還らざる宙の海   作:阿月

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欠けた記憶が泣く夢に

予鈴が鳴る。生徒達がまばらに教室を出て行く。今は放課後、時計は四時を示している。

 

 

地球で暮らし始めて、一週間が経過した。その中で、いくつか分かってきた事がある。

 

岸波白野が住んでいる土地…この街の名前は冬木という場所だった。レオが図書室で教えてくれた、月の聖杯戦争のモデルとなった"原点の聖杯戦争"が行われていた都市である。月の歴史が正しければこの土地の魔力は既に枯渇しているため、聖杯戦争は行われていないはずだが、実際にどうなっているのかは確かめようがないのが今の現状だ。

 

そしてもう一つ。この学校…穂群原学園に、月で共に戦った親友の遠坂凛と予選の学校生活において親友だった間桐慎二がいること、そしてその二人はレオ達と同じように月での記憶を持っていないという事が分かった。

しかし月での記憶はなくとも二人とも"岸波白野"とは友人だったらしく、会話をするには問題なかった。はじめからゼロだったわけではない。その事実があるだけでも充分に思えた。そんな二人とはたまに、一緒に昼食を摂っている。

 

 

束の間の日常。

ごくありふれた日常。

仮初めとは違った、触れ合うことの生々しさと、魂の伴った日常。

それは月で生まれた岸波白野が、決して手に入れられないと思っていたモノに違いなかった。

何故、と考え始めるとキリがない。与えられた原因も理由も見つからない。ならばせめて謳歌することくらいしか、自分に出来ることは何もない。少しの諦めと、しかし確かな喜びを持って、岸波白野はありふれた幸福な日常を過ごしていた。

 

 

下校支度を整え、教室を出る。部活動に所属していないので後は帰るのみだ。

 

 

 

「岸波、もう帰るのか?」

 

 

 

階段の手前、何やら書類の束を抱えた柳洞一成に声をかけられる。おそらく生徒会室に行くのだろう。投げられた問いには肯定を返したが、あまりに書類が重そうなので手伝おうかと付け加えれば、気持ちだけもらっておくと返された。

月の聖杯戦争において、予選でも本戦でもよく関わっていた人物なだけに、最初に見かけた時は他の生徒よりも少しだけフレンドリーに接してしまったがどうやら正解だったようで、今でもそうしている。

 

 

 

「今日はハーウェイと一緒ではないのか。珍しいな」

 

 

 

頷く。家を出る前に、今日は一緒に帰れないという事を理由と共に聞いていた。

 

 

「そうか。ではくれぐれも寄り道などせずに、気を付けて帰るんだぞ。最近は何かと物騒だからな」

 

 

 

───はーい、お母さん。

 

 

 

「こちらは真面目に言っているというのに…まったく」

 

 

 

器用に書類を片手で抱えて眼鏡を押し上げる一成は、ため息をついた後に笑った。彼の後ろ姿を見送ってから、今度こそ階段を降りる。

 

そういえば、この穂群原学園はあの月海原学園と内装がとてもよく似ていた。いや、似ているどころかほぼ同じである。違うところは精々、中庭に教会が建てられていないことくらいか。おそらくムーンセルが冬木の聖杯戦争を真似るにあたって、この学校も丸ごと真似たのかもしれない。

あんまり似ているものだから、教室に入ったり出たり、購買に行ったり、こうして階段を降りているだけでも────

 

 

 

「っ…、」

「!!」

 

 

 

既視感を、感じるのだ。

 

 

記憶しているよりもずっと短いすみれ色の髪と赤いリボン。

そしてふらりと、傾いていく身体。

ほとんど反射で、残り数段だった階段を飛ぶように駆け下りる。

(そうしなければならないと身体はとっくに知っていた。)

きっと思っている通りの、その女子生徒に向かって必死に腕を伸ばして。

(自分があの時そうしたと覚えているその限り。)

膝を擦りむきながらも、彼女の身体が床にぶつかるという間一髪のところで抱き留める。

(今度こそ守らなければと、脳がそう告げている。)

 

────ああ、また会えた。

 

何故だか無性に泣きたくなった。腕の中でか細く呼吸をする少女───間桐桜は、似て非なる別人だと分かっていても。

本戦中に何度も救われた、その事実だけではなく、記憶にない記憶と想いが、叫んでいる気がした。岸波白野は、心から彼女との再会を喜んでいる。けれどどうしてここまで気持ちが大きく振れるのか、それだけはどうしても分からなかった。

 

 

 

「あれ……わたし…、?」

 

 

 

うっすらと意識を取り戻した桜は、どう見ても顔色が悪かった。おそらく貧血だろう。とりあえず保健室に連れて行かなければと、桜の背と膝裏に腕を回し、足腰に力を入れて立ち上がる。

所謂、お姫様抱っこだ。

部屋に置かれたダンベルをオブジェにせず、ちゃんと実用していたせいか腕力は月にいた頃より少し上がっている。

 

帰宅する生徒の波から外れて保健室に向かう。

一階奥の見慣れた部屋の前に辿り着き、両手が塞がっているため仕方なく──想像の赤い弓兵の小言を聞きながら──ドアを足で開けると、保険医の先生は不在だった。とりあえずベッドに寝かせて、様子を見ることにしよう。

桜を適当なベッドに寝かせてシーツをかけてやる。シーツの中で桜がもぞりと寝返りを打ち、こちらを向いた。

 

 

 

「あの……ありがとうございました。助けて、くださって」

 

 

 

弱々しい声と、ぎこちなく笑おうとする桜。

 

そうしたかったからそうした。

こちらはいつかに沢山助けてもらった分を、"間桐桜"という人物に少しずつ返したいと思っただけなのだ。それよりも何よりも助けたいという事にただ必死だったのだが。

そんな様子に桜は恐る恐るといった風にまた口を開いた。

 

 

 

「すみません…もしかして、岸波さんですか…?」

「!」

「やっぱり……兄さんがよく話す人の特徴に、似てましたから」

 

 

 

…岸波白野のことを、よく話しているのか?あの慎二が?

