死にたがりとシンデレラ   作:いおな

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更新があいてしまい申し訳ございません。
感想欄に少し書かせて頂いたのですが、書き直しをすべきか検討していました。
しかし、更新できずに埋没していた拙作でも
お気に入りに入れてくださる方がいらっしゃるようなので
とりあえずは続けていこうと思います。
UAも10000を超え、お気に入りにして下さる方も250人を超え、嬉しい限りです。

クオリティに関しましては、おそらくいつも通りこれ以上のものは出せないと思います。
なので、読んで頂ける方には申し訳ないですが、
あわない方にはとことんあわないものになっていると思います。
そういった方はお手数ですがブラウザバックをお願いいたします。


7話

「あなたのことが、わからないのよ……」

 

 40代半ばぐらいだろうか。女性が両手を顔に当てて泣いている。

 その隣で同じ年代の眼鏡をかけた男性がその肩を抱きながら、こちらを沈痛な面持ちで見ている。

 

「お前は、何がしたいんだ……?」

 

 彼の口から出るのもまた困惑の言葉のみ。

 しかし、その問いも別に答えを求めているものではないのはわかっているため、自分が口を開くことはない。

 というよりは、何か言ってたとしても信じてもらえないのだから答えを返す意味がない。

 

「好きだって言ってた部活もすぐに辞めて……その理由が友達がいないから? 友達ができたって嬉しそうに言ってたのは嘘だったの!?」

 

 癇癪を起こしたようにヒステリックに叫び、自分を見やるその目に宿っているのは、悲しみなのかそれとも怒りなのか。

 

「そのあとも学校で問題ばかり起こして……どっちのあなたが本物なのよ。家でいつも笑っているのがあなたなの? それとも問題ばかり起こすのがあなた?」

「私たちはな、お前のことがわからなくなってきたんだ。中学まではとりわけ問題児だったわけでもない。むしろ優等生側だったはずのお前がなぜ、急に問題ばかりを起こすようになってしまったんだ? 遅れてきた反抗期なのか?」

 

 この一方的な問答も何度繰り返してきたかわからない。

 初めのときに一度だけ弁解したことはあるが、嘘をおっしゃい、と簡単に切り捨てられてしまった。

 問題を起こした現場に自分の私物があったというだけでこれなのだから、おそらく何を言っても無駄なのだろう。

 

 それとも、してもいない行いを自分がやりましたとでも言ってほしいのか。

 そうしたら、目の前の二人は心が満たされるのだろうか。その心労から解放でもされるのだろうか。

 

 まあ、それも正直もうどうでもいいことか。

 この人たちの顔色を伺うことも、笑顔の仮面をかぶり続けることももううんざりだ。自分がやってもいないことを認めるのも我慢できない。

 誰も自分のことを信じてくれないのに、僕が"ここ"にいる意味なんてあるのだろうか。

 

 

 

 

 あまり気分のいい目覚めとはいえなかった。

 なぜ今更、前世の記憶など夢に見なければならないのか。

 うなされていたのか、寝汗で寝間着が肌に張り付いていて気持ち悪い。

 

 異常に乾いた喉を潤すために冷蔵庫からミネラルウォーターを一息にあおる。

 あまり一息に飲み干すのは体に良くないらしいが、知ったことではない。

 

 幾分か気分は持ち直したため、いつものように顔を洗いに洗面台に移動する。

 しかし、洗う前に鏡に映った自分の顔はとても人様に見せられるような状態ではなかった。

 どんよりと目は澱んでおり、この世の終わりでも見たかのような真っ青な顔をしていた。その頬に白い髪がべったりと引っ付いている。

 乾いた笑いが口から漏れるが、空元気でしかなかった。

 これは顔を洗うだけでなく、シャワーも浴びたほうが良いかもしれない。

 

「……誰からも信じてもらえない人が、生きてる意味ってあるのかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミニイベントから一日経った今日。私は自分の気持ちを整理しきれないまま、CPの部署の前に立っていた。

 自分の中では克服したと思っていたが、思いのほか過去の出来事は私に爪痕を残していたようで、今でも昨日の本田さんの一言が胸中に渦巻いている。

 果たして、アイドルを辞めると言った本田さんは来てくれているのだろうか。

 

