八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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ここいらから真の最終章とも言うべき部分でしょうか。
とりあえず一夏と黒乃のデートからどうぞ。


第134話 キミに贈る言葉

「黒乃、寒くはないか?」

(うん、私は大丈夫だよ。そっちは?)

「ああ、俺も平気だ。なんてったって黒乃の手編みのセーターとマフラーを完備してるからな。愛情であったかい」

 

 2月14日といえばバレンタインデー。本来は聖ウァレンティヌスが殉教した日であるが、こと日本にとっては恋人同士、または告白のためにある日付に早変わり。それゆえ、思わず舌打ちをしてしまいそうなバカップルぶりを披露するこの2人も、例に倣ってデートに勤しんでいる。

 

 今日のこの日はたまたま日曜日。土曜日が半ドンであるIS学園も完全に休校だ。ならばデートせずにはいられない。というよりは、冬休みの期間を地下施設で過ごした反動が出ているのだろう。2人は、まるで浪費した時間を取り戻すかのように外出の機会が増えている。だがその代わりに――――

 

「ねぇねぇ、あの人……」

「うわぁ、本物だ……!」

(……ケッ!)

 

 例の決戦から1か月とちょっとが経った。決戦を潜り抜けた専用機持ちたちを待ち受けていたのは、自分たちを英雄視する大衆の空気。黒乃の場合は周囲の認知がマイナス方面だっただけに、結果的に世界を救ったとなると盛大な掌返しでしかない。

 

 中には国民栄誉賞をという話すら持ち上がっていたようだが、それは決戦に出たメンバーから言わせればお門違いでしかない。黒乃を含めて当たり前の明日を取り戻したかっただけだというのに、このように姿を目撃されただけでヒソヒソと話されることなど望んではいない。

 

「な」

(どわっち!? イッチーってば、いきなりは危ないよ)

「俺だけ見てればそれでいいと思うんだけどな」

(もー! 好きー!)

 

 外野を鬱陶しく思いご機嫌斜めなのを察したのか、一夏は横から割り込むようにして黒乃の顔を覗き込んだ。あと一歩遅ければ激突だっただけに、黒乃は内心で抗議するような視線をぶつける。だが、その後に続いた言葉のせいで瞬時に機嫌が反転。黒乃は恥も感じさせずに一夏の腕に抱き着いた。

 

 要するに外野なんか気にせず自分にだけ集中していろ。そうしたら自然に周囲も気にならない。という黒乃にとっては目から鱗な画期的アイデアだった。いろいろとツッコミどころはあるものの、こうして2人のデートは本格的に始動。目的地へ向けて悠然と進んで行く。

 

 辿り着いたのは大型の商業施設。といっても、ただウィンドウショッピングをしに来たということでもない。バレンタインの自分に合わせてか、一角を一時的に改良して様々な催し物が開かれているのだ。ただ恋人同士のためということでもなく、親子連れでも楽しめるような仕様になっている。

 

 例えばこの屋外スケートリンク。お世辞にも広いスペースとはいえないが、これだけあれば十分ともいえる。なぜなら、むしろ滑られる人向けではないからだ。滑られる人ほど、このリンクがどういった意図で用意されているかを理解しやすいことだろう。

 

(あわばばばば……! こ、転ぶ……転ぶぅ!)

「お前マジか黒乃、意外だな……。生まれたての子牛……フフッ、ハハハ!」

(笑うのは構わんけども! とにかく離さんといて!)

