そんなことより楓さん、お誕生日おめでとうございます!!
「ハッピバースデー、トゥーユー」
照明が落とされた部屋の中、ケーキの上に立った蝋燭の光がかすかに揺れる。
「ハッピバースデー、トゥーユー」
パチパチという手拍子に合わせて誕生日を祝う曲を歌うのは、楓ではなく俺。彼女たっての希望で、俺が歌うことになった。
「ハッピバースデー、ディア……楓」
名前を歌詞に入れるところで、ほんの少しだけカッコつけてみた。おめでとうという気持ちを込めて、そして何よりもこれまでと変わらぬ愛を込めて。
「ハッピバースデー……トゥー……ユー……」
歌い終わりスッと手で促すと、楓は小さく息を吸い込むと、ふぅっと勢いよく蝋燭の火を吹き消す。少々数が多いので一度に吹き消せるかどうか分からなかったが、今は一線を退いているもののそこは『世紀末歌姫』と称された彼女の肺活量である。見事一息で
途端に室内は真っ暗になるが、壁のスイッチのすぐ側で控えていたので、すぐに電気を点けて部屋を明るくした。
「おめでとう、楓」
「ありがとう、旭君。……ふふっ」
「ん?」
「旭君は相変わらず歌が上手くならないわね」
「ほっといてくれ」
生憎俺の技能は殆ど演技方面に振られてしまっているらしく、お世辞にも歌が上手いとは言えない。そもそも高垣楓と比べてしまったら誰だって下手くそだ。
「でも私のためだけに歌ってくれたのよね。……それだけで、とても幸せ」
「……ったく、初めから素直にそれだけ言っておけっての」
こいつめっと軽くコツンと額を小突く。それが何故か嬉しかったらしく、楓は額を抑えながらホニャッと笑った。
「よし、それじゃあケーキを切り分ける前に、プレゼントを――」
――うー……あー……!
渡すために寝室へ紙袋を取りに行こうとした俺の背中を、そんな声が引き止めた。
「……ふふっ、アナタもお誕生日をお祝いしてくれるの?」
楓の優しい声。
振り返ると、そこには俺にとっての『幸せ』が具現化したと言っても過言ではない光景が広がっていた。既に何ヶ月も見続けているその光景だが、未だに見飽きることが無い。それどころか、毎日毎時間毎秒と変化し続けるそれに一生見飽きることはないだろう。
「ありがとう、
腕の中に抱えた赤ん坊に微笑む楓。
――神谷椛。俺と楓の間に生まれた……生まれてきてくれた、愛娘である。
それは去年の八月、暑い夜だった。ベッドに入る前に日課の日記を書き終わり、過去の日記を読み返しながらクスクスと笑っていた楓が、突然苦痛に顔を歪めたのだ。
もしやと思い駆けよるとやはり陣痛が来たらしく、そのまま車に楓を乗せて行きつけの産婦人科へ。出来るだけ急ぎつつ、しかし楓とまだ見ぬ我が子が乗っているために人生で一番慎重な運転だったと思う。
そしてそのまま分娩室……ではなく、陣痛室と呼ばれる部屋へ。陣痛が来てからすぐに産まれるというわけではなく、何度か陣痛の波が来るらしいので、本格的に産気づくまではここで待機するらしい。
「今はどうだ?」
「少し落ち着いたわ」
それでも少しは痛むらしく、微笑む楓の額には脂汗が浮かんでいた。
「……ごめんな、立ち合い出来そうになくて」
「ううん、気にしないで」
立ち合いをしたい気持ちもあったのだが、生憎翌日は映画の撮影が入っていて休むことが出来ないのだ。
「せめてギリギリまでここに居させてくれ」
「無理しちゃだめよ? 疲れてる状態で帰りの車を運転して事故に遭ったら……」
「任せろ。そういうギリギリを見極めるのは得意だ」
「自慢にならないわよ」
もうっと怒ったような口調でクスクスと笑う楓。
とりあえず楓に陣痛が来たことを色々な人に連絡を入れる必要があるので、陣痛室を後にして携帯電話使用可能区域まで移動する。
真っ先に連絡を入れたのは楓の実家。夜分遅い時間ではあったが、電話を掛けるとお義母さんが出てくれた。突然の電話を謝罪した後、楓が産気づいて分娩室へと入ったことを伝える。お義母さんからは「長丁場になるだろから、貴方もしっかりと休みなさい」と、お義父さんからは「君に今出来ることは待つだけだ。でも無理だけはしないように」というお言葉を貰った。
