モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

89 / 135
残酷描写―中……かな?


Burning Desire

 

 

 

激しい怒り(madness)ってやつぁ、そう――重力みたいなもんだ。落としたけりゃ、ちょっと押しゃあいい」

                   ――ジョーカー  『ダークナイト』より

 

 

 

 最後の天使を光の粒子に変えて消し去った番外席次は、自身の血で死に化粧を塗りながら(わら)っていた。

 鎧の赤目を点滅させるヤトに、戦鎌を杖代わりにして立っている満身創痍の少女が映っていた。

 

 戦意は既に溶けた。

 

「さあ、天使は倒したよ! 次はあなた? 蛇の姿で戦ってよ!」

 

 満身創痍であるなどどうでもいいかのように、彼女は盛り上がる。

 それが余計に溶けた戦意を萎えさせた。

 目の前にいるのは宗教国家、スレイン法国の深淵、宝物殿の番犬、人類を守護する最後の手“絶死絶命”とはおもえず、異形種に苛められただけの少女に見える。

 

「もういい……つまらん」

「なんで……なんでよ! 私は強い、だからまだ終わって――」

「強いだろうな。プレイヤーを殺し慣れている俺たちじゃなければ勝てた……かな? まぁ勝てたことにしよう。俺とタイマンでも……いや、不意打ちなら勝ったかもしれない」

 

 闘志こそ変わっていないが、夥しい出血が痛ましかった。

 

「……ねえ、一つ教えてよ。あなたは本気で戦ったの?」

「この姿は全然本気じゃない。余興だよ、ヨキョー」

「そっか……ふふっ……あっはっはっは!」

 

 観念したように、彼女は大の字に倒れていった。

 

「そっか……これが敗北の味かぁ……血なまぐさいな」

「なにか言ったか?」

「はぁーあ……月が綺麗だな」

 

 半月の控えめな月明かりに照らされた両者は、戦闘後とは思えぬほどに空気を弛緩させる。

 

「そういうの、もう済ましてるから。ほら、回復してやるから立てよ」

「ねえ、どうすれば蛇で戦ってくれるの? 回復して襲い掛かればヤってくれる?」

「いつか戦ってやるから大人しくしてくれよ、今は」

「怖いの? 意外と臆病なんだね」

「別に、お前に恨みがあるわけじゃねーし」

「そう……」

 

 半月が坐す夜空を見上げ、彼女は笑っていた。

 心の歪みは解消されなくとも、敗北の余韻に浸る彼女の笑顔は歪んでいない。

 

「あーあ、本気の蛇と戦いたかったのに」

「また今度な」

「……ケチだなぁ」

 

 差し伸べられた手を素直に取った彼女は、そのままヤトの唇へ飛び込む。

 もっとも、全身鎧を未だに装着しているヤトに何を望んだのか不明であり、動きも大そう鈍かった。

 腕利きの闘牛士に突っ込む牛よろしく、余裕をもって躱された彼女は手癖の悪い猫のように首根っこを掴まれ、昆虫の全身鎧に空へ運ばれた。

 

 道中、猫のノミ殺しのように首から回復薬を垂らされ、扱いの悪さに不満を呈す。

 

「ちょっと……もっと労わってよ。これでもかなり痛いんだよ?」

「一応、敵対国だからな」

「私はそっちに行くから、女の子らしく抱っこしてよ」

「裏切るのが早すぎる……」

「抱っこ……」

「断固拒否。こうみえても浮気反対」

「うわ……ちょーヘタレ」

 

 それ以後、宙ぶらりんで挑発する罵詈雑言は、一切合切を無視される。

 

 会議室に到着してから事態が急転すると知らず、万事解決かと思われた。

 

 アルベドによる魔導国平和論と、デミウルゴス主導のスレイン法国牧場化案。硬軟織り交ぜた論理に押し込められている老人方は、席を外した小一時間で二回りほど老けたように見える。

 

 漆黒聖典は過半数が席を外していた。

 

 デミウルゴスはスレイン法国産の羊皮紙が、周辺国家と比較してどれだけ優秀かを熱弁し、スレイン法国最強の特殊部隊を激しい嫌悪感で途中退場させた。

 

「レベルを上げた僧侶、神官を家畜として供給をすれば、スレイン法国産、両脚羊の安定供給により、そちらは食糧難の解決、こちらは低位魔法に使用する羊皮紙の安定供給が可能となり、相互利益をもたらす貿易として成立を……ヤトノカミ様、お帰りなさいませ。大変失礼しました」

