モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Bite on ...

 

 

 

「我々が予測するものが起こることは滅多にない。しかし、我々がほとんど期待もしない事態がしばしば発生する」

 

                       ――ヴィクトリア朝期の政治家

 

 

 

 

 

 その日、スレイン法国に冷たい風が吹いた。

 

 会議に一夜を費やし、来るべき魔導国との会談に向けて仮眠をとっていた最高責任者たちは騒ぎに目を覚まし、招集されていた漆黒聖典、第十一席次“占星千里”に偵察を命じた。

 整列した漆黒聖典の中に第一席次である隊長の姿はない。

 皆が疑問に思ったものの、目覚めてすぐに張りつめた顔に変わった責任者たちに聞けずにいた。

 

 程なくして青い顔に滝のような汗を流す第十一次席次が、酷く恐ろしいものをみた形相で駆け込んでくる。

 普段の陰気な表情はどこかに消え、目を見開いて顔を振り乱し、流れる汗が彼女の周囲に飛び散った。

 

「第十一席次、占星千里よ。状況のほ――」

 

 神官長の声を遮って室内に絶叫を放つ。

 形振り構わず、言葉として成立しない何かを叫んでいた。

 

「お、おい、落ち着けよ!」

「だいじょうぶー?」

「無理! あんな化け物に勝てるわけがない! 殺される、みんな殺される!」

 

 プレイヤーすら打ち倒せる武力を持った異形の軍勢は、彼女の常識、知識、信仰、希望を全て破壊するに相応しい。

 今にも溢れそうな嘔吐物を、手で口を押さえて踏み止まった。

 

「落ち着き給え。我々にも何を見たのか報告せよ」

「隊長はどこ!」

「彼は背教者としてしょぶ――」

「ふざけるなあああ!」

 

 およそ普段の彼女からは想像もできない、荒々しい口調だった。

 隊長不在の漆黒聖典隊員に激しい動揺が広がり、一個小隊としての規律が徐々に乱れていく。

 

「隊長呼んで番外席次も呼んでよ! あんただけが死ぬんじゃない、この国全部が殺されちゃうじゃない!」

 

 歯を剥いて敵意を露わにした第十一席次は、状況も把握せぬまま隊長を処分しようとする神官長の胸倉を掴んだ。

 獣のように顔面に食らいつくすんでのところで、同僚に引き剥がされていた。

 

 仮眠から復帰したばかりで表層だけ取り繕う最高責任者たちは、抜き差しならぬ状況だけ把握する。

 強引に再起動させた頭をもって漆黒聖典の隊列を整えさせた。

 

 番外席次を呼び出して思うままに埒を明かそうと動き出したが、全ては過剰なまでに後手に回っていた。

 手遅れなのだと知るのは、窓を突き破って侵入した異形の使者を見てからである。

 

 嵌め殺しの窓がぶち破られる音が室内に響く。

 中空を優雅に漂う魚の骨、それに跨った黒騎士、手に持った三叉槍(さんさそう)は最高責任者へ切っ先を向けていた。

 

 刹那、全ての者があっけに取られて口を開いた。

 

「敵中が故、騎乗にて御免! 我輩はいと貴き御方、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の使者、浮遊する鉄騎兵(フローティング・キャバリエ)なり。貴き御方のご意向を伝令すべく、任を賜った使者である」

 

「し、侵入者を殺せ!」

「あんたがやんなさいよっ!」

「貴様ぁ! その口の利き方はな――」

 

 占星千里は落ち着きを取り戻しておらず、命令を出した大元帥に食らいつく。

 出鼻をもがれたスレイン法国側の対応は、翼を奪われた鳥に似ていた。

 足掻く彼らは突き出された黒き騎士の片手で動きを止める。

 

「取り込み中とは申し訳ない、御方の尊き御言葉を伝える。少々落ち着かれよ。スレイン法国、最高責任者の方々とお見受けしたが、相違ないか?」

 

 冷汗と脂汗の混じった液体を垂れ流す一人の老人が、辛うじて頷く。

 

「数刻以内に、アインズ・ウール・ゴウン魔導国とスレイン法国、首脳会談の準備をせよ。これを拒否、また我に攻撃を加えた場合、待機している全軍は貴国を滅ぼさんと進撃する」

