マイティラビット   作:シャンティ・ナガル

6 / 7
[6]/ALL FOR ONE.

 

           ☆

 

 汗が流れる。顎を伝い、僕の手に落ちる。

 頭の奥がじんじんと痺れて、体の中で心臓が破裂しそうなほど暴れていた。

 

 目の前にはオールマイト。

 僕が追い求めてきた、最高のヒーロー。

 

 本来なら一瞬の交錯で終わるはずだったのに、5年の歳月を経て再び相対した。

 とうとう手の届く距離にまで。視線を合わせ、何の隔たりもない。

 

 ゴクリと生唾を呑んだ。

 

 それがどういう意味なのか。

 鳴りを潜めていた事実に僕は衝撃を受ける。

 

 国や世界を救うこと幾度。自らを全能(オールマイト)と名乗ったヒーローの王様。

 淡々と繰り返される毎日。いくらでも代わりのいる無個性の子供。

 

 本来なら、出会うはずがなかったんだ。こうして話すことも烏滸がましいくらいに。

 だけど、僕は三度、オールマイトとの邂逅を果たした。

 

 一度目は救助者、二度目はファンとして。そして、三度目は――。

 

 僕を取り巻く現実が変わったのか。それとも僕自身が変わってしまったのか。

 毎日夜に寝て、朝起きる。目覚めれば同じ日々が続いていた、あの時とは違う感覚。

 

 時が丸ごと前に進んだかのような、地球の自転とか公転とかもっと大きな立ち位置の変化。

 いつの間にか流されていた。猛烈な波が押し寄せてきて、僕をうんと遠くまで。

 

 自分から死を選び、目覚めた世界。

 知らない内に、取り返しのつかない一線を越えていた。

 

 

 

 運命が動き出す。

 

 

 

 僕は固まったまま、見つめ返していた。

 

 オールマイトは有無を言わせない。

           

「『ONE FOR ALL』は強力な個性ではあるが、それ自体はただの結果に過ぎない。だが『ALL FOR ONE』は違う。特殊な個性なんだ。譲渡という過程には凄まじい強制力が付く。個性が譲渡されるまで『ALL FOR ONE』は、()()宿()()()()()()()()()()()、呪い染みた効果が!!」

 

 朗々と、一本槍の如く。一声で空気をかき混ぜてしまう。

 

 巨大なオペラハウスで一人舞台でも演じてるかのように、オールマイトの口調は力強くて人を包み込む響きがあった。

 

 さっきから脚本も演出もまるで無視した自分勝手な公演だけど、常に見る者を圧倒する。

 広い劇場に、観客は僕一人。

 

「私が回復できたのもこの効果のおかげなのさ。歴代の継承者も九死に一生を得てきた。譲渡前ならどんな致命傷を受けようと超再生が発動する。まるで意思を持つかのように個性が次の人間に渡るまで宿主が死ぬことを決して許さない。譲渡という契約の遵守を迫るようにね」

 

 はぁ、と息を吐いて返事をした。

 頭の中で言葉を探すのを諦めて、オールマイトの話をただ聞き入れる。

 

 自分の鼓動がやけに耳に近かった。

 

「半ばオカルトだが……今回、君を救うためにその特性を利用させてもらった。『ALL FOR ONE』は瀕死の継承者を死なせまいと起死回生の再生力を発揮する。そこに私が呼んだ医師の治癒個性を上乗せし君を蘇生させ、今に至るというわけだ」

 

 話を終えたオールマイトが『何か質問は?』と無言で促してくるけど、僕はただボケッとして心ここに在らず。

 ムチャクチャだよ……悪態混じりの溜め息をつくのがやっとだった。こんなの質問以前の問題じゃん……とも思う。

 

 でも、こうして甦っている時点で頷かざるを得ない。

 

 現実を生きているつもりだったけど、やはり超常世紀。どんな摂理も簡単に覆ってしまう。

 今尚、知られていない個性が存在していて人間の常識がまるで追い付かない。そうなったらもうお手上げ状態だ。

 

 話を聞いていただけなのに体力を奪われて抜け殻になった気分。口を開くのも億劫だった。

 

 するとオールマイトはその沈黙を肯定と受け取ったのか、

 

