ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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Prologue
冒険の夜明け


 波の音が聞こえる。

 瞼の裏には強い光を感じ、徐々に意識が浮上していく。

 ひどくゆっくりとだが、体を包む感触があると気付いた。

 一つは砂。背に感じる柔らかさからおそらく浜辺に居るのだろうと連想させる。もう一つは水。腰の辺りまで包んでは去る生温い感触があり、海水に浸かっているのだろうかと気付いて、どうやら波打ち際に倒れているらしいとわかった。

 

 らしい、というのは今の今まで気を失っていたからだ。

 気を失う前まで小舟に乗って旅をしていたはず。それがどうして浜辺に寝転んでいるのか。ゆっくり目を開くと同時に、何が起きたのかわからず不思議に思っていた。

 

 全身が気だるい。疲労感が大きく、そこに加えて服が水を吸って重くなっている。

 起き上がるのも億劫で気分は晴れなかった。それでも周囲が気になって腕を突っ張り、なんとか上体を起こすことに成功する。

 途端にくらりと眩暈がして、思わずよろけながら右手で額を押さえた。

 その場に座り直し、視界には広大な海。呼吸を整えるよう深く息を吐く。

 

 脱力感がひどかった。海水を飲んだせいだろう。今すぐにも口をゆすぎたい気分である。

 気分は最悪で疲労は言い切れないほど。しかし優しく声をかけてくれる人間もいない。

 たった一人、絶不調の状態で辺りを見回してみた。

 

 見た事もない景色が広がっている。

 前方には海。すでに見慣れたとはいえ今日は日差しで輝く様相。

 後方を見ればのどかという表現が似合う白いビーチ。静けさを湛える広い森と、その向こうには高い山々。どうにも人の手が入っていなさそうな島であった。

 まさか無人島なのでは。そう思うのも当然なほどの大自然がそこにある。

 

 とても美しい景色だった。

 思わず危機感を忘れて見入ってしまうほど、その景色には表現しきれない力が溢れている。

 

 辺りに目を向けて確認したところ、船の残骸だろう木材が至る所に漂着していた。バラバラに砕かれてひどい有様。正しい形を持つ物は一つとしてない。

 

 そうだ、と思い出す。

 確か気を失う直前には、穏やかな海の中にぽっかりと存在した大渦を発見し、興味を惹かれている内に逃げられなくなって呑み込まれたのだ。

 あれはまずかったと他人事のように頷き、気をつけようと決めて納得する。

 死んでいなかったのは奇跡だろう。

 警戒心の無さを反省する前に、自分の悪運の強さに感謝した。

 

 それからようやく気付いたのだが、遠くには他の誰かの姿がある。同じく波打ち際で倒れているようだ。ひょっとしたら遭難者かもしれない。

 少年は震える脚で立ち上がり、そちらへ向かって歩き出す。

 何度か転びそうになるものの必死に耐え、危なげな足取りでなんとか近寄ることができた。

 

 寄せては返す波を踏みながら辿り着く。倒れているのは同年代の少年だった。

 短い黒髪に少年然とした純朴な容姿。赤いベストと膝丈のジーンズを身に着け、大の字に倒れて目を閉じていた。胸の動きが見えたので気絶しているだけらしい。

 

 同じ境遇の人なのだろう。嘆息した少年はひとまず安堵する。

 辿り着いたのは無人島の可能性が高いが、一人ではない。今はそれだけで安心だ。

 

 濡れた髪を掻き上げ、とりあえず彼を起こそうと考えた時、目の端にそれが映る。

 少し離れた場所、岩場に引っかかる物がある。なんの変哲もない麦わら帽子。赤いリボンがついていて、ずいぶん年季が入っているように見える。

 この人の持ち物だろうか。海の中へ少しだけ入り、膝まで浸かりながら岩場へ向かう。

 どうせ全身濡れているのだ、躊躇いはない。ただ少しだけ力が入らなくなるというだけで、大した危険があるわけでもなく、あっさりと岩場へ辿り着く。

 

 波の動きを体で感じつつ、転ばないように注意して手を伸ばす。

 拾い上げた麦わら帽子を掲げ、太陽の光にかざしながら眺めた後、軽く振って水を飛ばした。

 何気なく帽子をかぶってみる。

 頭上から降り注ぐ太陽の日差しが少し緩和された気がした。

 

