ややこしくて申し訳ありませんが、読む際は注意してください。
いつも通りにどちらから読んでも差支えはないかと。
「もっしも~し、朱鷺子?おう、今晩食事でもどうかって」
「失礼します、藤九郎様―――」
近江重工の社長室にて、藤九郎は妻である朱鷺子へ連絡を送っていた。通話の最中に入室したのは秘書である鶫だ。藤九郎になにを言われるまでもなく、通話中と察した瞬間に鶫はまるで石のように静かな状態へとなる。こういう流れが常なのか、両者気にする様子は全くない。
「なに、婦人会的な先約?そーかい、じゃまた次の機会だな。……いやいやオジサンの事は気にしなくって良いの、楽しんで来いよ。う~い、愛してるぜ」
「奥さまですか?」
「そうなのよ、こっちから誘ったら向こうに予定が入ってるでやんの」
女好きである故にどこまでの信憑性があるかは解らないが、本人の談では妻を世界で1番愛しているとの事。そこに関しては鶫も関心が沸くのか、少し表情を柔らかくしながら問いかけた。結果として夫婦水入らずはパーのようだが、妻を大事にする瞬間を目の前で見れて安心したらしい。
「で、なんか用事?」
「はい、藤九郎様宛に招待状が届いております」
「オジサンにぃ?まぁたつまんねー商談持ち掛けてくる成金じゃねぇだろうなぁ」
どこの誰からの招待状とも言っていないのに、藤九郎はその存在そのものが鬱陶しいとでも言いたげだ。まるで子供が苦手な食べ物を目の前にしたかのような表情を浮かべ、高級回転椅子に深くもたれかかりながら嫌々それを受け取る。差出人の名を見ると、それはどうやらIS学園からのようだ。
そうと解れば多少は警戒心も薄れたようで、いくらか表情は和らぐ。封蝋を模したシールで閉ざされた正方形の封筒は高級感があるわけだが、お構いなしに上方をビリッと裂いて中身を取り出した。それを見るに、招待状の内容とはキャノンボール・ファストの観覧へ招きたいという事らしい。
「あ~……もうそんな時期だっけか。いやはや、1年が過ぎるスピードが早いこと」
「返事はいかがなさいますか?」
「パ~ス。テキトーに返事書いといてくれぃ」
「……よろしいのです?……轡木様からのご招待と考えますと―――」
「いやさ、だとしてアイツはオジサンになにを求めてんのって話でしょーよ。お嬢がウチの所属だからスカウトの必要とかねーし?オジサンが行かなくったって愛すべきバカ息子が学園に居るし」
和らいだ表情は、今度は面倒くさそうな表情へと変わった。鶫からすれば聞かなくても帰ってくる返事は解っていたが、想像以上に食い気味でパスと言われてしまう。いつもの事だが呆れは感じる。だからこそ行った方が良いのではないかと遠回しに進言してみるが……結果は不発。
旧友である十蔵の名を出しても全く響きはしない。もし仮に十蔵が美女ならば食いつくところだろうが、そんなのはどだい無理がある。というより、ここでダレられてしまうと後の仕事に支障が出る。判子を押すだけの仕事だろうと藤九郎がやる事に意義があるのだ。鶫は、大人しく引くのが無難だと踏む。
「……かしこまりました。それでは、仰せのままに」
「ああ、待ちなよ鶫ぃ」
「……まだ何か御用でしょうか?」
「なんか隠してるならとっととゲロッとけよ。知ってるだろうけどオジサンしつこいからねぇ」
「っ!?」
手早く立ち去ろうとした鶫だったが、それは藤九郎によって阻まれてしまう。確かに隠し事はしていた。だが、鶫はそれがばれるような所作を取ったつもりはない。そう本人が考えているように、実際のところ露呈はしていない。ではどうして見抜かれたか。答えは簡単、単なる勘だ。
近江家の人間には代々そういった才能でもあるのか、似たような発言を鷹丸もしていたりする。鶫の藤九郎を見据える目に、鷹丸のニヤついた笑みが重なった。なるほど、やはり親子だ。そう感じたのならばさっさと降参するのが吉だと、鶫は隠していた物を差し出す。
「隠し立てしていたというよりは、お見せする必要もないかと思っていたのですが……。いくつか不審な点も見受けられます」
「ん、まぁ差出人不明な時点で怪しさ満点だわな。どれどれ……」