 自然と脈が速くなっているのを自覚しつつ扉を開けると、期待したまなざしを向けたNGのお二人と視線が交錯する。

 やはりというべきか、そこに本田さんの姿はありませんでした。

 そのことに一つ息を吐いてしまったのは、会わずにすんだ安堵のためだったのかは自分でもわからなかった。

 

 彼女が来ていないことに対して、渋谷さん島村さん両名から本田さんの住所を教えて欲しいと頼まれた。

 私たちが直接話をしに行くから、と。しかし、それを認めるわけにはいきません。

 あれからさほど時間が経っていないということもあるが、今の社会で個人情報の保護というのは何かとうるさいものだ。

 それを盾にしているようで申し訳なかったが、お二人には引き下がってもらうほかなかった。

 あとは私のほうもこれから直接、彼女と一度落ち着いた状態で話をしにいかなければならない。

 そういった心の準備という面では、ここで会わなかったのは僥倖だったのかもしれない。

 

 窓を通して見える空はどんよりとした雲で覆われている。

 今にも空は泣き出しそうで、まるでここにいる二人の気持ちをそのまま表しているかのように思えた。

 NGから始まった問題は、今では彼女たちだけにとどまらず、CP全体の問題にまで発展していた。

 先行デビューという形をとったミニイベントのつまずき。それは残りのメンバーにも不安を与える結果になってしまった。

 

 渋谷さんたちとの会話を早々に切り上げ、本田さんの住所が記載されている書類を確認する。

 彼女の実家は千葉なので、交通機関を乗り継いでいけば一時間ほどでつくことができるだろう。

 しかし、何を本田さんに言われるのかと想像してしまうと途端に足が竦んでしまう。

 もう一度アイドルを辞めると言われてしまったら、私はそのときに気を強く保っていられるだろうか。

 うまく動いてくれない足に喝を入れて、必要なものをまとめて彼女の実家を目指す。

 その途中で、連絡をいれていなかったことを思い出してメールを飛ばしたが、いつまで経っても返事は返ってこなかった。

 

 嫌な予感を拭えないまま、彼女が住むマンションに到着してしまう。

 もう一度メールを出してみても、一向に返事がくる気配は無い。

 それならと電話に切り替えてみたが、むなしくコール音が続くだけでこちらも取ってくれそうな様子が見られない。

 十分程度そんな状況で立ち尽くしてしまったせいか、怪訝な表情でマンションの住民であろう主婦の方が私の傍を通り過ぎていった。

 これ以上ここに立ち尽くしていて、不審者と通報されるのは何かと問題がある。

 覚悟を決めて本田さんが住む部屋に、インターホンで直接呼び出しをかけてみるとすぐにつながり、弟さんでしょうか。幼い男の子の声に事情を説明すると「ちょっと待っててください」という言葉を残して立ち去っていった。

 数十秒待っていると、聞きたくて聞きたくなかった本田さんの声がインターホン越しに聞こえてきたが、

 

「会いたくない。家にまで来ないで」

 

 取りつく島もなく、一言でばっさりと切り捨てられてしまった。

 しかしここで、はいそうですかと追い返されるわけにはいかなかった。

 なけなしの勇気を振り絞って、何とか食い下がってはみたものの、

 

「私、アイドル辞めるって言ったよ?」

 

 その一言で、私の覚悟は木っ端微塵に蹂躙されてしまう。

 そこからは何を話したのか曖昧で、あまり良く覚えていなかった。怒鳴られたような気もするが定かではない。

 気づいたときには美城に向かう電車に揺られながら、ボーっと流れ行く景色を見つめているだけだった。

 そこでようやく、私は何もできなかったのだということを痛感した。

 

 苦々しく歪みそうになる表情を我慢しつつ、スマホを確認すると着信が一件とメールが一件入っていた。

 電車の中なので折り返しができないが相手を確認すると、久遠の二文字がディスプレイに表示された。

 急用だったのなら申し訳ないことをしたと思いながらも、この状況を作り出したのも彼なので少し複雑な心境になってしまう。

 言葉を選んでほしい、と言っていたのは彼なのに、当の本人が本田さんを追い詰める結果になったのは何か意図があったのだろうか。

 NGに危機が訪れると言っていたのは当たっているが、それを彼が引き起こしているのだから笑えない。

 今までこちらに不利益なことは行っていなかったように思えるが、今回のことにプラス要素があるとは思えない。

 頭の片隅で考察しながら、メールのほうを開いてみる。

 こちらも送り主は先ほどと同じく久遠さんだったが、島村さんの体調が悪そうだったので早退させたとのこと。

 部署で会った際にはそうは感じなかったが、島村さんも渋谷さんも宙ぶらりんの状態で本人たちも気づかぬところで疲れがたまっているのかもしれない。

 ありがとうございます、と返信をしてからこういったところはいつもの彼だと再度思考にふける。なぜ、あんな言葉を言ったのか確かめてみる必要がありそうですね。

 

