ホワイトデーとは、バレンタインデーに贈り物を貰った人がそのお返しを渡す日である。
ありがたいことに愛する恋人、そして知り合いたちから多くの贈り物を貰うことが出来たのだが、逆に言えばそれだけ多くのお返しをしなければいけない。全てを用意するのはそれなりに大変だし、包み隠さずに言えば出費が凄い。
しかし俳優という職業は周囲からのイメージを大事にしなければいけないし、そうでなくても俺自身がしっかりとお返しをしたいと考えているので、やはり手は抜けない。
ゆえに個々人に対するお返しはしっかりとしているのだが……ここで問題になってくるのが『神谷旭は俳優である』ということ、そんな俺に対して『バレンタインの贈り物をしてくれたファンのみんながいる』ということ、この二つの事実である。
「「えっ!? 『ホワイトデーのお返しをどんなシチュエーションで貰えれば嬉しいか』を知りたい!?」」
「よくその長文でハモったな、お前ら……」
たまたま事務所のカフェテリアで一緒になった速水と十時の二人にとある相談をしたところ、それはもう凄く驚かれた。十時はともかく、速水がこんな驚き方をするとは思わなかった。
「え、えっとぉ、そのぉ、あのぉ、それは一体どういう意味で……」
「ふ、ふふっ、珍しいじゃない、貴方がそんなこと言い出すなんて。これは今年は少しだけ期待しちゃってもいいのかしら?」
「期待されてもお前らには何もないぞ」
いやお返しはするけど普通に渡すぞ。
「それじゃ、なんで突然そんなことを言い出したのよ」
「……雑誌の企画なんだよ」
「「雑誌の企画?」」
簡単に説明すると『ファン向けに疑似的にホワイトデーのお返しをする』っていう企画で、もっとざっくりと要約すると『神谷旭による夢シチュエーション企画』ってことになる。
「ありがたいことにファンのみんなからも事務所宛に贈り物が沢山届いてな。安全管理の名目で全部俺が直接受けとることは出来なかったんだけど……そのお返しはしっかりとしないといけないと思ってな」
ちなみにコレは346プロに所属している男性俳優全員が対象なので、俺に限った話ではない。
「でもそれぞれのシチュエーションに関しては各々が考えてこいっていう無慈悲なお達しがあってだな……」
「それで、私たちの意見が聞きたい……ということですかぁ?」
「まぁ要するにそういうこと」
本当は恋人である楓に聞きたいところだったが、残念ながら彼女は地方での仕事でここを離れているため直接意見を聞くことが出来ない。今頃今日のステージのリハーサル中だろうし、今晩辺りに聞いてみよう。
「そういうシチュエーションに全く心当たりがないわけじゃないんだけど、やっぱり女性の意見を取り入れた方がファンも喜んでくれると思ってな」
「あら、本当に女性だけに向けたシチュエーションでいいの?」
「おい馬鹿ヤメロ」
速水の冗談にならない冗談に顔を顰めていると、何故か十時はポポッと頬を赤らめていた。
「え、そ、それじゃあ、ここで好きなシチュエーションを言えば、旭さんがそれをしてくれる……ってことですかぁ!?」
「いやしないけど」
「えぇ!? してくれないんですかぁ!?」
何故か大変ショックを受けた様子の十時。いや寧ろなんですると思ったのか。
「あら酷い人ね、女の子をその気にさせておいて……」
「何がだよ」
その気って何の気だよ、気になる気だよ。
「つまり私たちがそのシチュエーションを試してあげるって言ってるのよ。いくら企画向けのシチュエーションを思いついたとしても、それが本当に女性がドキドキするものなのか、貴方には判別出来るの?」
「むっ……」
確かに、それを教えてもらいたくてこの二人に相談したんだもんな……。
(か、奏ちゃん……!)
(ふふっ、感謝してくれてもいいのよ?)
(うん! 二人で一緒に、ね!)