 

 ここに全力で楽しむカップルが模範演技と言えるだろう。つまりどちらかが初心者ならば、こうして離す離さないで自然に手を繋ぐこととなり、自然にイチャイチャしてしまうということ。基本的に運動能力は高い黒乃だが、それは練習すればすぐ上達するという話でしかない。

 

 狭いスペースにそれなりの人数が密集しているため、思うように練習することができないでいる。それならば、黒乃のようなヘタレにスケートさせるとこうなるのだ。黒乃は転倒する恐怖に駆られ、一夏の手をガッチリ掴んで離さない。これでは滑るというより、引っ張られているだけ。

 

 更にはバランスのとり辛いスケート靴だからといって、転びたくない一心で無暗に力むせいで足はガクガク。その様は、一夏からいわせれば生まれたての子牛だそうだ。普段からは想像のつかないシュールなその姿に、一夏は笑いをこらえることができなかった。

 

 氷上でなければ仕返しの1つも浮かぶのだろうが、支えてもらっている状況で反骨精神なんて産まれない。なにより、ピンチな状況だろうと黒乃も自分が美味しい状況であることを理解している。一夏と手を繋ぐことなんて普通だというのに、なんだか頼りがいがあるではないか。ならば黒乃の心情は恐怖6割ときめき4割というところ。

 

「黒乃、とりあえず姿勢を正してみろよ。大丈夫、そう転んだりはしないって」

(そ、そうは言うけど、できないからこんなみっともない状態で――――うわわっ!)

 

 一夏にとってもこの状況は美味しいが、黒乃が楽しむためにも上達する必要はあると考えているらしい。ひとまずへっぴり腰からの脱却をとアドバイスを送るが、それができれば苦労はしないというのが正直なところ。だがまったく努力をしない気はなかった。

 

 アドバイス通りに不格好に曲がってしまっている腰から、ゆっくりと背筋を伸ばすように姿勢を正していく。これで自然に立つことは成功かと思いきや、少しばかり足元への意識が疎かになってしまった。気づいた時にはスケート靴のブレード部分は氷上から離れ、それに伴い黒乃の体勢も完全に崩れる。

 

「おっと」

(ほぇ?)

「ほらな、そう転んだりはしないだろ。もしかして、なんのために俺が居るのか忘れてたか?」

 

 妙に自信のあるような物言いにはわけがあったようで、一夏は腕の中に納まっている黒乃に悪戯っぽい笑みを向けた。すかさず倒れそうになった黒乃を支えてみせたのだ。本人はてっきり転ぶと思っていただけに、助けてもらった感動も大きい。

 

 なにより、一夏の男前な行動に胸をときめかせるばかり。黒乃はしばらく時が止まったかのように一夏から目を離せずにいたが、あることに気が付いて視線を下にやった。先ほどまであれだけ苦戦していたというのに、しっかりと両の足で直立できているのだ。

 

(イッチー見てみ! なんか平気っぽい!)

「怪我の功名って奴だな。それでも偉いぞ黒乃。よくやったな」

(でぇへへへへ……)

 

 外面的には無表情ながら、黒乃は興奮しながら何度も自分の両足を指差した。すると一夏も問題ないことに気がつき、とてつもなく優しい手つきで頭を撫でた。これまた外面的には表情筋は死滅した如くに動かないが、内心蕩けたような照れ顔を浮かべる。

 

「それじゃ、今度こそ2人で楽しもう」

(はいな!)

 

 両手を取られて一緒にというよりは介護というような表現が近かったが、問題がないのならやはり隣り合って滑りたいものだ。2人は互いの手を固く恋人繋ぎで握り合うと、周囲に配慮しつつゆっくりとそこらを滑り始めた。ただ周囲としては、イチャつき過ぎに配慮してほしかったことだろう。

 

 

 

 

 

 

「簡易的とはいえ、技術も進歩してるもんだよなぁ」

「爺臭い」

「……なんか他の連中にも言われた覚えがある。う~む」

 

 ひとしきり滑り終えた2人は、簡易的に設けられたプラネタリウムを放映するシアターを訪れていた。冬は一年で最も星の見えやすい時期ということで、カップルたちが良い雰囲気になるにはもってこいだからだろう。プラネタリウムに季節感は関係ない、と指摘されてしまえばそれまでだが。

 

 こちらに関してはカップルに配慮であろう。2人の着いた席は普通の椅子とはタイプが異なり、カーペットの敷かれた場所に直接座る仕様だ。この方が身を寄せ合えるという気配りが感じられる。2人はまだ上映が始まりもしていないのに互いを支えにするようにしていた。これがデフォなだけに躊躇いなんてなかったりもする。

 

『まもなく上映が始まります。ドーム内が消灯しますので、お越しのお客様は――――』

(ほらほら、始まっちゃうよ?)

