ハッピーバースデー!
「………………」
普段、撮影の現場でしか着ることがないタキシードに身を包み、俺は神父の前に立っている。チラリと視線だけを横に向けると、そこには純白のドレスに身を包み、真っ白なベールで顔を覆った楓が俺に寄り添うようにして立っていた。
神父がスッと静かに右手を挙げ、俺に問いかけた。
「新郎旭。貴方は新婦楓を妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」
「……誓います」
次に神父は楓に問いかける。
「新婦楓。貴女は新郎旭を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛を持って共に支えあうことを誓いますか?」
「はい、誓います」
俺たちが誓うと宣言すると、神父はニッコリと微笑み頷いた。
「それでは、誓いのキスを」
ゆっくりと楓と向き直る。
緊張によって微妙に手のひらが震えていたので、一度ギュッと力一杯握り締める。それに気付いたらしい楓はベールの向こうでクスクスと笑っており、俺も釣られて頬が緩んだ。
「……ホント、まるで夢みたいだ」
俺たちはこれから夫婦になろうとしている。
信じられない、とは言わない。けれどまるで夢見心地のような気分だった。
そんな俺に、ニッコリと楓は笑顔を浮かべた。
「でも残念。夢オチなの」
「………………はっ!?」
目を開くと、そこは自分の寝室だった。日は既に昇っているらしく、薄いカーテン越しに差し込む日差しによって部屋は薄明かるくなっていた。おかげで壁時計が現在時刻を午前四時だと示しているのが見て取れた。
カチカチと静かに響く時計の針の音を聞きながら、先ほどの夢の内容を思い出し、サッと全身の血の気が引いていくのを感じた。
――まさか、今までの全てが夢……!?
ハッとなって横を見る。
「……すぅ……すぅ……」
そこには同じベッドの上で横になり、まだスヤスヤと寝息を立てる楓の姿があった。
「……っはぁぁぁ~……」
安堵の息を溢すと、無意識に力を入れていたらしい全身の筋肉が弛緩する。
(勘弁してくれ……)
幸福な夢だったにも関わらず、心臓に悪いという意味では紛れもなく悪夢だった。これまで楓と築き上げてきた全てが夢だったとか、悪い冗談にも程がある。
「………………」
「んっ……」
目の前の楓の身体にギュッと抱き付いた。
少し体の位置を下げながら彼女の乳房の間に顔をうずめる。昨日の晩からお互いに一糸纏わぬ姿なので、視界は楓の真っ白な肌に埋め尽くされた。そのまま目を瞑ってスゥッと息を深く吸い込むと彼女の優しい香りが鼻孔を擽る。
……我ながら少々アレな行動ではあるが、たまに楓も同じようなことをしてくるのでお互い様だろう。寝ている間のイタズラは恋人同士の特権である。
とにかく今は、
「……旭君?」
頭の上から楓の声が聞こえた。
「あ、悪い、楓。起こしちゃったな」
「……ううん、大丈夫」
起きてしまったのならばこのイタズラタイムは終了である。
しかし離れようとしたが逆に頭を抱え込まれてしまい、先ほどよりも深く楓の胸元に顔をうずめることになった。若干息苦しいもののフニフニとした感触が心地好い。
今は時計が見えないが、多分目覚まし時計が鳴るまであと三十分ぐらいあるだろう。
「もうちょっとのんびりするか?」
「……起きましょうか」
「そうだな」
何せ今日は忙しい一日になるんだから。ならば朝ぐらいはゆっくり余裕を持って行動することにしよう。
名残惜しいが楓の胸元から離れて起き上がる。
俺が身体を起こすとかかっていたシーツがハラリと落ち、互いの裸体が顕になった。
「おはよう、楓」
「おはよう、旭君」
寝起きの口の中は雑菌だらけらしい。けれど愛する人の唇の誘惑には抗えず、覆い被さるように啄むようなキスをするのだった。
「っと」
