モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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W killer queen

 

 

 ブレイン一行は鬱蒼と茂る森林を進んでいた。

 

 スレイン法国の動きは魔導国との会談によって停止しており、エルフが住む国を囲む深い森林に人影はない。

 森林内に住む魔物は出現せず、静かなだけの森を簡単に進んでいく。

 

「ねぇん、ブレイン、いいでしょー?」

「……何がだ」

「ちょっとお花を摘みに行かない?」

「行かねえよ……そろそろ離れてくれ」

「やだよー。ブレイン、大好きだよ」

「はぁ……二人とも、静かにしてくれ」

 

 クレマンティーヌがブレインにしがみ付いて離れないため、歩く速度は遅かった。

 そろそろ森が開けるかと思われた頃、上方から声が聞こえる。

 

「止まりなさい!」

 

 念のため武器を構えて上を向くと、偵察役のエルフが殺気立ってこちらを見ていた。

 耳の尖った美しい女性だった。

 

 どうやらスレイン法国の者と判断されたようで、彼女の敵意に染まる瞳と弓矢の照準は、正確にこちらへ向けられていた。

 ガゼフは彼女の誤解を解こうと、両手を広げて歩み寄る。

 

「法国の者ですね」

「我々はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者だ。法国と交戦中の貴国へ、国家同盟の要請に来た」

「魔導国?」

「リ・エスティーゼ王国は魔導国と名前を変えている。中立の立場として、魔導国に対する対応をお伺いしたい。国王陛下に面通しをさせていただけないだろうか」

「法国の者ではないのですね?」

「私は魔導国の戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。此度の訪問は話し合いが目的だ。降りて我々を貴国に案内してはくれまいか」

 

 まだ懐疑的な眼差しは解けていないが、彼女は弓矢を下ろした。

 道案内が頼めると踏んだ一行は、大きく空振りする。

 

 しなやかな動作で木を降りた彼女に、クレマンティーヌは駆け出していく。

 武器の試し切りとばかりに、短剣(スティレット)で心臓を貫いた。

 

「がはっ……だ、騙しうちとは……卑怯な……」

「エルフ風情が人間様を舐めないでくれるかなー……うふふ」

 

 皆が唖然として口を開くなか、返り血を舌で舐めた彼女は、嬉しそうに嗤った。

 スレイン法国出身者であり、漆黒聖典にも在籍していた彼女が、人外であるエルフを殺さない理由はどこにも見当たらなかった。

 

「んー……腕は鈍ってないかも」

「おい! お前何してくれるんだ!」

「その通りだ! こちらから敵対行動を取ってどうする!」

「そんな、エルフの一匹くらいなんてことないでしょ」

「殺したから怒ってるんじゃない!」

「時と場合を弁えろ!」

「えぇー……裏切るかもしれないじゃーん」

「裏切られてからやれ!」

「いやいやいや、私は殺しが好きなんだよー。それに、相手はエルフだよー? 何匹死んだって別にいいでしょ」

 

 なぜ怒られているのか理解できず、困った顔でブレインだけを見ていた。

 真っすぐとこちらを見てくる視線に負け、ブレインは目を逸らした。

 

 ブレインとガゼフのステレオで流れる説教と、殺害したエルフが放つ血の匂い。

 非常事態の一報は森中へ拡散し、周囲のエルフが集まりだす。

 

 気配を察したティラは眉をひそめ、ガゼフへ対応を迫った。

 

「ガゼフのおじさん。このままだとすぐに包囲される」

「仕方がない……本意ではないが、殺しは最低限に抑え、話を聞いてもらおう」

「はぁ、めんどくせえなぁ。結局、戦うのかよ」

「じゃあ、どっちがたくさん殺せるか競争だよ!」

「おい!」

「駄目だこりゃ、何にもわかってねえ……」

 

 クレマンティーヌは誰の返答も待っておらず、言うと同時に駆け出した。

 先ほどの説教は殺戮主義である彼女の宗教(モットー)に、何の効果も与えなかった。

 

 エルフの兵隊はゲリラ戦が得意とはいえ、前情報もなく森に出現した彼らへの包囲は順調ではない。

 突撃したクレマンティーヌは、心の準備ができていない彼らを面白いように殺戮していく。

 

 彼女は心の底から殺戮を楽しみ、歪んだ性格は記憶改変では治らなかったようだ。

 行き掛けの駄賃と認定された哀れなエルフは、女子供ばかりが目立つ。

 

「ガゼフのおじさん、あの馬鹿、どうする?」

「止めろ! 全員でクレマンティーヌを止めるんだ!」

「すまん……」

「早くしましょう、これでは敵対国家と見なされてしまいます」

「あのメスは強いぜ! 気合い入れろや!」

 

 ブレインは感情に身を委ね、ただ思ったことを呟く。

 

「メンドクセェ」

 

 クレマンティーヌが皆に取り押さえられたのは、半数近くのエルフが地に伏してからだった。

 圧倒的な殺意と武力を目の当たりにしたエルフに、戦意は残っていない。

 事態を国王へ報告するあいだ、彼らは監視付きで宿屋に放り込まれた。

 

 その様子を《遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)》で見ていたレイナースは、隣の義姉に問う。

 

