訓練をしていたら美月少尉に死ぬほど怒られた。
皆に混じって持久走をしていた所、何処からか血相を変えた美月少尉が凄まじい速度で走って来て、俺を見つけるなり「中尉ィッ!」と怒鳴り込んできた。少尉怖い、とても怖い。
零れる汗をそのままに荒い息を吐きながら美月少尉の説教を聞く、曰く「男性がこんな危険な事を」とか「もう少し男性なのだから、肌の露出を」とか言い出す。でも地面の上に座らせるのは駄目だと、
いやしかし、正直今のこの格好ですら暑いのだ、長袖なぞ着た日には死んでしまう。前の世界では半裸で訓練など当たり前だった、最悪局部さえ隠れていればパンツ一丁だろうが問題無い。
そう言ったら少尉は真顔で「乳首はどうするのですかッ!?」と怒鳴って来た。いや、別に乳首位どうでも良いよ、男の乳首なんて需要皆無でしょ、前の世界じゃ乳首パラダイスだったよ。
とか思いながらじっと少尉を見ていると、「うっ」と呻いたまま数歩後退る。
「あっ、駄目っ、鼻血が……」
熱気に当てられたのか、何だか視線が怪しいというか何と言うか。どことなく性欲を発散出来ない魅惑の人妻みたいな雰囲気を醸し出している少尉。
美月少尉の威厳が削がれていく、大丈夫なのか少尉。
少尉が怒鳴り込んできたため、現在訓練は一時中断となっている。俺の後方では固唾を呑んで経過を見守る部下たちが居た、自身の服を握りしめてウロウロしている者、何かを一心に天へと祈る者、親の仇を見る様な目を少尉に向ける者。共通しているのは皆一様にどこか俺の訓練参加を望んでいる様な……気がする。あくまで気がするだけだけれど。
「そ、そもそも何故中尉が部隊訓練に参加なさっているのですか!?」
美月少尉が鼻を抑えながらそんな事を叫ぶ。
いや何故も何も、俺の部隊なのだから俺が参加して当たり前だろう。何を馬鹿な事をと真顔で問えば、少尉は酷く驚いた顔をする。そして呆然と「中尉、今の今まで訓練に参加なさらなかったのに……」とか呟いた。
それに驚いたのは俺自身だ。
えっ、俺今日まで訓練に出て無かったの? じゃあ何していたの俺、ずっとデスクワークでもしていたの? それ軍人としてどうなのよ、中尉だよ俺? とか思ってしまった。
軽く自身の職務態度に絶望していると、ポケットからティッシュを取り出した少尉が乱雑に鼻血を止め、俺の手を掴んで言った。どうでも良いけどそれじゃあ折角の顔が台無しですよ。美人でも鼻にティッシュを詰め込んだ人は間抜けに見える、いや本当に。
「と、兎に角、男性保護法の規定に『男性を危険に晒す行為を禁ズ』と有ります! 訓練はこの規定に触れる可能性があるのです! ですから大人しく部屋で書類の作成でもしていて下さい! 広告塔は貴方なのですから!」
「えっ、何それ知らない、広告塔? 違う、それ違うッ! 俺の仕事じゃないよソレ、絶対違う!」
不穏な単語が聞こえたぞ今、何だ広告塔って、国防軍のプロパガンダに起用されているってか? 笑えん冗談だぞ!? でも男性が希少だという世界ならばあり得る、だから絶対嫌だ。最早上官の威厳とかプライドとか色々投げ捨てて逃走を開始する。しかし背後から迫った美月少尉が俺の服を掴んだ。
絶対行かない! 是が非でも戻って頂きます! グラウンドの中央にて美月少尉と俺の綱引きが開始される。普段ならば俺の圧勝だと言うのに、何だ美月少尉、筋力強くないか? 心なしか徐々に引き込まれている気がする。おかしい、ねぇ何でそんな細腕で俺の体を引っ張れるの。あっ、ちょ、まっ、破れる、破れちゃうから! ギチギチ言ってる! 繊維がギチギチ言ってるよ!
