俺は、とある鍛冶屋の生まれだった。
幼心に覚えているのは火と鉄の匂いで、両親の顔や声はぼんやりとしている。それでも、優しかったことは何となく覚えている。
ただ、幼い頃の夢はいつも、慣れ親しんだ鉄とは別の鉄の臭いで終わる。
生臭い、濃度を持った鉄の臭い。
吐き気とどろりとした感情が俺を支配した。
その後はあの牢獄だ。
何日も臭い箱に乗せられて、やっと降りれたと思ったら広い牢獄にいた。
そこは地下だけれど、不思議な光る石があって暗くはなかった。
最低限の食事は与えられ、無気力で無作為に数ヶ月の時を過ごしたように思える。もしかしたら、もっと短いかもしれないし、もっと長いかもしれないけど。
やることと言えば一人には広すぎる牢屋を彷徨いたり、固い石のタイルを数えたり、溝をなぞったり、あとは伸び放題の髪を弄ったり、という程度だった。
「君、どうしてこんな所にいるの?」
久しぶりに、会話をする気のある言葉がかけられた。
「・・・ぅあ・・・ゴホッ・・・ああ。」
久しぶりに声を出そうとしたから、喋り方を忘れかけていたことを覚えている。
「・・・ゴホッゲホッ・・・悪いことを、したからじゃないですか。」
「そうなんだ。何したの?」
「・・・知りません。」
「なんで?」
「・・・色々あって、気付いたらここに、つれてこられました。」
「じゃあ、どうしてそんな話し方してるの?」
俺の言葉に間髪を入れず次の質問を飛ばしてくる。それが最初は少し鬱陶しく感じていた。
「・・・目上には、こうやって話すものだと。俺はこの世で一番下だから、全員にこうやって話さなきゃいけない。」
このとき、自分を囲っている鉄格子の中にもうひとつ、俺は牢屋を作っていた。他の存在が入ってこないようにするためのものだった。
「じゃあ、私と友達になろうよ。」
でも同時に、その牢屋はとても脆くて、その女の子はいとも容易くその中に入ってこようとした。
「そうすれば、君は私に普通に話してくれるよね?」
不思議と、拒絶する感情はなかった。
鉄格子の向こう側から伸ばされた、細くて白い手を俺の歪んで汚れた手は握ったのだ。
「よろしく。私はリン。君は?」
「俺、は・・・アルム。」
それがつまり初対面というもので、リンという黒髪の少女との俺の最初の出会いだった。
単純なことだった。どこかで読んだ物語のような。そういう
それから、急に時間の流れは穏やかになった。
無為という日に意味ができ、有意義の意味を知った。
会話することで停滞した心が動き出し、同時に苦痛を思い出した。
時々、リンに渡された本を読み、世界を思い出し、自由に焦がれた。
あまりにもささいな幸せの味は、己のおかれる状況の異常さを物語っていた。
そして、いつ終わるかもしれないその日々の終点は、俺はずっと前から知っていた。
俺たちの日々は、俺の死によって終了される。
それはここに来たときに聞いたことや食事を運び込む人の言葉と、彼女が「巫女」という立場にあることから自然と導き出された。
俺は、彼女によって殺されることでその生を終えるのだと。
本来、武器は一人にひとつ、持ち主が死ねば武器も死ぬのが原則である。ただ、希に持ち主の死後も生きて、次の持ち主を作ることのできる武器がある。
それは時に、
この村にあるのは後者だろう。
これでも武器屋の息子だったから、その程度の知識はあった。
呪いの武器は命を吸って生き永らえる。
要するに、後継者への継承をするときに誰かを殺せば良い。それが人間属の国で呪いの武器の継承を禁じている理由になる。前の持ち主が死ぬタイミング、人間属の寿命は五十年か六十年ほどだから、つまりこの村ではその程度の周期で人を拐うなり買うなりしていわゆる生け贄を手に入れているのだ。
・・・なるほど。国も罰さないわけだ。そんな周期じゃ偶然かなにかだと捉えたり、そもそも人拐いや人身売買も珍しくないし、気にも留めないだろう。
「ごめんなさい。」
ある日、リンがそう呟いた。
最初は意味がわからなかったが、俺が彼女の素性に気づいていることを察したのだろう。
「・・・私、君を殺さなくちゃいけないんだって。」
そのときが来れば、当然のことではあった。
元々俺がここにいるのはその為なのだし、それがあったからこそ俺は生かされていて、そして彼女と出会うことができた。
それに、死ぬことは怖くはなかった。
どうしてかは知らないけれど、死を考えても特に心は動かず、ただゆっくりと、水面が揺れぬほどにゆっくり、沈んでいくような心地がした。
「・・・気にするなよ。」
口をついて出てきた言葉の意味を、俺は知らない。
「俺は、
今にも泣き出しそうな顔が、汚い石畳に伏せられて、暗い、夕暮れの牢獄に嗚咽が響いていたことは覚えている。
その震える体を、何もできずに見詰めていた。
もう日が暮れて、そろそろ帰らないと危ないんじゃないか、そう思ったとき、階段の上から足音がした。
「・・・・、リン、誰か来る。」
しかし、その足音は途中で止まり、声がした。
「・・・誰かいるのかい?」
若い、まだ青年と呼べるような男の声だ。
「いや、君達に危害を加える気はない。・・・ただ、少し気になってしまって。大丈夫?もしあれだったら、家まで送ろうか?」
その声の主は少しずつ階段を降りてくる。
残念ながらここに隠れられる場所はない。
それに、その意思も沸かなかった。
降りてきた青年は、背中に大きな荷物と弓矢を担いで、フードを深く被っていた。
「・・・・。 」