 美城に帰り着き、敷居を跨いだときにちょうどレッスン終わりだったのでしょう。渋谷さんと鉢合わせてしまった。

 

「未央は?」

 

 期待している声音でしたが、何もすることができなかった私は無言で返すしかありませんでした。

 

「追い返されたの? なんで?」

「会いたくないとのことでしたので……今は、彼女の意思をくみたいと思います」

「……それでいいの?」

「用事がありますので……」

「ちょっとっ!」

 

 もちろん私に用事などありませんでした。

 しかし、渋谷さんの正論は何もできなかった私には突き刺さり、その場にとどまる事ができなかった。

 自分のことを卑怯だとは思ったが、今は一刻も早くここから立ち去りたい気持ちのほうが勝ってしまう。

 

「未央も戻ってこなくて、卯月も早退しちゃって、あんたもそんな状態で……私は誰を信じればいいの?」

 

 その一言は私をその場に縫い付けるのに容易かった。

 立ち止まって彼女のほうを振り返る。予想していたよりもずっと悲しげな瞳をむけられて、胸がきゅっと締め付けられた。

 

「久遠が言ってたNGの危機って言うのは、たぶんこのことだと思う。だから私はあんたのことを信じたい。でも、その久遠のせいで今こんな状況になってる。だからいまいち、あの人のことも信じられなくなった。私は、結局誰の言葉を信じればいいの?」

 

 簡単に答えられる質問ではありませんでした。

 ここで私を信じていれば大丈夫です、と胸をはって答えられたらどれだけ良かったことでしょう。しかし、すげなく追い返されてしまった私にはそう言えるだけの自信がなかった。

 

「……申し訳ありません」

 

 結局、私の口から漏れ出たのは、質問に関する答えではなく逃げの謝罪だった。

 私の答えが耳に入った途端に、渋谷さんが一層悲しみを孕んだ瞳で俯きながら呟く。

 

「あんたのこと、信じてもいいと思ったのに……」

 

 体の向きを変えて、早足になりながら立ち去っていく彼女の後姿が目に映った。

 咄嗟に伸ばした右腕は、当然のことながら彼女に気づかれることもなく、空しく空を切るだけでした。

 渋谷さんの後姿と、先日の本田さんの後姿が重なる幻視が起こる。立ち眩みのような不快感を覚えながら、伸ばした腕を下げるしかなかった。

 私に失望した渋谷さんが、おそらく明日ここに来ることはないのだろう事は容易に想像できました。

 言葉に気をつけて、ですか。これのことだったのかどうかは今となってはもう、わかりません。

 しかし、私が選択を誤ったことだけは理解できたのが皮肉だった。

 二日と経たないうちに、二人のアイドルがここを去ってしまった。

 

「私は、どうすれば良いのでしょうか……」

 

 美城の灯りに照らされて伸びる自分の影は、どこまでも暗かった。

 光が強いと、そこにさす影はどこまでも暗い。今は、今だけはこの強すぎる光がどこか恨めしかった。

 立ち尽くす私の頬を、風が撫でていく。春先は過ぎたというのに風は冷たく、私の心にも同じような風が吹いた気がした。

 

「どうされました? 武内さん」

 

 そんな時だった。背後から男性にしては少し高い声が届いたのは。

 振り向けばそこには、いつも通りの無表情を浮かべた久遠さんの姿があった。

 制服に身を包んだ彼が違う点といえば、その無表情がいつもよりも青白く見えるところだろうか。

 

「そのご様子だと、言いたい事、訊きたい事、あるんじゃないですか?」

「……そうですね」

 

 少し雰囲気が違うと感じたが、久遠さんは久遠さんだった。

 全てを見透かしているかのようなところは変わっていなかったし、それを普通だと感じる私も相当に毒されてきているのでしょう。

 

「こんなところで立ち話でもなんですし、どこか入りましょうか」

 