 視界が少し変わったことで、海水の中に立ったまま海を眺める。

 広く、果てが見えない海原。近くにいくつかの島が見え、だからこそその巨大さがありありと伝わり、あまりの威容に言葉を呑んで立ち尽くす。

 空は快晴で雲一つない。降り注ぐ光は水面を輝かせ、とても美しい様相を湛えていた。

 

 海を見てこれほどきれいだと思うのは、これほど心躍るのは久しぶりだ。

 ただ帽子をかぶっただけの些細な変化である。しかし気分を変えるにはちょうどよかったらしく、目の前の光景も加えて、遭難したばかりの少年は事実すら忘れて気分を良くしていた。

 まるで冒険に出かけたあの日を思い出すかのよう。

 視界に広がる風景は、どこか懐かしさを持ち合わせていた。

 

 しばらくそのまま立ち尽くして風景に見入る。

 どれほど時間が経ったか、本人に自覚はない。視線を外したきっかけは背後で小さなうめき声が聞こえたからで、その時にようやくもう一人の遭難者を思い出し、パッとそちらに振り返って歩き出した。歩き辛いが海水をかき分けてビーチへ戻り、大の字に寝転がる少年の顔を覗き込む。

 

 黒髪の少年は目覚めたらしい。目元を手の甲で擦り、眠たげな目をうっすら開く。

 ひどく子供っぽい仕草にくすりと笑って、麦わら帽子をかぶった少年は自らの手でそっと帽子を取り、寝転んだままの彼の顔にそれをかぶせてやった。

 途端にわっと声が出る。わずかながらも驚く声に、またくすくすと笑い声が漏れた。

 

 「おはよう。生きてるようで何よりだね」

 「んん~……おはようございます」

 

 黒髪の少年は視界を塞いだ帽子を頭へかぶり直し、自身の前に立つ少年を見た。

 最初にわかったのは、その笑顔。まるで子供のようにキラキラした純真無垢な様子に見える。

 少しくすんだ色の金髪と、別段特別にも見えない青色のパーカーにジーンズ。頭の先から靴まで濡れているが、どこにでも居る至って普通の人物だ。

 

 気楽に思える優しい声で語り掛けられ、麦わら帽子の少年は眠たげな声で答えていた。しかし数秒すれば状況に気付いたらしく、辺りを見回し、自分が居る場所に違和感を感じた様子だ。

 

 「あり? どこだここ? おれなんでこんなとこにいんだ?」

 「さぁ、なんでだろう」

 

 目覚めたばかりで不思議そうに首をかしげる少年と、それを優しく見守る少年。

 二人の出会いは特別な物でもなく、そんな程度の物だった。

 

 

 *

 

 

 脱いだ上着をぎゅっと絞れば、吸い込んだ海水が大量に吐き出された。

 広げたそれを振ればぱんっと小気味良い音が発せられる。広大なビーチでは響きようもないが、静かな波の音だけがあるその場所ではよく耳に残って、麦わら帽子の少年はじっと見つめる。

 

 パーカーを脱いでTシャツ姿になった金髪の少年は落ち着いた素振りで過ごしていた。

 遭難したとわかった上で微塵も慌てていない。

 最初からそこに住んでいたかのように見えるほどの冷静さで、服を乾かす余裕まである。

 

 太陽は高く、日は浅い。視界は良好で遠くまで見渡せるため、もしも船が近くを通ればすぐに発見できるだろうが、助けを探す素振りさえなく。

 何をするより先に休憩しようとするかのような、独特の緩さすら持っていたらしい。

 

 当然、二人は顔見知りでもなんでもなく、たった今出会ったばかりである。

 それにしてはどちらも警戒心がない姿。片方は濡れた服を干そうと近くにあった木材をビーチに突き立て、上着を引っ掛けている。もう片方は座ったままでぼんやりそれを見るばかり。

 設置が終わると金髪の少年が振り向き、座ったままの彼を見て声をかけた。

 

 「そういえば、まだ名前聞いてなかったね」

 「お、そうだな」

 「ボクはキリ。ただの旅人だよ」

 

