「クラムボンは……笑っ、た……うにゅ?」
古明地さとりは横目にちらと、その素っ頓狂な声の出所に意識を視線を向けた。
枕にしていたお燐の尻をぽんぽんと叩くと、人型のままにゃーんともぞもぞ身もだえをして、双尾を振った。
心を読むさとりとして、表層意識の言語化は知性の萌芽に欠かせぬものだと思考している。言語……言葉だ。うおーたー。水だ。かぷかぷと小首を傾げる空に童話やら絵本やらをくれてやったのはそもそもさとり自身である。三歩歩けばおゆはんを忘れる彼女に、何かしらの刺激になればというものだった。
軽い調子で読み下していた「ソフィーの世界」という本に指を挟んで空をじろじろと睨むように眺めた。彼女はぐでっと床に寝そべってだらしない格好で頁を捲っている。それはさとりもとやかく言えたものではない。枕代わりの黒猫は平和に昼寝できていればその扱いもやぶさかではなかった。背中がかゆいと思ったら主人が掻いてくれる。
もっとも、さとりを堕落させたのはお燐のぬくもりのみではなくって、常日頃は、彼女も、真面目腐って肩肘張って、机にしゃんと背筋を伸ばし書を開いていたのだ。当主たるに相応しい(と、自分では思っている)堂々とした姿だった。そんなふうにして、固い椅子にお尻をもじもじとさせるさとりの視界の隅で、まったくだらしなく空が転がっていたとして、彼女がどこか馬鹿々々しく感じるのも、無理はないだろうといえた。それならばいっそ私の方が見習ってみようかしらん、ふとした時にそう思い、そして試した。
おくうには勝てなかったよ。
爾来ライトな感じのノベルは、空に倣いぐでっと読むようになったのだ。お燐はペットなのだから枕程度は当然なのである。お燐は犠牲になったのだ……犠牲の犠牲、その犠牲に。
空はこちらに向き直り、さとりさまさとりさま、かにってなんですか、といった。
「茹でたら赤くなる生ものの事よ。鋏が二つあるの」
「うにゅ」
「食べたらおいしいと持て囃されるけど正直殻を剥く手間に見合ったものとは思えないわね」
「そうなんですか……」
それからも空は、びいどろって何ですか、陣取りごっこよ、やまなしって何ですか、山になる梨の事よ、幻燈って何ですか、あなたにはまだ早いわね……といったやりとりを数度繰り返してから、はあと息をついた。
そうなんですか、ありがとうございますさとり様。
それから、さとりの頭が乗っていた尻、汗で蒸れて夢現にお燐がにゃんにゃん唸っているのをちらっと見た。尾がさとりの熟れた頬をぺしりと叩く。視線に気づいたものか、地霊殿の主は、あら、といった。
「お空、もう読み終えたの」
「はい」
「なら、おいで」
腹筋を使って起き上がろうとして、起き上がれず、尻にむにっと手をついて体を起こした。
「交換しましょうか」
「はい!」
寄ってきたお空に分厚いリブみたいな本を渡してやって、代わりにあばらの浮き出たような薄い絵本を受け取った。毛の長い敷物の上でお空は嬉しそうににこりと笑い、うにゅにゅと鳴きながらまた床に寝っ転がった。はたして烏ならカァーとでも鳴くのではないかとも思ったが、俺は思ったが、おそらくどうでもいい事だった。
再び顔を下ろした時、さとりは肉枕が逃げ出した事を知った。覚り妖怪は基本的にどん臭い。やれやれとさとりは首を振った。
目を落とした、とてもとても美しい水面の青の下ではぷかぷかと、泡が浮かんでいる。