「国家……」

「……会談?」

「左様。慈悲深き魔導王陛下は、異形の我らに仇なす諸君らに、慈愛をもって対峙をなさる。御二方への無礼は、創造物である我らが許さぬ。刃向かえば貴国は歴史という舞台から消え去るのみ」

 

 優雅に宙を漂う骨と黒騎士の兜に赤い光が宿る。

 反論を許さぬ彼を前に、大多数の者は言葉を失った。

 

「あ、あのー」

「発言を許可する」

「それだけ? ですかぁ?」

 

 漆黒聖典の女性が間延びした声で尋ねた。

 嫌な臭いのする汗をかく同僚たちは、ふわふわとした彼女の空気の読めない発言に惜しみない称賛を捧げた。

 

「如何にも! こちらからの要求は以上である」

「ば、ばかな……そのような申し出が――」

「準備する! 準備するから早く帰って! 帰ってよぉおお!」

 

 占星千里は勝手な判断で使者の申し出を受けた。

 その目に異形の軍勢を映してしまい、怪物たちの咆哮に体を震わせた彼女は、自宅で引き籠っていたかった。

 

「寛大な対応、感謝する。火中の敵国内が故、騎乗にて失礼致す。御免!」

 

 海月のように室内をゆらゆらと漂っていた骨の魚は、入ってきた窓とは違う窓から出ていった。

 窓ガラスは再びぶち破られ、会議室の窓は二つばかり欠番となる。

 

 直す時間はなさそうだった。

 

 風通しが良くなった会議室に、占星千里の号泣と大元帥の怒号が流れた。

 

「う……うええええん!」

「き、貴様ぁ! 何を勝手な真似をしているのだ!」

「全員撤退、この隙に逃げるのだ!」

「漆黒聖典、国民全員を国外退避させろ!」

 

 命じられた漆黒聖典からは、冷ややかな反応が返ってくる。

 

「いや……なに言ってんですか?」

「占星千里がここまで動揺する軍隊相手に、何もできないでしょう」

「短い人生だったわ……」

「私のギガントバジリスクさえいれば、背中に何人か乗せられたのですが」

「漆黒の英雄に殺されちゃったんだよね?」

「黙れ、無礼は許さん」

「神官長様、第一席次で神人である隊長はどこへ?」

「早くしろっ!」

 

 騒然となった会議室のドアが前触れなく蹴破られ、口角を左右目一杯に広げた番外席次が入室する。

 番外席次の歪んだ笑顔に、数名は顔に塗られた血を幻視する。

 全力で蹴飛ばされた扉は、留め金が外れて口が開きっぱなしとなった。

 

 強引に役目を終えさせられたドアは、心なしか哀愁が漂っている。

 

「御待ちください、番外席次殿!」

 

 一晩かけて神に殉ずる覚悟を決めた第一席次も、番外席次を止めるべく入室する。

 彼は徒っぽい服ではなく、完全武装して臨戦態勢だった。

 魔導国と交戦のためなどではなく、ただ番外席次を止めるために。

 

「裏切り者が何の用だ!」

「ちょっと黙って。みんな、あれ見た?」

「い、いや、彼は神に弓引く背教者で――」

「だから、ちょっと黙ってろ。こんなのでもあんたらを守れる程度には強いよ?」

「う……」

 

 年配の神官長よりも遥かに年上の少女は、眉を逆ハの字にして偉そうに腕を組みながら睨み、誰も文句をつけられなくなった。

 

「たいちょおおおお! ごわがっだよぉぉぉお!」

 

 恐ろしい異形の軍勢を唯一目の当たりにした“占星千里”は、とんがり帽子を落とすほどに頭を振り乱し、20歳の少年に抱き着く。

 性格が変化(キャラ崩壊)した彼女を哀れに思い、優しく頭を撫でようとしたが、鼻を撫でる女性特有の香りに動揺する。

 

 女性に対する見方が変わっちまった彼は、今一つそれらしくなかった。

 

「グス……隊長?」

「だ、大丈夫。もう大丈夫だ」

 

 この中で、誰よりも自分が大丈夫ではない。

 優しく彼女を引き剥がし、責任者たちへ顔を向ける。

 

