八咫烏は勘違う (新装版)   作:マスクドライダー

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第65話 夏色アクアリウム(裏)

(フンフ~ン♪)

 

 思わず鼻歌が出る程の快晴だ。洗濯物を物干し竿に引っ掛けている最中なわけだが、やっぱり天気が良いと嬉しいもんだよ。我ながら完全に主婦の思考回路だけど……。ま、洗濯物が綺麗に乾くのに越したことはない。急な雨とかにはご用心なわけですが。

 

「なぁ、黒乃。」

(キャッ……。イ、イッチーなにしてん!?)

 

 調子よく洗濯物を干していたというのに、俺の手は一瞬にして止まってしまった。何故なら、イッチーが急に俺を背後から抱きしめて来たからだ。そ、そういう不意打ち気味のはだね……。いや、抱きしめていいかって聞かれても困るんだけど……。あ~……う~……イッチーってば、イタズラにしても過ぎるからね?

 

「それ終わったら、今日もどっか出かけるか?俺は黒乃と遊びに行きたいな。」

(んひっ……!?んぅ……はぁっ……!ちょっ、ちょっとイッチー……耳元で話すのダメぇ……!)

 

 ちょっ……ちょっと待って、本当に……お、怒るよ!?あろう事にイッチーは、俺の耳元で囁くようにそう言う。喋った際に、俺の耳にはイッチーの生暖かい息とくすぐったい息がかかる。それを感じるのと同時に、体中にゾクゾクッ……と、しびれる様な感覚が走った。

 

「どうかな、黒乃が嫌ってんなら我慢するけど。」

(あ……あん……!ダメっ……これホントにダメぇ!耳……耳ぃ……凄いよぉ……!)

 

 ゾクゾクって言っても、寒気とかそんなんじゃなく……どちらかと言えば快楽に近い。こ、これ……もしかして、黒乃ちゃんの1番の弱点!?う、嘘……これはダメだよ。耳から全身に凄いのが駆け巡って、脳みそが蕩けて……。何も考えられなくなる……!

 

(わ、解った……解ったからっ!もう耳元で喋るの止めてよぉ……あ、ヤバい……キそう……ホントにキちゃう!)

「お、そうか。じゃあこれはさっさと終わらせないとだな。俺も手伝うぞ。」

(はぁ……はぁ……ギ、ギリギリセーフ……。……でも、下着は着替えないとダメみたいですね……。)

 

 達するか否かの瀬戸際で、とにかく力を振り絞り首を縦に振った。すると有り難い事にイッチーはすぐさま俺を離し、籠に入っている洗濯物を干し始める。……ギリギリとは言いつつ、下着がほら……その、さ……察してくれ。う゛~……早く済ませて着替えないと気持ち悪い……。

 

 そんなこんなで手早く着替えを済ませ……って、この下着どないしよ。……後でこっそり洗濯機に放り込んでおこう。ん~……それじゃ、何着て出かけようかな。下着姿のままクローゼットを開くと、1番に目につく服が。イッチーに買ってもらった白ワンピである。

 

 俺は自分でも気が付かない間に、ハンガーに引っかかっていた白ワンピを手に取っていた。……なんでだろう。なんとなくだけど、イッチーと2人の時はこれ着なきゃなってなっちゃうな~……。使命感とかとは違うけど、なんて言ったら良いんだろ。……まぁ良いか、手に取ったついでにこれにしよう。

 

 白ワンピに袖を通すと、鏡に向かって身だしなみをチェック。……服は問題ないかな。髪も……うん、はねてたりはなく綺麗なロングストレートっと。一通りのチェックを終えると、唾広帽子をかぶって階段を降りていく。するとリビングには、既に着替え終えた様子のイッチーが待っている。

 

「……それ、もしかして気に入ってくれてるか?」

(え、あぁ……も、もちろん。なんて言うか、その……イ、イッチーがプレゼントしてくれたから……。)

「そうか、プレゼントした身としては嬉しいよ。あ、でも……今日は帽子はいらないと思うぞ。基本的に屋内だからな。」

(屋内……?)

