マイティラビット   作:シャンティ・ナガル

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[4]『誰か』

 

           ○

 

 ――情けない!!

 

 

 私は胸を手で押さえながら、惨状と化した現場を見つめる。

 

 完治したはずの傷が疼いていた。

 いつもそうだ。この傷は私が不甲斐なさを感じる度に責め立ててくる。

 

 キングヒーロー・オールマイト。平和の象徴。

 責任の重さに対して、今の自分はなんと非力なことか……。

 

 東京大侵攻。思い出すだけで忌々しい事件。

 後一歩の所で出てしまった油断――私はそこで重傷を負った。

 

 ヒーローとしての進退に関わる大怪我。

 周囲の反対を押し切ってまで選んだ現役続行。

 

 治療やリハビリを続け、何とか最低限の活動ができるまでに回復した。

 

 そんな矢先、出会った一人の少年。

 最初は気持ち悪いガキだと思っていたが……。

 

 何とその子は、あの凄まじい悲劇の中で私が救出した人間なのだと言う。

 当時の記憶が鮮明に、雷に打たれたかのように私の中で蘇る。

 

 

 奇跡だと思った。

 

 惨たらしく破壊された街を、私は走る。

 炎は高く昇り、真夜中なのに昼のように明るかったのをよく憶えていた。

 

 生存者を探しながらも、私の胸中が諦めで苦々しく濁るほどの絶望的な状況だった。

 ついには救出を断念し、この事態を引き起こした敵組織へ、ただでは済まさないと闘志を燃やして気持ちを切り替えようと足を踏み込んだ――。

 

 その時、私の耳にか細い声が届く。

 はたと立ち止まり、感覚を研ぎ澄ました。

 

 瓦礫の下、今にも火に巻かれようとした死中で彼は一人、泣いていたのだ。

 生命の芽が刈り取られた大地の上で、彼だけが生き残っていた。

 

 物が崩れ去り炎が唸る最中、まるで私が来るのを見越していたかのようなタイミング。

 ただの幸運なのか……? キョトンとした彼を抱き上げた時、私は神秘的な何かを感じていた。

 

 何かは分からない。分からないまま彼と別れ、5年の月日が流れる。

 その子供と、私は再会した。

 

 

 本当に不思議な少年だった。

 誤魔化すこともできたはずなのに、私は自分の正体について、どうしてああもペラペラと話してしまったのか……?

 

 あの日の夜の再現のように、私はまたしても、少年を前にして不可解な導きを受けていた。

 

 心底、疑問に思う。

 だが、嫌な感じはしない。まるでそうなることが初めから決まっていたかのように私は秘密を打ち明けていた。

 

 彼の様子を見るに相当ショックだったようだが、さほど罪悪感もなかった。

 それどころか満足とすら。必要な物を全て与えたかのような……やはり分からない。

 

 戸惑いも大きかったが、それ以上に、純粋に嬉しくもあった。

 

 私が助けた少年が健気に生きていた。私にお礼を言うために会いに来てくれたのだ。

 今まで感謝の言葉は数えきれないくらい貰ったが彼の分が一番、ヒーローをやっていて良かったと、深い会心を得ていた。

 

 こういう嬉しい出会いがあるから、ヒーローは辞められないのだ。

 気持ちも新たに、私は清々しい気持ちで彼と別れた。

 

 

 己の過ちに、全く気づくこともなく。

 

 

 さて警察に『奴』を引き渡そうとポケットを確認して、私は血の気が引いてしまう。

 失敗を悟ったと同時に爆発音が響いた。駆けつけた時には、もう既に何もかも遅かった。

 

 一度、捕まえた敵を逃がすなど――!!

 プロとして最低のミスだった。

 

 せっかくエールをもらったというのに。

 その直後に、この醜態とは!!

 

 

 ――情けない!!

 

 

 現場を見つめては敵に梃摺るヒーロー達に苛立ちが募る。

 何故見てるだけで棒立ちなのか。

 

 奴の体は液状だ。打撃はおろか掴むことすらできない。

 見渡す限り、今この場に有利な個性のヒーローがいないのだろう。

 

 おまけに人質を取られ、その人質が優秀な個性持ちと来てる。

 もがいては爆発を辺りにばら撒いて必死に抵抗していた。

 

 分かっている。この場は待つしかないのだ。

『誰か』解決できる者が来るのを……!!