「皆さま、このままでは本当に攻め込まれてしまいます。会談の準備を急ぎましょう」

「貴様、まだそんなことを――」

「別にいいんじゃないの? 国家会談するっていうんだから出迎えてやれば?」

「何を仰るのだ! 人類の守り手である御身が、そんなことを言うべきではない!」

「神官長様、恐れながら申し上げます。魔導王も蛇も、こちらが敵対行動を取らなければ、安易な殺戮という手段を選ぶ愚か者ではございません。我らの貴き神々と、同じ世界から来た者なのです」

「き、貴様ぁ……この場で殺してくれようか」

「おいクソガキ! 駄々捏ねるなら、私は人類の守り手を降りるよ?」

「……」

「わかればよろしい」

 

 人を怒らす腕は蛇に似ているなと、少年は番外席次を眺めた。

 子ども扱いされた大元帥は顔を真っ赤にして自粛していたが、手はプルプルと震えていた。

 法国近郊に展開されている魑魅魍魎の軍勢と比較すれば、随分とまともで平穏な風景だった。

 

「異形の大多数が、私と隊長(コイツ)以外を皆殺しにできると思うの」

「私でも配下の将に勝てるかわかりません。種族も能力も力も不明です」

「馬鹿な……神々が積み上げられたこれまでの功績が……」

「異形種の餌食にされた英雄も浮かばれんわい……」

 

 機嫌が良くなった番外席次は、肩を落としてしょぼくれている老人の背中を叩く。

 

「ほら、さっさと支度してよ。私たちは隣室で待機するから安心して」

 

 軽く叩いたつもりだったが、肩を落とした彼はそのまま倒れ込んだ。

 立ち上がる気力が残っているのか怪しかった。

 

「情けないなあ……」

「神官長様、お気を確かに。漆黒聖典はこの場にて待機。交戦の際は、私たちが飛び込み時間を稼ぐ。神官長、大元帥、機関長を速やかに撤退させるんだ」

 

 隊長は手際よく会談の準備と部下へ指示を始めた。

 頭髪が左右で白黒に分かれた彼女は、戦鎌(ウォーサイズ)を片手でくるくると回しながらスキップして退室する。

 

「隊長、みんなで力を合わせれば――」

「彼らと戦おうなどと思うな。敵対行動を取った次の瞬間には首が飛ぶ。あれらは六大神や八欲王と同等の存在だ」

「隊長、神官長様が起きません!」

「誰か手を貸してやれ!」

「お化粧した方がいいですかぁ?」

「駄目だ、女性は素顔が一番だ!」

「だ、大元帥様、大丈夫ですか……?」

「糞が! 何をぼさっとしている! 奴らをここまで案内しろ!」

「えぁ……」

 

 両国の首脳会談まで、あと二時間しかない。

 

 

 

 

 スレイン法国近郊の草原で、美しく整列した異形の軍勢は、アインズに待機を命じられ、整列前ののどかな風景が展開されていた。

 

 退屈したヤトから欠伸が漏れる。

 

「ふあーぁ……」

「欠伸をするな。締まらないだろう」

「すんません、ヒマなもんで」

 

 使者に伝令させた時刻を待つヤトは上限まで気が緩み、開いた口からα波を放つ。

 カイレの蘇生を終えたペストーニャが、報告のために訪れた。

 手土産であるカイレに状況を説明しようかと思われたが、眼光を鋭く睨む彼女に対し、ヤトは背後に居並ぶ異形の軍勢に彼女を脅すよう命令を出す。

 

 守護者級の威圧で腰を抜かした彼女はペストーニャの手でどこかへ連行されていった。

 優しくカイレに肩を貸すペストーニャに、高齢化社会という言葉を浮かべる。

 

(高齢者社会への懸念が危ぶまれるな、うん。あー……暇だ……)

 

 口を開けて下らないことを考え始めたヤトと、察して睨むアインズへ、歪な声が届く。

 

「誰カァァ、口唇蟲ヲ探シテェェェ」

「ありゃぁ……」

「エントマ……か? どうしたというのだ」

 