「君のことを調べさせてもらったよ。緑谷出久、P.D.11年7月15日生まれ。10歳の時に東京大侵攻で家族を亡くし、私が創設した基金や政府補助金を受け、独りで暮らしてきた。後見人は政党『拙誠義友会』の党首、爆豪衆議院議員……」

 

 ぺらぺらと僕のプロフィールを羅列していく。

 

 死角から不意打ちを食らったかのように、驚いて肩を窄ませる。

 話が見えないのはいつものことだとしても、いきなり話題が切り替わって意味もなく焦った。

 

 次は何が始まるのか。僕はビクビクしながらオールマイトの顔を窺う。

 

「好きな食べ物はトンカツ。趣味は女の子と遊ぶこと。特技は野球で小学生の時にリトルリーグで日本一に輝いた。勉強も得意なようだね。全国模試では常にトップの成績を収め、雄英高校経営科はS判定……すごいね。これなら合格どころか特待生として学費の全額免除も余裕だな」

 

 オールマイトは感心したように鼻を鳴らして小さく微笑むと、

 

「それで? 君は雄英を受けるのかい?」

 

「えっ? あっはい! もちろんです! 雄英は……オールマイトの出身校ですから。行くなら絶対、雄英だと思ってました! 経営科なら無個性でも入れますし……」

 

 急に話を振られて、僕はおどおどしながらも迷わず言った。

 まるで面接試験みたいな受け答えで何か滑稽だったけど、そんなこと気にしていられない。

 

 オールマイトは肩を揺らして大笑する。

 

「HAHAHA! 嬉しいことを言ってくれる。だが、一つ、訂正が必要だな。君が行くのは経営科じゃない……雄英高校ヒーロー科さ」

 

 口がポカンとなる。これには僕も呆れ果てて唖然としてしまう。

 

 尊敬している人の言葉とはいえ……とうとう本当に何を言ってるのか意味が分からなくなった。

 未知の言語とか宇宙人とでも交信してるかのように、理解の範疇を遥かに越えている。

 

 もしオールマイトじゃなかったら、「あぁ!?」と半ギレで聞き返していたかもしれない。

 それくらい意識の食い違いが高い壁となって両者の間に横たわっていた。

 

「なにを驚いている? 君はもう無個性ではない。さっき言ったはずだぞ。譲渡は既に完了したと。他でもない私の個性が君の体には宿っているんだ。無理矢理渡しておいて酷ではあるが……君をこのまま帰すわけにはいかなくなった。さて、ここからが本題だ」

 

 だけど、オールマイトは僕の微妙な反応を気にすることなく、壁があるなら壊せばいいとでも言うかのように核心をぶつけてくる。

 

「『ONE FOR ALL』は何人もの人生を経てその度に強くなってきた。譲渡を重ねる毎に一人分、二人分と積み上がり今や人の手に余るほどの力を蓄えている。非常に強大で……危険な個性なんだ。持つ者によっては神にも悪魔にもなろう。故に私は個性の詳細を世に伏せてきた」

 

 静かな口調ながら、オールマイトは眉間に深く皺を寄せる。厳しい目付き。

 

 僕は頭の天辺から足先までフワフワと……狐に抓まれたような気持ちだった。

 

 真剣な話をしているのは分かっていても、全く着いてけない。

 ドッキリ番組みたく、後ろからテンプレートを持ったニヤニヤ顔の司会者が現れるんじゃないかと背後を気にしてしまう。

 

 それでも、今までの話を聞いて徐々に自覚が僕の中に浸透していく。

 

 

 ……本当はとっくの昔に気付いていた。

 

 

 人生を安穏と過ごしてきた自分は、もう既にこの世にいない。

 平凡だった人生は粉々に打ち砕かれて、何か別の、決定的な流れへと僕は引き込まれていく。

 

「そして、強大だからこそ責任が伴う。より強い力はより弱い者のために。世界をより良くするために、この個性は使われるべきなんだ。君には責務を負ってもらわなくてはならない。私の後を継ぎ、平和の象徴として! ヒーローとなり、世界の安寧を担う義務があるんだ!!」

 

 大喝して、オールマイトは指差した。

 

 他の誰でもない僕へと、突き付けられる。

 息を呑む。ばくばくと心臓がうるさく鳴り響いていた。

 

 

 

 もう、無個性じゃない――?

