試作 艦娘たちの憂鬱   作:かのえ

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3 憂鬱な岩風呂

「ほんっと疲れたな。人付き合いも大変だ」

「お疲れ様なのです」

 

 車の中でぐったりしている提督に電が助手席から振り向いて声をかけた。疲労困憊、といった様子の彼はすでに制服を着崩している。他提督との会議や立食パーティー、よく知らないお偉いさんとのお話などなど精神に多大な疲労を負っているようだ。

 こころなしか彼にひっついている妖精も疲れている様子なのだが、果たして彼女らに疲れる出来事などあったのだろうか。雰囲気に合わせているんだろうな、と提督は適当に考えを放棄する。

 

 地獄のような数日を彼は思い出す。

 

「飲みニケーション? ていうのか。酒が苦手だからほんと辛くて辛くて」

「鍛えたら飲めるようになるわ。今晩、どう?」

「謹んで遠慮させていただきます」

 

 運転席の陸奥が誘ってきたが断った。即答だった。酒の強い彼女に付き合わされると潰されるのが目に見えていると提督は考えるが、さすがに陸奥も考えなしではない。考えなしでは無いはず、と電が苦笑いを浮かべる。飲める人間は時に横暴なのだ。

 なおアルコールは鍛えたら飲めるようになる、なんてことはない。

 

「でも司令官さんは別にお酒、嫌いでは無いですよね?」

「そうなんだけどさ。美味しいのを少しだけでいいかな」

「あなたの好きなペースで飲めばいいのに」

「男には色々あるんだよ、色々」

 

 男は時に見栄っ張りである。女の子より飲めないのが恥ずかしいのだ、この男は。

 

「そう。私はいつでも待ってるからその気になったら誘ってちょうだい?」

「……おう」

 

 間を開けての返答、絶対に彼は誘う気が無かった。

 

 それからしばらくして鎮守府にたどり着いた。夕日が海に落ちていて大層美しい光景であったのだが、提督にはそんなことは関係がなかった。

 車から降りた彼が小走りで去っていったのを陸奥と電は見送り、そして顔を合わせて呆れたように笑った。提督は真っ先に自室に向かう。数日分の疲れを癒やすためには風呂に限る、と彼の脳内は風呂でいっぱいだった。

 

 昼間は晴れていたのだがいまは冬真っ只中のために暖かくなんてちっともない。体の芯が冷える寒さの中「おお寒い寒い」とひとりごちながら提督は廊下を小走りで移動する。あまりにも意識が自室に向かっていたために、不注意からか曲がり角からぬっと出てきた少女にぶつかりかけてしまった。

 衝突しないよう急ブレーキをして態勢を崩した彼の腕を、グッと引っ張ったのは吹雪型の五番艦「叢雲」。呆れたかのような目で彼女は提督に声をかける。

 

「帰ってきたばかりなのに、まったく落ち着きが無いのね」

「や、叢雲ただいま」

「はいおかえりなさい……じゃなくて!」

 

 提督が姿勢を戻したのを見て彼女は掴んでいた手を離す。それと同時に「まずは謝りなさいよ」と睨むように薄い色素の瞳で提督を見上げながら彼女は言った。

 

 叢雲は芋っぽい田舎女学生な見た目の同型艦の中で、一番垢抜けて都会っぽい子である。と、提督は目の前の少女に怒られながらぼんやりと考える。それなりに垢抜けた彼女のことだ「やーいお前の姉妹艦田舎っぺ」なんて言えば無言の蹴りを入れられるだろう。

 幼いながらも肉付きが良いという体、そしてそのアンバランスな危うい色気を引き立てるぴっちりとした黒インナーは男の目に悪い。プロポーションも抜群で肉付きもえっちいとなればこう、駄目なのだ。

 

「ちょっと聞いてるの?」

「聞いてないよ」

「あんたねえ!」

 

 あさっての方向に視線をやって適当に返答した提督に、両腕を上げて「うがーっ!」と何とも言えない鳴き声を叢雲はあげた。突き上げられた両手を彼は掴み左右に大きく振ってみるとそれに抵抗しようとしてくる。面白いが本気を出されたら一瞬で振り払われるので限度が重要だろう。

 

「お説教はあとで聞くからまず部屋に帰らせて。疲れた」

「……まあ、仕方ないわね」

「そして飯食って寝るから」

「明日になるじゃないの! いつもいつもこの私をバカにして……!」

 

 叢雲は気が強いからか、少しちょっかいかけただけで即座に反応してくる。提督は確実に彼女のそういうところを楽しんでいた。だがやりすぎた場合は姉の吹雪にチクられる、それは良くない。