 金髪の少年が先に名乗った。

 警戒心など欠片もない。端的に告げて黒髪の少年の隣へ腰を下ろし、濡れた服が多少気にはなったが熱くなった砂の上へ座って、彼の顔を見る。

 こちらも屈託のない笑みを浮かべていて、敵意はない。どうやら危険人物ではないようだ。

 

 「おれはルフィ。海賊だ」

 「海賊?」

 「ほんとだぞ」

 「そうは見えないけどね」

 「昨日出航したばっかりなんだ。仲間もいねぇし船もねぇ。だから海賊志望ってことでいいよ」

 「あぁ、そういうこと。じゃあ遭難したのも一人でってことだ」

 「おまえは?」

 「こっちも一人。お互い、とりあえず知り合いを心配する必要はなさそうだね」

 

 燦々と照る太陽は熱い日差しを送っている。時間が経てば自然と服も乾くだろう。

 周囲に広がる景色はあまりにも大きく、小さな彼らを迎えて尚、雄大に立っている。決して傷つけようとする素振りではない。そのせいか、見ているだけで心が穏やかになった。

 

 麦わら帽子をかぶった少年はルフィ。

 金髪の少年はキリ。

 名乗った二人は海を眺めながら、別段慌てることもなく話を始めた。

 

 「なんでこんなとこに居んだろうなぁ」

 「多分、渦潮に呑まれたから。ずいぶん大きくて珍しいからさ、近くで見ようと思ったら、逃げられなくなっちゃって」

 「あ、おれとおんなじだ。おれも大渦に呑まれて、気付いたらここに居たんだ」

 「ほんとに? じゃあ、奇跡的に似たような境遇でここに来たってことかな」

 「しっしっし、理由もいっしょだ。あんなに大きい渦潮見た事なかったからな」

 「ってことは、間抜けな二人が揃っちゃったってとこだね。普通、渦潮を見つけたら間違いなく呑まれないように離れるはずだよ。それがわざわざ自分から近付いてみようだなんて」

 「でもあれはしょうがねぇよ。珍しかったし」

 「あはは、確かに。それは言えてる」

 

 心配するどころかお気楽な様子で、笑顔を向け合う余裕すらある。似た者同士だと知ってむしろ警戒心はゼロになってしまったようだ。

 出会ったばかりで数年来の友人であるかのような、そんな姿だった。

 妙に崩れた姿勢で座り、わずかに後ろを振り返って島の全景を眺める。心配をしているのかいないのか、緊張感がない声色でキリがぽつりと呟いた。

 

 「無人島かな」

 「そうみてぇだな。誰もいなさそうだぞ」

 「困ったな。誰かに船出してもらうってわけにはいかなそうだし、どうやって出よう」

 「なんだ、なんか急いでんのか?」

 「そんなことないけど、いつまでもここに居るわけにもいかないでしょ」

 「んん、そうだな。でもまだいいんじゃねぇか」

 

 青々と茂る森や山々を見て、目を輝かせたルフィがそっと立ち上がる。

 見上げるキリには目を向けず、広がる大自然に心を躍らせた様子だ。

 

 「冒険のにおいがするっ」

 「まぁ、未開の土地みたいだしね」

 「なぁキリ、せっかく来たんだから冒険しようぜ。なんかおもしろそうだろ」

 

 まるで好奇心の塊だ、と思った。

 非常に楽しそうな笑顔を向けられ、思わず呆気に取られたキリが言葉を失う。自分自身を好奇心や探求心が大きい人間だと思っていたが、どうやら上には上が居たらしい。

 

 遭難して無人島に漂着。普通の人間ならば途方に暮れてもおかしくないというのに、そんな暇もなく冒険を優先させるとはなんという胆力か。流石海賊志望だというだけあって只者ではないと見え、呆れるより先にキリは笑っていて、無邪気な様子で肩を震わせた。

 

 冒険。稚拙にも思える言葉だが魅力的な誘いだ。

 この状況下で誘われるとは思わなかったが、悪くないと思う自分が居る。どうせ海を眺めていても助けになる船も見当たらず、ビーチに座っているだけでは何も見つけられない。

 島を脱出することを考えるならば動くべきだろう。

 キリもまた迷わず立ち上がる。

 