「いや、気にするな。大事な交渉中だったか?」

「肝である箇所は話し終えております。現在は牧場作成にあたり、相互のメリットとデメリットの擦り合わせを」

「牧場か。肉の安定供給は必要だからな。串焼き屋のおっさんが、質の良い肉を何とかしてくれと言ってたな」

 

 嚙み合っていない会話は、周囲の者からすれば噛み合っていた。

 ヤトが持ち帰った荷物、五体満足で帰還した“絶死絶命”は、隊長に向けて放り投げられる。

 

 男女間で気持ちの伝達はいつの時代も難しい。

 「気安く触るな!」と理不尽に怒った番外席次は、優しく受け止めてくれた隊長の頭に拳骨を落とし、ヤトの近くへと駆け寄っていった。

 

 これから国家会談を再開しようというのに、全身鎧からすれば実に迷惑だった。

 そんなことを考えていると、アルベドの不思議そうな声が聞こえた。

 

「ヤトノカミ様、アインズ様はどちらに?」

「いや、それは俺が聞きたい。どこ行った?」

「え?」

「え?」

 

 将棋盤(チェスボード)からは、王手(チェックメイト)を指す前に(キング)が消えていた。

 

 場面は変わって魔導国の王宮、亭主のやる気ない闘争に熱中できず、エルフ国組を心配する二人の女性は、手に汗を握ってアインズの早い到着を願った。

 二人の額には冷や汗が染み出している。

 

「ど、どうしよう、ラキュース」

「でも、連絡はしたから、これで、妾が2人になっちゃって」

「うん……は? なんのことだ?」

「あ、あら? やだ、なに言っているのかしら」

「見て! アインズ様がエルフ国に――」

 

 世界は爆発した。

 

 

 

 

 アインズ不在の事態を、エルフ国へ増援に行ったのだろうと軽く見たヤトは、兄貴分の代わりに宗教家へ取捨選択を迫る。

 左右にアルベドとデミウルゴスを従えたヤトは、ブレーキ(アインズ)の居ない状況で悪漢として脅したかった。

 

 思い通りにいかないのは世の常らしい。

 

「番外席次は倒したから諦めろ。異形種に服従しなくてもいいから、人間として国内を平和に保ってくれれば俺たちも――」

「ちょっと待ってよ、もう一度、戦わせて」

 

 ヤトの思惑は大きく逸れ、戦闘の熱が冷めやらぬどころか、蛇と交戦できなかった彼女の闘志は加熱の一途を辿り、細かく茶々を入れた。

 

「後にしろ。今日は負けたんだよ、わかるだろ」

「わかんない!」

「番外席次様、どうかお静かに」

「なによ、邪魔しないで。また馬の――」

 

 それからも番外席次に酷い扱いを受ける隊長は小声でネチネチと責め立てられ、再び馬の排泄物で顔を洗わされる覚悟を決めた。

 武器さえ取られなければと、己の油断を悔やむ。

 使い慣れた槍を所持しても無理という事実からは目を逸らした。

 

「えー……と? ああ、俺たちは人間に害意はない。生きるも死ぬも好きにしろ。税金さえ納めてくれれば、こっちは何の指示も出さな――」

「ねえ、平和になったら私ともう一度戦ってくれる?」

「会話が進まないだろ……邪魔するなよ」

「今度、そっちが勝ったら、私をお嫁さんにしていいよ」

「いらねぇぇー……」

 

 家内は二人もおり、それぞれ個性(アク)が強く、夜間は十分な多忙を極めていた。

 この場で言おうものなら、三人目にしろと騒ぎかねないので、ヤトは黙して語らない。

 

「ちょっと! 乙女の純情を――」

「おい、法国側はこのアホを黙らせろ」

「……無理です」

 

 言葉責めにへこまされた隊長は、申し訳なさそうに頭を下げた。

 彼と出会ってから最も素直な態度だった。

 

 隊長が無理なら他にも無理だろうと、強硬に無視を決め込む。

 

「……なんだっけな……ああ、そうだ。領内が平和に保てれば、帝国の協力で首都に学校を建設する。子供たちは飢えない、教育も受ける、孤児は消え――」

「ねえ、もう一度、しようよ。負けたらお嫁さんになってあげる」

「ウルセエ……異形種が多いからといって苛められはしない。評議国の例もあるから、決して不可能ではな――」

「そっちが勝ったら、私の初めてを――」

「うるせえなぁ……いらねえって言ってんだろ、そんな膜」

「……酷くない?」

 

 少しだけだが、本気で傷ついた。

 

「コキュートスとマーレ。そこのアホを取り押さえろ」

 

 命じられた両名の動きは早く、即座に彼女は拘束される。

 両腕を拘束するコキュートスは、相手が少女だという点を考慮したのか、さほど力を入れていなかった。

 

