今年も楓さんと椛ちゃんと月ちゃんと、ついでに旭のことをよろしくお願いします。
「うーん……」
その日、朝起きてリビングへ行くと定位置でテレビにかじりついていた椛が何やら唸っていた。その膝の上には一歳三ヶ月になる月が座っており、一緒になってテレビを見ていた。間近に寄ってみるなんてこともせずに適切な距離を保っているので、特に注意などはしない。
「おはよう椛。朝からどうした?」
「お父さん、おはよう」
最近は「ちょっと子供っぽいからヤダ」と言って『パパ』と呼んでくれなくなった椛がこちらを振り返る。今日の髪型ははつむじ辺りで結んだポニーテールで、おそらく283プロの『アンティーカ』に所属する
「えっとねー……私は将来、どんな大人になってるのかなーって思ったの」
「ん?」
いきなりどうしたのだろうかと、一体何を観ていたのかとテレビを見てみる。椛が見ていたのだからそこに映っていたのはアイドルなのだが、その内容で合点がいった。
「なるほど、成人式ね」
世間では今日は『成人の日』と呼ばれる休日である。地域により差異はあるが、基本的に新成人をお祝いする成人式が行われる日だ。
椛が見ていたのは朝の情報番組で今日成人を迎える芸能人の特集をしており、そこに映っていたのが白瀬咲耶と同じく『アンティーカ』に所属する
「恋鐘ちゃんと結華ちゃんは今日から大人になるんでしょ? っていうことは、昨日まで子どもだったんでしょ? 全然見た目は変わらないのに、大人になるってどういうことなのかなって思ったの」
「大人ねぇ」
いやまぁ月岡恋鐘は身体的に子どもじゃないところが……。
「旭君、おはよう。朝ご飯取りに来ないと、下げちゃうわよ?」
「おはよう楓。今日も綺麗だよ」
「うふふ、ありがとう」
ニッコリと笑う楓から朝食の乗ったプレートを受け取る。いやぁやっぱり美人は凄いなぁ……これが怖いぐらいの笑顔ってやつなのだろう。
「? お父さん、どうかしたの?」
「いや、何でもないぞ」
俺の定位置のテーブルにプレートを置いて椅子に座ると、テレビの前から離れた椛がぴょこぴょことやって来て俺の対面に座った。一方でお姉ちゃんの膝の上から解放された月は、スイッチを押すと音が出るオモチャで一人遊びに興じていた。しばらくはあれで大人しいだろう。
「ねぇねぇ。お父さんは、私はどんな大人になると思う?」
「ん? 椛はアイドルになるんじゃないのか?」
これだけアイドルが好きで、さらに母親が『高垣楓』で、一応ついでに父親が『神谷旭』なのだ。親の贔屓目を抜きにしても可愛く歌も上手い。芸能人の知り合いも多く、八歳にして目標のためにはトコトン努力することが出来るストイックさも持ち合わせている。たびたび事務所の関係者から「それで……君のところの娘はいつアイドル部門に来るんだい?」と聞かれるぐらいなのだから、正直すぐにでもアイドルデビュー出来るだろう。
「んー……」
しかし当の本人は意外なことにそれほど乗り気じゃなさそうだった。
「確かにアイドルは好きだよ? みんな綺麗で可愛くてキラキラしてて、見てるだけで楽しくて幸せになるから。でも、それで自分がアイドルになるかどうかは別じゃないかなぁって思うの」
「でもアイドル好きのアイドルだっているだろ?」
先ほども映っていた三峰結華もそうだが、少々昔のアイドルになるが765にいた
「勿論、結華ちゃんや亜里沙ちゃんやみのり君のことを否定するわけじゃないけど……それは何か違う気がするんだ」
「ふむ」
きっと彼女なりに『アイドル』に対する複雑な想いがあるのだろう。
「椛ちゃんは、アイドルにならないの?」
キッチンから話を聞いていた楓が俺と椛のマグカップを持ってこちらのテーブルへとやって来た。楓からコーヒーが入ったマグカップを受け取ると、彼女はそのまま俺の隣の椅子に腰を下ろした。その際、ごく自然に椅子を少しだけ俺に寄せてくるのはおそらく無意識だろう。
「ならないって決めたわけじゃないし、なりたくないわけでもないんだけど……」
楓から受け取ったココアの入ったマグカップを両手で持ちながら、椛は「うーん……」と悩む。どうやら自分でもどう言葉にしていいのか迷っている様子だった。
「お母さん、椛ちゃんと一緒にステージに立ちたかったんだけどなぁ」
残念そうにボヤく楓。
「うっ……それはそれで凄い興味あるけど……」
憧れの『高垣楓』からの共演の要望に揺らぐ椛。しかしそれで即答しない辺り、相当悩んでいるということが分かった。
「……まぁ、椛はまだ八歳だ。十分に時間はあるんだから、存分に悩むといいさ」
「でも、もう八歳なんだよ? 千佳ちゃんや仁奈ちゃんも九歳でアイドルデビューしてるし……」
「目の前に十九歳でモデルからアイドルに転向した例がいるじゃないか」