 

 オールマイトの個性を、僕が――?

 

 僕が、ヒーローに――?

 

 

 

 大きく身震いして、頬をひきつらせる。

 

 途方に暮れてしまう。

 どうしたらいいか、素で分からなかった。

 

 こんなのコミックじゃないか。

 死んで蘇ったら僕は個性持ちになってて、憧れのヒーローであるオールマイトに自分の後を継いでくれ、なんて……。

 

 

 僕には無縁のストーリーだったはずなのに。

 

 

 一度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 とりあえず、もう少し話をよく聞かなければならない。

 

 オールマイトの真摯な眼差しを見るに、後戻りは出来なさそうだし……。

 だったら、進むしかない。いつまでも足踏みはしていられなかった。

 

 混乱した頭を無理矢理纏めて、弾け飛んだ心を継ぎ接ぎして、必死に言葉を探す。

 

 喉がカラカラで声が掠れてしまった。

 

「そんなこと急に言われてもなにがなにやら……というか、なんで僕にそんな大層な個性を……? 助けてもらったのはありがたいんですけど」

 

「うむ、それは私にも分からない!!」

 

「えぇぇ~っ!?」

 

「HAHAHA! 言葉では説明し辛いんだ! だが、後悔はしてない! 渡したかったから渡したまでのこと! 君なら私の期待に応えてくれると思ってね! 実際こうして起き上がってる時点で……ところで君、あれから何日経ったか分かるかい?」

 

 オールマイトが尋ねてくる。

 

 ハイテンションな物言いに振り回されながら、緊張した空気が少し緩んで安心していた僕は唐突な問いに首を傾げるけど、パッと思い付いた想像に背筋が凍った。

 起きて目覚める。このパターンはもしや、映画とかでよく見るアレなんじゃ……。

 

「も、もしかして! もう100年後とか~!?」

 

「なわけあるか! 何日って言っただろう!? 君がヘドロを退治してからまだ3日しか経っていないだよ!……これがなにを意味していると思う?」

 

「それは……なんなんでしょう? アテッ」

 

 ズビシッとおでこにチョップを食らう。

 

「私は傷を治すのに5年かかったんだぞ。それを君は瀕死の重体を3日で全快させた! 桁外れの再生力。これは今まで前例になかった椿事だ。原因は分からないが……個性が深く感応した結果なんだろう。つまりは素質があるのさ。『器』としての素質が!!」

 

 オールマイトにそう指摘されたけど、いまいちしっくり来なかった。

 

 まだ個性を受け取ったことすら半信半疑だってのに……。

 実感のないことを誉められても、くすぐったいやら困ったやらで何とも言い難かった。

 

 素質か……。

 

 頭の中で言葉を転がしていると、ふと、あの暗闇での出来事を思い出した。

 現実に帰ってきた後もよく覚えていた。あの時は訳が分からなかったけど、今思えばアレはそういう意味だったのかも……。

 

 僕はポツポツと語り出す。

 

「そういえば僕が死んで、暗闇……人がいたんです。僕を取り囲んでじっと……その後、光に包まれて痛くて痛くて、オールマイト。あなたに会ったんです。『生きろ』って、手を……」

 

 僕の言葉を吟味するように、オールマイトは少し唸って顎を撫でる。

 

「ふむ、臨死体験か。個性の影響でほぼ間違いないだろう。私も若い頃に似たような物を見たがそこまでイメージがはっきりしているとは……痛みの方はどうだい? 譲渡の際に本来そんなことは起きないはずだ」

 

「そりゃもう! 痛いなんてもんじゃないですよ!! 新幹線とディープキスでもしたのかと……」

 

 思わず頭を抱える。

 本当なら言葉じゃ表せない。それくらい酷い痛みだった。

 

 脂汗を浮かべてガタガタ震える僕を見て、オールマイトは何がおかしいのか大らかに笑う。

 

「HAHAHA! それは痛かろうな! きっとその激痛も個性がよく馴染んでいる証拠さ。それに、身から出た錆でもある。全くとんでもないことをしでかしてくれた……いくら敵を倒すためとは言え、あんなに暴れては別の罪に問われるぞ?」

