また、この章はその性質上話の進行スピードがゆっくりですので、気長に読んでください。
冬木の町を、銀色のベンツが走り抜けていく。
ガルウィングドアというそうそうお目にかかれないモデルのそれは、市民の目を
集めるには十分すぎるほど目立っていた。また、ハンドルを握る金髪碧眼の人物や助手席の
白髪紅目の女性によって、より目立っていた。
しかし白い女性の方は、ぐったりと席に寄りかかっていた。色濃く見えるのは疲労だ。外国
人らしい白磁の肌は、むしろ血の気がなさすぎるほどに白い。そしてハンドルを握る人物もそん
な彼女を気遣ってか、速度を出すことなく緩やかに車を進めていく。
「アイリスフィール、大丈夫ですか?」
「…ありがとう、セイバー…」
セイバーの問いに力なく答えアイリスフィールは、座席の上で崩れそうな姿勢を何とか正す。
「調子はいいわけじゃないみたい…運転も頼むことになっちゃったし…」
ほんの数日前に車をぶっ飛ばし…いや元気に運転していた姿などそこにはなかった。
「無理はしないでください。あの運転をもう一度しろとは言いませんが…」
少し顔を青くしたセイバーがハンドルを切る。あれは、いかに歴戦の勇士であるセイバーすらも
もう一度体験するのは丁重にお断りしたいくらいのものだった。惜しくも、いや、危うく道の
真ん中に立っていたキャスターを轢き殺すところだったのだから、なおさら。
「フフ…期待に応えられるといいわね」
やめてくれ、とセイバーはひきつった笑みを浮かべた。その視線を前に戻すと、そこには黒の女性
がベンツを待ち受けていた。切嗣の助手である舞弥だ。相変わらず無表情が服を着て歩いている
ような女性だが、少なくともセイバーは信頼に足る人間だと思っていた。
「お待ちしていました。マダム達は今日からこちらを拠点としていただきます」
車から降りたアイリスフィールを気遣いながらも、三人はその住宅の門をくぐった。
その住宅は、かなり和風の装いだった。いや、むしろ武家屋敷というべきものだ。
塀があり、土蔵があり、廊下は板張りで畳からはイグサの香りが漂う。おまけにかなり広い道場
までついているという徹底ぶりは、どこか時代錯誤すら感じるレベルだ。
しかし、ライフラインはきちんと整備され、水道・電気・ガスは問題がなかった。目に見えない
ところにはきちんと文明の道具が張り巡らされていた。疲労が濃いアイリスフィールを
支えながらもセイバーたちは部屋を確認し、土蔵の中に工房を設置した。いくつかの魔術を
かけて侵入者への対策とした。もっとも、アインツベルンの城の迎撃システムをやすやすと突破
したライダー陣営や、アサシンなどにどれほど効力があるかは不明だった。
だが、これでいい。目立つことなく、隠れることができればいいのだから。
早速、土蔵の床に金属を使って描かれた魔術陣へと、アイリスフィールは横たわった。比較的
地脈が地表に近づいているここで、休養をとることが第一目的でもあった。
なにしろ、アイリスフィールは城を出る直前にはかなり吐血したのだ。それで本来の
時間よりも少し遅れてしまい、もう日が沈みつつあるころにようやく拠点としての準備が
終わった。
「ふぅ…」
魔術陣が薄く発光し、上に乗るアイリスフィールは体に魔力が満ちていくのを感じる。ホムンク
ルスは魔力が体内に満ちるだけでも体調は向上する。少しは楽になるし、何よりセイバーが近く
にいればさらに楽だ。“あの鞘”のこともあるが、安心感が大きい。切嗣がいない分、精神的に
かなりセイバーには頼っていると、アイリスフィールは実感していた。
聖杯戦争も、キャスターの脱落があったことから、さらに戦いは激しくなるだろうと切嗣は
言っていた。隙を見せれば容赦なく喰い付かれて脱落するのだと、覚悟を決めてほしいと
頼まれもした。何しろ、自分はあといくばくも命がない身なのだから。
…セイバーは、どう思うかしらね。
セイバーもまた、聖杯に託す願いを抱えて、この聖杯戦争へと挑んでいる。しかしその願いが
自分という対価を支払って叶うものだとしたら、どうするだろうか?
