☆
その後――。
僕は保養所での検査を経て病院を出た。
検査と言っても大したことじゃない。今の体調を聞かれ軽い触診。極々事務的なものだった。
それもその筈。何たって僕の体には傷一つない。風邪一つ引いてないんだから。
寝起きはまだ困惑もあり譲渡の時の激痛が尾を引いてたけど、オールマイトと話してる間に落ち着いた。出された食事もペロリと平らげたし、これでは仮病をするにも限度がある。
複雑な心境で気が重かっただけで、実際の所は何しに病院に来たの? と鼻で笑われそうなくらい健康体なんだ。お医者さんがすっげぇ気味悪そうに僕の事を見てて軽くショックだった。
つい最近までズタボロのボロ雑巾だった人間が何事もなくひょっこり起き上がってるんだから、当たり前なんだけどね。
僕だって逆の立場ならガッツリ引いてる。ぶっちゃけ幽霊より質が悪いんじゃないかな?
自分でも信じられない。けど、自分が一番よく分かってる。
頭痛とか腹痛とかフリだけでもやっといた方がいいんじゃないかって、逆に気を遣いたくなるほど元気すぎて……『悩みがないのが悩みです』みたいな。
丸っきり普通。異常なしだ。
当然、病人でも何でもないんだからその日の内に退院。嬉しい事だけど後ろ髪を引かれる思いというか、むず痒い感じ。
でも、すぐ傍にはオールマイトがいる。
僕の体調が問題なしと分かるやニヤリと笑ってサムズアップ。
何でか僕よりもオールマイトの方が嬉しげの誇らしげ。自信満々のドヤ顔を決めていた。
余りに得意満面な姿に僕は頬を掻いて苦笑い。
だけど、その姿に勇気を貰う。何も喋ってないのにオールマイトの沈黙には『グッジョブ!』と誉められてるような暖かさや広がりがある。
僕はそれがどうしようもなく愛おしい。
自分の事以上に、あなたと共にいられることが何よりも。
僕とオールマイトの新しい門出を祝うように、世界が動いていると感じた。
太陽が沈み、月が昇る。何気ない風景に輪郭が宿りキラキラと輝く。気持ちがバネのように弾む瑞々しい感覚。
並んで歩くということ。
僕とオールマイト、二人の足音が心地よく耳に響いていた。
そして、場所は移る。
多古場海浜公園、PM8:00――
☆
「それでは早速だが雄英高校の受験に向けて準備を始めるぞ。改めて私の個性を説明する!!」
「本当に早速ですね……」
「時間は有限なんだ。モタモタしている暇はないぜ。As soon as possible!!」
堂々とした宣言。その下でヒーローへの第一歩、受験対策がスタートする。
オールマイトはガリガリからいつも見慣れたムキムキフォームへといきなり変身を遂げ、気合十分に声を張り上げていた。
僕はその姿に内心ギョッとしながらも、神妙な面持ちでオールマイトに向かい合う。
とはいえ一体何から始めたらいいのやら……。
街灯が海岸に沿って綺麗に並んでいる。夜闇が淡く照らされ、人気のない浜辺。水平線が気持ち良く延びる砂浜で佇む。
やる気がないわけじゃないけど、漠然とし過ぎて何とも気持ちが締まらなかった。
天下の雄英を目指すというのにこんなボケッとしてていいのだろうか?
