どうしてこうなった? 異伝編   作:とんぱ

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NARUTO 第五話

 日向宗家の屋敷の中にある大きな道場にて、息を切らして床に倒れこむ者がいる。

 厳しい稽古を積んでいる最中なのだろう。床には汗と思われる水滴があちこちに散らばり、その中には赤い水滴も存在していた。

 倒れ込んでいる者――日向ヒアシ――は不規則な呼吸を出来るだけ素早く整え、立ち上がって目の前の相手と対峙する。

 

「はぁっ! はぁっ! ぐぅ、も、もう一本、お願いします!」

「ええ、何度でもお受けします」

 

 ヒアシと対峙しているのは四歳の誕生日を迎えたばかりの少女、日向アカネである。

 大人と子ども。見た目でも、そして実際の年齢でもそれくらいの差がある二人が道場で対峙し、そして大人であるヒアシが息を切らし倒れる。これを何も知らない者が見れば確実に自身の眼を疑うだろう。

 

 ヒアシの実力は低くない。というよりも、木ノ葉の里でヒアシに勝る実力者は数える程しかいない。

 日向の当主には相応の実力も求められるのだ。ただ宗家の嫡子に生まれただけで成れるほど安い立場ではない。

 ヒアシは日向の長い歴史の中での歴代の当主と比べても、上から数えた方が早い実力者と言えた。

 

 だが、それでもアカネを相手にすると力不足な感が否めなかった。だがこれに関してもヒアシが悪い訳ではない。

 日向流柔拳を学んで数十年、転生を繰り返して多くの武術を学ぶ事千年。そんな規格外を相手に勝てという方が可笑しいのだ。

 

 ヒアシの攻撃はアカネに掠る事もなく、逆にアカネの攻撃をヒアシは防ぎ切る事は出来ない。

 柔拳の技術では確かにアカネが(まさ)っているが、ここまで一方的になるほどの差はない。ならば何故こうもヒアシはアカネに翻弄されているというのか。

 その答えが、アカネを最強足らしめているアカネ最大の武器の一つ、読みである。

 

 アカネ程戦闘経験を持つ人間はまずいないだろう。幾千幾万を超える闘争を乗り越えたアカネの読みの深さはいつしか未来予知に匹敵する程に至ったのだ。

 相手の動きを、その呼吸や表情、チャクラの流れ、感情の変化、筋肉の動き、足捌きや体捌き、多くの材料から先読みして対応する事が出来るのだ。

 アカネに勝つにはアカネ以上の技術か、先読みしても避ける事の出来ない規模の攻撃か、先読みすら覆す程の動きを要求されるのだ。そしてそのどれもをヒアシは有していなかった。

 

 ヒアシが幾度となく道場の床に転がされ、とうとう立ち上がる事が出来なくなった時点で本日の修行は終了した。

 

「お疲れ様です。今日はこれくらいにしましょう」

「……」

 

 ありがとうございました。そう言葉にする事も出来ないくらいにヒアシは疲労しているようだ。

 仕方あるまい。この組手の前にもチャクラコントロールやその技術を高める修行をぶっ倒れるまでしていたのだ。

 回復してすぐにこれではスタミナも尽きえよう。

 

 だが日向当主がこの有様では他の者に示しがつかないという物だ。不意な来訪があった場合にだらしない姿を見せては日向の沽券に障るだろう。

 なのでヒヨリは自分のチャクラをヒアシへと分け与える。これで多少はマシになるだろう。

 

「……ふ、不甲斐ない姿を晒し、申し訳ありませぬ……」

「気にしないでください。ヒアシには世話になっていますしね」

 

 そう、アカネはヒアシにかなり世話になっている。

 こうして修行に付き合ってもらう事で戦闘の勘も取り戻す事が出来た。当主直々に付き合ってもらっているのだ、この時点で本来ならあり得ないだろう。まあヒアシにも利点がある事なのだが。