 

「あっ……」

 

 オールマイトの冷静な意見に、頭からスーッと血の気が引いた。

 

 そういえば僕、敵を殺して町を破壊したんだった……。

 死への片道切符のつもりで出来たことも、僕が蘇ってその前提は崩れてしまっていた。

 

 

 人権のない敵を殺しても罪にはならないけど、そこへ至るまでに言い逃れのできない不正を何個もやらかしている。

 窃盗、公務執行妨害、器物損壊、爆発物……人が巻き込まれてたら過失致傷か傷害罪。もはやどちらが敵かも分からない立派な犯罪だった。

 

 今更何を言っても遅いけど、僕だって本当だったらもっと安全に戦いたかったのに。

 個性があればそれを利用して被害を抑えることもできたかもしれない……。

 

 まぁ、全部「たられば」の話。あの時、僕は無個性として戦うしかなくて、半端な力じゃ敵に勝てなかったんだ。

 僕の唯一の武器は決死の覚悟だけ。一つしかない命を使いながら加減をして仕留め損なうなんてことは許されなかった。

 

 どうせ待ってたら直に他のヒーローが解決していたと理屈では分かるし、何であんなことをしたんだろうと後悔も沢山ある。

 それでも、やらなくちゃいけなかった。自分の失敗やオールマイトのピンチを無視して逃げるなんてこと、僕には絶対出来そうになかったから。

 

 結局、全部裏目に出ちゃったけど……。

 こういう時、個性持ちだったら話は別だったんだろうな~。

 

 

 一般人が個性を使って敵に抵抗したり敵を倒してしまったとして、その場合ももちろん警察には捕まる、一応は。

 

 でも、大概は正当防衛が認められて減軽か反則金を払えば済むし、もしくは『社会奉仕命令』という刑罰の対象となる。

 

 社会奉仕と言ってもボランティアなどそういうイメージとはかけ離れた異様な処分。

 ぶっちゃけ徴兵だ。日本軍への強制的な10年以下の兵役。文字だけ見るとキツいそうだけど、実はこれ本当の目的はスカウト。

 

 『ヒーロー』――正確には護持官と呼ばれる特殊保安職員の統括、全国民の個性管理。

 それらを担う『国体省』という行政機関が執る超法規的措置だ。

 

 強い権力を持つ国体省は独自に司法へも干渉して、特に優秀と判断した個性持ちを兵役という形で引き抜いていた。

 軍に所属させてバキバキに鍛え上げながらヒーロー資格の取得を斡旋する。優秀なヒーローや精強な軍人を生み出すための更正プログラム。

 

 とにかくこの国はあらゆる形で優れた個性を探し出そうと躍起になっていた。

 そのためなら三権分立や民主主義が崩壊しようと構わない。『ヒーロー国家』という高揚の裏にある、復活した独裁国家『大日本帝国』の実情。

 

 片方で敵を徹底的に酷遇して社会を抑圧する。片方でヒーローを奨励して個性を保護する。

 人々を締め上げては弾圧し、焚き付けては超常という熱狂を煽る、歪な時代。

 

 

 そして、その時代から、僕みたいな無個性はいつも蚊帳の外だった。

 

 

 一応、もう僕は個性持ちみたいだけど今更それをアピったところでどうしようもない。てか、どう証言しろってんだよ……。

 オールマイトの個性をホイホイと外で話すわけにはいかないし、どのみち監視カメラやらの証拠で無個性として処理されるに決まってる。

 

 無個性が敵を倒した所で誰も誉めてくれない。

 裁判を受けれるだけマシ。きっちり罪を償わされるだけ。

 

 派手な事件だったから3日もあればとっくに足が付いてるだろう。

 未成年の併合罪に対して少年法は適用されないし、この罪状だと執行猶予も危ういかも……。

 

 実刑だ。個性持ちになったと同時に前科持ち。

 悪寒が肌の上を這い回った。目眩がする……。

 

「そうだった。どうしよう……じゃあ、僕これから捕まるんですか!?」

 

「いや、それはないよ。あの事件は私の方で既に情報操作済みだ。君はあの事件現場にいなかったことになっている。もう無関係さ。過ちとは言え元は私のミスだし、あの無茶がなければ私達がここで出会うことはなかっただろう……致し方ない。火急の用故、君を擁護させてもらった」