 素顔を露わにしたエントマが、背中から生やした蜘蛛の脚で地を揺らしながら歩いてくる。

 エントマの素顔を初めてみた両者は、動揺して一瞬だけ固まった。

 

「興奮シ過ギテェ、口唇蟲ガ逃ゲダシチャッタノデスゥゥ」

「おーい、エントマの顔を探してくれー」

「締まらないなぁ……」

 

 軍団総出で逃げ出したエントマの顔を探したせいで隊列は乱れ、使者が戻ってからも緩んだ雰囲気は元に戻らなかった。

 一大イベントかと思われたスレイン法国攻略戦が、お祭り程度の余興に思えた。

 

 天を仰ぐ絶対の支配者へ、名案を授けに黒い翼の生えた心無い天使が舞い降りる。

 

「……ヤト、戦略を思いついたぞ」

「ほー?」

「この隙に打ち合わせをしよう」

 

 密かに打ち合わせを終えた彼らは指示を飛ばして隊列を整える。

 

 足並みを揃えた隊列が、スレイン法国近郊まで大地を揺らして進軍を開始した頃、到着予定時刻より早く神都へ着く。

 

 法国側の準備は難航を極めていた。

 

 

 

 

 赤みを増した日差しが照らすスレイン法国の正面。

 

 異形種の侵攻を阻む防壁がそびえる神都前で、進軍した彼らは凍結している。

 忠誠、隊列、敵意に一切の乱れはなく、全員が続く指示を待った。

 

 デミウルゴスの指示で、鞍を乗せられた魂食い(ソウルイーター)が運ばれてくる。

 

「アインズ様、ヤトノカミ様、騎乗用に調教したソウルイーターをご用意しております。どうぞお乗りください」

「うむ」

 

 魂食い(ソウルイーター)に跨ったアインズは、振り向いて彼らに指示を出す。

 

「デミウルゴス、コキュートス、マーレ、アルベド、付き従え」

「畏まりました」

「特にアルベドとデミウルゴス、人間に対し悪感情がある両名は、此度の会談でよく学ぶといい。人間にも利用価値は十分にある」

「我らへの配慮、ありがたく存じます」

 

 アルベドの返事を受け、アインズはシャルティアと恐怖公へ顔を向ける。

 

「恐怖公、我らの最後尾を付き従え」

 

 名を呼ばれた彼は一歩前に進み、頭部の王冠を軽く持ち上げ、器用にお辞儀をしていた。

 

「アインズ様、シルバーゴーレム・コックローチの召喚を御許可ください。我輩はこの大きさ故、歩幅が小さく足手まといになってしまいますので」

 

 アルベドが歪みかけた顔を堪えるため、明後日の方角を向く。

 意外にもマーレは平然としていた。

 

「…………そんなのいたか?」

「るし★ふぁー様がお作りになってくださったのです。スターシルバーを溶かして作ったコーティング剤で覆われ、強さは70レベルでございますな」

「…………あぁのぉやぁろぉう。アレを使い込みやがったのかぁ」

「ちょ、ちょっと、アインズさん、落ち着いて」

 

 かつての仲間へ対する単純な腹立たしさで、絶望のオーラがレベルⅤまで解放され、一部の配下はその場で倒れそうに揺らぐ。

 

 慌ててヤトに止められたアインズは、咳払いをして仕切り直した。

 

「恐怖公、好きにして構わん。他の眷属は召喚するな」

「ありがたき幸せでございます」

 

 恐怖公は急ぎ足で列に戻った。

 ひょこひょこと可愛気のある動きだったが、女性陣は目を背けていた。

 

(恐怖公のマスコットでも作ってみるかな。政策で提案してみよう)

 

 一度緩んだヤトの心は、なかなか引き締まらなかった。

 

「パンドラズ・アクター。ここで待機し、有事の際は全軍の指揮を執れ。シャルティアとアウラ、セバスは彼の指示に従い、配下の軍勢を率いて侵略しろ」

「おぉ……アインズ様。このパンドラズ・アクター、御手によって創造された息子として、御帰還をお待ち申し上げております」

「畏まりました」

『……はい』

 

 連れて行ってもらえないシャルティアとアウラは不満そうだったが、隣の友人も置いてけぼりを食らったのをみて不満を堪えた。

 

