モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Drumfire

 

 

 レイナースが目を覚ますと、ぼろぼろと涙をこぼすラキュースと、微笑むアルベド、解呪の際に世話になった犬の頭部をもつ優しいメイドがいた。

 なぜ自分が眠っていたのかわからず、何が起きたのか思い出そうとするも記憶の糸は手繰れず、状況は把握できない。

 ゆっくり考えようにも、自身を庇って死んだ彼女にラキュースの動揺は尋常ではなく、抱き着いてわあわあと騒ぐ彼女に掛ける言葉がわからない。

 

「よかった、本当によかった……」

「ラキュース、落ち着いて。何があったの?」

 

 一安心したのも束の間、夜を迎えた王宮の中庭に、瀕死のブレイン、ガゼフ、ザリュースが帰還し、静かな城は忙しくなる。

 ラキュースは一息つく間もなく涙を拭き、彼らを治療すべく宮廷内に駆けていき、取り残されたレイナースにアルベドが優しく微笑む。

 

「レイナース、私とエルフ国に行くわよ」

「え? あ、はい、そうなのですか? 武装の準備を――」

「必要ないわ。あなたの旦那様を安心させてあげなさい」

「はい………安心?」

 

 首を傾げたが、金色の瞳で微笑む淫魔を相手に、吐き出す言葉は空気に触れず胃袋へ戻った。情報を得ようとするもラキュースは治療で忙しく、とても密談ができる雰囲気ではない。必死で思考を巡らすと、アルベドの催促に似た問いかけが耳に入ってくる。

 

「どうしたの?」

「いえ、何でもありません」

「そう、行きましょう。エルフ国へ」

「あ、あの、ラキュースは――」

「レイナ! 私はブレインたちの治療をするから、そちらはお願いね! ペストーニャ様、お手伝いをお願いしてもよろしいですか?」

「わかりました」

「あー……うん」

 

 アルベドに付き添われて、見ようによっては強引に連れ出され、エルフ国へ向かうゲートを潜る。

 遅れてイビルアイは王宮に到着してから事情を把握したが、同じく正妻のラキュースに止められ、治療の手伝いをさせられる。アルベドとレイナースの第二夫人コンビであれば、強さと知性で暴走を止められるだろう。

 意識を取り戻したガゼフ、ザリュースの二人が、消耗の激しいブレインを見て自身の弱さを嘆き、守れなかった仲間を偲んで月に吼え、そちらを放っておくわけにもいかない。

 

 大陸の夜は更けていくが、エルフ国とスレイン法国の長い夜はまだ続く。

 

 全ての準備は予定調和へと向かっていた。

 

 

 

 

 二人の女性はエルフ国が砂漠と化したと知らず、指示通りに居住区を目指して闇に支配された森林を、草をかき分けて進んでいく。アルベドの白いドレスとレイナースの町娘衣装を見る限り、両名は武装しておらず無警戒極まりなかった。それでもアルベドであれば素手でエルフを握り潰せるだけの武力を有し、レイナースも並みのエルフでは歯が立たない程度には強い。

 

 月の明かりが木々から照らし、二名の美女は左右で色の違う美しい瞳を持ったエルフに捉えられた。

 

(ほう、美しいな。どうせ逃げるのであれば、ついでに攫っておくか)

 

 アインズから全力で殴られ、ヤトにゴミのように放り投げられながらも、自称強者の現地人はまだ生きていた。

 人の気配を察し、息を殺して草むらに隠れているが、再燃した欲望は蒼玉と翠玉のオッドアイを輝かせる。

 

(角が生えているが、異形種か? あちらの人間にするか)

 

 自分に向けられる色鮮やかな欲望を知る由もなく、淡い月明りを反射させた青と緑の輝きにレイナースが反応する。

 

「アルベド様、何か草むらで光りましたわ」

「そう? 見ておこうかしら。エルフ如きは素手で潰せるから」

「いえ、私が見て参ります。アルベド様はお待ちください」

「よろしくね、レイナース」

 

 およそ聡明な彼女に相応しくない油断である。アインズの意図を邪魔せぬよう、今後の行動を慮り、都合よく空いた時間で意図を探る。少しでも頭の回転を良くしようと、アインズが頻繁にとる姿勢、顎に指を当てて悩む。

 攻性防壁でレイナースを殺し、人間の冒険者を全滅させ、ヤトを怒らせたアインズの意図、それによってもたらされる国家間の関係は、複雑に絡み合って何をどうしたいのかまるで理解できなかった。

 

(妻として失格ね……愛する夫の意思を探れないとは。唯一の糸口は、恐怖公、そしてコキュートスとマーレの人選か……)

 

 コキュートスは同種族なのでわかるが、マーレは女性守護者と違い、恐怖公やその眷属に怯まない。至高なる41人によって創造された同胞だと思っているからだ。

 自然と彼らの行動予測に及び、森の外れで黒い眷属が無限召喚されている絵面が浮かぶ。

 

(そうか! これはスレイン法国の――)

 

 アルベドの思考は全体化した《伝言(メッセージ)》で中断された。指示は森の火を消して待機せよとの内容であり、最後の詰めは自分でやるのだろうとアルベドは後ろを振り返る。

 

 レイナースの姿はない。

 

「レイナース、先を急ぐわよ。ヤトノカミ様をお待たせしては――」

 

 腰へ打ち込まれた強い衝撃に大木まで跳ね飛ばされた。背中を強打し、肺の空気が残さず漏れ、アインズに聞かせられない無様な声が出る。

 暗がりから出てきたエルフにレイナースは羽交い絞めにされ、恐らく奪われたのであろうクナイを首元に突きつけられていた。

 

「この女は貰っておくぞ、悪魔。あの化け物どもを殺すため、子を孕ませ――」

 

 その後も何事かをまくし立てていたが、アルベドの視界は憤怒で赤く染まり、言葉は海馬に残らない。滅ぼす予定の下等生物に、一撃を食らったことが許せなかった。

 不意打ちされたダメージ量は予想外に多く、左大腿部付け根に骨まで到達する穴が空いていたが、彼女の闘志は十分だった。

 

「か、下等生物がぁぁぁあ!」

 