 案の定、すぐに振りほどかれる。

 

「ちょっと、気安く触らないでよ。あなたたちも強いの?」

「静かにしないと、その、怒られちゃいます」

「至高ノ41人ガ一柱、ヤトノカミ様ガ交渉中ダ」

「しこーの41人ってなに?」

「我々ガ神ト崇メル41人、マサニ至高ノ存在」

「あ、僕のお母さんは、ぶくぶく茶釜様で」

「ぶんぶく茶釜?」

 

 拘束は解けていたが、違う疑問でしばらくは大丈夫そうだった。

 どちらにしても、悪漢として振る舞おうと思っていた目測は彗星の如く逸れていき、昆虫の全身鎧はため息で大袈裟に首を振った。

 

 会合が仕切り直される前の狭間に、恐怖公が滑り込む。

 

「ヤトノカミ様、我輩は何をすればいいでしょうか」

「……待機」

「おぉ、そうでしたか。まだ出番ではないのですね、畏まりました」

 

 数が減った漆黒聖典は、全身の鳥肌を立たせた。

 そこにいるだけで十分に効果があったのだが、久しぶりに下界へ連れ出されて活躍の場を求めていた。

 

「えーと……? 面倒だな……そっちが戦争中のエルフ国を滅ぼしてやる。帝国と一緒に属国になれ。農業やれ、後は勝手にしろ、以上」

 

 うんざりしたヤトは投げやりに提案をする。内容は決して悪いものではなく、一部の責任者は形だけの属国を真剣に検討する。

 

 敵対中のエルフ国に言及され、神官長の誰かが控えめに尋ねる。

 

「ヤ……ヤトノカミ殿、エルフ国を滅ぼすとは?」

「あー……ちょっと状況を確認するから待て。アルベド、ラキュースにエルフ国の状況を確認してくれるか。アインズさんは現地で忙しいだろ」

「はい、すぐに」

 

 《伝言(メッセージ)》を飛ばすアルベドをしり目に、ヤトは話を続けた。

 

「法国民が異形種と暮らせるように説得してくれよ。今までのルールを破壊して異形種に守られるって選択が、人間が平和に暮らせる最高の――」

「ヤトノカミ様」

 

 再び会話が遮られたが、今度はアルベドだった。

 表情に暗雲が立ち込めた彼女に、何かの非常事態かと危惧する。

 

「どうした?」

「レイナースが……死亡しました」

「……………………あぁ?」

 

 会議室の空気は一転した。

 

 スレイン法国の終わらない夜は、始まったばかりだ。

 夜も更けて日付が変わったが、スレイン法国の未来を左右する茶番に眠気は誰にも近寄ってこなかった。

 

 ナザリック地下大墳墓が異世界に転移して、100日目が始まる。

 

 

 

 

 時計の針は逆回転して場面を巻き戻し、大陸全土に夜のどん帳が降りていく頃、森の妖精(エルフ)が営む国家のとある宿屋。

 

 王への謁見を待つ混合冒険者一行(パーティ)は、監視をつけられていながら、緊張感のない空気を産廃のように垂れ流した。

 ブレインとクレマンティーヌは相変わらずベタベタとしており、他の面々との距離は酷く離れていた。

 

「ねぇん、ブレイン、私のこと好きでしょー? この耳、相手の感情が分かるみたいなんだけどぉー?」

「好きとか嫌いとか、どうでもいい。俺は誰かさんと違って、色恋沙汰に興味は――」

「本当かなぁ? ブレインったらいっつも……」

 

 言葉が途切れて真顔になった。

 

「いつも?」

「あん?」

「いつも……いつも何だ? ……私は殺しが……ブレインよりも……殺しよりもブレイン? 殺しが……私は……ブレインは……」

「おい、どうした?」

 

 記憶の違和感は彼女の根幹を揺さぶり、愛情と記憶を結ぶ歯車は食い違う。

 針を仕込まれた大好物を目の前にしたようなもの悲しさを感じた。

 

 エルフの殺戮はあまりに自然な行為で違和感はなかったが、ブレインへの愛情表現に記憶の底から舞い上がる違和感は強かった。

 

「いつ、ブレインを好きになったのかなぁ……?」

「別にどうでもいいだろ、そんなこと。魔導国に帰って落ち着けば、他に男でも漁ればいい。この戦いが終わったら、魔導国を案内してやるよ、観光もしてないだろ?」

「……うぅーん、それもいいかもねーん」

「意味ない殺しは駄目だぞ、アインズさんとヤトに何されるかわからないからな」

「それじゃー、この戦いが終わったら抱いてくれるー? 性奴隷とし――」

「それは知らん」

 