 それにアカネがヒアシの付き人という立場を得られたのも大きい。これがなければ今後の展開にかなり差し支えていただろう。

 

「ふぅ、もう結構ですアカネ様。ありがとうございます」

「アカネと呼び捨てにしてもいいのに。むしろ立場上、私の方があなたの事をヒアシ様と呼ばなければいけないんですよ?」

 

 ヒアシは宗家で、アカネは分家。例え前世がどうであろうが今の立場はそうであり、これが覆る事はない。

 そうである以上アカネの言う事は正しいのだが……。

 

「誰もいない修行中ならば問題はないでしょう。もちろんそれ以外では宗家として振る舞わせていただきますが」

 

 だが、頑としてヒアシは――ヒルマもだが――周囲に誰もいなければアカネに対して上位の者に対する振る舞いを取ってきた。

 それほどアカネの前世であるヒヨリに敬意を示しているのだろう。

 アカネはヒアシを見る事で最初と二度目の人生で当時のアカネに対して並外れた敬意を払っていた一人の女性を思い出す。

 

(……いや、比べるとヒアシに悪いな、うん)

 

 あれは敬意というか、最早狂信の類に近かった気がしたのだ。恐らく命令すれば世界征服だろうと行動に移した事だろう。

 遥か過去を思い浮かべ、冗談になってないなとアカネは首を横に振った。

 

「? 何かあったのですか?」

「ああ、いえ、何もありませんよ。そろそろ結界を解除しますか」

 

 結界。それはこの道場内に張られているチャクラを外に漏らさない為の防壁である。

 これのおかげでアカネが全力でチャクラを練っても道場外の者には気付かれないだろう。数秒間は、という条件が付くが。

 全力でチャクラを練って開放などすれば、まず道場が崩壊し、そして結界が吹き飛び、その後屋敷に甚大な被害が出るだろう。

 

 ヒアシもそこまでの力をアカネが持っているとは想像だにしていないが、それが木ノ葉の三忍の力なのである。

 千手柱間とうちはマダラが全力で闘った時など地図を大きく書き換えなければならないほどの被害が出るのだ。山の一つや二つで済んだら御の字と言えるだろう。

 もっとも、それを知っている者はこの世でも一握りしか残っていないが。大半にお伽話の類と思われている嘘の様な本当の話であった。

 

 結界を解除し、普段の立場である日向当主とその付き人へと戻る二人。

 そんな二人の前に一人の少女……いや、幼女が現れた。

 

「ち、ちちうえ、アカネねえさま、おつかれさまです……」

 

 どこか自信無さげに話し掛けるこの少女の名は日向ヒナタ。ヒアシの娘であり、後の日向当主となる予定の宗家の嫡子である。

 一年近く前から父であるヒアシの付き人となったアカネとも当然交流があり、物心付く頃から一緒にいたのでアカネの事を姉として慕っているようだ。

 アカネとしても自分を慕ってくれる年下の少女を本当の妹のように愛おしく思っていた。

 

「うむ……」

「ヒナタ様もお勉強をなされていたのですね。お疲れ様でした」

 

 ヒナタは現在二歳――もうすぐ三歳になるが――だ。日向の宗家ならばそれくらいの年齢から色々と教育されるのだ。

 幼い頃からの英才教育が後の当主を作り出す事になる。……全ての人間が英才教育を受けたからと言って才能の花が開く事はないのだが。

 

「あの、アカネねえさまは……きょうはとまっていかれるのですか?」

「それは……」

 

 何処か期待を籠めた様なヒナタの瞳を見て、アカネはちらりとヒアシに視線を送る。

 ヒアシはそれに気付き、若干諦めた様に頷いた。

 

「構わん。今日は疲れただろう。アカネよ、今日の所は屋敷にて逗留する事を許す」

「ありがとうございますヒアシ様。お言葉に甘えさせて頂きます」

 

