モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Hexenschuss

 用件を後回しにして歓談する声が、鈴のような音色で邸宅の渇いた静寂に暖かな清涼をもたらす。

 

「具はじゃがいもよね。ゴロゴロしたやつ。ラキュース、昼食はどこで食べる?」

「外食はほとんどしないから、どの店が美味しいのか知らないのよ、ラナー」

「御主人に甘えてばかりいるからよ。たまには冒険に出なさい」

「主人の帰りを待つのも幸せなのよ」

 

 異端なる魔女と蛇の花嫁は、業務連絡ではなく互いの交流を深めていた。

 次の策へ手を付けようとするラナーは、復興の報告がてら顔を見に来たと理由をつけ、蛇の邸宅を訪れる。

 限りある午前中を雑談によって浪費し終え、時刻は正午に差し掛かろうとしていた。

 脳の肉片を服に付着させたアインズは、既に現実世界から逃げ出している。

 色彩の鮮やかな女性は、久しぶりに王宮で昼食を摂ろうと、連れ立って邸宅を後にした。

 

 宇宙からの色を観測しようと旅に出たアインズが、邪神の影さえも発見できぬままに混乱から復帰するのとほぼ同時刻、二人は王宮に到着する。

 

 

 

 

 王宮の上空に浮かんでいた雲も消え、魔導国の王都には蒼天だけが残される。

 

 現実逃避旅行の宇宙から帰還したアインズが外野(がちょう)たちの様子を見ると、中庭の祭りは終わりを迎えていた。

 

 レイナースの棘のある声が聞こえる。

 あまりの喧しさに、稽古を中断されて怒り心頭のようだ。

 人間種族は静かになっていたが、異形の二人は摩擦抵抗のない加速を続けていた。

 

 法国のアイテムを奪取し終えたヤトは浮かれており、アルベドへいたずらに固形燃料を投下し続け、盛り上がった彼女は法国の話そっちのけでアインズとの距離を詰めた。

 

「そろそろアルベドの純潔が奪われるってよ」

「アインズ様ァァアア! 私はいつでも準備ができております! 湯浴み等の準備はまだしていませんが、勿論、アインズ様がそのままでいいと仰るのなら、このまますぐにでも」

「アルベドが美人だから緊張するってさ」

「アインズ様ぁあ! 天井の染みを数えている間に、私が上手く事を運ばせて頂きます! 据え膳食わぬは男の恥と申しますが、誰でも未知の経験には二の足を踏んでしまうものでございます。何を恥じることがありましょう、至高の41人の総括、絶対なる主神、比肩する者なき唯一神であっても、経験なくして大願を成せるわけがありません!」

 

 ヤトによって目の前にぶら下げられた餌に心を奪われ、飢えたアルベドは止まらなかった。

 金色の両眼を限界まで見開き、黒い翼を左右にピンと伸ばした彼女は、前にしか進めないだろう。

 殺戮の余韻によってアインズは苛立ったが、それ以上に苛立っていたのはレイナースだった。

 

「馬鹿蛇! アルベド様になんて事を言うんだ! アインズ様もお困りだろう!」

「ええー、だってどうせ通過する道じゃんよ」

「いい加減にしろ! これ以上ふざけるなら、私はお前の妻をやめるぞ!」

「そんなに怒るなよー、呪わレイナ。ちょっとふざけただけだって」

 

 蛇は真っ赤になって怒るレイナースの機嫌を取ろうと、優しく体に巻き付いていく。

 

「触るな!」

「俺が悪かったって。だから機嫌直せよー」

「舌で舐めるな、皆の前だ……恥ずかしい」

 

 完全に小馬鹿にされながらご機嫌取りをされているが、珍しく大衆の前でベタベタしてくるヤトに頬を舐められ、悪い気がしないレイナースは丸め込まれていった。

 文字通り舐められているとは考え付かないようだ。

 

 平和で馬鹿馬鹿しい光景に、静かになっていた皆は頭の冷静さを取り戻し、未だに大声を上げているのは一人だけだった。

 

「ちょうどよくアインズ様のお召し物が汚れていますわ! お色直しにこのままナザリックへ帰還し、私の私室でごゆるりとお楽しみに――」

「アルベド………騒々しい、静かにせよ」

「も、申し訳ありません!」

 

 大勢の視線を集めるアインズは、失言をしないようにと口数が異様に少なかった。

 辛うじて日々の修練の賜物である台詞だけは言えたが、それ以上の言葉が続かない。

 同様に、失言をして夜が流れないように細心の注意を図るアルベドは、跪いて口を閉ざした。

 機嫌の良い蛇神の燃料投下はその程度で止まらず、レイナースに巻き付いたまま、ヤトは大声でアルベドをけしかける。

 

「アルベド、頑張るんだ。ここで負けたら女が廃るぞ」

「そ、そうでございましょうか!? アインズ様! 新たなお世継ぎをもうけるため、励まれてはいかがでしょうか! 手取り足取り全身全霊でご奉仕させて頂きま――」

(やかま)しい!」

 

 大量の視線から目を逸らしてやけくそ気味なアインズに怒鳴られ、流石の暴走機関車もエンジンを瞬間冷却されてしまい止まらざるをえない。

 アインズの脳内にて、先ほど消し去った怒りの炎に小さな種火が宿り、主犯に熱が向けられる。

 がちょうの一団は、沈黙を保って彼の動向を窺っていた。

 

「ヤト、ちょっと来い」

「今、ちょっと取り込み中で」

「《心臓掌握(グラスプ・ハート)》!」

 