 

「ッッッ――!!!!」

 

 低く、唸った。

 顎が砕けそうなほど、歯噛みする。

 

 

 分かってんだよ、そんなことは!!

 だが、だが……!! 理屈じゃねぇんだよ……!!

 

 何が『誰かを待つ』だ!!

 私は、私達は、その『誰か』になるために、ヒーローになったんだろうが!!

 

 町が破壊され、人質が弄ばれている。

 この状況を!! どうして黙って見てられるんだ!?

 

 

 心の内の叫びは周りに届くこともなく、自分の中で木霊するだけ。

 当然だ。今の苛立ちも悔しさも全て、本当は私に向けられた物なのだから。

 

 力を使い果たし、最早『誰か』を待つしかない存在に成り果てた自分に向けて。

 オールマイトコールが巻き起こる中、居心地悪そうに肩を縮み込ませるしかない自分に向けて。

 

 

 ――情けない!!

 

 

 それでも私は暴れ続ける敵に対して、射殺すように頑と睨みつける。

 敵はそんな私の視線に気付きもせず、破壊を止めることはない。

 

 これも……当たり前なのだ。

 力なき正義に何の価値もないのだと……分かり切っていることだというのに……!!

 

 

 

 その時、私は見た。

 

 

 

「馬鹿ヤロー!! 止まれ! 止まれぇ!!」

 

 群衆から飛び出す、一人の英雄の背中を。

 

           ☆

 

 やれやれ、やっちまったな。僕……。

 

 ヒーローの制止の声が背中にぶつかる。

 全力ダッシュでそれを振り切りながら、頭の中で溜め息をつく。

 

 バカな素人動画を垂れ流してるTV番組を眺めてるような、苦笑いのオンパレード。

 嫌に冷静で、背中に背負った荷物がガシャガシャと煩くて、え? これって……本気(ガチ)

 

 なんか夢の中を走ってるみたいだ。

 でも、心の中は、視界は、そればっかり――。

 

 

 ――目の前の敵を、殺す!!

 

 

「……のぉぉわぁぁぁひぃえぇぇぇ~~~!!!!」

 

 敵のヘドロで形成された腕が真横に振り抜かれ、僕は屈んでそれを避ける。

 

 あっぶねぇ~!! まだ距離あるのに届くんかい!?

 でも、大丈夫だ。不意を突かれたけど動きを見て避けられる。思ったより遅い!!

 

 手元にあった瓦礫を掴み、また走り出した。

 次に敵は腕を真上に掲げ、手刀を打ち下ろす。

 

 今度は華麗に、イテテ! 土埃が目に!? ……軽いステップで横へ逃げる。

 そして、僕は腕を振りかぶり持っていた瓦礫を投げつけた。

 

『んぬっ!?!?』

 

 敵は苦悶の声。へへっ、目ん玉直撃だ。

 どうよ? 僕のフィールディング。沢村賞待ったなしだな!!

 

 強烈なピッチャー返しだったけど、相手は強振ばっかだし隙だらけなんだよね。

 おまけにデカイ的があるときたもんだ。半信半疑だったけど、あの目玉、実体なのか……流動も不便だな。

 

 と、関心してる場合じゃない。

 怯む敵。攻撃が止んだのを見計らって僕は一気に距離を詰めて懐に飛び込む。

 

 ここまでは良し! まずは人質を――

 

「――デク!? てめぇ!! なんで!」

 

「って!! えぇ~!? かっちゃん!? なにしてんだ、こんなとこで!?」

 

 今にもヘドロに飲まれそうな顔をガバッと上げて、かっちゃんが吠えていた。

 おいおい、人質ってお前かい……。

 

 爆発の時点で、おや? とは思ってた。

 でも、遠目で分かんなかったし。そんなはずないよな……って考えないようにしてたんだけど、腐れ縁ここに極まれりだね。

 

 まぁ、誰であろうと関係ない。

 僕が救いたいのは人質じゃないんだから。

 

「うせろや! デク!! 俺は一人でやれんだ! 誰がテメェの助けなんて――」

 

「はいはい、分かった分かった! そのままお口ア~ンしててね!!」

 

「な、ガッ! おッ!? ボボボボボボ~~~ッ!!」

 

『なぁっ!? 汚ぇ!!』

 

 キャンキャンと喚くかっちゃんの口に僕は指を突っ込む。

 口内をかき混ぜるみたいに滅茶苦茶に動かしてたら、かっちゃんは堪らず嘔吐した。

 

 流動つーんなら自分に他人のゲロが混ざるのは嫌だよね~。

 敵が悲鳴みたいな声を上げ、かっちゃんの体を前に押し出す。

 

 ――シメた! 拘束が緩んだ!!