俺の言葉にニッコリと笑ってヒラヒラと手を振る楓。それ以外にも川島さんのように二十歳を超えて幾ばくかしてからアイドルになった事例なんて、346プロの中を探しただけでも結構多い。
「椛には時間がある。勉強も真面目に頑張ってる。焦らなくても、椛なら何にだってなれるさ」
「……うん」
クシャクシャと頭を撫でてやると、椛は嬉しそうに目を細めた。
「………………」
そして何故かそれを見ていた楓がツイッと自分の頭を差し出してきた。
「あ、インディヴィジュアルズが出演した歌番組録画してあるんだったー」
そんな楓を見て空気を読んだ椛が退席した。なんというか、本当に出来た子であると嬉しく思うと同時に申し訳なさに胸が痛い。
「全く……」
娘に気を使わせるんじゃないよ、と折檻を兼ねてグシャグシャと楓の髪型を崩すように荒っぽく撫でる。しかし楓は逆にそれがお気に召してしまったようで、満足そうな笑みを浮かべていた。
そんな楓を可愛いと思いつつも少々イラッとしたので、今度は頬をつねる攻撃に移行したのだがこれも効果なし。両頬をいっぺんに引っ張られているにも関わらず、嬉しそうな顔をしている。
……まぁ、ちょっと俺も楽しくなってきてるから、その笑みも分からないでもない。
「……もーちょっと娘に気を使ってくれたら、完璧なお母さんとお父さんなんだけどな……」
「ねーねー、にゃー」
「そうだね月、猫さんの人形だねー」
録画を見ながら妹の遊び相手をしてくれている椛。俺と楓のどちらに似れば、あぁもいい子に育つのだろうか……。
さて、このまま楓とのスキンシップを楽しんだり、愛娘と一緒に過ごす祝日を満喫したいところではあるのだが、生憎今日は撮影が入っているため休日ではない。
楓が作ってくれた愛情あふれる朝食を食べ終え、支度をするために自室へと向かう。
「そうだ、椛」
その前に、ちょっと気になったことを椛に尋ねてみる。
「女優さんには興味ないか?」
お母さんに憧れてアイドルを目指すという将来を考えているのであれば、お父さんに憧れて女優を目指すという将来もあっていいのじゃないかという、淡い期待からくる質問だった。
「……え?」
「えっ」
「それで? 椛ちゃんはなんて?」
「……『女優業はアイドルになっても出来るから、わざわざならなくても……』って」
「「うわぁ……」」
テレビ局の楽屋に遊びに来た凛ちゃんと加蓮ちゃんが気の毒そうな声を出した。
なんというか、本人にその気は全くないんだろうけど、娘に自分の職業の存在意義を否定されるのは辛いものがある。
「いやまぁ確かに、私たちもアイドル時代に散々女優としての活動もしてきたから、椛ちゃんの言いたいことも分かるよ」
「映画の撮影とか色々やったもんね。……懐かしいなぁ『シン選組ガールズ』」
加蓮ちゃんが名前を出したそれは、確か当時346プロダクションで一番活躍していた『シンデレラプロジェクト』と『プロジェクトクローネ』の二つの部署が主体となって撮影した映画だったはずだ。新選組をアイドルたちでアレンジした時代劇で、凛ちゃんが土方歳三を、加蓮ちゃんが桂小五郎を演じて……奈緒は確か古高俊太郎だったか? 拷問に屈して自白する役だったが……我が妹ながらチョロすぎた……。
そんな『好きな人をバラす』というあまりにもあんまりな拷問により自白するという役どころを演じたことのある奈緒はというと――。
「……椛……なんでだ……一緒にアイドル……」
――椛がアイドルにならないかもしれないという可能性に絶望して打ちひしがれて机に突っ伏していた。多分俺や楓以上に『椛はアイドルになる』と信じて疑っていなかったのだろう。ショックの受け方がガチだった。
「もしかしたら楓さん以上に『椛ちゃんと舞台上で共演する』つもりだったのかもしれないね、奈緒」
いやまぁ可愛がってくれるのはありがたいんだけど。
「『自分の娘と』とかは思いつかないのな、お前は」
「「うっ……!?」」
奈緒に向けて放った言葉だったが、加蓮ちゃんの胸にも突き刺さったようだ。
「瑞樹さんや早苗さんみたいな例が身近にあるとはいえ、兄としてはそろそろいい人を見付けてもらいたいものだが」
「私はその……あ、アイドルだし……」
奈緒が何か言っていたので、そろそろ四年目になり結婚を考えていると公言している恋人がいる凛ちゃんをチョイチョイと指さすとそのまま押し黙ってしまった。
ホント、俺と楓が交際していた頃では考えられないぐらい芸能人の恋愛が寛容な世の中になったものである。
「私も、いい人がいたら結婚したいとは思うんだけどなー」
相変わらずファストフードのポテトが好きな加蓮ちゃんが、一つ摘まみながら嘆息する。その際、チラリとこちらを見たような気がしたが特に意味はないだろう。
「……ねぇ、旭さん。お願いしていーい?」
「……何をだよ」