 二人の会話を聞いて、ヒナタはその顔に歳相応の笑顔を咲かせた。

 

「じゃ、じゃあ、きょうもいっしょにねてくださいますか?」

「ええ、喜んで。今日はどの様なお話をいたしましょうか?」

「それじゃあ――」

 

 楽しそうに話している二人を見て、ヒアシも僅かに表情を崩す。

 ヒナタは初めて出来た我が子だ。当主として厳格な態度で接さなければならないが、それでも子が喜んでいるのを見て嬉しいと思うのは父として当たり前の感情だろう。

 だからこそ。子がいるからこそ理解出来る。我が子に呪印を刻まなければならないと思えば、それはどれ程の葛藤と苦しみがあるのか、と。

 もちろんヒナタは宗家の人間ゆえに呪印を刻む事は特別な理由がない限りはあり得ないし、例え我が子に呪印を刻まれる分家の者の思いを理解したとしても、伝統にして日向を守る為に必要なこの儀を止めるつもりもない。

 だが、双子の弟であるヒザシの息子に呪印を刻む日が近づいていると思うと、僅かに感傷的になってしまったのだ。

 もうすぐヒナタは三歳の誕生日を迎える。その目出度い日に、ヒザシの息子・日向ネジは呪印を刻まれるだろう。宗家を守る為の道具という役目を与えられる為に。

 その日を思い、ヒアシはある決意をした。

 

 

 

 

 

 

 この日、木ノ葉は記念すべき日を迎えていた。

 忍五大国の一つ、雷の国にある雲隠れの里との間に同盟条約が結ばれる事になり、木ノ葉では来訪した雲隠れの忍頭を歓迎する盛大なセレモニーを行っていたのだ。

 長年木ノ葉と争っていた雲隠れと同盟という名の和解が出来たのだ。戦争が好きだという忍は少なく、平和を望む者達はその思いをセレモニーにて発露していた。

 

 だが、下忍から上忍に至るまでほぼ全ての忍が参加したそのセレモニーに、唯一参加していない一族があった。それが日向一族である。

 当然セレモニーに参加しなかったのには訳がある。その日は日向の嫡子である日向ヒナタの三歳の誕生日という記念すべき日だったのだ。

 全ての日向一族はヒナタを祝う席に参加していた。そこで初めて日向ネジと日向ヒナタは邂逅した。

 

 ネジが見たヒナタの印象は、自分よりも小さく可愛らしい子であった。ネジはこの時四歳であり、子どもらしい素直な感想と言えよう。

 そしてその感想を隣に立つ父ヒザシにも素直に小さな声で呟いた。

 

「かわいい子ですね父上」

 

 そんな息子の声に、ヒザシは浮かない顔をするだけで何も答える事が出来なかった。

 

「……」

「……どうしたのです父上?」

 

 父親の様子が可笑しい事に気付き、ネジは心配したように話し掛ける。だが、それに対してもヒザシは誤魔化すように何でもないと言う事しか出来なかった。

 尊敬し愛する父の想いはネジには理解出来ない。これから宗家に絶対服従の証を刻まれるなどネジは知りようもないのだ。

 

 日向ヒザシの根には宗家への憎しみの芽があった。双子として生まれ、実力もほぼ互角の兄ヒアシ。その兄に全てを持っていかれたのだ。

 生まれた順番が違えば当主となっていたのはヒザシだった。二人の違いは生まれた時間。それだけで、宗家と分家と言う超えられない壁を兄弟の間に築かれたのだ。

 兄として接してきたヒアシと対等の口を利く事はもうあり得ず、常に兄が上、弟は下という身分を強制される。

 

 ヒザシが双子の弟ではなく、普通に歳の離れた弟として生まれていれば諦めもついただろう。だが、僅かなのだ。本当に僅かな差で、ここまで大きな差が出来てしまったのだ。

 実力は互角と言われていたが、ヒザシは自分が兄より優れている自信があった。そしてそれは真実だ。二人が百回闘えば、その内六割はヒザシが勝利しただろう。

 だがその僅かな差は、数分あるかないかという産まれた時間の差という僅かな差に押し潰されたのだ。

 