 抵抗力の高い彼が死ぬなど考えられない前提で発動した魔法により、いたずらにアルベドを刺激させ続けたヤトは僅かな時間だが行動不能となる。

 レイナースに巻き付いていた大蛇は、可愛らしい蛇の幼生がかま首を立て、輪になって目の前を回る幻覚を見ながら、頭からその場に倒れていった。

 

 口から漏れる空気で、きゅぅぅっと泣き声を上げた。

 

「や、ヤト! アインズ様、どうして……」

「騙されるな、レイナース。そいつは小馬鹿にして遊んでいた。妻なら舐められてはいかん」

「……チッ、この馬鹿蛇が。アインズ様、この馬鹿の処遇はお任せ下さい」

「いや、執務室へ運ばせよう。ナザリックの者は全員で協力し、そこの阿保を執務室へ放り込め」

 

 林業で丸太を運んでいるかのように、美しい女性たちと老年の執事は大蛇の体を大切に運んでいった。

 ジルとバジウッドは久しぶりに見たレイナースと話をしたかったが、小馬鹿にされていたとわかって再び怒髪天を突いた彼女に話しかけられず、表情には残念と書いてあった。

 騒動に眉をひそめていたティラは、事態が収拾したのを確認してアインズの背後に忍び寄る。

 

「稽古は終わり?」

「悪いことをしたな。今日は自由にして構わない」

「そ……」

 

 振り向いた刹那、ティラの寂しそうな顔が見えた。

 すぐに真顔に戻った彼女は、クナイを指で振り回しながらどこかに去っていく。

 妾になりたいと騒いでいた彼女が何も言わずに去る姿は、感謝と罪悪感を生じさせる。

 

(空いている彼女にも、何かさせないと可哀想かもしれないな……)

 

 メイドに来客の案内を任せ、アインズは執務室へと移動していった。

 

 

 

 途中で合流したラキュースとラナーを入室させ、魔導王は執務室の机に座り、手を組んで彼らに事情を聴く。

 

 暴れる心臓を抑えるので必死だった。

 支配者として成長していたはずのアインズは、人間に変わったことでただのサラリーマンに戻っていた。

 現実逃避して今の心境が社長と部長のどちらだろうかと考えたかったが、跪く部下を前に逃げるわけにいかない。

 

「アルベド、漆黒聖典の情報を」

「はい、漆黒聖典の隊長及び、ワールドアイテム所持者のカイレは、数日前から王都にて情報収集を行っておりました」

「セバス、今日の報告を」

「はい、ヤトノカミ様と共に彼らの討伐に向かい、無事にアイテムは奪い取り、隊長も五体満足で王宮に連行いたしました。年配の僧侶はアンデッド秘密結社のカジットという者で、漆黒聖典と協力関係にあったとか」

「なぜ帝国の彼らがここに来たのか、分かる者はいるか?」

「私です。出過ぎた真似かと承知していますが、アインズ様のお手を煩わせるわけに参りません。帝国を裏切った将軍がエルフの奴隷を購入していると聞きつけ、内密に裏切った彼は移動手段に困っていると判断した結果でございます」

 

 答えたアルベドは、ラナーの進言もあった件は言わなかった。

 

「……なぜレイ将軍のことを知っているのだ」

「イビルアイから報告を受けております」

 

 女性同士は妙に連携が取れており、アインズはハーレムの包囲網が完成しつつあるような錯覚に陥る。

 

「ヤトは漆黒聖典について何と言っていた?」

「アインズ様に面通しをさせると。逃げるなら追わないとも仰っていました」

「ラナー、皇帝に会ったことはあるか?」

「ありますが、昔の事でございます。互いに成長しておりますので」

「アルベド、お前の意見を聞きたい」

「漆黒聖典はスレイン法国最強の特殊部隊です。ここで始末すべきかと」

「セバス」

「わざわざ殺す必要はないかと。先ほどお会いしたブレイン様が仰ってましたが、平和な魔導国を好きにスパイさせてやれという意見に、ヤトノカミ様と私は賛成しました」

「ラナー」

「あの若さで漆黒聖典の部隊長の彼は、法国との外交カードに使用できるかと思われます。殺せば敵対、生かせば友好の道が開かれるのではないでしょうか」

 

(……ヤトはまだ起きないのか)

 

 件の蛇はラキュースとレイナースに顔を拭かれ、心地よく眠っていた。

 

 蛇が目覚めるまでの時間稼ぎの回りくどい話も限界だった。

 そろそろ何らかの結論を出さなければと、アインズは背筋に冷や汗を流す。

 血の通う心臓は、暴走しそうなほどに脈打っている。

 

「ラキュース、その阿呆を叩き起こせ。一時行動不能から復帰しているだろう」

「え? あ、はい、すぐに」

 

 攻撃判定をかいくぐるように優しく頬を叩かれ、蛇の赤い瞳は見開かれた。

 後半は惰性で気を失っていた彼は復帰し、揺れる頭を押さえて起き上がる。

 

「うー……まだふらふらする。泥酔とはこんな感じか……あ、アインズさん。ちょっと酷いんじゃないスか、なんで俺がこんな目に」

「……アルベドを焚きつけるからだ」

「死んだらどうすんですか。だいたいアルベドに応えないからこ――」

「もういい、黙れ」

 

 支配者としての振る舞いに細心の注意を払っている状況で、女性問題を出されたくなかった。

 必死で遮った彼に続き、アルベドが援護射撃を飛ばす。

 

「そうですわ、ヤトノカミ様。取り急ぎ来客の応対へ、全力を注ぐべきでございます」

「ん?」

 

 本来であればアルベドの愛が再燃して天まで届く炎を上げる目測だったが、意外にも落ち着いた声で彼女は咎めた。

 何かやり取りがあったのかと探る視線でアインズを見ると、汚れた服の支配者は露骨に目を逸らした。

 