次に連絡を入れたのはウチの実家だ。家の電話にかけると奈緒が出てくれて、楓が産気づいたことを伝えると夜も遅いというのに「えぇっ!?」という驚きの叫び声が聞こえてきたと同時にゴトッという低い音が響いた。どうやら受話器を取り落としたらしい。なんともまぁ奈緒らしい反応に思わずクスリと笑ってしまった。その後「ががが頑張れって伝えてくれ! ……が、頑張るのは兄貴もだからな!?」という応援の言葉を貰った。ちなみに両親からの言葉は殆ど楓の両親からの言葉と同じだったので割愛する。
お互いの肉親に連絡を済ませたところで、ようやく俺は346プロへと連絡を入れた。いくらアイドルとしての活動を休止しているからとはいえ、今でも楓は346プロに所属するアイドルなので、まずは彼女の担当プロデューサーに連絡をする。当然夜も遅い業務時間外だったが、彼女は短く「分かりました」「頑張ってください」と言ってくれた。
そして次は俺の担当プロデューサー。勿論休むという連絡ではなく、楓が分娩室に入ったがしっかりと仕事へは向かうという旨をキチンと話しておく。彼は「分かりました」と答えた後、「……お休みにしてあげることが出来ず、申し訳ありません」と謝られてしまった。勿論気にしていないと返した。
あと連絡を入れるべきところは……多分、川島さんや片桐さんたちぐらいか。彼女たちには電話ではなくメッセージアプリで「楓が産気づきました。今病院です」とグループメッセージを送ると、すぐに既読マークが付き、次々に彼女たちからの励ましのメッセージが送られてきた。
――ついに来たわね!
――頑張ってって伝えて!
――もーすぐパパとママだな☆
――楓さんもですけど、旭さんも頑張ってください。
川島さん・片桐さん・佐藤・三船さんからのメッセージ。楓の友人であり、今では俺の友人でもある四人からのメッセージに、家族たちからの言葉とはまた違う励ましになった。
「こんなもんかな……」
連絡をしておくべきところは思い付く限りしておいたから、これで大丈夫だろう。
「あっ! 神谷さん!」
「ん?」
陣痛室へと戻ろうとすると、看護師さんがやや慌てた様子でやって来た。
「奥さんの陣痛が始まりました! 今から分娩室へと向かいます!」
「えっ!?」
予想よりも早いそれに驚いてしまったが、こういうのは個人差もあるだろうから特別珍しいことでもないだろう。
看護師さんの後に続いて陣痛室へと戻ると、ちょうど楓がストレッチャーに乗せられて分娩室へと移動する最中だった。
「楓っ」
「旭君……」
苦痛に顔を歪める楓に、思わず自分も顔をしかめる。しかしここから先、俺に出来ることは何もない。
「………………」
思わず口から出かかった「頑張れ」という言葉を飲み込む。勿論それが悪い言葉だとは思わない。それでも、今彼女に俺の口からかけるべき言葉はそれじゃないと思ったのだ。
だから、楓の手を握り、一言だけ。
「いってらっしゃい」
「……いってきます。
「あぁ」
ピンポーン
「ん?」
椛が生まれた日のことを思い返していると、呼び鈴が鳴った。
時間としてはそろそろ夜の九時に近い。やや遅い時間帯の来客に、一体誰が来たのだろうかと首を傾げながらドアホンのカメラを覗き込む。
「……成程ね」
「旭君、誰が来たの?」
「サプライズゲスト」
「?」
『お邪魔しまーす! お誕生日おめでとー!』
やって来たのは、奈緒・凛ちゃん・加蓮ちゃん・川島さん・片桐さん・佐藤・三船さんの346プロのアイドルばかり七人という中々の大所帯だった。なんでも、仕事終わりにそのまま楓の誕生日をお祝いするために来てくれたらしい。
「こら、あんまり大きな声出さない」
「夜遅いですし……赤ちゃんもいますから……」
『あ、ごめんなさい……』
なおリビングにやってくると同時にそれなりに大きな声でおめでとうを言う一堂を川島さんと三船さんが諫めてくれた。
「みんな……来てくれたんですね」
「そりゃ楓ちゃんの誕生日を祝わないわけにはいかないでしょ!」
はいコレと大人組四人からの誕生日プレゼントであるワインボトルを、俺が代わりに片桐さんから受け取る。勿論授乳期間のため未だに禁酒中なので楓は飲むことが出来ないが、ワインなのでしばらく寝かして待つことにしよう。
「私たち三人からはこれを。これから暑くなりますけど、外に出て冷房で体が冷えるといけませんから」
凛ちゃんたちからのプレゼントは、パステルグリーンのストールだった。男の俺には少々理解できないが、なんでも女性は夏でも冷え性に悩まされるらしい。
「凛ちゃんたちも、夜遅くにわざわざありがとう」