 

 僕はかっちゃんの胸ぐらを掴み、袖にゲロがつくのも構わずに力一杯引っ張る。

 芋掘りみたくスポンと、勢いそのままに後ろへ放り出した。

 

 かっちゃんがゴロゴロ転がっていくのを確認して、僕はへっと笑う。

 全く、なんで僕があんな奴を……くたびれ儲けな気分だった。

 

 かっちゃんなら僕に助けられたなんて死んでも認めないと思うけど。

 ハハ、それならそれで構わない。僕に助けられたという負い目を感じなから孫に囲まれて老衰で死んじゃえばいいんだ。

 

 かっちゃんって何だかかんだ人から受けた恩とか、結構気にするタイプだからね。

 体のいい仕返しだった。

 

 とにかく、これでもう思い残すことはない。

 後は――

 

『てめぇ……!! よくもやりやがったなぁ!! もう少しだったのに……!』

 

 目の前には、憤怒を塗り固めたような目で見下ろしてくる敵。

 さてと……最後の〆と行きますか。

 

 僕は背負っていたリュックを下し、ブンブン振り回して敵を殴りつけた。

 ヘドロの体にズブリと突き刺さるリュック。深く深く、押し込める。

 

『はっ! ばぁ~か!! 俺の体に打撃が効くか! 次はてめぇが人質だ! おい、ヒーロー共!! このガキの命が惜しかったら動くんじゃねぇ!!』

 

「どこ見てやがるクソ敵。お前の相手は僕だ」

 

『……あん?』

 

 控えるヒーローへ向けて怒鳴る敵に、僕は精一杯声を押し低めて脅しつける。

 

「へへっ……他人のゲロが混ざってようやく見れる顔になったな。でも、臭いだけはどうしようもない。臭ぇ臭ぇザーメン野郎。パパのフニャチンから零れた精液崩れの出来損ないの分際で、僕を無視するなんていい度胸じゃないか」

 

『はん……てめぇ、面白い奴だな』

 

 僕のディスりに動じることもなく、敵が下卑た瞳を向ける。ニヤニヤと笑っていた。

 

 心を見透かれるような視線に冷や汗を流す。

 やっぱり分かっちゃう? ずっと事無かれ主義で生きてきたから、人に凄んだり怒ったりすんの、苦手なんだよね~。

 

 キャラじゃないのよ、こういうの。

 何かに立ち向かったり、やっぱりヒーローって僕のガラじゃないんだ。

 

 

 だけどさぁ――

 

 

 敵が人一人を丸飲みにできそうな口を広げて、笑みを深めた。

 皺のようにヘドロが流れて、僕の頭や腕に垂れてくる。

 

『安心しろ。ここを逃げ仰せたら後でゆっくり殺してやる。楽しみにしといてくれよ』

 

「あっそ。でも、そりゃ無理だね。なんせ……僕が今からお前を殺すから」

 

『はははっ!! とうとう頭がイカれたか!? どうやって俺を……ん? なんだこの臭い?』

 

 敵が周りを気にするように目玉をギョロリとひん剥く。

 こっちはお前の体臭で吐きそうだっつーのに臭いが分かるんかい。てか、鼻ついてんの!?

 

 臭いバレは予想外だったけど、もう遅い。

 僕は前へ、敵の体にタックルをかます。

 

『ッ! てめぇ!! 止め――』

 

「あばよ! クソ敵!! 来世では……ママの卵子に出会えるといいなぁ!」

 

 僕はポケットからライターを取り出して、火を灯した。

 

 

 

 ――死ね。

 

 

 

 閃光に包まれる。

 

           ☆

 

 雨が降っていた。

 霧雨の、ザァと風に揺れる静かな音。

 

 ゲホ、と咳き込んだ。

 耳はキンキン、頭はガンガン、目はチカチカ。

 

 視界が点滅する。真っ白になったり暗くなったり、更地になった道路が見えた。

 一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。何が起こったのかも分からない。ただ、廃墟と化した商店街の真ん中で、僕はポツンと突っ立っていた。

 

 辛うじて視線を動かす。辺りには黒ずんだヘドロ、燃えカスがたくさん飛散している。焦げたボールだと思った物は大きな目玉だった。

 

 思い出したかのように、やっと、自分が成し遂げたのだと気付くことができた。

 

 

 ……殺った、殺したんだ!