 異世界出身の彼らは知らない。

 逃れられぬ因果の流れ、死の予兆(死亡フラグ)を。

 

 天使の翼は大きく動き、生暖かい風を起こして宿屋へ届けた。

 部屋の天井隅で蜘蛛の巣にかかった一枚の小さな羽毛は風に乗り、弛緩しきった雰囲気に眉をひそめる少女の前を漂う。

 

 ティラは向かいに座ったガゼフに、特に意味のない話を振った。

 

「ガゼフのおじさん、遅くない?」

「この会談の行方次第で、魔導国と敵対か同盟かが変わる。先方も対応に慎重にもなるだろう。魔導国の情報も少ないだろうからな」

 

 隣では久しぶりに暴れたゼンベルが、腕試しを同胞に提案していた。

 

「ザリュース、これが終わったら国に帰るんだってな。その前にどっちが強くなったかやらねえか?」

「私も気になっていた。たまには立ち会ってみよう」

「決まりだな! これが終わったら喧嘩だ。リザードマン最強の地位を奪還してやるぜ」

「私も負けるつもりはない。フロスト・ペインがなくても、妻と子のために負けはしない」

 

 談笑が続く宿屋の応接間に、屋外と同様の暗い幕を表情に下ろしたエルフが現れた。

 この世の終末を見たような彼女は、耳こそ人間と違い尖っていたが、顔の美醜でいえばとても美しかった。

 

「お待たせいたしました。お食事の用意が――」

「申し訳ないが食事は必要ない。国王と謁見の準備が終わり次第、早急にここを去りたい」

「……そうですか? 美味しいですよ?」

「現国王は我々の連絡を待っている。悠長にできないのだ。夜分遅くに申し訳ないが、国王陛下に話を通してはいただけないか」

「しかし――」

 

 尚も食い下がろうとするエルフの女性に、クレマンティーヌは短剣(スティレット)を抜く。

 

「エルフみたいな虫けらがうるさいんだけどー、死にたいのー?」

「ふ……」

 

 山猫並みの俊敏さで、彼女はエルフの喉元へ短剣(スティレット)を当てていた。

 あと一押しで彼女は絶命する。

 

 順調に進んでいる情勢を御破算にしようとするクレマンティーヌに、苛立ったティラは陰から飛び出てクナイを向けた。

 

「うるさい、死ぬ?」

 

 しかし、切っ先を突きつけられてもなお、クレマンティーヌの殺意は留まるところを知らない。

 

 女性陣は喧嘩っ早かった。

 

「返り討ちにしてやろうかぁ? エルフの隣に並べてやるよ」

「いい加減にしろ! いちいち面倒を起こすんじゃねえ!」

 

 ブレインの怒鳴り声が宿を揺らす。

 口をへの字に変えたクレマンティーヌは、頭部にある猫の耳をぱたぱたと揺らした。

 

「……ごめんねー、ブレイン」

 

 ブレインに怒られぬよう正しき殺す理由(動機)を模索する彼女は、アインズから半ば冗談で貰ったアイテムを活用していた。

 解放されたエルフは喉を押さえ、自分の魂が肉体に宿っているかを念入りに確認している。

 

「済まないが我々には時間がない。早急に国王へ謁見したいのだが」

「……では、女性だけこちらへ」

「お前さぁ、あんまり調子に乗るなよ。舐めてんのかぁ?」

「……スミマセン」

「……こっちこそ、すまん」

 

 薬を飲ませて眠らせ、女性だけを王の許へ献上しようと周囲を包囲していたエルフは、策があっけなく難破して嫌な汗をかく。

 サウナにでも入っているのかと聞きたいくらいに彼女の動揺は激しく、流れる汗も多量だった。

 

「クレマンティーヌ、悪いが留守番しててくれ。話が拗れる」

「そう願いたい」

「監視は引き受けた」

「なによー……」

 

 総員合意の上、面倒事を起こす女性と面倒事を避ける女性は、別の場所へ案内されていった。

 ブレインとガゼフ、二体の蜥蜴人(リザードマン)は、国内を案内されていく。

 時間稼ぎ以外の何物でもないが、エルフたちの家屋は造りが似通っており、存外、効果はあった。

 

 小一時間、集落と言える国家を歩き回らされ、飽きたゼンベルが文句を垂れた。

 

「エルフの姉ちゃん。まだ歩かせるのか?」

「い、いえ、もうすぐ」

「先ほどももうすぐと言っていましたが」

 

 ザリュースが後方支援した。

 