鶫が懐から取り出したのは、これまた正方形の封筒だった。受け取り次第あちこちと見まわしてみるが、何処にも差出人の名は見受けられない。だからこそ鶫は藤九郎に特別見せるものではないと判断し、時間を見つけて中身を確認したのち処分するつもりでいたのだ。
厄介ごとの匂いがしたというのも嘘ではないが、藤九郎に見つかった時点で鶫に最終決定権はない。とにかく正体不明の封筒の中身を見る藤九郎の言葉をただただ待ち続けた。そして1分にも満たない僅かな沈黙が終わりを告げる。藤九郎は、意外な言葉を口にした。
「鶫、キャノンボール・ファストだが……。招待、受けるぞ」
「よろしいのですか?」
「おう、どうしても行かなくちゃなんなくなっちまった。いや~オジサン困ったぜ」
「……理由は深く追求しません。しませんが、あまり無茶はなさらぬよう願います」
封筒の中身のなにかが藤九郎をそうさせたのだろうが、ついさっきまで気だるげにパスだと言っていた招待を受けると心変わりを見せた。一応の確認を取るとおどける様子で困ったと告げられる。だが、いつもと違って真剣味を孕んでいるその様に、鶫は自然と気遣う台詞が飛び出た。
それに対しては完全に軽い調子てはいよ~と答えられたため、なにやら調子を狂わされてしまう。最後にちゃんと仕事をするよう釘を刺すと、鶫は今度こそ社長室から立ち去った。1人社長室に取り残された藤九郎は、眉をしきりに上下に動かし、難しい表情を浮かべるばかり。
「さぁて、マジでどうするべきかねぇ」
◇
「おぅおぅ、盛り上がってんねぇ。やっぱ催し物はこうじゃねぇと」
「そうですね、賑やかなのはよいことかと」
キャノンボール・ファスト当日、藤九郎と鶫は人込みを縫うように自分たちの座る席を目指していた。しかし、時間帯としては既に開会式等は済んでしまっている。そういった形式的な進行にとらわれないのが藤九郎ではあるが、対照的に真面目な鶫はどうにも罪悪感を拭いきれない様子だ。
「どーも、お嬢さん。オジサンこういうモンなんだけどねぇ、席って空いてるとこに座って構わない?」
「はい、招待状をご持参の方はVIP席の方へ……って、近江先生のお父様!?」
「うん?ほぉ、倅も隅に置けねぇじゃないの。お嬢さんみたく可愛い子捕まえちゃって」
「うぇ!?い、いえ!私は別に、その、近江先生と同じクラスの副担任というだけであってですね……」
鶫が内心溜息を吐いている間に、藤九郎はせっせと受付を行っていた。そういうのは自分の仕事なのだがと主張しようとしたが、理由はもうハッキリと解ってしまう。受付の担当が真耶で、藤九郎は声をかけるつもりしかないのだと。今度は物理的な溜息が響く。
「へぇ、じゃあお嬢さんはフリーって認識でいい訳だ。よかったら連絡先教えてくんない?オジサン、経験豊富だからいい場所いろいろ―――うげふっ!?」
「失礼しました。病気の一種なので何卒ご容赦の程よろしくお願いします」
「は、はぁ……?あ、そちらの通路からどうぞ……」
「ご丁寧にどうも。それでは」
瞬間、妙に鋭いチョップが藤九郎の首筋を襲う。ストーンとチョップが決まると同時に、藤九郎は綺麗に意識を手放した。すかさず鶫は襟元を掴み捻りあげると、まるで荷物のように引きずりながら真耶な前から消える。あまりに鮮やかな手前に、真耶は照れも忘れて2人の姿を見送った。
「……ハッ!眼鏡とおっぱいが素敵なお嬢さんは!?」
「申し訳ありませんね、スレンダーな子持ちの年増で」
「いやいや、とびきりいい女だよぉ?お前さんはさ。つーか、気絶させる事ないでしょーよ」
「相手を選んでください。どう見ても彼女は男性慣れしていない様子でした」
気絶していたのはほんの数秒の事で、鶫の不機嫌そうな返しに飄々と答えながら立ち上がる。後に続いた小言にはへいへいと適当に対応しつつ、藤九郎はスーツの襟元を正した。そしてようやく目的であるVIP席へと到着。よっこいせなんてわざとらしく言いながら、藤九郎は腰を掛ける。
「それで、こちらへいったいなんの用事なのです?」
「うん?商談、かね」
「……あれほど嫌がっていたのにですか」
「相手が相手っつーか、ちと状況が特殊っつーか……。まぁ、先方の出かた次第だわな」