「ラキュース、報告した方がいいだろうか」

「……知らない。こっちで忙しいもん」

「ラキュース、そんなに拗ねないで」

「音が聞こえないだけで、こんなにもつまらなくなるのね……」

「少し休憩しよう、まだ会談は始まらないだろうから」

「……うん」

 

 二人はエイトエッジ・アサシンに監視を託し、早めの夕食を取ろうと席を外した。

 

 

 

 

 ナザリック勢がスレイン法国の大神殿に到着する少し前、都市内で最も高い屋敷では、跪く一人の女性エルフが、テラスで酒を飲んでいる国王へ報告をする。

 

「……なんだと? 侵入者?」

「は、はい。魔導国の使者と。並外れた強さを持っております」

「女か?」

「武装した女性が二名。男性が――」

「雑魚は必要ない。しかし……強い女か……全員取り押さえ、地下へ連れてこい」

「し、しかし、我々では難しいかと――」

 

 妖精(エルフ)王は手に持ったグラスを放り投げた。

 グラスは彼女の頭部に当たって砕け、琥珀色の液体が目に入った彼女は、沁みる両目を必死で堪える。

 目を擦ったりすれば、テラスから階下へ放り投げられかねなかった。

 

「貴様、誰に口答えをしている。無能な愚か者にはほとほと呆れ返る。私がやれと言ったらやればよい。弱者は弱者なりに命の一つくらい賭けてみろ」

「……し、しかし」

「案ずる必要はない。お前の代わりはいくらでもいる。死んでも次の女に子を産ませればよい」

「……畏まりました」

「目障りだ、とっとと失せろ!」

 

 出ていく彼女に聞こえようと構わず、憎まれ口を叩く。

 

「弱者だから無理とは情けないものよ。愚か者には強者を生むことすら叶わんというわけか」

 

 己が持つ力の半分にも到達できない(ゴミ)の山にも、そろそろ辟易していた。

 母親とする対象を人間に変え、結果的に強者が産まれるのであれば、女王(クイーン)に据えて生産機械的に何人も孕ませるのも悪い案ではなかった。

 

 人間を相手にして上手くいった場合は、対象を変えるべきかと頭の片隅に置く。

 

「法国の女を根こそぎ攫う手段も考慮にいれるべきか。ついでに魔導国とやらの情報も頂こう。どっちに強い女が多いのかわかれば、私が出向くのも悪くない」

 

 法国で生まれたという噂の、自身の子を思い浮かべる。

 歪んだ妄想に、湾曲した笑みが口に張り付いていた。

 

 

 彼は知らないが、子は父親似だった。

 

 

 

 

「よく聞け、ヤト。番外席次はお前より強いかもしれん」

「過大評価しすぎでしょ……所詮はレベルを100に上げただけの奴ですよ。俺だってPKは一通り経験してるのに」

「武技の使用が可能だった場合、彼女のレベルは120相当となる。問題はそのタレントだ。仮に超位魔法級の何かで、連射が可能であれば、お前では分が悪い」

「……まぁ、それも確かに。サシでヤりたかったんですが」

「法国の上層部を掌握し、自由意志の彼女とやれ。この世界にはまだまだ理解できないことが多い。武技、タレント以外に何かがあるかもしれん」

「石橋も叩きすぎると壊れますよ」

「このアイテムを渡す。いくつか手に持ちながら戦え。使うタイミングは私が指示する」

「500円ガチャの外れアイテムじゃないスか……」

 

 静かな回想から戻ると、まだ誰も会談の開始を告げていなかった。

 

 噂に聞く魔導王の存在感、背後の異形種、白と黒で分かれる二柱の(プレイヤー)、所持している装備も一級品などという言葉で収まるものではない。

 

 神と呼ぶに相応しかった。

 放っておけばいつまでも黙っていただろう。

 

 長すぎる沈黙に業を煮やしたヤトは、素直に喧嘩を売り始める。

 

「鬱陶しいなぁ。いつまで黙ってんだよ」

 

 アインズに心を奪われていた全員が体を跳ね上げた。

 

「それとももう服従する気になったのか?」

「い、いや」

「スパイを送り込んだことは別に怒ってないけどな、お前ら理解できたのか? どうせアンデッドが治めるくせに平和な国家という情報が理解できず、戦争の準備でもしてたんじゃねえの?」

 

 あながち間違いではなかった。

 老人方は魔導国から帰還した隊長の服装と酷似した蛇、黒髪黒目の男に何の反論もできずにいる。

 反論しようにも、彼らは隊長を裏切り者と断定し、まともに取り合わずに追い出したなど、敵意に溢れたヤトと背後で佇む異形種を前に、口が裂けても言えなかった。

 

「だいたい、お前らが堂々と来ればよかっただろ。それとも異形種相手にそんな気もないってことか? 宣戦布告するなら受けて立つぞ。プレイヤー二人がいる魔導国と大戦争でも始めるか?」

「ヤト、その辺にしておけ」

「いいとこだったのに……」

 

 両者の力関係が明らかとなる。

 

 アインズの声に、偉そうな蛇の化身は実に素直だった。

 隊長が手も足も出なかった彼が従う魔導王、その武力が一切測れぬ彼らの対応は、更なる遅延を呼ぶ。

 

 ヤトは再び訪れた沈黙に苛立つ。

 

