還らざる宙の海   作:阿月

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勝利者の目覚め

霊子と膨大なデータの海に沈んで、傍について自分を看取る相棒の穏やかな声を聞きながら、意識の融けゆく感覚にゆっくりと目を閉じた───それが彼女の最後の記憶のはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

ぱちり。

 

目を開いた先は、天井だった。

目が覚めた場所は、布団の中だった。

 

ごく普通の、朝の眩しい日差しとともに起きる感覚。ごく普通の、いや、自分にとってはごく普通などでは決してなかった、日常の一端。

 

───何が起きているんだ?

 

つい先ほど、ムーンセルの中で眠りという名の死を迎えた。迎えたはずだった。それなのにこうして目覚めている。どこなのかも分からない場所で。唐突な状況に起きたての脳みそが追いついていない。

 

とりあえず布団から身体を起こしてみた。胸元から布団がずり落ちて、シンプルな黒いジャージが見える。寝巻きだ。そして寝癖がついた髪の毛以外は、身体の状態はいたって良好。触ってみる限りではどこも不自由はしていない。

いったい全体、これはどういうことなのだろう?

首を傾げつつ、自分の寝ていた部屋を見回す。それはまるまるそっくり、自分とアーチャーが使っていた部屋と同じ内装だった。壁にはモデルガンと調理器具、床にはダンベルやら筋トレ器具、窓際にはトマトとナスの家庭菜園キット。しかし、この部屋自体があのムーンセルのマイルームだとは思えなかった。

少しざらざらしたような、あの校舎で感じた霊子の気配がまるでないのだ。そして触れる何もかも、作り物の感触とは少し異なっている。もしかしたらここは、月ではなく地上───地球なのかもしれない。

 

他にも何か情報はないかと布団から出て部屋の中を物色する。そのうちに、自分のものだと思しき日記を発見した。最後の日付は…二〇〇二年の一月二十四日。机の上にあったデジタル式の時計の日付は一月二十五日。

月での聖杯戦争が起きたのは少なくとも二〇三〇年以降だったはずだ。つまりここは聖杯戦争よりも過去の時間軸であり、本来の岸波白野が冷凍休眠される前の時間軸でもあるという事になる。タイムトラベルと呼ぶべきか、タイムリープと呼ぶべきか…どちらにせよ、何故NPCである岸波白野が生きているだけでなく過去に存在しているのだろうか。

 

するとその時、部屋の外から誰かがスリッパで廊下を駆けるような、パタパタとした音が聞こえてきた。不意に思い浮かべたのは、自分の最期まで傍にいた相棒───皮肉屋で奉仕体質な赤い弓兵の姿だ。そしてすぐにこの部屋にひとつしかないドアが開く。

 

 

 

「なんだ、起きていたのか。そろそろ支度をしないと遅刻するぞ」

 

 

 

───!?

 

ドアの前で仁王立ちをするエプロン姿は、想像していた姿とはまるで違っていた。開いた口が塞がらず、思わず目を剥いた。

 

 

 

「どうした。レオはもう準備が出来ているぞ。後はお前だけだ、白野。さっさと着替えてメシを食べに降りて来い」

 

 

 

その言葉にこっくりと首を縦に振ったのを確認してから、彼は───ユリウスはドアを閉めて去っていった。

 

ユリウス・ベルキスク・ハーウェイ。

西欧財閥のトップのハーウェイの家系に生まれながら家督を持たず、暗殺者として財閥の思想をただ義務的に守り続けてきた人物。かつて聖杯戦争で対戦し、彼は岸波白野に敗退したはずだった。…その後にまた色々とあったのだが結局彼は、消滅している。しかしこれはまたどういうことだ?

 

ますます意味が分からない。

が、いつまでも寝巻きのままでいるわけにもいかないので、クローゼットに用意されていた制服に着替える。聖杯戦争予選の役割(ロール)で着ていたものとはまた少し違っていた。ベストの胸元のエンブレムには"HOMURAHARA"と書いてある。

 

……月海原(つくみはら)ではないのか。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「おはようございます、白野さん。今日は珍しく支度が遅かったですね」

 

 

 

ダイニングのテーブルについて待っていたのは、赤い学生服ではなく同じ穂群原エンブレムの制服に身を包んだレオだった。

目の前に置かれた食器は空っぽなので、先に食事を済ませていることが分かる。微笑みをたたえながら声をかけてきた彼は、コーヒーマグを片手に新聞を読んでいた。その穏やかな様子は、自分の本来の立場やしがらみから解放された素直なレオの姿なのだろう。

 

レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。西欧財閥トップのハーウェイ家次期当主であり、ムーンセルでの聖杯戦争における優勝候補と言われた凄腕の魔術師であり霊子ハッカー。己を勝利を当然とする王と称したその堂々とした立ち居振る舞いは、穏やかな物腰とは裏腹に戦う前からこちらにずっと緊迫感を与え続けていた。しかし彼も聖杯戦争の決勝戦で、岸波白野に敗退して消滅している。

 

挨拶を返して満足そうに頷くレオを横目に、空いている席に座る。テーブルにはサラダとトーストと、少し焦げたハムエッグというスタンダードな朝食が並んでいた。

これを作ったのはもしかしなくても…

と、キッチンの方へ目を向ければ、エプロンを外しながら出てきたユリウスがため息をついて席に着いた。

 

 

 

「なんだ?文句があるなら食べなくても良いんだが」

 

 

 

いえ、めっそうもありません。

いただきます。

 

 

 

「残すなよ。レオ、読み終わったら国際か総合の面を上に」

「新聞の内容が講義で使われるんですか?」

「ああ」

「なるほど。でも今日の内容はあまり面白くないので、使うことを考えた場合、適当に外で買うのが良いかもしれません」

「そうか。ならそうさせてもらう」

 

 

 

食べている間に交わされる二人の会話は、レオに関しては年相応とは言い辛いが、ごく普通の兄弟の会話だった。月での二人の関係を知っているだけに少し奇妙だったけれど、でも悪くはないような気がした。

 

さっき見つけた日記を流し読んで分かった事だが、この二人は昨年から岸波白野の家に社会勉強のため、ホームステイをしているのだそうだ。期限はレオが高校を卒業するまでとある。ちなみにユリウスは大学生だ。

それからこの二人は月での記憶の通り、西欧財閥の跡取りではあるが、魔術師(ウィザード)ではないらしい。魔術師ではないのと同時に、彼らは月での記憶を持ち合わせていない事も会話を聞きながらなんとなく理解した。ある意味では、この二人は"魔術師として死んでいる"状態なのだろう。

 

 

頭の中で物事を整理しつつも会話をしながら食事を済ませる。それにしても朝食は美味しかった。残さずに食べて合掌。頷いたユリウスはさっさと食べ終わってカフェオレを飲んでいた。

 

 

 

「それじゃあ行きましょうか、白野さん」

 

 

 

レオが席を立つ。

それに倣って席を立ち、玄関に向かう。その動きはもうずっとそうしてきたかのように身体に染み付いていた。

 

 

 

「帰りが遅くなりそうなら連絡しろ。迎えに行く」

「ええ、お願いします。行ってきますね」

「ああ、いってらっしゃい」

 

 

 

知らない記憶が声にならない喜びの声をあげた、気がする。あの冷徹なユリウスからまさか、いってらっしゃいなんて言葉を聞けるとは思わなかった。

それでも聖杯戦争の、あの消える間際に友であることを認めてくれた彼の表情を思い出せば、自然と口元がほころぶのを感じる。

 

 

いってきます。

その一言に出来得る限り目一杯の気持ちを込めた。

 

 

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