何度聞いてもはぐらかされ続けて今日に至るのだが、どうしてもそこは確認しておきたいところであった。しかし、当日になってもやはり皆までいうつもりはないらしい。解ったことがあるとすれば、ここで誰かと会う約束をしているという部分のみ。
「ま、そのうち来るって。約束の時間ギリに着いてるからな」
「貴方は……なぜそれを早く言わないのですか。先方に迷惑のかからないようにと何度―――」
「構わないわよ。こちらの方が後から着いているんだもの」
「ようこそおいで下さいましたレディ。さ、お手を拝借」
鶫の言葉を遮るように現れたのは、赤いドレスに身を包んだ女性であった。外見年齢は20代半ばほどだが、身に纏う雰囲気は大人の余裕で満ち溢れている。こういった扱いにも慣れているのか、藤九郎のエスコートに応じて軽やかに着席して見せた。
「……失礼ですが藤九郎様、こちらの方は」
「ん~?キギョウの人」
「……馬鹿にしているのですか?」
「んなこたぁないよ、オジサンはいつだって真面目だぜ」
藤九郎や鷹丸と関係のある企業の人物、またはありそうな人物の顔と名前を鶫は全て記憶している。しかし、ドレスの女性に見覚えが全くない。疑問を覚えて藤九郎へ教えを乞えば、身にならない答えしか返ってこなかった。大概辛抱強い鶫でも、そろそろ超えてはいけないラインが訪れ始める。
「スコールよ、よろしく」
「はぁ……スコール様、ですね。大変お見苦しいところを申し訳ありません」
「フフフ、構わないわ。思った以上にユーモアのある殿方で好印象よ」
「こちらこそだレディ。思った以上に気品に溢れて美しい女性だよ」
「は……?もしかして、今日が初対面だとはいいませんよね」
狂わされたペースを取り戻そうと必死な鶫だが、その目論見は主とその客の手によって瓦解させられてしまう。思った以上にと語った部分から初対面だと予想したのだが、問いかけてみると両者にキョトンとした顔を見せられる。その表情は、初対面だがなにか問題でもと……雄弁に語っていた。
「……申し訳ありません、頭痛が激しいので席を外させてもらいます……」
「おっ、マジでか?おう、外せ外せそんなもん。体調管理には気ぃつけねぇとな」
「お大事にね」
主な頭痛の原因2人は素知らぬ顔で鶫を見送る。といいつつ、藤九郎は確信犯である可能性が高いわけだが。どちらにせよ、これで両者にとって都合のいい状態が整った。……が、あくまで両者共に自分のペースを貫くつもりらしい。もっとも、つけ込む隙を与えない為であるのだろうが。
「さて、とりあえず自己紹介……の必要はねぇか。不思議だねぇ、初対面だってのにお互いのことを知り尽くしちまってるってのは。なぁ、レディ?」
「そうね、ミスター。でも、どこの誰に私のなにを吹き込まれたのかしら?」
「ん~?いんや、詳しいことはなにも。さっきもいったが美人ってのとあとは―――亡国機業の幹部ってくらいかね」
スコール・ミューゼス。亡国機業の事実上トップ、ないしトップに近い存在。その正体は、いま藤九郎の目の前に居る女性以外の何物でもない。いきなり確信を突いてくる藤九郎に対し、スコールは特に何も反応を示さない。強いていうなら、薄い笑みを浮かべたまま……だろうか。
「ま、オジサンはど~でもいいんだけどね。レディ、酒は好きかい?」
「好んで飲むのはワインかしら。ブルゴーニュ産ならなお」
「そりゃ気が合うことで。オジサンの好みで持って来といたんだけど正解だったな」
「あら……随分と年代物のようだけど、ご馳走になっていいの?」
「いいのいいの!美しい女に貢ぐのはオジサンの生きがいみたいなもんだから」
藤九郎が持参していたワインは、長年世界を旅して回った際に入手したいわば秘蔵コレクションのようなものである。本人の談のとおり、好みに見合った女性に対して振る舞うのが流儀らしい。藤九郎は近くの世話係を呼び寄せると、グラスとコルク抜きのみを要求した。間髪入れずに出てくるあたり、流石はVIP席といったところか。
「んじゃ、乾杯しますか?」
「ええ、2人の出会いに」
「ハッ!おう、運命の出会いに」
グラスを差し出せば、スコールは歯が浮いてしまいそうなセリフを吐いた。しかし、彼女であればその身に纏うオーラから許されてしまう気がする。藤九郎もその似合いっぷりになんだかおかしさが込み上げて来たのか、軽快なひと声を上げてからノリを合わせる。そうして両者のグラスが優しくカチンと音を立てた。