フライパンが温まったことを確認してからコンコンと縁で卵にひびを入れ、そのまま片手で割る。この辺りは独身時代(正確には今も独身なのだが)に培った技術だ。そのまま塩コショウを振りながら菜箸で炒めながらしっかりと火を通してスクランブルエッグを作る。
しかし聞いたところによるとこれの料理名は炒り卵が正しいらしく、油やバターを溶かしたフライパンで半熟に炒めたものをスクランブルエッグというらしい。
最後に刻んだネギと紅生姜を入れて神谷流スクランブルエッグの完成。楓も気に入ってくれた我が家の味である。
さほど時間もかからず出来上がり、お皿に移していると丁度トースターに入れてあったパンが焼きあがる。後は同時進行していた野菜スープを仕上げて……と考えていると、パタパタと廊下からスリッパの音が聞こえてきた。
「ふぅ……お風呂お先にありがとう、旭君」
ダイニングキッチンに入って来たのは、お互いの汗などでベタついていた身体を洗うために朝風呂に入ってきた楓だ。後でもう一度着替えなければならないので、タンクトップに短パンというラフな格好である。
「もうすぐ朝飯出来るから、ちゃんと髪乾かして来いよ」
「乾かして欲しいなー?」
「自分でやりなさい」
ちなみに俺はとりあえず濡れタオルで軽く拭いてから朝食作りを始めたので、まだ入っていない。朝食を食い終わって楓が洗い物をしてくれている間に俺が入る、というのがいつもの流れだ。
コーヒーも淹れ終わり、二人揃って朝食を食べ始める。
テレビを点けると、やっていたのはちょうど天気予報。どうやら今日は一日快晴らしい。
「暑くなりそうだな」
「半袖の方がいいかしら」
「んー……いや、どうせ日中は建物の中だろうし、朝晩はまだ涼しいだろうから長袖の方がいいだろ。日焼け対策にもなるし」
「それもそうね」
それからジッと俺の口を注視しているところを見るに、多分やり返そうとか考えているのだろうが、甘い甘い。例え付いたとしても、こうやってサッと舌で取ってしまえば……。
「んっ」
……どうやら直接口で取ろうとしたらしい楓に舌を咥えられてしまった。随分と変則的なキスである。
「ふふっ、
「
人の舌を咥えたまま喋るんじゃない。
朝食を食べ終わると残るのは洗い物。作るのは俺だったので、洗い物は楓の番である。その間に今度は俺が風呂に入るのだが。
「………………」
「フンフンフフーン、フンフフー」
エプロンを着けてカチャカチャと洗い物をしている楓の後ろ姿を見ていたら、フツフツとイタズラ心が湧き上がってきた。
具体的に言うと、無性にセクハラがしたくなった。
お前は一体何を言っているのだと思われるだろうが、正直自分でも謎である。もしかしたら、
……などという理由付けで正当化して、行動に移る。
「んじゃ、俺も汗流してくるわ」
「いってらっしゃーい」
そう言いつつ、こちらに背を向けたままの楓の後ろへ静かに近寄る。
そして後ろを通り過ぎながら、スルリと彼女のお尻を撫でた。
「フンフフー……ひゃうっ!?」
薄手の短パン、そしてその下の下着に包まれた彼女の臀部は二枚の布越しとは思えないぐらい柔らかく、状況も相まって普段触れる機会がある彼女の身体とはまた違った感覚だった。
お互いの身体ならば知らないところがないぐらいの仲ではあるものの、不意打ちにお尻を撫でるという初めての行為は流石に驚いたらしい。ビクッと身体が跳ね上がり、真っ赤になった顔で振り返りながら珍しくキッと睨まれた。
「あ、旭君!? 何をっ……どうしたの?」
「……待ってくれ、色々とズルい……!」
ただ楓の「ひゃうっ!?」が可愛すぎたので、セクハラした俺の方がダメージを受けてその場に膝を突いてしまった。まさかこんなカウンターを喰らうとは思わなかった……。
「もうっ! そんなことしている暇があったら早くお風呂入ってきて!」
羞恥と若干のお怒りから顔が赤い楓に叱られつつ、フラフラと浴室へと向かうのだった。
「全くもう……旭君のエッチ」
「ゴメンって。ちょっとイタズラしてみたくなったんだよ」
俺は自分の身体を、楓は食器をそれぞれ洗い終え、寝室に戻って来た。勿論二度寝のためではなく、お互いに出かけるための着替えをするためだ。
