還らざる宙の海   作:阿月

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幕間 少年E

 

 

突然鮮やかに色が付いた。

衛宮士郎が彼女に抱いた感想はそれだった。

 

 

行動を常に共にするような友人はいない、しかし決して孤独というわけではなく周りの空気に馴染むような、あまり良い言い方ではないが存在感の薄い生徒。そしていつからか士郎のように慎二から親友呼ばわりされていて、否定もしなければ何故か無駄に慎二の扱いが上手いという不思議な女子、というのが最初から抱いていたクラスメートである彼女の───岸波白野の印象だった。

 

士郎がそんな彼女に違和感を抱いたのは、年明けに学校が始まって少し経った頃だった。そして不意に廊下ですれ違った岸波に、冒頭の感想を抱く。

長い髪が風に靡いた。振り返る。彼女の足取りは軽い。

 

 

 

「岸波、」

 

 

 

呼び止めると、すぐにこちらを向いて首を傾げた。どうかしたのか、と聞き返す彼女に、士郎は口ごもった。

 

何か用事があるわけではない。かといって、用がなくても気安く呼び止めて会話が出来るほど、士郎と岸波には驚くほど接点がなかった。強いて言うなら、慎二を介して間接的な友達であるということくらいか。そうでなければただのクラスメートなのだ、義務的な用事がなければ話しかけることもない。さあ、どうしたものか。

そこまで考えてふと岸波を見下ろす。黒茶色の目は士郎から逸らされていて、何故か焦りが見えていた。…ような気がする。その焦りが、士郎に違和感を与えていた。

 

 

 

「…岸波?」

 

 

 

気遣いを孕んだ声色に反応して、岸波は肩を震わせた。すまない、なんでもない、それで何か用か?と続ける。確かに用はない、けれど。士郎は恐る恐る口を開いた。

 

 

 

「何か、あったのか?」

「?」

「いや、その、なんていうか、年明ける前と今で、少し岸波の様子が違うから、なんとなく気になってさ。特に、深い理由はないんだけど……」

 

 

 

漠然とした感覚。存在感の薄いクラスメートが、不意に士郎の視界に映りこむようになった。惚れたはれたの単純なことではなく、岸波白野というクラスメートの存在が突然大きく変わったように思えてならなかった。そう、まるで────いや、その先に続く言葉は、すんでのところで飲み込んだ。それはこの同じ学校で同じように生活している彼女にとっての、侮辱と取れなくもない言葉であったからだ。

 

まくし立てるような士郎の突然の言葉に、岸波は目を丸くしていた。注意深く反応を見ていると、口元に手を当てて何やら考え込んでいる。その目に映るのは動揺。図星なのだろうか?すると岸波はふるりとかぶりを振って、士郎と目を合わせる。

 

 

 

「気にしてくれてありがとう」

 

 

 

そう一言呟いて、ぎこちなくも僅かに口元をほころばせた。

どきりとする。士郎は無意識に汗をかいた手のひらを握り込んだ。

でも心配するほどのことは何もなかったから大丈夫だ、と続ける。そうか、と返すしか士郎に返答の選択肢は許されていなかった。その後、数秒の沈黙。どうしたものかというタイミングで、岸波の名前が遠くに呼ばれた。どうやら一緒に帰宅する予定の留学生が、声をかけにきたらしい。気まずさから解放されると思ったのは士郎だけではないらしく、岸波もほっと息を吐くのが見えた。

それじゃあ、と断って岸波が歩き出そうとするのをもう一度呼び止めた。

 

 

 

「あのさ」

 

 

 

どうしてなのかは分からない。

ただ、今はそう言わなければならないような気がした。

 

 

 

「困った事とかあれば慎二じゃなくても、言ってくれたら俺も相談に乗るから」

 

 

 

目を離したら、きっと彼女は。

 

 

 

「いや、そうじゃなくても…これからは話しかけてくれよ、いつでも」

 

 

 

彼女は、なぜか消えてしまうような気がするのだ。

 

衛宮士郎が知る限り、岸波白野は表情の変化に乏しい人物であった。どれだけ楽しみなことがあっても、どれだけ嫌なことがあっても、それを表情には出さないが空気によって醸し出すような人物だった。そんな彼女が、わらった。目に色を浮かべた。もしかしたら岸波と親しい人物──例えば、彼女の自宅にホームステイしているという留学生だとか──ならば、表情の変化くらい知っていたのかもしれないが。しかしたったそれだけの事が、一年近く岸波白野という人物と、深く関わらずとも同じ空間を共有してきた士郎には、ひどい違和感を持った事実として映ったのだ。

 

 

大げさだが例えるならそう、まるで───抜け殻の中に魂が宿ったかのように。

 

 

 

「ありがとう、衛宮。今度からはそうさせてもらう」

 

 

 

去り際に発せられたその言葉には確かに、色が付いていた。遠ざかる後ろ姿に手を振った士郎は、深々と息を吐く。

 

そして彼もまた、運命の夜を迎えることとなる。

 

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