「そ、そうだな。集中するよ、うん……」

 

 時代の進歩がどうのとしみじみ言うものだから爺臭いと指摘され、黒乃にまで言われてしまったかと一夏はうんうん唸っていた。そうこうしていると場内に上映のアナウンスが流れ、黒乃はそんなに気にしないでとポンポンと一夏の背を叩く。

 

 自分に爺臭い自覚がないだけに考え事も意識が深いところまで行ってしまったようだが、黒乃に呼ばれて即反応できない一夏ではなかった。とりあえず自分のことは後にして、ドーム状に広がるスクリーンへと目をやった。するとその瞬間、まるで本物と見紛うような天体が一面に広がった。

 

(わぁ、凄いなぁ……!)

「うぉ……! まるで本当に寒空の下だな……」

 

 どこまでも続くかのような深い闇色の夜空。そして1つ1つが燦然と輝く星々。どれもがリアルな映像加工が施され、一夏の呟きのように錯覚を起こしてしまいそうだ。体感的に体温が下がった気がした2人は、より一層身を寄せ合った。

 

『冬の星座として有名なオリオン座ですが――――』

 

 2人がポジショニングを再確認していると、あらかじめ収録されている解説音声が流れ始めた。それに合わせて星々も線で繋がってゆき、次第にオリオン座の形を成す。冬の星座の話として、オリオン座あたりから触れるのはある種鉄板のようなものだろう。

 

 一夏と黒乃は他の客の迷惑にならない程度の小声で会話をしつつ、タメになる解説を真剣に頭へ入れて行く。学生の身分なために勉強をしに来た気にはならない程度にではある。そのあたりがチラついてしまうのは、悲しい性としか言いようがなさそうだ。

 

 しかし、本当にあまりに見事な映像に関心を奪われ、いつしかそんなことも気にならなくなっていった。長時間を裂いてオリオンや冬の大三角、冬のダイアモンドと解説を終えたところで、話は少しばかり異なる部分へと飛んだ。それは、星というよりは惑星の話。

 

『この時期と言えば、明星と呼ばれるあの惑星が最高光度を迎えます。そう金星です。英語やラテン語ではヴィーナスと呼ばれ、その名の通り神話における女神とも関わりの深い惑星です』

「…………」

(ど、どったのさ、急にジーッと私を見つめて……)

 

 導入の意味を込めた金星に関する軽い解説を聞き終えた一夏は、プラネタリウムそっちのけで黒乃を見つめ始めた。暗いからみつからないだろうとキスをせがんでいる様子ではない。ならばどうして今この瞬間に注目するのかと、訝しみながら視線を返せば――――

 

「ヴィーナス」

(だ、だから時々だけど私を美化し過ぎだってば……。ほら、思い出してみ? 私がアニメ見てる時とか、ゲームやってる時とかさ)

 

 なにを言い出すかと思えば、要は黒乃を金星に例えて女神と表現したらしい。気持ちとしては飛び跳ねるほど嬉しい黒乃だったが、自己評価が低いという点を含めて美化し過ぎということでさほど実感はわかないようだ。とりあえず首を左右に振っておく。

 

 流石に10年一緒に住めば、一夏も黒乃がゲーマーだったりアニメオタクだったりの影響を多少なりと受けている。だからこそ、引くほどの手つきでコントローラーを握る私を思い出せ。ダラダラした様子でアニメを長時間観続ける姿を思い出せ、と言いたいのだろう。

 

「いいや、女神だよ。少なくとも俺にとっては」

(……むしろあなた以外のために女神とか勘弁だよ)

 

 一夏は黒乃が倒れないように支えつつ、背後から抱き込むようにして座り直した。普通ならこんなところでと騒ぐところだが、黒乃に拒否する様子はまったく見られない。やはり言葉そのものには否定的な部分があれど、一夏のためだけなら悪くないと、内心で静かに目を細めた。

