「はい、ホワイトデーのお返し」
「わー! 今年も市販のクッキーをありがとうございます! 市販の! 大量生産品の!」
「返せ」
「いやでーす!」
あと半年で三十になる加蓮ちゃんであるが、ペロッと舌を出す姿がとても可愛らしい辺り流石アイドルである。しかしそろそろ本人的にも少し恥ずかしくなってきたらしく、少々頬が赤い。
「加蓮ちゃんも順調に瑞樹さんルートに進んでるなぁ」
「それは流石に失礼じゃないですか!?」
「そういう加蓮は瑞樹さんに失礼だよ」
というか、この会話全てが瑞樹さんに失礼だった。
そんなわけで今日はホワイトデー。今年のバレンタインも多くの人からチョコや贈り物を貰ってしまったので、そのお返しとしてクッキーを配っており、いつものように事務所のカフェテリアにいた加蓮ちゃんと凛ちゃんにも渡す。本当に何年経っても、トライアドプリムスは仲が良い。
「それで、奈緒は?」
しかし、いつもの三人組の一人である我が妹の姿がなかった。
「「………………」」
尋ねると、二人はお互いに顔を見合わせて肩を竦めた。
「『今日は一人になりたい』……ってさ」
「誘ったけど来なかった」
「そうか……」
一言断ってから彼女たちのテーブルに俺も座らせてもらう。
「まぁ、
奈緒が出張から帰って来た恋人にプロポーズされたのが去年の三月のこと。お互いの仕事の事情やらなんやらで一年の準備期間を経てついに奈緒は結婚式を挙げる……のだが。
「まさか奈緒がマリッジブルーになるとはね」
「ちょっと意外かなー」
「あぁ見えて、アイツもなかなか繊細だからな」
というか、多分この二人よりは繊細だと思う……と心の中で考えたら、何かを察したらしい二人にテーブルの下で蹴飛ばされた。
「凛はあった? マリッジブルーとか、そういうの」
「んー……なかったって言うと、嘘になるかな」
加蓮ちゃんからの質問に、凛ちゃんは左薬指の結婚指輪を人差し指で撫でながら「やっぱり不安はあったよ」と答える。
「なんていうのかな……結婚すると、私は『渋谷凛』じゃなくなるわけだからさ」
「……どーいうこと?」
「名字が変わるってこと」
哲学的な意味かと思ったら、もっと単純な話だった。
「前に楓さんに『結婚したら何が変わるのか』って質問したことあったじゃん?」
「あったっけ?」
「ほら、お正月の旅番組で」
「あー」
あの新年特番で、俺と楓とトライアドプリムスの五人でプチ旅行したときのアレか。確か車内でのトークだったっけ。
「『戸籍が変わる』とか『世帯主が変わる』とか色々言われて、そのときは『あーそういうもんなんだなー』ぐらいの感想しか持ってなかったんだけど……実際に私がその手続きをする時になったらさ……思っちゃったんだ」
――あぁ、私は今から
「勿論、お父さんとお母さんは変わらず私のお父さんとお母さんのままではあるんだけど……この瞬間から『私はこの二人の子どもという立場じゃなくなるんだ』って考えたら、ちょっとだけ怖くなったんだ」
コーヒーカップを傾けながら凛ちゃんは苦笑する。
「凛、そんなこと考えてたんだ……」
「ちょっとだけね。すぐに旦那様との新婚生活が始まって、そーいうの薄れちゃった」
「あーはいはい、そーいえば今はこっちからも惚気が飛んでくるんだった……」
フフッと柔らかい笑みを浮かべる凛ちゃんに当てられ、加蓮ちゃんがテーブルに突っ伏した。
「楓さんは、そういうこと言ってた?」
「楓かぁ……」
やや曇っている空を見上げながら、結婚前はどうだったかと思い返す。
「いや、アイツの場合はどちらかというと、式を挙げる一ヶ月前に一大イベントを控えてたから、そっちの方でナイーブになってたな」
「「旭さんと楓さんの式の一ヶ月前というと……」」
今度は凛ちゃんと加蓮ちゃんが空を見上げながら思い返す。
「「……あ、総選挙!」」
そう、丁度式を挙げる直前の総選挙で、楓がシンデレラガールに選ばれたのだ。
「『ファンの期待に応えなくちゃ』ってことを考えて、寧ろ結婚に関しては何も気負ってなかったと思うぞ」
「まぁ旭さんと楓さんの場合は、式を挙げる前から同棲しててほとんど夫婦みたいなものだったから、そういうのもなかったんだろうね」
