高垣楓との再会
――……ぜったい?
――ぜったい!
――それじゃあ、やくそく。
――うん、いいよ。
――おとなになったら。
――わたしと、けっこんしてね?
「………………」
随分と懐かしい夢を見た。
確か幼稚園の頃だったと思う。将来結婚しようなんて、他愛もない子どもの口約束。大人になれば忘れてしまうような、そんなささやかな可愛らしい思い出。
(なんでこんな夢を見たんだか)
ボリボリと首筋を掻きながら体を起こす。今日は演劇部の朝練もないからもうちょっとのんびり寝ているつもりだったのだが、目が覚めてしまったからには起きることにしよう。
「おはよー」
「……え、なんで兄貴起きてんの?」
着替えて一階のリビングに降りると、
「部活が無い日はギリギリまで起きてこねーのに……」
「たまたま目ぇ覚めたの。そういう日もある」
我が家では自分のトーストは自分で焼くルールのため、自分の分の食パン二切れをトースターに放り込む。その間に母さんが焼いてくれた目玉焼きとベーコンを乗せた皿を受け取り、サイフォンの中のコーヒーをカップに注いでテーブルへと運び、奈緒の対面へと座った。
「……なぁ、奈緒」
「んー?」
セーラー服が汚れないように気を付けながら自分のトーストを齧っていた奈緒に声をかけると、一体何の用だと目線だけをこちらに向けてきた。
「お前って幼稚園の頃のことって覚えてるか?」
「なんだよいきなり」
「いや、今朝そんな夢を見てさ。ちょっと懐かしくなった」
「ふーん。……幼稚園の頃なぁ」
ズズッとホットミルクを飲みながら視線を宙に彷徨わせる奈緒。
「数年前のことだから、思い出しやすいだろ?」
「……兄貴はあたしが何歳だと思ってるんだ?」
「十歳ぐらい」
「プラス五歳! 中三のバリバリ受験生だよ!」
「あの頃の奈緒はまだツインテールで可愛かったなぁ」
「思い出させるんじゃねえええぇぇぇ!」
小三でツインテールぐらいまだまだ普通だと思うが、アニメのキャラの真似をしてその髪型だった奈緒的には既に黒歴史と化しているらしい。その程度で黒歴史とは、生きづらそうだなぁコイツ。
「それで幼稚園の頃の思い出に話を戻すんだが」
「戻すのかよ……」
「奈緒は仲のいい男の子と結婚の約束とかしたことあるか?」
「ぶふっ!?」
勢いよくパンクズを正面に向かって吹き出す奈緒。焼き上がったトーストを取りに行くために立ち上がったためギリギリセーフだった。
「な、何言ってんだよ兄貴は!? けけけ、結婚の約束とか、そんなことするわけないだろ!?」
したことなかったらしい。
「そ、そーいう兄貴はあるのかよ!?」
「まぁ、だから『今朝幼稚園の頃の夢を見た』っていう流れでこういう話題を振ったわけなんだけどな」
「……お、おう……そうか……」
なんでそこで顔を赤らめながら言葉に詰まるんだお前は。所詮子どもの戯れなんだから本気に捉えるんじゃないよ。
「ただなぁ、その子の名前が思い出せないんだよ」
焼けたトーストにバターを塗りながら首を捻る。鶯色の髪の女の子だったということだけ覚えているのだが、顔も名前も思い出せない。十年以上前のことなのだから当然と言えば当然だが。
「……え、なに、兄貴はその結婚の約束を今も信じてるとか言い出さないよな?」
「言い出すわけないだろ。俺はお前ほど夢見てないぞ」
「まるであたしが夢見がちみたいな言い方すんな」
「『あたしのしょうらいのゆめは、うたっておどるアイドルになることです』」
「うがあああぁぁぁ!?」
小一のときに奈緒が書いた『将来の夢』の作文を丸暗記してる俺に勝てると思うなよ。
朝っぱらから荒ぶっている妹の姿を愉快に眺めながら朝食を食べていると、そんな俺たちの会話を聞いていたらしい母さんが「それってもしかして」と声をかけてきた。
「楓ちゃんのこと?」
「……カエデちゃん?」
「そうそう、高垣楓ちゃん。幼稚園の頃にアンタが仲良かった女の子」
「………………」
「そんな『お前は知ってる?』みたいな目で見られてもあたしが知ってるわけないだろ」
ごもっとも。
「でもそんな名前の女の子いたっけ?」
先ほど気になって卒園アルバムを一通り眺めていたのだが、俺の記憶に引っかかる顔も名前もなかった。ついでにその高垣楓とかいう女の子も名前もなかったはずだ。
「卒園前に引っ越しちゃったから、卒園アルバムに載ってなくて当然よ」
「ふーん」
「……結婚を約束した女の子と離れ離れに、だと……!? まさか兄貴に、そんな主人公のような設定が……!?」
なんか奈緒がブツクサ呟いていた。設定とか言うな設定とか。
「懐かしいわね……旭と楓ちゃん、本当に仲良しだったのよ?」
「ふーん……」
まぁ所詮子どものときの話なのだから、気になった程度でそれ以上の関心は湧かなかった。いくらなんでも高校二年生にまでなって、幼稚園のときの約束を本気にするわけない。
(……とはいえ)
なんで今更、そんな俺自身が忘れてしまったことを夢に見たのか。それだけが、少し気になった。
しかし所詮は夢の話。現実は物語のように進むはずなんてないということは重々承知している。だからこの話はこれで終わり。明日になれば再び忘れてしまい、きっと二度と思い出すこともないだろう。