 

 後は特別なにが起こるわけでなく、静かにプラネタリウムを楽しんだ。ちょっと賢くなったなと一夏はおどけ、黒乃もそれに同調するかのように、かけてもない眼鏡をクイッと上げる仕草をみせる。その動作がなにを意味するか一夏には伝わり、2人して和やかに会場を後にした。

 

 

 

 

 

 

「プラネタリウムも綺麗だったけど、これはこれで味が違うよな」

(うん、どっちも人工的な光なのになんでだろうね)

 

 久方ぶりのデートも終わりが近づき、締めくくりということでイルミネーションを見に来ている。電飾が色とりどりな光を放ち、どこか幻想的な空間を造り上げていた。すっかり暗い時分ということもあってか、2人は光に温かみを感じずにはいられない。

 

「それにしても、穴場ってネットに載ってる割には俺らしか居ないな」

(まぁ、好都合じゃない?)

 

 2人が居る場所は、実際には展示会場からかけ離れた場所である。間近で見るのではなく、一歩引いた高所から全体図を眺めているのだ。最後はなるべく人気のない状態にしたかったのが本音だが、まさか自分たち以外に人がいないのが不思議だと一夏は後ろ頭を撫でた。

 

 確かに有名にならないのが不思議なくらいに見渡せる場所ではある。どうやらイルミネーションそのものは毎年恒例のようで、ますます不思議だとうむむと唸った。だが、全ては黒乃の言葉通り好都合でしかない。こういう時は深く考えない方がよさそうだ。

 

「それにしても、ホント久しぶりのデートだったな」

(最近はなにかと忙しかったもんね~……)

 

 近頃の最終決戦参加メンバーといえば、事後処理事後処理アンド事後処理の毎日。鈴音あたりは世界を救ったのにどういうことだとボヤいていたが、なにかとしがらみがあるのが戦力価値のある者の定めである。昨今の情勢として、専用機所持者なんて特に。

 

 今日でようやく日常が戻ってきたと実感できるような気がする。きっと、他のメンバーも思い思いに過ごしている事だろう。なんて、そういう話はさて置き他愛もない話に華が咲く。黒乃の受け答えが可能な範囲にはなるが、一夏にとってはそれで満足だった。

 

「……そろそろ時間だな。というか、流石にこの時間に寒くないって強がるのは無理っぽいぞ……。黒乃、特に用事がないなら帰ろう」

(おいおいイッチーや、今日がなんの日かお忘れかな?)

「ん、チョコレート……。ああ、そうか、今日ってそうだったよな。悪い、黒乃以外がどうでも良過ぎて失念してた。ありがとな、本当に嬉しいよ」

 

 バレンタインなんてチョコレート会社に踊らされているという考えはあれど、ド定番を外すのもということで用意していた。言うまでもなくそれは手作りで、ピンクのチェック柄にラッピングされた包みがなんとも可愛らしい。一夏の価値感として最上位は黒乃なわけだが、愛する人からの贈り物が嬉しくないはずがなかった。

 

「じゃあ早速――――」

(おっとっと、ちょい待ちイッチー)

「黒乃……? 自分で渡そうとして、なんで自分で包みを――――っ!?」

 

 一夏が包みを受け取ろうと手を伸ばすと、ヒョイっと高く掲げられて躱されてしまう。焦らす意味がないために訝しむ一夏だが、更には包みも自ら開封を始め謎は深まるばかり。いったいなんのつもりだろうかと大人しく黒乃を見守っていると、一夏にとって衝撃的な光景が繰り広げられる。

 

 黒乃は自分で作ったチョコレートを1つ撮むと、遠慮なく口へと放り込んだ。後は咀嚼することなく、ゆっくりと舌で転がしてソレを溶かしていく。この時点でなんとなくの予感があり目が離せないでいた一夏だったが、黒乃が両手を広げたことでそれは確信に変わる。

 

「ハハッ、そういうことか。これは……最高のバレンタインになりそうだ」

 