 「ここに居ても仕方ないか。でも冒険って何するの?」

 「そりゃ冒険するんだろ」

 「いや、そうだけど。例えば食料や水を探すとか、この島から出る方法を探すとか」

 「ん~全部だな。とにかく行ってみりゃ何か見つかるよ」

 「大雑把だなぁ。どんな危険があるかわからないんだよ?」

 「なんかあったらそん時に考えればいいさ。おれ出たとこ勝負好きだし」

 

 そう言ってそそくさと歩き出してしまうルフィの背に、苦笑したキリの溜息が向けられた。

 

 「ハァ……やれやれ」

 

 じっとしていられない性分なのだろう。きっと止めても無駄だ。

 全く迷わずに行ってしまう彼には理路整然とした説明や話し合いなど必要ない。言ったところでおそらく聞かないだろうと、体感で理解できたからだ。

 

 キリもまた歩き出す。

 歩調を合わせてもらったせいかすぐに追いつき、肩が並んでから少し速度が変わった。

 抑えきれない冒険心を抱きながら、ルフィはキリを置いていくつもりはないらしく、思いのほか優しい態度である。

 熱くなった砂を踏みしめ、向かう先はビーチの切れ目で、森への入り口だった。

 

 「もうちょっと警戒心持った方がいいんじゃないかな。何があるかわからないってことは、隠れてるだけで誰かいるかもしれない」

 「誰かって、だれが?」

 「密猟者とか、原住民とかかな。人の気配を感じないってことは、多分危険な人」

 「心配いらねぇよ。おれは強いしね」

 「猛獣や毒虫だって出るかもよ」

 「ガキの頃から山の中で走り回ってたんだ。怖くねぇ」

 「へぇ、そう。とりあえず言っても聞かない人なんだってことはわかったよ」

 

 からからと笑うルフィと共に森の中へと入る。すると周囲の様子はあっという間に一変した。

 木々の背は高く、緑の葉がまるで天井のように頭上を覆い隠して、わずかな隙間から落ちてくる日光が辺りを神秘的に照らす。わずかな音がそこかしこから聞こえ、葉が揺れたり、動物や虫が鳴き声を発していたり、音が存在していながらとても静かな様相だった。

 不思議な空間が演出されている。人の手が入らないからこその姿で。

 

 二人の口から感嘆の声が漏れた。そこにある風景は想像よりもずっと美しい。

 ビーチを抜ければ地面は砂から褐色の土に変わり、落ちた葉が敷き詰められている。

 それらを踏みつけてどこへともなく進み始めた。目的を定めていないため、キリは少しばかり戸惑いがちであったが、対するルフィは向かう先さえわかっていないというのに心配事など皆無。ひどく上機嫌で淀みなく歩いていた。

 

 「きれいなとこだなぁ。昔おれが遊んでた山とも違う感じだ。なんでだろ」

 「そりゃ所変われば景色だって変わってくるよ。山でも森でも、海でも、全く同じ場所なんてない。立つ場所が変われば全く違う物に見えるようになる」

 「それもそうだ。そういやおれ、故郷から出たことってなかったんだよ。だから故郷以外の島に来たの、ここが初めてだ」

 「それはいい体験したね。漂流しただけってのが微妙なとこだけど」

 「いいじゃねぇか。結局死んでなかったんだし」

 「それで海賊志望なら苦労するよ。多分」

 「いいんだ。苦労するのだって楽しいんだぞ」

 

 森の中に入ると直射日光を避けることができて、微弱な風もあって、先程より涼しく感じる。

 額に浮かんでいた汗を拭い、キリはふぅと小さく息を吐いた。

 

 奇妙な展開だと改めて思う。

 遭難したことに加えて、出会ったばかりの少年に連れられて見知らぬ島の冒険を始めるとは。しかもその歩みに恐れが見られないのが驚きである。

 年頃はまだ若く、外見は全く怖さがない。そんな様子で海賊志望とは言いつつ、ひょっとしたらすでにとんでもない大物なのかもしれない。或いは、ただのバカという可能性もある。

 なんとなくだがそんな風にも思っていた。

 