 特に何も話していないのだが、互いにその気になっていた。

 

「ふぅん……なんでそんなに服が汚れてるんですかね」

「罪人の記憶が気分悪かったので、怒りに任せて半数を殺してしまったのだ」

 

 アインズは事の顛末を説明し、状況を把握した蛇は首を傾げた。

 

「人間なんて何人死んでも動揺しなかったでしょう。今は違うんですか?」

「……どうやら違うらしい。その、うん、いや……つまりだな」

 

 歯切れの悪いアインズに、ヤトは赤い目を細めた。

 女性が多い執務室で、彼女らの顔色を珍しく窺うアインズは、言いたい事も言えずにどもる。

 

「後で話す。今は対応を検討しよう」

 

 結果的に誤魔化されてしまい、蛇は不思議そうに首を90度傾げた。

 蛇の反応が遅れたことで、静かに跪くラナーが先手を取った。

 

「アインズ様、よろしいでしょうか」

「何だ?」

「帝国の外交は、私に一任させて頂けないでしょうか。アインズ様のご意向は理解しているつもりでございます。やはり人間相手とあればこちらも人間を出し、疑い深い皇帝陛下やその側近に対応すべきかと思われます。顔見知りのレイナースや、私のフォローにラキュースを回して頂ければより盤石かと」

「ふむ……アルベド」

「ラナーであればよろしいのではないでしょうか。人間にしておくには惜しい逸材です、必ずやアインズ様のご期待に応えるかと」

「ありがとうございます、アルベド様」

「そうか……」

 

 予期せぬラナーの提案に軽く動揺していた。

 人間蔑視の風潮が強いナザリックのアルベドに任せるより、人間種族に詳しい外交の話をさせるのは名案かと、動揺に揺れるアインズの頭上で光が灯る。

 

 デミウルゴス、パンドラの両名を呼び出す手も考えたが、帝国と友好的な同盟を築いた現状で、人間蔑視のものに任せて拗れるのも御免被りたかった。

 彼女の提案に丸投げするようで気も引けたが、魔法実験の真っ最中と逃げ口上があり、そちらの方が自分の立場も対外的な評価も落とさずに済むだろう。

 黙り込んで悩むアインズに業を煮やし、ヤトが挙手にて再開する。

 

「アインズさん、隊長は俺に任せてくれませんかね」

「殺すのか?」

「スパイ活動に協力してやりますよ。社会勉強をさせてやろうかと」

「誤解を招く行動は避けるようにな。ワールドアイテムの危機は去ったが、他に隠し玉がないとは断言できん。戦争をしないのであれば、それに越したこともないからな」

「大丈夫ですよ」

「……本当に大丈夫か?」

 

 疑い深いアインズは目を細め、大蛇は器用に肩をすくめた。

 一呼吸空け、魔導王としての声色で皆に指示を出す。

 

「ラキュース、レイナース、ラナーは帝国の皇帝とその妾への対応を。学校建設の件を進めてくれ。セバス、彼女たちのサポートに付け」

 

 皆の返事が出揃うのを待って、アインズは続けた。

 

「ヤト、隊長に魔導国の案内を。くれぐれも丁重に扱えよ。私はMPが尽きるまで記憶操作の実験を行い、後ほどそちらに合流する」

「はいはい」

「エルフの奴隷たちだが、彼女たちは記憶を読み取ってから農業へ回す。アルベドとプレアデスは、彼女らをナザリックへ送り、ドライアードたちの手伝いを指示せよ」

「畏まりました、アインズ様」

 

 これで一安心とばかりに音を立てずに深呼吸をしたアインズへ、ヤトが再び意見を求めた。

 

「ズーラーノーンのおっさんはどうしますか?」

「……私は特に用がないのだが」

「あのハゲの功績で漆黒聖典のアイテムを奪えましたし、母親を蘇らせたいらしいんで、蘇生アイテムでもあげれば大人しく帰るんじゃないスかね。さぞかし感謝するでしょうよ」

「蘇生、か……母親が蘇生を望むとも限らないだろうがな。ワンド・オブ・リザレクションでも与えて放り出すか……誰か、取りあえず牢屋に放り込んでおけ」

「牢屋の掃除でもさせますか?」

「……そうだな。指示は任せる。私は魔法実験に戻らせて頂こう」

「あ、そういえば、ツアレの妹は蘇生させないんですか?」

 

 言うに言い出せず冷や汗をかいて苦悩するセバスに、気を回してヤトが質問した。

 

 

「……駄目だったんだよ」

「え?」

「だから、蘇生できなかったのだ」

「えぇ? だって、殺されたんでしょ?」

「実際に魔法使用者にしかわからないが、蘇生魔法が拒否される。メッセージでも味わうことが出来るが、対象がこの世に存在せず、空振りに終わるような感覚だ」

「どういうことだ……?」

「ニ……ツアレの妹は、満足して死んだのだろう。もしかすると魂というものは、死後はこの世界に留まるのかもしれない。いわゆる幽霊という状態でな」

「幽霊……セバスと結婚したから安心したんですかね?」

「確証はないが、そう考えれば納得はできる。現状はそう判断するしかない」

 

 セバスは拳を握って震えていた。

 額に汗をかいて震える姿に、どこかの我慢大会を思い出す。

 らしくない彼の姿に、二柱の支配者は心から彼を心配した。

 

「セバス、ツアレに妹のことは一切話すな。わざわざ悲しませる必要はない」

「……は、い、畏まりました」

「セバス、妹が蘇生を拒むのなら、ツアレを幸せにするくらいしかできないだろ」

「……仰せのままに」

 