 アルベドは怒りで痛みを打ち消し、放った殺気は森を叩き起こした。眠っていた鳥たちは雛を残して一斉に飛び去り、木々は枝を揺らして死の恐怖に怯え、夜の森は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。

 

「アルベド様、お怒りをお鎮めください。私はここに」

「む、貴様も奇妙な術を使うのか」

 

 レイナースは影に潜って移動し、激昂するアルベドの隣に佇んでいた。心配して怒り狂っている訳でもなく、アルベドの頭蓋は彼女の言葉を跳ねのけた。

 

「殺す! この私の体は爪先から頭頂まで愛するアインズ様の所有物! その私に傷をつける行為がどれほど愚行か、贖えきれぬ罪を思い知らせてやる!」

 

 白い淫魔はギリギリと歯を鳴らし、姿勢を低くして獣のように走り出す。

 エルフは反応さえできず、首を掴んで持ち上げられ、大木に押し付けられていた。

 樹齢100年を超す大樹が揺れ、木の葉が舞い落ちた。

 

 オッドアイの視界を木の葉が舞い、森の闇に黄金の瞳が殺意で輝いていた。

 

「っ……貴様も化け物……か」

「死ねぇ!」

 

 頸椎を砕こうとする腕を掴み、光線が空へ伸びていった。腕の骨に付着する肉の両側が怪光線に食い千切られ、白い骨が露出して拘束する腕の力は抜けていく。アルベドの白い肌とドレスは千切れたかけた腕の出血で汚れ、数時間前にエルフの王がそうであったように、目を見開いて不思議そうな顔で腕の骨を眺めた。

 

 隙を得たエルフは再び女を攫う。

 

「くそ、近寄るな! 私は蛇のつ――」

 

 慌てて反撃するも、差し込まれたクナイは腕で軽く弾かれ、影に潜って回避をする行動は腹部に突き込まれた拳で阻止される。

 肺の空気が外へ漏れ、彼女は蛙を曳いた声を出す。

 

 膝から崩れた彼女を抱え、エルフの王は逃げ出した。状況を把握したアルベドは呪詛の声を上げて周囲を破壊し、已む無く彼は茂みへ逃げ込むしかない。樹木に素手で穴を開け、瘴気を撒き散らす彼女という嵐が過ぎるのを待った。

 

「どこへ行った! 出てこい!」

 

 森の夜は暗くて深い。

 人間の真っ黒な瞳孔でさえ、月の明かりを反射すれば光って見える。

 

 それが異形の蛇なら尚のこと。

 

 視界の隅で赤い光が2つ、闇に浮かんでいた。怒りに我を忘れた彼女は自然と殴りかかったが、鱗の生えた腕に止められた。

 

「アルベド、なにをキレてるんだ? ラキュースとレイナはどうした?」

 

 砂漠の戦闘はとうの昔に終わっている。

 大鎌を杖代わりに歩く大蛇と、体中を裂傷に覆われながら歩く番外席次は、負傷して怒り狂うアルベドの前にいた。

 

「あ、あら、ヤトノカミ様」

 

 ラキュースとレイナースが笑って待っていると想像していた蛇に嫌な影が差すが、アルベドがここにいるという事実がレイナースの蘇生完了という事実に換算され、頭は凪いでいた。

 番外席次は蛇を見上げ、戦闘狂(バトルマニア)振りを感じさせない口調で問う。

 

「この人が蛇の花嫁……じゃ、ないわよね? 人間ではないみたい」

「ああ、アインズさんの嫁だな。なぁ、純潔じゃないアルベド」

「くふふ……はっ、た、大変でございます! レイナースがエルフに攫われ――」

「そこにいるじゃないか」

 

 蛇の探知スキルは発動している。

 

 炙り出すべく鎌をかけたのだと事態を軽く見たエルフは、大鎌に茂みが薙ぎ払われるまでその場を動かなかった。木々の間から差す月光の下、レイナースに覆いかぶさり、首にクナイを当てて口をふさぐエルフと、目で助けを求める彼女が大蛇の赤目に映し出される。

 見ようによってはまさにこれから犯す場面に見え、そっくりそのまま大蛇の憎悪へ影響を及ぼす。

 

 瞬間、森の暗黒は純度を増した。

 

 エルフは慌てて立ち上がり、レイナースを羽交い絞めにして口を塞ぎ、首筋にクナイを突き立てて抵抗する。口を歪めて上位者として振る舞うエルフを、番外席次は負け犬でも見るように眺めた。

 

「強いって言ってたのに……だっさいなぁ」

 

 弱者に対する憐憫と、往生際の悪い負け犬に対する嫌悪がそこにあった。

 ヤトは頭の中で何かのファンファーレを聞いた。

 

「近寄るな! 動けばこの女を殺す!」

「俺の女に汚い手で触るなよ」

 

 レイナースを引き剥がし、エルフの脳天に大鎌を叩き込むまで1秒と時間が掛からなかった。言葉を紡ごうとしていたが、脳を物理的に掻き混ぜられた彼は意識を失っており、脊髄反射の声が漏れる。

 

「あえ……ふぁ」

 

 脊髄の部分で体は繋がっていたが、振り下ろされた鎌で体は両開きにされ、体を開きながら倒れていく様は魚の干物に似ていた。濡れた内臓が「グチャ」とも「ゴシャ」ともいえない不思議な音を上げ、森林にモツをばら撒く。

 

「あとで地獄を味わわせてやる」

 

 大蛇はレイナースをジロリと睨み、狼狽えるレイナースにため息を吐き、一呼吸だけ開けて文句を続ける。

 

「お前なぁ、油断すんなよ」

「……ごめんなさい」

「なんだごめんって。それでも元帝国四騎士か。凛々しくしろ」

「ぁぅ……」

「はぁー…………お前は誰の女だ、ちょっと名乗ってみろ」

「……ヤト」

「声が小さい!」

「はわっ、私は! レイナース・ロックブルズ・アインドラ! 元帝国四騎士の一人、今は魔導国の蛇の第二夫人だ!」

 

 やけくそな決意表明は森の夜に吸い込まれ、残ったのは顔を赤くして蛇に頭を撫でられている美しい顔立ちの女性だった。ひとしきり愛でたあと、依然として血を流しているアルベドに顔を向けた。

 