 

 俺がしょっちゅう白ワンピを着ているせいか、イッチーはそんな質問を投げかけて来た。なんとなく照れながら肯定を示すと、イッチーの方もはにかんで返してくる。ぐ、なんつう爽やかな笑みでしょう。あまりの爽やかさに内心でたじろいていると、イッチーは俺の被っている唾広帽子を外した。

 

 どうにもイッチーは行き先にあてがあるらしい。何処に連れていくつもり?みたいに首を傾げてみても、イッチーはそれは着いてからのお楽しみだとはぐらかされてしまう。むぅ……そうなると黙って着いて行くしかないか。そんなに言うんだったら、楽しみにさせてもらいまーす。

 

 そうしてイッチーに連行されてしばらく、どうやら目的地へと着いたようだ。周囲を見渡すと、遊園地の時みたく親子連れやカップルが沢山居る。ここは、どうやら水族館みたい。う~ん、確かに夏に海の生物を観賞するというのは中々にオツって奴かも。イッチーってば良いセンスしてるじゃんか。

 

「黒乃、薄暗いだろうから足元には気をつけろよ。」

(大丈夫、キミが居るから平気だよ。)

「うん、それじゃ行くか。」

 

 水族館という事もあってか、入場券の購入窓口付近から既に暗い。イッチーが注意喚起を促すが、それは大した問題にはならない。だって、もし仮にこけそうになったって……キミが支えてくれるでしょ?……他力本願なつもりじゃないんだけど、まぁ……頼りにしてるって事さ。

 

「すみません、高校生2人で。」

「ようこそおいで下さいました!あの、2人はカップルでしょうか?」

「……えっと、どうしてそんな事を?」

「はい、ただいま夏休み期間中という事もありまして、カップルでお越しの方は特別に割引させていただいております!」

 

 イッチーが入場券の販売員さんにそう声をかけると、何やらすぐさま清算には入らずそんな質問が投げかけられる。イッチーが説明を求めれば、販売員さんはデカデカと掲げられている看板を指した。するとそこには、確かにカップル割なる内容が。それを踏まえ、イッチーは口を開く。

 

「はい、見ての通りカップルですよ。」

(ちょっ、イッチー何言って……!)

「それでは、カップル割対象という事でご案内させていただきます!」

 

 み、見ての通りカップルって……。確かに、ほら……俺達2人が周囲からそう見られがちって言うのは認めるよ。けど、けどさ……自分から肯定していかなくったって……。お、落ち着け……平常心平常心……。イッチーの事だし、少しでも安くとかそんなのに決まっているじゃないか……。

 

「けっこう混んでるな、まぁ夏休みだし当たり前か。黒乃、まずは何処から回る?」

(そうだなぁ……。じゃあ、あれとか?)

「む、クラゲ……。あぁ、なんか今人気だってテレビでやってたな。良し、じゃあまずはそこから行こう。」

 

 あ、しまったな……照れ隠しとかで手を思い切り握っちゃったけど、イッチー痛かったりしない?なんて考えている間に、イッチーは奥へ奥へと進んで行く。……この分なら問題なさそうか。止まった場所はメインホール。ここが案内板となっているようだ。イッチーは大きなボードを前に、俺の向かいたい場所を訪ねてきた。

 

 俺に対してはなかなかハードルが高い質問だけど、聞かれたからには応えたいじゃない。むっ、生物が作り出す光のアート?……あ、クラゲの事か……。うん、確かにテレビで見るよりかは綺麗だよね。じゃあ……とりあえずは生で光のアートやらを見に行きたい……かな。

 

 クラゲの展示場へ進むにつれ、周囲の暗さは際立ってきた。しかし、今回の場合はそれもまた一興ってところだろう。何故なら、暗い中に差し込む淡い光を、クラゲがただ漂っているだけで増幅させ……幻想的な空間を作り出しているから。なんだか、まるでここだけ別世界みたいだ……。

 

「本当は毒持ちで忌み嫌われる奴らなのに、それは演出次第ってのを思い知らされるっていうか……。」

(うん、綺麗なバラにはなんとやらってやつなのかもね。……それにしても―――)

「黒乃……?」

「…………綺麗。」

「……ああ、そうだな。けど―――」

 

 クラゲの特色を生かすかのように、水槽も1つ1つ形が異なる。そんな中、オーソドックスに円柱形をしている水槽に手を添える。そうして、思わず綺麗だと言葉が漏れた。イッチーも心から同意しているようだけど、でもと前置きして言葉を切る。イッチーに背を向けながら続きを待っていたのだけれど―――

 

「黒乃の方が綺麗だよ。」

(な、何を言いやがりますかね!?)

