22:30 ホテル・シャングリラ テラスルーム
シャングリラのテラスから、既にゲスト全員が退園し終わったと思われるバーク内を見下ろす。
パーク内は未だにほんのりとした明るさに包まれていて、ささやかながらBGMも流れている。そして完全に無人になっているわけではなく、キャストが何人か歩ているのが見えた。きっとゲストがいなくなってから園内の整備を始めるのだろう。ご苦労様です。
「ふーっ、ふーっ」
そんな少々特別な光景を眺めながら、俺はテラスで一人カップ麺を啜っていた。先ほど楓より先にシャワーを浴びてから、階下の売店で買ってきたものである。
プロデューサー曰く『結局ですね。ホテルのレストランで食べるご馳走よりも、ひとしきり遊びまくって夜のホテルで食べるカップ麺が一番美味いんですよ』とのこと。
(確かに美味い……)
普段は俳優として体形の維持に努めているため、こんな時間にこういったものと食べることはしないが、たまにはこういうのもいいだろう。
「あーっ。旭君がいいもの食べてるーっ」
素朴なラーメンの味に舌鼓を打っていると、シャワーから上がった楓がテラスにやって来た。手にはディナーのときに飲み残したワインのボトルと二つのグラスを携えている。
「主演の舞台を控えてる俳優さんがいけないんだー」
「楓も食べるかー?」
「食べるー!」
案の定、咎めるような視線はただのポーズだったらしい。悪魔の囁きにあっさりと屈した楓は椅子を俺の隣に寄せるとニコニコ笑顔で座った。
容器と箸を渡すと嬉しそうにズルズルと麺を啜る楓。プライベートでもなければ『高垣楓』がカップ麺を食べている姿なんて見ることは出来ないだろう。
「んーっ」
美味しそうに食べる楓の表情を眺めつつ、彼女が持ってきたワインをグラスに注ぐ。
まるで異国のような雰囲気漂う非日常の空間で、こうして普段と変わらないことをしているのがなんだか不思議な感覚だった。
「……今度こそ、これで初日が終わるんだなぁ」
「こんなに楽しかった一日が、明日も続くなんて素敵ね」
コテンと頭を肩に乗せてくる楓。どうやら彼女はこの仕草がお気に入りのようで、俺も楓にこれをされるのが好きだった。
カップ麺の容器をテーブルに置き、ワイングラスを片手に傾けながら、お互いに空いた手を絡めあう。
昼間に世話しなく動き続けていたのがまるで噓のように、まるで止まってしまうのではないかと思うほどゆっくりとした時間が流れる。穏やかなBGMも相まって、思わずまどろんでしまいそうになるぐらい静かで穏やかだった。
「……もう寝ちゃう?」
耳元で囁かれる楓の声がくすぐったかった。
「その前に、しっかりと歯ぁ磨かないとな」
「芸能人は歯が命、だものね」
クスクスと額をくっつけ合いながら笑う。
だけど。その前に。
「「……………」」
お互いに言葉を交わすことなく、唇を近付ける。
お泊りのデートっていうのだから。
やっぱり、一日中イチャイチャしていたいのである。
「……見たか? 向かいのテラス」
「えぇ、見たわ、向かいのテラス」
「「……カップ麺うまそぉ……めっちゃ腹減って来た……」」
5:30 ホテル・シャングリラ テラスルーム
ピピピピピッ
「……………」
スマホのアラームの音に意識が浮上する。ただしこれは俺のスマホではなく、楓のスマホのアラームだった。
ダブルベッドのすぐ隣で寝ていた楓が起き上がって動き始める。俺は薄目を開けたまま、朝の支度を始めた楓の姿をじっと眺める。
既に見慣れ始めた光景。しかし何度でも見惚れてしまう姿。それを独り占めすることが出来る満足感に包まれながら、俺は再び目を閉じる。
「……また寝ちゃった。ふふっ、見ててもいいのに」
6:00 ホテル・シャングリラ テラスルーム
ピピピピピッ
再びアラームの音。今度は俺のスマホのアラームだった。
今度こそ俺が起きる時間となったため、一度大きく伸びをしてから身体を起こす。
「おはよう、旭君」
「おはよ、楓」
まだ身支度の途中である楓と挨拶をしてから、俺もベッドから降りて身支度を整える。
とはいえ男の身支度なんてたかがしれている。顔を洗って歯を磨いて髪を整えればハイ終わり。今日は寝起きの頭髪も素直だったため全く時間がかからなかった。
「……今日はちょっと暑くなるかもなぁ」
テレビをつけてニュースで天気を確認すると、今日の天気は快晴。日中の気温は初夏並みになるらしい。
楓の身支度が終われば、朝食である。
6:40 ホテル・シャングリラ レストラン『マーレ』
「それではごゆっくりお食事をお楽しみください」
「ありがとうございます」
テーブルへと案内してくれたキャストにお礼を言って見送ると、着席したばかりの席を立つ。