漫画だとこういう場面ってかなりの見せ場だと思うのに……。
まぁ、現実はこんなもんかな。何にせよ僕はオールマイトに着いていくだけだし。
況してや雄英出身、世界のキングヒーロー。疑問を挟むのも差し出がましいくらい、これ以上教えを乞うに最適な人物もいないはずだ。
とにかく信じてみようと内心で頷く。
僕はオールマイトの願い、その全てに応えるため、ここにいるのだから。
と、それはそうとして。さっきから凄い気になってることがあった。
どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど……痒いとこに手が届かないような素朴な疑問、僕はふと口にする。
「あの、ところでオールマイト……この海浜公園ってすごいゴミの山だったと思うんですが、いつの間にこんな綺麗になったんですか?」
「あぁ、それなら君が寝ている間に私が掃除しておいたよ。今日のためにどこかムードのある場所を探していたらこの砂浜を知ってね。シチュエーションを整えておいたのさ」
「えぇっ!? あのゴミの山を全部一人で!?」
「HAHAHA!『ONE FOR ALL』の力を持ってすればこのくらい造作もない! 直に君も、私と同じことができるようになるよ」
僕は仰天して飛び上がる勢い。唖然としたまま砂浜を見渡す。
ここ、多古場海浜公園は元々の漂着物の多さに加え、それに付け込んだ不法投棄の群れにより、行政も匙を投げ出すような大量のゴミが数十㎞に渡って溢れ返った見るも無惨な場所なのだ。
だけど、今やその頃の面影はない。
空き缶どころかソファや冷蔵庫等の大型家具、果ては車まで。見境なく放置され、もはやゴミの山脈と化した廃棄物がごっそり消え失せていた。
あれをたった数日で……? 余りのことに感心するより呆然としてしまう。
とても人間業とは思えない。宇宙人とか天変地異の方がまだ信憑性がある気がした。
だが、それを成してしまうのがオールマイト。平和の象徴だ。
この程度は朝飯前。どんな高い壁も常軌を逸した活躍で何度も越えてきたヒーロー。
そして、僕はオールマイトから、その活躍の源である個性を受け継いでいる。
まさか、とは思う。それでも急に現実味を帯びてきた感覚に戦慄して息を呑んだ。
神にも悪魔にもなる力……この砂浜を見ればそれは決して言い過ぎではないのだと分かった。
たじろぐ僕に、オールマイトはゴソゴソとコートのポケットをまさぐり、
「まずはこれを握ってみなさい」
ポンと、僕に林檎を手渡した。
呆気に取られてオールマイトを見返すも、オールマイトはグッと拳を握ってレッツチャレンジ!! とジェスチャーで促すだけ。
急なことに訝しみながらも、僕は言う通り手に力を込めた。
すると、果肉に指が深く食い込む。あっという間に林檎はグシャグシャに粉砕される。
「お、おおお~っ!?」
「まぁ、ざっとこんなものさ。驚いたかい?」
「ははっ、個性を受け継いだって、ほっ、本当だったんですね……」
「まだ信じてなかったのか!?」
驚きで目を白黒させる。
すごい……!! 炎のように興奮が燃え上がった。
話の中で驚くタイミングを失っていたけど、改めて自分が無個性ではないのだと理解できた。
まぐれでもなく自分の力で。果汁が飛び、足元に落ちる残骸。まざまざとした感触があった。
本来なら僕の握力なんて高々40㎏ほど。林檎を潰すには80㎏は必要だと言われてるけど……。
運動には自信があるとはいえ、小学校で野球を辞めてからは大して体も鍛えていないのに。何なら一度死にかけた身。
それでも、この力だ。寝て起きたばかりでこれ程、目に見える形で出るなんて。
これが個性を受け継ぐということ。
これが『ONE FOR ALL』の力……!!
自分の体じゃないみたいだ。それくらい意識がちぐはぐで、その不揃いの熱が何とも愉快。感動で足がガクガク震えそうだった。
でも――
「これじゃあ雄英には……」
頭の片隅で冷静な自分がいる。
なるほど、確かに力が上がった。それはよく分かったし、喜ばしいことだけど……。
僕の言葉を引き継いでオールマイトが言った。
「当然だね。分かっていると思うが林檎ジュースを作れるだけじゃ雄英合格は不可能だ……君はヒーロー科の試験内容を知っているかい?」
「はい、筆記と実技に別れてて、実技の方はロボットとの演習だって……」
本当なら試験内容は極秘で告示されることはないんだけど、人の口に戸は立てられない。
詳細はともかくその概要は世間に広く知れ渡っていて、雄英側もそれを黙認し特に大きく内容を変えることはなかった。
筆記からして偏差値79の全国一で超難関なんだけど今それはどうでもいい。
問題はヒーロー科だけに設けられてる実技試験だ。300とも言われる倍率のヒーロー科志願者達を容赦なく篩に掛けるデスレース。
広大な演習場で襲い来る仮想敵ロボットを個性で迎撃する。ロボを倒すごとにポイントが加算されそのP数の多寡によって合否を争う。
単純な内容だけど単純故に難しい。ぶっつけでロボと戦闘しろってのがそもそもね……。
専任の医療スタッフが付いているとはいえ、毎年怪我人続出の過酷さ。
世界で指折りの名門、トップヒーローを何人も輩出している雄英高校ならではの試験だった。