 

普段あれだけ尖った態度をしているくせに、人の見ていないところでそういう事をするのだから、全く困った奴である。本当お前って奴は僕に比べて云々と頭の中でおしゃべりしているいつもの慎二を想像していれば、桜はくすくすと笑った。

 

 

 

「どんな人か会ってみたいと思っていたら…助けられちゃいました。本当、聞いてた通りの優しい人ですね」

 

 

 

なんだか、初めて会った人じゃないみたい。不思議です。

 

呟きながらも向けられる穏やかな笑顔。不意に胸の辺りからほんの少しこそばゆいような感覚がした。こんな平穏を、彼女と過ごす日々を、いつかどこかの時間の中で、求めていたような気さえしてくる。

桜の言葉に肯定も否定もせず、ただ黙って乱れないようにそっと髪を撫でてやれば、彼女の口はまた岸波白野の望む言葉を吐き出すのだ。

 

 

 

「あの…もしも、嫌じゃなかったら"センパイ"って、呼んでも良いですか?」

 

 

 

***

 

 

 

その後、日も暮れてきた辺りで、回復した桜を家まで送るべく外へ出ると、女生徒を連れた慎二を見かけた。何やら衛宮と話をしていたらしいが、不意にこちらに気付いて──主に隣に桜がいる事に驚き──どうしてお前達が一緒なんだと尋ねてきた。

先ほどの経緯をかいつまんで話し、これから桜を家まで送るところだ、と締めくくれば、慎二は眉間のシワを人差し指でほぐしながら何かをブツブツ呟く。すると突然、デートの約束をしていた女生徒に断りを入れてこちらの下校に着いてきたのだった。いつもの遠回しなおしゃべりを足して。

 

急遽三人で一緒に帰る事になり、途中までは桜も慎二に萎縮してぎこちなかったけれど、それでもなんとか二人の間を取り次いでいれば、岐路に着く頃にはそれなりに話せるようになっていた。慎二も慎二で、桜に気を遣ったのかいつもの慎二節を二割ほど抑えていた。やれば出来るじゃないか、なんてどこかのライダーのように背中を叩いてやりたくなったが、そこは我慢した。

 

 

 

「センパイ、今日はありがとうございました」

 

 

 

桜は丁寧に頭を下げる。

気にしなくて良いと言っているのにやはり律儀だ。

 

───体調が良くない時は無理をしないように。

 

 

 

「……はい、分かりま…いたっ!?」

 

 

 

意味深な間に思わずデコピンをしてしまった。全く、どこにいても桜はすぐに我慢してしまうらしい。そうだ、あの時だって何か身体に異変があったら我慢せずに言えと口酸っぱく言って───

 

 

──────────!

 

 

不意に強いノイズが走る。

……あの時、とはどの時の事だろう。上手く思い出せない。むしろ聖杯戦争の日々のいつの事を言おうとしたのか。聖杯戦争の記憶は全て覚えている。それ以外に"NPCの岸波白野"には記憶がないはずなのに、どこを探しても、桜にそう言ったという事実を持つ自分の記憶がない。

 

まだ岸波白野には取り戻していない/忘れている記憶がある…?

 

 

 

「…おい、どうしたんだよ」

 

 

 

慎二の声に我に返る。

なんでもない、と言ったのに慎二は訝しげにこちらをじろじろと見つめて、それから腕組みして鼻を鳴らした。

 

 

 

「フン…あと忘れてるかもしれないから教えてやるけど、週明けは課題のプリントの提出締め切りだからな。ま、僕は今日のうちに出したけど」

 

 

 

───はっ、

 

すっかり忘れていた。記憶の彼方に吹き飛んでいた。

呆れ顔の慎二の忠告に礼を言う。危うく補習行きになるところだった。プリントは学校に置きっぱなしだから、今から取りに行けば問題ないだろう。

 

 

 

「ふふ…兄さんとセンパイって、本当に仲良しなんですね」

「はあ?何言ってんの?…僕は天才だからね。一人くらい引き立て役の平凡なダチがいたって構わないと思っただけさ」

 

 

 

慎二、それ絶妙にデレが隠せていないぞ。

 

 

 

「っうるさい!お前はこれからプリント取りに行くんだろ!?だったらとっとと行っちゃえよ!」

 

 

 

真っ赤になりながら早口にまくし立てた言葉も、心配してくれているのが丸わかりだ。桜に視線をやると小さく肩をすくめている。

これ以上口を開くと今度こそ慎二の機嫌を損ねそうだったので、また来週、と声をかけてから来た道を引き返した。

 

日が暮れたせいで際立つ寒さに、外套の襟ぐりをかき合わせる。なんだか落ち着かない気分だ。

 

 

 

───さあ、選択の時だ。

 

 

 

聞こえないはずの彼の声が、どこか遠くで木霊した。

 

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