 納得できたか不明だがそれ以上は言わず、ラナーはセバスの表情を見逃さなかった。

 

「では皆、各々の責務に当たれ」

 

 皆が立ち上がり、執務室を後にしていく。

 部屋で着替えを始める前に、小さな声でアルベドの背中を呼び止めた。

 

「アルベド、その……今晩は私の部屋に――」

「はい、喜んで!」

 

 アインズの声を遮って笑顔で返事をした彼女は、急ぎ足で部屋を退室した。

 改めて緊張する汚れた服の男は、しばらく執務室から出てこなかった。

 物陰に隠れていたはずのイビルアイは気を利かせて行方をくらまし、それから数日間、誰も姿を見なかった。

 

 

 

 

 皆が去った執務室で夜に思いを馳せ、魔導国の支配者が重たい緊張と戦っている頃、応接間では和やかと言い難い会談が始まる。

 

「お久しぶりです、皇帝陛下。元第三王女のラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフです」

「ご丁寧な挨拶、痛み入る。私はバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ」

 

 事務的な声で互いの挨拶を終えた両名は、意味ありげに微笑む。

 ジルの内心は穏やかではなく、過去数年間にわたって嫌いな女の順位を首位独走する彼女との会談は、機嫌を損ねるのに十分だった。

 

「アインズはどうしたのかな? 使者の方に呼ばれたのだが、なぜ彼は対応しないのだろうか」

「陛下は魔法実験の真っ最中です。使者を遣わしたのは陛下ではなく、部下のアルベド様でございます」

「しかし、そのアルベド殿という方もこちらにはいらっしゃらないようだ。背後に立つ方々も名前くらいは教えて頂きたい」

 

 応接間ソファーの左右に立つラキュースとレイナース、扉の辺りで待機していたセバスは事務的に挨拶を交わした。

 レイナースに蛇の花嫁と同様の貴族名が加わっているのを聞き、皇帝の目に純粋な好奇心が灯ったが、黄金の微笑みで急速に消灯された。

 

「本日は御足労頂きありがとうございます。そちらの方がレイ将軍で、後ろの方は噂に聞く帝国四騎士様ですね。こちらの女性はどなたでしょうか」

「……私の妾だ」

「あら、魔導国へお越し頂き、ありがとうございます。何とお呼びすればよろしいのでしょうか」

「ロクシーとお呼び下さい、ラナー王女様」

 

 目が眩むような黄金の姫を前にしても、顔の美醜で劣るロクシーは怯まずに優しい握手を交わした。

 

「さて、本題に入って頂きたい。なぜラナー第三王女が我々の対応をしているのか、お聞かせ願えるだろうか」

「はい、単刀直入に申し上げます。バハルス帝国は、魔導国の属国になって頂けませんか?」

 

 一瞬だけ血走った目を見開いたジルは、暫し目を閉じ、努めて冷静な声で応じた。

 

「……ははっ。それは面白い冗談だ。今日はこんな余興を聞かせて頂くために来たわけではないが、ラナー王女の洒落た冗談には頭が下がる」

「やはり理解はできませんか?」

「アインズが言うのなら理解はできるが、代役であるラナー王女の意見は聞けんな。魔導王が多忙であれば、我々から話すことはない。こちらから出直させて頂こう」

 

 近くで待機するラキュースとレイナースは、驚愕の表情でラナーを二度見していた。

 ジルがラナー王女の独断と判断したのも無理はない。

 腰を上げかけたジルに、側で佇むレイ将軍が援護射撃を飛ばす。

 

「陛下、これは悪くない考えです。ラナー王女の仰る通り、アインズ様の配下に下れば、我らには繁栄が約束されます。もしお疑いとあれば、私が魔導国と帝国の橋渡し役を務めさせていただきますが」

「レイ将軍よう、そいつはちょっと、あんたに都合よすぎるんじゃないのか?」

 

 バジウッドは明確に彼を咎め、裏切り者と護衛は視線をぶつけて拮抗した。

 

「皇帝陛下は私に疑念を抱いています。事実、私は魔導王閣下の魔力を肌で感じ、心が揺らいでおります。帝国は私の祖国であり、陛下への忠誠はございますが、魔導王閣下に何か言われれば揺らいでしまう儚いもの」

「自分が何を言ってるのかわかってるのか?」

「勿論でございます」

 

 天井付近を漂っていた険悪な空気が帝国側を襲った。

 ジルが命じれば、躊躇いなくバジウッドは剣を抜いただろう。

 

「二人とも止せ。ラナー王女、これ以上、不毛な議論を続ける気はない。どうやらアインズでなければまともな対応は難しいようだ」

「ロクシー様、あなたもそう思われますか?」

「……」

 

 何らかの確信めいた答えを得ているのか、ラナーはロクシーに微笑みかける。

 ロクシーは指を顎に当てて思案しており、ジルは何かされたのではと疑心暗鬼に囚われる。

 立ち上がりかけたジルの腰は、再びソファーへ戻っていた。

 

「ラナー王女様、属国になることで我らが得るメリットは多いでしょう。確かにそれは認めざるを得ません。現に、帝国の繁栄にご助力頂ける確約はとれております。しかし、現状でそれ以上の何か我らの知らない利益や特典があるのでしょうか」

「はい、魔導国、帝国、法国、そして周辺国家の対応が終わった後のことになります」

「終わった後……やはり、魔導王陛下の目的は」

「はい、支配、権力、統治などに興味はございません」

 

 嫌いな女が嬉しそうに妾と話している光景が、体中を流れるジルの血を頭に呼び寄せた。

 