『さぁ~いよいよやって参りました!本日のメーンと言っても過言ではないでしょう。1年専用機持ち組の出走だぁ!と言うわけで、実況はわたくしIS学園2年新聞部の黛 薫子。そして解説にはこの方に来ていただきました』
『どうも、IS学園1年1組副担任の近江 鷹丸です。僕と黛さんが運営委員会からご指名をいただきまして、このたび選任というかたちとなりました。今日はよろしくお願いします』
「ん、始まっちまったか……。五月蠅くなるだろうしこっちも話進めっか。単刀直入に聞くぞ、レディ。こーんな情熱的なモン寄越しちゃって、いったいなんのつもりだ?」
会場内に薫子たちの快活な声が響くと、藤九郎はグラスの中身をひと息で飲み干した。空になったグラスにワインを注ぎ足すと、懐から正体不明だった封筒を取り出す。その中には、1枚のポストカードが。時間と場所が指定してあるのみのカードだが、ひときわ目を引くのが右下にべったりと付着したキスマーク。
藤九郎がそれを指摘すると、スコールは唇を弄びながらウフフと妖艶に笑って見せる。明言はしていないが、答えなようなものだ。わざわざ確認なんかしなくても、藤九郎にはすべてお見通しではあるのだが。相手の口から喋らす手法は、ミスリードを誘う為の一手。
「貴方ほどに頭のキレる男なら、言わなくても解るでしょう?」
「ズバリ、ウチの部品を買いたい……って話だろ。それもタダの部品じゃねぇ。元気に実況やってるバカ息子が特別にチューンアップした仕様のやつ」
近江重工は、世界的に見ても相当なシェアを誇るISの内外部における様々なパーツを生産・研究する企業だ。生産しているパーツはどれも質のよい品ばかりだが、それに輪をかけて特別仕様となるのが鷹丸自身が開発したパーツとなる。本人が趣味で造り上げたものと、依頼されてというケースに分かれるのだが。
今回の場合、スコールが頼みたいのは後者の方。ISの性能を決定づける要因は多岐にわたるが、部品が欲しいという話ならば中身を気にしているようだ。強奪して改造を施した専用機のフルモデルチェンジではなく、現状を維持しつつ性能の向上を狙っているだろうか。
「ウチの子たちも優秀なのだけれど、あの天才坊やにはどうやったって敵わない。なら、買ってしまえば済む話でしょう?資金は潤沢なのよね」
(嘘は言ってねぇ。もし嘘だったり俺が断ったりするのだとすりゃ、金より早ぇ方法は奴さんたちにゃ十分ある)
表情は相変わらず間の抜けたものだが、思考はクールで鋭い。そう、スコールたち亡国機業が本当に欲しい物があるのなら、金で買うのではなく奪ってしまえばいい話なのだ。ついでに言えば、もし藤九郎がこの話を蹴ったとして、人質なりを捕まえて脅せばいい。だからこそ、藤九郎の出した結論は―――
「驚いたね、まさか真っ当に商談たぁ思いもしなかった」
「フフッ、私たちがなにを言っても信用はならないでしょうから。どう取るかは貴方しだいよミスター」
「あ~?さっきもいったけどね、オジサンは商談相手が善人だろうと悪人だろうとどうでもいいんだわ。要はくだらねぇか否かってね。その点、アンタは好きだぜレディ。嫁の次くらいにな」
「フフッ、それは光栄ね。私も、貴方より素敵な男性はお目にかかったことはないわよ?」
割と本気の商談のために、わざわざ最大の敵であるともいえるIS学園に乗り込んで来る……いや、むしろ集合場所をここへとしたスコールの酔狂さ。藤九郎は、冗談抜きでスコールをいい女だと褒める。対してスコールも、型にはまらない藤九郎をかなり気に入っている様子だ。
「それはそれとして、返事をまだ聞いていないわ。悪いけれど、保留なんて言わないで頂戴ね」
「おいおいレディ、こいつは商談だぜ?まだなにを対価にするのか聞いてねぇぞ」
「そうね……貴方がお得意様としている連中の数倍の額を用意するわ。……いいえ、貴方が望むのなら、私としてはもっと別のモノでも構わないのよ。壊れるまで相手をしてあげる……」