普通科、経営科、サポート科なら筆記試験だけだから僕にも十分チャンスがある。でも、ヒーロー科は特別だ。
いくら頭が良くても越えられない、どうしようもない壁が存在する。
とてもじゃないけど僕ぐらいの力じゃ合格には程遠い。
受けるまでもなく、力が足りなさ過ぎる。オールマイトの個性を受け継いだはずなのに、やっぱり僕には素質なんて……。
悔しさで俯く僕にオールマイトが声を掛ける。
「『ONE FOR ALL』は初め、力をストックするだけの個性だったが代を重ねるごとにその能力は変質してきてね。今やパワーだけでなく、防御や素早さなどあらゆる身体能力を向上できるようになった。言わば汎用性が高い
オールマイトは指を立てて講義でもするかのように砂浜を歩き回る。
サクサクとした足音に打ち寄せる小波。自然の音はオールマイトの口調によく似合っていた。
揺りかごの中にいるような、心のざわめきが静まっていく。
「そして、その出力の値は継承者の体力によって決まる。全体を100とすれば君が引き出している力はまだ小数点以下。今『ONE FOR ALL』の大部分は君の体の中で眠っている状態なんだ。器である肉体を鍛えていけば出力量は増大する。難しく考える必要はない。要はRPGのレベル上げだ」
夜の砂浜は静かで綺麗で優しい。
オールマイトの声音も、広々とした海と同じくらい優しく頼もしかった。
「入試まで残り10か月。君の体をギリギリまで鍛え上げ『ONE FOR ALL』を会得にしてもらう。そうだな……取り急ぎ、来年までに出力5%! これを目標に頑張ってもらおうか」
そう言って穏やかに笑い、オールマイトは話を締めくくった。
その自信に満ち溢れた態度に、僕の不安や緊張が解きほぐされる。同時になるほどと、力を引き出せないのにも合点がいった。
個性を貰ったからといって、やっぱりすぐに操れるなんてそう甘くはないってこと。
僕はまだまだ未熟で、やっとスタートラインに立つ権利を与えられただけなんだ。
でも、それだったら話が早い。巨大な力に見合うような体作り。
努力という名の一本道。やる事は決まってる。実に分かりやすいじゃないか。
なら、もっと先に進んだって構わないはずだ。疑うわけじゃないけど、5%か……。
ちょっと物足りないような? オールマイトに気を遣わせてるのかも……。
自分の力不足のせいで訓練に二の足を踏ませる訳にはいかない。
力が足りないならどんな試練にもこっちは堪える覚悟があるんだ。
さっきまでの迷いを打ち消すように、僕は気合を込めてオールマイトを正面から見つめ返した。
「そんな低くていいんですか? ヒーロー科最難関なんて僕は何百倍も頑張らなきゃ……!!」
「まぁ、そう焦るなって。『ONE FOR ALL』の会得は最初が肝心なんだ。出力には少々コツが必要でね。こればかりは反復して練習するしかない。その感覚さえ掴めば後は自然と使いこなせるようになるから、ここはじっくり行こう」
言葉をいなすように、オールマイトが僕の意気込みをすんなりと受け止める。
あらら? と空回りした気分だけど、熟練者の意見には口を出せない。オールマイトの口調は何十年と力を培ってきた自信が染み付いていた。
そう言われるとそうなのかな? と何も言い返せなくなる。神妙に話を聞く。
「それに教えるのは個性の使い方だけじゃない。ヒーローに必要な知識技術を総合的に養っていく。5%でも十分、ロボットに対抗できる力を作り上げるぞ! 大丈夫! 君には才能があるんだ。なにより、私がついている!!」
「オールマイト……」
僕は感嘆の溜め息を溢す。
オールマイトの言葉に勢い込んでた心からイイ感じに力が抜けた。
全て委ねよう。その方がいい。何も自分一人で雄英に挑む訳じゃない。オールマイトと共にヒーローを目指していくんだ。
まだ僕は学ぶ段階。オールマイトの経験や信念に身を任せながら、それを吸収していけばいい。
「よし! それじゃあ少し体を動かして個性の具合を確かめてみようか!! さっきの林檎のように素面の状態でも多少は力が上がるはずだから。病み上がりだし、余り無理をしないようにな」
オールマイトがパンパンと手を叩いて、場を切り替える。
僕は「はい!」と力強く返事をして、早速砂浜を駆け出した。
最初はジョギングのペースで、徐々にスピードを上げる。
「おぉ~……!? 」
変化にはすぐに気付けた。体のキレが違う!!
全身に熱が広がり、意識が澄んでいく。
風を切る感覚。空気と一体になったかのように、体中に力が漲っていた。
砂を撒き散らせながらブレーキ。軽く走ったつもりがかなり遠くまで来ていた。オールマイトが小さく見える。
僕は大きく腕を振って、そこから回れ右。
手を振り返してくれるオールマイトの元へ、全力ダッシュ。足を踏み込んで次はジャンプ!!
「――はっ?」
視界が突如として暗くなる。目の前にはキラキラとした星空――。
下を見る。前方にいたはずのオールマイトが何故か僕の遥か真下にいる。口をあんぐり開けて僕のことを見上げていた。
下、見上げて、真下、空……?
状況が理解出来ず思考が転々とする中で、フワリと体が沈む。
何の支えのない宙へと、落下が始まる。
「――っぅぅうううあああぁぁぁ~~~!!!!!?」
なん、なん、なんじゃこりゃあああ~~~!!!!!?
