花妖怪と青年と――   作:TKI

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花妖怪と青年

どこかしらで蝉しぐれが鳴り響く。声の主を探そうと辺りを懸命に見渡したとて蝉の姿は一匹も見つけることは叶わない。見えるのはいつも通り丁寧に懇親的に手の加えられた、しかしどこか人情味溢れる庭とその先に見える黄金の原。

 

辺り一面を黄金に変えるその太陽の化身が何本あるのかは検討も付かない。何百だろうか、それとも何千だろうか、はたまた何万、あるいは何十万本、もしくは何百万本に及ぶかも分からん。少なくとも俺が一本一本数を数えたところで何日あってもその作業が終わらないくらいの数があるのは確かだろう。

 

金儲けをする気が無ければ物の数やソロバンなんていうものは、どうでもいい。此度の非人情の旅においては、金儲けをする気も借金をする気も何もない。だからこそ、この夢幻に眼下に広がる黄色の勘定なんて気にしなくていいのだ。

 

蝉の声が一段と強くなった。

 

目の前に広がる風景も、耳に入る声も、肌で感じる風も、皮膚で感ずる気温も、その全てが今は夏なのだと俺に伝える。

 

――夏。

 

その季節は全ての物を現実へと引き戻す。人も、自然も、何もかも関係なく、否応にも現実と言う世界へと我々を引きずり堕とす。春とは違うのだ。

 

――春。

 

春と言う季節は魂を忘れる季節だ。生き物は春の陽気に中てられると、魂の在処を忘れる。木々や草草はこぞって花をつけ着飾り始める、あるいは新緑を身に纏う。自然でさせ現実の厳しさを何処か高い所へと忘却し、その魂の在処を忘れるのだ。他の生物であればなおさらその魂の在処の居所は分からぬ所にあるに違いない。

 

猫はネズミを捕ることを忘れ。犬は人に尻尾を振ることを忘れる。人は春になると、魂の在処を忘れ、その職務を忘れ、そして借金をも忘れる。

 

そして、夏になり、天のその射抜かんばかりの日差しを受けることで、蝉の逞しく、煩い鳴き声を浴びることで、漸く魂の在処を思い出し、借金の存在を思い出す。

 

蝉の声は人の心を打つ。どこか高い所へ昇って行った筈の人の魂を現実世界へと引き戻す。蝉はただ体を震わせて鳴くのではない。魂で鳴くのだ。一週間と言う短い命を精一杯心に刻まんと全身全霊を懸けて鳴くのだ。

 

だからこそ、夏と言う季節は精力的になれる。夏の暑さを受け、蝉の声をその身に浴び、自分の正体がしっかりと判明するからこそ、夏は活力に溢れ、人々は働き、木々は青々と葉を茂らす。

 

借金の存在を忘れるのが春ならば、借金を返せるのが夏だろう。

 

だからこそ、俺はこの夏と言う季節に旅に出た。非人情の旅に出るにおいて、これほど持って来いの季節はあるまい。人々は夏に働く。だからこそ、夏は銭の勘定をも忘れる訳にいかない。勘定の心配をしているうちはサバを読むことも許されず、ソロバンでもってその数をしかりと数えなければ身が立たないだろう。

 

俺ももし、普通の旅をしていたのなら、この黄金の原の勘定を無意識の内にしていたに違いない。しかし、それでは俗だ。俗ならば、しないほうがいい。しないためには、非人情になる他ない。非人情になるには旅に出るのが早い。

 

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたり、嘆いたりを繰り返すうちはとても非人情とは言えない。凄いものをただ凄いものと見、暗いものをじっと見つめて、その中から自分のためになるものを掴むのが、非人情だ。

 

蝉しぐれが一段と大きくなり、軒下に吊るされた風鈴が生暖かい風を受け、涼し気になる。あぁ、愉快だ。今なら何か一句思いつきそうだ。

 

住みにくい世の中をいくらか住みよくするために生まれたのが句ならば、きっと今のような境地に立った時に生まれる句こそが、本当の句であろう。俗世の狭狭とした人情の入り乱れる浮世小路にウロウロとしている内では句なんぞとても生まれる気はしない。

 

そう思い懐を漁りそこから一つペンを取り出してみようとする。指先に触れた時だった。

 

