「と、こんなもんかな」
「きょーしゅくです!」
スッと机の上に差し出された紙を青葉型重巡洋艦の一番艦である「青葉」は受け取った。印刷機から吐き出されてまだほんのり温かい紙。彼女はいま相対している男の背にあるコピー機は音を立てて内部の掃除をしている。
ここは執務室、だがこの青葉の提督の執務室ではない。青葉は紙に落としていた視線をちらりと目の前に座る男の顔に向けた。目の前の男性は青葉の提督の学生時代の友人だった人物だ。
細く痩せた神経質そうな顔に大きめな目と高い鼻。黄色人種そのものといった風貌はしているものの、彫りの深さは西洋人のようである。学生時代に青葉の提督やその友人からは「ゲッベルスに似てる」と言われていたと青葉は聞いていたのだが、こうやってみてみると実際はそこまで似ていない。
一時期流行った映画に彼ら全員がハマってその影響からそう言っていただけである。事実、彼の眉は映画のゲッベルスと異なり太い。
「噂になっている常勝艦隊の艦娘が来てくれるだなんてね、いやあ光栄だ」
「いえいえ、おだてても何も出ませんよ?」
「事実だよ。あいつにもビックリだ、知らないうちに有名になっちゃって」
アハハ、と笑いながら彼は机に置かれた湯呑みを手に取る。そして先ほど初期艦で、そして秘書艦の五月雨が淹れてくれたお茶を飲んで彼は一息ついた。
また美味くなったな、と思いつつ真剣な表情で紙に目を通している青葉をじっとみつめる。
「青葉の改二ってどんなのかな、と思ってたけど、君は改二ではないんだな」
首を傾げながら観察するが、どこからどう見てもこの青葉は普通の青葉だった。
「衣笠は改二なんですけどね。どぉして私はまだ改なんでしょうねぇ~」
問われた青葉は全然どうしてだろうと思っていなさそうな声色で返答した。気にしていないのか、と彼は考える。改二ではないといっても、目の前の彼女は尋常でない練度の青葉だと思い出す。
どういったカラクリで新人のはずの友人がここまで練度を上げたのだろうと思いながら背筋を伸ばした。バキバキといった小気味の良い音と程よい衝撃が心地良い。だが、その音と重なったため青葉のつぶやきが聞き取れなかった。
「司令官が私の姿を思い出せば一瞬、ですけどね」
「ん、何か言った?」
「いいえいいえ何でもないです!」
両の手を青葉は振った。そして読み終えて机に置いていた紙にそっと手を乗せ感謝を述べる。
「いやあ頭が上がらないですよこれだけ書いてもらえて!」
「自分の提督を知りたがるのはどこの青葉も一緒だろうし慣れたさ」
彼の言うとおり、こうやって他の提督の青葉と会話するのは今までに何度もあった。記者を自認するらしい青葉は時間があるときに自分の上司の取材をしに他の提督のもとへ向かうことがよくある。彼の青葉もそうだったし、目の前の青葉もそのようだった。そのために思い出すかぎりの青葉の提督とのエピソードを書き上げてプリントしてやったのである。
ふつうの学生生活だったけれどいいか、と問えばそれでもいいと青葉が答えたために、適当に過去を思い出しながら業務の片手間に書き上げた。どうせここから他人に取材をしたりして裏付けをとっていくだろうしこの程度の適当なものでいいのだろう、多分。
「青葉と言えば青葉山、ここからでも見えるだろ?」
「さてどうでしょうねえ。自分のことですが全く気にしていませんでした」
あはは、と青葉は頭をかく。ここ舞鶴鎮守府のある舞鶴湾は青葉山から一望できる位置にある。
青葉が数枚のプリントを綺麗に整えてクリアファイルに入れる。それと時を同じくして扉が開く音がし、五月雨が部屋に入ってきた。彼女の手にはお盆、そしてその上にはお菓子とお茶が置かれていた。
「五月雨、それ誰かのとかじゃないよな?」
「大丈夫ですよ、はい!」
「同じこと言って赤城の茶菓子を持ってきたこと忘れてないけど」
後日なだめるために彼の財布が大破した。どこの鎮守府でもある話らしい。
「今日は大丈夫です、お客さん用にストックしてたやつです!」
ほんとかなあ、という声にほんとです! と五月雨が返す。のんびりとした日常風景に青葉は目を細めた。
五月雨が持ってきた落雁を一つ食べ、お茶で口を湿らせた青葉は問いかける。