「ペストーニャ、カイレを連れてこい」

「はい、こちらに」

 

 肩を担がれたカイレは刃向かう気力を失っている。

 皺だらけで十分な老齢を想像させるに至る彼女の容姿は、僅かな時間でいつもより余計に老け込んでいた。

 

「行くぞ。神託を受けた国家とやらの臓腑を食らい尽くせ」

「アインズさん、案内人がいますよ」

「あ?」

 

 改めて場の雰囲気を引き締めようと思ったが、ヤトの弛緩した声に思惑は外れる。

 出鼻をくじかれたアインズは眉をひそめ、神都へ顔を向けると厳めしい鋼鉄の門が開いた。

 

「恐らく案内役の漆黒聖典だろう。ヤト、打ち合わせ通りに頼む。カイレも先に引き渡せ」

「隊長じゃないみたいッスね。案内役はあいつかと思ったのに」

「あちらの準備で忙しいのだろう」

「じゃ、悪になりきりますよ」

「私が止めないときはそのまま突き進め。止めた場合はすぐに抑えろよ?」

「わかってますって、魔王様」

「やり過ぎろよ」

「普通、やり過ぎるなよ、ですよ」

 

 相手をせせら笑うヤトは両手の手綱を揺らし、馬の骨を進めた。

 

 

 視点は変わって案内役の漆黒聖典第十二席次。

 視界に入る異形の軍勢、その幹部級である彼らに武者震いをし、辞世の句を読むか迷っていた。

 第十一席次“占星千里”の情報によれば、彼ら一人一人が隊長と同格、あるいはそれ以上の武力を単体で有すると聞く。

 

 大神殿会議室にて、激昂する元帥にうっかり近寄ってしまい、命じられた案内役を断ることもできなかった。

 今となれば彼を殺して逃げ出す採択こそが、最も生存確率の高い選択肢に思える。

 唯一の救いは、先頭を歩く者が南方出身の特徴を持った人間である点だ。

 

 他の異形に言葉が通じるのか怪しかった。

 

(六大神も同じ特徴だったな……はぁ。俺、殺されないよな? 家庭が――)

 

「そこのお前!」

「は、はい!」

 

 おぞましいアンデッド、魂食い(ソウルイーター)に騎乗した黒髪黒目の男は、気が付けばこちらを攻撃できる距離に佇んでいる。

 彼は覚悟を決めたが、半ば自暴自棄だった。

 

「案内役を命じられたもにゅ……者です」

 

(噛んだ……俺、死んだかも)

 

「婆さん、さっさとあっちへ行け」

「あ、か、カイレ様! なぜそこに!?」

「殺した婆さんを蘇生したから引き取れ。俺たちには用がない」

 

 背中を軽く押されたカイレは、肩を落としてゆらゆらと歩み寄る。

 倒れそうな体を支えられ、息も絶え絶えに謝罪を述べた。

 

「……すまぬ、なんと無様な失態じゃ」

「カイレ様、よくぞ御無――」

「御無事じゃねえよ」

 

 悪として振る舞うヤトの威圧は始まっていた。

 

「俺に胸を切り裂かれて心臓を抉られ、お情けで蘇生されたんだからな。それで? お前が案内人か?」

「……案内役を命じられた漆黒聖典、第十二席次でございます。大神殿までご案内いたします」

「あ、そ」

「その……できれば歩いていただけないでしょうか。我が国にはアンデッドに対する風評が――」

「アンデッドである魔導王を神と崇める俺たちに、その言い草は何だ」

 

(ああ、だめだ。やっぱり俺、ここで死ぬ……)

 

 ヤトの体から絶望のオーラが噴き上がり、彼は現世へ別れを告げた。

 いつの間にか背後に詰めていたオールバックの悪魔らしきものと、その隣に佇む長柄斧(バルディッシュ)を持った美しい何かが不快に顔を歪めた。

 

 心臓は風前の灯火だった。

 

「人間が至高の御方々に歩けと申されるのですか。無知とはいえ少々不愉快ですね」

「下等生物であるあなたたちが、貴い御方々に指示が出せると思って?」

「殺し方だが、細切れ、縦に両断、横に両断くらいは選ばせてやる」

 

 演技とはいえ刀に手をかけたヤト。

 