 少し歩いたところのメルヘンチックな喫茶店に二人で入る。

 美城カフェがやっていればそちらでも良かったと思うのだが、本日の営業時刻は残念ながら終了していた。

 彼にとってはよく来ているところなのか、口ひげが濃い店長らしき人と二言三言かわしている。

 その人に店奥のテーブル席まで案内してもらい、そこに腰掛ける。気を利かせてくれたのか最奥に案内されたが、どうやら今は私たち以外に客はいないようだった。

 久遠さんはアイスティー、私はアイスコーヒーを頼み、恭しく一礼した店長を見てから久遠さんに視線を戻す。

 

「本田さんと渋谷さんに、アイドルを辞めると言われてしまいました」

「……そうですか」

 

 渋谷さんには直接言われたわけではありませんでしたが、間違っていないと思う。

 ワンテンポ遅れてはいたがさして驚いていない様子から、これは予想の範囲内だったということに気づいてしまった。

 

「渋谷さんもおっしゃっていましたが、私もあなたのことがわからなくなってしまいました」

 

 久遠さんの表情筋が心なしか硬くなった気がした。しかし、それは一瞬のことで私は気に留めることもなかった。

 

「それはそうでしょう。むしろ気持ち悪いと思われても仕方ないと思いますけどね」

「久遠さんは、こうなることを知っていたのですか?」

「……知っていましたよ。少し違うところといえば、凜ちゃんが出て行ってしまうのが一日早かったという程度です」

 

 急激に視界が歪んでいくような錯覚を覚える。

 当の本人はさも何でもないことのように、メニューを立てかけに直しながら返してきたが……

 何度繰り返してきたかわからないが、目の前にいるこの人は何者なのでしょうか。テーブルを一つ挟んでいるだけなのに、ものすごく遠い存在のような印象を受けた。

 左手にある窓には、雨が降ってきたのかぽつぽつと水滴がつき始める。それがいやにはっきりと見えた。

 

「わかっていたなら、なぜ止めてくださらなかったんですか」

 

 これは、私の心の叫びだったのかもしれません。

 わかっていたのなら、知っていたのなら止められたはずなのではないですか。

 むしろそれを助長したのはなぜなんですか。

 諸々の感情が綯交ぜになった血反吐のような問いを受けて、久遠さんは力無く笑った。

 

「あなた方には、特に武内さんには必要なことだと思ったので」

「……どういう意味ですか?」

「まだ彼女たちとちゃんと話してないんじゃないですか? まあ、こうして面と向かって話していて、はぐらかす僕が言える義理ではありませんけど」

 

 タイミングよく運ばれてきたオーダーを、口にしてから続ける。

 

「莉嘉ちゃんやみりあちゃんが言ってました。武内さんが何を考えてるかわからない、だそうですよ? あの娘たちにあなたが考えていることを、伝えてあげてはくれませんか?」

「久遠さんがそれを言いますか?」

 

 いつも胸に秘め事をしている彼に言われても、説得力が皆無なのは否めなかった。

 

「……そうですね。一番僕が自分のことを棚に上げてますよね。でも、あの娘たちにはプロデューサーのあなたが必要なんです。これだけは絶対です。ただのいち先輩である自分ではなく、プロデューサーの武内さんが、です」

 

 語気を強めて言う久遠さんの目は真剣だった。しかしすぐに、自嘲的に笑う。

 

「そして、CPに僕が必要でないということも……絶対ですね」

「そんなことは……」

「いいえ、武内さんがなんと言おうとこれは揺らぐことのない事実ですよ。僕がいなくても以前のストライキも乗り越えましたし、今回のことも乗り越えられるんです。これからの障害も」

「……乗り越えられるんでしょうか」

 

 いまひとつピンとこない。ガタガタの使い古した自転車で走行するよりも、今のNGは危険な状態であるのは明白なのに。

 

「はい。怨んではいますが、神に誓ってもいいぐらいには保障できます。あと、得体の知れない不気味な存在として助言をするなら、昨日のミニイベントの参加者たちに感想を訊くことですかね。特に卯月ちゃんからは、得がたい何かを得られると思いますよ」

 

 本当にこの人を信じてもいいのだろうか。

 疑う気持ちが胸中にあるのは紛れも無い事実。

 しかし、今後どうしていけばいいのかわからないというのも現実だ。

 そこで提示されたミニイベントの感想を訊けば、何かが変わるという。

 藁にも縋りたい思いでいるのも確かだった。蜘蛛の糸を私は登ってもいいのでしょうか。

 