「噂の隊長はどうした。漆黒聖典の頭数も少ないぞ、番外入れて十三名じゃないのか」

「番外席次と会うのを楽しみにしていたのだがな」

「……魔導王殿、なぜ彼女の存在を知っているのだ」

 

 アインズは漆黒聖典の全員に監視をつけている件、その監視の中で得た彼女の存在、酔い潰した隊長から情報を頂いた経緯を、簡略化して説明した。

 説明を聞き終えた彼らは如何に出遅れていたのかを把握し、手回しのよいアインズに怖れを抱く。

 

 何も採れる手段が存在しないと理解したが、二人からすれば遅すぎた。

 

「人類を守護するためにここまで武力を高め、血の滲む努力をしてきたこれまでの歴史は称賛に値する。今までご苦労であった、これからは魔導国の属国として領内を平和に保つべく、我らに貢献せよ」

「……」

 

 まるで属国となるのが決まったような言い回しだったが、誰からも反応と反論が出てこない。

 

「お前ら、プレイヤーを舐めんなよ。十秒もあれば全員皆殺しにできるし、魔導王は魔法一撃で国を滅ぼせる。わかったら隣にいる隊長と番外席次を入室させろよ」

「ほう、隣室にいるのか。そちらの護衛は多い方がいい、彼らを呼びたまえ」

「な、なぜそれを」

「だから舐めるなって言ってんだろうが、馬鹿ども。どうせ六大神や八欲王みたいな奴らが、どこにでもいる人間だったなんて知らないんだろ」

「我々も何の因果かわからんが、人間を辞めてこの世界にいるだけのこと。君らの崇める六大神と我々に何の違いもない。あるとすれば、我々の方が強いという点だ」

「人間辞めた俺らが言うのもアレだけど、お前らそんなレベルで人類の守護者とか言うなよ。全員がゴミじゃねえか、とっとと番外席次を呼べ!」

 

 ここまで見下ろされ、こき下ろされ、侮辱されたのは生まれてこのかた初めてだった。

 黙って聞いていた老人方は怒りで手を震わせる。

 

「爺さん、年取り過ぎて手が震えるのか?」

 

 堪忍袋の緒が切れたようだ。

 

「……めるな」

「はあ?」

「舐めるなと言ったな……それはこちらの台詞だ。六大神を貶める真似は避けていただきたい! 御方々は我ら人類のために――」

「アインズさん、ぶっ殺してもいいですか?」

「駄目だ、静まりたまえ」

 

 ヤトの声色は呑気なものであったが、殺意はこれまでのどれよりも本物だった。

 実際に血を流す想定はしていないアインズは、多少だが焦る。

 

「我々は真実のみを語っている。それは先に保証しよう。そちらが理解できなければその程度の見識しかないのだろう。敵対行動を見過ごすほど、私は慈悲深くないぞ」

「……い、いや、申し訳ない」

 

 水の神官長が非礼を詫びたが、一部の異形種に対する嫌悪は逸脱しており、暴走を始める者がいた。

 

「貴様ら異形種に! 異形種風情に人間を、お優しき六柱の神々を語られてたまるかっ!」

 

「この国には目の前で親を食い殺された子、子を食い殺された親がいるのだ! 結婚して間もなく腹の嬰児を取り出され、戦利品として宴の出し物にされた者までいる」

 

「親の墓前から動けない子供の苦痛がわかるか。親が起き上がってくるのを健気に待つ子の悲しみが。息を潜めて親が連れ去られるのを堪える子の苦痛が。異形種に食い殺された親が、迎えに来ると信じてその場を動こうとしない子共の悲しみが。蘇生してやりたくても、肉体が蘇生の負荷に耐え切れない者ばかりだ」

 

「親の愛情を受ける前に殺された子の、子へ愛情を注ぐ前に殺された親の無念など、異形種の諸君にわかるまい……国民は異形種を憎悪しながらも彼らの侵攻に怯え、それでも日々の糧を必死で得ている。六大神が人類を守ろうと尽力した血と汗の結晶が、このスレイン法国だ」

 

「人間が貴き種族とは言わんが、か弱き種族だ。守護無くして生きられる存在ではない」

 

「孤児院には地面に母親の絵を描き、抱かれるように這いつくばる子もいる。親の忘れ形見を抱きしめ、夜になってから周りに心配を掛けまいと嗚咽を漏らす子もいる。幼い子は親の死さえ理解できず、夜になってから寂しさのあまり父と母を探して泣いている」

 

「あー……待て待て、その孤児だけどな、こっちで親を蘇生して魔導国で引き取るから。こっちは何のペナルティなしで蘇生できる手段がある」

 

 ヤトは魂を込めた彼らの叫びを右から左へ受け流していた。

 恐らく何も覚えていないだろう。

 

「はあ?」

 

 間の抜けた声に勝機を見たアインズは、一気に畳みかけた。

 

「道中に孤児と出会ったのでな。我々であればどんな人間も容易に蘇生が可能だ。孤児院の経営も大変だろう。我々も領内を平定する人材を得る。相互利益があると判断し、こちらで勝手に動かさせて頂いたが、何か問題があるか?」

「……は、はぁ」

「我々は人間を一人たりとも殺してはいない。刃向かう者、攻撃を仕掛ける者には自衛のために死を与えた。そちらの陽光聖典がいい例だ」

「やはり……陽光聖典は殺されたのか」

「国内を平定する際、最も有効なのは人間だ。我々の加護の下、人間こそが魔導国を最も謳歌している種族と言える」

 