 彼の殺意が本物だと絶望のオーラが証明しており、デミウルゴスとアルベドは便乗して突き刺さる殺意を向けた。

 自分より遥か高みにいる三名の殺気を受けても、体は一枚岩のように動かなかった。

 見ようによっては真っ向から立ち向かっているように見える。

 

 当の本人は辞世の句を詠んでいた。

 

「騒々しい、静かにせよ。第十二席次、大神殿まで案内を頼む。我らは馬を降りることはない。代替案として馬車の手配があれば話は別だが、どうやらそちらの準備は順調ではないとお見受けする」

 

 威厳に満ちたアインズの振る舞いで、硬直した体はようやく動き出す。

 

「も、申し訳ございません、何分、急な事態だったもので……」

「ならばこのまま行軍する。心配せずとも、彼らはただの馬だ」

「は……はい」

「良かったな。この場でひき肉にならずに済んで」

 

 ヤトは刀から手を離した。

 

「悪いな、恐怖公。部下にオヤツをあげられなかった」

「お気になさらず、ヤトノカミ様。我慢するのには慣れております」

 

 どこから声がしたのかと下の方へ視線を移す。

 黒光りする彼の姿は自宅で見覚えがあり、全身が総毛立つ。

 それだけでも悍ましい悪夢だったが、彼が騎乗している銀色のゴキブリがこちらを物色している気がした。

 

「コレガ、漆黒聖典……カ?」

「あの、あまり強くなさそうです」

 

 駄目押しで青銅の蟲人と闇妖精(ダークエルフ)の少女に値踏みされ、まな板の上で裁かれるのを待つ魚の心境が理解できた。

 

「漆黒聖典第十二席次、我が前を行くことを許可する」

「光栄です……」

 

 案内役として使い走りさせられた彼は、アインズの風格にすっかり吞まれ、口からは自然に感謝の言葉が出る。

 

「さっさと歩け!」

「はい!」

 

 絶望のオーラに尻を噛みつかれ、急ぎ足で案内役は神都へ入っていく。

 一行も神都へと歩を進めた。

 

 

 活気あふれる魔導国や帝国とは違い、神都の中は静まり返っていた。

 時折、立ち並ぶ家屋の窓が隙間程度だが開かれ、中からこちらを覗く気配を感じる。

 人々の往来は見えず、声も聞こえなかった。

 

 静寂の中、異形の集団は順調に大神殿へ歩を進める。

 唯一聞こえる声は、異形の彼らが談笑する声だけだった。

 

「デミウルゴス、よく見ておきましょう。この奇妙な人選を用いて、アインズ様が敵対国を属国化する手腕を」

「不敬ながら心が躍りますね。私であればこの人選は致しません。アインズ様の深淵たる心の内、まるで理解ができません」

「不満?」

「まさか! その深淵なるお考えを想像しただけで、柄にもなく興奮をしています。敵対者を守護者総出で排除すべきかと思いますが、アインズ様の思い描く未来の邪魔なのでございましょう。この後、御方々がどうするのか、想像するだけで――」

 

「コウシテ共ニ外ヲ歩ク日ガ来ルトハナ」

「我輩も外に出るのは久しぶり……いえ、もしかすると初めてかもしれません。下界もよきものですな」

「友ヨ、魔導国ノ王宮デ衛兵ニ稽古ヲツケテハドウダロウカ」

「それは素晴らしい。是非とも、御同伴願いたいものです。溢れた配下の間引きに――」

 

 マーレは会話に混ぜてもらえる相手がおらず、アインズの背後にぴったりと寄り添っていた。

 

「しっかし、静かだなぁ……家の中に人はいるのに。神都ってのは陰気臭い場所なのかな」

「異形の我らが珍しいのだ。第十二席次よ、大神殿までどのくらいかかるのだ」

「はい……神都の中心なので、今しばらく掛かるかと」

「急ごう。無駄に時間を使ってしまったので、夕方までそう時間が――」

 

 順調に歩を進める彼らは孤児院の前を通りかかる。

 彼らの動きを止めたのは、平らに整備された地面に丸くなった子供だった。

 

「も、申し訳ございません。すぐに――」

「雑魚は許可なく喋るな」

 