「本当にそれだけでいいんですか?」

 

 言葉は無く、ひとつ頷くことで返される。

 それを訊くことによって、特に島村さんから何を言われてしまうのかと思うとあまり行動には移したくは無い。

 一応私も血の通った人間だ。多くは性格上語らないが――口下手で伝わらないが正しいのかもしれない――感情を持ち合わせていないわけではない。

 アイドルが去ってしまうことを恐れていたし、思っていた以上に自分の中でトラウマだったということに気づけた。

 しかし、私のちっぽけな勇気ひとつで事態が好転するのであれば、おそらくそれに勝るものは無いのだろう。ひとつの案としては採用してもいいのではないだろうか。

 

「……わかりました。機会があれば訊いてみようと思います」

「お願いします」

 

 そこからはお互いのオーダーを飲みきるまで特に会話は起こらなかった。

 久遠さんのほうは何をするわけでもなく、雨に濡れた窓の向こうの景色を眺めているだけであったし、私自身も今後のことに考えをめぐらせるだけだった。

 飲みきったアイスコーヒーをテーブルにおいて、いざ会計に行こうと伝票に手を伸ばしたところ、手で制された。

 

「久遠さん?」

 

 意図がわからず、戸惑っている私に言った。

 

「ここの支払いは僕もちにしましょう」

「それはさすがに……」

 

 自分が所属しているプロダクションのアイドルに、しかも年下に払わせてしまうのはどうかと思う。そんな私の心中を察したのか、久遠さんが頭を振る。

 

「今回の迷惑料という事にしましょう。でないと、僕が納得できません……まあ、これだけで償えるとは思っていませんけど」

 

 納得はできないが、彼の気持ちも無碍にはできない。

 あと、こうなってしまった久遠さんは梃子でも動かない気がする。自分が折れるほか無いだろう。

 

「……わかりました。そういうことでしたら、お願いします」

 

 そこから何を思ったのか、脇に置いてあった日傘を唐突に私に渡してくる。

 また意図がわからず目を白黒させる私に、

 

「本来は雨用ではありませんけど、無いよりはましでしょう」

 

 これを使ってくださいと言ってきた。

 

「そういうわけには……」

「あなたの代わりはいないんですよ。そんな武内さんが風邪を引いてしまっては元も子もありません」

「ですが、それだと久遠さんの分が……」

「スペアがありますから」

 

 私の反論は、隣の椅子に置いていた通学用の鞄を二回、ぽんぽんと撫でることで却下された。

 

「外は結構な雨ですから、これも迷惑料のひとつだと思って使ってください」

 

 そう告げられ、強引に握らされる。こういったところは血筋なのだろうか。

 

「……ありがとうございます。必ず、すぐにお返しします」

「気にしなくていいですよ。もともと、誘ったのは僕ですし」

「わかりました。では、最後に質問に答えていただいてもいいでしょうか?」

「……どうぞ」

「久遠さんは先ほど、"今回のことも乗り越え、これからの問題も乗り越えられる"と言っていましたよね?」

「はい」

「その乗り越えた先で、CPは成功しているんですか? 誰も欠けることなく……」

「……僕が見た"世界"ではそうなります」

「世界、ですか」

「僕は未来が見えているわけではありません。パラレルワールドや予知夢みたいなものと考えていただければ良いかと」

「でしたら、その中ではCPは成功をしていると?」

「はい。アイドル界に新しい風を吹かせていましたよ」

 

 未来が見えているわけではない。しかし、パラレルワールドのようなところでは私たちは成功する。

 本当に超能力者じゃないのですか、あなたは。こう言ってはなんだが、堀さんよりもずっとインチキじみている。

 

「なぜそんなものが見えているのか、という質問には答えていただけませんよね」

「あなた方が成功してからなら、大丈夫ですよ。僕のことを含めてすべてお話ししても良いかと思ってます」

「……わかりました」

「……信じるんですか? こんな荒唐無稽なことを」

「あなたが手を掛けたアイドルたちが、その戦略で売れていったのは紛れも無い事実ですから。それに――」

 

 久遠さんと目線を合わせてから宣言する。

 

「私はCPの皆さんと同じように、あなたのことも信じてみたいからです」

 

 目を何度か瞬かせ、数瞬あっけにとられたかのような表情を浮かべる。

 私の言葉を咀嚼できたのか、俯きながらくつくつと笑い始める。

 

