アーチャーと意図せぬ再会をしてから二日が経過した。そして今日は週が明けた月曜日。鬱屈とした気分で支度をしていると、見かねたユリウスが送ってくれると申し出てくれたので、ついそれに甘えた。
あの夜、帰ってきた岸波白野の様子があからさまに沈んでいるのに気付いたレオとユリウスは何があったのかしきりに尋ねてきたけれど、まさかサーヴァントの事を話すわけにも行かないのでお化けを見たのだと頑なに誤魔化した。分かりやすい嘘を見破りつつこれ以上口を割らないと悟った二人は、岸波白野が土日の両日を自室に引きこもって過ごしても何も言わないでいてくれた。
ため息をつけば、思い出すのは自分に向けられる殺気を纏った灰色の目。
聖杯戦争自体が無かったことになるなら、岸波白野との記憶が無くても何らおかしくはないのだ。そう、理解はしていた。していたのにも関わらずこの大打撃だ。それだけ、何もなかったまっさらな岸波白野の中で大きな存在として刻まれていたという事だろう。二日かけて冷静になろうとしたのにそれでも引きずってしまうくらいには、自分が思うよりもずっと大きい存在だったのだ。彼は。
次はないと言われた。もう一度彼の前に姿を見せたら最後、今度こそ殺されてしまうのだろう。何を話すわけでもないけれど、言葉を交わす事も許されないのはどことなく歯痒さを覚えた。
校門の前で降ろしてもらい、ユリウスと別れる。終始心配しているユリウスに何とか笑って、自分を叱咤しつつ校舎へ入った。すると見慣れた赤が、コートの裾を翻して振り返る。
「おはよう。今日は早いのね、白野」
凛だ。挨拶を返して、並んで階段を上がる。いつもはレオとゆっくり歩いて登校するので、こうして朝の時間に一緒になるのは珍しい。二言三言話しながら階段を上がっていると、凛に渡すものがある事を思い出して学生鞄を漁った。そして階段を上りきった場所で、なるべく外装を乱さないように包みを差し出す。
凛が差し出された包みに首を傾げるので、更にずいっと前に出しながら言葉を付け足した。
───誕生日おめでとう。
二月三日。学校のない日だったので当日に祝う事は叶わなかったが、プレゼントはあらかじめ用意してあったのだ。
「あ、ありがと…覚えててくれたんだ。ちょっと感心したわ」
受け取った凛はもじもじと包みの飾りを指先で弄った。凛が照れながらもごもご喋る時はかなり喜んでくれている証拠だ。渡して良かった。沈み続けていた気持ちが、ほんの少しだけ浮上する。
「随分早いんだな、遠坂、岸波。おはよう」
「なっ…!」
「?」
階段から聞こえてきた声に、あからさまに凛の空気が固まった…というか、凍りついた?とりあえず今の一瞬で凛の機嫌は急転直下、凄まじい勢いで落ちた事だけは分かった。
声の主である人物──衛宮士郎は挨拶のために片手をあげたまま、そんな凛を見て心底不思議そうな顔をしている。凛がぱくぱくと口を開閉させて、信じられないものを見るような目で衛宮を見返す。どうかしたのかと声をかける前に、衛宮を一睨みすると肩を怒らせてさっさと自分の教室に行ってしまった。
───この一瞬でどうやって凛の機嫌を損ねたんだ、衛宮。
「さあ…俺にもさっぱり分からない。どうしたんだろうな、遠坂」
眉間にしわを寄せて肩をすくめる衛宮に、いけしゃあしゃあと何を言うか、と出かけたがなんとか喉元でせき止めた。何が理由かは知らないが、十中八九あれは衛宮の行動のせいだという事くらい他人の岸波白野にも理解は出来る。しかし当人同士の問題に介入出来るほど何かを知っているわけではないので、それ以上は深く考えず、隣に並んだ衛宮に少し遅めの挨拶を返して一緒に教室に向かった。
衛宮士郎。
冬木で暮らし始めたその日に何かを察知して声をかけてくれて以来、岸波白野の数少ない友人の一人となってくれた人物。最近は専ら、慎二が女子に囲まれている時は大抵衛宮とお喋りをするのがお決まりになってきているほど、よく行動を共にしていた。
そんな衛宮はこちらの感情の機微に鋭く───
「…なあ岸波。お前、この土日に何かあったのか?いつもより元気ないぞ」
こうして、しょっちゅう尋ねてくるのだ。
初登校の日の時といい、何故か衛宮は岸波白野の変化をよく察知してくる。
言葉にされると思い出す殺気を孕んだアーチャーの目。
だがやはりレオ達の時と同様で馬鹿正直に答えるわけにもいかず、なんでもない気にするな、とはぐらかして教室のドアに手をかける。すると、その手を掴まれた。驚いてドアから手を離して衛宮の方を向けば、眉を寄せて強い視線でこちらを見つめていた。手は未だ掴まれている。
───衛宮、まさか怒っているのか?