 この境遇に立って、納得しない者は少なくないだろう。自分の方が当主に相応しいと吠える者は多くいるだろう。

 ヒザシもそれらの想いを抱いていた。だがそれを全て飲み込んだのだ。宗家が争って日向に利する事など一つとしてない。それを理解しているヒザシは自分の想いよりも一族を重視したのだ。

 

 だが、同じ想いを子どもにも背負わせるとなれば話は別だった。

 父親の目から見てもネジの才能は別格だった。日向の天凛を授かって産まれたとすら言えるだろう、そう言える程の片鱗を齢四歳にしてネジは見せていた。

 このままネジが育っていけば、自分を超えて日向の歴史上でも数える程の実力者に育つだろう。それほどの確信がヒザシにはあった。

 だがその才覚も分家の身として産まれた瞬間に、宗家に全て捧げる事が決定してしまった。それがヒザシは悔しかった。

 

 自分の事ならば想いを飲み込む事が出来た。だが我が子となれば親としての想いがまた出てくるのだ。それが親と言うものなのだろう。

 何故宗家よりも優れているネジが分家の身に甘んじなければならない? 何故宗家の為に命を捨てる覚悟を持たなければならない? なぜ? そんな思いがヒザシの内心を回り巡る。

 いや、宗家がネジよりも優れているならばこんな想いも抱かなかっただろう。だが、お世辞にも宗家の嫡子たるヒナタに才能があるとは言えなかった。

 ヒザシがヒナタを見た事は数回しかないが、その数回でネジとヒナタの才能の差を理解出来るほどに二人の差は大きかった。それだけネジが優秀と言う事でもある。

 そんな劣る宗家の為に、日向の天凛たる我が子は生きねばならない。ネジの定めはヒナタを守り日向の血を絶やさない様に生きる事と決まっていた。ヒナタを守る為ならば死すら厭わない様に教育されるのだ。

 

 それをどうして許せる? どうして納得出来る? 何故自分が当主ではない? 当主であればネジにその様な生き方を強要する事はなかった。

 これらの考えはヒザシの中では小さな、しかし確かに残るしこりの様な物だ。平静を装えても、宗家に服従を誓っていても、決して消し切る事の出来ない想い。

 ヒザシは兄であるヒアシを恨んではいない。だが、宗家は恨んでいた。実力ではなく、産まれた順番ただそれだけで当主を決めた宗家を。

 

 そしてこれからネジに忌まわしい呪印が刻まれる。その事実がヒザシの中の宗家への恨みをより引き出していた。先程ネジの言葉に反応出来なかったのはその為だろう。

 

「……いや、何でもない……」

 

 宗家への恨みと、どうしようもないという諦め。二つの相反する感情は、諦めが勝った。

 宗家に逆らう事は出来ず、逆らった所で呪印にて罰せられるのみ。そしてその罰は……死だ。

 ネジを残して無駄死にをする訳にもいかず、ヒザシは全てを諦観するしかなかった。

 

 だが、そこでヒザシに思いもよらない出来事が起こった。

 

「ヒザシよ。ネジを預かる前にお前に用がある。付いて来い」

「え? あ、はい!」

 

 このままネジの呪印を刻む儀式を行うのだと思っていたヒザシに取って、その言葉は予想外だった。

 一体どの様な用があるというのか。疑問に思うも宗家の命令に従うしかないヒザシは無言で進むヒアシの後を付いていく。

 