 

「は、はぁ、どうも……」

 

 また訳が分からないまま事態が進んでしまう。

 本当ならもっと丁寧にお礼を言って、もっと詳しく話を聞いた方がいいんだろうけど……。

 

 情報操作とか、いなかったことになってるとか、さらりと言ってしまうオールマイトにビビって深追いするのを止めてしまった。

 

 オールマイトの過去と比べれば、この程度の事件を揉み消すなんて楽勝なんだろうけど、まさかそこに自分が関係するとは思ってもみなかった。

 

 いくらプロヒーローとて綺麗事だけじゃやっていけない。競走の激しい世界、手柄の奪い合いで時には他者を蹴落としたり、後ろ暗いことも必要になる。

 だけど、僕の目の前にいる人はキングとまで賞されたヒーロー。

 

 例え痩せ衰えても、自分のやることが正しいという自信が口調や仕草に滲んでいる。まるで手負いの獅子のように、何という気迫の猛々しさ。

 プロ同士の争いが小さく見えるほど全てを超越し、本当の意味での『正義』を掲げる男。

 

 他のプロとはやってることの規模といい、流石に持っている凄みが違う。

 

「だけど、ちゃんとした反省も必要だぞ。結果オーライでは済まされない。本当なら大惨事になっているとこだった。それにまだ実感がないかもしれないが、町への被害以前に君は敵を……人を殺してしまった。分かるね?」

 

「はい……承知しています」

 

「うむ……私とて敵を殺めたことはある。ヒーローの本分は奉仕にあれど、その実、人命のために他の命を奪う。いくら法で定められていようと人の道から外れていることに変わりはない。矛盾した仕事なのさ。だからこそ、プロが要るのでありその責任は重い。ヒーローの判断は常に人の命を左右する。その意義を、よく考えてほしい」

 

 オールマイトが僕を見つめる。怒っているような強い視線。

 

 僕は居たたまれなくなって目を伏せた。

 承知しています……とはいえ、オールマイトの言葉通り、まだ自分が人を殺したなんていう実感が持てずにいた。

 

 見た目がアレだったせいもあって、然程罪の意識を感じないのもある。

 例えるなら実写化したスライムとか。只でさえ爆発の影響で命を絶った生々しい感触、その瞬間の記憶も一緒に消し飛んでしまったというのに。

 

 

 

 もし、アレがちゃんとした人の形をしていて、流れる血も赤く染まっていたら――?

 

 

 

 僕は迷わず飛び出せていたのだろうか……? 分からない。

 

 今まで自分が殺人を犯すという事態を想定していなかったから、その事実を前にしても頭が靄がかって反応が鈍かった。

 

 あの時は一杯一杯だったし、目覚めた今も心の整理をつける暇がない。

 もしいつか落ち着いてあの事を振り返ったら、僕は呵責に苦しむ時が来るんだろうか? 来るような気もするし、来ないような気もする。

 

 人を殺した人間の心情とは思えないほど曖昧な気持ち。淡白過ぎて自分でも驚いていた。

 それは僕が甘いからなのか、それとも非情だからなのか。多分、両方なんだと思う。

 

 俯いて悩んでいると、それを見ていたオールマイトはふっと微笑んで、

 

「いずれ分かる時が来るさ。善悪のけじめは必要だが思い悩んでいるだけでは誰も救えない。ヒーローとは挑む者。失敗やリスクを正面から迎え撃つ者を言う。少なくとも、敵に立ち向かった君はあの場で誰よりもヒーローだった!」

 

 きっぱりと言い切った。

 

 思いがけない一言に、僕は考えを忘れてキョトンとした顔。

 オールマイトの声は相変わらず体を震わすほど強かったけど、そこには相手を思いやるような柔らかい優しさがあった。

 

「誇れよ、少年。肝に銘じておきな。この失敗は偉大なる一歩、自分の手で勝ち取った力の種だ。芽吹き実を結ぶまで、たゆまず進め。何度転んでもまた立ち上がり、次の機会に向けて成長を続ける。その先にあるのが成功なんだ」

 

 暗闇の前で立ち竦む僕。

 その手をそっと引いて、オールマイトが導きを知らせてくれる。

 

 想像だにしなかった言葉。

 怒られると、恨まれると思っていたのに。僕を出迎えてくれたのは真摯な思いの数々。

 

 いや、それよりも前。声よりも先に……。

 あの痛みが溢れる閃光の中で、オールマイトは何て言っていたんだ?