「えっとね……」
既に二十八となり、そろそろ大人の色気というものが出てきた加蓮ちゃんのクスリという笑みに一瞬ドキリとしてしまい――。
「将来、椛ちゃんか月ちゃんをお嫁さんにちょーだい?」
「ダメに決まってんだろうがあああぁぁぁ!!」
――そう怒鳴ったのは、俺じゃなくて奈緒だった。
「なんで奈緒が父親よりも早く反応してるのさ……」
「おかげで俺が怒鳴り損ねたんだが」
俺と凛ちゃんが呆気に取られている一方で、先ほどまで沈み切っていた奈緒が急浮上して加蓮ちゃんに詰め寄っていた。
「何よー、別にいいじゃない。椛ちゃんも月ちゃんも可愛いんだし、奈緒だってお嫁さんにしたいと思うでしょ?」
「当り前だろう! でもあの天使二人は絶対に嫁になんか出さないからな!」
「おい叔母」
勝手に人の娘を未婚のまま終わらせようとしないで。別に結婚しないといけないとは言わないが、俺にだって自分の孫が見たいという願望ぐらいあるのだ。
「……で? 旭さん的にはどうなの?」
「そりゃあいくら目に入れても痛くない愛娘とはいえ、いずれは誰かのお嫁さんになるっていうのも悪くないだろ」
「そっちじゃなくて。……いや、そういう意味ならあってるのかもしれないけど、椛ちゃんの将来の話」
なんだそっちか。
「椛がなりたいものになればいいよ。アイドルになる才能と環境があるからって、アイドルにならないといけないわけじゃない。勿論アイドルになってから、やっぱり違う何かを見付けることがあるかもしれない」
俺が愛し椛も敬愛する『高垣楓』だって、元々スカウトされるがままにモデルを始め、スカウトされるがままにアイドルになったのだから。
まだまだ若い椛には、可能性とチャンスなんていくらでもあるんだから。
「椛ってば、今日は一日中悩んでたのよ?」
「そうか……」
今日は遅くなってしまったので、帰宅すると既に娘二人は夢の中だった。椛の部屋のドアを少しだけ開け、中でスヤスヤと眠る彼女の顔をチラリと見てからそっと閉じる。
「将来、か……椛が二十歳になる頃には、俺もお前も四十七歳か」
「月ちゃんも二十歳なったら、五十四歳ね」
「……椛たちもそうだけど、俺たちもその頃はどうなってるんだろうな」
まだ俺も楓も芸能人として活動しているのか。それとも何かあって引退しているか。
……隣に楓がいてくれるのか。
「……旭君」
子どもが寝静まった二人の時間。いつものように二人で晩酌をしようとソファーに腰を下ろすと、すぐそばに腰を下ろした楓がそっと俺の腕に触れた。
「ずーっと一緒に、長生きしましょうね? 椛ちゃんの娘も、その孫も……二人で一緒に、可愛がれるように」
「……あぁ」
「うふふっ。それじゃあ、まだまだ長く続く私たちの人生に乾杯を……!」
「長生きしたいなら、深酒は
「っ!?」
一月十四日
今日は成人の日で、祝日。生憎と旭君は仕事があったが、私と椛ちゃんはお休みだった。
なので椛ちゃんと月ちゃんの三人で過ごしていたのだが……椛ちゃんがなにやら朝から悩んでいた。その内容というのが、将来自分が何になっているのか、というものだった。
それまで椛ちゃんはてっきりアイドルになるものだとばかり思っていたので、少しだけショックといえばショックだが……やっぱり八歳とはいえ、色々と考えているということを感じた。それだけ考えているのであれば、私がそれを強要するわけにはいかない。
勿論、アイドルになって欲しいという思いも本当だ。椛ちゃんと一緒にステージの上で『こいかぜ』を歌えたら……と考えたことは一度だけではない。でもそれは椛ちゃん自身が選んでくれなければ意味がない。
だから私は、ただ夢見ていよう。彼女がその選択をしてくれるその日を。
大丈夫、いつまでもずっと旭君が隣にいるならば、私はいつまでだって幸せなのだから。
「………………」
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「……アズマが変なこと言い出すから、椛ねーちゃんが怒っちゃったじゃん」
「はぁ!? あずみのせいだろ!?」
「もう! 二人とも、ケンカしちゃダメだってばー!」
椛ちゃん、まさかのアイドルにならないフラグ……!?
大丈夫、この小説に暗い話とかないから(以前の美優さんのお話からは目を逸らす)
そして順調に自身の恋愛を進める凛ちゃんに対して、やや以前の川島さんや早苗さんのようなポジションになりつつあるなおかれん……ドーシテコーナッタ。
というわけで新年初投稿でした。
第三章も残り五話ですが、今年も頑張って書きますので、よろしくお願いします!
あ、そういえば楓さんの四枚目のSSR来ましたね。無事に引けましたよ、やはりこの小説を書いているご加護ですね。(なおかかった金額)(無料十連で二枚目も)