「ハハハ……そんなに驚かなくったって良いだろ?俺は思った事を言っただけだ。」

 

 そんな事を口走るものだから、瞬時にイッチーの方へ振り返ってしまった。ク、クラゲを見ような……イッチー。いや、でも、ほら、そう言われるのもやぶさかではないんだよ?ただ、もっと場所を選んで欲しいっていうか……あうぅ……。なんて考えながらイッチーとの距離を数歩ずつ開けていく。が、イッチーは逃がしてくれない。

 

「まぁとにかく、もうしばらくゆっくり見て回ろう。……ほら。」

(う、うん……。)

 

 ……イッチーってばずるいよね。決定権はこっちに与えるんだもん。爽やかな様子を纏うイッチーは、そう言いながら俺に手を差し伸べて来た。……そんなの、取るしかないじゃん。俺達は再度手を繋ぐと、クラゲを観賞しつつ次なる目的地を目指した。

 

「海の生き物ってさ、見た目愛嬌がある奴が多いよな。実際は凶暴だったりするらしいけど……。黒乃は、どんなのが好きなんだ?」

「ペンギン。」

「なるほど、ペンギンか。確かに短足でヨチヨチ歩く姿が可愛いよな。俺はラッコ推し。貝叩き割ろうとしてる姿が必死でさ、なんか微笑ましいっていうか。」

 

 イッチー曰く俺に合わせるという事で、お次は海洋生物の展示を見る運びに。なんとかその意思を伝えられたため、道すがら話題は海の動物関連へと自然に移った。うむ、ペンギン可愛いよペンギン。イッチーの言う通りヨチヨチ歩くのもたまらん。けれど、そもそもあのフォルムも良いんだよなぁ。……お腹ナデナデしたい。

 

「はい、皆さーん。大変長らくお待たせいたしました!これより、ペンギンさんへの餌やり体験を始めようと思います。ぜひぜひ、挙って参加してみて下さい!」

「お、ベストタイミングだな。どうする黒乃、せっかくだから参加してみるか?」

(無論、この機を逃す手はないでしょ。)

「そうこなくっちゃな!すみませーん。」

 

 俺達が海洋生物に展示スペースに到着すると同時に、そんな快活な声が鳴り響いた。どうやら、餌やり体験の参加者を募っているようだ。イッチーがどうするかと俺に問いかけてくるが、好きな動物と触れ合うチャンスをみすみすスルーってのはいただけない。そういうわけで、揃って参加してみる事に。

 

「それでは、皆さんに怪我がないよう。また、ペンギンさんへ怪我をさせないように注意しつつ、楽しく餌やりを体験してみましょー!」

 

 一応の指導が入ると、囲いの中へとペンギン達が一斉に放たれた。ペンギン達は、魚くれー!……とでも言いたげに参加者の方へと接近を開始する。むはーっ、可愛いのぅ。ほれほれ、こっちへおいで?お姉ちゃんが食べさせたげるから。飼育員さんから受け取ったトングで魚を掴み、プラプラ振ってみる。すると1羽のペンギンが、文字通りそれに食らいつく。

 

「この仕草も可愛いよな。こう……すげぇ微振動して魚の向きを調整するの。」

(解る解る。ガクガクっとしちゃってさ、なんか必死っぽくてそこも可愛いのよ。)

 

 ペンギンからすると大事なんだろうけどね。なんか頭から飲まないとヒレとかが引っかかっちゃって危ないんだっけ?なんて言うか、本能だとかDNAに刻まれた習性なんだろうなぁ。そう考えると、なんだかやっぱり一概に可愛いとも言えないかも。……かしこ可愛い?……どっかで聞いたフレーズだからこれ以上は止めとこう。

 

「おやぁ?ワンピースのお姉さんがモテモテですねー。」

「うん?」

 

 メガホン越しに飼育員さんのそんな声が聞こえた。それ故に周囲を見渡してみると、確かに大量のペンギンが俺を標的に定めるかのように歩いてきているではないか。な、なんだってそんな……?いくら可愛いって言ったって、流石にそう大人数で来られると少し怖いような気もする。

 

「えーこのペンギンさん達はですね、皇帝ペンギンと呼ばれる種別です。皇帝ペンギンは、前を歩く2足歩行生物に着いて行く習性があるんです。ですからこの場合は、1匹がお姉さんの方へ歩いて行っちゃいまして、それでこんな事態になっているわけですね。」

 