 誰がどう見たところで、口移しをするつもりであるのは明白。キスでチョコを口移しとはなんともベタだが、ベタでも全力でやられればくるものがある。なにより、どんな理由だろうと一夏が黒乃とのキスを拒むなど論外だ。感情に導かれるまま数歩黒乃に歩み寄ると、肩に両手を置き顔を近づけ――――

 

「……なにか変だ……。この感じ、黒乃だけど黒乃じゃない……? ましてやアイツではないが……」

(…………あ~あ、やっぱりバレちゃうかー)

 

 両者の唇が触れる寸前のことだった。言葉では言い表せない違和感を覚えた一夏は、ピタリと動きを止める。そして黒乃であって黒乃ではないと、矛盾にまみれた指摘を繰り出した。もちろんだが、自分でもよく解からないことを言っている自覚はある。しかし、幸か不幸か……それは大正解。

 

 今日の黒乃は、朝からずっとオリジナルの方の黒乃だったのだ。例えそれが内心だろうと、オリジナルはお姉さんと慕う者を演じていたのである。理由を問われれば、それは詳しく明かすことはできない。1つ言えるとするならば、これで最後かも知れないから。

 

 無論だが、これはオリジナルの言うお姉さんの同意を得て実現している。一夏にバレるまで、という限定的なものだが。しかし、なにも意地悪でそんな条件を提示したのではない。バレてしまえば、一夏がそれ以降行動を起こすことがなくなるという意味合いからだ。そのあたりはオリジナルもそういう認識で、実際この場でそれが示されたということになる。

 

「……懐かしい……気がする……。本当に、キミはいったい……」

(……ごめんねお姉さん、一夏くん。このくらいは許して……)

 

 流石は一夏、今の黒乃に事故以前のオリジナルを感じ取って、その感覚を懐かしいと表現した。ある種嬉しいことだったが、それを説明できるはずもない。オリジナルは溶けたチョコレートを飲み下すと、混乱からか隙だらけの一夏にグッと詰め寄り、その頬へとキスを落とした。

 

「ありがとう。大好きだよ」

「っ……黒乃!?」

 

 一瞬なにが起こったか解からない一夏だったが、離れた黒乃の表情を見てそれは一変した。黒乃は笑っていた。それもただの笑顔ではない。とても、悲しい笑みであった。表情こそ微笑みと表現できるが、それはなにかとてつもない悲しみを押し殺しているような――――そんな笑顔だった。

 

 一夏はどうするのが正解か解からず立ち尽くすばかりだったが、グラリと黒乃の身体が前のめりに倒れ始めて血相を変えた。受け止め支えることには成功したものの、どうやら気絶ないし眠ってしまっているようだ。いくら呼びかけようと返事をみせる兆候はなかった。

 

(落ち着けよ俺……! このぶんなら経過を診てれば大丈夫そうだ。なら、ひとまず学園へ戻ろう!)

 

 黒乃の顔色や脈拍、呼吸パターンで命に関わる大事ではないと判断を下す。着ていた上着を脱いで黒乃に被せると、優しく背負って移動を開始。とにかく安静にすることが優先だとし、位置的に学園に戻った方がよいと黒乃を運搬していく。

 

 そう、一夏の考え通りに今の黒乃は寝ているだけのようなものだ。放っておけばそのうちに目を覚ます。しかし、2人の黒乃は今もある意味では起きている。今も己の織り成す精神世界で問答を繰り広げている。それはもちろん、先ほど起きたやり取りについて――――

 

 

 

 

 

 

「黒乃ちゃん! ……黒乃ちゃん!」

 

 彼女が私の中から外を覗くことができるように、私も同じことができた。だから見ていた。イッチーが私に違和感を覚える瞬間を。今はそっとしてあげるべきなんだろう。だけど、そのまま放置するという選択肢もありえない。

 

 だからこのだだっ広い空間で黒乃ちゃんに呼びかけているんだが、不思議とその姿を捉えることはできない。私みたくせっちゃんのほうに籠っているということもなさそうだし、それならいったいどこへ消えてしまったというのだろう。……まさか、ショックで本当に消えてしまったとかでは――――