だから、自分は言ってある。もしも切嗣の願いがかなわないならば、セイバー自身の願いを
かなえてほしいと。そうする権利はあるのだと。
「……でも…」
そっと、体に手を当てるアイリスフィールは眉をひそめた。
昨日の夜から感じている違和感は一つある。体内の“小聖杯”だ。厳重に格納された
その魔法に限りなく近い魔術用品が、体内で違和感を訴えていた。
大聖杯は常人…少なくとも人間には接触ができない。ホムンクルスや小人、精霊などが
使用できるもので、アインツベルンには“天のドレス”と呼ばれる第三魔法に近い魔術礼装が
伝わっている。一方で小聖杯は願望機である以上接触は人間でも英霊にも出来る。
…ライダーかしら?
切嗣の話ではライダーは恐らく未来の英霊だという。そんな英霊が魔術用品に干渉出来る
とは思えないが、事実、体の違和感の原因はそれしか思い当らなかった。心臓の奥深く、小聖杯
には外部からの接触された感覚が残っている。無理やり探し回った、というよりも丁寧に探った
感覚だ。こちらの体を構成する機構に配慮した節が見られる。
同じ女性だからとか、ホムンクルスだから、というより人として配慮をしたのだろうか。
わからないし、ぜひともそこを聞いてみたかった。一体どういう願いを抱いてこの戦争へと
挑んでいるかも含めて。
「ともあれ…気が抜けないわね」
静かな声は土蔵の中にしみて消えていく。
●
ウェイバーは、ドクターに呼び出されてマッケンジー宅とは別の場所の拠点にいた。
倉庫街での戦闘時に確保した間桐雁夜が目を覚まして、今後のことについて話し合う
とのこと。ライダーのマスターである自分にもオブザーバーとしての参加を頼まれた。
マッケンジー宅での夕食後に夫妻と閑談していたウェイバーは、呼びされたあとすぐに
用件を伝えられた。
「面倒だよ、本当にさ」
嘆息するドクターはいくつかの電子ロックを解除しながら、ウェイバーに事情を説明した。
「彼の願いはさ、間桐の家へと養子に入った少女の解放と、未だに恋焦がれる女性の
幸福。さらには、トオサカの当主への復讐みたいなんだよ」
「…あぁ、なるほど」
言う理由が。
“緊急特例法案”のそもそもの目的は、社会的有用性が認められるときに“禁じられた科学技術”
の使用を認めるといううものだ。つまり、私用でその力を使うことは重大な違反となるのだ。
「復讐なんてことに使われては困るんだろ?」
「そ。繰り返しの“質疑応答”での説得とかにも応じないからさ、もうナイフを突きつけて
言うこと聞かせようかとも、腹をくくっているんだよ」
「…本気かよ?」
「彼の生殺与奪権は、はっきり言って僕たちにある。僕の個人的な意見でいえばバーサーカー
なんていう爆弾は抱えていたくないよ…けどね、あのアーチャーに対しては、ライダーと
組んで行けば負ける気配がしない…なんて言う事情を抱えているんだ」
「…うわぁ…確かに面倒だな」
「だから、ウェイバーにも意見を求めるんだ」
最後の電子ロックが音を立てて解除され、扉が開いた。
開けた視界の中には、医療カプセルの中に納まる間桐雁夜の姿があるが、拘束用のテープで手足を
固定して暴れたりしないようにしていた。
しかし、実際に雁夜の体調や肉体の状態はかなり改善されていた。普通の医療技術でも治療すれ
ば無理な魔術の鍛錬で傷ついた体くらい治せる。体中にしみや生傷、あるいは瘡蓋のようなものも
あるが何とかウェイバーはそのグロテスクなそれに耐えた。
「さて、間桐雁夜くん。起きているかな?」
「……ああ」
ドクターの問いに、かなりかすれた声で雁夜は返事をした。
「君の現状とかは教えたとおりだよ。それに、君が“緊急特例法案”に願った内容についての
僕からの回答も、理解できたかな?」
「…桜ちゃんを救えないのか!?」
「無理だ。僕たちは宝具の力で消滅するし、君もペナルティを受ける」