 

 

 僕特製DETROIT SMASH。

 完璧に決まったんだ――。

 

 

 

 人混みを抜けて辺りを物色して回った。

 別に尻尾を巻いて逃げ出したわけじゃないんだぞ。敵を殺す算段をつけるためさ。

 

 無鉄砲に飛び出すだけじゃ無理に決まってる。オールマイトがやったみたいに、とにかく一撃で奴の体をバラバラにできるエネルギー。

 それができなくても奴に深手を負わせる方法。

 

 僕は考えながら走り、心を決めた。

 悩む必要なんて最初からないんだ。必要なのは覚悟だけ。

 

 決死になる。僕はあの敵を倒して間違いなく死ぬ。それだけの話なんだ。

 

 

 見つけた建築現場や工場に忍び込んで塗料や薬物なんかを大量に掻っ払ってリュックに詰めた。

 ニトロ何とかって書かれてたし、多分爆発すんだろ。衝撃注意なんて書かれてたから思っきし振っておいた!!

 

 後は止めてあった車からガソリンを盗んでありったけリュックに染み込ませて体に浴びる。

 安心してください。人目が全然なかったからやりたい放題だったよ。皆、事件を見るために出払ってたから……火事場泥棒バンザイだね!

 

 これで即席の特攻隊の完成よ。

 一撃で吹き飛ばせるか心配だったけど、何とかなったみたい。上手い具合に爆発してくれた。

 

 化学反応ってすげぇ。

 そういう知識全然なかったから賭けだったんだけど、一応まだ策はある。

 

 爆発がダメでも次は毒だ。燐化だのシアン化だの、いかにも危そうな薬剤を一杯かっさらっておいたんだからな。

 

 あんなナリでも奴とて人間。目がついてたり鼻が効くってことは粘膜がある証拠。喋ってるってことは呼吸もしている。かっちゃんのゲロを避けたのは不純物が混ざるのが嫌なんだろう。

 

 液状なら毒もよく吸収してくれそうじゃん? 見た目が強そうなだけで割りと繊細な体なんだな。

 

 まぁ、こんなの全部後付けなんだけどね。そんでも結果は結果だ。

 初めの爆発で御陀仏みたいだったから二段構えなんて心配はいらなかったけど。

 

 クソザコ敵。倒したとこで話の種にもなりゃしねぇや。

 

 

 へへ、ざまぁみやがれ……。

 

 

「ゴボッ……」

 

 喉から競り上がってくる。拳大の黒い固まりを吐き出す。

 足元でバシャリと水風船みたいに割れた。

 

 ……血かよ。

 

 目だけを動かして確認する。

 こんなんが自分の中から出てくるんだ。面白いなぁ……死ぬって。

 

 本当なら爆発の時点で消し炭になっててもおかしくないのに、何で僕はまだ生きてんだ?

 けど、奴が殺せたのを確認できたのは良かった。神様がくれた御褒美なのかな? なら、素直に受け取っておこう。

 

 できればオールマイトの顔も一目見ておきたいけど……もう振り返る力すら残ってない。

 どうやら神様はこれ以上、我が儘を聞いちゃくれないみたいなんだ……。

 

 この目を閉じたら、僕は死んでしまうだろう。

 

 有名なボクシング漫画のラストで、主人公が真っ白に燃え尽きるシーンってあるじゃん?