 

「大丈夫だよお姉さん、今戻ってきたところだから」

「黒乃ちゃん……! ……あの、多分余計なお世話だろうし私になに言われたって慰めにはならないって解かってるけどさ! その、大丈夫じゃないなら大丈夫じゃないって言ってよ! 私とキミは――――」

 

 突如背後から声がして驚いたが、振り向いてみるとそこには間違いなく黒乃ちゃんの姿が。どうやら私の懸念は杞憂だったようだが、本当にそのまま消えてしまいそうな雰囲気だった。いたたまれなくなったからじゃない。ましてや偽善のつもりではない。私は素直に思いの丈を黒乃ちゃんにぶつけた。

 

 いろいろあったが、私にとって黒乃ちゃんは相棒――――ううん、上手く表現はできないけど、もしかするとイッチーより大事な存在かも知れない。黒乃ちゃんが私のことをどう思っているかは知らないが、その考えが揺らぐことはないだろう。

 

「一心同体……だよね。うん……。お姉さん、あのね――――」

「うん……」

「解かってたというか、初めて会った時に話したよね。一夏くんは私とあなたの区別がつくだろうねって」

 

 そう、私と黒乃ちゃんは一心同体。今だってとんでもない悲しみが私の中に流れてきて、泣かないようにするので必至だ。だってそうでしょ、黒乃ちゃんの感情に流されて泣く資格なんて私にはないのだから。私は、ポツリポツリと語る黒乃ちゃんの言葉に耳を傾けた。

 

 確かに、そんな話もしたかな……。どうにも自信のない私に対し、黒乃ちゃんが説得の意味を込めてそう言ってくれた。黒乃ちゃんからすると、自分で言ったことが現実に起きてしまったということになる。それは、とても残酷なことだ。

 

「でもね、やっぱり期待しちゃったっていうかさ、もしかしたら行けるところまで行けるんじゃないかと思っちゃったりして!」

「……誰にも聞こえないのに、私の演技は完璧だったよ。本人だからか、なんか恥ずかしかったけど」

「でしょ? お姉さんの残念なとこを上手く表現できてたと思うんだけどねー」

「こらこら、どさくさに紛れて私をディスらないで! まぁ、ホントのことだけどさ……」

 

 黒乃ちゃんが無理をしているのは明白だった。だけど、あえていつものノリにしようとしているのなら、それに乗らない理由なんてない。いやはや、ホントに演技派だったよ黒乃ちゃんは……。完コピってやつだろうか。誰でも器用にモノマネしそうなイメージはある。でも残念は余計だよ。ただし否定はしない。

 

「なんで……期待したりなんかしちゃったんだろうね」

「黒乃ちゃん……」

「少しでも期待しちゃったからこんなに悲しくて……! お姉さんにも一夏くんにも迷惑なのに……! 私が、しゃしゃり出たりしたから……!」

 

 黒乃ちゃんはターンして私に背を向けると、上を仰ぎ見た。そして口から洩れるのは、まるで自らの愚かさを呪うような言葉。声の震え方からして、完全に泣いてしまったようだ。我慢する必要なんてないというのに、どうしてこの子はそうなんだろう。

 

「悲しいなら泣きなよ! 楽しかったら笑って、悲しいなら泣く。それが人間ってもんじゃん! 私たちにはここくらいでしか自由にそれができなんだから、いいじゃん……。ここでくらい、泣いたっていいじゃんか!」

「お……姉さん……。う……ヒック……! お姉さぁぁぁぁん! うわぁぁああああ!」

 

 黒乃ちゃんを悲しませる要因の1つである私がなにを偉そうに。私自身そう思うが、今回ばかりはそうやって叫ばずにはいられなかった。感情を示すこと、それは多くの人にとって当たり前のことだろう。しかし、私たちにはその当たり前を奪われてここまで生きてきた。

 