 

 

 

 『生きろ』って――

 

 

 

 あなたが願ってくれたから。あなたが手を伸ばしてくれたから、僕はここにいるんだ。あなたはそう言って僕に居場所を分け与えてくれた。

 

 胸に熱いものが込み上げてくる。この熱を言葉にしたくても言葉にならなかった。

 でも、分かる。オールマイトの心は既に伝わっていたから。

 

「失敗を反省はしても、それに屈しては何もかも終わりだ。君は若い。またやり直せるさ。先はまだまだ長いしな……今回のことは譲渡の激痛に免じて全て許そう。その痛みを戒めに、これからヒーロー活動に励んでくれたまえ」

 

 厳しい視線が解かれ、まるで裁判のように不問を言い渡される。

 

 正直、複雑ではあった。けど、よくよく考えると僕がヘドロの元に飛び出したのはオールマイトに許されたかったからなんだし……。

 他の誰でもなく、オールマイトが許すと言ってくれるなら、僕としては十分だった。戦った甲斐があっただけでもう何もいらない。

 

 それに痛いのもこりごりだ。

 あんな激痛、忘れたくても忘れられない。戒めだと言うのなら効果覿面過ぎる……。

 

 僕は空っぽになるまで息を吐き出した。

 

 肩の力を抜く。一先ずは落ち着いた。まだ思うことは山程あるけど、とりあえず僕が生き返ったというとこまでは噛み締めることができた。

 脱力感が体を覆う。大きな仕事を終えたかのような達成感もある。

 

 

 もうお疲れ様でいいんじゃないかな? 今日はぐっすり寝られそう……。

 

 

 うん、分かってる。言ってみただけです……。

 現在進行形で問題は起こっていた。今も尚安眠には程遠い状況。

 

 オールマイトは帰る気配がないし、うずうずとまだ話し足りなさそうだった。

 まだ続きがあるのね……流石にうんざりしてくるけど、僕とて逃げる訳にはいかない。

 

 さっきからオールマイトは何だか聞き捨てならないことを言ってるし、話の節々には含みが混じり絡み付いては嬉しかったり恥ずかしかったり、耳がむず痒かった。

 

 オールマイトの話には照れ臭さを感じたり、勇気を貰いはした。でも、幸福感と同時に現実を受け止めるセンサーが危機を伝える。

 流してうやむやにはできない……このままじっとしていたら、とんでもないことに巻き込まれる気がする!!

 

 ぼちぼち黙ってもいられなかった。いい加減はっきりさせときたい。

 いざ言おうとすると声が震えたけど、勇気を振り絞って自分の気持ちを告げる。

 

「あの、さっきから言ってますけど、ヒーローって……やっぱりマジなんですか?」

 

「マジも真剣さ! 前のめりながら君が見せた勇気! 死の淵で個性を物にし生還した才気!……やはり私が見込んだとおり、君は選ばれた人間! 5年前、あの夜から今日までの導きは全て運命だったんだ! そして君を育て上げることこそ、私のこれからの使命!」

 

 栓を抜かれたかのように、オールマイトの興奮はいきなりトップギア。

 

 僕はぐえ~! と一気に丸呑みにされる。

 

 よ~し、言ってやるぞ~と意気込んでも所詮この程度だった。

 最初から弱腰で挑んだせいか、その腰をメリメリと鯖折りされてる気分。

 

 部屋がやたら狭く感じた。

 

「私は君に! 私の後を継いでほしい!! 君以外に適任はいないと私は確信している!! 平和の象徴、最高のヒーローになってほしいんだ!!」

 

 オールマイトの語気はさらに激しく燃え上がり、天を衝くような勢いだった。

 

 そして、遂に最高潮へ。

 

「そのためにまずは雄英ヒーロー科へ入ってもらう!! 雄英は最高の舞台だ。君という後継者が現れたと世界へ大々的に号するにはうってつけの場所! 無論、君が一人前になるまで私がしっかりサポートしよう。生活も保障する。どうだい? 私と共に、ヒーローを目指してみないか!?」