 自分が死ぬなんて考えたこともなかったけど、今なら分かる。死ぬ時に人が真っ白になる……あれ嘘っぱちだね。

 

 死ぬってさ……透明になるってことなんだよ。

 白くもならないし、後に何にも残らないんだ。

 

 手足の先から徐々に徐々に感覚を失って、自分の体が薄まって消えていくんだ。

 まるで宙に浮いてるように開放的で、体から力が抜ける。力を失ってしまう。

 

 雨や風や空気に、自分の体が透けて、そのままどこか遠くへ、飲まれてしまう。

 

 雪だるまが溶けて水に戻るみたいな……。

 少しだけ、懐かしい気持ち。死ぬというより、帰ると言う方が正しいような……うはっ、僕って哲学者になれるか、も……

 

 これが死ぬって、こと……なのか。

 もっと――て苦しいものか、と思っ……割りと心地よい――れり尽くせりだっ……

 

 

 ……時間、切れか。

 

 

 もう意識が切れ切れで、何だか、すごく眠くなってきた。

 う~ん、どうやらフラダンスの犬の方は正しかったみたいだな。

 

 頭の中の思考にすら、空気が混ざり始める。

 

 あ~あ、最後に行々亭の、背脂にんにくマシマシのラーメンが食べたかった。

 1組の真子ちゃん、夕美ちゃん、3組の……1回ぐらいデートに行っとけば良かった。

 BeNAの試合も最近全然行ってなかったや。こんなことなら……。

 

 後悔ややり残したことはいくらでも思い付きそうで、どれも些細なことのように思えた。

 結局、僕にとって大事な、生きる理由は、一つだけだったみたいだ。

 

 

 ――オール、マイト。

 

 

 最後に想うのは、その人のこと。

 薄れいく意識の中でも、その人の笑顔だけはバッチリ浮かび上がる。

 

 オールマイトの姿。オールマイトへの想い。

 もう手を伸ばすことも叶わない。それでも見続けて、太陽のような眩い光に心を翳した。

 

 良かった……やりましたよ、オールマイト。

 こんな無個性(ぼく)でも、敵を倒すことが……。

 

 5年前、東京大侵攻が起きた、あの日。

 本当なら、僕はあそこで死ぬはずだったんだ。

 

 だけど、オールマイト……あなたが救ってくれたお陰で運命が変わりました。

 あなたがいてくれたから、僕は生き長らえることができました。

 

 ずっと希望を見て、生きることができました。

 多分、その時から。僕の命はあなたの物だったんですね。

 

 そして、今日この日。あなたに与えられた命をお返しします。

 何も大したことは出来なかったけど、少しでも、あなたが安らかであられますように……。

 

 

 あなたの目の端に、一瞬だけ映る、野の花で、僕はありたい。

 十分です。それだけで、僕は十分、生きた甲斐がありました。

 

 

 ああ……オールマイ――

 僕は――たが送って――った命に報――ことができた――ょうか?

 

 あなたが注――くれ――と勇気で敵を倒す――はで――したが、物――んだ――を壊――り、結局僕はど――ようもない人間で――

 

 お許しく――い。オ――マイト。

 ――たは御――頂けないかも――ませんが、――精一杯頑――ました。

 

 オールマイト。どうか、少しでもあなたが癒されますように。

 ああ、オールマイト。どうか、どうか……。

 

「――」

 

           ○

 

 雑然と機器が並べられた部屋の中で、無機質な電子音が響いていた。

 

 ぼんやりとした薄明かり、私は『彼』を前にして佇む。

 厚いビニールカーテンの向こう側、全身を包帯で被われ目すら塞がれてベットに横たわる彼の姿を、黙って見ていた。

 

 ふと、背後で気配が揺らいだ。

 

 自動ドアが開く。

 コツコツと杖をつきながら、背の低い老婆――修繕寺治与先生が病室に入ってきた。

 

「俊典、まだ生きていたとは驚きだ。アンタも大概シブトいね」

 

「お久し振りです、修繕寺先生。その節は大変お世話になりました。今日はお越し頂きありがとうございます」

 

 挨拶もなしに開口一番、憎まれ口を叩かれる。

 声は嗄れて、憮然とした雰囲気。

 

 私は特に気にすることもなく深々とお辞儀をして、彼女を出迎えた。

 

 ペコペコと頭が上がらない。無理を言って来てもらい畏縮し通しだった。

 修繕寺先生……雄英高校に勤める保険医で、日本が世界に誇る名医だ。

 

 雄英在学時は勿論、プロになってからもお世話になりっぱなしで、私の命の恩人でもある。

 

「で? 急に呼び出した理由は? 誰なんだい? この死に損ないは」

 

 間を置かず、修繕寺先生は本題に入ろうと杖でチョイチョイとビニールカーテンをつつく。

 

 私は淡々と彼の病状を話した。

 