「ですから、その……」

「済まない、エルフ殿。我々には時間がないのだ。こうしている間に、こちらの王は打ち合わせを進めている」

「そ! そろそろ軽食でもいかがですか!?」

「おいおい、朝になっちまうよ。王様に怒られるのはガゼフだからな」

「……なぜだ」

 

 エルフの女性は悲観に暮れる。

 

 元より無理のある策だったと自覚はあった。

 このままにすれば彼らに斬られ、かといって国王の地下室へ連れて行けば王に殺される。

 

 万策尽きた彼女はヘロヘロと力なくしゃがみ込み、撃ち落とされた蚊に似ていた。

 

「おーい……どうしたんだー?」

「……り」

「は?」

「もう私には……無理、です」

「何がだ?」

「誰か……助けて……」

 

 魔導国一行に彼女を責めた覚えはなく、不思議そうに互いの顔を見合わせた。

 

 既に女性側の事態は困窮していた。

 

 

 

 

 地下牢に似た石の壁、地下牢に似た黴の臭い、地下牢によくある手足の枷や拷問器具が並ぶ薄暗い部屋。

 一糸まとわぬ美しい女性が二名、手枷を嵌められた両腕を拘束され、万歳をしていた。

 

「なにがどうなってんのー?」

「自分で考えろ」

「あんたさぁ、本っ当に生意気だよねー。名前は?」

「名乗るほどの者ではない」

「呼ぶのに困るから聞いただけなんですけどぉー?」

 

 状況は把握できず、両者に緊迫感はない。

 

 全裸で万歳をしている二人の女性は、何が起きたのかと記憶の糸を手繰り寄せる。

 糸の先に付いていた荷物は重く、やや時間を要した。

 

「あー、思い出した。オスのエルフに殴られたんだったねぇ」

「……お腹痛い」

「あんたは抵抗して無駄に殴られたよねぇ。痛い? 楽に殺してあげよっかー?」

「黙れ、ブス」

「……むっかぁつくぅにも程があんぞ」

 

 思い出した記憶内で、エルフの国王を自称する中年エルフの男に出会い、数秒後には子を孕めと命令されていた。

 まともに相手にするのも馬鹿らしいので、唾を吐いて立ち去ろうとしたところ、そこでクレマンティーヌの意識は途切れた。

 ティラは殴られるクレマンティーヌを見捨て、忍術を使って逃げ出そうとしたが、腹部に拳を貰ったところで記憶が途切れていた。

 

「シャドウ・デーモンさん、いる?」

 

 護衛の悪魔を陰に潜ませたと聞いていたが、幾ら呼んでも影も形も出てこなかった。

 どうやら討たれたらしいと判断したティラは、造作もなく手枷を外す。

 魔法拘束力もない手枷では、帝国最強の暗殺者を繋ぎ止められなかった。

 

「あ、ちょっと、あたしも外してぇーん」

「可愛くない」

「チッ……いちいちうぜえな、コイツ」

 

 それでもティラは彼女の手枷を外した。

 彼女の暴言に報復もせず、腕を掴んで軽く振り、血行を促した。

 

 敵の手中に拘わらず、それからも高頻度で勃発する喧嘩を挟み、両者の逃走準備は滞った。武装していれば、殺し合いまで発展していたに違いない。

 相手はエルフの国王であり、どれほど強かろうと逃げおおせる、先ほどの一撃は油断したせいだと、経験豊富な二人は同様に舐めていた。

 事実、アインズより強者はいないという点においては適切であったが、彼女らよりも強いという点を考慮しなかったのは最大の過ちである。

 

 靴音が地下へ響き、誰かが階段を降りてくる。

 

 重厚な監禁場所の扉は悲鳴を上げて開いていった。

 優雅な部屋着を纏った彼は一切の武装をしておらず、二人は彼を侮った。

 

「む? 手枷をどうやって外した」

「普通」

「ふむ……やはり、魔導国とはそれなりの強者がいるのか」

「誰?」

「先ほど名乗ったのだが、頭の出来が良くないのか」

「あんたよりマシ」

「ちょっとー、服返してほしいんだけどぉー。寒いしさー」

「武器も返せ」

「あんた、か弱い乙女を全裸にして何する気ぃー? あんたみたいな奴とはナニをしないよ? 粗末なブツ持ってそうな顔してるしぃ」

「同意」

 

 エルフである国王は人間種に侮られるのに慣れており、侮辱された怒りは堪えた。

 ここで殺すと、自身の理想郷を作る予定が後れを取ってしまう。

 

 目の前には見目麗しい二人()の女性が、それも自身の血を引く殺戮者(killer)たちの母親(queen)候補なのだ。

 

「……下品な奴らだ。まあいい、人間種も回数を重ねれば素直になるからな」

 