 

 まさしく王の号令。その威厳を打ち震わせて、オールマイトは建言する。

 

 熱力漲る剣幕。僕は魅せられたかのように押し黙っていた。

 

 提案というよりも下命に近い烈度だ。

 本人にそのつもりが無くてもオールマイトは正真正銘の王者で、僕はただの村人A。

 

 一つ一つの振る舞いが王の所作だった。

 どんなに姿が変わろうとやはり常人とは違う。その気構えに圧倒されてしまった。

 

 まるでRPGだ。始まりの朝に叩き起こされた主人公がお城に呼ばれ、御前へ跪いては王様にいきなり「勇者よ!」と讃えられてるような……。

 ゲームなんかで例えられるほど呑気な状況じゃないんだけど、浮かんだのはそんなしょーもない想像だった。

 

 

 米神を流れる汗が冷たい。そう感じるほど体が熱くなる。

 今、実感している。僕が越えた一線とは正にこのことだった。

 

 

 だから、尚のこと答えに窮した。

 今更オールマイトの言葉が嘘だとは思わないけど、やっぱり……。

 

 宝くじ一億円当選しても、最初は絶対信じられないのと同じだ。一億円どころか一兆円とか……余りにも値が高過ぎて本当か嘘か以前に判断に困るような話だった。

 

 内心で焦っていると、何故かオールマイトは僕へ向けていた圧力をパッと解いてしまう。

 

「……と、まぁ、ここまで話しといてなんだが要は君次第なんだけどね! 嫌なら嫌でそれでいいよ、断ってくれて。強制はしない」

 

「へ!? でも、運命とか使命とかって……それに個性のことも……」

 

「そうだけど、無理矢理やらせたくはないんだ。個性の件もこの際気にしなくていいよ。私からあげた物だし、君には本当に感謝してるんだ。ほんの御礼のつもりで気楽に受け取ってくれ」

 

「いやいや! 無理ですよ!」

 

「HAHAHA! まぁ、そう言うなって。君の無鉄砲には個性が必要だろう? 持っていたらきっと役に立つはずさ。それと、もしヒーローにならないにしても私は君に一生付き纏うからな」

 

「え~っ!? なんでですか!?」

 

「危険な個性なのに変わりはないからね。君を信頼してないわけじゃないが……私は先代として個性の行く末を見届ける義務があるんだ」

 

「そんなぁ、困ります!」

 

「な~に、君の視界を煩わせたりはしないよ。影からこっそり窺うだけだ。ヒーローになるならないは私の都合だから仕方ないにしても、こればっかりは譲れないな」

 

「う~ん……」

 

 急に緊張が一気に解かれて困惑する。

 ハードルが下がったのは良いけど、安心した分拍子抜けしてしまう。

 

 オールマイトが気を遣ってくれたんだと思う。将来に関わる重大な選択。安易には決められないけど、あんまり悩み過ぎても決断が出来なさそうだから。間を取ってもらって有り難かった。

 流石に一生付き纏われるっていうのは冗談だと信じたいし。

 

 わざと場を和ませようとして……ないみたいだ、うん。こりゃ素で言ってるわ……。

 

 オールマイトはあっけらかんとした雰囲気だ。

 それが読み取れるくらい、裏表がない透き通った表情をしていた。

 僕が何を選ぼうと後悔も未練もないような、懐の広さを感じる。

 

 

 本当に楽しそうで、鷹揚に笑っていた。

 

 

 オールマイトって普段からこんな感じなんだろうか? 人懐こくて、無邪気で、粗放で。

 びっくりするくらいフランクだったり、真面目だったり、波のある対応を取られて僕は終始目を白黒しっぱなしだった。

 

 大分イメージが変わった気がする。

 大人として、ヒーローの頂点としての清濁を併せ持ち、裏腹に陽気なおじさんというか天真爛漫で、想像してたよりずっと優しい人だった。

 

 今までヒーローの面しか知らなかったから意外なだけで、当たり前だけどオールマイトは人間なんだなと染々感じ入った。

 