「全身大火傷に加えて全身骨折。爆発により発生した有害ガスで臓器にも障害を負い意識不明の重体……有り体に言えば植物状態です。医者によれば今夜が峠になる、と……」

 

 波打つ心電図には山も谷もない。

 すぐにでも消え入りそうな鼓動が延々と繰り返されるだけだ。

 

 私の話を聞いた修繕寺先生は不機嫌そうに鼻を鳴らして、

 

「ふん、それであたしゃってわけか。でも、生憎だね。こりゃ『治癒』でも治せないよ。あたしゃの個性は魔法じゃない。ある程度、患者に体力がないことにゃ治してる間に死んじまう。見たとこどうやったって助かりそうにないね。手遅れだ」

 

 にべもなく、そう言い切る。

 

 私は特にショックもなく、ただ目を閉じた。

 

 分かっていたことだ。

 素人目から見ても彼が助かりそうにないのは明白。修繕寺先生ほどの人が言うなら尚更だった。

 

 彼を診た医師も困惑したに違いない。

 何故生きているのか不思議なくらいだった。

 

 爆発の直前、彼は敵に殴られ爆心から撥ね飛ばされた。

 その後、襲った爆風のお陰で彼の体に着いていた火が一瞬で消し飛んだ。

 爆発によって生じた上昇気流が雨を降らし、ガスの濃度が下がった。

 

 ほんの、ほんの僅かな差が彼を生かしていた。

 またも彼は奇跡的に、その命をギリギリで繋ぎ止めていた。

 

 だが、その奇跡も長くは保たない。

 今夜が峠とは贔屓目だろう。処置しようもない病状。もはや回復の見込みはない。

 

 命運は尽きた。彼はここで死ぬ。

 ……本来ならば。

 

 

 一つだけ、方法があった。

 

 

「それは分かっています。だから、あなたが治癒する直前に――私の『DNA』を移植します。そうすれば彼は生き返るはずだ」

 

 私は決断を口にする。

 

 修繕寺先生は眉をひそめて、

 

「はぁ? 移植? そんなことしてなんに……ッ!? アンタまさか!? バカな!! なんでここで『譲渡』の話が出るんだ!?」

 

 最初は意味が分からなそうに訝しんでいたが、途中で私の意図に気付き声を荒げた。

 

 先生が憤るのも無理はない。

 私が成そうとしていることは余りにも馬鹿げたことだ。

 

 自分でも理解してはいる。だが――

 

 彼は一つしかない命を引き換えに、私が待ち望んでいた『誰か』になってくれた。

 ならば私も、私の『個性』……1度しか使えない能力を持ってして彼に報いることが、自分に今できる全てだと感じていた。

 

 理屈じゃないのだ。今も、そして5年前も。

 

 これは『誰か』には出来ない。

 私にしか出来ないことなのだから。

 

「彼を救う方法がそれしかないからです。あなたの個性と私の個性をもってすれば不可能ではありません。それに譲渡の件は……彼に『9代目』を引き継いでもらうことに決めました」

 

「あぁ!? この子が!? なにを突然!! アンタ自分がどれだけ譲渡を渋ってたと……もしかして……決めました、ってことはこの子はまだなにも知らないのかい?」

 

「ええ、まだ……全て私の一存です」

 

 私は気まずげに目を伏せた。

 

 修繕寺先生が言った通り、それが一番のネックだった。

 これは私が勝手に決めただけで彼には何の了解も取っていない。

 

 私の個性は渡したら、はい終わり、という訳にはいかない。

 本当なら話し合いを何回も重ねて、出来れば身体検査も入念に施したいところなのだが……。

 

 修繕寺先生が呆れたように溜め息をつく。

 

「はぁ、アンタの個性を誰に渡そうがあたしゃには関係ない話だけどねぇ。いくらなんでも突飛すぎるよ。少なくとも本人の意識がない時に決めることじゃない。せめて経過を――」

 

「いえ、駄目です。さっきも言った通り、彼は明日も知れない身。チャンスは今しかない……お願いします! どうか力を貸してください!」

 

 それでも、やるしかなかった。

 彼の命がいつまで保つのか、タイムリミットは残り少ないのは確かだ。

 

 そして、彼を救うには私の力だけでは不十分。

 どうしても、修繕寺先生の助けが必要だった。

 

 説得力も何もないが、藁にもすがる思いで私は頭を下げ続ける。

 