「アルベド、ラキュースは?」

「王宮で冒険者一行の治療を行っております」

「そうか……その傷はエルフにやられたのか? お前ともあろうものが」

「申し訳ございません。考えごとをしている油断を突かれました」

「その傷を見たらあの人、今度こそマジで切れるぞ。さっさと治してくれ」

 

 ヤトは回復薬を放り投げたが、空中で誰かに受け止められ、アルベドの手中に届かない。汚れた白タキシードの男が夜の暗がりから出てくる。

 

「私もそう思う」

 

 「あちゃー」と蛇は顔に手を当てていたが、失敗を嘆いておらず、これから起きる楽しい余興に期待していた。赤いポーションはアインズの手でアルベドに振りかけられ、痛ましい傷がゆっくりと塞がっていく。

 

 支配者はアルベドの礼に答えず、両開きになったエルフへ顔を向けた。

 噛み合わせた歯がギリギリと鳴る。

 

 エルフの国王は蒐集家(コレクター)の心理を逆撫でしていた。

 蒐集家が最も嫌うこととは、自らが集めた収集品の中で、重要度、希少度の高い品に唾を吐き、破壊しようとする行為である。入手するまでの労力、必要経費、経過時間、嗜好で変わってくるが、アルベドの重要度と希少価値は元より、何よりも個人的な思い入れ(愛情)が高い。

 アインズにとってブレイン、ティファ、ゼンベルだけでも替えの利かない蒐集品であったが、妻であるアルベドを傷つけられた怒りが上乗せされていた。

 

「アインズさん。恐怖公が見せ場を欲しがってましたよ」

「ははっ、それは面白そうだ」

 

 顔は少しも面白そうではない。

 

「ヤト、私が思うに、この糞はプレイヤーだ」

「えぇ? だって弱いッスよ」

「お前が到着する前に幾度となく殺しているからな」

「ふぅん……それじゃあ、続きをしましょうか」

 

 軽い口調に反し、鱗に覆われた身体は絶望のオーラを漏らす。

 

「確か以前、隊長のレベルを奪おうとしていたな。彼ではなく、こいつで試してみよう。プレイヤー級がレベルを0に落とされるとどうなるのか検証したい」

「じゃ、俺は左を持ちますよ」

 

 ぼろ雑巾でも摘むような気軽さで、半分に分かれたエルフの足先を摘み上げる。だが脊髄付近は手を繋いでおり、持ち上げられた獣の敷物に似たそれは血と内臓を多量に落とす。

 

「……繋がっているぞ」

「ああ、失礼」

 

 蛇は大鎌で切断し損ねた脊髄の皮膚を切り裂き、その合間にアルベドへは指示が出された。

 

「アルベド、レイナースを連れて王都へ帰還しろ」

「よろしいのでしょうか」

「構わん、ヤトも顔を見たから安心しただろう。ナザリックの軍勢に木の伐採を指示し、資材は王都へ運ぶ。現地で待機せよ」

「アインズ様、なぜ傷だらけなのですか」

「気にするな。ちょっと転んだだけだ」

 

 荷物を二つに切り分けたヤトもレイナースへ指示を出す。

 

「先に帰ってろ。ここからはただの虐殺だ。妻は夫の帰りを家で待つもんだろ」

「う、うん……わかった。早く帰ってき……こい」

「アインズ様、早く帰ってきてくださいね、くふふ」

「……」

 

 足並みを揃えようとしたのか、白い淫魔は金色の瞳を光らせて怪しく笑う。アインズとヤトがどうして傷だらけなのかという疑問はそのまま彼方へ飛ばされた。

 どうしたものかとアインズが悩んでいる間に、押しつけがましい愛情だけ残してアルベドは転移ゲートに吸い込まれ、レイナースも慌てて後を追った。

 二人が吸い込まれたのを確認し、番外席次がようやく口を開く。

 

「美人だね、奥さん」

「まあな」

「あの人が正妻? 魔導国って一夫多妻制なの?」

「特に法律はないのだが」

「二人目もみたいな、魔導国に行ってもいい?」

「この屑を拷問するのが先だ」

「そう、仕方がないから付き合うよ」

「わかった、森の外へ行こう」

 

レベルを0まで落とす殺戮は和やかな雰囲気で始まっていた。

 

 

 

 

 森の外で待機するコキュートスとマーレの足元へ、黒い絨毯が敷かれていた。

 

 遅れて到着したナザリックの軍勢は、アインズの指示通り火を消して待機していたが、黒光りして蠢く絨毯から大きく距離を取った場所にいた。

 女性守護者であるシャルティアとアウラのしかめっ面は酷いもので、便乗するようにプレアデス、女性型の悪魔まで背の低いシャルティアとアウラの影に隠れるように離れている。

 絨毯の上に佇むマーレからすれば、同じナザリックの同胞である恐怖公の眷属に対し、親しみこそあれ嫌悪の感情は存在しない。コキュートスは同種族ともあって平然と絨毯の上に立っている。どちらも時おり足を上げ、間違ってよじ登った者を振り払っていた。

 

 戦慄を覚えているのは、ナザリックの皆と反対方向で待機しているスレイン法国の人間たちである。漆黒聖典と責任者がかき集めた六色聖典が、決死の思いで転移した先に目にしたのは地獄絵図。

 自宅で見かけるサイズより大型の蜚蠊(ゴキブリ)が黒い絨毯となって敷き詰められ、元より任務に乗り気でなかった士気は失墜する。人間種全てがこの場に来たことを後悔していた。

 

 違った意味で均衡した場に転移ゲートが開き、エルフの死体を引き摺ったアインズとヤト、そして番外席次が吐き出される。まるで人間たちの心中を代弁するように三名は騒ぎ始めた。

 

「うわぁ、これは酷い」

「無理! 本当に無理!」

「人の頭の上に登んなこら」

「これは無理なの!」

 

 番外席次は黒い虫を避けようと大蛇の頭によじ登る。腕の付け根に足を乗せ、赤い角を掴んで肩車される彼女に、アインズは金太郎という童話を思い出した。

 

「二人とも騒々しいぞ……」

「じゃあアインズさん、絨毯の上に載ってくださいよ」

「そうだそうだ!」

「《飛行(フライ)》……」

 

