川内型軽巡洋艦一番艦「川内」は勝手知ったる我が家といったような気軽さでその部屋を漁っていた。ここは提督の寝室、執務室とは離れたところにある部屋だ。噂ではあまりにも忙しすぎて執務室に布団を敷くような提督もいるらしいのだが、ここはまだそこまで忙しくないためにそんなことはない。
現在深夜一時、いい子は寝ている時間であり規則正しい生活を送ることにより重大な判断を間違えないようにしようと心がけている提督はぐっすり夢のなかである。鍵もばっちりとかけており完全な就寝態勢であった。以前に暁型が二隻、鍵をかけたはずの部屋に侵入して翌朝提督に抱きついていたという事案が発生したのだが、響の絶対に起こさないという宣言通りに提督は起きることはなかったのできついお咎め無しであった。おやつは抜きだったけど。
「ふんふーん」
本棚のとある場所、提督が日誌を置いているところを暗闇の中すっと抜き去り一番新しく書かれたところを確認する。なにを書かれているのか一言一句間違えなく記憶した彼女は日誌を元の場所に戻し、大人特有のしかめっ面をした寝顔を微笑みながら数秒眺めて投げキッス、窓から退室していった。鍵は内通者の妖精さんに開け閉めしてもらうことで問題を解決している。
川内は歩きながら彼が日誌を記入している日記帳と同一のものに同じように文字を書き込んでいく。その内容に多少眉を顰めながらではあったが。
「そういうことだったのね~。これはちょっと荒れるかな?」
いつも明るい彼は誰かに見せるわけでもない日誌に、軽い言葉づかいであれこれ適当にデリカシーの欠片もないことでさえ書き込んでいる。例えば『川内が布団から顔の上半分だけ出して今夜は一緒に夜戦、しよ? と言ったのはかなり理性が削られた。窓の向うに神通さんがいなければ即死だった』とか『古鷹が美人過ぎて生きるのがつらい明日から顔直視できない』やら『まな板にしようぜ!』など。
この日誌は大体の艦娘が存在を知っている。夕立なんかは何度か忍びこんで読んでいたり、鳥海は提督の少し古くなった私物を新品に交換するついでに読んでいたりと、まあなんというか提督にプライバシーなんてものはない。セクハラに近いような言葉が書かれた日誌を対象となった本人が見たりしている、合掌。
「誰にも見られないと思ってるからって何でもかんでも書きすぎだよ」
「川内さん、今日の分のアレ?」
「敷波も読む? というか子どもは寝る時間だよ~?」
川内に声をかけてきたのは綾波型駆逐艦二番艦の「敷波」だった。懐中電灯を片手に歩く自分を子供扱いする上司にむっとしながら敷波は答える。
「夜間警備だよ夜間警備。今はミカと二人さ」
「なるほどねぇ。でもあんまムリしないでよ? うちに駆逐艦いまあんましいないんだからさ」
「へーきだよ~。これから交代するから」
敷波に関して提督は『照れる姿がとてもかわいい、曙は敷波に似たんだな』と日誌にコメントしている。褒められると素直に受け取らずに反発するところが似ていると思っているようだ。曙は反発した後に罵倒するけれども、まあそれも曙の味。
曙に関しては『ラブリーマイエンジェルぼのたん観察記』として日誌の中に時々記録され、また『今日のわんこ』『ぷらずま語録』『響、心の一句』『すげぇよミカは』などもコーナーが設けられていたり。
ミカ、と三日月が愛称で呼ばれるのは主に提督の影響が強い。滅多にあだ名で呼ばない彼があだ名で呼ぶのでみんなが真似をする。『すげぇよミカは、今日はあんな小柄な体躯で米俵をふたつ担いでいた』と直近ではコメントされている。いつもいつもすげぇよミカはとしか言わないので、三日月は司令官の自然な姿を見たことがない、とちょっぴり悲しんでいるらしい。が、同じくらいに自分のことをたくさん喋ってくれていることに喜んでいるとか。
「司令官も、もうちょっと大型艦建造やめて駆逐を増やしてくれたらなあ」
「でも今だと活躍の機会多くてたくさん褒めてもらえるでしょ」
「うん、まぁそう……いや違くて」
あわあわと顔を赤くして手と首を振る部下に可愛いなあ、駆逐艦はやっぱり最高だなあとだらけた笑みを浮かべる川内。この鎮守府でかなり危ない人間(?)の一人である。
「ああもう! それ見させてもらうよ!」
「はいはいご自由に~」
乱暴に敷波は川内の手から日記帳を奪い取り、開いた。
※
うちの艦たちはもしかすると俺の前の記憶と何かしら関係があるのかもしれない。そろそろ現実に目を向けなくてはいけない。ずっと目をそらしていたことだ、分かっていたのに気付かないふりをして、でもそろそろやめよう。
あの事故からの数年の眠りの中思い出した過去の記憶、目覚めた時は2つのそれが混濁してしまったが整理も付いてやっていけるようにはなっている。