その時なって漸く俺は紙がないことに気付いた。辺りを見渡してあるのはカバンの奥底で眠っていた誰が書いたのかさっぱりと分からない小説が一つのみ。小説の余白に書くかとも一瞬思ったが、それでは何だか味気ない。紙はカバンに腐るほどあるのだが、そのカバンは部屋にある。取りに返るは面倒だ。

 

ならば、今は時ではないのだろう。別に句で儲ける気もなければ、もともと句を食の当てにしている訳でも無論ない。句なんて画と同じくあくまでも趣味で書いているに過ぎない。有名な句を少しだけ知っている程度の知識しか持ち合わせてはいないのだ。

 

だからこそ、今がその時ではないのなら早々に諦めて別の事に時間を費やした方が有意義だろう。句なんてまた愉快だと思った時にいくらでも書けばいい。生憎終わりを決めていない旅だ。飽きた時が終わりだとも、終わりたいと思った時が終わりとも、何とでも言える。長い旅なら幾らでも書く機会なんぞ湧くように出てくるに違いない。

 

縁側の木目に沿うように投げ捨ててあった小説を拾い適当に中ほどのページを開く。そして、その文字を適当に目で追っていた時だった。

 

「何を読んでいるのかしら?」

 

声が上から降ってきた。琳朗璆鏘(りんろうきゅうそう)として鳴るような美しい声。最早聞きなれたこの家の主である花妖怪の声だ。この家にひょんなことから居候をし始めて既に何日経っただろうか。片手の指で足りる範囲は数えようかと思ったのだが、それも何時の間にか忘れてしまった。忘れてしまうと言うことは重要ではないと言う事だろう。

 

「カバンの奥底で眠っていた小説だ」

 

俺は目線で活字を追ったまま口だけで応える。何日ここにいるかは覚えていないが、少なくともこの行為が失礼ではない程度にお互いに信用しているくらいはここにいる。

 

「ふーん、面白いの?」

 

少しの足音がした後、視界の端にチャックの布が映った。彼女が好んで着る赤いスカートだ。どうやら俺の横に腰を下ろしたみたいだ。

 

「さぁ、今読み始めたからさっぱりだ」

 

その時になって漸く俺は彼女を見た。紅い目がこちらを覗き込んでいた。

 

さて、彼女の事をどうやって描写したものか、少しばかり考えてみる。肩辺りまで伸びた緑の髪は所々で癖があり、紅い双眼は何処か気の強さを感じさせる。服装は白のカッターシャツに目と同じく紅いチェックのロングスカート、そして同じくチェックのベストを羽織っていた。出会った時から変わらない。彼女は美しかった。

 

と、ここまで当たり障りのないただの描写である。俺が書きたいのは無論そんな当たり障りのない描写ではない。古今東西、小説家は登場人物の描写を事細かにするものと相場が決まっている。その那由他にも及ぶ形容詞の数はあの大蔵経とも印度(インド)のラーマーヤナともその量を競うかも知れない。

 

俺も無論、ペンで飯を食ってきた時代があったためある程度の数の形容詞は知っている。しかし、そのどれでも彼女の事は表すことは出来ない。かの哲学者ヴィトゲンシュタインは言った。言語の限界が我々の世界の限界であり、語りえぬことについては沈黙をする他ない、と。

 

この言葉から分かることは単純にして明快。いくら俺が那由他にも及ぶ形容詞を使いこなせようとも、彼女の事は描写出来ないと言うことだ。そしてそれはどの国どんな文豪でも無理だ。

 

人の国ことならばいくら、描写できたとしても人でなしの国の、人ではない彼女に当てはまる言葉なんて、どこにも誰にも用意出来ないのだから……。

 

彼女の描写は一筋縄ではいかないにしても、俺と彼女との関係は一言で簡単に表すことが出来る。出会ってから今までの間に起こったこと全てを原稿用紙に書き記したのならその量は大長編になること間違えなしだが、こと俺と彼女の関係を現すのは二文字で事足りる。

 

「あら、もう読まないの?」

 

本を閉じた俺を怪訝に思ったのか、彼女は首を傾げる。

 

「あぁ、もともと暇つぶしで読もうと思っていただけだからな――」

 

俺とこの花妖怪との関係は

 

「――“友人”が来たのなら友人と話した方が暇つぶしになる」

 

彼女こそ、我が友人である。名は、風見 幽香。花妖怪だ。

 

是非、今日はこれだけでも覚えて帰ってくれれば嬉しい限りだ。

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