 三人まとめて浮き上がるが、安全圏から見下ろしても悍ましい光景に変わりはない。

 広げられた黒い絨毯は波打っており、落ちたときの恐怖を思うと背筋が粟立つ。

 アインズとヤトは半分ずつ持っていた死体を絨毯へ放り投げる。絨毯の上にいたマーレとコキュートス、恐怖公は草地へ移動し、久しぶりの御馳走に黒い奔流は激流となって食事を始めた。

 

「うわぁ……」

「うわー……」

「ほら、行くぞ。二人とも」

 

 そのまま横に移動し、三名はナザリックの部下の場所へ下りた。

 ボンヤリと空を眺めていたガルガンチュアが跪くと大地が震え、鎮まる頃には全員が膝をついていた。アインズが労をねぎらう前に、デミウルゴスとパンドラが前に出た。

 

「お待ちしておりました! アインズ・ウール・ゴウン様、いえ、父上!」

「……」

「アインズ様、ヤトノカミ様、我ら僕一同、いつでも侵攻を開始できます」

「うむ」

 

 さりげなくパンドラは無視された。

 デミウルゴスが喜々として宝石の瞳を輝かせ、戦争が楽しくて堪らないとばかりに口角を歪めた。

 

「ありがとう、デミウルゴス。だが、エルフ国の攻略は終えている。これからのことだが、ルプスレギナ、前に出ろ」

「は、はい!」

 

 なぜ自分が呼ばれたのか理解できず、また何かやらかしたのかと非難がましいユリの視線に刺されながら、ギクシャクした動きで彼女は前に飛び出た。

 

「緊張せずともよい。あそこでゴキブリに食われているエルフを蘇生してほしい」

「…………わかりました」

 

(うわ……えげつねぇっす。あそこに突っ込まなきゃならねっすか)

 

「蘇生したら好きに拷問してよい」

「お任せくださいっす! アインズ様! びんびん頑張って蘇生するっす!」

 

 支配者の目論見通り、生粋のサディストである褐色赤髪のメイドは今まで見たことない輝きを顔に宿した。

 

「セバス、蘇生した彼のレベルを計れ。一桁まで落ち込んだら知らせろ」

「畏まりました、アインズ様」

「恐怖公、眷属を下がらせることは可能か?」

「召喚した眷属を返す術はありません。彼らはこのまま野に散るかと思われます」

「そうか……」

 

(あの黒い絨毯はそのままなのか……)

 

「仕方がない、森林の偵察に向かわせろ。生きているエルフは魔導国へ持ち帰る。抵抗するのならその場で食べて構わん」

「すぐに向かわせましょう」

 

 恐怖公はトコトコと足音を立てて黒い沼に向かった。

 

「デミウルゴス、パンドラ。樹木を伐採し、資源として魔導国へ持ち帰る。皆の作業を監督し、作業効率を上げろ」

「仰せのままに!」

 

 二人の声は見事に被っていたが、勢いで勝るパンドラの声しか聞こえない。

 

「指示が出なかった者は木を伐採し、息抜きにルプスレギナを手伝え。殺し方は自由だが、少しでも多く殺せ。シャルティア、転移ゲートを開き、先に現地へ行け。王宮の中庭でアルベドが待っている」

「はい! でありんす!」

「それでは各自、作業に当たれ」

 

 背後で呼応する僕一同の返事が体を震わせ、武力の無駄遣いという意識が、重たく背中にのしかかる。戦闘のために皆を呼び出したはずだったが、林業に従事せよという指示に引け目があった。それを悟ったのか、ヤトが番外席次を乗せたまま口を歪めて這い寄る。

 

「最強の作業効率ですね。ガルガンチュアまで動員して」

「仕方あるまい。敵の大将はあそこにいるのだ」

 

 早速蘇生されたエルフの王は、聖印を象った両手武器で四肢を潰され、この世の者とは思えぬ絶叫をあげていた。遠くに見える人間たちは、距離が離れているのに震えているのがわかった。

 

「ルプスレギナ! レベルを一桁まで落とすんだから、遊び過ぎると朝になるぞ!」

 

 ヤトの注意に「わかったっすー!」という元気な返事が返ってきた。

 頭の番外席次を下ろそうと説得、番外席次による漆黒聖典隊員の説明、体に同化したアイテムの話を交えて雑談で時間を潰し、工事現場の付近で休憩する一行は、局所的に平和な時間を過ごした。

 しかし、生粋のサディストである人狼は殺害、蘇生のローテーション一回に多量の時間を要する。法国の人間がなぜここにいるのか不明であったが、まず彼らの話を聞こうとこちらの様子を見ている法国側へ歩み寄っていく。

 

 アインズとヤトの戦いを邪魔する番外席次を止めろと命じられた六色聖典は、大蛇に肩車されて笑うハーフの少女に、どうすればいいのかわからず複雑な顔でこちらを見ていた。妙な顔の意図を探っているアインズに代わり、口を開いたのは番外席次だった。

 

「誰かルビクキュー持っていない?」

 

 蛇の角を掴んでいたが、時間つぶしに飽きた彼女は手慰みが欲しかった。

 色よい返事は帰ってこず、ただ沈黙だけがそこにあった。

 

「なんだそれ。食い物か?」

「玩具だよ。四角い箱の色を揃える玩具。まだ完成したことないの」

「ルービックキューブってオチじゃねえだろうな……六大神が残したとか。完成したらアイテムでも手に入んのか?」

「知っているの?」

 

 上下で会話をする二人は景色ごとアインズに黙殺され、彼は虐殺されているエルフから目が離せない責任者と話している。

 

「転移ゲートか、マーレも気が利くな。さて、エルフ国は滅亡した。戦争が終わったのだと、喜んで構わないが」

「こんな……造作もなく……」

「彼は……何をされているのですか?」

「レベルを下げている。蘇生魔法はペナルティがあるものとないものがあるが、部下にペナルティのある魔法を使わせて弱体化をさせている」

「蘇生魔法をメイドが……」

「奴は何かしたのですか?」

「私の部下だけではなく、蛇の妻、そして私の妻にまで手を出した彼に、生きる道はない」

「妻がいたのですか……」

 