 そして到着したのは宗家の屋敷にある道場だった。ヒアシに付いて中に入ると、そこには一人の少女の姿があった。

 ヒザシにも覚えがある少女だ。齢三歳にしてヒアシの付き人になるという日向の歴史でも異例の抜擢を受けた少女、日向アカネだ。

 先程はネジに日向の天凛があると思っていたし、それは真実だとヒザシは言える。だが、こと才能という点に置いてはアカネの方が上ではという考えはかつてからあった。

 生半可な才能で兄が分家の人間を傍に置くとは思っていないのだ。

 

 アカネは二人が道場内に入室してすぐに立ち上がり、一礼をしてから道場の端へと寄る。

 何故ここにアカネがいるのか、一体兄はどうして自分をここへ連れてきたのか、疑問ばかり募るが、ヒザシに出来る事はヒアシの言葉を待つだけだった。

 そして、ヒアシは驚愕の言葉を放った。

 

「ヒザシよ。今から私と決闘を行ってもらう」

「なっ!? 決闘!? 私と、ヒアシ様が!?」

 

 修行ならまだ分かる。かつては同じ宗家の一員として、兄弟としてよく共に鍛錬をした二人だ。

 だが決闘となれば話は別だ。分家の人間が宗家の、しかも当主に対して決闘をするなど許されるわけがない。

 例え決闘を行ったとしてもヒザシが本気で闘える訳もなく、それはヒアシも理解しているはずだ。

 

 だが、ヒアシはヒザシが更に驚愕する言葉を放ってきた。

 

「安心しろ。例え私に勝っても罰はない。いや、それどころか褒美すらやろう」

「ほ、褒美……ですか?」

「うむ……ヒザシよ。お前が勝てば日向当主の座はお前に譲る」

「なっ!?」

 

 それはヒザシにとって、いや日向の人間にとって爆弾級の発言だった。

 勝負に勝てば当主の座を譲る。そんなとんでもない当主交代の理由など聞いた事はない。恐らく日向の歴史上でもありえないだろう。

 

「それとも、別の褒美が良いか? ネジに呪印を刻まないというのはどうだ?」

「っ!!」

 

 ヒザシはここに来てようやくこれがヒアシの挑発なのだと理解した。

 全力で掛かって来い。それでも私は負けはしない。そうヒアシは言外に言っているのだ。

 

「……本気、なのですね」

「二言はない。お前が勝てばどちらでも好きな褒美を選ぶといい」

「……分かりました。全力でお相手いたします」

 

 ヒザシの思いが白眼となって現れる。勝ってやる。そんな思いがヒザシの中に溢れていた。

 ヒザシはこの勝負に勝ったとしてもヒアシが約束を守る事はないだろうとは思っていた。

 宗家は宗家、分家は分家だ。それが覆ることはない。先の言葉は自分に本気を出させる為の方便なのだろうと思っている。

 何の為にそんな事をするのか。そんな事はヒザシにはどうでも良かった。ヒアシに勝って、その天狗となった鼻を叩き折ってやる。当主の座はオレに相応しかったのだと教えてやる。

 それらの思いがヒザシを全力で勝負に挑ませた。

 

「後ろの者はこの決闘の見届け人だ」

「日向アカネと申します。此度の決闘の見届け人を承りました。よろしくお願いいたします」

 

 堂の入った挨拶に、ヒザシから放たれる圧力にも動じない態度だ。それだけでやはり只者ではないと窺えた。

 だが次の瞬間にはヒザシの中からアカネの存在は消えてなくなった。目の前にいるのは敬愛する兄にして憎むべき宗家の当主。

 そんな存在を相手に勝つにはその全てを持って集中して戦いに臨まなければならないのだから。

 

「それでは、両者前へ」

 

 アカネの言葉に従い二人が一定の距離まで近づく。すでにヒアシも白眼を発動している。両者とも臨戦体勢は完全の様だ。

 そして……決闘の合図が降りた。

 

「始め!」

 

 

 

 

 

 

「それまで!」

 

 勝負は決した。地に立つ者と地に倒れる者。一目見て明確な差が勝負の結果を表していた。

 勝ったのは……日向ヒアシだった。

 

