その1
「劇場に来るのは久しぶりだな」
「そうね……みんな元気かしら」
そんな会話をしつつ、俺と楓は劇場の中へ。ここはアイドル業界の中でもトップレベルの知名度を誇る765プロが運営するアイドル専用の劇場である。
「ようこそ765プロライブ
入り口を潜ると、大人にしてはやや小さめな影が俺たちを出迎えてくれた。
「お帰り楓ちゃん!」
「ただいま、このみちゃん」
楓の同僚にして同い年のアイドル、馬場このみ。今日の来訪を予め伝えてあったので、俺たちのことを出迎えるために待っていてくれたらしい。
「旭君もいらっしゃい。久しぶり」
「久しぶり、このみさん」
一通り挨拶の言葉を交わした後、妙にそわそわしているこのみさんに
「ほら、椛ちゃんもご挨拶して」
「あぅ」
「っ~! かっわいい~!」
俺と楓の間に生まれてきてくれた愛娘『椛』との初の対面に、このみさんはデレッと表情を蕩けさせた。
「初めまして椛ちゃ~ん! ママのお友だちのこのみお姉さんよ~!」
「あぶっ」
「うわ~! 手ぇちっちゃ! 顔ぷっくぷく! 生後何ヶ月だっけ!?」
「二ヶ月です」
「これがお出かけデビューなんですよ」
「そうなの!? 初めてのおでかけに劇場を選んでもらえるなんて光栄ね!」
「とはいえ流石に公演を客席で見るわけにはいかないので……」
「だいじょーぶ! 今日は特別に関係者専用の個室用意しておいたから! 公演中に泣こうがオムツ替えようが好きにしていいわよ!」
「本当にありがとうございます」
今日は定番の『産休育休中に産まれた子どもを連れて嫁の職場へと顔を出しに行く』というイベントなのだが、流石に
とりあえず、まだ開場前とはいえいつまでも劇場のロビーで立ち話するのもお互いに都合が悪いため、関係者以外立ち入り禁止エリアへと入って行く。
「それにしてもあっという間だったわねぇ、旭君と楓ちゃんが赤ちゃんこさせて産休入ったと思ったら、その赤ちゃんがもうお出かけできるぐらい大きくなってるんだから」
「こさえてっていう言い方ヤメい」
「このこの~」と肘で突いてくる悪い笑顔のこのみさんだが、こんな言い方をしつつも楓妊娠発覚時だけでなく俺たちの交際発覚時にも真っ先にこちら側の味方に付いてくれた人なので俺も頭が上がらない。
「あ、そーいえばなんだけど、今日劇場に出演する子たち、殆ど楓ちゃんが産休に入ってから来た子たちなのよね」
「あら、そうなの? 可奈ちゃんたちは?」
「外のお仕事。特に志保ちゃんなんて凄い楓ちゃんに会いたがってたから、めちゃくちゃ悔しそうな顔してたわよ」
「タイミングが合わなかったのね……残念」
「また劇場に顔を出す理由が出来たってことにしておこうぜ」
志保ちゃんは特に楓に懐いてくれていたので椛に会わせてあげたかった。また近い内に第二回を企画することにしよう。今度はしっかりと彼女の予定を聞いてから。
「というわけで、折角顔出しに来てくれたのに殆ど初めましてになっちゃってゴメンね」
「ううん、みんなそれだけアイドルのお仕事が順調っていうことだもの。それに復帰する前のご挨拶はしておきたかったし」
楓が活動していた頃に俺も何度か通らせてもらった通路を歩き、彼女たちアイドルの控室へと辿り着いた。
「さ、みんなお待ちかねよ」
そう言ってこのみさんは控室へのドアを開けた。
その2
「こんにちわー」
「お邪魔します」
このみさんが開けてくれたドアを潜って控室に入る。控室も俺が以前楓に連れられて入ったときと全く変わっておらず……変わったのは、俺たちのことを待ち構えていたアイドルの顔ぶれだった。
「楓姉さ~ん!」
そんな中で以前からの友人である莉緒さんが笑顔で駆け寄って来た。
「莉緒ちゃん、お久しぶりです」
「久しぶり~! も~よーやく楓姉さんの顔見れた~! 旭さんもお久しぶり!」
「あぁ、久しぶり、莉緒さん」
「ほら椛、莉緒お姉さんにもご挨拶しましょうね」
「あぅ」
「っ、きゃ~! かっわいい~! クリクリおめめ~!」
早速莉緒さんが楓の腕の中の椛にメロメロになっている中、顔を上げるとそんな俺たちの様子を遠巻きに窺っているアイドルたち。みんな楓の産休後に入って来た子たちである。
「初めまして。高垣楓の夫の神谷旭です」
「っ! は、初めまして! 最上静香です!」
「春日未来でーす!」
「伊吹翼でーす!」
一応、妻が所属する事務所のアイドルのことは把握している。この三人は一番最近アイドルになったばかりの新人ちゃんたちだ。
「わ~! 本物の高垣楓さんに本物の神谷旭さんだ~! 実在してた!」
「え、もしかして存在が疑われてた?」
「っ、未来! 失礼なこと言わない!」
「え~でも~」
「楓さんも旭さんもお話でしか聞いたことがなかったので、ちょっとだけ!」
「翼!」
なかなか愉快なトリオである。
「今はまだ育休期間中をお休みしてるけど、いずれアイドルの活動を再開したときはよろしく頼むね」
「勿論です!」
「そ、そんな、寧ろ私たちが高垣さんのお世話になることに……!」
「私、高垣さんと一緒のステージに立つの楽しみにしてたんです!」
三者三様の返答を微笑ましく思っていると、莉緒さんの可愛がりがひと段落澄済んだ楓が椛を連れてやってきた。