「私、未だにあのときの二人がまだ夫婦じゃなかったって言われても信じてないもん」
「何年前の話だと思ってるんだよ……」
話はいささか逸れてしまったが、俺が奈緒の悩みを聞いてやることは出来ないだろう。女性の悩みは複雑で、男には分からない繊細なものなんだろうという想像だけは出来た。
「……でも、そうか」
血のつながりは消えないものの。
――奈緒も、俺の妹じゃなくなるんだよな……。
「いやぁ、ほんっとうに椛はどんな髪型にしても似合うな~!」
「オイコラ」
奈緒の分はまた今度改めて渡そうと思って帰ってきたら、何故か家に奈緒がいて椛の髪型を弄って遊んでいた。マリッジブルーも何処へやら、ニッコニコである。
「ちゃんと写真は撮ってるんだろうな!?」
「お父さん、怒るポイント間違えてない!?」
今ぐらいは少しそっとしておいてやろうと思った矢先にこれなのだから、思わず脱力してしまう。
「なおちゃん、つぎ、ゆえも」
「おーいいぞ! 月もお姉ちゃんみたいに可愛くしてやるからな~」
カーペットの上で正座をする椛の後ろで胡坐をかく奈緒の身体を月が揺する。
最近は椛のものを欲しがったり真似をしたりと行動が活発になった月だが、案の定髪を弄って貰っているお姉ちゃんが羨ましくなったらしい。ここで歳が近い姉妹ならば喧嘩に発展する可能性もあるのだろうが、幸い椛と月の歳は七つも離れているのでそういうことにはならなかった。そもそも椛の性格上、快く月を優先してくれるだろう。
「ふぅ……奈緒ちゃん、いきなり来て私の髪で遊び始めるんだもん、ビックリしちゃった。あっ、おかえりお父さん」
「ただいま椛」
今度は月の髪で遊び始めたことで奈緒から解放された椛がこちらにやって来た。奈緒は最後にしれっと若かりし頃の自分の髪型にしたらしく、普段はあまり見ない椛の姿にスマホを取り出して一枚撮る。
「わっ、お父さん、撮るなら先に言ってよ」
「そう言いつつちゃんとポーズ取れてるぞ」
口では驚いているものの、撮った写真を確認すると画面の中の椛はしっかりと笑顔でポーズを取っていた。年々アイドルぢからが強まっている我が愛娘である。
「……あのね、お父さん」
奈緒が月の髪で遊んでいる姿を見つつ楓が並べてくれた夕飯を食べていると、対面に座った椛が小声で話しかけてきた。多分奈緒に聞かれないように話しているつもりなのだろうが、奈緒と月はキャッキャと盛り上がっているので普通に話しても聞こえないだろう。
「奈緒ちゃんね、ウチに来たときちょっと落ち込んでたみたいなの」
「……ふむ」
やっぱりアレは他のことで気を紛らわしているだけに過ぎないようだ。基本的に椛や月と遊んでいるとテンションが高い奈緒だが、あれは少々大げさすぎるような気がした。
「ぼくを、すこれよー」
「すこるぞー! そのアイドルのチョイスはやめた方がいいと思うけど、月だったらすこるぞー!」
……いや、元からあぁだった気がする。
「お父さんみたい」
「俺はあそこまで酷くないぞ」
「酷いよねー」
「ねー」
反論したものの、キッチンから聞こえてきた楓の声にバッサリと切り捨てられてしまった。大変不本意ではあるが、それに同調する椛が可愛いから引き下がろう。
「もしかして、結婚っていいものじゃないの?」
すると椛の口から意外な言葉が飛び出した。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、奈緒ちゃんが落ち込むぐらいだから……」
「ねぇ、椛ちゃん」
お茶を淹れた急須をお盆に乗せて楓がキッチンからやって来た。
「椛ちゃんは、お母さんとお父さんが幸せそうに見えない?」
「……ううん、二人とも、いっつも楽しそう」
フルフルと首を振る椛。
「結婚はね、自分の好きな人とずっと一緒に居ましょうっていう大切な約束なの。でもそれは今までの家族とは別の家族になるっていうことなの」
「……それまでの家族とは、家族じゃなくなっちゃうの?」
「ちょっと難しいけど、そういうことでもないの。今でも椛のおばあちゃんとおじいちゃんは、お母さんのお母さんとお父さんよ」
「……どーいうことか分かんない」
「まぁ、椛ちゃんにはまだちょっと難しかったかな」
