トップアイドル『高垣楓』は俺の嫁である。
この一言だけではただの熱烈なファンであるが、事実である。
346プロダクション所属のアイドルである高垣楓は、同所属の俳優である俺、神谷旭の嫁なのだ。
現役アイドルと俳優の結婚という特大のスキャンダルを乗り越え、先日俺と楓は正式に夫婦になった。これにてハッピーエンド、めでたしめでたし。
つまりここから先の話は、ようするに後日談なのである。
その1
「うわっ!?」
玄関に座って靴を履き、さぁ立ち上がろうとした矢先にズシリと頭から背中にかけての重みを感じて思わず前のめりに倒れそうになった。
その理由はすぐに分かった。つい先日結婚して嫁となったばかりの楓である。
「………………」
「おい楓、流石に危ない」
「………………」
「……楓? ……あの、楓さん?」
返事がない。背中から抱き着き、自分の胸を俺の頭の上に乗せるようにしてガッチリとホールドしたまま不動である。
「……行っちゃうんですか?」
「そりゃ行くけど」
「ここが旭君の帰る家なのに?」
「帰る家だからこそ『行ってきます』するんだろ?」
「……今日は一日イチャイチャしようって約束したのに」
「本当は俺だってしたいよ」
でも休日に緊急の打ち合わせが入っちゃったんだからしょうがないじゃないか!
シュンとした楓の声に耐えられなくなり、振り返って楓の身体を真正面から抱きしめる。
「俺だって楓とずっと一緒に居たい」
今日は珍しく二人揃ってのオフだったため、お酒や食べ物を買い込んでずっと家でイチャイチャするはずだった。しかしそれも中止することになってしまったのだ。
「……本当にごめん」
「……ううん、私も我儘を言いすぎてごめんなさい。俳優だって旭君の大切なもので、私も俳優としての旭君が大好きだから」
楓は「だからお相子だ」と、そう言ってくれた。
「打ち合わせ終わったらすぐに帰るから」
「『打ち合わせの続きは飲み屋で』って誘われても?」
「帰るに決まってるさ。……愛する妻が、帰りを待ってくれてるんだから」
「旭君……」
そっと目を瞑った楓。何度も何度も間近で見ているはずの彼女のその美貌が、俺の口づけを待ってくれているのだ。ずっと見ていたい気持ちもあるが、それ以上に唇の誘惑に抗うことが出来るわけもなく。
いってきますと、唇を重ねた。
なお打ち合わせは一時間で終わった。
その2
どれだけ『楓と一緒にいたい』という気持ちが強くても、俺たちはお互いに仕事がある。
俺は俳優という職業に誇りを持っているし、楓もアイドルという職業に誇りを持っている。だからお互いにかまけてそれらが疎かにするなんてことは出来ないし、お互いにさせたくないとも思っている。
そういった事情もあり、俺たちはあまり仕事の現場では関わらないようにしている。全く関わらないというわけではなく、『朝一緒に事務所へ行く』だとか『お昼を一緒に食べよう』だとか『晩御飯のおかずを買って帰ろう』だとか、それぐらいは普通にする。
しかし、いくら夫婦であることを公表しているからとはいえ露骨にイチャつくような真似はしない。それぐらいの良識は持ち合わせているのだ。
「「「ダウト」」」
「いやなんでだよ」
だというのに、妹である奈緒を筆頭に加蓮ちゃんと凛ちゃんからも嘘つき呼ばわりだ。折角事務所のカフェテリアでお昼を奢ってあげているというのに、なんだこの扱いは。
「いや兄貴、それは無理があるって」
「旭さんと楓さんが事務所でイチャついてないって?」
「子どもでももうちょっとマシな嘘つくよ」
マジで酷い言われようだった。
「心外だな。仕事の現場ではキスもハグも禁止してるっていうのに」
「寧ろキスとハグ以外なら何してもいいと思ってる?」
何があろうとも信じるつもりがないらしい。
「……例えば兄貴、今そこを楓さんが歩いてるわけなんだけど」
「………………ん、そうだな」
「今メッチャ素早く顔をそっちに向けようとしてたよね」
「とりあえず自制する心はあるみたいだね」
奈緒が指さす方を見てみると、確かにそこには楓の姿があった。瑞樹さんや早苗さんといった他のアイドルと共に歩いている。
遠目にみる楓も美人だなぁとか考えていると、偶然楓と視線が合った。
軽く腕を持ち上げて小さく手を振ると、楓はパァッと顔を輝かせて――。
――こちらに向かって、小さく投げキッスをした。
「「「「………………」」」」
そんな自分の行動が少しだけ恥ずかしかったのか、楓はポッと顔を赤らめるとパタパタと足早に去って行ってしまった。いきなり早足になった楓を追いかけるようにして瑞樹さんたちも不思議そうな顔で去っていく。
「「「「………………」」」」
カフェテリアに残されたのは、沈黙したままの俺たち。顔を赤くした三人娘の視線がジロリとこちらに向いており、俺はコホンと咳払いを一つ。
「……俺の嫁、可愛いだろ?」
「「「うるせぇよ!」」」
女の子がそんな言葉使っちゃいけません、とは言い返せなかった。