「本当に、武内さんはお人好しですよね。それも、馬鹿がつくぐらいの」

 

 褒められているのか馬鹿にされているのか微妙なラインだが、悪い気分ではない。

 

 彼が美城にきて数年しか経っていないし、それほど密な時間を過ごしたわけではない。

 しかし、彼の人となりはこれでも理解しているつもりだった。

 今回のことでそれが少し揺らいでしまったが、こうして自分の身を案じて傘を渡してくれるだけの優しさは持ちえている。

 だから、彼が得体の知れない人間であろうと、心の内を誰にも見せないのだとしても、信じてみたい。

 今までも、何度も取るべき道を示してくれたのだから。妄信するわけではないが、信じる価値はあると思う、いや思いたい。

 

「久遠さんが何者かは、一旦考えないでおこうと思います。私たちに事情を話せないのも、理由があってのことだと思いますから……ですから、久遠さんのことをもう一度信じてみたいと私は思います」

「……僕が成功させないようにしているかもしれませんよ?」

「そうなってしまった時はあなたに頼ってしまった私の落ち度というだけのことです。それに、創作物の中の話になりますが、そういうことをいう人に限ってそんな魂胆は持っていないものですから」

「……本当に、物好きな方ですね」

 

 顔を上げた久遠さんの顔には、自嘲ではない笑みが浮かべられていた。滅多に見ないその顔に思わず言葉が漏れる。

 

「いい、笑顔ですよ」

「それを言う相手が間違ってると思いますよ? 武内さんが笑顔になっていほしい相手は、あの娘たちでしょう?」

「それはそうですが」

「"Power of smile"、笑顔の力。あなたならそれができると信じています……いいえ、武内さん以外にはできないことですから、頑張ってください」

 

 "Power of smile"。そうでしたね。私が彼女たちに魅せられたのは笑顔の力だったはずだ。

 どうしてか彼女たちに道を示そうと躍起になり、いつの間にか片隅に追いやられてしまっていたが。

 

「ありがとうございます、久遠さん」

「お礼を言われるのことではありませんよ」

「……私はもう行きますが、久遠さんはどうしますか?」

「うーん、そうですねぇ。あと一杯飲んでいきましょうかね。武内さんのを見てたら、コーヒー飲みたくなったので」

「そうですか。では、今日のところはお先に失礼します」

「お疲れ様です」

 

 立ち上がって椅子を元の位置に戻し、ありがたくいただいた日傘を忘れずに持って行く。

 彼に背を向け、一歩を踏みしめたときだった。

 

「武内さん」

 

 後ろから久遠さんの声がした。体の向きを直すと、真剣な表情で私を見ていた。

 しかし、その様子はどこか落ち着きが無く、目も泳いでいた。

 

「……こんなやつのことを信じたいと言ってくれて、嬉しかったです。ありがとうございました」

「いつか話してくれるときを待っています。では、お疲れ様でした」

「はい。今度こそお疲れ様でした」

 

 美城に帰ってからは色々検討しなければならないことが残っている。

 ここで立ち止まっているわけにはいきません。

 今日はCPの皆さんは帰っているでしょうし、訊くにしても明日以降になってしまうが仕方ない。

 

 借りた日傘で雨をしのぎつつ、走り出す。

 ここにきたときよりも、一段と軽くなった足取りで駆けて行く。

 視界が広くなったせいだろうか、未来が明るくなっていく予感を肌に感じた。

 

 

 

 その予感が的中したのか、それとも私が本音を伝えられるようになったからかはわからないが、次の日無事にNGは復活を遂げた。正確には二日後だったが……

 久遠さんが言っていたように、島村さんの笑顔は私に大切なものを思い出させてくれた。

 

 しかし、それに反して数日、久遠さんが美城に来ることは無かった。

 何でも、あのカフェの次の日から体調を崩していたらしい。

 日傘を返さないわけにもいかなかったので、これから彼に返しにいこうと思う。

 色々とお礼や報告などの土産話もあることだし、ちょうどいい機会だと思う。

 

 そう結論付けて、今日の業務も急ぎのものはなくなったのでいざ向かおうとすると、私が珍しく日傘を持っていることを目ざとく見つけた本田さん以下NGの皆さんに捕まってしまう。