「いい加減にせよ! これ以上の議論は無駄だ!」

「陛下、バハルス帝国は魔導国の属国となる必要があるかもしれませんわ」

「貴様、何を言っているかわかっているのか!?」

 

 激昂するジルをみて、ラナーとロクシーは知能の足りない馬鹿を見る目で、深いため息を吐いた。

 

「陛下の方こそいい加減にして下さい。大方、ラナー王女がお嫌いだから、まともに話も聞かないのでしょう? 立ち去りたいのなら、ご自由になさって下さい。その場合、私は陛下の妾をやめさせて頂きます」

 

 ロクシーの非難がましい視線よりも、ジルは好戦的な笑みを浮かべるラナーから視線を逸らせなかった。

 明るい笑顔のラナーも、彼の激昂は想定内とばかりに、挑発的な言葉を選んで続ける。

 

「皇帝陛下は人間にしては大変優秀な方と聞き及んでおります。その判断で私の話に興味がないのであれば、お時間を取らせてしまうのも申し訳ありません。御退室いただいて結構です。ロクシー様と今後のお話を致しますわ」

「属国化するに皇帝不在で進めると仰るのか、ラナー王女。かつては一国の王女であったとは思えぬ無礼な振る舞いだな。リ・エスティーゼ王国が滅んだ経緯に、何も学ばなかったと見える」

「バハルス帝国がその一途を辿らないように、このような場を設けさせていただきましたが、ご迷惑でしたか?」

 

 ラナーとジルの視線は雷のように衝突し、周囲のものにまで電磁波を放った。

 明白に仲の悪い両者に、もはや掛ける言葉も見当たらなかった。

 先ほどまで険悪な雰囲気だったレイとバジウッドは、混迷を深めるジルを協力して宥め始める。

 

「陛下、落ち着いて下さいよ。ロクシー様の話をぶった切ってまで帰る必要はないでしょうに」

「その通りです。魔導国に敵対したと判断されるよりも、ここは穏便に話をお聞きしましょう」

 

示し合わせるでもなく、自然に相互利益のために協力する関係が構築されていた。

 

「チッ……失礼、ラナー王女。帝国を愛するがあまり、挑発的で見下げた申し出に、少々感情的になってしまった」

「いえ、お気になさらず。私も皇帝陛下は思い込みでこちらの好意を無下にし、話を聞く耳を持ちませんでしたと、魔導王陛下へ御報告する結果にならずに安堵しております」

 

 にこやかに微笑んでいるが、互いに相手を見下して皮肉を言い合っている様子に、バジウッドは反射的に呟く。

 ジルは先ほどから青筋が立って引かなかった。

 

「仲悪いな……」

「バジウッド殿、この二人は以前に何かあったのですか?」

「詳しくは知らないが……単純に嫌いなんだろうぜ」

 

 騎士二人の呟きに構わず、ラナーは話を続けた。

 既にジルへの興味は消え去っており、彼女の視線はお頭の出来が良さそうなロクシーへ向けられていた。

 

「このまま順調に推移していけば、魔導国は全てを飲み込む恐ろしい大国になるでしょう。しかし、アインズ様とヤトノカミ様、並びに御方々へ従属する圧倒的な力を持つ部下の方々、彼らの望みはこの大陸を出て旅をすることです」

「……はぁ?」

 

 ジルの反射的な疑問は、誰にも顧みられることはなかった。

 ロクシーは構わずにラナーへ問う。

 

「旅の目的はおわかりでしょうか」

「当初から一貫していましたが、はぐれてしまった仲間をお探しになるそうです」

「まぁ……魔導王陛下は仲間とはぐれてしまったのですか?」

「陛下と蛇様は唯一無二の友人です。妻の二人とはまた違う、大切な立場なのです。最盛期は41人もいらっしゃったとか」

「41人も……魔導王陛下のような方が……。足元の危機がなくなってしまえば、部下の方々を連れて旅に出られるのでしょうか」

「その可能性が高いですわ」

 

 ジルは必死にラナーの思惑を探ったが、帝国を絡め捕ろうとする絡新婦(じょろうぐも)の糸は手繰れず、逆に自分が蜘蛛の巣にかかった気分になる。

 同様に、わざわざ連れてきたロクシーの意図も掴めなくなっていた。

 視界が暗転しそうな状況にバジウッドとレイへ顔を向けたが、彼らは苦笑いで頷いた。

 

「差し出がましい申し出ですが、帝国と魔導国、領地を半々にして統治となる見込みは如何ほどでしょうか」

「それは今後の帝国側の対応次第かと」

「そうですか……お話は変わりますが、食糧難の解決はいかがですか?」

「順調に推移しております。そう遠くない未来に餓死者は消え、他国と貿易できる程に食料が余るでしょう。尤も、余剰分は何かに使う目途があるようですが」

「属国となった場合、帝国の内政に干渉しないとお約束頂けますか?」

「私の名において、この場でお約束します。あえて干渉するのであれば、帝国内の空席となっている領地です」

「……お話は理解致しました。申し訳ありません、この場で即答は出来かねます。明日、出直しても宜しいでしょうか」

「はい、構いませんわ。私はしばらく王宮で寝泊まりを致します。良いお返事をお待ちしております」

「今日はお会いできてよかったです、ラナー第三王女様」

「こちらこそ、ロクシー様」

 

 二人はにこやかに挨拶を交わし、高圧的な外交にもかかわらず、さながら社交場のような穏やかさだった。

 心中穏やかでないのはジルと、それを見守る帝国騎士である。

 ジルの顔から青筋は一向に引かず、背後の騎士は彼の頭頂部から立ち上る湯気を見た気がした。

 