 その内側には正義の心や勇気以外の物も沢山入ってて、普通の人間のように身勝手だったりハシャいだりもする。だから、その優しさが妙に暖かくて、切なくて、胸によく沁みた。

 

 僕はわざと皺を作るようにゆっくりとシーツを撫ぜて、

 

「二度も……救われましたね」

 

 ポツリと呟く。

 

 まったく、今日は何て日なんだろう。

 死に起きの身には堪えることばかりだった。

 

 目覚めと引き換えに、全てから目を逸らし耳を塞いだとこで許されるくらいの荒唐無稽で釈然としない重荷を勝手に背負わされていた。文句の一つぐらい言いたくなる。

 

 でも、確かに僕は苦しみが満ちる鮮明な光の中で、あなたの手を掴んだんだ。

 

 

 

 ――オールマイト、あなたの手を。

 

 

 

 それが、全ての答え。オールマイトが再び引き上げてくれた世界。

 取り巻く現実が何もかも塗り替わって、僕自身すらも組み換わってしまった。

 

 戸惑いも悩みもある。何時も通りに戻るという訳にもいかなくなって。

 砂漠に放り出されたかのような、途方もなくまっさらな気持ちだった。

 

 今までのことを散り散りに思い巡らせる。

 僕とオールマイト、無個性と『ONE FOR ALL』、経営科とヒーロー科。

 

 野球をして、勉強して、デートして。

 無個性を忌み嫌いながらも、僕はこの平凡な毎日を愛していた。

 だけど、様々な意思や事柄の中でも常に一番にしていたのは『オールマイト』だった。

 

 片時も、忘れたことなどない。

 周囲や環境、自分の外側がいくら変わろうがひっそり抱き続けた想い。

 分別や常識、自分の内側で何物も遮ることが出来ずに溢れ続けた想い。

 

 それらが絡み合って、僕とオールマイトがここにいるという事実が尊くて愛おしい。

 どうでもいいことなど何一つなかった。そう思えるほど、そこに至るまでの流れを感じた。オールマイトが運命と言いたくなる気持ちも分かる。

 

 もし、瓦礫の中で踞っていなければ――。

 もし、ヘドロに襲われていなければ――。

 もし、秘密の話を聞いていなければ――。

 もし、群衆の中を飛び出さなければ――。

 

 5年前、もしかしたらもっとずっと昔から。

 何百何千何億という選択の積み重ねの上で、この出会いは成り立っている。

 

 そう想える自分が堪らなく好きだった。

 その想いだけで、胸を張ってどこまでも歩いて行けそうなんだ。

 

 

 「これでいいよな?」と自分自身に問いてみる。

 

 

 不安はある。譲渡の時の痛みも思い出すだけでズキズキと疼く。

 それでもこれから先何を失おうとも、この道を選んだことだけは決して後悔しない。

 

 強い確信がある。前に進もうという決意と共に、僕は最高の笑顔で答えた。

 

「僕に否やはありません。オールマイトの頼み、なにがなんでも応えてみせます。あなたと一緒に最高のヒーローに……! よろしくお願いします」

 

「フッ……その言葉を待っていたぞ。任せろ緑谷少年! 長く険しいヒーロー道! その頂へと必ずや導こう!! 私に着いてこい!」

 

 オールマイトは乱暴に僕の背中をバンバンと叩いてくる。

 

 ゲホゲホ咳込む。だから僕は病み上がりなんだってば!! と目を吊り上げた。

 

 やれやれと呆れ、この先大丈夫なのかな? と心配になってくるけど、これからずっとこんな日々が続いていくんだ……信じていいんですよね?

 

 

 

 ――何時も側にあなたがいると、そう信じていいんですよね? オールマイト。

 

 

 

 なら、僕はあなたの期待に応えます。

 

 あなたから受け継いだ可能性を(よすが)に、あなたが与えてくれた大きな救いに見合うように、どこまでも強い、最高のヒーローになる!!

 そのためならどんな努力も厭わない。何者を敵に回そうが決して屈しはしない!!

 

 燃え上がる闘志、己の内に秘めた炎をおくびにも出さずにクスッと笑った。

 

 

 

 だって、僕が今まで生きてきた理由は僕に出来る全てのことをオールマイト――あなたに捧げるためなのだから。

 

           ☆

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