「すまぬ……魔導王殿は何を言っているのだ」

「私に聞くでない。誰もついてこれてはいまい」

 

 許可なく勝手に囁き合った神官長は、ヤトに睨まれていた。

 

「アルベド。我々が魔導国を統治して以来、生贄に殺したものは何名だ?」

「存在しません。処刑予定だった囚人や罪人、犯罪組織の者は計測しておりません。カルネAOGを統一前、アンデッドになるべく志願した者を含むのであれば二名です」

「我らが受け入れた人間の数は把握しているか?」

「申し訳ありません、把握しておりません。こちらは数が多すぎるのと、断続的に受け入れております。百名は軽く超えているかと思われます。スレイン法国に滅ぼされる予定だった村は数に入るのでしょうか?」

 

 アルベドはそれとなく察し、皮肉を混ぜるのも忘れなかった。

 

「諸君、我々は嘘偽りなど一切ない、純粋な真実を話している。そちらが知りえない情報は多々あると思われる。大人しく聞く耳を立てた方が相互利益になるはずだが?」

「ん、う、うむ?」

「私の話を個人的感情、あるいは宗教で無為にするのであれば、こちらにも考えがある。この場で敵対か、会談を続けるか選ぶといい」

「わかった……会談を続けよう。詳しく話を聞かせてほしい」

「わかりましただろうがぁ! 言い直せ!」

 

 ヤトから叩かれたテーブルは、あと一押しでへし折れるところまで損傷する。

 漆黒聖典の面々は隊長と番外席次の早い到着を願った。

 

「話を聞かないなら戦争の一択になるぞ。そっちの態度で大神殿が血に染まるからな」

「……………………わかっ……りました、魔導王陛下、ヤトノカミ殿」

「フン」

 

 ヤトは椅子にもたれ掛かって腕を組み、足をテーブルに乗せた。

 黒いブーツが載せられたテーブルは、キシキシと断末魔を上げる。

 

「その辺にしておけ、チンピラのように脅すな。みな、済まないが、彼は普段こそ善人なのだが、家族を守るために敵対者へは容赦がない。後でこちらからよく言っておく、諸君らが属国となれば彼も態度を改めよう」

「は、はぁ……はい、そうですか」

「言い忘れていたが、彼の妻は人間だ」

「は……はあ?」

「我々は元々人間だったが故、人間に対して悪感情を持たない。だが、発言には注意せよ。敵対行動と見做される言動は控えたまえ。害意ある者へ慈愛を持って接するつもりはないのは、私も同じことだ」

「……これまでの無礼をお許しいただきたい」

 

 軍事顧問の大元帥はまだ不満があるようだった。

 

「さて、会談を始める前に、隣室にいる第一席次と番外席次を入室させてはどうかね」

「……誰か、両名を入室させよ」

 

 隣の部屋にいた隊長と番外席次は、満を持して入室する。

 どちらも武装しており、戦闘は避けられないように見えた。

 

(大よそ計略通りか……あの槍は何だ?)

 

 アインズは漆黒聖典第一席次が持つ、武装に反してみすぼらしい槍に目が留まる。

 ヤトは机から足を下ろし、数日振りにあった成人の隊長へ声を掛ける。

 顔に違和感があったが、あまり興味はなかった。

 彼の興味はこの後に訪れる戦闘に向けられている。

 

「よう、元気か?」

「……お久しぶりです」

 

 魔導国の蛇という通り名から大蛇を想像していた番外席次は、特徴こそ酷似しているが、服装が白と黒で分かれている二人の人間に毒気を抜かれた。

 蛇だったら斬りかかる予定だったが、当ては完全に外れている。

 

「どちらが蛇なの?」

「蛇は俺だよ、おチビさん」

「ふーん……ぶっ殺すよ?」

 

 歪んだ笑みを浮かべる番外席次を見て、彼女の強さを知る者は震えあがった。

 一触即発という場にそぐわない気楽なヤトは、彼女の神経を逆撫でする。

 

「お前の仲間は弱すぎるぞ。レベルは100に上げりゃいいってもんじゃねえよ」

「黙って聞いてりゃいい気になって。私だって隊長(こいつ)より強いよ」

「プレイヤーの子孫だかなんだか知らねえが、ハーフエルフなんざ相手にならねえよ。上位の種族は幾らでもいるからな」

「試してみる? 前からあなたと戦いたかったんだけど」

「上等だ」

 

 以前に魔導国で隊長と交わしたときよりも、盛大な火花が散る。

 顔を歪めて番外席次を挑発する蛇と、それを受け流しつつ青筋を立てている彼女の様子は、法国側にすれば起爆装置の壊れた巨大な爆弾に火を吹きかけているようだ。

 

 彼女の口角が痙攣している。

 

 法国側が鳥肌を立てて怯える最中、アインズの深い溜め息でヤトが引いていく。

 

「初めまして漆黒聖典番外席次”絶死絶命”よ。私がアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。こちらが魔導国の蛇ヤトノカミだ」

「人間? アンデッドって聞いていたんだけど」

「この姿の方が接しやすいだろう。次に会った時はオーバーロード、つまりアンデッドに戻っている」

「そう」

「会談がどこまで進んだか説明が必要か?」

「別に、興味ない。あなたも強いの?」

「ああ、勿論だ。今は力を抑えているが、私はヤトノカミより強い」

「ふーん……」

 

