出来ませんわぁぁ!」
何かを掴めそうな気がした思考は掻き消え、危機感を覚える笑顔のアルベドに精神の沈静化が起きる。
「アルベド、今は大事な話をしている。邪魔をするなら謹慎処分にする。」
「……はい、わかりました。」
我慢のできなかったアルベドは、追いかけてきたイビルアイと共に、ドアが壊れて開きっぱなしになった入口の横で待機をはじめた。
「次はわたしー!」
「わたしもー!」
自分にも質問が来ると思ったアルシェの妹たちが嬉しそうに手を上げる。
美味しい食事と飲み物でお腹が膨れた二人の機嫌は、上限を振り切っていた。
特に聞く事もなかったが、アルシェが申し訳なさそうな顔をしていたので、少し付き合ってやることにする。
「ふむ……食事は美味しかったか?」
「凄い!果物もご飯も美味しい!」
「凄い!こんな家に住んでいるなんて凄い!」
「……そんなに凄いかね」
「誰が作ったのー?」
「私が仲間たちと一緒に作ったのだ。」
「すごーい!仲間の人たちもすごい!」
「はははは。」
すっかり機嫌をよくしたアインズは、朗らかな声で笑った。
「魔導王様、妹が無礼を」
「よい、クーデリカ、ウレイリカ。私たちの作った家を一緒に見て回らないか?」
「見たい!見たいです!」
「私も見たいです!」
「そうかそうか。ならば色々と見せてあげよう。」
アインズは立ち上がって幼子の手を両手で取り、モップとバケツを持ってきたリュミエールに新たな指示を出す。
「リュミエール、残った彼らを来賓用の部屋へご案内し丁重にもてなせ。私はこの子らを連れてナザリック内を出歩いてくる。」
「仰せのままに。」
リュミエールは丁寧にお辞儀をし、隣でアルベドが舌打ちをしていた。
「ちっ……あの手があったか」
「ああ言えば、私も手を握って貰えるだろうか……」
アルベドとイビルアイが羨ましそうに見守る中、困惑する“フォーサイト”を残して、アインズはナザリック地下大墳墓の観光に出て行った。
同時刻、王宮にジエット親子が訪れたが既に転移ゲートは閉じられており、同じ轍を踏むことなく出直すこととなる。
彼らには充分な金銭が渡されており、何の不自由もなかった。
◆
第一階層、第二階層を案内し終えたアインズは、執務室で子供たちにおやつを食べさせながらイビルアイに指示を出した。
「イビルアイ、ティアとティラを……ティアはどこいった?」
「ユリさんにおぶさってます。」
「……そちらは後で追い返そう。ティラを連れて先に王宮へ帰還してくれ。私はこの子たちにナザリックを案内しなければならん。一時的に王都の内政は、といっても大した内務はないが、ラキュースや他の者と協力して当たってくれ」
幸せが溢れる表情のアルシェ妹は、ジェラートを少しずつ名残惜しそうに食べていた。
「……私もナザリック観光に」
「桜を見てない」
「ヤトが戻ったらゆっくり付き合ってやる。今日は帰還してくれ。イビルアイが戻らなければラキュースに伝言を伝えられん。」
「ラキュースに伝えたら戻ってもいいですか?」
「駄目だ、ヤトがいなくて寂しいだろう。彼女と共にいてやれ。」
まだ何か不貞腐れた表情をするイビルアイとティラは、強引に王宮へ追い返されていった。
アルベドが金色の瞳を輝かせてナザリック観光の補助をと進言している時に、帝国のヤトから
「おやびん!冷たいッス!」
「うるせえ!」
「それで、皇帝にはどんな対応しますか?」
「武力で暴れるのは今後に差し支える。二度と暗殺を仕掛けないように脅しておけばよかろう。送られたワーカーに主席魔法詠唱者の弟子がいる、険悪になり過ぎないように名前を出してくれ」
「悪のロールプレイですね。」
「くれぐれも、やり過ぎるなよ。委縮し過ぎた相手と同盟は逆に面倒だろう。適度に脅して適度に懐柔が理想だ。俺がアンデッドで魔法詠唱者とは必ず伝えろよ。」
「あ、そういえばガゼフは皇帝と面識あるって言ってましたね。彼らに俺を止めてもらいましょうか。」