『ばぁーか』

 

 両者は同時に駆け出し、扉へ向かう。

 並の相手に全力疾走する両者の動きは認識さえできない。

 

 簡単に首根っこを掴まれて宙ぶらりんになっても、二人は状況把握に後れを取った。

 

 相手が強者だと悟ったのは、自身の体が元いた場所の壁に叩きつけられてからだった。

 激突の衝撃で口内に血が溢れ、唾と共に吐き捨てられる。

 明確な拒絶の意思表示で、エルフの国王はこれから行われる調教に獣性を剝き出しに、歪んだ笑みを浮かべた。

 

「動きは悪くないな。女王候補が二体も手に入るとは、なんという幸運だ。お前たち二人で殺し合い、勝者を女王に据え、私の子を孕ませ続けようと思うのだが、殺し合ってくれないか? 先に孕んでから子ども同士を殺し合わせても構わんぞ? 我が血を引く最強の軍勢の母になれるのだ、悪くはあるまい。いや、素晴らしい一計だと思わんか……」

 

 自己愛を高め過ぎた彼の妄想は、一種の宗教へと昇華していた。

 うっとりと虚空に映された妄想の情景に魅入られ、中年のエルフは気色悪い笑みを浮かべる。

 

 当然だが、女性からは辛らつな言葉が吐き捨てられた。

 

「死ね」

「糞野郎が」

「力の差が分からぬ弱者は哀れだな。従属の喜びを体で教えてやる」

 

 彼の両手は柔らかな女性の腹部にめり込んでいった。

 

 

 

 

 髪を掴んで顔を上げさせられ、ティラはどす黒い血を吐きかける。

 彼の頬に吐き出された血が滴ったが、無表情に変化はなく、返事の代わりにゴッという鈍い音で、手枷を嵌められ無抵抗の腹部に堅硬な拳がめり込むんだ。

 

「そろそろ素直になれ。強者の子を孕めるのだ、身に余る光栄だと思わんか? 貴様のような弱者が」

 

 顔の美醜は子を孕ませる製造過程において、重要な要因(ファクター)であり、調教においてもそこを崩すまいと腹を殴られた。

 

 歯を食いしばって苦痛を堪えるが、唇から血が溢れる。

 拷問や苦痛に対する精神的な耐久力が仇となり、彼女の釣り目は光を失っていなかった。

 

 エルフの加虐心を刺激させる、良い調味料(スパイス)だった。

 

「許しを乞え、従順になれ。素直になれば気持ちいいと思うが」

 

 彼の歪んだ笑みを見る限り、まだしばらく殴られそうだ。

 

 順番待ちのクレマンティーヌは手枷を外す方法を模索するも、手の骨を砕いて強引に外すしか思い浮かばず、それをしたところで彼から逃げられるとも思えなかった。

 勝算の薄いブレインの到着を儚く祈り、ため息を吐いてティラの調教を眺めた。

 どうやら暴行は終わったらしく、ティラの小ぶりな胸を揉む彼の動作に、次は性的暴行なのだとわかる。

 喜々として無抵抗の女性をいたぶる彼の獣性に、クレマンティーヌは重ねた誰かを思い出した。

 

 歪んだ笑みは親子でよく似ていた。

 

「やれやれ……お前のように命令を聞かない奴は昔からいる」

 

 金髪少女の威嚇する眼差しに嗜虐嗜好をくすぐられた彼は、下半身の衣服に手を掛ける。

 

「従順なエルフにも飽きていたのでな、良い気晴らしになる。味見をしておこう」

 

 この場でお手付きにしようとする彼に、隣で拘束される女の呟きが届いた。

 

「あぁ、誰かに似てると思ったら……法国のあんちくしょうに似てるのか」

 

 小柄で金髪の女性を助ける意志など無かった。

 だが、興味を示したエルフは脱ぎ掛けた衣服を正し、クレマンティーヌの髪を掴んで顔を上げさせる。

 

「貴様、法国出身者か? 妙な耳をしているから、人間種の獣人かと思ったが」

「バーカ、マジックアイテムだよ」

「俺の子供が生まれたと聞いたが、本当か?」

「あんたにそっくりだよ、糞っ垂れ」

「そうか、法国出身の人間種か……そしてこちらが魔導国だな? やはり二人に子を産ませ、どちらが強いか殺し合わせよう」

「死に――」

 

 性欲と暴力に引き摺られる彼に、論理的な反論は何の意味もない。

 クレマンティーヌの胃袋は強い衝撃を受けたが、嘔吐物を吐こうにも何も入っておらず、唾液だけを吐いた。

 

「口答えするな。黙って股を開け」

「汚い手で触るなよ」

 