 アインズは彼女の武装を、“絶死絶命”はアインズの強さを、互いに値踏みするように眺めた。

 やがて彼女の視線は背後にいるナザリックの部下へ移ったが、一番端で銀色のゴキブリに騎乗した彼を見て露骨に顔を歪めた。

 

「うげ……」

「番外席次様、その辺でお止めください」

 

 会談の邪魔をせぬよう、彼女と共に下がろうと思っていた隊長の思惑は外れ、会話の白羽の矢は彼の心臓へ突き立てられる。

 

「漆黒聖典の隊長、前へ出ろ」

「……はぃ」

 

 なぜ自分が命じられたのかわからず、なぜ自然に足が前に出たのかもわからなかった。

 当然、責任者たちの怒りが向けられる。

 

「き、貴様、やはり裏切っ――」

「魔導国の感想をこの場で申せ。発言は私が許可する。問題ないな?」

 

 明らかに問題だらけだった。

 

 魔導国の蛇と番外席次は、互いに刃を交えるために話し合いの終結を期待しており、両者の追い立てる眼差しに反論は地中深くへ潜っていった。

 

「……そ、率直にも、申し上げますと平和でございました。国民は何事もなく異形種を受け入れ、その……」

 

「何どもってんのよ。どうかしたの?」

「お前には言い辛いことがあるからな」

 

 成人の顔をした隊長は口を歪めたヤトを睨み、観念したように説明を始める。

 野次が隊長の頭を冷やした。

 

「失礼……生きる者に、祝福を与えてくれそうな国家でした。国民の晴れ晴れとした表情は、法国とは比べ物になりません。人類を守る国家という視点で見るのならば、法国と魔導国は比較にならないでしょう」

「どちらがより理想的だったか話すといい」

「……認めたくはありませんが、魔導国でございます」

「ご苦労。それからお前の持つ槍、傾城傾国と同様にワールドアイテムか?」

「い、いえ、その、これは――」

「ヤト、槍を奪え」

「はい、どうぞ」

 

 隊長に油断も隙も無かったが、気付けば手の中から消えていた。

 女学生同士が弁当のおかずを交換するかの気楽さで、奪われた槍はアインズへ手渡される。

 

「……え?」

 

 何が起きたかわからず、時間でも止められたのかと疑う。

 アインズであれば、それさえも可能であると思われた。

 

 例の如く、番外席次だけが絡みつく。

 

「今、どうやってやったの? 時間でも止めた?」

「素早く動いただけだ。見えなかったのか?」

「楽しみだな、あなたを殺す時が」

 

(こいつ、本当に強いのかなぁ……)

 

 買い被るアインズの思惑と、目の前にした彼女を、懐疑的な目で眺めるヤトの視線を、頭髪が白黒(オセロ)の彼女は挑戦を受けたと勘違いして微笑む。

 

 微笑みまでも歪んでいた。

 

「ふぅむ……聖者殺し(ロンギヌス)の槍に似ているのだが……レプリカか? 調べる時間はないな。隊長、これは預かっておく。代わりの武器は後ほど渡そう」

 

 相手の返事に意味はなく、特に聞く気もなかった。

 武器をアイテムボックスに仕舞い、さらに話を続けた。

 

「さて、諸君らを属国化するにあたり、お互いに最低限の条件を提示しよう」

 

 アインズの声だけが会議室に流れる。

 提示した条件は、彼らを知る者であれば納得のいくものであった。

 

 六大神の残したアイテムを全て頂戴し、模造品を返す。

 人類至上主義の撤廃後、国民は魔導国で異形種と共に暮らす。

 スレイン法国の持つ情報の搾取、周辺国家への外交、領地内の平定への協力など、これまで血を滲ませ、人柱まで立てながら築き上げた人類至上主義を瓦解させるに相応しかった。

 

 後ろのアルベドとデミウルゴスが、順調に進んでいるアインズの計略に惜しみない称賛を捧げ、体を震わせた。

 

「そ、そんなこと無理――」

「一つでもそちらが呑めない場合、戦争しか道はない。我々に従って人類が繁栄するか、我々と敵対して法国が滅びるかの二択だ。わかりやすいだろう?」

 

 相変わらず沈黙で返事が返ってきた。

 ヤトがアインズに援護射撃を打つ。

 

「こっちとしちゃあ、戦争の方がいいんだよ、面倒な奴らを皆殺しにできるから」

「私もその方がいいんだけどな」

「しっ! 今はお静かになさってください」

 

 仲良く茶々を入れる少年少女は無視された。

 

「俺たちアインズ・ウール・ゴウンはな、プレイヤー1500人相手に勝利した過去がある。プレイヤーを殺すために強くなった、イカれた廃人集団なんだよ」

「……ぇ?」

「そんなプレイヤー殺し専門の異形種プレイヤーに、武力で立ち向かっても無理だろ。素直に従えば自力で勝手に幸せになれるのに、自殺志願者か?」

 

 反論する心は根元でへし折られた。

 圧倒的武力を背景に迫られた属国化に、老人方の心は徐々にすり減っていく。

 漆黒聖典の隊員は、目立つ動きをせぬよう空気に貼り付いていた。

 