「それはいい考えだ、阿呆にしては珍しいな。」
「知らないんですかぁ?天才は馬鹿により生まれるんですよ。アインズさんが支配者らしくなったのは、俺のお陰で」
「阿呆とは認めるんだな……」
会話の途中で、ジェラートを食べ終わったクーデリカが、まだ残っていたウレイリカのジェラートにちょっかいを出し、軽い喧嘩が勃発していた。
「二人とも、おかわりはあるから喧嘩をするな。」
「アインズさん……まさか……アルベドとイビルアイ交えて卑猥な行為を……おかわりってエロいッスね」
「違うわ!」
「でもちょっと引きますね。」
「うるせえ!」
その後、帝国への指示をさらに細かく細分化し、上機嫌で明るい声のアインズは
アルベドはその後も食い下がり、彼女も交えて小さな観光客たちを案内すると決まる。
黒と白の異形種に手を引かれる双子の少女の構図は、傍から見ると親子のようだったと後でプレアデスから聞き、密かに精神の沈静化が起きた。
◆
くたびれた少女たちは第六階層あたりで力尽きて眠ってしまい、アインズは二人を来賓用の部屋まで送り届けた。
一般メイドを付け、起きたら呼びに来るようにと伝えるのを忘れなかった。
アインズが満足するまで、‟フォーサイト”はナザリックに軟禁されたが何の不満も無く、天国にいるかのような時を過ごす。
ナザリック地下大墳墓の観光旅行は、翌日を丸々使い込み、アインズが王都へ帰還したのは二日後だった。
余談だが、翌日にヤトが舞踏会の誘いについて相談した時、第六階層の円形闘技場でスピアニードルに乗ってはしゃぐ子供達を眺めていた。
ナザリックの
その夜、地下十階層までざっと案内し終えたアインズは、夕食前に二人を愛される姉へと届ける。
妹たちの両手には髑髏のネイルアートが刻まれていた。
「魔導王様、妹達がお世話に」
「私が勝手にしたことだ。それから、私を呼ぶときはアインズと呼べ。」
「はい。二人とも、王様にお礼を言いなさい。」
「アインズ様、ありがとうございました!」
「ありがとうございましたぁ!」
「また連れていってあげよう。今日は食事をして休むのだ。大浴場には流石に連れていけなかったが、機会があれば案内しよう」
天真爛漫で屈託ない笑顔の二人に、アインズの表情が誰にも気づかれずに緩む。
「アインズ様、隣の方は王妃なのでしょうか。」
「そうよ。私がアインズ様の――」
「アルベド、今はその話をする時ではない。」
「……申し訳ございません」
「妾は募集していますか?」
「はぁ?」
「わ……私も……立候補しても」
自称正妃のアルベドは、顔を真っ赤にして妾希望を宣言するアルシェを見ても、アインズが人間に興味が湧くと思っておらず、まったく警戒していなかった。
「アルシェよ、悪いが同じことを望む者が多い。だが、アンデッドの私が妻を娶るとは限らない。何よりも、お前は幼すぎるだろう。」
「いつでも妹たちと、この場所を案内ができます。」
「……そうだな」
「ア、アインズさま?」
それもいいかなと、揺らぐアインズの砂漠の心に、アルベドが過剰に動揺する。
「私は将来
「……」
アインズの
「私もアインズ様と結婚するー!」
「ずるいー!クーデもするー!」
頭の中で女教師やまいこが怒りの鉄拳を構え、周囲を
揺れていた心は無邪気な二人を見て落ち着いた。
「三人とも、そういう事は大きくなってから言うのだ。明日は魔導国へ帰還する。今日の内にゆっくり休むのだぞ。」
「はーい!」
「……はい」
二日間にわたるナザリックの示威籠城は、妹達の生活のために自身を犠牲にしようとするアルシェの妾希望宣言をもって、ようやく終わりを迎えた。
妹と暮らすための保証が欲しいのだろうと高を括ったが、絶対的な力とカリスマ性、子供に優しいと思われる彼を見て、少しだけ本気だった。
その心を見抜いて、新たな開戦を予感したのはアルベドだけだった。