予想外の事態に悲鳴を上げた。
何故!? いつの間にか空を舞っていて、訳も分からないまま……僕落ちてる~!?
風が叩き付けられ髪が逆立ってアブブブ!!
手足がグワングワン波打つ。体が何度も反転して下方に広がる砂浜へ吸い込まれていく。
「オールマイトォォォ!! 助げ――っでぇっ!?」
「うむ、どういうことだ? 練習もしてないのにこの出力。しかも
最後の頼み、泣いて叫んでいたら地面スレスレの所でオールマイトは僕の首根っこを掴み取る。腕を振り子のように回してポーンと、砂浜へ放り投げられた。
砂を撒き散らせ、ゴロゴロ転がりながら僕は浜辺に着地する。
これを着地と言っていいのか……!? ノーバンジーなんて比じゃねぇ。衝撃で体がきしめんみたいに引き伸ばされた気分。
チリチリと痺れるような感覚。荒い息遣いで大の字にノびる僕にオールマイトは歩み寄って、
「肉体への反動は無し。負荷も掛かっていない。限界値まで力を……運やまぐれで発動するわけがないから自然に制御したのか。これは驚きだ」
独り言を言いながらペタペタと触診するみたいに僕の手足を確認する。
僕はされるがまま寝転んで解説を聞いていたんだけど、全く頭に入らず。
放心状態で死体のように無反応。「へへ……へ」などと情けない笑いを口から溢すだけだった。
粗方観察を終えたオールマイトは、
「やはり――その"耳"が原因なのかな?」
と、僕の頭を指差す。
耳――? 自分の耳をピョコンと上げる。
未だ残る恐怖にワナワナと震える体を起こす。放心からやっと現世へと戻ってきた僕はオールマイトの急な言葉に戸惑った。
いや、ちょっと待て。「ピョコン」って……?
「……えええぇぇぇ~~~!?!!!! オールマイトォ!? なんなんですかこれぇ!?」
僕は頭を押さえて叫ぶ。
同時に自分の頭にある『ソレ』を掴み取った。
ビヨーンと、自分の目の前まで伸ばす。
白い毛に包まれた『ソレ』……グイグイ引っ張って取ろうにも取れない。
握った手からドクドクと血が脈打つのを感じ、生暖かい感触は飾りでも何でもない……。
本物だ。それはまさしく――。
「いやいや、私の方が聞きたいよ。見舞いに行ったら突然だぞ? 君の頭に『ウサ耳』が生えていたんだからな……いつ触れようか迷っていたんだがね。自分で気付いてなかったのかい?」
そして、オールマイトからの最後通告。とうとう信じられない事実が認定されてしまう。
僕の頭に屹立する細長い耳――
白く染まった毛並みに仄かな血色。紛れもない『兎の耳』。
天パを掻き分けて逞しく伸びる。存在をこれでもかと強調するかのようにフサフサと。
余りの驚愕に墜落の恐怖も忘れて、僕はオールマイトに逆ギレみたく突っ掛かる。
「な!? き、気付いてたなら先に言ってください!! なんで黙ってたんですかぁ!?」
「え? まぁ、譲渡や雄英の話の方が重要だったから、とりあえず後回しにしようと思ってね。体調に異常はないわけだし……ていうか、それやっぱり本物なのかい?」
オールマイトはしげしげと観察しているけど声はあっけらかんとしていて、僕のウサ耳をそこまで気にしてないみたいだった。
まぁ、超人社会じゃ獣耳なんて大して珍しい物でもないし、所詮は他人事というか……。
だけど、僕はそれで片付ける訳にはいかない。突如として現れたウサ耳。いくら超人社会だからってふざけんな! こっちのSAN値はダダ下がり中だぞ!?
叫んでいないと正気を保てそうになかった。
「『本物なのかい?』じゃないですよ! これのどこが異常なしなんですか!?」
「HAHAHA……似合ってるぞ?」
「そういう問題!?」
締まりのないオールマイトの笑い声。
興味がないというか、オールマイトも若干引いてるな、これ……。
僕にウサ耳が生えたことか、それとも僕にウサ耳は死ぬほど似合ってないからか、僕のウサ耳に対する尋常じゃない慌てぶりにか。
どれかは分からないし分かっていても僕は驚くのを止める事は出来なかった。
阿鼻叫喚が静かな夜に響き渡る。
心地よい潮の香りが満ちる砂浜。たおやかな風、雲一つない空には星が瞬いていた。
僕とオールマイトの新しい門出。
騒々しい旅立ちを優しく見守るように、世界は回っていた。
☆