7:30 マジックフロンティア・ステーション
さて『マジックフロンティア・ステーション』でモノレールを降りた俺たちは、そのまま人波に乗って二階のホームから一階の改札へ……向かうことなく、ホームから直結している改札から外へ出た。
「駅のホームから直接ホテルに行けるっていうのは便利だな」
「ホテルの最寄り駅でもあるものね」
俺たちは一泊とはいえそれなりに荷物があるため、このまま入園してしまえば邪魔になることは間違いない。パーク内や『マジックフロンティア・ステーション』にもコインロッカーがあるのでそこに入れておくという手も存在するらしいのだが、折角目と鼻の先に宿泊予定のホテルがあるのだから、先んじて荷物を預けてしまおうという魂胆である。
改札を出てそのまま専用の連絡通路で繋がった『ホテル・シャングリラ』へと向かう。その連絡通路は『フロンティア』への入場待ちをする列の頭上を通ることになるのだが……。
「もうこんなに並んでるのね」
「プロデューサーが言ってた『二時間前から並びたい』っていうのはこういうことか……」
そこには大勢の人たちが並ぶ光景が広がっていた。五十メートルほどの列が大体十列ほど出来ていて、さらにここは東側ゲートなので同じ列が西側ゲートにも出来ているということになるのだろう。……果たして総勢何人になることやら。
「閑散期でこれってことは、繁忙期になるとどうなっちゃうのかしら」
「人のこと言えないが、平日だっていうのに集まるところには集まるものなんだな」
そんなことを話しつつ、連絡通路を渡って『ホテル・シャングリラ』へ。
7:35 ホテル・シャングリラ
海外のホテルにも負けないような高級感漂う入口からロビーへと入ると、朝早いこんな時間だというのに既に多くの人たちの姿があった。まだチェックイン出来る時間ではないので俺たちと同じように荷物を預けに来た利用客や、おそらく今からチェックアウトする人たちもいるのだろう。海外のリゾートホテルと違い、家族連れが多い印象である。
「おはようございます」
そんなロビーの片隅にあるクロークへと向かうと、担当のスタッフからの丁寧な挨拶によって出迎えられた。……ここでは郷に従って『キャスト』と呼ぶべきかな。
「今日宿泊予定なのですが、チェックイン前に荷物を預かってもらいたいです」
「承知いたしました。お名前を確認させていただいてもよろしいですか?」
「……神谷旭です」
周りから聞こえないように声色を落とし、それでいて聞き返されることがないようにハッキリと自分の名前を告げる。
「……ありがとうございます。少々お待ちください」
恐らく手元のタブレットを操作して宿泊者名簿を確認しているのであろうキャストさんはにこやかな表情を崩していないが、一瞬だけ視線が隣の楓に動いたことを俺は見逃さなかった。職業柄、演技には敏感なのである。
その後、問題なく荷物を預かってもらうことが出来たので、これでようやくパークへの入場待ちの列に並ぶことが出来る。
「………………」
「どうしたんですか?」
「……はぁ~……お忍びデート尊い……」
「……本当にどうしたんですか……?」
7:45 マジックフロンティア ゲート前
「……この列とかいいんじゃないかな」
「……そうだな」
前に並んでいる人たちを確認しながら、俺たちが並ぶ列を決める。
プロデューサー曰く『小さい子供連れやベビーカーが多く並んでいる列は避けるのが吉』とのこと。入園する際のチケット確認などで列がなかなか進まなくなることがあるらしい。勿論そんな人たちを責めるつもりはないが、責めるつもりがないからこそ少しでも自衛しようということだ。
「ここから一時間ちょっとか……」
「二人で待ってたらきっとすぐよ」
「かな」
とりあえず背負っていたデイバックを下ろして、中からレジャーシートを取り出す。コレはプロデューサーが『園内に持って入った方がいいものリスト』に載っていたものであり、様々な待ち時間が発生する園内において必須級の持ち物らしい。
確かに周りを見回してみると、多くに人がレジャーシートを引いてそこに腰を下ろしている。中には小さな折り畳み椅子に座っている人もおり、長い時間待つことに慣れた人たちだと見受けられる。
「二人しかいないんだし、大きく広げる必要もないよね」
「え、でも荷物とか置くし」
「はーい旭君もここに座ってくださいねー」
「……はいはい」
俺の手からレジャーシートを持っていった楓がさっさとそれを四つ折りの状態で地面に広げる。そしてその片隅に腰を下ろすと、楓は自分の隣をポンポンと手で叩いた。そこでようやく楓の意図に気が付いた俺は、彼女と肩を触れさせるようにして腰を下ろす。
「さてと……それじゃあ今から大事なことを決めます」
「ん? 大事なこと」
