少女はよく、ふらりとひとりでに研究所内を出かけることがある。それは実験室であったり、食堂であったり、談話室であったり。百聞は一見に如かず。その言葉をよく理解していた。
「なんだァ?このちっこいのは」
そんな折。少女は見慣れない服を着た男と出会った。長く伸びた赤髪と、射るような鋭い目つきに口をきゅっと噤んだ。おとうさまみたい。頭の片隅で少女はそんなことを思いながらも、目は真っ直ぐとその男をみつめる。
「ガキはママんとこで乳でもしゃぶってな」
どこかの職員の子どもだと思ったのだろう。それにしてもひどい言いぐさだった。
「おかあさまのとこいかないです。いまからチョウサするですから」
「調査?」
「そう。わたしはザイリョウだから、ちゃんとエク……シ、ストになるべんきょうがひつようなのです」
被験体だったか。それにしちゃあ、小綺麗な格好をしているが。
不思議に思いながらもその赤い長髪に仮面で顔を半分隠した男、クロス・マリアンは少女に目線を合わせるためにしゃがみこみ、吸っていたタバコの煙を少女の顔に吹きかけた。少女は、わっぷと目を瞑り、その煙を吸ってごほごほと噎せた。それをクロスは満足そうに見やる。
テキだ!これがアクマ!!少女はすぐさまそう思い、男を倒そうと立ち向かった。もちろんすぐに首根っこを捕まれ、宙にぶらさがるのだが。
「あんなもん見なくても、俺がエクソシストたるものを教えてやるよ」
にやりと笑った男に、少女はきょとんとした顔をしたが、次の瞬間には、ぱぁっと顔を輝かせた。忙しいやつだとクロスはそれに笑みをこぼす。
場所を変えて話をしてみれば、少女のお父様とやらはここの偉い方らしく、来月には人体実験の被験者として提供されるらしい。それを何も悲しいことではないという風に話す少女に、クロスは目を細めた。とんだ井の中の蛙だ。外の世界の面白さを話してみるが、しかし少女はAKUMAとの戦闘の話の方が目を何倍も輝かせていた。その純粋さにクロスは狂気を感じた。立派な洗脳だ。それでも、次の季節が来れば弟が産まれると話す少女はただのガキだった。
死んだら弟に会えないから。だからエクソシストになりたい。そう零した少女にクロスは悟る。エクソシストになるか、死ぬか。その二択しか少女には与えられてはいない。少女はそれを理解しているのだ。やはりただのガキではないのかもしれん。クロスはふたたびその煙を少女に吹きかけた。
それから数回、クロスは少女を見つける度に話し相手になっていた。少女の知識には偏りと偏見があった。クロスはそれをつまんねぇ女だと吐き捨て、ありとあらゆる外の世界を教えた。それを世話係であるリンクに話すと大体、どこで覚えてきたんだと怒られるので聡い少女はそれを口外することはないのだが。しかしそれらは少女に夢を与えるには充分だった。少女の世界は広がっていた。
少女が被験者として連れ去られる日が近づくなか、クロスにも一つの長期任務が舞い込んだ。
「今日で最後だ。俺は明日から任務でここをでる。しばらくは帰ってこねぇ」
それを聞いて、少女は寂しさを覚えた。
「またあえるですか?」
「お前次第だろ」
くしゃりとその小さな頭を撫でる。少女は真っ直ぐな瞳をクロスへと向けた。
ぜひともその運命に打ち勝ってもらいたいものだ。クロスはそう思う反面、これで最後になるのだとも思っていた。エクソシスト人造計画はこれまで成功の兆しはない。
夢を与えるだけ与えて酷かもしれないが、少女がそれにあがらえると信じるには些か不確定要素が多かった。
「では、またおあいしましょう。ごぶうんを」
それでも少女はそんなことは露ほども知らず、クロスの膝によじ登ると、頬にかわいいキスを落とした。
「どこでそんなこと覚えてきたんだか」
「クロスげんすいですよ?」
お返しにとクロスも少女の額にキスを落とし、別れの挨拶を交わした。
***
クロスは少女の姿を見つけるなり、目をわずかに見開いた。対する少女はいたずらが成功したような年齢相応の笑みを浮かべ、あの時と同じようにクロスを真っ直ぐと見つめていた。
「お久しぶりです、クロス元帥。エレナ・ルベリエ。エクソシストです」
数年後。あの少女と再会を果たすなど、クロスは夢にも思っていなかった。
まさか。そんなこと。
信じ難い事実と奇跡の再会に、クロスは柄にもなく泣きそうになりながらも、口角を上げた。
「大したガキだ」
数年間、姿も見せず音沙汰もなかった罪は、お前の覚悟に免じて許してやろう。
クロスはあの時と同じように少女の頭をくしゃりと撫ぜながらその額へとキスを落とした。
もっとスマートに終わらせたかったなあ。