「う、ぐ、ぅぅ……」

 

 数十の点穴を突かれ、チャクラを練る事も出来なくなったヒザシは全身の痛みに苦しみ呻く。

 そんな痛みの中、ヒザシは思う。この決闘になぜ負けたのか、と。

 いや、完敗だった。何故負けたと説明するならば完全に地力の差と言う他ないほどに、ぐうの音も出ない完敗だった。

 だからこそ解せない。自分と兄の実力差はここまでではなかったはずだ、と。むしろ、自分の方が若干だが強かったはずだ、と。

 油断はなかった。全身全霊で勝ちにいった。勝つという気概はあれど、気負ってはいなかった。気負って勝負を急いては勝つ事の出来ない実力者だと理解していたからだ。

 それでも負けた。自らの身分が分家の座に落ちてからも、いや落ちたからこそ一層の努力をして修行に励んできた。それでも……負けたのだ。

 

「ふ、ふふ……わ、たしの、負けですね……何をしても、宗家には勝てないのか……」

 

 ヒザシの心に去来するのは運命には抗いようがないという諦めだった。

 そんなヒザシの諦めの言葉に対して、ヒアシはそれを否定した。

 

「違うぞヒザシ。お前は宗家に負けたのではない。兄である私に負けたのだ」

「……え?」

 

 ヒアシが何を言っているのか、ヒザシには理解出来なかった。

 宗家と分家に別れてから今まで、ヒアシと兄弟として接してきた事はなかった。

 ヒアシは当主として、ヒザシは分家として振舞わなければならない為、二人の本心はどうあれ兄弟としての関係は終わったものだったのだ。

 少なくともヒザシはそう思っていた。いや、ヒアシも少し前までは同じ思いだった。

 

 ヒアシはヒザシに近づき点穴によるチャクラ封じを解除する。これで多少は楽になるし、チャクラを練る事も出来るだろう。

 そしてヒザシに対して見せた事もない様な笑みを浮かべてこう言った。

 

「どうだ。私の勝ちだぞヒザシ」

 

 それはヒザシが聞いた事もないヒアシの言葉だった。強気な態度を示していても、こんな風に自慢げに話す事はない人だった。

 だが、今のヒアシの表情は実に晴れ晴れとしており、そして何よりも楽しそうだった。

 呆気に取られているヒザシにヒアシは更に言葉を続ける。

 

「お前が当主になれなかったのは弟だからではない、私の方が強かったからだ」

「それは……!」

 

 その、一歩間違えれば嫌味としか受け取れない言葉を、何故かヒザシはヒアシの思いやりなのだと感じ取った。

 弟だから当主になれなかったのではない。私の方が強かったからお前は当主になれなかったのだ。だから、生まれを呪わず、前を向いて歩いてくれ。そう、言っている様に感じたのだ。

 上からの立場による言葉にも思えるだろう。あまりにも不器用な言葉だろう。だから余計にヒアシが真に自分の事を想ってくれているのだと理解が出来たのだ。不器用な兄らしいな、と思えたのだ。

 

「ヒザシ。辛いかもしれんが、ネジに呪印は通例通りに刻む。これは日向という家と血を守り、他里に白眼を渡す事を防ぎ里を守る為にも必要な事だ」

「……はい、承知しております」

 

 それは日向の分家として生まれた者には逃れられぬ運命。だが、それでも当主たるヒアシがその運命に対して僅かなりとも想うものがあると知れて、ヒザシは満足だった。

 

「すまぬな」

「ヒアシ様が謝られる事は……」

「これは当主としてではない。お前の……兄としての言葉だ。これくらい素直に受け取れ」

「っ!?」

 

 ヒアシの言葉の意味をヒザシは理解した。今は宗家と分家ではなく、一介の兄弟として接しろと。

 