視線が、俺とリンを行ったり来たりしているのを感じる。
狩人か、もしくは旅人だろうか。村の住民で大荷物を携帯する必要は無いだろうし、やはり旅人か。
少なくとも、俺は今まで食事を運んできたどの村人とも違う容貌に、少しの不信感を持っていた。
「・・・貴方は誰ですか?」
「ああ、僕?・・・僕はライカ。城下町の方から来た旅人だよ。」
目が見えないから確信は持てないけれど、きっと笑ったのだろう。
「・・・そんなことより、どうして君がここに居るのか、教えてもらっても良いかな?・・・そこの彼女も含めて。」
「髪が、白くて、目が、紅い、からじゃないですか?」
極論を言ってしまえばそうだ。
髪が白くて、目が紅い。この特徴がなければきっと両親が死んだときに商品価値を見出だされずに殺されていただろうし、この村の者が
どうしてこんな色に生まれたのかはさっぱりだ。俺の両親は、どちらも栗色の毛に黒い目をしていたから。人間属じゃあ、そんな色はあり得ないから。
「・・・君は」
「私たちを、助けて、ください。」
ライカ、と名乗った男が何かを言う前に、リンがその言葉を遮った。
摩りきれそうな声だった。
「私、彼を、殺したくないんです。」
この男性はきっと賢い人なのだろう。この言葉で、察したようだった。
「・・・じゃあ、君たちを助けてあげよう。」
しかし、この言葉は予想外だった。
「君たち二人をこの村の外へと逃げられるように僕が何とかしよう。」
ぬるま湯のような絶望に、暖かな火のような希望が落とされた。
そんな気がした。
あのとき、俺はどんな顔をしていたっけ。たしか、リンは驚いたのか、大きな目をぽっかりと開いて、硬直していた気がする。
それほどに、この展開は
「それで、君たちの儀式の日はお祭りの日で良いのかい?」
「・・・はい。」
リンが答えた。
どうやら、俺が死ぬのは祭りの日らしい。そうだろうとは思っていた。
「その日に、アルムが牢屋の外に出れます。」
彼女は目の前に吊るされた希望に縋りついている。決してそれを逃すまいと。
俺への意思確認はほぼなしに、話は進んでいった。
最後に。
「じゃあ、一度外で話ができるかい?」
「・・・はい。」
それっきり、俺は二人の姿を見ていない。
二人はこの地下から出ていく階段の闇に消え、俺は二人が何を話していたのかもわからない。
そして数日、無為に時間を過ごし、祭りの日になった。
その数日は彼女が現れることがなかった。
数年ぶりに見る外の風景。当日になった俺は枷を付けられたまま、引きずるように地上へと出た。
多分、十分やそこらだろうけど。こんなに長時間連続して歩くのは久しぶりで、とても疲れてしまった。到着した先は多分、神殿のような、祠のような場所。建物は大勢の人間に囲まれていて、そのそれぞれの容姿を見て己の異様さを改めて実感する。
俺は数人の質素な服を着た村人に誘導され、その祠の中心の台に、両腕を鎖で固定された。
抵抗をするのも怠く思えるほどに疲れてしまい、ほとんど人形のように、ただなされるままにこの状況を受け入れた。
暫くの間、火を焚いたり、詩を詠んだり、儀式が行われた。
そして彼女が入ってきた。
見たことのない、白くて、色とりどりの装飾の編み込まれた服を着ていて、綺麗だと思った。
その手には真っ黒い片刃の剣が握られていて、重そうに見えたがその少女は細い腕で軽々とそれを持ち上げる。
「・・・。」
目が合った。
その瞳には不安があった。
とても静かだ。思えば先程まで少しざわついていた村人たちも誰一人として身動ぎひとつもしない。
「ごめんね。」
唇がそうやって動いた。
降り下ろされた刃は、俺の腕を吊るす鎖を断った。
体が重力に負けて、崩れ落ちる。
建物の中に動揺が広がった。
「アルム、逃げよう。」
随分と大胆だ。
少しだけ残念な気もした。だって、本当に死ぬのは構わなかったから。けれど、彼女が俺の命を望むなら、生きていることを赦すなら、だったら自分の残りの命は彼女に委ねようとさえ思った。
差し伸べられた手を取る。足に力が入らないから、引っ張りあげてもらうように、無理に立ち上がった。疲れてはいるけど、歩けないほどでもない。走るのは、少し無理そうだが。
「うん。」
頷いたとき、周囲の影が一斉にこちらを制止しようとしているのを認識した。
そして、ほぼ同時に、それらが倒れていくのも。
何かが飛び、彼らを穿つ。
数秒で理解した。目の前の少女は、天秤の秤に乗せるべきものを間違えたのだと。
叫び声が聞こえる。
それを振り切るように、俺は立ち上がって、彼女と出口へ歩いた。
背後には、いつの間にかこの間の男が立っている。その手には前に見たときよりも明らかに巨大な、そして装飾の施された弓が握られている。
彼が居るからだろう。建物の中の者が俺達に干渉しようとしないのは。当たり前だ。きっと、先陣を切った数人は既に殺されているだろう。
あるいは負傷者の救護にあたっているのか。どちらにせよ、俺達を追うような人は建物の中にはいない。
ならば、異変を感じた外からはどうだろう?
それは驚くほど静かだった。
「リン。」
「どうしたの?」
「・・・何したか、教えて、くれるか?」
俺は立ち止まった。声を出すのだけでも消耗した。
彼女はとんでもない契約をしたんじゃないか。その不安が俺を突き動かしていた。
「私は、決めたんだ。」
そう言った彼女は、俺の手を少し強く引いた。
あまりにも頼りなく、震える背中を、俺は眺めていた。