 責任者はそれぞれが食いつく所が違ったが、話しているうちに皆が押し黙る。思い思いに放られた疑問を食い漁っていた。

 現在、エルフの王はコキュートス配下の蟲人とデミウルゴス配下の魔将に囲まれ、息抜きがてら集中砲火でひき肉にされている。ひき肉の上に蘇生魔法で無傷の彼が現れ、再びローテーションを繰り返し、粗挽きハンバーグの種は何層にも折り重なっていた。

 

「あっはははは! マジぱねぇっす! 最高っす!」

 

 メイドは口を耳まで裂いて高笑いをあげ、苦悶の表情を浮かべる仇敵を嘲笑し、待機する執事がため息を吐いていた。命乞いや悲鳴が殺戮の調味料であるように、彼女の表情は生き生きと輝いていた。

 美しさに見惚れる状況でもなく、無慈悲な殺戮の集中砲火が自分たちの上に振りかからぬよう、六色聖典は六大神に祈りを捧げる。幾度となくフラッシュバックするのは、ゴキブリの荒波に食われるエルフの死体で、これは一生ものの心の傷(トラウマ)になりそうだった。

 

 常軌を逸した光景に、敵意は欠片も残されていない。

 

 スレイン法国全体の意思は、魔導国を指導する人間が自分たちの息がかかった者にすることである。大元帥は連れてきた神人の女性か、隊長に強い嫁を紹介させるかで悩んでいた。肩車されている番外席次をけしかけ、子を成す協力をするのも悪い手ではなく、三択のどれを選ぶか考察の結論がでない。

 

「神官長、会議室で言いかけた、彼女の恨みを晴らさせてやりたいというのは、何の話か聞かせてほしい」

 

 枯れ枝のような水の神官長は、属性通り静かに流れる声で説明をする。

 

「史実に詳しく記載されておらず、神官長の世代交代の際、口頭にて引き継がれる内容でございますが、よろしいですか?」

 

 彼の淡々と流れる話はスレイン法国の歴史、それも表に出ない舞台裏である。数世代前の責任者が統治していた頃、同盟関係にあったエルフと法国の関係はエルフの王によって決裂する。

 当時を生きていたプレイヤーの子孫、後に番外席次の母親となる神人の女性は同盟者に騙されて拉致される。当時の六色聖典に救い出されるまで犯され続けた。

 助け出した彼女が孕んでいたと知るのは、そこから随分と後のことになる。

 

 この辺りから彼の表情は怒りを帯びる。

 

「奴が十三英雄のエルフなのか、あるいはその血統なのか、今となってはわかりません。しかし、私は……いえ、我々は犯されて彼女を生んだ母親の苦悩を考えると、押しつぶされそうな気分になるのです」

「そう、か……」

 

 話の彼女は蛇の角を操縦桿よろしく握り締め、左右に振って移動しようと笑っている。

 その姿からは想像ができない背景の重さ、その苦悩や葛藤を想像すると、あまりいい気分はせず、エルフに対する制裁が間違いでなかったと思う。

 視線に気が付いたのか、ようやく彼女は大蛇の頭から飛び降り、アインズに近寄っていく。

 

「呼んだ?」

「いや……呼んでいない」

「あなたのお話をしていたのです」

「私の子供、欲しくなったの? でも前衛と後衛の子供は不純にならないかな」

「必要ない」

 

 視界の片隅では、振り回された角の位置がずれていないか、撫でて確かめるヤトが這っていた。

 

「時に魔導王殿。スレイン法国が属国となっても、六大神を崇めてもよろしいのか?」

「好きにせよ。諸君らの信仰に興味はない。私を崇められても困る」

「彼女に恨みを晴らさせても?」

「それも好きにせよ」

 

 会話に出遅れた大蛇と半妖精が目を光らせる。

 

「何の話ッスか」

「番外席次の父親は、あそこのエルフだそうだ」

「えっ………」

「そういえば似てますね、空気の読めない所が」

「……お前が言うな」

 

 番外席次は蛇の揶揄に反応していない。エルフ国に父がいるとは知っていたが、既に死んでいると思っていた。先ほどレイナースを人質に取っていた弱者としての情けない姿が思い出される。

 ふざけていた彼女は消え、真顔の彼女は動かなくなる。

 

「……最低」

 

 嫌悪の情は口から言葉を吐き出させた。

 どう声を掛けた者かと考えているアインズの下へ、一通り殺し終えたルプスレギナが、エルフの首根っこを掴んで引き摺ってくる。

 彼は頭蓋を割られ、泡立たせた唾液が垂れていた。

 

「見苦しいな……ルプスレギナ、蘇生させろ」

「はい!」

 

 彼女の顔は妙に艶々していた。

 

「ヤト、ここからは我々が――」

「おーい、タイチョー、ちょっとこっち来い」

 

 呼ばれたのは何色の隊長だろうかと考えるまでもなく、漆黒の隊長は前に出てくる。

 

「……何ですか?」

「そんなに嫌がるなよ、意地悪しないから。お前ら六色聖典でも殺せるくらいに弱くなってるから、自分たちの戦争は自分たちでケリをつけろ」

「どういうことですか?」

「敵の大将が目の前にいるんだぞ。武器を貸してやるから、最後まで殺せ」

 

 額から突き出している刀身を摘み、引き抜くと「ずるぅっ」と音が鳴る。

 

「俺の武器を使っていいぞ。大鎌と小太刀もあるし、自前のでもいい」

「どういうおつもりですか。我々を馬鹿にしているのですか?」

 

 相変わらず隊長の猜疑心は強かった。

 特にヤト個人へ対して。

 

「お前ら属国になるんだろ? 平和は自分の手で掴み取れ」

「襲い掛かるかもしれませんよ?」

「お前なぁ、後ろにいる俺たちの部下が見えないのか?」

「……」

 

 それ以上の反論が思いつかない。

 身の丈30メートルを超す巨人は大樹を掴み、転移ゲート前に積み重ねている。それを魔獣、悪魔、蟲人、種族不明な異形種が総出でゲートへ運び込み、空中を飛ぶ悪魔と妙な服を着たパンドラズ・アクターは部下に指示を出していた。

 

「お待ちください。戦争は終わったのです。ここからは若者に汚れ仕事をさせられません。我らがこの手で――」

 

 ヤトは神官長の叫びを制止する。

 