「ラキュース様、レイナース様、蛇様はどんな方でしょうか」

「は、はい、え……馬鹿ですが良き夫です」

「……馬鹿ですが、大切な人です」

 

 突然に話を振られたラキュースは、追従を放棄していた話を振られて挙動不審となった。

 彼女の復帰を確認して多少落ち着いたレイナースは、彼女の返答を真似て答えた。

 

「そうですか、ありがとうございました。明日、改めてお会いしましょう」

「ロクシー! 待たないか!」

「今日は魔導国で宿を取りましょう。レイ様とバジウッド様、私は魔導国を見て回りとうございます。本日の宿も探さねばなりません」

「ロクシー!」

 

 いそいそと足早に退室したロクシーを、他の男性は挙って後を追った。

 帝国の人間が全て退室した後、室内に残された沈黙を破ったのはラキュースだった。

 冷めた紅茶でのどを潤すラナーを咎める。

 

「ラナー、どういうつもり? 属国だなんて失礼でしょう」

「ふふっ。かの鮮血帝も大そうお怒りだったわね」

 

 悪戯を見つかった少女のような笑みで、飲み干したカップを置いた。

 

「属国だなんて、あまりに無茶な提案ではないかしら。アインズ様に知れたら」

「無茶な提案でなければ効果がないわよ。現に、あのロクシーという女性は、私の言いたい事が理解できたみたい」

「言いたい事って……私にも教えてくれない?」

「ラナー様、私にもご教授頂けますでしょうか。アインズ様のご意向は私にはわかりませんが、ラナー様は何かを掴んでいらっしゃるご様子」

「……私も、知りたいのですが」

 

 セバスとレイナースが続いたのを確認し、黄金の魔女は明るい声で続けた。

 

「ええ、勿論です。セバス様、外のメイドに紅茶とお茶菓子の指示をお願いします。皆でお茶会をしましょう」

 

 表面だけ見れば天使や女神にしか見えない顔で微笑んだ。

 

「これから数時間後、王都内のとある宿屋で行われるやり取りの説明をしますわね。それは恐らく、こんな感じでしょう」

 

 

 

 

 王都の高級な宿屋、帝国の皇帝とは名乗らずに旅の貴族という名義で借りた部屋で、ジルはロクシーに詰め寄る。

 

 ジルの額には、未だに青筋が浮きだっていた。

 

「どういうつもりだ! 事と次第によってはただでは済まさ――」

「わかりませんか?」

「分かるはずがないだろう! よりによってあの気持ちの悪い女が、帝国を属国にするとのたまったのだ! 不愉快極まりない!」

「……はぁ。仲が悪いことはもうわかりましたわ、陛下。少し落ち着いて下さい」

 

 待機する騎士も彼女の援護に向かう。

 

「皇帝陛下、私も話を聞きたいんですがね」

「私もです」

 

 向かいのソファーに座れと伝える彼女の目は、ジルの強烈な怒りの眼差しに怯んでいないどころか、見切りをつけられたいのかと脅していた。

 苦手な彼女の一面を帝国の危機ともいえる状況で見せられ、ジルは表層だけでも取り繕うしかなかった。

 

「……済まなかったな、ロクシー。少々取り乱したな」

 

 沈下しない青筋を立てておきながら少々も何もなかったが、構うことなくロクシーは説明の準備をする。

 

「レイ将軍様、席を外して頂けますか?」

「……私は帝国に籍を置く将軍でございます。陛下の許を離れるなど」

「あなたの処遇ですが、裏切り者としての処断ではなく、魔導王の部下となれるよう上手く取り計らいます」

「……畏まりました」

 

 端正な顔立ちの騎士は、それでも残念そうに退室していった。

 魔導国側の手に落ちていると火を見るより明らかな彼に、帝国の未来に関わる話を聞かせるわけにはいかない。

 ロクシーは改めて静かな声で説明を始める。

 

「魔導王陛下の目的は、この大陸外に出る事です。それには異形種に敵対する法国への対策、領地内の平定が当面の目的でしょう」

「法国……か。解せないな、なぜ圧倒的武力で攻め入らないのだろうか」

「これは想像ですが、スレイン法国には彼らにとって何か不都合なものがあるのではないかと」

「……そんなもの、私が欲しいくらいだ」

「ふふっ、お貸し頂けないかと法国に頼みに行かれますか?」

 

 冗談交じりの軽い口調で揶揄したが、余裕のないジルには愛想笑いさえ浮かばない。

 

「何にせよ、敵対国家、並びに友好的な関係の国家が少ない現状で、彼らは大陸の外へ出ることが出来ない。我々は属国となって彼らに最大限の協力をすべきです」

「なぜ属国となる必要がある」

「それは、魔導王が大陸を出る際、魔導国、帝国、法国の管理を誰に任せるのかという点です」

「……まさか、その管理を帝国がやると?」

「少し違います。私たち帝国としては、魔導国に協力し、帝国の繁栄にもご助力頂きます。それに伴い帝国と魔導国は、短期間で飛躍的な発展を遂げるでしょう」

「うん?」

 

 想定と違う理論に、彼の青筋はようやく引っ込んでいった。

 

「繁栄後に魔導国が国王不在となった際、外交の協力を行い、あわよくば領地を分割して帝国にて管理を申し出ます。魔導王が快諾すれば帝国の領地は増えるだけではなく、ご丁寧に十分な開拓が行われています」

「そんな都合いい話があるだろうか」

「帝国が行わずとも、誰かに任せざるを得ません。それが我々でなくても、協力して得られた繁栄だけは残ります。こちらが失うものは、主席魔法詠唱者とレイ将軍です。もしかすると騎士の半数を失う可能性もありますが、戦争になる可能性、つまり滅亡はあり得ません」