「いえ」
「それに、一番来たがってた人がいますからね~」
こちらも楓の代わりに俺が受け取ると、加蓮ちゃんはニシシと笑って視線を横に逸らした。その視線を追っていくと――。
「……ふへへ~椛~、奈緒お姉ちゃんだぞ~」
――それはもうデレッデレに頬を緩ませた奈緒がいた。楓の腕の中の椛に向かって人差し指を差し出し、それを椛が握る様を見ながら幸せそうな笑みを浮かべていた。
「……なんというか、振り切れるところまで振り切っちゃってるよね、奈緒」
「早速叔母バカになってるなぁ」
「略したらオバカですね」
いやまぁ、娘を可愛がってくれるので親としては喜ばしいことなんだけど、正直ここまでデレるとは思ってなかった。最初は凛ちゃんや加蓮ちゃんに揶揄われるのが嫌で普通に接していたんだけど、あるときを境にそれが完全に吹っ切れてこんなことになってしまった。
「最近だと何かある度にスマホ開いて『これ昨日の椛! 可愛いだろ!?』って写真見せながら自慢してくるんですよ」
「……あぁ、それ俺が送ってる奴だな」
「旭さんが原因じゃないですか」
「いや、だって可愛いだろ?」
「おっとこの人も普通に親バカだった……」
親バカ上等。世界で一番愛している女性が産んでくれた、俺の子どもだ。可愛くないはずがないし、愛おしくないはずがない。
「きっと将来は、楓に似た美人になるぞ。……そうすると、俺は愛する楓と楓とよく似た愛する娘と共に日々を過ごすことになるのか……!」
「あ、親バカとかじゃなくてコイツただのバカだぞ☆」
「楓ちゃん、早速壊れてるあんな旦那を見て一言」
「可愛いですよね?」
「あ、既に楓ちゃんも手遅れだ……」
「これは若干抜けてる神谷の血に楓さんが染まったってことでいいのだろうか」
「割と最初から似たもの夫婦でしたよね、お二人は……」
「あうっ」
「「あ~椛は可愛いなぁ~……!」」
「この兄妹……」
「ふふっ」
「椛ちゃん見ててくれてありがとう、旭君」
「なんのなんの」
風呂上がりで上気した肌の楓が髪に残った水分を拭き取りながら、ソファーに座る俺の横に腰を下ろした。そろそろ暑くなってきてタンクトップに短パンというラフな格好の楓は、相変わらずの童顔も相まってとても経産婦には見えない若々しさだ。
椛は『赤ん坊は寝ることが仕事』という言葉を表すように、俺がゆっくりと動かし続けている揺り籠の中でくぅくぅと寝息を立てていた。
「今日はビックリしたけど、本当に嬉しかったわ……また何かみんなにお返ししないと」
「少なくとも、奈緒は椛を連れて実家に帰るだけで喜んでくれそうだな」
楓の誕生日をサプライズでお祝いしてくれたアイドルの面々は、夜も更けて明日も仕事があるので先ほど帰路に着いた。その際、未成年組を車で送ろうかと思ったのだが「誕生日の奥さんを一人にするとは何事だ!」と怒られてしまった。どうやら大人組がお金を出してタクシーで帰ったらしい。
「……不思議だな……まだ結婚してから二年しか経ってないんだよなぁ」
ついでに言うと、楓にプロポーズしてから今日でちょうど三年だ。プロポーズした日と結婚した日が楓の誕生日と同じなので、絶対に忘れることはない。
「あら、私はつい昨日のことのように思えるわ。……プロポーズの後に抱きしめてくれた旭君の暖かさ。結婚式で交わした旭君との誓いのキス。全部鮮明に覚えてる」
「むっ、俺だって覚えてるさ」
なんだったらここでそのキスを再現してやろうか、と楓の顎を軽く持ち上げると、逆に楓から唇を奪われてしまった。
眠っているとはいえ、目の前に娘がいる状況でのキスは少しだけ背徳感を覚えて背筋が震えた。それは楓も同じだったようで、彼女もビクリと体を震わせていた。
少しだけ深いキスを十秒ほど堪能し、唇を離す。
「……こんなもん、神の御前でやったら怒られただろうな」
「あら、仲が良い証拠として褒めてくれないかしら?」
クスクスと笑う楓の頭を「こいつめ」とやや乱暴に引き寄せる。彼女は抵抗することなく俺の肩にもたれかかるようにポスンと倒れ込んできた。
『幸せ』という言葉を、果たして何度口にしてきたことだろうか。
『幸せ』という言葉を、これから何度口にするのだろうか。
勿論そんなもの覚えてないし、これからも数えるつもりはない。いや、最初からそんなものに意味なんてない。