スコールの意味深な口ぶりと仕草は、率直に言えば身体で払うというやつだろう。近江 藤九郎という人物を知る者ならば、まず間違いなくこの手は仕掛けてくるはず。だが、スコールは前提として間違っている部分が数点あるのだ。藤九郎からすれば、まるで解ってはいない。
『さぁラスト、皆さんお待ちかね!今大会優勝候補筆頭……どころか!彼女に追いつける者は現れるのか!?大空を翔る赤黒き閃光、それはまさしく疾風迅雷、刹那の如く!藤堂 黒乃~!』
「うん?真打登場か……。お嬢ちゃんが出てくるまでには終わる話だと思ったんだがねぇ」
「それはどういう意味かしら」
「ああ、出方を見てから判断しようと思ってたんだけど……ダメだね、不合格。アンタは好きだが、な~んも解っちゃいねぇ」
黒乃が飛び出し、歓声が沸き起こる。藤九郎としては、声の音量を大きくしなければならないのがかったるくて仕方がない。だからこそ、出てくるまでには終わらせたかった。スコールという人間には高評価をつけれたが、今の今までやり口を判断しかねていたのだ。だが、裁定は既に決した。
「解かるように言っていただけると助かるのだけれど」
「まず1つ、オジサンは金儲けなんざ考えたこたぁねぇ。正確に言えば、ウチの社員含めて……な。金儲け考えて仕事してたんじゃウチじゃぁ出世できないね。そういう風になってんの」
「だとしたら不思議ね、どうして近江重工はこんな大企業になっているのかしら」
「ウチを食いつぶそうとしてきた馬鹿共を逆に食ってやった、それだけのことさ。つまり、オジサン相手にいくら積もうと無駄ってこった」
近江重工の社員は、鷹丸を始めとしてどこか変わった人物が多い。常識人に見えるのは、鷹丸が常軌を逸脱している反動だ。職員たちは、金のためでなく自身の信念を賭けて情熱的に仕事へ取り組んでいる。情熱さえあれば、藤九郎は赤字だろうが黒字だろうが背中を押すことのみしてきた。
明日にでも重工が倒産してしまえば、それはそれでいいとも。そして、きっと借金をしようが社員は守る。藤九郎はそんな男なのだ。すべてはあくまで結果論でしかない。結果的に社がよい方へと転がっていき、今の近江重工がここに在る。それも、きっと藤九郎が情熱へ心血を注ぐ息子や社員を信じたから。
『これで6名の選手はハートのエンジンもスロットルがフル回転を始めたようです!では、冷めない内に始めてしまいましょう。スタートフラッグはこの方、織斑 千冬さんにお任せしたいと思います!会場の皆さんは、ご一緒にカウントダウンをどうぞ!』
「2つ、オジサンは確かに美女が大好きだ。口説きもすればセクハラもするさ、本能のままにな……。だが、嫁以外の女は死んでも抱かねぇ」
「あら、それは意外だこと。てっきりすぐ乗ってくれると思ったのだけれど……。私、魅力ないかしら?」
「いやいや、日本が一夫多妻制ならプロポーズしてるくらいアンタは好きだぜ、見た目も性格もな。けどオジサンいったぜ、嫁の次にってな。それに、ガードの固い女を口説き落とすのが楽しいんじゃねぇの」
スコールはわざとらしく肩を項垂らせた。すると藤九郎は豪快にカッカッカ!と笑い飛ばす。そして次いで出たのが紛れもなく賞賛の言葉だとすると、文句なしの美女が馬鹿をいいなさんな……といったところだろうか。とにかく、身体を差し出すのも交渉材料にはならないと解かった。
『5・4・3・2・1!』
「そんでもって3つ―――」
「スタート!!!!」
「
2人で少しづつ飲み進めていたワインの瓶を引っ掴むと、3つと区切りをつけてからラッパ飲みで中身を空とした。そしてスタートの合図と共に瓶をテーブルへと乱暴に立たせる。グイッと口元を拭い飛び出したのは、なんともシンプルな言葉だった。そういい放つ藤九郎の表情からは、飄々とした仮面は外され―――
「……そっちの方が素敵よ、まるで死肉を漁る獣のような顔」
「ん~……オジサン的には嬉しくない褒め言葉だねぇ」
「どうやら私は、貴方のいうとおり心のどこかで貴方を……いいえ、貴方たち近江をなめていたようね」
「よくいうよ、断られるの前提で来てたくせに」
表情が鋭いのに重ね、黒乃が神翼招雷にて雷の翼を出したことも大きいだろう。赤黒く周囲が照らされる影響で、藤九郎の表情をより恐ろしいものへと変貌させたようだ。美女にそう言われたとあっては、藤九郎からすれば立つ瀬がない。瞬間的に表情はボンクラオヤジへと戻る。