 私が今から彼の家に行くことを伝えると、自分たちも行きたいと強請られた。

 意味がわかっていなかったとはいえ、ひどいことを言ったことに変わりは無いから謝りたいとのことだった。

 今の彼女たちであれば、両者を会わせても問題ないと判断した私はそれに了承した。

 事後承諾になってしまうが、彼なら何も言わずに許してくれることだろう。

 それにおそらく、彼女たちに会ったら真っ先に謝るのは彼のほうだろう。このまま険悪とまではいかないが居心地の悪い状態を放って置くわけにもいかない。

 

 彼の住んでいるマンションはここから歩いてもすぐにつく範囲にある。

 わざわざ車を回さないでよいため、楽といえば楽である。

 お見舞いの品……といっても栄養ドリンクやスポーツドリンクになるが、それも持ったことを確認してから彼女たちを先導する。

 ものの十分程歩くことで、件のマンションに到着する。

 彼の部屋は知っているが、オートロックなので解除してもらうために部屋番号を押してコールする。

 すぐに彼が出てきてくれたが、機械越しにも熱っぽい息がわかるほどの声音だった。

 日傘を返しにきた旨を伝えると、すぐにかえさなくてもよかったのにと、案の定苦笑された。

 部屋の鍵もはずしておきます、と告げられ、入り口のロックも同時に解除される。

 

 後ろの三人は、初めて来る場所に興味津々なのか――特に本田さんは――目を輝かせながら周りを見回している。

 所謂ここは、高層マンションでセキュリティもばっちりなので、それも仕方の無いことなのかもしれない。

 今は彼が一人で住んでいるが、もともとは家族で過ごしていたので掃除が大変だと愚痴をこぼしていた。

 自分一人にはワンルームの部屋で十分だといっていた彼は、案外庶民的なのかもしれない。

 

 最上階までエレベーターで移動する。

 廊下で美城プロダクションまで一望できる景色を堪能する三人を宥めながら部屋まで案内する。

 確かにここから見える景色は絶景だが、本来の目的を忘れるわけにはいかなかった。

 告げられていた通り、部屋の鍵は開けられていた。

 キッチンがある方から何やら物音がするので、大方人数分のお茶請けなどを用意しているのだろう。

 病人が動き回っては見舞いに来た意味が無い、本末転倒だ。おしかりのひとつでも言ってやらねばいけないかもしれない。

 人数分用意されていたスリッパに履き替えてから、音がするほうに向かう。

 

「いらっしゃいです。日傘ひとつ返すのにご足労頂き、すみません」

「いえ、こちらも返すのが遅れてすみません」

 

 数日振りに見た彼はマスク姿で、額には熱さまシートが貼られていた。

 マスク姿というところは島村さんと同じだが、マスクからはみ出た肌は紅潮しており、まだまだ熱が下がっていないことが容易に伺えた。

 そして、私の後ろにいる彼女たちを見つけた彼と、本田さんと渋谷さんの二人が謝るのは同時だった。

 

「……なんで、凛ちゃんや未央ちゃんが謝るの? 今回悪かったのは僕だと思うんだけど」

「ううん。私もくーやんの言葉、最後まで聞かずに逃げ出しちゃったし……」

「私も、その……なんていうか、睨んで悪かったなって……」

「親友が傷つけられたと思ったら普通の反応だと思うけどね。未央ちゃんもそりゃあんなひどいこといわれたら逃げ出したくなるのも無理ないでしょ。まあ、少し話していくなら立ち話もなんだしどうぞ座って。お茶も入れちゃったしね」

 

 席を勧められるままに着席する。

 

「でも、三人ともお互いが悪いって言い続けるでしょうから落としどころが必要ですよね~」

「そうだねぇ。どうしよっか卯月ちゃん」

「そうですね。じゃあ、喧嘩両成敗ってことでどうですか? さっきのごめんなさいでもう終わりにしませんか?」

「なんか軽い気がするけど、二人はどうかな?」

「私は卯月がそれでいいなら」

「私もしまむーがそれでいいならいいと思う。一番迷惑かけちゃったのしまむーだしね」 

「そ、そんなことないですよ~!」

 

 ぱたぱたと両手を振る島村さんに、それを笑う本田さんと渋谷さん。そして、一歩引いたところから見守る久遠さん。

 この光景を見るのはそんなに久しぶりでないのにもかかわらず、戻ってきたとある種達成感を覚えてしまう。

 

「じゃあ、このことに関する謝罪は以後禁止ということで。それで、何か訊きたいことはある?」

「あ、じゃあ、私から」

 