 そこまで口答えしたところで首を掴まれ、彼女を宙に浮かせた。

 白い乳房が縦に揺れ、彼の性欲を程よく刺激する。

 

「お前をダルマにしてみよう、極限状態に追い込めば、秘めた強さが覚醒するかもしれん。産む道具は少しでも強い方がいい」

「離……せ」

「安心しろ。強者が産まれなければお前らを殺し、魔導国と法国へ女を攫いに行く。ただそれだけのことだ」

 

 盛り上がっている彼は饒舌だった。

 唾棄すべき持論を展開するエルフの国王に、ティラは腹部の痛みを堪え、逃げ出す隙を窺う。既に手枷は外してあり、彼が行為に集中するのを待つだけだ。

 クレマンティーヌからすれば迷惑極まりないが、死んだとしてもアインズは蘇生ができる。できなければそれも運命と割り切った。

 

「……死にやがれ」

 

 唾を吐きかけた彼女の右足首が掴まれる。

 

「右からいくぞ」

 

 足首を握る手に力が入り、一本の足が胴体から外されようとしていた。

 抵抗しようにも首を掴まれ、握られた足は動かせず、手枷も外れなかった。

 

「あまり暴れるな。代わりはそこにいる、死んでも構わんのだぞ」

「がぁ……ぁああ!」

「大事な神経まで外れると不感症になる。最初は誰でも痛いものだ」

 

 ニチャッと嗤った。

 

 猟奇行為を性行為の延長線に置き、夢中になっている彼に、この機を逃すまいとティラは走り出す。

 

 上階に出れば弱いエルフの影を伝って国外へ逃げればいい。

 途中で武器を取り返せば間違いない。

 今は地下から出なくてはならない。

 

 走り出してから胸を何かに貫かれるまでの数秒、考えたいくつかの逃走方法は水泡に帰す。

 

 ティラの小ぶりな胸の谷間、そこから顔を覗かせた槍の切っ先は、彼女が頭から床に倒れるのを確認して体から引き抜かれ、同時に溢れ出した大量の血潮は白い肌を赤く染めていった。

 

 頭蓋が砕けたかのように派手な音が鳴り、地に伏せる彼女はゴボゴボと吐血した。

 四肢は動かず、帝国最強の暗殺者は自分で吐いた血に溺れかけていた。

 

 流れたばかりの血は温かかった。

 

「瀕死か……? この後で強さが覚醒するのだろうか。後で回復させてやろう……覚えていたらな」

 

 クレマンティーヌの全身が震え、次は自分の番なのだと悟った。

 手の骨を砕いてでも手枷を外そうと試みるが、腕の先が擦れて裂傷しただけだった。

 

「次はお前だ。死地へ追い込まれ、強さを覚醒してみせろ」

 

 足を捥がれるのは、熱した洋梨を秘部へ突っ込まれるのとどちらが痛いだろうかと、凄まじい激痛を予想する。

 だが、彼女の予見した未来は外れ、傷みに対する覚悟は決められない。

 

 地下の扉は再び断末魔の悲鳴を上げ、剣士たちの入室を告げた。

 

 

 

「楽しそうだな」

「ティラ……」

 

 ガゼフは臨時とはいえ、仲間の危機に怒りを露見する。

 青筋を立てて歯を食いしばり、襲い掛かる前の虎に似ていた。

 

 その場で飛び込まなかったのは、首を掴まれて持ち上げているクレマンティーヌと、床に倒れて瀕死の重傷を負っているティラを案じたからだ。

 

「なんだ貴様ら……そうか、しくじったな。つくづく弱者とは役に立たん、後で処刑せねばならん。屋敷の屋上から叩き落として強さが覚醒するか、実験に利用するとしよう」

「この外道が――」

「落ち着け。ガゼフ、ティラを助けろ、俺は奴の相手をする」

 

 飛び出そうとしたガゼフの前に、ブレインの腕が伸ばされる。

 

「ブレイン、手伝うぜ。あいつは強いな」

「私も支援します。ガゼフ殿は彼女を」

 

 泣き崩れるエルフの女性から聞いた話に感情移入し、不快感で冷静さを欠いていたガゼフは、三名から冷静に諫められて自己を律する。

 今は瀕死の重傷を負った暗殺者を助けるのが最優先だった。

 

「済まない、頼む」

 

 ガゼフは倒れているティラに駆け寄り、回復薬を振りかけた。

 一先ずの危機は去ったが、彼女の手傷は深く、早急な治療が必要に思われた。

 ここまでの危機に陥るとは想定しておらず、回復薬は余分に持っていない。

 

「男と異形種に用はない。貴様らはここで死ね」

 