文字通り肩が触れ合う距離のいい匂いのする美女がそんなことを言い出した。
「あぁ、今日回るアトラクションとかレストランの確認か」
それならばプロデューサー謹製の『マジックリゾート一泊二日のしおり』が必要だろうと、スマホを取り出す。まさかPDFファイルにして送ってくるとは思わなかった。
「それも大事だけど、もっと根本的なところで大事なこと」
しかしそれは半分不正解だったらしい。
「根本的なところ?」
「そう。今日と明日、二日間の
『呼び方』と聞いて思い出すことは一つ。
「『ハニー』とは呼ばないぞ」
「あら、残念よ『ダーリン』」
以前お互いの呼び方を譲らなかったことで小さな喧嘩に発展してしまったときのことを思い出したが、楓は笑顔で「今日はそれじゃないわ」と首を振った。
「『ハニー』や『ダーリン』じゃないにせよ、お互いの名前を堂々と呼び合うと
「それは、まぁ」
俺たちは『神谷旭』と神谷楓……世間的には『高垣楓』である。つい先日結婚したばかりであり、それなりに世間を賑わせた芸能ニュースであるためまだ人々の記憶にも新しいことだろう。そのため、いくら変装をしているからとはいえお互いに『アサヒくん』『カエデ』と呼び合っていては身バレのリスクがあるということは、俺も理解している。
「だから呼び方を変えるの。今日と明日だけでも」
「……一理あるな」
楓の言い分に納得して了承する。ちなみにここまでの会話はそれなりにトーンを落としているので周りからは聞こえていない……と信じている。
というわけでお互いの呼び方決めである。
「実は私はもう決めてて……」
少しはにかんで人差し指をツンツンと突き合わせた楓が、照れくさそう俺の顔を覗き込んできた。
「今日は『ひぃくん』って呼ぶわね」
「……そっちなのか」
アサヒのアではなくヒから持って来たか。
「アッくんでも良かったんだけど……なんだ旭君はアッくんって感じじゃなくて」
「……それって褒めてる? 貶してる?」
「やーん、ひぃくん怒らないでー」
「いや怒ってないけど……」
しかし甘えるようにわざとらしい猫撫で声でしなだれかかってくるので、本当に怒っていないのに何かを許してしまいそうになる。そして『高垣楓』に甘えられる唯一の存在だということに対する優越感が凄い。
「それじゃあ、今度はひぃくんの番ね」
「そうだな……」
楓から期待する目線を受けつつ、彼女の呼び方を考える。
一文字を持ってくるならば『かーちゃん』になってしまうので却下。『でーちゃん』『えでちゃん』『かえちゃん』……あれ、こいつの愛称って結構難易度高いな。
「………………」
「……ひぃくんは、一体どんな素敵な呼び方を考えてくれるのかなー?」
「ハードルを上げるな」
いや本当にどうするか……かえで……カエデ……楓……ん?
「閃いた」
「あ、なになに?」
「俺が『ひぃ』なら、お前は『ふぅ』だ」
「……ふぅ? それはどんな理由で……?」
「お前の名前の漢字に『風』っていう感じが入ってるだろ。だから『ふう』」
お互いに呼び方の語感が良いと思った。
さて楓の反応は……。
(むふーっ!)
(あ、なんか凄い満足そう)
どうやら気に入ってくれたらしい。
「それじゃあ改めて……今日は楽しみましょうね、ひぃくん」
「あぁ、楽しもうな。ふぅ」
「~っ」
楓は口元を両手で抑えると、くねくねと身を捩った。
「私たち今……すっごいカップルしてる……」
「いやカップルと言うか夫婦だけど……」
「でも夫婦になる前もこういう感じじゃなかったじゃない」
それはお互いに恋愛不慣れだったからギクシャクしてたからであり、あれはあれで『中学生の恋愛』のようだったと後に川島さんや片桐さんに色々と言われたものである。
「だから今日は……」
ぎゅっと俺の腕を抱きしめるように楓が更に身を寄せると……。
――いっぱいイチャイチャしましょうね。
……そう、耳元で囁いた。
「………………」
この世の中に『高垣楓』に耳元で「イチャイチャしよう」と囁かやかれて耐えられる男なんて存在するはずがなく、俺は無事に撃沈するのであった。
……開演まであと一時間弱あるんだけど、なんか別の意味で早く開園してほしい……!
「……なんかさ」
「うん」
「後ろのカップルのやりとりがさ」
「うん」
「私の頭の中であの『神谷夫妻』に変換されるんだよね」
「わかる」
「めっちゃ捗る」
「それな」
「パパとママのイチャイチャで飯が美味い」
「食べてるのポテチだけどね」
「コーラも美味しい」
「それにしてもマジックリゾートに行ったとき、パパとママがたまに『ひぃくん』とか『ふぅ』とか呼んでたのってコレが始まりだったんだね」
「待っている様子だけでこんなに楽しめるのに、入園したらどうなっちゃうんだろ……」