「ああ、怒ってる。平気そうな顔も作れてないのに、平気そうに誤魔化そうとしてる岸波が気に入らない」
「!?」
「そんなに言い辛い事なのか?…留学生に関わってる事なら、聞いても内緒にするけど」
───ちょっと待て衛宮、君はあらぬ誤解をしている。レオは何も関係ない。
「そうか。留学生は関係ないけどなにかあったんだな?」
はっとして誘導尋問に呆気なく引っかかった自分の迂闊さに思わず唇を噛む。しかしそもそも、何故衛宮はここまで逃がさない姿勢で尋問をしてくるのか?少し友人の元気がないというだけで、ここまで相手に迫るものなのだろうか?
月の聖杯戦争の状況下でしか""を得た事がない身である"岸波白野"は、"学園生活における友人"としての接し方というものに少しばかり自信がない。答えをはぐらかし続けている自分が間違っているのだろうか?衛宮を見ていると、そんな気すらしてくる。
困惑と動揺が表に出たのか、衛宮はバツの悪い顔になったかと思うと鞄を持ったままの手で頬を掻いた。
「ご、ごめん、やりすぎた!そこまで困らせる気はなかったんだ。ただ…本当に、そんなに落ち込んでる岸波が珍しかったから、つい」
険しかった表情から、眉尻を下げて謝罪を連ねる。その様子を見てようやく理解した。衛宮はただ純粋に、岸波白野という友人を案じてくれていただけなのだ。違和感を感じた言動も、全てはこちらを心配していた故のものだ。
首を横に振って、ありがとう、と思ったままの言葉を伝える。すると気恥ずかしくなったのか、衛宮は少し赤面して明後日の方を向いてしまった。
微笑ましくなりながら、依然として繋がれっぱなしになっている手に視線を注ぐ。
すると、一気に頭の中が真っ白になった。どくんと大きく心臓の音が響く。
───あ、
「え?……あっ、悪い!その、いきなり掴んで!痛くなかったか?」
勢い良く離された手を見つめながら、黙って首を横に振る。衛宮は今度こそ分かりやすいくらいに赤面していた。
「な、中に入ろう!今日は一限から小テストあるから予習しとかないとな!」
そう言って衛宮は勢いよくドアを開けてさっさと中に入ってしまった。その後ろ姿を見送りながら、ほっと息を吐く。…よかった、動揺した理由を勘違いしてくれて。
思わず何もない左手を摩る。かつてそこにあった印を思い出すように。
まだ少し心臓が早い。背中にはあの夜と同じ、冷たい汗が流れているような感覚。ただの空目であればよかったけれど、あの至近距離で確認してしまえば見間違えようがない。
衛宮士郎は左手に令呪を持っていた。
それは即ち、彼が聖杯戦争に参加しているマスターの一人であるということに他ならない。
彼の令呪は一画消費されていた。ならば見えないところで、衛宮の戦いも既に始まっているのかもしれない。拳を握る。自ら、身を投じたのだろうか。形は違えど命を奪い合う、あの、心が擦り切れてしまいそうになる戦いに。
───何故。
そんな言葉が過る。彼はただの優しい人間だ。岸波白野を友人として、今も身を案じてくれた、誰かのために多くを尽くせるだけのただの優しい人間だ。…いや、決めつけるのはまだ早い。ありすのように、知らず知らずのうちに巻き込まれただけなのかもしれない。加えてどんな思惑があるにせよ、何の力も持たない岸波白野が干渉する事は出来ないのだ。考えても仕方がない。
深く息を吸って、吐き出す。頬をぴしゃりと叩いて、教室に足を踏み入れる。
脳裏を占める衛宮の事、それからアーチャーの事。悩みの種のうちの一つである彼に悟られてしまわぬよう、その日の岸波白野はいつも通りである事に努めた。