「……いいんですか、兄さん?」

「……たった二人の兄弟だ。しきたりや伝統は守るべき物だが……誰もいない時くらいは、構わんだろう。そう思わないかヒザシ」

 

 一体何があったらあの厳格で強気で頑固な兄がこんなになるのだろうか。ヒザシはもしや偽者なのではと白眼を発動してそのチャクラや経絡系を調べた程だった。

 

「なぜ白眼を開く?」

「いや……偽者なのかなって」

「お前……!」

「はは……すまない兄さん、つい……」

 

 ヒザシは少しばかり不機嫌になった兄を見てこれはまずいと感じてすかさず謝罪する。

 だが、ヒアシは少し顔を顰めるもすぐに表情を柔らかく――ヒザシがギリギリそうだと思える程僅かにだが――して、それ以上は何も言ってこなかった。

 そんな兄を見て、やはりどこか変わったのだろうとヒザシは思う。娘であるヒナタが生まれ育っていった過程で何かあったのかと推測するが、しかしすぐにどうでもいいかと思いなおした。

 過程はともかく、今という結果は悪くはない。こうして再び兄弟として接する事が出来る様になれるとは思ってもいなかった。

 そう思うと、何処か清々しい物がヒザシの中に通って行った気がした。これまで募った宗家への恨みやしこりが吹き飛んで行くような、何かが。

 

 そうしてヒアシだけでなくヒザシも晴れ晴れとした表情になって、そこでふとヒザシは気付いた。

 兄は誰もいない時くらいは兄弟に戻ってもいいだろうと言っていたが、この道場にはヒアシとヒザシ以外にもう一人日向の人間がいる事に。

 その当の本人であるアカネは兄弟二人を見て、うんうんと頷いていた。ようやく兄弟が多少は元の関係に戻れた事を喜んでいる様である。

 

「兄さん、彼女は……?」

「む? ああ、アカネならば問題はない。この事を口外する様な奴ではない」

 

 ヒアシのアカネに対する信頼にヒザシは驚く。兄が子どもに対してここまでの信頼を見せるなんて思えなかったのだ。

 その疑問はヒアシにも、そして当然アカネにも察せられていた。ヒザシの疑問に気付いたアカネはヒアシへと目配りをする。

 それでアカネが何を言いたいのか理解したヒアシは、アカネに本当によろしいのですかと確認の為にしばらくアカネを見つめたが、アカネはそれに対して首を縦に振った。

 

「ヒザシよ。実は私は先程の決闘でずるをしていてな」

「ずる……ですか?」

 

 ずると言われてもヒザシには何の事だか分からなかった。

 先程の決闘は純粋に力と力、技と技のぶつかりあいであり、そして順当な力負けでヒザシは負けたのだ。宗家のみに伝わる秘伝なども使われておらず、そこにずるやイカサマなどが絡む要素はなかった様に思えた。

 

「うむ。実はな……」

 

 わざと答えを言わずに溜めを作るヒアシ。意外とエンターテイナーの気質もあるのかもしれない。

 

「実は、ここ一年ほど日向ヒヨリ様に稽古をつけられていてな。おかげで数段実力が上がったわ」

「なるほどヒヨリ様に稽古を。道理で強くなって……なって……は?」

 

 日向ヒヨリに稽古をつけられた。なるほど強くなるのも納得だ。……日向ヒヨリが生きていればの話だが。

 

「兄さん何を……!? まさか、当主としての激務や責任による心労が兄さんを祟って!」

「その言葉かなり不敬だと理解してるかお前?」 

 

 だが事情を知らない人間ならばヒザシの言葉に頷く者が殆どだろう。それほど荒唐無稽な事をヒアシは言ったのだから。

 

「だけど流石にそれは信じられない。せめてヒヨリ様本人を連れてきてくれない事には……」

「どうも、私が日向ヒヨリです」

「……え?」

 