すがるように頼む雁夜をドクターはバッサリ切って捨てる。一見すれば、悪だ。しかし
ウェイバーはそこにドクターの優しさも見た。かなうはずのない希望を抱かせるよりも、
現実を捉えることを促しているのだ。
「君も知っての通り、“緊急特例法案”は願い事を何でも叶えるものじゃないんだよ。
そして君が救いたいと願うサクラという少女に対するマキリ・ゾォルケンの行動も、
君の考えよりもはるかに合理的だ」
「な、なんだと…うッ!」
痛みが走ったのか、雁夜は顔をゆがめて怒鳴り声を納めた。それを冷静に受け流してドクターは
その理由を言う。
「有用性を求めるのが緊急特例法案だ。その点、マキリ・ゾォルケンは非常に良い判断を
している」
いいかい?とドクターは前置きした。
「魔術回路すら現れない傾向にある間桐の血筋に、遠坂家と禅城家という血統書をつけてもいい
くらいの血筋を引く子供の一人を養子として引き入れること。
そして血を交えることで間桐家の力を復活させる…しかもきちんと魔術を受け継ぐもの
としての教育をしていること」
「教育じゃない…あれは道具としか見ていない!」
「だが、魔術の世界ではあんなのはざらにあると思うよ?たとえ母体としてのみ考えていても
間桐のお得意の技術である水属性を身につけさせるのは理にかなってることだ。
ただでさえ衰退している血筋が、完璧に消し去られても困るわけだし」
事実、そうだった。マキリ・ゾォルケンの代で最盛期へと至り、しかし急速に勢いが
落ちていったのは間違いなく、今はそれに苦心している。間桐雁夜の兄である間桐鶴野の
子供には魔術回路すら現れなかった。だとするなら、桜の子や孫に期待するのは当然だ。
「君が彼女の肩代わりができるならまだしも…魔術回路すらマキリ・ゾォルケンに頼り、
あと一か月生きられるかどうかも怪しい君が間桐の魔術を学んで次の代に伝えるなんて、
どうやったらできるのかな?」
「どうやって…そんなのは…」
「魔に染まった人間は魔を惹きつける。仮に魔術の世界から彼女を開放しても、彼女は魔を
惹きつけてしまって危険な目にあうかもしれない。君はその時どうにもできない。
というか確実に死んでいるだろうし、彼女も魔術を学ばなければ自衛手段すらないまま、
今よりもひどい世界へ放り込まれるかもしれない…そんなことになって、君は責任を
とれるのかい?」
厳しいが、現実を突きつけた。そうしてドクターは苦悩する半人前の魔術師へと問いかけた。
「敢えて聞こう…いいかな?君がサクラという少女を救いたくても、それは果たして社会に
とって有用なことかな?」
求めるのは、力を使う自分が、社会的に抹殺されるべき存在となることへの覚悟と、私情に任せて
行動しないための自制心。そして価値観を押し付けるかもしれないことへの責任能力だ。
「…ドクター、僕からも何か言っていいかな?」
「おっとそうだった…間桐雁夜くん、こっちにいるのは僕を疑似サーヴァントとして召喚
しているライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットだ。ロンドンの時計塔で
魔術師を目指しているんだよ」
「…半人前の俺と何の関係が?」
「関係も意味もないかもしれないけどさ、君へのアドバイスだよ。僕は医者であっても魔術師
じゃないからね、いくらかは君より上の魔術師、でもそこまで天高く君臨するような
レベルじゃない彼から意見を聞くのもいいと思うよ」
立ち上がったドクターは、手にしていたファイルからA4サイズの紙の束を近くのデスクに置くと
そそくさと出ていく。
「これは君のカルテだよ、あとでしっかりと熟読しておいてほしい。
ついでに言えば、バーサーカーを呼び出そうとしても、刻印蟲をだいぶ抜いた状態の今の君
だと十秒もたたずに死ぬからやめておいてね」