 あ、へぇ~……なるほど、そういう事だったのね。む~……それならそれで、俺が特別ペンギンに好かれてるっていう事ではないのな。いや、ここはペンギンの習性を逆手に取ろうではないか。俺はスクッと立ち上がると、さっきまで餌をやっていたペンギンを先導しはじめた。

 

「おお、見て下さい!美女とペンギンの織り成すパレードです!」

「ハハハ……。」

「とは言え餌やり体験ですからね、申し訳ないですがほどほどにしていただければわたくしとても助かります!」

 

 すると、ものの見事に全てのペンギンが釣れた。飼育員さんの言う通りに軽いパレード状態だ。でも、好きな動物を引き連れられるっていうのは気分が良い。けれど、その反面心配になるけどね……。自然界で生きていくには適さないんじゃない?この習性。

 

 なんだか、子を心配する親の気分とかそんな感じ。知らない人に着いて行ったらダメよ?……みたいなさ。う~む、そう考えると……なんだか申し訳なさまでにじみ出て来たぞ。飼育員さんの言う通りに餌やり体験でもあるんだし、ここはそろそろ止めにしておこう。どうにかパレード状態を解除してイッチーの元に戻ると、何やら女の子に話しかけられているようだった。

 

「お、おかえり黒乃!」

「あのね、お姉ちゃん。今ねーこのお兄ちゃんがねー―――」

「こーら、いい加減にしなさい!お兄ちゃん達のデート邪魔して。ごめんなさいねー……少しマセた子なんですー……。」

 

 ま、まるで意味が解らんぞ!とりあえず解ったのはなんか知らんが茶化されたって事くらい。デート……デートかぁ……。え、ええ……デートですよ?デートですが何か?不肖、藤堂 黒乃……イッチーとデートしてますけど?……初めてイッチーとデートしてるのを肯定した気がするよ……。

 

「俺ら、人様からもそう見えるんだな。俺は嬉しいけど、黒乃はどうだ?」

(う、嬉しいとか嬉しくないとかそういう問題ではなくてですね……。あ、でも嫌じゃないのは確実と言いますか……。)

「ああ、無理して言う必要もないんだけどな。ただ……俺の中でそれは揺るがないって話で。」

(なんすか、自己完結とか勘弁してくださいよ……。こちとらキミのせいで最近おかしいんだから。)

 

 まぁ……良いけどね、別に。俺が俺の事を俺と呼ぶのだって、最後に残された俺の意地みたいなものなんだから。ここまでくれば、最後の最後まで貫き通したいもんだけどね。本当、キミは罪作りな人だよ。けれど裏を返せば、キミで良かったって思っているのも確か……かな。

 

 

 

 

 

 

「今日も良く遊んだなぁ。」

(そうだねぇ、すっかり夕暮れだよ。)

「けど、もうすぐ2学期って思うと少し憂鬱だぜ……。」

(う゛……それは言わないお約束でしょ……。)

 

 割と朝に近い時間帯から来ていたのに、終日を水族館で過ごした事になる。けっこうする事あるんだなー……水族館て。魚見たりするだけで退屈そうだと思ってたけど、イメージががらりと変わったかも。……で、帰り道の最中でイッチーはそう呟く。

 

「中学ん時だったら、今頃大慌てで宿題ってところか。」

「……担任。」

「そうなんだよ……担任が千冬姉だし、ちゃんとやってないと確実に殺される。」

 

 中学時代のこの時期は、イッチーや鈴ちゃん、弾くんにカズくんが絶望にも似た表情をしてたなぁ。俺はISの勉強と両立しなきゃだったから、間に合わんって思って早めに終わらせるのが恒例だった。しかしねぇ……担任が実の姉、ないし姉貴分だった時の詰みゲーっぷりよ。おまけに世界最強の女性ときた。

 

「それにしても、充実した夏休みだった気がするよ。……きっと黒乃のおかげだな。」

(俺?別に俺はいつも通りにしてたけどなぁ……。一部を除いて。)

「なんていうか、俺の意識の問題なんだけど……。うん、今年の夏は楽しかった。」

(はぁ、まぁ……それは良かったね?)