 吹雪みたいな生真面目な小さな子に説教だけはされたくないのだ。しかし、そう提督は常日頃考えてはいても、吹雪より小さな子にしょっちゅう説教されているのをきっと忘れている。電はちょっぴり特型長女の吹雪に似ているのだ。

 

 それじゃあ急いでるから、と小走りで駆け出す背中に叢雲の廊下を走るなとの声がかけられるが、彼はそんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりの速度で自室に移動した。

 

 提督の自室には彼専用の風呂がある。艦娘たちには大浴場があるのになんで自分はこんな狭いのだろうとたまに考えるが、人数の差だと諦める。

 一度だけあまりにも艦娘たちが羨ましくて口が滑り「俺も大浴場に入りたい」と呟いてしまったのだが、近くでそれを聞いた駆逐艦に引っ張られて大浴場に連行されかけた。

 もしあのとき彼が島風や夕立、如月などの構ってちゃん駆逐艦によって大浴場に本当に連れ込まれてしまった場合、色々大変なことになっていたに違いない。事情がどうであれ悪いのは男性なのだ。

 

 やはり慣れ親しんだ風呂はいいなあ、と満足して浴室から部屋に移動すれば、どういうことかそこには叢雲がいた。

 

「あれなんで叢雲いるの」

 

 彼女は椅子に座って本を読んでいた。提督はさっき鍵をかけたはずと一瞬不思議に思ったが、きっとかけ忘れたのだろう。提督が出てきたのを見た彼女は本を閉じて机の上に置く。

 

「ここにいれば逃げられないでしょう?」

 

 叢雲は説教の続きをしにきたのだろうが、しかしそれよりも綺麗に整えられていた布団に提督は倒れ込んで情けない声を出した。

 

「うあぁ……やっと帰ってこれたよ叢雲ぉ……」

 

 上官の部下に普通は見せるべきでないだろう情けない姿を見た叢雲は少し顔をしかめて椅子から立ち上がり、そして彼の倒れている布団に座った。 

 

「全く、もう少しシャンとしなさいよ。アンタがそんなんだから陸奥さんと榛名さんの喧嘩が続くのよ」

「……俺すっごいしっかりものだし。てかあの二人のあれ関係ないっしょ」

 

 もごもごと布団に顔を埋めながら喋る提督の頭を叢雲はグッと下へと押し付けた。呼吸の苦しくなった彼が「叢雲さんギブギブ!」と布団をバンバン叩いて、そしてようやく解放された。

 

「……死んでも馬鹿は治らないだろうからいっぺん沈めてからもっかいヤればいいのかなって思ったんだけど?」

「二度も殺す気か、せめて死ぬときは叢雲の太ももに顔を――」

「沈め」

 

 顔を真っ赤にした叢雲によって情け容赦なく提督はまた頭を抑えつけられた。今度は片手で布団を叩いても解放してもらえなかった提督は両手で布団を叩いて、そしてようやく許された。

 うつ伏せの姿勢から叢雲の顔が見えるように提督が体を捻る。ひっくり返った提督は死んだ目で別世界へと視線をやっているようだった。

 

「泣くよ?」

「あら、曙に会うたびクソ提督と呼ばれて喜んでるアンタなら、これはご褒美じゃないの?」

「元気なときならね」

「あっそ、都合のいい男ね」

 

 元気なときなら喜んでいただろうが、もしそうでもドMではないのでそれ以上はいけない。再起不能になってしまうのは確定的に明らかで、悲しみに包まれながら伊号潜水艦と共に急速潜航するだろう。提督は死ぬ。

 しばらく天井を見つめた後に重い体をやっとの思いで彼は持ち上げて、まとめておいた荷物に手を伸ばした。届かなかった。

 

「叢雲取ってくれ」

「……あんたの母親じゃあないんだけど」

 

 そうは言いつつも取ってあげている叢雲は優しい娘だった。

 

 部屋を出てから叢雲に普段の生活態度や心構え、その他諸々について説教されながら執務室へと提督は歩いていたのだが、その目的地にある異変が起こっていた。

 執務室の扉がある位置が見えてくるとともに、二人は違和感を覚え始める。

 

「これって……」

「暖簾、しかも温泉でみるようなやつ……」

 

 叢雲の言うとおりのものがそこ、執務室の扉にはあった。何か知ってるか、と提督は彼女に問いかけるも叢雲も知らないようである。

 扉の真ん前にまで歩いてきた二人は、その暖簾を触りながら首を傾げる。

 

「鎮守府のことであんたが知らないのに私が知るわけないじゃない」

 