 アインズとヤトは第十二席次とカイレを両側から追い越し、地面に寝そべる彼に近寄る。

 

 蹄の音だけがコツコツと響く。

 

 幼児は靴を脱ぎ捨て、母親の胎内にいるように丸くなって眠っていた。

 状況が分からず首を傾げるヤトは、一足先に把握したアインズの指示で少し離れて眺める。

 

「……ああ、そういうことか」

 

 幼子は地面に描かれたそれに抱かれるように寝ている。

 チョークで簡素で描かれたそれは、両手を広げた女性だった。

 女性の腹部あたりから動こうとしないのを見る限り、恐らくは彼の母親だろう。

 

 母親に甘える夢を見る幼子の目尻から流れた涙が、顔の下にある整備された道路の色を変えていた。

 

「申し訳ありません、避けていただけないでしょうか。異形種に親を殺された子は、各々が独自の手段で親を懐かしんでいるのです」

「避ける必要はない」

 

 丸くなって指をしゃぶる幼子へ、アインズは静かに近寄っていく。

 そっと頭を撫でられ、少年の瞳が開いた。

 

「お、お待ちください! どうか命だけは――」

「黙ってろ。余計な真似をすれば殺す」

 

 カイレは膝をついて両手を組み、幼子が惨殺されぬよう六大神へ祈りを捧げた。

 

「だあれ?」

「少年よ、母親に会いたいか?」

 

 返答はなく、首が縦に振られる。

 

「魔導国に来るといい。父親と母親を蘇生してやろう。その代わり真面目に働くと約束せよ」

「……はたらく?」

「悪いことをしないと約束し、真面目に勉強するのだ」

「……おかあさんは?」

 

 過去を思い出した彼の瞳に、涙が今にもこぼれんばかりに溜まっていた。

 

「同じように親を亡くした子供たちを集めなさい。みんなの親は魔導国で待っている」

「ほんとうに!? おかあさんにあえるの!?」

「ああ、本当だとも。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王だ。必ずや親を生き返らせ、皆に会わせると約束しよう」

「うん!」

 

 人間のアインズが差し出した手を、起き上がった少年は小さな手で掴んだ。

 

「孤児院に親の居ない子供を全員集めなさい。親のいる場所へ連れて行ってあげよう」

「わかったぁ!」

 

 小さな少年はどこかに走り去った。

 涙を失ったが、笑顔を取り戻したようだ。

 

 魔導国の風評を上げる手段に出会い、小さな背中を見送るアインズの機嫌はすこぶるよかった。

 

「よい手土産ができたな」

「お優しいですねえ。さっさと転移させちゃえばよかったのに」

「いや、人手は多いに越したことはない。まだまだ人材は足りないからな」

「魔導王殿! ありがとうございました。しかし、そのように勝手な――」

 

 瞬時に溢れ出したヤトの黒い殺気に、貝の如き沈黙へ路線変更した。

 有無を言わせぬ彼らの所業に、番外席次の歪んだ笑みが思い浮かぶ。

 

 蛇と番外席次は似ているかもしれないと、カイレと第十二席次は閃く。

 

「案ずるな。彼らは魔導国で幸せにしよう。そちらも孤児への食料が浮く。相互利益があると思うのだが、何か問題があるのか?」

「……いえ」

「先を急ごう。第十二席次、案内を再開せよ」

「……はぁ」

「さっさと歩け!」

 

 今度は物理的に尻を蹴り上げられ、痛みを堪える第十二席次は頑張って案内を続けた。

 帰宅して自らの臀部を確認したところ、蛇に蹴られた箇所に大きな青痣が置き土産として残されていた。

 

 ささやかな余興を挟み、夕陽に照らされた厳めしい大神殿へと到着する。

 

 大神殿の正面入り口では、年配の老人が漆黒聖典を引き連れて出迎えてくれた。

 