「うちの司令官、学生時代になにかおもしろいことやってませんでした?」
「んー、前も言った香取教官や鹿島教官に詰め寄られた以外、ただ平々凡々な学生だったと思うよ」
田舎で学生をしていた頃を思い出す。提督というのにいちばん大事なのは資質であり、体力など付け焼き刃程度で十分だ。だからこそのんびりと学生をして数年扱かれただけの彼らがこうやって艦娘の上に立てている。
その資質というものは簡単に測れる。妖精が見えて意思疎通ができるだけでよかった、と言ってもそれができるのは希少中の希少。見ることだけはできる、というのはいても意思疎通は難しい。五月雨と出会って数年戦っている彼ですら時に妖精が好き勝手して困ることがある。
「そもそも妖精が見える、なんてことすら知らなかったよ」
「やはり事故から、ですかね」
「むかし本で読んだことがある。頭をぶつけた人間が音楽の勉強をしたことがなかったのに関わらずピアノをすらすらと弾けるようになった、と」
たぶんそういうやつじゃないのかな、と椅子を軋ませて彼は窓から空を見上げた。
「なるほどですね……それじゃ、うちの司令官のことはひとまず置いてからあなたに取材いいですか?」
「ダメです」
即答だった。だが、別方向からも返事が来る。
「いいですよ!」
「きょーしゅくです!」
「なんで五月雨が返事してんの」
勝手に五月雨が返答し、それに青葉が敬礼をする。彼は今まで青葉の取材にいい思い出が無かったのだ。他人の記事は笑って読めるけれど自分はいけない。他人の不幸(?)は蜜の味だが自分の不幸は苦いのだ。良薬でもないのに苦いのだ。
そんな思いがある彼とは反対に、五月雨は取材に積極的だった。やはり自分の提督が知られるというのは嬉しいことなのだろう。
「定番の質問からいきます。彼女とかいらっしゃらないのですか?」
「ちょそれ今関係ないだろ!?」
「関係ありますよあなたの取材ですし。で、いるんですかぁ? いないんですかぁ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべ青葉が再度問いかける。嫌な予感が当たった彼は冷や汗を垂らしながらなんと返答しようかと頭をつかう。返答次第ではとんでもないことになるからだ。
しかし、その思考は無駄に終わった。なぜなら横から五月雨が口を出したからだった。
「提督に彼女はいませんよ! ぜっったいいません!」
「おや、そうなんですか? てっきりこの人は五月雨さんと付き合ってるものと思ってたんですけどねぇ」
すっとぼけた表情で青葉が呟く。
「あう……」
「そ、そんなわけないだろ!」
すると、彼女の言葉が刺さり顔を赤くしてうつむく五月雨と、いきなり慌てだした彼。なるほどやはりそうだったか、と二人の様子を見てさらに青葉のニヤニヤ笑い深くなる。別に青葉はこの二人の恋路を邪魔するつもりはないので馬に蹴られるなんてことはないだろうが、こういうのを見るといじりたくなってしまうのが彼女の性なのだ。仕方のないことなのだ。
二人の関係は本人たちからしたら隠しているつもりだったのかもしれないが、見ていればバレバレだった。また事前にここの艦娘たちが二人の関係に気付いているけども気付かないふりをしてあげている、というのもリサーチ済み。最初から詰みの状態である、合掌。
「うちの司令官のご友人がまさか、こんな小さな子に欲情するロリコンさんだったなんて」
「ロリコンじゃねえから。ロリが好きなんじゃなくて五月雨が好きなだけだから!」
「でも五月雨さんは小さい女の子ですよ? というかぶっちゃけましたねぇ」
慌てる彼の顔を激写。「あ、いい表情もう一枚いいですか?」とマイペースにシャッターを切り続ける。その横で人前で大胆に告白された五月雨は更に顔を赤くしていた。
「それに五月雨には将来性があるし! 白露型を見てみなよ!」
「こりゃまた大胆なセクハラですねぇ」
「あー! もう!!」
暖簾に腕押し、適当言ってからかってくる青葉に吠えた。
この後も青葉によって根掘り葉掘り聞かれることとなり、出撃していた艦隊が帰投するまで質問攻めをされていた。帰ってきた艦隊はげんなりしている提督と、よその青葉をみて一瞬ですべてを理解した。超速理解だった。助けなくても害はない、むしろ面白いことになるということでスルーされる。そのために彼は四面楚歌の状況のまま質問攻めが続行された。