「セバス、こいつのレベルはいくつだ?」

「はい、現在は38といったところです」

「まだ英雄級か。老人には荷が重いだろうよ。タイチョー、お前の三分の一程度の強さだから、陣頭指揮はお前が執れ」

 

 命じられた少年は神官長の顔を見ていた。

 

「やれやれ、また勝手な真似を。戯れが過ぎる……」

「だめですかね。カルネ村みたいじゃないスか、この状況は」

「嫌いではないがな。カルネ村の村長は自身の身を犠牲にアンデッドになることを志願した。足の不自由な若者も、皆を守りたいと死を受け入れた。今や彼らは周囲の村を飲み込むほど発展を遂げている。尤も、法国を恨んでいるようだがな」

「……も、申し訳ありません」

 

 アインズの視線に責められ、神官長は反射的に謝罪を述べた。

 元を正せば、スレイン法国が何もしなければカルネ村は今でもカルネ村である。法国の素行不良に今後の受け入れ態勢をどうすべきかと悩みの種が植えられた。何よりも、評議国との関係性を考えると、こちらの悩みは帝国への対応よりも手間と時間がかかりそうだった。

 かぶりを振って思考を正し、あらためてアインズは彼らに決断を迫る。

 

「殺せ。我らの前で決意を見せろ! 己が手で未来を掴み取れ!」

 

 アインズとヤトの戯れに反感は出なかった。目の前で小さくなっているエルフの王に、仲間を殺された者、人外を憎む者は十分な敵意を向けている。

 特に背後から突き刺さる責任者たちの、憎悪に似た殺意は尋常ではなく、漆黒の第一席次は自身の脇を通過する黒い何かを幻視する。先陣を切れと囃し立てる声が彼の背中を押し、隊長はヤトの刀を掴んだ。

 

「蛇さん、この武器をお借りしてもよろしいでしょうか?」

「勝手に使え。こんな機会は滅多にないぞ、俺たちの武器を使えるなんてな」

「私も魔法で作った武器やアイテムボックスで眠っている武器を出す。好きに使うといい」

 

 希少価値の高い武器を掴んだが、隊長の心は浮かれていなかった。目の前に座らされているエルフの命乞いは、深い闇を宿した隊長の敵意に遮られる。彼の頭に浮かんでいたのは、楽しみながら体を張って働く魔導国の女性だった。彼女らが力ずくで犯され、孕まされたら、どうするだろうと無駄な考えを起こし、そのまま怒りに換算される。

 

「た、助け――」

「貴様が犯した女に、同じことを言われただろう!」

 

 振りかぶった刀は無慈悲に振り下ろされ、骨ごと体を切断する。人を切った感触ではなく、豆腐にナイフを振り下ろした感覚だった。刀は刃こぼれさえせずに血を滴らせ、長い刀は背の低い彼が持つと更に長く見えた。

 ルプスレギナが素っ気ない殺し方に残念な表情を浮かべている。

 

「ルプスレギナ、蘇生をしてください」

「はい、セバス様。蘇生しまっすー」

「漆黒聖典は遊んでいないでこちらに来るんだ!」

「そうっすよー早くしないと、夜が明けちゃいますよー」

「彼のレベルは現在、32といったところです。漆黒聖典の皆様であれば、殺害が可能でございます」

 

 そしてスレイン法国の敵意は、恐怖公によるPTSDを払しょくするかのように敵の大将へ集中する。

 漆黒聖典が複数名で協力し、エルフを殺害している最中、他の六色聖典は広げられた武器の山を物色する。大剣、短剣、投てき武器、弓矢に短杖、爆弾に小銃など、この世界の価値に換算して希少価値の高いものであったが、アインズからすれば複製可能なゴミである。特に銃へ対する好奇心が強く、使い方を相談し合う彼らは買い物を楽しむ生娘のように笑っていた。誰かの手がヤトの大鎌に伸ばされたが、持ち上げることも叶わず、大鎌だけはそのまま放置された。

 

 彼らが気を使わぬように離れた場所へ移動した二名は、エルフが殺害される光景を見て先ほどの溜飲を下げる。自分より弱者と侮っていた彼には、この方法が最も効率が良く、残り少ないMPも温存し、結果的に法国側の対応も探れると、アインズは珍しくヤトを褒めた。

 

「偶然ですよ、そんなの。面白そうだとやっただけでス」

「馬鹿は偉大だな」

「それにしても、みんな頑張ってるじゃないスか。大鎌は重くて無理かな」

「何かを犠牲にして得た幸福は尊いものだ。ブレインがそうであったように、な」

「? ……ただより高いものはないってことスかね」

「違う、すぐ手に入るものは大事にしないという意味だ。リアルでは死ぬのを待つだけだった私たちが、この世界で何不自由なく暮らしている。しかし、順応した我々がこの世界で空気を大切に思ったことはないだろう」

「ああ……確かに。ガスマスクが必要だったときと比べて、今じゃどこでも手に入りますもんね。平和が空気になったらニートが増えるでしょーね」

 

 誰かが銃を撃ち込み、弾はエルフを貫通してプレイヤーへのびていったが、談笑する二名に届くことなく虚空へ消え、彼らは気付いてもいなかった。殺戮の順番は隊長の陣取りによって滞りなく周回している。

 

 唯一、番外席次だけが先ほどから動く気配すらなく、殺される父親を真顔で見ていた。

 

 談笑の合間に、セバスがエルフのレベルダウンを知らせる。彼のレベルは2まで落ち込み、この場にいる誰にでも殺害が可能な領域にまで墜落していた。HPだけ快復させたアインズとヤトが腰を上げると、順番は神官長に回り、彼は短剣を手に持っていた。

 

 久しぶりに武器を手に取った枯れ枝に似た老人は、眼前のエルフを睨む。

 

「これで、長きにわたる戦争は集結する。彼女の母親の恨みを思い知るがいい」

 

 しかし、彼の得物は止まった。

 番外席次は大鎌を引き摺り、武器の前に立ちはだかる。

 誰の目にも父親を守ったのだと見えた。

 

「……もうやめてよ」

「なぜ、なぜ邪魔をするのですか! あなたの母上は、この蛮族に犯され、葛藤に苦悩しながらあなたを――」

「知っているよ」

「母上の無念を晴らさずに、それでよいのですか!」

 