 本田さんが片手を軽く上げて名乗りを上げる。

 

「プロデューサーから少しは聞いたんだけど、くーやんの口から直接聞きたくてさ」

「そう。何かな?」

「あの……盛り上がりに欠けるって言ったときに"仕方ない"って言ったのはどういうことだったのかなって……落ち着いた今なら大体の意味は理解できるんだけど、あってるか自信が無くて、答えあわせがしたいなって」

「なるほど……質問に質問で返して悪いけど、みんなは楓さんのことどう思ってる?」

「私は尊敬できる先輩、ですかね。私がアイドルを目指したきっかけでもあります。あんな風に輝けたらなって思ってます」

「卯月ちゃんの原点なわけだ。凛ちゃんは?」

「私は、まだあんまり楓さんと関ったわけじゃないからわからないけど、やっぱりすごい人なんだろうなって思う」

「そっか。未央ちゃんは?」

「私も二人とおんなじで尊敬できる、って感じかな~。まあ、アイドルだったら誰でもあこがれる存在だと思うけどね」

「そっかそっか。やっぱり楓さんはおっきい存在なんだね」

「それが、さっきの質問と関係あるの?」

「そうだね……」

 

 久遠さんは一度言葉を切ると、遠くを見据えるような目をしてまた質問した。

 

「じゃあ、その楓さんがアイドルになる前はモデルをやってたって知ってる人はいるのかな?」

 

 これには三人が三人とも頷いた。それに満足するかのように頷いた久遠さんは続ける。

 

「そんなみんなが知ってる楓さんの初デビューの舞台に来たのは何人だったと思う?」

 

 ちなみに前にみんながやったライブよりもずっと小さいところだけど、と付け加える。

 そのデビューも美城のアイドル部門が確立した当初の話なので、もう数年前になるのかと思いを馳せる。

 質問された三人はああでもないこうでもない、と話し合っていたが、出た結論は50人ほど? ということだった。

 その答えを聞いた久遠さんは優しげに頭を振った。

 

「デビューが終わってから、写真を撮ったんだけど、満面の笑みの楓さんと一緒に写ってる人は20人もいってないんだよ」

「本当ですか?」

「あの楓さんが!?」

「うん。デビューのときからすっごい歌唱力をもっていた楓さんでも、デビューしたばっかりの頃はそれぐらいだった。三人は先に美嘉たちのステージを経験しちゃったから馴染みが無いと思うんだけど、下積みのときなんてそういうものなんだ。あ、別に美嘉がステージに誘ったことを悪く言うわけじゃないよ? あれがあったからこそ、三人がユニットになったようなものだし、度胸もついた。だけど、ちょっと順序が逆になっちゃったから、お客さんが入らない感覚ってのがつかめなかったんだと思う」

 

 その点に関しては見抜けなかった周りの人間の落ち度だろう。特に私の責任になってくる。

 

「だから、"仕方ない"って言葉を言っちゃったってことになるかな」

「やっぱりそうだったんだ……」

「そういう意味では、私たちがこの業界を舐めてたってことになるのかな……」

「そうですね……」

「楓さんみたいに今はトップアイドルでも、結局スタートラインは一緒なんだよね。だから、しばらくの間はお客さんの数は気にしなくてもいいと思う。お客さんの数よりも……」

「お客さんみんなを笑顔にすること、だよね? くーやん」

 

 未央ちゃんの回答を聞いた久遠さんは、よくできましたと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 

「うん。その答えを聞いてすごい安心した。もうこの老いぼれにできることは何も無いかな~」

「えぇっ!? そんなことないですよ!」

「そうだよ。まだレッスンも見てもらってないのに」

「っていうかくーやんは老いぼれっていうほど年取ってないじゃん!」

「あはは。ありがとうね……でもね、もうそろそろやめようかなって思ってる」

「何をですか?」

「アイドル」

「……えっ?」

 

 漏れ出たのは誰の声だったのか。私のだったのかもしれないし、そうではないのかもしれない。

 しかし、今はそんなことを考えている暇は無い。

 見開かれた目にうつるのは、困ったように笑う久遠さんだった。

 

「あなたたちCPが成功を収めるであろう、冬の舞踏会。それが終わったらアイドルをやめようと思っています」

 

 視界の隅にある、12時前を指し示したまま止まっていたはずの掛け時計の分針が、動いたような気がした。

 

 

 

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