お前らあとで覚えておけよ、彼はそう心のなかで呟く。
「打てば鳴るって感じで面白いですねぇ! さすが司令官のご友人」
「帰ってくれ」
結局、青葉が満足して帰路についたのは夕方だった。もう来んなと青葉が去った後に塩が撒かれたらしいが知ったことではない。取材に犠牲はつきものなのだから。
鎮守府を出て駅まで移動し電車に乗り込んだ青葉はノートPCの電源を入れる。わざわざ休暇をつかって来た甲斐があったな、と思いながら受け取った文書ファイルを整理していく。自分の提督のことを知りたい、という欲求に従って彼の知人を訪ねること数度。今回ようやく同業の彼とアポイントが取れた。
提督になるまで何をしていたのか、どういう学生生活を送っていたのか、どういった幼少期を過ごしたのか。それらを仲間の助けも借りて調べ上げた。他人からの評価、自分自身の評価、家族からの評価も出来るかぎり全てだ。
調べれば調べるほどごく普通のそこらへんによくいる少年だった。しかし在学中に起きて、学校をやめざるを得なくなった大きな事故から一変した。
提督の家族は言った。まるで人が変わったような――そのまま成長して老成したようだと。
提督の友人は言った。どこかよそよそしくなった、と。
「事故による記憶の復活……記憶喪失の真逆ですねぇ」
重巡の力でワンパンすればすべて思い出すだろうか、と青葉は恐ろしい思いつきをした。しかしそれは最終手段にしておこうと一旦保留する。自分の知らないところで提督の寿命が縮んだかと思うと伸びた瞬間だったが油断はできない状況。油断しようにもワンパンされそうなこと自体を提督は知らないのだが。
艦娘と提督はそれこそ運命の赤い糸で結ばれている。艦娘は船とそれに内包された幾多の魂の集合体という、あやふやな存在。それでも国を守るため力を貸さんとする彼女らをこの世に繋ぎとめているのが提督だ。艦娘を指揮下におき、その力を最大に発揮させるためには、提督自身も人間以上の魂を持つ彼女らの負担に耐えうる強い魂を持つ必要がある。『今』より研究が進んで様々なことが解明されていた『前』での結論がこれだった。
これに当てはめて青葉は提督の魂が記憶の回復に引っ張られて半分ほど目覚めていると推測する。即ち彼女らはまだ半分の力しか彼から引き出してもらっていないということ。だからこそ青葉は改二になれていないのだろう。
「さて、趣味の調べ物もそこそこにして本題の情報収集もしなくてはいけませんねぇ」
先日手に入った情報を思い返す。ある鎮守府の艦隊がまるごと消えたというのだ。大体なにがあったのかは想像ついていたし、裏付けも取れている。
(艦娘が『力を貸してあげている』のに勘違いする輩ってまだいたんですねえ。きちんと教育していたんでしょうか)
見た目麗しい艦娘たちが好意的に接してくるのだ。それもずっと男ばかりの環境だったというのにそういうことをされたら勘違いして暴走してしまう提督が出てくるのも仕方のないことだろうが。
艦娘がこの世から消えることは真正面から殴り負ける以外にもある。それは艦娘自身がこの世から離れる決意をすることだ。
提督になって順調に進む中で立場が上だからと傲慢になりおかしな要求でもしたに違いない。だが忘れてはならないのは、のうのうと平和な世界で成長した提督とは違って、艦たちは命の炎を燃やしてきた誇りを持っているということだ。
提督は決して力を貸してもらっているということを忘れてはならない。これが提督候補生が習う最初の言葉。
(女子は噂好きですからねぇ。一人が嫌になって消えたら連鎖して消えていくことだってありえなくもない。しかも艦隊自体が30ほどという、成長しはじめの少数なら全員消えていくのもありえますねえ)
こういうことがあるから若い提督がなかなか任命されない。
良くない提督を引いてしまった仲間たちをかわいそうに思うが、それよりも青葉はその抜けた艦隊の穴を誰が埋めるのかに思考が行く。
(少しでも司令官に好意的な人間が新しく任命されてくれたら嬉しいのですが)