「第十二席次、ご苦労であった。カイレ様もよくぞ御無事で」

「誰だ、こいつ」

「私は大元帥、軍部の責任者で――」

「頭の悪そうな爺さんだな。こいつも宗教家だろ」

「な――」

「背後にいるそいつらが漆黒聖典だな。これが人類最強の部隊か?」

「そのようだな、ヤト。彼らに対して個別に付けている、監視の情報通りだ」

「っ――」

「今ここで戦闘になったら、十秒で皆殺しにできるぞ。俺一人でな」

「ヤト、その辺にしておけ。彼らもか弱き人間なりに頑張っているのだ」

「失礼、あまりの弱さについ。お前ら隊長はどうした?」

「番外席次もいないようだな。体調不良か?」

「……」

「爺さんどうした? 震えているが、老衰か?」

 

 威厳ある態度の大元帥は、矢継ぎ早に投げかけられた大量の情報を処理しきれずにいた。

 彼らの情報は、築数百年が経過したあばら家並みに駄々漏れ(ザル)であった。

 

 漆黒聖典に付けた個別の監視、蛇と魔導王は人間、蛇単体で漆黒聖典を造作もなく殺せる、背後にいる異形の護衛、番外席次の存在を知っているなど、機密事項を知ったところで今さら対策を練る時間はない。

 

 もっとも、精神面(メンタル)が弱い者と女性隊員は、恐怖公を見て脳髄が機能停止している。

 少しでも漆黒の蟲人から離れるべく、大神殿会議室への道を急いだ。

 

 付いてこいとも言われず、どうしたものかと二人で悩む。

 

「なんだ、不愛想だな……なんスかね、あの女。JK?」

「……私も同じ感想を抱いた」

「ついていけばいいのかな」

「脅し過ぎたかもな、取りあえずついていくとしよう」

 

 背後のデミウルゴスが、立っているだけで人間に恐怖を与える漆黒の蟲人の、最も輝ける事例を前に嬉しそうに頷いていた。

 

 時刻は日没までそう時間がなく、早めに上がった半月が見えた。

 

 

 魔導国改め、ナザリック側の者が最奥の会議室へ通されると、既に責任者たちが彼らの到着を待っていた。

 

 お茶は出てこなかった。

 

 相手から首脳会談開始の挨拶を待ったが、一向に彼らの口は開こうとしない。

 全員の視線が、アンデッドであるはずの人間、アインズへ注がれる。

 

(これが……神、か……)

 

 漆黒聖典の信心深い者は、骸骨の姿であればその場で忠誠を誓っていたかもしれない。

 

 このまま跪きたい衝動を抑える者、ずっと眺めていたい衝動を抑える者、何から話せばよいのか頭を悩ませる者と、それぞれの思惑こそ違えど、皆はアインズを見ている。

 

 自分たちが神話の一幕の登場人物なのだと勝手に悟った。

 大きな勘違いであり、魔導国と法国の対談など取るに足らない些事だと、誰も予測しなかった。

 

 余興のつもりでいたアインズとヤトでさえ、これから起こる偶発的な事象こそが、全てを巻き込む神話の一幕なのだと知らずにいる。

 

 

 半月は静かにその光を湛え、大神殿を控えめに照らしていた。

 

 

 

 





じかいよこくー

 遂に実現した法国と魔導国の邂逅にて、二柱の支配者は宗教国家へ二者択一を迫る。
 闘争狂の女(killer queen)は、激烈な闘争本能に身を委ね、二色相反する二柱の神へ戦いを挑んだ。
 人類の生き残り(サヴァイヴァル)を賭けた戦いが、大神殿の上空、半月の下で開戦の狼煙を上げる。
 太陽の象徴アインズ、夜の象徴ヤトノカミ、二柱の闘神は歪んだ半月へ咆哮する。


 次回、「killer queen」

「そっちが勝ったら、私の初めて(ヴァージン)あげるよ」




 なーんちゃって、うっそーん
 ヒロインはあたしだよー






 次回予告!

 ブレインはクレマンティーヌに抱いた感情から目を背け、妖精(エルフ)国に進軍する。
 運命というマクスウェルの悪魔(トリックスター)に導かれ、一行(パーティ)は最も高い屋敷を目指した。
 自己愛(エゴイズム)を拗らせた愚者は、()を食らおうと底の見えない口を開いて待つ。
 後の歴史に深い傷跡を残すことになる「怒りの日(Dies irae)」は、目前まで迫っていた。


 次回、「killer queen」


「大好きだよ、ブレイン」


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