警告を発するのも忘れない。もしも何かあれば令呪を使うことになるだろうが、今ウェイバーは
四画もあるのだ。一つくらいは使ってもいいだろう。そしてドクターは静かに扉を閉めた。
ポケットから出した通信機を耳に当てて、相手を呼び出した。
「ウフコック、ライダー。すぐに間桐邸の調査を頼む。もしかしたら、緊急特例法案の
出番となるかもしれないよ」
●
ウェイバーが間桐雁夜の治療室の扉から出てきたのは、すでに夜がとっぷりと暮れた後
だった。時計の針はすでに十時を回り、星が空に瞬いていた。
「お疲れさま、ウェイバー。どうだった?」
「…魔術そのものを嫌悪してるよ…あんな魔術師がいるなんて思わなかった」
どさりと、その身をソファーへと預けたウェイバーは、深い息をついた。
「僕もそれなりに魔術の暗部を見てきたつもりだけど…あんなのがあるなんて…」
「けど、矛盾を抱えているよね…」
「…ああ」
ドクターも質疑応答の中で気が付いたこと。それは、気が付かぬうちに醜く歪んだ雁夜の
考え方だ。
遠坂時臣さえいなければ間桐桜は幸福だった。あの子供は魔術へと染まるべきではなかった。
魔術は嫌いだ。遠坂葵は自分のほうが幸福にできたのではないか。
正直言えば、考え違いだ。彼自身には、人の幸福に対してあれこれ指図する権利もなければ、
そのための理論もない。人によって幸福は異なるだろうし、そもそも遠坂葵が遠坂時臣のことを
嫌っているかどうかはわからない。もしかしたら無理やりかもしれないし、醜いところを含めて
愛しているのかもしれない。
「…結局僕にはあの間桐の魔術師を説得とかはできないよ」
「いや…話をするだけでも、彼が自分を顧みるきっかけにはなる。緊急特例法案のことを
理解してもらうきっかけになればいいのさ」
ところで、とドクターは前置きした。
「…大体の調査は終わったんだ。聞きたいかい?」
「もちろん…覚悟ならあるさ。ライダー」
呼んだ先、ライダーは姿を現した。ある用件で調査を頼んでいたライダーはそれを終えて
ここに戻っていた。
「調査結果を総合して、教えてくれ」
---いいの?
「当たり前だ…僕だってさ、この聖杯戦争に挑んだ時点で覚悟はある」
いかに恐ろしい結果であろうと、いかに自分が受け入れられない結末を知ろうとも、
魔術師としてこの戦争挑んだならば、すべてを知らなければならない。
嫌っていたケイネスの脱落があった。自分の力をはるかに超えたサーヴァントがいた。魔術を
嫌う魔術師がいた。平然とズルをしてのける魔術師もいた。ライダーの身に起きた悲惨な
出来事も、ウフコックを待ち受ける運命も知った。現代戦を仕掛ける魔術師らしからぬ人間
もいた。世界の波にさらされて狂ってしまった悲しきサーヴァントもいた。それが現実であり、
世の理に近いもの。抗えば、どうなるかはわからないもの。
だからこそ、それに対しての回答を出さなければならないと気が付いた。自分が一体どういう
価値を持つのかを証明し、既存の価値へと戦っていくか。魔術師の世界という、すさまじい矛盾
をはらんだ世界を生きていくために何をすべきか。この戦争を通じて何を得るのか。
一息入れて、ウェイバーは決然とした表情でライダーに要請した。
「教えてくれ、ライダー。僕だって魔術師としての矜持があるんだ!」
お説教回でした。
ドクターにこの役を頼むことになりましたが、けっしてドクターは悪人じゃありませんよ!?
ドクターは過去の経験上雁夜にはこれくらいの説教が必要だと考えたのです。人間として、そして
委任事件捜査官の一人としての信念です。人としての道を外さないのが、宝具 緊急特例法案
の必須要綱ですから。
次回の更新は少し間が空きますのでお待ちください。感想や誤字の指摘など待っています。
それではさようなら。
五月二十二日、誤字修正しました。