そう思っていた。
「高垣楓です。よろしくお願いします」
どうやら本当に、事実とは小説よりも奇なるものだったらしい。
「………………」
朝のHR。担任の先生から転校生として紹介された女子の姿と名前に、思わず絶句。今朝母親から聞いた名前と、おぼろげな俺の記憶の中の少女の姿が一致してしまったのだ。
そしてそのまま流れるように席が俺の隣になってしまい、さらに絶句。今朝夢見た女の子がいきなり転校してきたかと思ったらそのまま隣の席って、なんだよそれ、どこの漫画だよ。
奈緒辺りならば喜びそうな展開なのかもしれないが、実際に自分の身に起こるとなると恐怖でしかなかった。普通に怖い。
……ま、まぁ、そういう偶然もきっとあるさ。うん、あるある。それに俺が遥か昔の結婚の約束を思い出したところで、彼女がそれを覚えているとは限らない。寧ろ忘れていると考えた方が自然だろう。
「よろしくお願いしますね」
「あ、あぁ、よろしく」
隣の席にやって来た高垣さんが律儀に挨拶をしてくれたので、俺も挨拶を――。
(え、めっちゃ可愛い)
――いや、表現としては『可愛い』というよりは『綺麗』と称した方がいいのかもしれない。けれどその美人としか称することが出来ない整った顔でニコリと微笑む様は可愛いという感想以外思いつかなかった。目元の泣きボクロも大変キュート。
「……どうかしましたか?」
「あ、その、えっと……」
いきなり動きが固まった俺を不審に思ったのか、小首を傾げる高垣さん。そんな姿も大変可愛らしかったが、それを同級生に対して真正面そんなことを言う度胸は持ち合わせていない。舞台の上ならばいくらでも臭いセリフを口に出来るが、流石に今は無理なので「なんでもないよ」と首を横に振った。
俺以外の目から見ても間違いなく美人だった高垣さんは、休憩時間になるたびにクラスメイトの女子たちに囲まれていた。やや口下手そうな高垣さんは少々戸惑った様子を見せていたが、そんな様子も可愛いなぁとか思ってしまった俺は自分で思った以上に彼女に入れ込んでいるらしい。
そんなことを考えていると、二人の女子生徒が廊下から教室の中を覗き込んでいるのが見えた。二人とも知り合いだったので何かあったのかと近寄ってみると、向こうも俺に気付いたようだ。
「よっす神谷ー!」
「ん、どうした佐藤。三船さんまで引き連れて」
「……だからお前、美優ちゃんにはさん付けしておいて私は呼び捨てなのはどういうことだよ」
「お前が佐藤だからだよ」
「ぶっとばすぞ☆」
繰り出される佐藤からの右ストレートをパチンと右手で受け止めながら、佐藤に連れてこられたのであろう三船さんに「おはようございます」と挨拶をすると、彼女も小さな声で「お、おはようございます……」と返してくれた。
「で? 結局なにしに来たんだ?」
「噂の美人転校生を見に来たんだよ……っと、あの子がそーだな?」
高垣さんを見付けるなり、ふむ……と手に顎を当てて思案顔になる佐藤。
「……ワンチャン私の方が美人じゃね?」
「その寝言は例え寝ていたとしても許されないぞ佐藤」
「マジトーン!? どうした神谷、お前そんなキャラじゃないだろ!?」
ふざけたことをぬかしやがる佐藤に思わずイラッとしてしまった。百歩譲って佐藤が美人だったとしても、高垣さんに並び立つとは天が許さないし俺も許さない。
「……え、っていうか本当にどうしたお前。もしかしてお前もあの美人転校生に一目惚れした口か?」
「突然何をいきなり突然言い出すんだいきなり何を面白い奴だな突然面白いな何を」
「分かりやすくバグったな!? え、お前マジで言ってんの!?」
「バカ野郎誰が一目惚れだって証拠だよ」
「しっかりしろ神谷旭!? 自分を見失うな!」
(……これはちょっと、速水さんと十時さん、ピンチなんじゃ……)
何かを思案するような三船さんの横で佐藤にガクガクと身体を揺さぶられながら、俺の脳は必死に再起動を試みるのだった。
(……今、
あっという間に放課後である。
席が隣りになったとはいえ、俺は男子で高垣さんは女子。よっぽどのことがない限り接点なんてなく、特に今日は転校初日補正がかかっていた高垣さんは常に女子生徒に囲まれていたので話しかける隙なんてなかった。
……俺も男なので、一目惚れした女の子との接点を作りたいと考えたりもする。今日はダメでも、これからしばらくは席が隣同士なのだから話しかけるタイミングはいくらでもあるだろう。だから、ここで焦る必要もない。
そう考えていた。
「あの、神谷君」
「ん?」
校門を出たところで名前を呼ばれ、振り返る。
「……え」
「……良かったら、一緒に帰りませんか? 神谷旭君」
何故か高垣さんが、俺の名前を呼びながら微笑んだ。
月「……え、いきなりなんか始まったんだけど」
椛「うわぁ、お父さんもお母さんも若い。制服姿とか初めて見たよ」
月「そして私たちがいるここも一体何処なの……」
椛「しばらく出番がないから、オーディオコメンタリー的なアレだって」
月「ドウイウコトナノ……」