 呆気に取られていた修繕寺先生は今度は諭すような口調で、

 

「なんでアンタがそこまで必死になるのやら……親御さんにはちゃんと話したのかい? 全部は無理でも説明しとかんと」

 

 最もな意見を言う。

 

 しかし、私は首を振った。

 

「調べてみるとどうやら彼は孤児のようです。5年前の事件で親類も皆……」

 

「……アンタ、もしや哀れみでこの子を助けようと思ってるんじゃなかろうね? やめときな。一時の感情で渡したことを後悔しても遅いんだよ」

 

 修繕寺先生がグッと私を睨んだ。

 

「このガキを救う価値がないとは言わんがね。人には天命というものがある。それをねじ曲げてまで……1回ポッキリしかないアンタの能力を使ってまで救ってなんになるって言うんだ? 命を弄ぶんじゃないよ。静かに眠らせてあげる方が、良いこともある……」

 

 しゃがれた声は地を震わすほどの威厳を持っていた。

 

 修繕寺先生は命に対していつも真摯で、そしてフェアであった。

 40年、未だ現役で人を救い続けるヒーロー。私など足元にも及ばない偉大な御方だ。

 

 命に重いも軽いもないのだと、どんな難病にも立ち向かう。

 ただし、治らないものは治らないとはっきりと言った。

 

 私が重傷を負い治療を受けた時も。

 

 

『アンタがオールマイトだから治すわけじゃないよ。あたしゃが治せるからアンタを治すんだ。あたしゃは自分が治せる者を全力で救うだけなんだからね』

 

 

 その言葉は何よりも重い響きだった。

 ならば今日、私がやろうとしていることは修繕寺先生にとって反則技も等しい。

 

 個性は神の力でも何でもないのだ。

 ただの手足の延長でしかない。そして、いくら手足が伸びようが私達は所詮、人間だ。

 

 できることとできないこと。

 やるべきこととやらざるべきこと。

 

 線引きをはっきりしておかねば、人間は傲り高ぶり個性に振り回されるだけ。

 

 それを承知の上で、私は言う。

 

「違います。確かに彼の過去を知った時は同情しましたが……私はこの目で見ました。駆けていく背中を。あの場で誰よりもヒーローだった彼の姿をです。彼だからこそ託したいと思いました」

 

 時間がない中で彼の情報をできる限り集めた。

 両親や親戚は悉く東京大侵攻で亡くなり引き取り手も見つからず、5年間、独りで生きてきた。

 

 境遇は確かに悲惨で気の毒だったが……。

 資料には驚くべきことが記されていた。

 

 私はそれを知った時、思わず口に手を当て、愕然とした。

 

 

 個性登録『なし』。

 彼は正真正銘の、無個性だった。

 

 

 バカな――!!

 信じられなかった。こんなコミックみたいな話が、現実にあるはずがない。

 

 だが、裏付けは取れている。

 虚偽や偽装でもなく、彼は本当に、素の人間として敵に立ち向かったのだ。

 

 一般人が敵と戦うなど珍しい話でもないが。

 特にトップヒーローになる者はそれこそ学生時から逸話を残すものだ。

 

 曰く『考えるよりも先に体が動いていた』……多くの者が話をこう結ぶ。

 だが、それは強力な個性があってこそできるものだった。

 

 プロはいつだって命懸け。個性もなしに成り立つとは到底言えることではない。

 なればこそ、何の努力もなしに敵を瞬殺できる個性を持つ者はザラにいるのだ。生まれつきの才能という自信があったからこそ勇気が後押しされる。それが相応の現実というものだ。

 

 ならば、彼は……?

 何故、彼は飛び出すことができたのだ?

 

 事前に私の事情を聞き多少の負い目があったにせよ、危険を冒す必要はなかったはずなのに。

 

 

 

 ヒーローすら立ち往生する中、何の頼みもなく死地に飛び出した彼は一体――?