この記憶の曖昧な知識がこの世界で通用するだなんて思っちゃいない、なぜなら記憶の中ではあったはずの改二艦がここでは実装されていない上に練度の測定できる最大値が50までときている。凶悪な艦載機絶対殺すウーマンなツ級や姫級なども確認されていないのでこれから戦況が悪化するんだろうなあとぼんやりと他人事のように思っていた。
またそこそこの実力を持つ艦隊の提督の艦娘であればケッコンカッコカリを済ませてあったはずだというのに、ここではケッコンカッコカリなんて噂すら出ていない。
だからこそ俺の知識はただの参考程度であるから、艦娘たちについては記憶にある艦と触れ合えたらいいな、くらいの軽い気持ちもあった。
が、まあそのお気楽な気持ちは次々に建造される高練度艦や改二艦によって徐々に無くなっていき、こうやって俺がケッコンカッコカリしていた艦たちが並んだことによって様々なことを直視せざるをえなくなった。
記憶の艦娘たちと俺の艦がもし同一であるということを考慮に入れたのであれば、海兵学校時代の俺の艦娘たちによる過剰なまでのシゴきや、思い出す以前の学生生活の中で海兵学校の説明会にやってきた香取さんと鹿島さんによる異常なまでの勧誘行動に納得がいく。教官だった艦娘たちは提督のはずの俺が情けない姿を見せているのが嫌だったのだろう。香取さんたちは自分の提督を見つけることができてとても嬉しかったのだろう。
彼女らの好意は嬉しいが、その好意を受け取る権利は俺にはない。彼女らと戦ったのは確かだ、確かだけれども違う。違うのだ。彼女らが好意を向けるべきなのは俺ではなく、彼女らを指揮した俺ではない俺のはずだ。
俺はどうすればいい。好意がたまらなく苦しい。
※
「……敷波のことなんかどうせ忘れてるよねって思ってた」
「こっち来てから提督を見てたけど、前の半分くらいは記憶にあるみたい」
それに提督の様子がおかしくなったのは雷巡トリオ見てからだし、と川内はつぶやく。
「戦いが激化して、改二改装されていて練度が最大でも大規模作戦中は毎日のように誰かが大破。ようやっと乗り切っても次にはもっと強い敵が湧き出る」
「節操なしに司令官はケッコンカッコカリしてたのは、まあ文句なんて言ってられなかったよね。オンナノコとしてはちょっとフクザツだけどさ」
星1つもない曇天の夜空を敷波は見上げる。確かに提督は節操なくケッコンカッコカリをしていったが、でも以前よりも深く繋がった絆のおかげで彼がどれだけ自分を、自分たちを大切に思ってくれているのかが分かった。
ケッコンカッコカリは指輪型の特殊兵装であり一見大したものではなく見えるが、しかしこれは提督と艦の絆が無ければ両方共にひどいことになりかねない諸刃の剣であった。艦の魂に宿る力を強引に引き出すためには互いの信頼がなければならない、だからこそ練度99になるまでは使用が許可されなかったのだ。
無論、練度がなくても絆が深ければケッコンカッコカリは可能だが、無茶をした前例が続出したためにこうなっていた。
そして彼の率いる艦隊は、戦いが終わる頃には全員がケッコンカッコカリを済ませていた。
「全員とケッコンカッコカリしてたとか今の提督が知ったら卒倒するんじゃないの」
「いや笑い事じゃないよね」
ニシシとイラズラっ子みたいに笑う川内に敷波はじとーっとした目になる。前の戦況が悪化していた時も明るい日誌が徐々に真面目になっていったが、そこまで急激な変化ではなかった。
でも今は、先日まで内容が『白雪のカレーがうますぎて遠慮しないでくださいねと言われてうめうめうめと食ってしまった』『飛龍の大学生みたいなノリのスキンシップで勘違いしそう』『高雄型の一部が凶悪すぎてダメ』『暁のお子様ランチの旗を取ったらけっこう面白い反応だった』などなんというか色々とアレだけど楽しそうな内容だったがだけに落差で余計メンタルがひどい状況なのではと敷波は心配している。
「心配しなくてもきっと大丈夫になる。大丈夫にしてくれるよ」
「あぁ……うん、そうだよね」
きっと提督一人じゃだめでも二人なら今を越えられる、そういう信頼があるからこその一番目。
ふと、二人は少し離れたところから眠たげな表情をして歩いてくる駆逐艦を見つけた。
「お、あそこで手を振りながら歩いてくるのは睦月じゃん」
「これ返すよ。交代の時間だからアタシはこれで」
「うん、おやすみ敷波」
敷波が帰り睦月に挨拶をされた後、川内は闇夜の中軽々と地面を蹴って飛び上がり電柱の上に片足で立つ。冬の寒い風の中彼女のマフラーはたなびき、パタパタと音を立てる。
「さてと……んじゃ、提督の安眠を妨げるヤツとの夜戦の時間だよ!」
川内を見失いあちこちを探す自艦隊とは違う誰かの艦娘に向かい、川内は屋根伝いに駆けていった。