しかしデートのときのように気合いを入れた服装ではなく、あくまでも外出用。何しろ
「このことは、後で瑞樹さんと早苗さんに報告させていただきます」
「やめてください。流石に
そんな会話をしながらお互いに背中合わせで着替える。温泉のときにも言ったが、流石に脱衣をまじまじと見られるのは気恥ずかしい。それに、着替え終わるまで相手の姿が見えず、振り返ると先ほどまでとは違う相手がいるというのも中々楽しいものなのだ。
もっとも、今日の着替えの
「よし、支度はオッケーだな。それじゃあ、出かける前の最終チェックするぞー」
「おー!」
「戸締り」
「オッケー!」
「ガスの元栓」
「オッケー!」
「財布と鍵」
「オッケー!」
廊下を歩きながら、やり残したことがないか二人で確認する。玄関に辿り着く頃には全てのチェックが終わっていた。
まず俺が先にスニーカーを履き、つま先をトントンとしている間に玄関に腰を下ろした楓がブーツを履き始める。パチパチと留め具をはめ終えた辺りで手を差し伸ばすと、その手をしっかりと掴んだ楓をそのまま引き上げた。
「……んっ」
そしてそのままの勢いで顔を寄せ合い、行ってきますのキスを済ませる。一緒に出掛けるときもこれをしており、更にはお帰りなさいのキスもするため、最早条件反射的に玄関でキスをしてしまうぐらいだ。おかげで以前楓が川島さんたちを家に連れてきたときも、彼女たちの目の前でしてしまった。その後勿論怒られた。
「……ふふっ、今日はあと何回キスするのかしら」
「さあな。ちなみに今ので日付が変わってからもう二十三回目だぞ」
「……数えてたの?」
「冗談だよ」
ただ大きく間違っている数字ではないと思う。朝起きて一回、食事中に一回、今の一回、そして日付が変わった直後の
という簡単な計算をしてみせると、楓は先ほどお尻を撫でたときよりも真っ赤になった。
「よし。……それじゃあ、行くか」
「……うん」
今日は、六月十四日。
高垣楓の二十六の誕生日であり――。
――俺と楓が『夫婦』になる日でもあった。
ちなみに誕生日のお祝いは日付が変わったと同時にこれでもかというぐらいにやった。「生まれてきてくれて、俺と出会ってくれてありがとう」と何度も唇を交わしたし、プレゼントとしてイヤリングも渡した。若干トリップ状態だった楓から別のものを要求されたりもしたが、それはまた別のお話。
そんなわけで、今からこうして二人で向かう先は当然式場である。事前準備は万全に済ませてあるとはいえ、新郎新婦は準備が多い。次点で俺たちの家族も早めに来て色々と手伝ってくれるが、俺の両親と奈緒のところには迎えの車が行っているだろうし、昨日の内に和歌山から来てもらっている楓の両親は近くのホテルに泊まってもらったから迎えは不要だろう。
今日は本当に忙しい一日になりそうだ。
「それじゃあ……って、楓?」
そろそろ行くかとドアノブに手を乗せると、更にその上から楓の手のひらが重ねられた。
「……次にこのドアを潜ってこの部屋に戻ってくるときには、私たちはもう夫婦なのよね」
「……そうだな」
式の後に市役所へ婚姻届を提出しに行くので、そのときには名実共に俺たちは『夫婦』になっているだろう。
「………………」
俺の手を止めてまでそれを言いたかった楓が何を考えているのか、残念ながら俺には察することが出来なかった。
でも、その気持ちは何となく分かるような気がした。
「……そうだ楓、出る前に誓いの言葉の練習しようか」
「誓いの言葉の練習……?」
コテンと首を傾げる楓をよそに、彼女の両手を取ると真っ正面から向き直った。
なんの変哲もない自宅の玄関。靴を履き、既に出る準備も済ませたこんな状況ではあるが。
今この一瞬だけ、ここが俺たちの晴れ舞台。
「新婦楓。貴女は新郎旭を、病めるときも健やかなるときも、変わらず愛することを誓ってくれますか?」
そう問いかけると楓はキョトンとした表情を見せ、次の瞬間にはパァッと顔を綻ばせた。