その3
「はい旭君、あーん」
「あーん」
楓から差し出された箸を口で迎え入れる。うん、流石『しんでれら』今日の店長のおススメの鯛の刺身。プリプリだ。
「はい旭君、今度は私の番ですよ」
「あぁ」
ワクワクする楓から箸を受け取ると、今度は俺が楓の口元に刺身を運ぶ。
「あーん……」
目を瞑り、口を開ける楓。
「………………」
「………………」
「……あ、あの、旭君? ずっと口を開けてるのって、ちょっと恥ずかしいのだけど……」
「そういえば楓の口の中をじっくりと見たことないなって思って」
「っ!? も、もー、旭君の意地悪」
恥ずかしがってポスンと殴られてしまった。ごめんごめんと謝って、改めて楓に刺身を食べさせる。
「……アンタたち、よくそれで『人前ではイチャつかない』なんて言えたわね」
そんな俺たちのやり取りを黙ってみていた早苗さんが、重い溜息と共に口を開いた。
「事務所でイチャつかないって言っただけですよ」
「私たちはいつでもラブラブなので、自然とイチャついちゃうんでーす」
ねー? とお互いに並べた肩をくっ付けると、楓の頭がコテンと俺の肩に乗った。
「あぁぁぁ身体中が痒いぃぃぃ! 瑞樹ちゃんちょっと背中掻いて!?」
「今美優ちゃんに背中掻いてもらってるから後で」
「瑞樹さん、後で私の背中も掻いてください……」
同じ座敷の席で一緒に飲んでいた他の三人が、何故だか自分の身体を掻き毟り始めた。三人のアイドルが全身を掻き毟る光景はシュールを超えてホラーの領域に足を踏み入れていた。
「普段から肌が見えてるところは掻き過ぎないように注意してくださいよ」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
誰のせい、かと言われると……。
「……ごめんなさい、俺の嫁が可愛すぎてどうしても我慢できないんです」
「ううん、違うんです、旭君は悪くないんです。私が旭君のことを大好きだから……」
「だからそういうのをヤメロっつってるのよぉぉぉ!」
最近早苗さんから怒られることが多くなった。
……正直なことを言うと、結構わざとやっている。本気で気付いていないわけがない。
「昔、散々『早くくっつけ』だの『見ててもやもやする』だの言われたお返しですよ」
「早苗さんのおかげで今の私たちがいるんですから、遠慮せずに私たちのラブラブっぷりを見てくださいね」
「………………」
机に突っ伏して黙ってしまった早苗さんだが、多分内心で「余計な事言うんじゃなかった」とか考えているような気がする。
「……実際、本当に感謝してるんですよ」
「貴女のおかげで、私たちはこうして夫婦になることが出来たんですから」
「………………」
「悪ふざけが過ぎました、ごめんなさい」
「はい早苗さん、お酌させてください」
「……はぁ、いいわよいいわよ、アタシの負けよ」
ムクリと身体を起こした早苗さんは、ムスッとした表情のままこちらに向かってグラスを差し出した。
「存分に幸せになりなさい。旭君、楓ちゃんを泣かせたら承知しないわよ」
「勿論です」
「あ、でも昨日泣かされちゃいました。旭君、あんなことするんだから……」
あっ、ちょっ、早苗さん流石にビール瓶はシャレにならない……!?
その4
「……ダメ?」
「ダメ」
「……どーしても?」
「どーしても」
先ほどまで「歩けないからおんぶして」と甘えていたくせに、部屋に戻って来た途端に「それじゃあ続きやりましょうか」じゃないんだよ。
「今日は散々飲んだだろ? だから今日はコレで終わり」
「そうね、これで終わりにしましょう」
「あっ」
あーあー、缶ビール開けちゃったよ……しかもロング缶。
「一本全部は多いから半分よこしなさい」
「やっぱり旭君も飲みたかったの?」
「違います」
ソファーに並んで座り、肩を寄せ合いながら一本の缶ビールを交互に飲む。なんというか、絵面が貧乏学生カップルみたいだった。
「……幸せ」
「それだけ飲めればそりゃ幸せだろ」
「ううん、量じゃないの。こうして大好きな旦那様と一緒にお酒を飲めることが、幸せなの」
目を瞑りスリスリと額を肩に擦り付けてくる楓。
「……でも、しばらくはこの幸せもお預けね」
そう言いながら、楓は自分の下腹部を抑えて……。
「っ!? 楓、お前まさか……!?」
「……えぇ、そうなの」
楓は恥ずかしそうに顔を赤らめ、そして俺の目を見つめて――。
「……実は来月水着のグラビア撮影があって」
――その返答は全く予測していなかった。
「……おいおいお前まさか」
「大丈夫大丈夫。……それに」
――
「あ、でも
「………………」
「きゃっ、旭君?」
「………………」
「あっ、ちょっと、まっ……やんっ」
最近ネタ出しに苦悩して変に頭を捻り続けてたから、しばらくはこんな感じでIQが低めの話を書いていきたい。
『どうでもよくない小話』
多くは語らぬ……オーケストラよかった……!