 「キリはなんで旅してるんだ?」

 「ん? どうしたの、急に」

 「おれは海賊になるためだけどさ、キリのは聞いてなかっただろ」

 「確かにそうだけど」

 「なんで一人で旅してたんだ?」

 

 首をかしげて心底不思議そうに問うてくるルフィに、この人は純粋過ぎるほど純粋なのだろう、という感想を抱く。

 よく言えば穢れのない、悪く言えば子供っぽい人物。何を目指すのかは勝手だが、一人で旅をさせるには些か心配な人物だろう。よく一人で海に出たものだと、出会ったばかりでもそう思う。

 別に隠すことでもないため、答えはすぐに言葉として吐き出された。

 

 「故郷に帰ろうとしてたんだよ。ちょっと遠くに行ってたから」

 「へぇ。遠くってどこだ? イーストブルーか?」

 「いや。偉大なる航路(グランドライン)だよ」

 

 何気なくキリが言った言葉でルフィの目が見開かれた。

 原因は彼が口にした言葉にある。

 

 彼らが現在居る場所は、世界地図で見れば四つに分かれた海の内の一つ、東の海(イーストブルー)。四つの海の中で最も平和だと言われている場所だった。

 対して、以前キリが居たというのは偉大なる航路(グランドライン)。それは世界を真っ二つに分ける一筋の航路にして、海賊になろうとするルフィが最終的な目的地とする場所。

 言わばルフィが目指す場所から来た人物だ。俄然彼への興味は大きくなって、輝くような笑みを浮かべたルフィは前のめりの姿勢でキリを見た。

 

 「グランドラインに居たのか? おれもそこ行こうと思ってたんだよ。何やってたんだ?」

 「別に言ってもいいか。ちょっと前まで、海賊やっててね」

 「海賊!? キリも海賊だったのか!」

 「元だよ。今は違う」

 「え~? なんで今は違うんだ」

 「続ける理由はなかったし、やめたんだ。だから今はただの旅人」

 

 そっけないとも思える声色。気負うことなく言われていた。

 その時の表情に少し違和感を覚える。しかし今のルフィに引っかかるのは彼が海賊だったという事実のみ。ほんの数秒で気になることは変わってしまった。

 

 「じゃあさ、おれの仲間になれよ。いっしょに海賊やろう」

 「断る」

 「なにィ! おい、なんでだよキリ!」

 「さっき言ったばっかりじゃないか。海賊はやめたんだって」

 「いいじゃねぇか、もっかいやろう。キリだって知ってるだろ? 海賊は楽しいんだぞ」

 「知ってるよ。でも昔の話だから」

 「やめたってもっかい始めればいいだろ。おれの仲間になれよ」

 「いやだ」

 

 子供っぽいとは思ったが、存外、しつこい性格らしい。

 どんな言葉で誘われようと断るキリに対し、ルフィは尚も諦めない。なぜかすでに気に入られてしまったようで勧誘は止まらず、仲間になれと同じ言葉を向けられる。

 

 「おれは船長がいいんだ。一人目だからキリは副船長かな」

 「だから仲間にならないって」

 「なんでならねぇんだよ。絶対楽しいって」

 「でも一回やめちゃったからねぇ」

 「そんなのすぐに慣れるだろ。大丈夫だ、おれが保証する」

 「適当な保証だなぁ。それに君の仲間ってのが大変そうだよ。色々心配事も多そうだし、頭も悩ませそうだし、簡単には頷けそうにないね」

 「おまえバカだなぁ、大変だから楽しいんだぞ。全部簡単にできちまったらおもしろくねぇじゃねぇか。何も知らねぇから冒険は楽しいんだ」

 「良い事言うね。肝に銘じとくよ」

 「じゃあおれの仲間になるか?」

 「いや、ならない」

 「え~っ」

 

 尚もルフィの勧誘は止まらずに、歩く最中キリは常に誘われ続けた。

 確かに気のいい男ではある。けれどそれだけでは済まされない人物でもあって、苦笑しながらものらりくらりと巧みに避けられているようであった。

 

 諦めない姿には好感を持つ一方、驚くほど厄介だと思う。

 やれやれと首を振りながら、それでもキリは首を縦に振らなかった。

 