 本当は皆と一緒に笑い合いたかった。本当は泣きたいときには泣きたかった。けど、それは許されなかった。でもここでなら違う。私たちは当たり前のように笑って、泣いて、怒ることができる。ならここでくらい思うがままにしたってバチが当たっていいはずがないだろう。

 

 黒乃ちゃんにそう言ってやると、彼女はグシャグシャにした顔をこちらに向けて飛びついてきた。それをしっかり受け止めると、優しく頭を撫でたり背中をポンポン叩いたりして落ち着くよう尽力する。だがなかなか悲しみは明け暮れず、黒乃ちゃんは泣きわめくばかり。

 

 いいさ、それで構わない。例えばこの時間が永劫に続こうと、私は黒乃ちゃんが泣き止むまで付き合うことだろう。流石に永遠とまでは言わないが、長いこと黒乃ちゃんは泣き続け、それでも少しづつ落ち着きを取り戻してくれたみたいだ。いつしか私に抱き留められたまま顔を整え、スルリと私の腕から離れていく。

 

「……ありがとう、お姉さん」

「ううん、そんな……。私にお礼を言われる資格はないよ」

「それでも、ありがとう」

「……うん」

 

 黒乃ちゃんがまず第一にしたのは、私に対してお礼を述べること。それは慰めたことに対してだけでなく、さまざまな意味が込められていた事だろう。だがそれは素直に受け止めることができない。私が少し否定的な反応を示すも、重ねてお礼を言われてしまう。なら、うん……無限ループになっちゃうし、受け入れておこうかな。

 

「お姉さん、例の計画――――夜に実行しよう」

「そ、そんな……! 未練がなくなったみたいな言い方は――――」

「確かにそれがあるのは間違いじゃないよ? けど、これはお姉さんにとっても危ない賭け。なら、私の気持ちの整理がついてる今日ほどベストなタイミングは二度とない」

 

 私と黒乃ちゃんが入れ替わってイッチーとデートしたのは、ある計画を実行に移す前に――――黒乃ちゃんの希望に応えたという理由があった。その計画が成功したのなら、ほぼ間違いなく黒乃ちゃんは……。しかし、成功する保証なんて微塵もない。むしろ失敗する可能性のほうが高い。その場合は私も……。

 

 ゆえにこのタイミングでそれを提案するのは、生き急いでいるようにしか感じられなかった。だからこそもう少し猶予があってもと提案してみるのだが、むしろ黒乃ちゃん的にはこれ以上ベストなタイミングはないということらしい。それなら――――

 

「……解かった。黒乃ちゃんがそう言うなら。絶対に成功させようね」

「うん、例えどんな結果になっても――――」

「「私たちに、後悔はない」」

「……ほら、もう戻りなよ。一夏くんも心配してるし」

「……そうだね。それじゃあく黒乃ちゃん、また後で」

 

 今の私たちの身体は、操縦者のいないロボットのようなものだ。このまま私が戻らなければ、ずっとこのまま眠り続けることだろう。今は……もう学園か。ベッドに寝かされた空っぽの身体を、イッチーが心配そうに見つめている。私は黒乃ちゃんの言葉を受け、精神世界を離れ本来あるべき場所へ戻った。

 

 と、同時に目を覚ました。イッチーは泣く寸前の様子で私を抱きしめてくる。……なにが起きたのかは、聞かないでいてくれたみたい。なにも聞いてこないというか、いきなり倒れて驚いた――――程度のことしか言わないから。ごめんイッチー……。私にとっても最後かも知れないのに、ちゃんと本当のこと話せないで。

 

 だからせめて、絶対に成功させてみせるから。伝わりもしないし、聞かれたところで意味のない言葉だろう。しかし、私はイッチーに信じていてと言わずにはいられなかった。そうして、運命の時はやってくる。私と黒乃ちゃんに定められた運命。そして――――審判の時だ。

 

 

 




黒乃→バレちゃうかぁ……。まぁ、私も解かってたんだけどね。
一夏→この懐かしい感じはいったい……?

普通のデート回にしてあげたかった……。
でも散々やっといて一夏が気づけないのはそれはそれでダメなことですし……。

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