 声に釣られて横を向くと、そこには日向ヒヨリのみに許された秘術・廻天を使用しているアカネの姿があった。

 チャクラは高速で回転しており、その勢いはあらゆる攻撃を弾くだろう。かつて幼い頃にヒヨリに見せてもらった秘奥技とまさに瓜二つだった。

 そして白眼にて捉えたアカネのチャクラは、まさに日向ヒヨリのチャクラそのものであった。

 

 

 

 事の顛末の全てを説明されたヒザシは納得しがたい超常現象を納得した。納得せざるを得ない物証の数々を見せ付けられては納得するしかあるまい。

 そして最後にヒアシが決闘終了後に晴れやかな笑顔を見せて実に嬉しそうに勝利を宣言していた理由も知る事が出来た。

 

「……この一年間。ヒヨリ様、もといアカネ様との勝負で一度たりとも勝つ事が出来なかったからな。久方ぶりの勝利に浮かれてしまったのだ。許せヒザシ」

 

 しれっとそんな風に言うヒアシ。ヒザシとしては別に怒ってはいないが、このヒアシがたった一つの勝利に浮かれるという事実の方が恐ろしかった。

 

(一体どれほど負け続ければあの兄さんがこうなるんだ?)

 

 それはもう大の大人が少女に負けて負けて負けて、負け続ければ勝ちに貪欲になりもするというものだ。

 相手が伝説の忍と理解していても、中身は少女ではないと言えど、だからと言って負けて仕方ないで済ませられる程ヒアシも歳を取ってないという事だ。

 

「さて、そろそろ戻るとしよう。いい加減ネジが待ちくたびれている事だろう」

「それは……そうですね」

 

 ネジの下に戻るという事はネジに呪印を刻むという事だ。ヒザシはそれを悲しく思うが、以前ほどではなかった。

 少しは前向きに物事を考えられる様になった証拠だろう。分家が宗家に尽くす事に変わりはないが、窮屈ながらも分家なりの自由があり、宗家にも宗家なりの窮屈さがあるのだ、と。

 こうして兄弟としてヒアシと向かえ合えてヒザシはそれに気付けた。ならば、兄が立派に宗家としての務めを果たしているならば、自分も分家としての務めを果たすだけだ。

 それがヒザシが開き直った結果辿り着いた境地である。

 

「ところで兄さん、お願いがあるんだけど」

「む? まあ、叶えられる程度なら聞こう」

「オレもアカネ様と一緒に修行をしてもいいんだよね?」

 

 ヒアシにとってそれは実に複雑な頼みだった。

 以前の様に共に修行に励める事は素直に嬉しく思う。だが今の優位性を縮められるのではという若干情けない思いもほんの僅かにだがあった。

 兄として常に弟より上にありたいという複雑な感情なのだ。かと言って断ると懐の小さい人間と思われるだろう。

 

「まあ、構わん。もちろんアカネ様の了承を得られたならの話だが」

 

 と、結局はそう言うしかないわけだ。 

 

「私は一向に構わん。というか、二人掛かりで相手をしてくれると嬉しいですね。そろそろ私も修行の段階を上げたいので」

 

 アカネとしても願ったり叶ったりな提案だ。ヒアシは十分な実力者だが、一人が相手では出来ない修行もある。それに二対一くらいならばハンデとしてはまだ足りないくらいだ。

 まあ、そう匂わせるような言動に、ヒアシとヒザシが反応しないわけがなかったが。

 

「ほほう。我ら二人を同時に相手にすると」

「いくらヒヨリ様とはいえ、怪我くらいは覚悟していただきますよ」

 

 二人から放たれるプレッシャーにニコニコと笑顔で応えるアカネ。それはもう嬉しそうに笑っていた。

 後日、二人が道場の床にへばりついていた姿があったが、結界のおかげで誰にも見られずに済んだようだ。

 

 




 日向ヒアシ「日向(ヒヨリ)は木ノ葉にて最強」

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