 二人して顔を見合わせてから数秒、沈黙を破ったのは叢雲だった。

 

「とりあえず開けてみましょ」

 

 そっとドアノブに手をかけて、そして扉を開いた。

 二人の目に飛び込んできたのは白、真っ白な光景。生暖かなそれは微かな腐卵臭があり、つまりまるで温泉の湯気のようだった。いいや、実際に湯けむりだ。

 謎の湯けむりの向こう側には岩風呂があった。つい先日まで執務室だったはずの部屋の中に岩風呂があったのだ。茫然自失といった状態の提督に、岩風呂の中から声がかかる。

 

「おお、やっと来たか筑摩! いやあ温泉は素晴らしいものじゃ、ほれ早く……って」

「……は?」

「お、提督じゃないか久しぶりじゃな!」

 

 そこには普段はツインテールにしている髪を、タオルで湯につかないようまとめて上げている利根の姿があった。濁った湯に入っていても彼女は全裸なのだが、恥ずかしがる気配すらなく堂々としていた。利根は大きく手を振って更に声をかける。

 

「ふふん、どうだ良い温泉岩風呂じゃろう? お主も入るか?」

「お、おう?」

「ようし、善は急げじゃ。吾輩が脱がしてやろう!」

 

 ざばっと勢い良く利根が立ち上がり、そして

 

「ボケっとしてるんじゃじゃないわよ! あっち見るなこの変態!」

 

 同時に提督の頭部へと背伸びした叢雲の一撃、そして元執務室の外へと叩き出された。

 

 それから十数分後、叢雲からの連絡にやってきた電に頬をペチペチと叩かれて正気を取り戻した提督はやってきた電、大淀、そして叢雲と共に利根を座らせて囲んでいた。叢雲以外は泣く子も黙る実質艦隊のトップ、しかもその三人に睨まれている状態、しかし利根はなんでこうなっているのか理解していない様子だった。

 咳払いをしてから大淀が利根に詰め寄る。

 

「はい、では利根さん。弁明があればどうぞ」

「弁明? おお、岩風呂のことか! 執務室に温泉があればいい眺めで入れると思ったのじゃ! ふふん、どうじゃ良いじゃろう!」

 

 吾輩は何か悪いことをしたのか、とすっとぼけた表情で、むしろ胸を張ってぬかす利根。それを聞いた提督は叢雲、電に目配せをしてから三人同時に判決を言い渡した。

 

「有罪だ」

「有罪ね」

「有罪なのです」

 

 満場一致の有罪である。これで利根の未来は決定した。利根からすればいきなり有罪と言い渡されたために、いきなり慌てはじめる。

 

「ま、待て! 吾輩はただ執務室に温泉があればいいな、といっただけで設置したのは吾輩じゃないのじゃ!」

 

 よりにもよって共犯者を売ろうとしていた。利根を囲む四人の脳内には何人かやりそうな連中がピックアップされる。だがどれも推測の域を出ないために、利根に吐かせるしかあるまい。非常に心苦しいが、提督は利根にとって一番重いと思われる判決を言い渡す。

 

「判決、一週間筑摩抜きな」

「なんと!」

 

 利根は絶望したような顔をした。それもそうだろう、彼女は筑摩無しでは生きていけない。もし筑摩がいなくなったのならこれから誰が彼女の焼き魚から骨を取るのか、誰が彼女の部屋の掃除をするのか、誰が彼女を寝かしつけて起こすのか。

 あまりにも残酷な、悪魔のような所業ともいえる提督の判決に、その他の三人は心が痛んだ。

 

「早く共犯者を吐け利根、でないと筑摩抜きが二週間になるぞ」

「二週間も!? ちくま……ちくまぁ!!」

 

 なお共犯者は初春だった模様。のじゃのじゃ喋る者同士波長があったのだろうか。

 一見落着、といった様子の提督だったが、大淀が彼の腕をガシッと掴んで眼鏡を光らせた。それを見た提督はなにか嫌な予感がしたのだが逃げられない。艦娘に人間が勝てるわけがないのだ。

 

「そういえば叢雲さんに聞いたのですけど、提督は利根さんの裸を見たそうですね」

「え」

「未婚女性の裸を覗くなんて、とんだ変態さんなのです!」

 

 数分後、俺は無罪だと叫んで走り去っていく提督、そしてそれを追いかける電、叢雲に岩風呂に入ろうと執務室に向かっていた筑摩がすれ違ったそうな。

 

 なお、岩風呂を無くすのはもったいないとのことで執務室は空き部屋に移動することとなった。


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