机に顎を乗せた椛の頭を楓が撫でる。同年代の他の子たちよりも少々大人びたいい子と評判の椛ではあるが、こういうところは年相応の子どもだった。
「椛ー! 月と一緒にお風呂行くぞー!」
「あ、はーい!」
「って、お前泊まってくのかよ」
暗に「旦那はいいのか」と尋ねる。いくらまだ結婚していなくて同棲もしていなかったとはいえ、式を二日後に控えた花嫁がこんなところで油を売っていていいのか。
「ちゃんとオッケーは貰ってるよ!」
しかしベーと舌を突き出した奈緒は、椛と月を連れだって浴室へと行ってしまった。
「ったく……」
「ふふっ、新
「………………」
何か言葉を待っているような目で楓がこちらを見ているが、気付かないふりをして入れてくれたお茶を啜る。
「………………」
「式を目前にして、風邪引くつもりかお前は」
「え」
深夜。なんとなく予感がしたので奈緒がいつも寝室として使っている部屋を覗きに行くと、彼女は窓を全開にして夜空を見上げていた。最近日中はたまに暖かくなる日もあるが、夜はまだまだ冷え込んでいる。
「ほらよ」
「ありがと。おぉ、ホットミルク……って、これもしかしてお酒入ってる?」
「手っ取り早く暖まるからな」
ブランデーを入れたホットミルクのマグカップを渡すと奈緒は呆れたようなジト目になったが、すぐに「ありがたく受け取ってやるよ」と笑って口を付けた。俺も自分の分のブランデー入りホットミルクを一口飲む。
「「………………」」
そのままお互いに一言も発さずにホットミルクを飲む。
俺は別に、奈緒と話がしたかったわけじゃない。昼間のときにも言ったが、生憎男の俺から彼女にかけるべき言葉は持ち合わせていなかった。
「……兄貴が楓さんと結婚したときさ」
あと一口で飲み終わるというタイミングで、奈緒が口を開いた。
「あたし、『楓さんに兄貴を取られた』って思っちゃったんだ。……今までずっと家族だったのに、これからは別の人と家族になるって考えたら……寂しくなった」
俯いてポツリポツリと語る奈緒の独白に、俺は相槌を打つこともなく黙って耳を傾ける。
「そして今度はあたしが結婚する番になってさ……こう思っちゃったんだよ」
――また少し、家族から遠ざかっちゃったなって。
「……勿論、アイツのことは大好きだよ。だから結婚すること自体に後悔はない。でも、だからって、これまでの家族との距離が離れることとはまた別の話だろ?」
だからさ……と奈緒は顔を上げた。
「寂しくなったら、来てもいいか?」
「……ダメって言っても来るくせに、何言ってんだよお前は」
一歩奈緒に近付き、腕を伸ばして彼女の頭を掴んでグイングインと揺する。
「ここは、お前の兄ちゃんと義姉ちゃんの家だ。旦那も連れて、子どもが出来たらその子も連れて……ずっとずっと、遊びに来い」
「……ありがとう、お兄ちゃん」
三月十四日
今日はホワイトデーということで、旭君は私と椛ちゃんと月ちゃんにお返しのクッキーを渡してくれた。流石に手作りというのは無理だったようだが、それでも毎年お返しを貰えるのが嬉しかった。
そして夜、突然奈緒ちゃんが泊まりに来た。椛ちゃんと月ちゃんと楽しそうに遊んでいた奈緒ちゃんだったが、どうやら式を二日後に控えてマリッジブルーになってしまったようだった。
あいにく私はそういうのにはならなかったので、奈緒ちゃんに対してアドバイスは出来そうにない。でもどうやらお兄ちゃんが相談に乗ってあげたようなので……多分大丈夫だろう。
奈緒ちゃんは、旭君の妹であり、私の
……きっと、奈緒ちゃんのウエディングドレスを見たら、泣いてしまうような気がする。
「お父さんもお母さんも、ボロ泣きだった記憶が……あ、次のページに写真挟まってる」
「あっ! 奈緒ちゃんの写真!」
「これってエリちゃんのお母さん? キレー!」
というわけで、めでたく奈緒もゴールイン。トライアドプリムスで残されたのは、加蓮だけになりました……。
楓さんとのイチャイチャも椛の可愛いところもほとんどなかったお話でしたが、たまにはこーいうのも……いや、残り話数少ないっていうのにそんなことしてる暇あるのかっていう話なんですが。
『かえでさんといっしょ』第三部も残り三話です。正直ネタ切れ気味なところもありますが、頑張って完結させたいと思います。