 

 充実したってか、濃い夏休みだった気はするけどね。スパイまがいな事もしたし……。けれど、イッチーがそれを俺のおかげだと言ってくれるのなら、そこは有り難く受け取っておこうかな。申し訳ないけど、言葉の意味は解らんから首を傾げるしかないんだけどね。

 

(おっ……イッチー、あれ見てみ。)

「ん、どうした黒乃?……なるほど、夕日か。ああ、確かに綺麗だな……。」

 

 なんとなく気が付いて、イッチーに向こうを見てみろと指を差す。するとそこに佇むのは、見事なまでに茜色の綺麗な夕日だ。ちょっと眩しすぎるくらいだけど……。夕日がどうして赤いか知ってるかい?光にはいくつか色があって、その中でも赤は1番遠くまで届くからなんだそうな。

 

「なぁ黒乃……。俺さ、俺は……ずっと―――」

(ん、いや……イッチーちょっとタンマ。逆光で目を開けとられんのですが……。)

「っ!?」

 

 イッチーは何か話があるようだったが、立ち位置というものが悪い。あえて少し位置をずらしたようにも見えなくも……?とにかく、夕日を背負い込むように立っているイッチーを直視できない。でもなんかまた真剣な話っぽいしなぁ……。苦肉の策として俺が思いついたのは、最大限に目を細めてイッチーを見上げるくらい。

 

「ありがとう黒乃。それと、今まで気づいてやれなくてごめんな。」

(いや、何の話をして―――)

 

 目を細めているせいか、視認できるのは薄ぼんやりと映るイッチーくらいだ。言葉の意味もよく解らんし、一体全体イッチーはどうしたんだろ?……そう思っていた矢先の事だった。イッチーは俺の肩にやさしく手を乗せた。次の瞬間には、イッチーの顔が眼前に迫り……唇に何かが重なった。

 

(…………え…………?)

 

 何、これ……もしかして、キスしてる……?誰と?……イッチーしかいないよね。それを理解した途端、ごちゃ混ぜになった思考が脳内を駆け巡る。幸福、困惑、満悦、当惑……そんな言い切れないほどの感情が一気にだ。とにかく混乱は大きい。けど、けど……!幸せだって、思っちゃってる私もいる……。

 

 ち、違う……そんな事はない。これはきっと……幸せと感じているのは黒乃ちゃんの感情だ。だってそうでしょ……身体はとにかく、男の俺が男とキスしたって嬉しいはずない!絶対そうだ!混乱がピークに達したところで、俺はようやくイッチーを振りほどくという選択肢が頭に浮かんだ。

 

「ぷはっ……!く、黒乃……どうかし―――」

(どうかしたかじゃないでしょうが!)

「痛っ……!?」

(あ、ご、ごめんイッチー……俺、そんなつもりじゃ……。あ、あぁもう!わけ解んないよ!?)

 

 混乱ついでとはいえ、俺はイッチーに対して思い切り平手打ちを放ってしまった。俺の掌とイッチーの頬が打ち合い、バチンと爽快な音を鳴らす。掌に走るジンジンという痛みのせいか、俺の頭は少しばかり冷静になった。けれど、イッチーをぶってしまった罪悪感ばかりは拭いきれない。

 

(ご、ごめんね。ホントにごめん、イッチー!)

「え、あ、おい!ちょっと待てよ黒乃!黒乃-っ!」

 

 俺に残されたのは、逃げの一手しかなかった。サンダルで走りにくいというのに、俺はこれまでにない速度で逃げている気さえしてしまう。それだけ俺の逃げたいという気持ちが大きいという事だろう。黒乃ちゃんの小さな口に手を添え、とにかく一心不乱に走り続けた。

 

(キス、した……イッチーと、イッチーとキス……。)

 

 見損なうとまでは言わないけど、全くもってイッチーがどうして俺にキスしたか理解が及ばない。衝動的に?いや、だったらもっとガバッて感じで……半ば無理矢理くるはず。だって、や、優しい……キスだったから……。だーっ!もう、解らーん!ごめんよヒロインズー!なんか成り行きでイッチーのファースト―――

 

(ファ、ファーストキス……!は、初めてがイッチーとって、あぁぁぁ……!)

 

 その後も考えれば混乱し、赤面するを何度も繰り返した。俺の逃走劇はどうせ同じ家に帰るのだから同じことだと思い出し、帰宅後はとにかく堅牢に閉ざした自室へとこもり続けた。俺の心配をよそに、その日イッチーが話しかけてくることは無かったんだけど……。

 

 

 




黒乃→ちょっ、逆光で目を開けとられないんですが……。
一夏→これはっ……黒乃がキス顔を俺に向けてる!?

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