「み、美月少尉!」
残り数センチで俺の体勢が崩れる、或は服が四散するという寸前、俺の後方から声が上がる。それは他でも無い高橋曹長のモノだった。美月少尉の力が弱まり勝負は振り出しに戻る、そして声のする方へと顔を向ければ、息を荒げたまま直立不動の体勢を取る曹長の姿があった。
「高橋曹長、何か用か、悪いけれど今取り込み中で――」
「男性保護法の規定に関してなのですが、支部長の
やけにハッキリと口にする曹長、その頬は訓練後である為か紅潮している。曹長の言葉を聞き届けた美月少尉が露骨に顔を顰めた、しかも舌打ちまで零す。その反応を見るにどうやら本当らしい、男性労働基準法とやらは初耳だが、その監督官とやらが居ればある程度危険な事でも出来るという事か。
つまりその、御影中佐に許可を貰えれば良いのだな、と自分の中で希望を見出す。と言うか御影中佐とは一体誰だ、福島支部の支部長は寺島郷司大佐では無かったのか。六十後半でかなりのご老体だと言うのに化け物の様な肉体を誇る筋肉怪物。一度直々に訓練を受けた事があるが、あれはもはや拷問だったのを覚えている。それとホモである、ホモである、大事な事なので二度言った。
危うく尻を掘られる所だった同僚を俺は知っている。因みに愛人が居て名前はポンズ、アルベールビル・ヴィーナス=ポンズである。黒人で二メートル超えの巨漢であった。もうお前国防軍に入れよと思った、尚オネェである。体をクネクネさせながら「抱きしめてあげるわぁ~!」と叫び、ノッシノッシと二メートルの巨体で女走りをする存在であった。
仲間達からの愛称は「
「……えぇ、まぁそうですが、しかし中佐が許可を出すとは思え――」
「何事も挑戦だ少尉、さぁ行こう支部長室へ! 確か昨日遠征演習だったから事後処理で今日一日は支部に居る筈だ! アポイント無しで訪ねるのも非常識ではあるが、事が事だからな! さぁ行こう少尉! ゴーゴー!」
「えっ、あッ、ちょ、ちゅ、中尉ッ!?」
攻め時は今ぞとばかりに少尉の手を掴み、グラウンドに隣接された支部の中へと駆け足で向かう。その御影中佐とやらがどんな人物かは分からないが、前の世界の大佐がホモだったのだ、じゃあこっちの世界の中佐はユリだろう、多分(適当)。
ひんやりと冷たく心地よい少尉の手がどんどん熱くなり、じんわりと汗を滲ませる。ちらりと少尉を見てやれば、「ちゅ、中尉と、だ、だだ男性と手を、手をつな、つなッ!」と何やら顔を真っ赤にして目を泳がせている、ハハハ愛い愛い。
何だかこっちの世界に段々と染まって気がした気がしないでも無い、きっと気のせいだ多分。軍人生活ってこんなチャランポランだったっけ、ヤバイ何か自身の価値観が崩壊しつつある気がする。けれどまぁ新しい生活に適応する他無い、幸いな事にこの世界は男が生きやすい様になっている。どうせなら前向きに生きた方が建設的というモノだ、自由の定義は別として、な。
「許可できませんわね」
駄目でした。
支部長室の高級感溢れる椅子に座る女性、名を『
支部長本人は何と言うべきか、非常に美人でグラマスな方だった。前の世界の大佐がアレだった為、最悪ゴリラの様な女男が出て来る事も考えていたのだが、実際出てきたのはアニメや漫画から切り取って来た様な凄まじい妖艶の美女。もし彼女が前の世界で支部長を張っていたら、きっと部下の男どもは死に物狂いで訓練に励んだだろう、そんな確信に近い予想を抱く。
肉感的な足を見せつける様に組み直し、整った顔立ちを俺に向けながら支部長は否定の言葉を口にする。これで三十代後半だと言うのだから世の中分からない、そもそも中佐で三十代、それも支部長などとは、まさに俺とは住む世界が違う。
というか先程から少尉が支部長の胸部を恨めしそうに睨んでいた。いやまぁ、うん、分からんでもないが露骨すぎるから一度やめようか少尉殿。君はまだ若い、だからそう、まだ諦める時間じゃない、支部長の豊満な胸部と少尉の慎ましい胸部、どちらも需要が存在している、だから嘆く事は無いのだ。
「そもそも中尉、何故貴方は突然訓練に参加しようと思ったの?」
支部長から疑問が飛んでくる。どことなく熱い視線を向けられている気がした俺は、それに気付かないフリをしつつ「はっ」と声を上げた。
「恐れながら、元より自分の率いる部隊、上官である自身が訓練に参加するのは当然の事かと」
「でも、貴方今までは参加していなかったのでしょう?」
「考えを改めました、隊員の士気向上、また有事の際に最善の采配を行うには部下の日頃の訓練を目にしていなければならないかと思い至った次第です」
「ふぅん」
どこか疑わしそうな目を俺に向ける支部長、気持ちは分からないでも無い。昨日までサボタージュしていた人間が突然真人間になるなど、俺が逆の立場だったとしても疑う。そして視線をスライドさせた支部長が少尉を見た。
「少尉、貴女何か中尉に――」
「言っておりません」
どこか食い気味にそう答える少尉、上官に見せる態度としては最悪の部類だが支部長は気にしていないのか「そう」とだけ口にした。何と言うか、もしかして犬猿の仲だったりするのだろうか、この二人は。だとすればどうか俺を挟まずに喧嘩して欲しい、切実に。
「大体、訓練中に何かあったら上に怒られるのは私なのよ? 部屋で大人しく書類作業をするのは嫌?」
「いえ、その様な事は――」
「なら書類作業で満足して頂戴」
上官命令、しかも支部長からの指示ならば従う他無い。軍人と言うのはバリバリの縦社会、つまり上からの命令は絶対だ。しかしその命令が納得出来るモノかどうかは別、自分の意見が通らない状況で喜ぶ奴は居ない、現に俺は少しだけ不満気な表情をしてしまっていた。
「不満そうね」
支部長は俺の顔を見て、どこか面白そうな顔でそんな事を言う。その眼は俺の見間違いでなければ爛々と輝いている気がした。
「………どうしても、って言うなら、参加させてあげない事もないわ」
支部長がその表情を崩す事無く、そんな事を言って来る。例えそれが目の前につるされた餌だとしても、今の俺には食い付かずにはいられなかった。思わず身を乗り出して叫ぶ、隣からは驚愕の表情を張り付けた少尉が悲鳴を上げた。
「ッ、本当ですか!?」
「支部長!?」
俺が歓喜の声を上げ、少尉が非難の声色を吐き出す。それを真正面から受けた支部長が楽しそうに笑いながら、一枚の書類をデスクの上に取り出した。カラープリントされたソレを俺の目の前に滑らせる。
「代わりに、コレを承諾して頂戴」
目の前に突き出された紙、それを俺は手に取って内容に目を走らせる。隣で少尉がワタワタと何やら慌てているが、俺の視界には文字列しか入らない。そしてその内容とは―
―― 国防軍広報 密着! ウワサの男性士官! ぽろりもあるよ!
「うそやん」
ポロリって何ねん?
ゴールデンボール。