今日の朝食はあらかじめ予約をしておいたブッフェ。のんびりと食事をしていては入園のために並ぶのが遅くなりそうではあるが、今日はホテル宿泊特典として一般ゲストよりも少し早く入園することが出来るため、少し時間に余裕があるのだ。
「プロデューサーさんが言っていたみたいに、ホテルの部屋でおにぎり食べて並びに行くっていうのも面白そうだけどね」
「それもそうだが、折角のんびり出来る選択肢があるんだから」
楓と共にトレイを手に、朝食のメニューを選び始める。
「ご飯とみそ汁はなさそうだな」
「ひぃくんはいつも朝はパンでしょ?」
「いや、なんか旅行先の朝食は白米が食べたくなるんだよ」
「代わりにチキンライスとコンソメスープなんてどう?」
「代わりになるかなぁ」
「あっ」
そんな会話をしつつ気になった料理をトレイに乗せた皿に盛っていると、そんな声が背後から聞こえてきた。もしかして変装が不十分だったのかとドキリとしつつ、反応していないように見せかけて振り返ることなく身体を横に向け、こっそりと声の主を確認する。
そこにいたのは、長い黒髪に赤い眼鏡をかけた少女で……。
「あら、梨沙ちゃん。おはようございます」
「おはよう、楓」
昨日もロビーで見かけた、楓の同僚アイドルでもある的場梨沙ちゃんだった。
「そっか、君もここに泊まってたんだっけね」
「えっと、おはようございます」
「うん、おはよう」
同僚である楓に対しては年齢差があってもフランクな対応をする梨沙ちゃんだが、一応俺に対しては年下らしい反応をしてくれる。フランクな対応をされるほどの交流がないとも言える。
「梨沙ちゃんも今日は『マジックランド』?」
「えぇ。昨日に引き続き、パパと二人きりでデートなんだから!」
昨日も少し思ったことではあるのだが、母親はどうしたのだろうか……まさか留守番? 相当筋金入りだな、この子……。
「ふふっ、実は私たちもデートなの」
「いやそれは見れば分かるし……」
「それも、ただのデートじゃないのよ」
「?」
「実は……」
楓から今日の俺たちの予定を聞いた理沙ちゃんは、苦虫を嚙み潰したような表情になってしまった。
「えっと……マジ?」
「大マジよ。折角のマジックリゾートデートなんだもの、全力で楽しまないと」
「……………」
梨沙ちゃんの視線がチラリとこちらを向いた。言葉にしなくても『止めないの?』と言われていることが分かる。
「俺も最初は止めたよ。止めたんだけどさ……」
流石にこの年で
「可愛くおねだりされて断れなかったんだよ」
「……………」
梨沙ちゃんがなんとも言えない表情をしていたのは、きっと『男ってバカね』というという言葉と『アタシも似たように甘えるしなぁ』という言葉と『アタシもパパとそれしたい!』という言葉が全て喉の奥で渋滞を起こしたんだ結果なんだと思う。
「……まぁ、楽しんでらっしゃい」
「ふふっ、梨沙ちゃんもね」
年下の少女からあからさまに気を遣われしまった。
「のんびりご飯を食べるのもいいけど、移動と
「そうだな……」
今日も沢山動き回るのだから、ご飯はしっかりと食べておかないとな。
7:45 ホテル・シャングリラ テラスルーム
『お互いにせーので見せ合う』ために、楓は部屋で、俺は洗面所のドアを閉めてそれぞれ着替えをする。
「旭君、着替え終わりましたか?」
「あぁ、終わったよ」
ドア越しに聞こえてくる楓の声に返事をしながら、俺は鏡の中の自分の姿を見返して最終チェックをする。
「それじゃ、せーので行きますよ」
――せーの。
ガラッと引き戸を開き、お互いの姿を見せる。
俺は白のワイシャツに紺のスラックス。楓も白のブラウスに紺のスカート。それぞれが赤のネクタイと赤のリボンを付けて
「うふふっ、なんだか新鮮な気持ち」
……というか、偽物ではあるが
そう、楓からのお願いというのは『学生服デートをしよう』というものであった。
「うふふっ。話に聞いて一度やってみたかったのっ」
ルンルンと満足そうな笑顔を浮かべながら、楓はその場でクルリと回った。普段の楓ならばあまり履くことがないような短さのスカートがフワリと浮かぶ。髪の毛も後ろで一つにまとめているため、普段よりもさらに幼く見える。
「どう?」
「めちゃくちゃかわいい」
楓に問われて即答する。そう答える以外の選択肢は存在しなかった。
「ホント。舞台の上ならいざ知らず、この歳になってプライベートで学生服を着ることになるとはな……」
「旭君もかっこいいですよ」
「ありがと」
さぁ、マジックリゾートデート二日目の始まりだ。
「……ちなみに楓、覚悟してるよな?」
「……こ、こっそり飲むのはダメかしら?」
「学生服で飲酒はダメだろ」
「無念……」
「パパとママの学生服!?」
「二人とも、こんなレアな写真ずっと隠してたの!?」
「接写! 保存! 印刷!」
「コラム書いたって言ってたよね!? このときの写真使ってたりしない!?」
「「草の根分けても探し出す!」」