 ティラを抱え、部屋を退出するガゼフの背中へ投てき武器が放たれたが、刀の一閃で叩き落とされた。

 

「お前の相手は俺がしてやるよ。クレマンティーヌを放してもらおうか」

 

 首を拘束されている彼女は、薄らぐ意識の中、違和感のある愛情のブレインから目を逸らせなかった。

 彼が勝てないと知っていても。

 本当に愛しているのかわからなくても。

 

 

 思考が乱れたあたりで首の拘束が解放され、エルフの王と魔導国の戦士たちは間合いを詰めた。

 

「相手にするだと? 舐めるなよ、野良犬風情が」

「エルフの王ってのはなかなか手が出ないな。臆病なのか?」

 

 ギリッと音が鳴り、剥きだされた歯ぎしりの音だった。

 格下と侮っているブレインの挑発に、率直な憤激が浮かんでいた。

 

 明らかに自分が届かない高みにいる強者に対峙していたが、ブレインの心は穏やかであった。

 恐怖で震えるでもなく、死の危機に動揺するでもなく、ただ穏やかに刀を構えていた。

 

(えらいもんだな、誰かを守るための剣ってのは……少し重いけどな)

 

「虫けらが……踏み潰してやる」

 

 エルフは槍を構え、それを防ごうと二体の蜥蜴人(リザードマン)が前に飛び出る。

 

「ザリュース! 合わせろ!」

「死ぬなよ、ゼンベル」

 

 《鋼鉄の肉体武器(アイアン・ナチュラル・ウェポン)》、《抵抗する屈強な肉体(レジスタンス・マッシブ)》を唱え、モンクとして肉体を強化する。

 ゼンベルが投げた斧でエルフに死角ができた。

 

「うぉぉおおおお!」

 

 自分より背の高いエルフの腕を掴もうと組み付き、ザリュースは彼の背中に続き、ブレインは横へ飛んだ。

 

「馬鹿が、死ね」

 

 大きな宝石の装飾が施された槍はゼンベルの胸を貫く。

 深手は想定内であり、赤い血を吐いたゼンベルは、怯まずに鋭い爪で斬りつけ、対象にかすり傷を負わせた。

 

「進めやぁ! ザリュース!」

「応!」

 

 屈強な背中を踏み台に、ザリュースはエルフの頭上を舞った。

 着地先はクレマンティーヌの手枷で、そこに目がけて剣を叩き込む。

 手枷の鎖は千切れ、両手は解放された。

 

 ブレインはザリュースから注意を逸らそうと刀を脇に突き立てたが、貫通させる目測は外れ、切っ先が数センチだけ体に侵入した。

 どんなに押してもそれ以上は入らない。

 

「固いな……」

 

 瞬間、エルフの体から波動が立ち上り、悟ったブレインは躱したが、槍に胸を貫かれているゼンベルは逃げ遅れる。

 英雄のオーラに体を気圧され、屈強な蜥蜴人(リザードマン)は回避行動がとれないままに、胸に大穴を開けられた。

 

 腕一本が軽く通る風穴からエルフの手が引き抜かれ、槍を引き抜かれて自由になった彼は、仁王立ちのまま血を吐いて倒れていった。

 脈動する心臓は生ごみのように腕から放り投げられ、グチャッと嫌な音を鳴らして内部の血を吐き萎んでいった。

 

「ゼンベル!」

「ブレ……イン。クリに――」

(やかま)しい!」

 

 ゼンベルの頭部が爆ぜた。

 

 つい先ほどまで軽口を叩いて周りを揶揄っていた、知性は足りないが憎めない蜥蜴人(リザードマン)は、首から上をエルフに踏み潰される。

 友人の死体に唾吐く行為に、ブレインは青筋を立てながらも怒りを堪え、今はクレマンティーヌを助けることに集中する。

 

 これまでの人生において、人格が破たんするほど碌な目に遭ってこなかった彼女に、生き延びて魔導国で暮らしてほしかった。

 

 死ぬのなら彼女を助けた後、剣士として戦いの中で死ねばいい。

 

 敵の猛攻に備えて刀を構える。

 

 

「かかってこいよ、王様」

「雑魚どもがぁ! 泣いて命乞いさせ、虫けらのように踏み潰してやる!」

 

 

 そして蹂躙が始まる。

 

 歴史に名を遺す日の前哨戦は、彼らの目測通り熾烈を極めた。

 魔導国指折りの強者たちは、茶番の裏に隠された激戦へ臨む。

 

 天空を飛び交う黒翼の天使は喇叭を構えてその時を待っていた。

 






次回……Broken Desire

また明日、お会いしましょう


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。