(……いや、その、私は別に楽しみとかそういうのを期待しているわけじゃ……)
何やらコソコソと目の前で密談する二人。早速女子二人で何か意見交換でもしてくれているのだろうか。そんなに熱心に考えてもらえるとは……本当に頭が下がる思いだ。
「そ、それじゃあ私の考えるシチュエーションからお話させていただきますねぇ!」
フンスッと何やら謎のやる気を見せる十時。そこまで真剣になってくれるとは……。
「旭さんはいつも優しいですから、たまには強引な感じを出してもいいと思うんですよぉ」
「強引な感じ、ね。定番で言うなら壁ドンとか?」
「そうですねぇ、例えば……例えば……」
「……十時?」
(……愛梨)
「ふぇ?」
俺が物陰から声をかけると、年下の恋人である愛梨は不思議そうな表情をしながら振り返った。
「どうしたんですか? そんな物陰から」
(いいから、ほらこっち)
「きゃっ」
ちょっと強引かと思いつつも、愛梨の腕を軽く引っ張って物陰へと連れ込む。
(……ど、どうしたんですかぁ? こんなところで……)
(……これ、すぐにお前に渡してくて)
そう言って用意しておいたホワイトデーのお返しを愛梨に渡す。
(今日からしばらく、渡せそうにないからな)
実は明日からとある舞台の地方公演があるため、一週間ほどここを離れるのだ。よりにもよってホワイトデーと丸被りするタイミングである。
(他の人へのお返しはこっちに戻ってきてからまとめてするけど……そんなタイミングで、お前には渡したくなかったから)
(……うふふっ、旭さんってば、そういうところ優しいんだからぁ……)
クスクスと笑いながら、愛梨は俺の身体にギュッと抱き着いてきた。時期は冬だが暑がりの愛梨が厚手の服を着るはずもないので、彼女の瑞々しい肉体の感触がダイレクトに伝わってくる。
(……旭さん、このまま一つ、我儘を言ってもいいですかぁ?)
(我儘……?)
(……さっき、旭さんに強く腕を引かれたとき……いつもよりドキドキしちゃったんです。私、旭さんに何をされちゃうんだろうって……)
突然の愛梨のカミングアウトに、現在の体勢も相まって俺の心拍数が跳ね上がるのを感じた。
(だから、このお返しのチョコレート、少しだけ強引に……愛梨に食べさせてくれませんかぁ……?)
(………………)
上目遣いの愛梨に、俺の中の何かのスイッチがパチリと切り替わるような音がした。いつもは役者として舞台に上がるためのスイッチが、なんか勝手に切り替わった。
(……全く、愛梨は……)
愛梨に渡したばかりのプレゼントの包装紙を剥がし、箱の中からチョコレートを一粒取り出すと……そのまま愛梨の口の中に押し込んだ。
(むぐっ……!? あ、あさひしゃ……!?)
(ほら、そのまま食べるんだ)
(……ひゃい……)
自分の指ごと、愛梨にチョコレートを食べさせる。おそらく俺の指を傷つけないように配慮してくれている愛梨は、歯を立てないように必死に舌でチョコレートを舐める。
口の中に指を突っ込まれるという暴挙に涙目になりつつ、しかし愛梨は確かに笑っていた。
(……可愛いよ、俺の愛梨)
(ひぅっ)
俺はそのまま、彼女の足の間に自分の足を滑り込ませ……。
「ダメですえっちですぅ!」
「何が!?」
突然黙ったかと思えば、今度は突然真っ赤になって怒鳴りだした。一体全体何事だよ。
「あら旭さんってば、愛梨に何をしたの?」
「何もしてないが!? しいて言うならば急に黙ったから心配して声をかけただけだが!?」
本当に何があったのか心配になったが、しばらくすると十時はなんとか落ち着いたらしい。顔はまだ赤いままだが。
「と、とにかく、私の案としては『いつもより強引な感じを出す』ということで……」
(愛梨ってば、そういうのがいいのね……)
ダメだったんじゃないのか……?