 残る手段は番外席次が彼ら二人を倒す道だけである。

 

「神殺し……」

 

 誰かが小さく呟く。

 唯一、反応を示したのは番外席次だった。

 

「先に言っておくけど、私は強いからね」

「法国はエルフの耳を切り落として人間と同じようにすると聞いたが、お前の耳も切り落とされたのか?」

「黙れよ……」

 

 彼女の反応は、出会ってから最も憤慨していた。

 

「気にしてるんだな……」

「本当にそっちが勝ったら、私の初めて(ヴァージン)あげるよ」

「いらねえよ、ガキ」

「はあ?」

 

 にべもない蛇の化身の一言で、純情な乙女の(ハート)はガラスを爪で引っ掻いた程度の傷を負う。

 心の修繕(リペア)を隠すように、彼女の攻撃性は増していく。

 

 隊長とアインズは心の底からため息を零した。

 

「男を上げた隊長にでもやれ」

「無理、弱いし」

「こっちからすりゃ、お前も弱い」

「だいたいさあ、人のこと子ども扱いしてるけど、何様? 何歳なわけ?」

「23歳だ」

 

(そうなの!?)

 

 大多数の者が若すぎる年齢に驚愕していた。

 この日、最も驚いたのはこの瞬間だったに違いない。

 

「私より遥かにガキじゃん!」

「あー……そうだったな。ロリババアだな? エルフは長命種だから」

「誰がババアだ、屑野郎」

「ババアはババアだろ。100歳超えてて若いつもりか。つーか、いい年して処女なのかよ、余程モテないんだな、おばあちゃん」

「いま死ね」

「かかってこい、婆さん」

 

 全員の鼓膜を軽い衝突音が貫く。

 戦闘が始まったのかと慌ててそちらに顔を向けた。

 

 座っているヤトと番外席次は、武器を構えている癖におでこをぶつけ合い、至近距離で睨み合って(メンチを切って)いた。

 

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの一員として相応しき悪漢(ピカロ)は、精密射撃で彼女の心を蜂の巣にし、誰もが戦闘を避けらないと思っていた。

 ここで彼女を止める者がいれば、その者から先に殺されるだろう。

 

 似た者同士という単語が、アインズと第一席次の脳裏を横切った。

 

 過程はどうあれ、挑発して戦闘し、自らの武力を先に見せつける策略は順調に進んでいた。

 

「やれやれ……話し合いは中断だな」

「魔導王陛下、それだけは御止めください。彼女は……彼女こそが人類最後の守護者で――」

「守護者は必要ない。私こそが神だ。人類は我々が守ってやろう」

「彼女が勝った場合、全軍がここに攻め入るのでしょう? 彼女が負けた場合、我らに希望はない。どちらにしても、法国は滅びてしまう」

「滅びるべきだ。六大神という古い人間に縋る宗教は、今日を持って砕かれる。生きとし生けるもの全て、平和に過ごせる世界が到来し、そこには新たな秩序が築かれる」

 

 弱り切った老人方は、縋りつく口調に変わる。

 法国の責任者としてではなく、彼女を知る一人の人間としての懇願だった。

 

「どうか、人類最後の守護者である彼女を、殺さないでほしい。未だ、母親の恨みも晴らしてやっていないのです」

「母親の恨み?」

「森の蛮族どもへ、恨みを晴らさせてやりたいのです。我ら年寄りの命であれば差し出します。彼女がこうなってしまったのは、先代神官長の教育方針が――」

「何か訳ありだな。詳しく聞きたいのだが、時間はないようだが……」

 

 金属同士がぶつかる音が響く。

 いつの間にか隣の二人は互いの武器を拮抗させていた。

 

「死ねぇぇぇ」

「婆さん、年取り過ぎて力がないぞ」

 

 平然としているヤトを相手に、青筋を浮きだたせた彼女は分が悪い。

 僅かだが圧されている。

 

「ヤト、外に出てからにしろ。ここで始めれば大神殿など吹き飛ぶぞ」

「アインズ様、我々も少なからずご助力を」

「必要ない。既に彼女の攻略は済んでいる」

「デミウルゴス、我々は彼らの相手をしましょう」

 

 アルベドが指さした先には、世界の終局(カタストロフィ)を迎えて絶望した老人たちが、肩を窄めている。

 

 どちらが勝っても人類に未来はないと悟ったのだ。

 その悟りに何の意味もなかった。

 

「行くぞ! 変身!」

「お? 蛇にもど…………はぁ?」

 

 ヤトはベルトのバックルを叩き、昆虫の全身鎧(フルアーマー)に変わる。

 

 赤い目が明滅した。

 

「何それ?」

 

 その場に居合わせた誰もが蛇に戻るのだろうと思っていたが、予想は派手に裏切られた。

 絶死絶命は露骨に盛り下がり、ジトっとした目でイナゴを睨む。

 

「ちょっと。蛇にならないの?」

「お前なんざ、これで十分」

「その鎧……叩き壊してやる。くそったれ」

「行くぞ、婆さん。正義はここにあり!」

 

 よくわからないことを叫び、昆虫は壁をぶち抜いて外へ出ていった。

 階下の屋根に壁の一部が落下し、玉ねぎ屋根の頭上を打ち抜く音が聞こえる。

 

「魔導王さん、あいつって馬鹿なの?」

「否定しないが……強さは本物だ」

 