 エルフは逃走の機会を得て、背後から一人娘に懇願する。

 

「そうか……お前が私の娘か。会いたかったぞ。法国に攫われてから、一日として考えなかった日はない」

「黙れぇ! 貴様が、彼女の苦しみの何がわかる!」

「可愛い娘に会いたいと思うのは親心であろう。貴様らに口出しされる謂れはない!」

「腐れ外道が! そんなことは欠片も考えてはいまい!」

 

 その通りである。今の彼はこの場を抜け出し、新天地を目指すことしか考えていない。通常であれば当然持ち得る慈悲の心、娘への親愛など彼の心にはない。それが強者として相応しいと思っている。

 

 何者も血の繋がりからは逃げられない。

 番外席次は同じ血が流れるエルフの心中を痛いほど察していた。

 不穏な空気にアインズとヤトはエルフの背後を取り、隊長は彼女の近くで叫んでいる。

 

「お止めください! この屑を助けるなど、あってはならないのです!」

「悪いがこいつは殺すぞ」

「父親を助けたいという気持ちはわかるが、彼はお前を娘などと思っていない。見誤るな、漆黒聖典番外席次」

「みんな、なに言ってるの? 勘違いしないでよ」

 

 彼女は初めから助けようとしていない。彼女からすれば、自身の父親が情けない弱者であるなど、考えられない悪夢である。この場にいる誰よりも長生きしている彼女が、容姿の年齢に相応しい振る舞い、父親の出現に動揺することはなかった。

 

「止めは私が刺す。私の父親がこんな雑魚だなんて悪夢だからね。だから、もう終わりにしようよ」

「よかった……」

「ふーん、もう終わりか。もっと酷い目に遭わせてやりたかったけどな」

「意外だな」

「た、頼む! 助けてくれ! 私の娘よ!」

 

 一人娘に縋りつくエルフの手は、無慈悲にも振り払われた。

 

「蛇と魔導王さん。動かないように両手を持っていてくれないかしら?」

「あいよ」

 

 両手を引っ張られて自然と頭が差し出される。大鎌を振り上げようとしたが、この世界の鉱物でできていない鎌は重く、振り上げたまま地面に落としてしまった。傷口が開いて出血していたが、痛みよりも恥ずかしさを誤魔化すように苦笑いする。

 

「あ、あはは……重たいね、これ」

「刃を首に当てておけば、引くだけでいいから楽だぞ」

「うん……そうする。振り上げるのは無理だから」

 

 首の後ろから鎌の刃が当てられ、少し引くだけで切断が可能だった。

 既に逃げ場がないとエルフは死を受け入れたが、傲慢な彼は最後まで意志を貫き、最後の言葉として減らず口を叩く。

 

「貴様らも私と同じだ。最初は慕われるだろうが、強い力を恐れた弱者どもから差別され、疎外されるようになる!」

「いや、お前と一緒にされても……」

「悠久を生き永らえ、悪に染まり続けた末に辿るのは、今の私だ! よく目に焼き付けておけ!」

「父親に引導を渡してやれ。目障りだ」

 

 一人娘の手によって無言で大鎌は引かれ、首はゴロンと地に落ちる。

 エルフ国の王は首を刎ねられても高笑いを続けていた。

 

「さよなら……お父さん」

 

 高笑いが止まり、笑った顔のまま硬直する首を前に、番外席次は動かない。

 最後の減らず口はアインズの脳で引っかかり、何かが頭の片隅で蠢いていたが、それが何かはわからなかった。

 

「強者……か。プレイヤーではないのかもしれんな」

「アインズさん、俺ら自分の娘に殺されるらしいッスよ」

「そうはならんよ。我々と彼は行動の根本から違う」

「アルベドが孕んでたら面白いんだけどなぁ」

「これ以上の揉め事は御免被りたい。内政も維持費もジルまで放置しているのだぞ」

 

 ヤトとアインズは軽口を叩き合い、首から目を離さない番外席次に一人の神官長が近寄っていく。

 

「蛮族とはいえ、父を手にかけたあなたに何を言えばいいのかわかりません。しかし、あなたは自らの手で母上の無念を晴らされたのでございます。どうか誇ってください、クロ――」

「あ、私は今日からバンガイって名乗るね」

「……は?」

「蛇が名前つけてくれたの」

「えぇー………」

 

 「本当になに言ってんのこの人」と、年配の神官長は皺の刻まれた顔に浮かべた。

 つい数分前に真剣な顔で父親に止めを刺した彼女とは違い、今の彼女ははつらつとしていた。

 

「母上からいただいた御名前が――」

「もういいの。母さんが死んでから100年は軽く経っているからね。お父さんも死んじゃったから」

 

 「あんたが殺したんだろ」とは誰も指摘しなかった。

 

「私は魔導国に行っていいでしょう、蛇さん」

「好きにしろ。先に言っておくが、俺の手は二つしかない。女は二人までしか抱けないぞ」

「尻尾があるじゃない」

「………確かに」

 

 振り向いた大蛇は所在なさげに尻尾をふらふらと揺らし、見かねたアインズが釘をさす。このままにすると新たな揉め事として女性問題の修羅場が起きかねない。

 

「ヤト、言い包められてどうする。ラキュースに怒られるぞ」

「……そうッスね。後で考えます」

「問題を後回しにするのは悪い癖だな」

「………確かに」

「私は駄目? 可愛くない? 年上だけど、見た目は年下だよ?」

「う……」

 

 自らの手で父親に止めを刺した彼女は嫌いではなかった。しかし、好きとも言えず、大蛇の脳みそは電気信号を発信し、過度の情報によって凍結(フリーズ)する。

 

 不意打ち、騙し討ちを含んだ敗北を味わい、同じ前衛としての攻撃性に共感を覚える彼女は、心の歪みをそのままに明るく笑い、蛇は動揺する。

 

「よろしいですか、魔導王陛下」

 

 大元帥が神人を連れて佇んでいた。

 

「こちらの彼女も、そちらの彼女も、隊長も、ぷれいやーの子孫でございます」

「知っている……」

「六大神の血を絶やすのが勿体ないと思い、宜しければ御子を授けてはいただけないでしょうか」

「……はぁ?」

「賛成! 私も子供作らないと勿体ないよね。同じ前衛だから蛇がいいな」

「一味違うお前は嫌いじゃないけどな……その話は後にしてくれ」

 