「初めまして。未来ちゃんと静香ちゃんと翼ちゃんよね? 高垣楓です。よろしくね」
「「「よろしくお願いします!」」」
「それと、もし良かったらこの子のこともよろしくね。椛ちゃんです」
「あぃ」
「「「うわ~!」」」
ついに新人ちゃん三人も椛にメロメロになってしまった。
「やはりウチの子は可愛いの天才だな……」
「茜ちゃんが聞いたら意を唱えそうね」
「おう望むところだ全力で相手してやるよ」
「拳は下ろして」
誰に何を言われようとも、やはり親は自分の子が一番可愛いのである。特にそれが愛する女性との間に産まれてくれた子ならば、余計にだ。
「……旭君の方は色々と大丈夫だった?」
「まぁ、そこそこです」
こそっとこのみさんに尋ねられ、俺は小さく肩を竦めた。
やはり現役のアイドルの結婚及び出産というものは、世間一般的には受け入れられづらいものだ。幸いにも楓と俺のファンには比較的穏健派が多かったため、俺たちのことを祝福してくれる声の方が多かった。
しかし、やはり全てというわけにはいかないのだ。
「仕事の方には大きく影響は出てません。しいて言うならば、未だ独身の舞台監督から恨み節を延々と聞かされるぐらいですかね」
「……そう」
「覚悟していたことです。楓が再び日の当たる場所に立てるようになるのであれば、俺はこのまま舞台を降りることも……」
「もし本当にそうなったとしたら、ウチに来なさい」
「え?」
驚いて振り返る。
「ウチの社長やプロデューサーさんとも話したのよ。あの346プロなら余程扱いは悪くないでしょうけど……もしそれでも何かあったら、765プロに来なさい。裏方の仕事を手伝ってもらうことにはなると思うけど、演技指導を中心に貴方の才能をちゃんと生かす形にしてあげる」
「……ありとうございます。楓だけじゃなくて他事務所の俺まで……」
「だからそーゆーのがよくないって言ってんの! 事務所なんて関係ない! 神谷旭だって、もう立派な765プロの身内なんだから!」
「………………」
本当にこの人には……いや、この事務所の人たちには頭が上がらない。
「ありがとうございます」
「それまではしっかりと頑張りなさいよ、お父さん」
その3
「………………」
瞑想、というほどのものではない。軽く目を閉じて気持ちを落ち着けているだけ。
今日は私が初めてステージに立つ日。ここ765プロ劇場で、私はアイドルとして正式にデビューするのだ。
(大丈夫、落ち着いていつもどおりやるだけ)
頭では分かっているし、気持ちも意外と落ち着いている。しかし何故だか、そわそわしてしまう。座り心地が悪いような、そんな気分。
ふぅと今一度深呼吸をすると、控室のドアがコンコンと叩かれた。
「どうぞ」
「失礼しまーす」
「……あっ!」
ドアを開いて入室してきた人物を見た途端、私の心のモヤモヤは吹き飛んだ。
「静香先生!」
「陣中見舞いに来てあげたわよ、椛。この子と一緒に」
「ありがとうございます!」
「あぅ」
「えへへ、来てくれてありがとうね」
静香先生が抱きかかえる赤ちゃんの顔を覗き込む。つい最近お出かけが解禁されたばかりの彼女は、母親である静香先生の腕の中できょとんとしていた。
「……ふふっ、なんだか不思議」
「何がですか?」
突然クスクスと笑い出した静香先生に首を傾げる。
「貴女は覚えていないでしょうけど、この子と同じぐらいのときに貴女も初めて劇場に来たのよ」
「えっ、そうなんですか?」
「えぇ、楓さんの腕に抱かれた貴女と初めて会ったのがそのとき。丁度私が今の貴女と同い年のときよ」
「えぇ!?」
なんというか、それは凄い不思議な偶然だった。
「そんな貴女がこうしてこの劇場でアイドルデビューするんだから……月日が流れるのは早いわね。私も歳を取ったわ」
「そんな、静香先生はまだまだお若いですよ。現役復帰は考えてないんですか?」
「やめてちょうだい、未来や翼じゃないんだから。……今の私に出来ることは、未来のアイドルの成長のお手伝いぐらいよ」
静香先生は小さく肩を竦めてから「それより」と優しい目で私を見た。
「そろそろ本番だけど、緊張してない?」
「……自分では緊張してないつもりでした。でも今こうして静香先生とお話して、スーッと肩が軽くなりました。多分緊張してたみたいです」
「そう、ならよかった。今日はご両親と妹さんも見に来てくれてるのよね?」
「はい。鮮烈なアイドルデビューを見せつけると豪語して家を出てきました!」
「ふふっ、私も期待してるわ」
うん、大丈夫、今度こそ本当の本当に大丈夫。
私は今日、この劇場で、お母さんや静香先生もステージに立った765プロ劇場で、アイドルデビューをする。
お母さんのようになれなくてもいい。静香先生のようになれなくてもいい。
私は『神谷旭』と『高垣楓』の娘、『神谷椛』。
未来のトップアイドルだ。
・神谷旭
本編時空とほぼ変化なし。
・高垣楓
765プロ劇場の歌姫と呼ばれていた世界線。
他のアイドルの加入タイミングとか深いことは考えてはいけない。
・神谷椛
幼き日からずっと通い続けた765プロ劇場のステージでアイドルデビューを果たす。
将来は勿論トップアイドルになる。