(あの下手くそ……緊張感のあるロールプレイをしろ。やる気が緩んでいるではないか)

 

 アインズは努めて冷静な声で番外席次を誘った。

 

「番外席次よ、我らは強い。だからこそのハンデだ。我々は決して本気を出さない。拒むのなら力で示してみよ」

 

 アインズはぶち抜かれた壁から外へ出ていき、法国最強の彼女を闘争へ誘う。

 

 スレイン法国の長い夜が始まった。

 

「どいつもこいつも、何なの? ムカつくんだけど」

「番外席次様、どうか、御武運を」

「みんな手出ししないでよ。余計な事したら先に殺すからね」

「どうかご無事で」

 

 武器を没収された隊長に、今さら加勢の申し出などできない。

 ただ飛び降りる彼女を見送った。

 

 彼女が大神殿前の広場に飛び降りると、空中で長い刀を抜いたヤトと、黄金の杖を構えたアインズが見下ろしていた。

 

「気分悪いなぁ、見下ろさないでもらえる?」

「なら飛び上がってこい、それとも地を這うのがお好みか?」

「ばーか、いい的だよ」

 

 彼女は両腕を天に翳し、破壊の扉を開く。

 

 怪光線が両手から上空へ伸びていき、宙に浮く二人を打ち抜いた、と思われた。

 打ち抜いたのはアインズが召喚したデスナイトであり、彼らは平然と地に降りる。

 

「ふーん、そう簡単にはいかないか」

「ああ、その通りだ。それから、そこ危ないぞ」

「おっと」

 

 即座に反撃へと転じたヤトはすぐ背後に迫っていたが、大振りの太刀は躱された。

 

「流石に避けたか……」

 

 元よりその程度が躱せない相手と、これ以上の戦闘は続けられない。

 

 アインズの想定通り、前衛としての彼女はそれなりに強かった。

 事前情報が過大評価だったと知るのは、戦闘が終わるまで気付かない。

 

 彼女もまた即座に反撃に移り、戦鎌(ウォーサイズ)で斬りかかる。

 容易に受け流されていたが、それを予期していた彼女はまだ食い下がった。

 長い刀を顔面すれすれで避け、素早い動きで鎌を突き込む。

 

 どう見ても回避行動が間に合うタイミングではなかった。

 

「取った!」

「使え」

 

 番外席次の攻撃は直撃し、対象は膝から崩れていった。

 これが転機となり、情勢は事前戦略を十分に立てていたプレイヤー側に傾いていく。

 

 黒い巨躯のフランベルジュと大盾を持つ彼は、二度目の攻撃に耐え切れずに絶命し、無に還っていった。

 

「なに、これ」

 

 一瞬の隙を逃さず、素早さを強化した蛇の化身は、アインズの居た場所から全力で駆けてくる。

 

 攻撃は命中した。

 番外席次の背中は縦に切り裂かれ、服が裂けて体から血が流れる。

 

 痛ましい傷の外見に反し、損傷は少なかった。

 毒の効果も出ていなかった。

 

「……やべ、酒飲むの忘れてた」

「ヤト、変わろうか?」

「酒飲んで強化するんで、ちょっと相手してください」

「分かった。こちらの超位魔法は発動し終えたからな」

 

 ”絶死絶命”は気楽な二人の会話に、自身の闘争を侮辱されている気分になる。

 血液は頭に駆け上っていった。

 逃がすつもりはなかったが、既にヤトは間合い外へ逃げ出していた。

 

 レベル80台の天使を召喚する超位魔法、《天軍降臨(パンテオン)》は既に発動しており、獅子の頭を持つ天使が六体、アインズの周りを漂っている。

 

「さあ、いくぞ。天使たちよ、彼女を攻撃しろ」

 

 一斉に聖杖で飛びかかる天使に、番外席次は大いに苦戦していた。

 戦いの支援にアインズが攻撃魔法を唱え、それを躱したところで天使の攻撃は避けられず、徐々にHPが削れていく。

 冷静さを欠いた彼女の命が徐々に削られていく様に、上から眺めていた法国側の人間は、どこかで信仰が崩れていく音を聞いた。

 

 酔いの効果が長く続くよう、強度の高い酒をあおったヤトが、緊張感のないアインズに近寄る。

 

「喉が痛い……」

「流石に余裕だな、これは。少々、過大評価が過ぎたか」

「だから言ったのに。サシでいけますって」

 

 縦横無尽に飛び回る天使に苦戦していた。

 

「糞がぁあああ! 死ね!」

 

 怪光線が天使を貫通して二人へ飛んでくる。

 

「また、タレントか。《中位アンデッド創造》、デスナイト」

「天使が二体、やられましたね」

「ヤト、私の攻撃後に飛び込め、そしてすぐに使え」

「へいへい、了解」

 

 今一つ緊張感に欠けるが、初めから十分な情報を得ているアインズを前に、異世界において最上位クラスの半妖精(ハーフエルフ)など初めから相手ではない。

 同ギルド内の火力順位において、二人より強い者は何名もいる。

 それでも情報を把握された彼女は、知らぬうちに勝ちの目を逃し、現状では敗北以外に選択肢がなかった。

 

「《魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)》!」

「《疾風迅雷》《運向上(中)》」

 