 

 

 

 トップヒーローの逸話と比べて、余りにも異質で、そして別格だった。

 簡単にできることではない。そもそも、できるできない以前の問題だ。

 

 私は目を見張り、心を打ち震わせる。

 その事実は何か、言葉では伝えられないほど、ただただ私の目に眩しく、燦然と輝いていた。

 

 その輝きは今と、そして5年前を。

 遡り、繋ぎ、私と彼を強烈に結びつける。

 

 私の代で終わらそうとした個性、誰にも譲るまいと思っていた。

 堅く心に決めたはず決意を翻してしまうほどに、私は突き動かされていた。

 

 彼に――『希望』を見出だしていたのだ。

 

 それを前にして気持ちがどんどんと膨れ上がり、居ても立ってもいられなかった。

 だからこそ、彼の後を追って病院に駆け込み、プライドを捨てて昔の恩師の袖にすがりついた。

 

 そんな私の興奮を、修繕寺先生は諌める。

 

「簡単に言いなさんな。大きすぎる力だ。世界最強の個性と言っても過言じゃない。故にアンタの個性は『業』ともなり得るんだ。それをなにも知らないこの子の細肩に無理矢理課すのかい?」

 

 冷静に、突き放すような言い方だった。

 修繕寺先生の言うことは正しい。

 

 しかし、私は毅然と言い放つ。

 

「彼は強い人間です。重荷にもきっと堪えてくれる。それに……これは運命だと思うのです。5年前、出会った時から彼はすでに選ばれていたんだと。私はそう確信しています。業という十字架があるならば私も共に背負いましょう。彼はもう独りじゃない」

 

 全て私の願望で、我が儘に過ぎない。

 綺麗事だ。未来はどうなるか、まるで分からないというのに……。

 

 それでも、私には確信があった。

 彼ならば私の想いに応えてくれるという、強い確信が。

 

 修繕寺先生は私の視線に気圧されたように口をポカンと開き、そのまま嘆息した。

 

「……なにを言っても無駄なようだね。腹は決まってるのか」

 

 慈しむようにビニールカーテンを撫で、ベットに眠る彼を見つめた。

 彼の将来を案じるように。修繕寺先生、唯一の優しさだった。

 

 その優しさを踏みにじってまでも、私は我を押し通す。

 もはや後戻りはしない。何を犠牲にしてでも、彼を救い出すつもりだった。

 

 彼とどうしても、話がしたかった。

 彼を見ているとチクチク、心が荒ぶる。

 

 

 一応、敵は倒せたが……何と無茶でナンセンスな戦い方なんだ!!

 爆発による破壊、毒物による汚染。被害は甚大だった。

 

 たまたま大勢のヒーローや警察が待機していたから素早い対応ができただけで本来なら敵以上の二次災害が起きるところだったのだ。

 

 オーバーキルとは良く言ったもので……。

 

 敵を殺して良いとは、何をしても構わないというわけではない。

 そこの所、彼にはキッチリと言っておかねばならなかった。

 

 

 だが、結果として人的被害はゼロ。

 人質もほぼ無傷。これはプロでも中々難しい、立派な大戦果だった。

 

 大分ラッキーが強い……しかし、運も実力だ。

 何より、あの場で飛び出す勇気。目潰しを狙う機転といい、見事としか言い様がない。

 

 

 度胸がある。意気込みは良し。頭も回る。

 だが、猪突猛進で大雑把。咄嗟の判断で丸く収めてるだけで行き当たりばったりの戦い方。

 

 私の若い頃とは雲泥の差だ。

 やれやれと、内心で頭を抱える。

 

 まだまだ問題点が多い。伸ばすべき長所も。

 

 沢山、言いたいことがあった。

 沢山、叱ってやりたい。

 沢山、誉めてやりたい。

 

 

 ――なぁ、緑谷少年。

 

 

 心の中で。

 

 隔てられた病室、その向こう側にいる彼――『緑谷出久』に語りかける。

 体には幾重にも管が巻かれ、まるで鎖のように、生死をさ迷う彼を縛りつけていた。

 

 今すぐにでも引き千切ってやりたい。彼を解き放ってやりたかった。

 早く目を開けてほしい。そして私と共に――。

 

 

 ――生きろ。君はまだ、死んではいけない。

 

 

 彼は命懸けで、私が負うべき責任を肩代わりして果してくれたのだ。

 

 ならば、私も応えねばなるまい。

 

 私の全てを、君に伝えることによって。

 君とこれから共に歩むことによって。

 

 

 ――まだ何も、返せていないのだから!!

 

 

 決して死なせはしない。その一念。

 私は堂々と胸を張り、新たな決意を口にした。

 

「ええ、彼は受け継ぐに値する。私の個性――

 

 

 

 ――『ONE FOR ALL』を!!」

 

           ○

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