 

「いわゆる無血繁栄です」と言って、鈴の音に近い音で笑った。

ジルは手を口に当てて、損得勘定のそろばんを叩いている。

 

「……つまり、帝国を繁栄させ、アインズとヤトが旅に出たのであれば、帝国は属国を解消し同盟国に戻る。得られた繁栄はそのまま我らのものになるのか」

「属国を解消せず、繁栄の一途を辿る流れに任せましょう。魔導国の領地は手に入りませんが、帝国の血も流れずに済みます」

「……アインズがそこまで考えてあの女に代役を」

「それはどうでしょうか。今回の件はラナー王女の独断に見えました。何よりも中庭にいたあの方が魔導王陛下であるならば、今までの噂に信憑性がなくなります」

「……どちらにせよ、嫌いな女の順位は永遠に変わりそうにないな」

「一位の黄金の姫とは、あの方なのですね。素晴らしい知性をお持ちでいらっしゃいます。今回の件では好感を抱きました。妃に迎えるようお考えになられてはいかがですか?」

「……勘弁してくれ。あの女との間にだけは、子供は作らんからな」

 

 非難がましいロクシーの視線は、「嫌でも子供作れよ」と責め立てていた。

 特大の苦虫に加え、口内炎が潰れたような顔で、ジルは顔を大きく歪める。

 

「あの女は別の男との間にできた子供を、私の子だと言いくるめるだろう」

「………今回の属国化、もし我々が断れば、彼女は我らが損をする複数の代替案を突き付け、最後は武力を背景に属国化を飲ませたかもしれません。そうなれば、我々に自由はありません。子供の件は危険ですね」

 

 初めてロクシーに冷や汗が流れた。

 思い出した黄金の瞳には、対等な存在と思われていない無慈悲が宿っていた。

 

「あの女、何から何まで虫が好かんな。誰か暗殺してくれないだろうか」

「暗殺しても結果は変わりません。一矢報いる事よりも、帝国の繁栄を考えましょう。今後、帝国の目的は大陸の領土を折半することです。そのために、魔導王陛下と信頼を築く必要があります」

「……何をしろというのだ」

「陛下には魔導王と親交の厚いご友人となって頂きます。領地の半分を任せるほどに強固な信頼関係を構築し、十分な信頼に足ると思わせ、大陸の情勢が落ち着くのを待つのです」

「……御免被りたいのだが」

「……」

 

 再び、「嫌でもやれよ」という無言の非難に、ジルは提案を飲むしかなかった。

 

「アンデッドの彼が心を開くとも思えんのだが」

「多くの女性に慕われると聞きましたが、そちらの話題で責めてみては?」

「女性に興味がないわけではないとは聞いている。庭にいた角と翼の生えた女性……と呼んでいいのかわからないが、あれは妾なのだろうか」

「陛下、それ以上は魔導王陛下に直接お聞きください。アンデッドの姿は知りませんが、今の魔導王はただの一般人に見えます」

「……これも帝国の繁栄の為、か」

 

 ようやく険悪な雰囲気が去ったのを確認し、安堵の息を吐きだしたバジウッドはいつもの気楽な口調で会話に混ざる。

 

「魔導王陛下も案外と好人物かもしれませんよ。重爆があれほど女っぽい顔をするのが蛇の旦那なんですから」

 

 レイナースの顔が思い出された。

 呪いと戦いながらも、四騎士として凛々しく立ち振る舞っていた彼女はいなかった。

 あれでは新婚の新妻だなと、魔導国で変わった彼女に苦笑いが漏れる。

 

「陛下と魔導王の関係が、今後の帝国の未来に直結するのです」

「……ここまでの緊張は戦争の前線に立った時も無かったぞ。ロウネ秘書官も同行させるべきだったか」

「蛇さんに離反工作は難しくなりましたね」

「御武運を、皇帝陛下」

「結果がいずれにせよ、これは帝国の未来を創る戦いだ。全身全霊をかけるとしよう」

 

 

 

 

 王宮の一室では、人差し指を立てたラナーが、嬉しそうに未来予想図を広げていた。

 

「――と、数時間後に宿屋で話し合いが行われる事でしょう」

「……そう上手くいくのかしら」

「心配性ね、ラキュース。皇帝陛下だけの場合は絶対にこうならないわ。あのロクシーという女性、顔はともかく皇帝の妾に相応しい知力を持っているわよ」

 

 嬉しそうに紅茶を飲む彼女の言葉に、なぜかレイナースが軽い被害を受ける。

 

「……妾に相応しい……知力」

「レイナ、気にしないで。あなたは私よりも綺麗よ、そのままでいいの。口には出さないけど、馬鹿蛇もあなたを愛しているわ」

「……そうだろうか。ラキュースの難しい病も理解できないというのに」

「それはいいのよ……理解しなくても」

 

 蛇の愛情表現が足りず、レイナースは軽く浮かない気分(ブルー)になる。

 流れがせき止められた会話をセバスが押し進めた。

 

「ですが、ラナー王女。我らはどう対応すべきなのでしょうか」

「普通にしていればいいのです。ロクシーがあちらにいる以上、皇帝はアインズ様の友人となります。私たちは明日の結果を受けてアインズ様へ報告、皇帝が親交を深めたがっていると口添えすれば、何もかも上手くいきます」

「しかし、アインズ様が大陸を平定なさるおつもりであれば、皇帝の考えは不敬に当たるのではないでしょうか」

「その可能性はありますが、賽の目は停止するまで何が出るかわかりません。箱の中に何が入っているのか、蓋を開くまでわかりません。アインズ様が本当に旅に出るのか、大陸を平定なさるのかさえ、現状では不確定の事項が多いのです。帝国側が属国を飲めば、どちらにしてもアインズ様のご希望に添える対応が可能なのです。私たちはアインズ様のご意向を汲み、彼らへの対応を取りましょう」