 アインズは漆黒の球体を投じる。

 主の攻撃を邪魔せぬよう、天使たちは包囲に穴を開け、そこへ見事に収まった。

 

 黒い球体が電磁波を放ってさく裂したのを確認し、ヤトは天使たちが取り囲む包囲の輪(かごめかごめ)に入っていく。

 

 完全に隙をついたが、彼女も伊達にレベル100ではなく、戦鎌と大太刀は火花を散らして拮抗する。

 罠に飛び込む行為と知らない番外席次は、今度こそ逃がさないとばかりに力を込めて得物を押し込む。

 

「うおおおおお!」

「悪いな」

 

 ヤトの手中で握り込んだ何かが、さらさらと砂になって消えていく。

 後方に飛んだ彼に肩透かしを食らわされ、もつれた足を整えてから顔を上げると、ヤトはアインズに変わっていた。

 

「ふん!」

 

 金色の杖が彼女の頭に振り下ろされ、そのまま頭蓋を砕こうと命中する。

 髑髏の内部を金属音が反響した。

 

 並みの相手であればそれで終わっていたが、彼女は痛みを耐えていた。

 

「《心臓掌握(グラスプ・ハート)》!」

 

 間髪容れずに自由を奪われ、意識が朦朧とする。

 素早さを向上させたヤトは瞬時に背後に詰め、次の攻撃は間違いなく命中するのが想像できた番外席次は、訪れるであろう痛みへの覚悟を決める間を与えられなかった。

 

「終わりだな」

 

 胸を貫かれた。

 

 心の臓こそ体を僅かに捻って躱したが、付近の大動脈は切り裂かれ、大量の吐血と衣服の胸部が赤く染まる。

 

 痛みで意識は覚醒したが、刀を強く押し上げられ、番外席次の体は宙に浮く。

 

「がはっ……」

「おい、負けを認めろ」

「まだだ……まだやれる。私は死なない」

「悪いが、お前みたいな情報駄々漏れの相手に、PK慣れしてる俺たちは負けないぞ。だからもう止め――」

「ふざけないで! まだ終わっていない!」

「メンドクセェ……」

 

 一方的な攻勢に、ヤトは盛り下がって刀を引き抜いた。

 アインズは彼女を天使に任せ、距離を取って離れていく。

 のろのろと気怠い動作の蛇は、アインズからこの後の展開を聞く。

 

 

「ヤト、あとはお前だけでも勝てる。茶番を終わらせておいてくれ」

「……最後、丸投げッスか」

「そう言うな。私はアルベドの解説を聞いた老人方が、どうなっているのかを確認する。そろそろエルフ国組からも連絡が入るだろう。それを彼らとの交渉に使う」

「まぁ、適当に助けますよ。やり過ぎて憐れに思えてきたんで」

「そう言うな……やり過ぎだとは私も分かっている」

「後で謝っておきましょうか」

「ややこしくなるからやめておけ。情報戦に惨敗した法国全体の失態だ。不意打ちを仕掛けたのが彼女であれば、我々が追い込まれていただろう。特にお前はな」

「へいへい、わかりましたよ。じゃ、上はよろしく」

「ああ、こちらはよろしく頼む。彼女は殺すなよ?」

「わかってますよ。俺もたまには本気で戦いたいスから」

 

 アインズは外から大神殿の会議室に入ろうと、戦場を後にする。

 途中でラキュースから《伝言(メッセージ)》が入った。

 

《ラキュースか? エルフ国の様子はど――》

《アインズ様! エルフ国組が全滅しました! 彼らを助けてください!》

《……はぁ?》

《ブレインとガゼフはまだ生きています。女性を助けるために命を賭けています! 早く! お願いです、アインズ様じゃないと無理です!》

 

 内外ともに支配者として相応しきアインズも、状況が把握できずに混乱して《伝言(メッセージ)》を切る。

 エルフ国にプレイヤーでもいない限り、魔導国指折りの強者である彼らが追い詰められるなど考えられなかった。

 ティラに付けているシャドウ・デーモンからも連絡がなく、彼女から報告が入っていない。

 現状で考えられる理由は、プレイヤーがいる可能性を見落としている以外に思い至らない。

 

 アインズはエルフ国に対しての情報収集を怠った過去を悔やみ、自身に向けて苛立つ。

 

 空中で予備の《遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)》を取り出し、エルフ国の状況を垣間見た。

 上手く彼らの場所が把握できず、彼の心情はなおも苛立ち、ようやく彼らを確認した時点でそれ相応の時間が経過していた。

 

 半月の控えめな明かりの下、目にした光景が理解できなかった。

 

 

 アインズの濡れた脳みそは臨時警報を発令する。

 

 

 既に時遅く、何かの線が千切れる音を聞いた。

 

 

 

 世界は破裂し、記憶はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 






次回予告

番外席次を無力化したことにより、つつがなく進む法国の隷属化。
満身創痍の(ブレイン)は体を引き摺り、自己愛(エゴイズム)が生んだ妄想の教典(ドグマ)に立ち向かう。
妖精(バンシー)の断末魔が彼方より轟き、アインズが義憤の神(ネメシス)に囚われたと告げる。
荒れ狂う主神(オーディン)を止めるべく、砂漠へ向かった蛇神(ロキ)を黒い影が追従する。

次回、「Burning Desire」


「クレマンティーヌ、俺はお前に生きていてほしい」



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