事務手続きを終え教員科を後にした宗谷ましろは、酷く緊張していた。
足取り重くとまでは行かないが、新学期新学年のドキドキワクワクといった高揚感はあまり無い。
原因が自身の人生最大の大ポカにあるだけに如何ともし難い。
横須賀女子海洋学校に入学してから“宗谷”の名に恥じぬ様、七光りだの何だのと言った陰口を跳ね返すべく努力を続けて来た。
2年生に進級した今年乗艦する直接教導艦こそ変わったものの、その船は目指していた【こんごう】ではなかった。
理由は学年末テスト時の名前の書き忘れ。
呆れる様な理由だ、穴が有ったら入りたいとはこの事か、いや寧ろ発表があった日はどうやって寮に帰ったのか覚えてないし、その後しばらくベットに篭っていて、ルームメイトにひどく心配されたが。
ましろが乗艦する事になった直接教導艦の名は【はれかぜ】。
全ての船から優秀者を集めた【こんごう】と比べると、下になってしまうが別に【はれかぜ】は落ちこぼれと言うわけでは無い。
総合成績的には下の方の生徒達を集めた船ではあるが、「【はれかぜ】クルーは職人だ」などと言われるレベルで専科での一芸に特化した集団だ。
-噂では今年の砲雷長は主砲を手動操作した方が砲弾を当てるとかなんとか-
そんな【はれかぜ】クルーに対して、総合的に優れていると言う自信はあるが、どこかが特出して優秀だと言う自信の無いましろは若干萎縮してしまっている。
さらに言えば、前年から一緒で人間関係の構築が済んでいるのは3年生だけである【こんごう】と違い、【はれかぜ】は3年生間だけでなく2年生間の人間関係のみならず、3年生と2年生間の人間関係の構築も済んでいる。
指導される立場である新入生達と違い、2年生であるましろはいきなり外から副長だとやって来ても、素直に受け入れられるとは思えない、特に2年生の中では「誰が副長になるのか」と言う話はされていただろうし、「私が」とか「彼女が」とかそう言うのもあった筈だ。
それにそんな彼女達の輪の中に積極的に入って行ける自信もあまり無い。
「ついてしまった」
色々と考えながら歩いていると、いつの間にか直接教導艦が係留されている岸壁に着いていた。
数隻の同型艦が並んでいる中から【はれかぜ】を探し出す、先ず艦内に連絡して艦長の所在を確認しなければ
「岬明乃艦長...か」
ましろが【はれかぜ】に対して萎縮している理由の一つに、新しい艦長である明乃の存在もあった。
なにせ5年ぶりの副長未経験の推薦による艦長合格者だ。
実際の所明乃には色々と経験があるのだが、ましろは明乃の去年の役職すら知らない。
「宗谷さん?【はれかぜ】に何か用事が?」
「黒木さん」
【はれかぜ】を見つけいざ連絡を入れようとした所に、タラップの上から声がかけられた、見上げてみるとそこに居たのは同じクラスの黒木洋美だった。
「えっと、その艦長は居られるだろうか?」
「艦長?艦長なら任命式に出席してて、時間的には終わってる筈だけれど...」
ましろに尋ねられうーんと考える洋美。
時間的には艦長任命式は終わっている時間ではあるが、あの艦長の事だ親友の知名先輩と話でもしているだろうから、真っ直ぐに【はれかぜ】へやって来るとは思えない。
「ちょっと通信長に確認してきますね」
「すまない、よろしく頼む」
ましろと話すために降りて来ていたタラップを再び登り洋美は現在【はれかぜ】内において最高位者である通信長納沙幸子に確認する為、艦内に戻って行く。
少し待っていると、携帯端末で誰かと通話しながら見慣れない上級生が出てきた、状況的に通信長だろうか?
「宗谷ましろさんですね?【はれかぜ】通信長の納沙です。今艦長に連絡した所直ぐにお戻り成るとの事なので、少しお待ち下さい」
「はい、了解しました」
◆
「直接教導艦【はれかぜ】艦長、3年航海科の岬明乃です」
「2年航海科宗谷ましろです」
納沙通信長に待つように言われ数分、タラップの前でましろは【はれかぜ】艦長の岬明乃と相対していた。
敬礼を交わしつつそれとなく観察してみると、岬艦長の第一印象は何処にでも居そうな少女だった。
見た目は兎も角雰囲気は大人びている様に感じるがそれだけだ、失礼だろうがとても数年ぶりの快挙を成し遂げた才女には見えない。
「2年1組航海科宗谷ましろは、本年度より直接教導艦【はれかぜ】へと移動。同時に同艦副長を拝命しました!【はれかぜ】への乗艦許可願います!」
規定通りそう言いながら教員科で渡された自身についての書類の入った封筒を差し出す。
岬艦長の後ろに控える納沙通信長は驚いた様子だが、艦長にはその様な様子は見られない。
おそらく艦長には事前にクルーについて通知が有ったのだろうと、あたりを付ける。
「はい、宗谷ましろさん【はれかぜ】への乗艦を許可します。ようこそ【はれかぜ】へ」
「ありがとうございます!」
封筒を受けってそう言う艦長に敬礼する。
「宗谷さんは去年どの船に?」
「はい去年度は直接教導艦【はるな】に乗艦していました」
「それじゃあ一応“旅行”はしておいた方が良いかな?納紗通信長、宗谷副長を案内してあげて。それから伊良子給養長に今夜の歓迎会は1年生だけじゃなくて、宗谷副長も主役だって伝えておいて」
1年生の時に乗っていた直接教導艦に関して尋ねられたので答えると、艦内を旅行しておく様にと言われる。
【はるな】と【はれかぜ】ではかなり違いがあるので、有り難い事だ。
艦長に指示された通信長が顔から驚きを消し、前に進み出て来る。
「改めまして3年通信科納紗幸子通信長です、宗谷副長の乗艦を歓迎します。宜しくお願いしますね」
「此方こそ宜しくお願いします納紗通信長」
「では【はれかぜ】艦内と宗谷副長の部屋の案内をしますのでどうぞ」
「お願いします」
艦長へと敬礼し、通信長に従って早速艦内旅行へ向かう。
◆
夜
陸の寮の自室で、今日の事を振り返る。
納沙通信長の案内の元艦内旅行を終え、通された副長室に居ると、洋美がやって来て新しいクルーの歓迎会があるからと言われた。
夕食の時間にやるとの事なので、一旦寮の方に戻り艦内の副長室の方に置いておきたい荷物の移動や整理などをしていると、あっという間に時間になった。
歓迎会では艦長の簡潔な挨拶の後、直ぐに同級生達に囲まれた。
予想していた様なやっかみなどは無く、寧ろ至って普通に受け入れられた事に驚いた。
【はれかぜ】移動になった理由について、誰も無理に聞き出そうとしてこなかったのも、正直言って有り難かった。
-もっとも3年生には探る様な値踏みする様な視線を向けられていたのだが、あいにくとましろ自身は気付いていない-
「なんとかやっていけそうだ」
ルームメイトに聞かれない様、小さな声でポツリと呟いた。