『と、藤堂選手……いきなり虚空へと向け震天雷掌波を放ちましたが、これはいったい……?』
『もしかして、だけど……。カメラさん、指定した位置をズームで映してください!』
「おっ、予想はしてたけど保険を用意してたかい。いやはや、そういうところマジで好きだわ」
「貴方は私を捕まえる気なんてないでしょうけど、場所が場所だもの」
このタイミングでマドカが飛来したことを考えると、スコールがなにか指示を出したと考えるのが自然だ。藤九郎は至って余裕な様子で、豆粒のように視界へ映るマドカを眺めた。そして鷹丸の判断でカメラへ大きくその姿が表示されると、ピュウと口笛を吹く。
「お~……数年後が楽しみな嬢ちゃんだこと」
「貴方、いい加減に見境ないわね」
「いやうん、だから数年後っていってるでしょー。流石にアレはオジサン口説く気にはなんないって」
マドカは確かにその点に関していえば将来有望だろう。現在はバイザーで顔が隠れているにもかかわらず、藤九郎のセンサー的ななにかがそう告げた。呆れた様子ではないが、スコールはそう指摘せざるを得なかった。すると藤九郎は、心外だといわんばかりに手をブンブンと左右へ振る。
「はぁ……んじゃ、オジサン帰ってもいーい?あっ、脱出してぇんならエスコートすっか。オジサンそういうの得意なんだよ」
「せっかくの申し出だけれど結構よ。もう1人少し話したい子がいるの」
「そうかい。このシャンパン、お土産な。お仲間の美女と一緒に飲んでくれや」
「ええ、ありがとう。ぜひそうさせてもらうわ」
やはりスコールが善人だろうと悪人だろうとどうだっていいというのは本音らしい。マドカの飛来によって混乱した会場からならば、脱出させるのは簡単だと手引きを申し出るではないか。しかし、スコールは意外なことにこれを蹴る。藤九郎もしつこく追求はせずに、持参しておいた酒瓶をテーブルへと置いて帰路へ着き始めた。
「それにしても本当に残念ね、貴方の協力も得たかったのだけれど」
「協力はしねぇが、呼ばれれば飛んでくぜ?」
「それは嬉しいわね。じゃあ今度は……ただの友人として会いましょう」
「げ、やんわり振られてやんの。オジサン大ショック!……まぁいいか、アンタにまた会えるならそれで。んじゃまたな、麗しきレディ」
またねミスター。そんな言葉を背に受けて、藤九郎はVIP席を離れていく。会場内は逃げ惑う人々でごった返しているが、その隙間をヒョイと縫ってどんどん進む。そして携帯電話を取り出して、席を外した鶫に短く帰るぞと伝えれば、調子が戻ったのかキリッとした口調でかしこまりましたと返事を得られた。
(しかし、本当にいい女だねぇ……あのレディ。最後に爆弾落としてくれちゃって)
『それにしても残念ね、貴方の協力も得たかったのだけれど』
(
藤九郎は、スコールの発言について引っかかる部分があった。それは、貴方の協力もという部分。まるでこの言い方だと、藤九郎以外の誰かの協力は既に得られているとでもいいた気だ。スコールがうっかり情報漏洩するような人物でないとするならば、いったいなんのつもりだったのだろう。
(……順当なところであの2人の内のどちらか、またはその双方。だけどなぁ、感づかれるって解っていうかね)
どうやらすでに協力を得られている人物がいると仮定した場合、めぼしい人物が2人思い当たるらしい。しかし本人の問答の通り、スコールは藤九郎に読まれる前提での発言だったはず。ならばなおさら亡国機業にとって得なんて存在しない。だとするならば―――
(……止め止め、考えるだけアホらしい。俺は俺らしく生きれば
これから先は考えても仕方のないことだと、藤九郎は渋い顔をしながら考察を止めた。なによりらしくないという理由が混ざっていそうだが、基本的に思慮は深い方だ。どちらかといえば、こちらの方が素顔なのだから。混乱の最中にボンクラオヤジの仮面を被り直した藤九郎は、足早に鶫との合流を目指した。
楯無とスコールの対峙は尺の都合上カットさせていただきました。
藤九郎との会合後、原作同様のやり取りがあったとお考え下さい。