「……はい。私は、とってもカッコ良くて優しくて、ちょっとエッチなところもあるけど、いつも私の側にいてくれる太陽みたいに暖かな貴方を、愛すると誓います」
「エッチは余計だ」
男として健全な証拠だ。
「新郎旭。貴方は新婦楓を、病めるときも健やかなるときも、変わらず愛することを誓ってくれますか?」
「はい。私は、とても綺麗で可愛くて、お酒と駄洒落が好きな残念なところもあるけど、いつも私の側にいてくれる新緑のような優しい貴女を、愛すると誓います」
「……残念は余計です」
「褒め言葉だよ」
神様には式場で誓う。
だから今は目の前の愛する人に、その人に誓う。
そこから先は、言葉はいらない。
これまでも何度もしてきて、これからも何度もしていく、愛の誓いを――。
「――……なぁ、楓」
「……んー」
「いや、ホントにストップ。真面目な話」
目を瞑って文字通りキス待ち顔だった楓が不満そうに目を開ける。
「……なぁに」
「……その、だな……あの時計、秒針が動いてなくないか……?」
「……えっ」
朝、二人同じベッドで目覚め、同じテーブルを共にし、手を繋いで玄関のドアを潜る。それは今までもしてきたことで、今日という特別な日でもそれは変わることなく、そしてこれから先も決して変わらないであろう俺と楓の日常の一片。
これから先もずっと――。
「行くぞ楓!」
「うんっ!」
――
六月十四日
今日は私の二十六歳の誕生日であり、そして私と旭君の結婚式当日。
式に遅れそうになったり、私が投げたブーケを意外な人が取ったり、披露宴での瑞樹さんたちの出し物が凄かったり、本当に色々あった一日。絶対に忘れることのない最高の一日。
しかし今日一日に起きたことの詳細の書く前に、一つだけ書いておこう。
今日は旭君にプロポーズされてちょうど一年という節目でもあった。
今でもあのときのことは、瞼を閉じればすぐに思い出せる。私はお酒に酔っていたものの、それでも旭君と一緒にいたいという気持ちだけはハッキリとしていて……そしてその私の気持ちを言葉にしなくても旭君が分かってくれたことが嬉しかった。
そんな旭君と、ついに夫婦になった。
きっとこの喜びはどんなに言葉を書き連ねても、書き表せない。
だから、一言だけ。本当に一言だけ。
愛しているわ、旭君。
「……ん? 何コレ……って、もしかして母さんの日記!?」
『神谷旭』
主人公。楓さんメインの小説を書くと決め、あえて「楓さん」ではなく「楓」と呼称させるために同い年という設定にした。
俳優設定は『楓さんと同じ事務所で働く人間』かつ『アイドルと結婚しても不自然じゃない対等な立場』にしたかったので、この場合プロデューサーよりもこちらの方が適任ではないかと考えた。
名前の由来は12月で楓さんが少し触れたが、太陽から。名前を決める際、楓さんの名前が五行思想的には木行じゃないかと考えて「楓さんはきっと夫を立てるキャラだろう」と『木生火』から火行の名前にした。
名字は後付けで、奈緒を妹にしたかったから神谷に。第一話時点では誰を妹にするかは決めていなかったため、本当に名字無しだった。
楓さん、誕生日おめでとうございます! またこうして貴女の誕生日をお祝いすることが出来て、本当に嬉しいです!
しかし、それと同時にこの小説も最後のときを迎えることとなります。
週一で更新している他の小説と同時並行するために月一と決め、そして楓さんの誕生日を節目と決めて書き始めたこの小説。本当に一年ってのは長いようで短かったです。
本当に、こんなただの自己満足な小説に付き合っていただき、読んでくださっている方にも感謝しきれません。
それではまたいつか、別の小説で……。
――
――
……そんな馬鹿な話があるもんか!
一年こうして書いてきましたが、たかだか十三話+α程度では作者はサティスファクション出来ませんでした。
という訳でこれにて『本編』完結!
来月から始まる『番外編』を、どうぞよろしくお願いします!