「我々ナザリックの僕からすると、属国であればアインズ様へ揺るがぬ忠誠を誓うべきと思うのですが」

 

 セバスの目つきはあまり穏やかと言えなかった。

 

「彼らの忠誠は、アインズ様の行動に制限を設けるだけでしょう。人間からの忠誠など、アインズ様やヤトノカミ様は必要としないのではありませんか?」

 

 「メンドクセ」とそっぽを向く小さな蛇が、セバスの頭蓋内を跳ね回った。

 

「……仰る通りです。アインズ様は何と仰るでしょうか。我らの勝手な行動を咎める可能性も」

「セバス様、アインズ様ほどの叡智があれば、私がこうすることも御見通しに違いありませんわ。大船に乗ったつもりで、帝国の属国化を進めましょう」

「畏まりました、ご教授ありがとうございます、ラナー王女」

 

 セバスは自信満々に微笑むラナーの知性を羨みつつ、魔女の一撃に納得して微笑んだ。

 

 翌日、帝国側はロクシーとレイ将軍、魔導国側はラナーとセバスで改めて会談を行い、帝国側は属国化を快諾する。

 彼らからの要望はいたって簡素で、アインズとジルが二人で親交を深める場を設ける事だった。

 アルベドに目が眩んだアインズの魔法実験はあまり集中して行われず、実験の進捗状況に一定の成果が出るまで、彼らは魔導国にて余暇を楽しむ。

 

 だが、アインズの集中力はとある事案によって大幅に削られ、彼らは長期滞在を余儀なくされた。

 

 仲間外れにされて不満を刻一刻とため込んでいく、フールーダを帝国に残したままに。

 

 

 

 

 場面は戻り、ヤトは中庭の縁石に腰かけて待機している二人に声を掛けた。

 

「よう、待たせたな」

「蛇殿! 母の! 母上の蘇生はどうなった!」

「蛇殿、魔導王との謁見はどうなったのですか! 約束が違います!」

「二人ともうるさいな」

 

 縁石に座って待機をする両者の不満は尋常ではなく、ヤトが彼らより弱かったら戦闘になっていただろう。

 

「漆黒聖典の隊長、しばらく魔導国で過ごせ」

「……私に何をするおつもりですか?」

「法国のスパイだからなぁ、五体満足で法国へは返せないよな」

「それ相応の抵抗はさせて頂きます」

 

 幼い僧侶は毅然とした目で睨んだ。

 

「冗談だよ、馬鹿。スパイ活動を手伝ってやる。参考までに聞くが、お前は結婚してんのか?」

「……いえ、しておりません」

「年齢はいくつだ? まだ十代そこそこだろ」

「……そのくらいです」

「ふっ、ふふ、フーン……安心しろ、取って食ったりしないから。うんざりするほど魔導国の全てを見せてやるよ。俺の解説付きでな。夜にはアインズさんも来るから、安心して付いてこい」

「……」

 

 少しも信頼できない蛇の顔に、不安と不満は隠し切れなかった。

 明らかに蛇の目は何かを企てており、油断はできないと万力のような理性で心を締め上げた。

 単純な悪戯心で悪だくみをしているなど、これから被害者になる彼が思い至る事も無かった。

 

「そんなに疑うなよ。殺した婆さんもその内に蘇生してやるから」

「……信用できませんが、今は従います」

 

 蛇神は疑い深い隊長の肩に手を乗せ、カジットに顔を向ける。

 

「えーと……名前は?」

「カジット……カジット・バダンテールだ」

 

 漆黒聖典の隊長の前で、昔に捨てた洗礼名は言わなかった。

 

「お前は王宮で働け、報酬は蘇生アイテムだ。取り急ぎ地下牢の掃除をしてくれ」

「……なに?」

「嫌ならいいよ、帰っても。俺たちに得はないし」

「ま、待て! 本当に掃除だけでよいのか?」

「アインズさんがぶち殺した罪人共の死体が散らかってるから、綺麗に掃除してくれ。終わったらそこに住むといい」

「……え?」

「母親を生き返らせるって言ってたけど、蘇生が拒否されたらどうするんだ?」

「い、いや、そんなはずがない。儂が早く家に帰ってさえいれば……母上は、死なずに今でも笑っていた」

「……母親……か」

 

 大袈裟に頭を振って暗い気分を振り払う。

 親をという現実から目を逸らし、王国の貴族を惨殺した蛇の自分が、今さら過去を振り返るなど馬鹿げていた。

 悪魔のような性格だと思い込んでいた若い僧侶は、不思議そうに蛇を見上げた。

 

「じゃ、俺はこいつを案内するから、掃除を頼む。アインズさんも魔法の実験をしているから、くれぐれも邪魔をしないようにな」

「こんな簡単に……」

 

 過去を大切に背負ったカジットを振り返ることなく、真顔の大蛇は少年を連れて国内の散策へ向かった。

 一転して雰囲気が変わった大蛇を奇妙に思いつつ、漆黒聖典の隊長は蛇に連行されて王宮を出た。

 

 取り残されたカジットは、仕方なく臓物の臭いが充満する地下室へ案内されていく。

 如何に大変な掃除だったのかは、翌日に一層深くなった彼の隈が物語っていた。

 

 

 蛇に連行されていくスレイン法国出身の少年は知らない。

 

 受難はまだ始まってもいなかったのだと。

 

 

 

 

 







じかいよこくー

 隊長は様々なものを失います。


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