「それじゃあ次は私ね」
いっそのことこのままお開きにしてもいいんじゃないかと思ったが、それを切り出すより先に速水が喋り出してしまった。
「愛梨は貴方のことを優しいと言ったけど、私からの印象はいつも上から目線の余裕があるのよね」
……それは褒めてるのか? それとも馬鹿にしてるのか?
「だから少しぐらい、弱いところを見せるのも逆にありだと思うのよ」
「弱いところね。落ち込んでるところ……って、ホワイトデーに何で落ち込めって言うんだ」
「そうね、例えば……例えば……」
「……おい速水お前もか?」
「………………」
「その、な。お前がバレンタインのチョコを手作りしてくれたから、俺も手作りで返そうと思ったんだよ」
「……ふーん。大変だったでしょ?」
「あ、あぁ、自炊の経験はあったけど、お菓子作りってのはなかなか慣れなくて……勝手が違うんだな」
「……そして出来上がったのか、この『炭』と……」
「炭って言うんじゃねぇよ!」
いや自分でもどうしてこうなったのか分からん。お菓子はレシピ通りに作れば間違いないって聞いていたのに、まさか失敗するとは……。
「……く、くくっ、うふふっ……」
失敗と言えば、こうしてお返しの準備をしているところを恋人である奏に突撃されてしまったことも失敗と言えるだろう。作り直そうとした矢先、渡してある合鍵を使ってコッソリ忍び込んできた奏に見つかることになるとは……。
「あーおかしい……笑いすぎて涙が出てきちゃったじゃない……」
「……そこまで笑わなくてもいいじゃん……」
「……あら? 拗ねちゃった?」
「………………」
ほんの少し、髪の毛一本分ぐらいは、ちょっとだけ拗ねてる。
「……うふふっ、貴方のそういう可愛らしいところを見れただけでも、十分嬉しいお返しを貰った気分よ」
「……俺が渡したかったのは、気分じゃなくて気持ちなんだよ」
「え?」
俺と奏は恋人同士ではあるが、それでも年齢差のこともあってイマイチ一歩先へ踏み出す勇気が出せなかった。素直にそれを口にすることが出来なかった。
「悪いかよ……俺が、そういう気持ちを素直に伝えようとしたら……」
「……馬鹿ね」
クスリと笑った奏は、あろうことか明らかな失敗作である俺の黒焦げクッキーを一つ自分の口に放り込んだ。
「ちょっ、奏?」
「……本当に苦いクッキー。でもこれを甘くしてくれる手段を、貴方は知ってるんじゃないの?」
奏はそう言ってチョンチョンと人差し指で俺の唇に触れた。
「私が一番欲しいもの、ここでくれた……このクッキーでも満足してあげるわよ?」
「そういうのもアリじゃないかしら!」
「だから何が!?」
今日は十時の様子もおかしいが、それ以上に速水の様子がおかしい。本当にどうしたコイツら。
「そ、そんなわけで、私からの提案は『いつもより弱い一面を見せる』ということで……」
(奏ちゃんってば、そういうのがいいんだ……)
「お、おう……十時の案とは真逆だな……」
しかしシチュエーションの案としてはなかなかいいものだとは思う。
「やっぱり二人に相談してよかったよ。ありがとな」
「「っ」」
――えへへ、お役に立てて光栄ですぅ。
――ふふっ、感謝しなさい?
『へぇ、今日は随分と楽しそうだったんですね』
「どうしてそんなお怒りなのでしょうか……?」
夜、ホワイトデー企画のことを十時と速水の案と共に楓に伝えたらすっごい怒られた。
なお帰って来た楓を相手に提案されたシチュエーションの練習をしたら機嫌は直った。
本編とは少しだけ違う世界線のお話。
そういえばこの二人とイチャつかせる番外編は書いたことなかったなぁって書き始めたものの、全然ネタが下りてこず締め切りまで二時間を切った焦りからものすごく頭の悪い内容になってしまった。ただ書いてて凄い楽しかった(小並感)
……はい楓さんの出番がないことに対しては謝罪を……。