俺はこれまでもこれからも『幸せ』の中で生き続ける。楓が隣にいることが『幸せ』で、腕の中に椛がいることが『幸せ』で、二人が笑ってくれることが『幸せ』。覚える必要もなけば、数える必要もない。これから過ごす人生そのものが最初から『幸せ』に彩られた出来レースだ。
勿論、決して『幸せ』とは言いづらいことがこの先起こらないとは断言できない。それでも、この二人がいてくれるだけで、俺の『幸せ』はそれを上回ることだろう。
きっとこれが『幸せすぎて怖い』ってことだろう。
「……はぁ、怖いわ」
「ん?」
突然、楓がため息混じりにそんなことを呟いた。
「どうしたんだ?」
「……今日のケーキ、美味しかったわね」
「あぁ」
「……川島さんたちが買ってきてくれたケーキも、美味しかったわね」
「あぁ」
楓の言いたいことの意図が掴めず、首を傾げる。
一体何事だろうかと楓の顔を覗き込むと、彼女はやや恥ずかし気にツイッと視線を逸らした。
「……えっとね……椛ちゃんに授乳してると、私もお腹が空くの」
「まぁ、そうだろうな」
簡単に言えば自分のエネルギーを赤ちゃんに渡してるわけだからな。
「それで、その……最近少し食べる量が増えて……」
増える、と言っても昔の楓は小食だったし、寧ろ普通になったぐらいで――。
「……少しだけ、その……体重が……」
――ポツリと、呟いた。
「「………………」」
コチコチと時計の進む針の音だけが部屋に響く。
「……ぷっ」
「っ!? あ、旭君笑った!? 笑ったわね!?」
「くくくっ、そうだな、怖いな。今までの楓はずっと痩せすぎてたから、少し肉が付くのが怖いな。ケーキだけに、体重
寧ろ喜ばしいことじゃないかと笑っていると、揶揄われたこととお株を奪われたことで珍しく顔を真っ赤にした楓がポカポカと頭を殴って来た。
「い、今までは食べても太らなかったのっ! だからこれでもショックなのよっ!?」
「分かったから、ほら、椛が起きる」
「……ふんだっ」
プイッと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった楓を、後ろから抱きしめる。
「……楓」
「……何?」
「……幸せだな」
「……えぇ」
六月十四日
今日は私の二十八歳の誕生日。
当然昼間は旭君は仕事でいなかったが、帰りにケーキを買ってきてくれたので、そのまま椛ちゃんと三人でささやかながら誕生日会を開いた。一昨年こそ結婚式があったので出来なかったが、それまでモデル仲間や瑞樹さんたちが誕生日会と称した飲み会を開いてくれていたので、こうしたささやかな誕生日会は初めてだった。
ところが、なんと仕事終わりで瑞樹さん・早苗さん・心さん・美優さん、そして奈緒ちゃん・凛ちゃん・加蓮ちゃんたちがサプライズで遊びに来てくれた。プレゼントとしてワインやストールまで貰ってしまい、本当に嬉しかった。
こうして仲の良い友人だけでなく、愛する旭君がいて、愛する椛ちゃんがいる。
椛ちゃんが生まれて約十ヶ月、旭君と結婚して二年、旭君にプロポーズされてから三年。この三年間が、きっと今までの人生の中で最も幸せな期間だったと断言できる。
そしてその幸せな期間は、今後もずっと延長していくことになるだろう。
そう願うのではなく、そう断言する。
だから改めて、ここでも貴方たちへの愛を綴ります。
愛してるわ、旭君、椛ちゃん。
「……うわぁ……まさか日記の中までデレデレとは思わなかった……」
「椛ちゃん、どうしたの?」
「っ!? な、なんでもない!」
「?」
・神谷椛
名前を旭に寄せるか楓に寄せるか悩んだ結果、姓名判断サイトで中々よさそうな結果となったので椛を採用。
八月某日生まれ。八月の更新までには考えておきます。
ついにこの小説内で楓さんの誕生日をお祝いするのは三回目になります。
ホント、我ながら楓さんへの想い(あとノリと勢い)だけでよくここまでやってこれたものです。
これで今度こそネタ切れ! ……と言いたいところなのですが、娘が生まれたことで更にネタが思い付いてしまったというね。
というわけでまだ続きます! 三年目に突入です!
次回からは新たな登場人物として椛ちゃんを加えて彼女の成長を描きつつ、これまでどうように旭と楓さんをイチャコラさせていきたいと思います。
というわけで、また一年間よろしくお願いします。
そして最後にもう一度改めて。
楓さん、お誕生日おめでとうございます!