 完全に失言だった。大元帥と番外席次はその瞳に希望の天の川を宿し、眩いほどの輝きが二人から発せられた。大元帥は魔導国の法国化、番外席次は子育てと両者の最終目的は違っていたが過程は酷似しており、失言した大蛇に詰め寄る。

 

「蛇殿! これは相思相愛ではありませんか!?」

「うるせー……疲れたから眠らせてくれよ」

「お待ちください! まだ我々の話は終わってませんぞ!」

「そうだよ! 私だって子供が欲しい! きっと強い子になるから、子供作ろうよ!」

「……た、助け」

 

 大元帥と番外席次の目は蛇に標的を合わせて離れず、アインズに助けを求めるも、彼もまた別の者に詰め寄られていた。

 

「魔導王陛下! 属国化に関して詳細な打ち合わせを」

「いや、国民の前で演説が先であろう! スレイン法国の国民に異形種と暮らすことを受け入れさせねば」

「御子はいらっしゃるのですか? プレイヤーともあれば、血を絶やさぬように次期魔導王を儲けるは必須」

 

「また、このパターンか……」

 

 混沌とした集中砲火も慣れてしまい、精神の沈静化が無くてもアインズは落ち着いていた。帰還した彼を待つのはバハルス帝国の属国化、その後にスレイン法国の属国化と、問題は山積みになっている。彼らの集中砲火は右耳から左耳に抜けていった。

 

 一転して困っているのはヤトである。

 二名に子供を作れよと詰め寄られている蛇は、身体構造を超越し、鱗から冷や汗を流し、ぶら下がる舌がゆらゆらと揺れていた。

 

「スレイン法国の者は帰還せよ。後日、孤児を連れて魔導国へ来るといい。属国化するにあたり、条件の擦り合わせを行なおう。隊長、彼らを魔導国へ案内せよ」

「漆黒聖典はこの先どうなるのでしょうか。魔導国に所属して人間や異形種を断罪する部隊と――」

「あの蛇公も言っていただろう。我々は諸君らの生き様に関与しない。冒険者をやって諸国を回るのも手だ」

「……そ、そうですか」

 

 魔導国で暮らすのも悪くないと考えた記憶が蘇る。自動的に蛇の魔導国案内のバカ騒ぎと初体験(Rock’n’Roll)が思い出され、自然と二名の女性を思い出す。同僚が訝しい目で上の空の隊長を見ていた。

 

「ヤト! いつまで遊んでいる、帰るぞ!」

「ウボァ……」

 

 蛇の赤い瞳に線が入り、短い時間で余計な疲労を溜め込んでいた。

 光が差し込み、朝日は日の出(sunrise)を告げた。

 アインズの背中は日光に照らされ、前にいる者は後光が差しているように見える。

 

「夜明けになってしまった……」

「帰りたい……」

「番外席次はスレイン法国へ帰還しろ。責任者とともに魔導国へ来い」

「ええ? まだ子作りの交渉が」

「異論は受け付けない。出入り禁止にされたくはないだろう?」

「……わかったわ」

 

 かなり不貞腐れていた。今ならゴリ押しで疲れている蛇の妾に収まり、運が良ければそのまま孕めそうだったが、アインズに邪魔をされて心中穏やかでない。同様に穏やかでない大元帥も、年齢にそぐわない不貞腐れた顔をしていた。不満を顧みることなく、武器を仕舞い込むアインズは付近の神官長へ尋ねた。

 

「神官長、人間の敵はどこにいる」

「は?」

「異形種に脅かされているのだろう? 会議室で啖呵を切ったではないか」

「あ、ああ、その通りです。人間を餌とするビーストマンは侵攻を続け、現在は竜王国に侵攻しています」

「セバス、彼から竜王国の場所を聞き、そちらに恐怖公が召喚した眷属を向かわせろ。侵攻するビーストマンを食えとでも伝えておけ。転移ゲートを開いても構わん」

「お任せください。それでは神官長様、詳しい場所をお聞かせください」

 

 老年の神官長は、これまた老年のバトラーに連れられ、詳しい打ち合わせに入った。

 竜王国付近でゴキブリが大量発生することになるが、現状で繋がりのない国に関心は無く、結果的に平和が保たれるのであれば何の問題があるのか。思慮深いアインズも、野良ゴキブリを大量生産させず、問題の片付けが優先だった。

 

 アインズとヤトは疲れていた。

 

「ヤト! 早くしろ!」

「もういや……ラキとレイナに挟まれて寝たい……」

「私でもいいじゃない!」

「誰か、その阿呆を黙らせろ。我々は帰る」

「落ち着いてください! 今は機嫌を損ねないでください!」

「なによ。気安く触らないでよ!」

 

 隊長の援護によって彼女は引き剥がされ、大そう怒っていたが疲れているアインズとヤトは安堵した。その後、隊長が酷い目にあったとしても法国側の問題である。

 

「それでは、魔導国でまた会おう」

「……」

 

 蛇は何も言わず転移ゲートに押し込められ、後には朝日に照らされて林業に励む異形種たちが残された。

 エルフ国を巡る長い夜は終わり、新たな夜明けに冷たい風が吹き、時代を動かした。

 

 

 この日、大陸の辺境を統治していた三国から国境が消える。

 

 

 




次回予告

ブレイン様が寝込んで静かになった屋敷に、寂しさを感じてしまう。
覇気がない主人を励まそうと、私は割れた花瓶を買いに出掛けた。
花瓶を買って戻りたいだけなのに、時の流れ(文字数)だらだら(長々)と進む。
数奇な目に導かれ、目的地がないまま数日も魔導国を歩き回った。

次回、「CLIANA QUEST」

「メイドの歴史に、また1ページ………うわ、鏡の前でポーズ決めて恥ずかしい、わたしは難しい病(中二病)じゃないもん」
「クリアーナ、どうした?」
「げぇ……」
「騒がしかったが幽霊でも出たか?」
「なんでもないんです! 忘れてください!」
「それより包帯を……行っちまったよ。いてて……仕方ない、自分でやるか。もう一人くらい雇っておけばよかった……」

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