 「海賊は良いんだぞ。海を旅して、宝を探して、しかも歌うんだ」

 「歌なら陸でも歌えるよ」

 「そういうことじゃねぇよ。船の上で歌うから気分がいいんだ。なぁキリ、おれと海賊やろう」

 「あ。あんなところにフルーツが」

 「んん? どこだ?」

 

 止まない勧誘の攻撃を受け、キリが出した回避の術はルフィの注意を逸らすことだった。

 木の上を指差し、見れば確かにフルーツが生っている。黄色い皮の丸々とした実。多少珍しいものの食べても問題がないはずの物だった。

 ただし、木を登ろうにも幹が細く、頑丈そうには見えない。

 食べるには考えなければならないだろう。上機嫌なルフィとは裏腹にキリはふむと考える。

 

 「んまほ~。ちょうど腹減ってたんだよ」

 「登るにはちょっと細過ぎるね。石を投げるとかしないと無理かな」

 「いんや、大丈夫だ。おれに任せろ」

 

 ルフィが景気よく右腕を回し始めた。

 その行動に疑問を抱き、キリは怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 「どうする気?」

 「おれなら届く」

 

 ぐるぐると回された後、勢いよく右腕が木のてっぺんへ向けて突き出される。

 届くはずがない、とキリが考えた瞬間。あろうことかルフィの右腕が勢いよく伸びて、数メートルは離れた位置にある頭上のフルーツへ届いてしまった。

 

 予想だにしていなかった光景に彼の目が大きく見開かれる。

 伸びた腕は行きと同じ勢いで元の長さに戻って、手にはしっかりとフルーツを一つ握っている。手品の類ではない。彼自身の腕が伸びたのだ。

 その様はまるでゴムのようだと思う。

 そう考えれば納得できる部分もあって、呆然とするキリは気付けば尋ねていた。

 

 「腕が、伸びた……パラミシア? まさか、悪魔の実を?」

 「ああ。おれはゴムゴムの実を食ったゴム人間だ」

 

 合点がいったと頷く。

 

 悪魔の実とは、一口食せば悪魔に取りつかれ、人智を超えた能力を手に入れるという。

 解明されていない謎は多くあり、世界的に見ても実を食した者はごくわずか。悪魔の力を手に入れた者は総じて能力者と呼ばれ、常人を遥かに凌駕する戦闘能力を有していると言われている。

 

 ゴムゴムの実を食したということはおそらく彼の全身はゴムで出来ているということ。皮膚や筋肉、内臓や血管、細胞の一つ一つに至るまでがすべてゴム。

 それが悪魔の実、超人系(パラミシア)に属される能力者の特徴だ。

 常人とは明らかに一線を画した存在であって、驚いた様子のキリは感心したように呟いた。

 

 「へぇぇ、イーストブルーにも能力者が居るんだね。まぁ確かにあり得ない話じゃないけど、ちょっと驚いたよ。しかもゴムゴムって面白い能力だね」

 「ししし、そうだろ」

 「引っ張っても痛くないの?」

 「おう、全く痛くねぇ」

 「どれ」

 

 試しにキリがルフィの頬を引っ張る。ぐいと力を入れて引けば、笑みが崩れることなく皮膚がみるみる伸びていき、痛みを感じる様子もないまま手が止まるまで伸び続ける。

 続けて、引っ張った頬を突然離してみた。急速に縮む皮膚がバチンと元の位置まで戻るが、相変わらずルフィは上機嫌そうだ。

 痛みを覚えた素振りはない。

 打撃、或いはそれに準ずるダメージは無効化してしまうゴムの体にとって、引っ張られた程度ではダメージにさえならない。強がっている訳ではなくて、本当に痛くないようだ。

 

 どうやら本物らしい。人間の皮膚はあそこまで伸びないのだから信じるのは当然。

 冷静に考えれば感触もどこか違っている気がして、尚も彼の頬を指先でつつくキリは興味津々といった様子。気安い態度でしばらく彼に触れていた。ルフィも敢えて抵抗はせず、気分を害することすらないまま彼のしたいようにさせている。

 満足した後で指が離れると、ルフィは再び木に実るフルーツへ向き直った。

 

 「んじゃ腹も減ったし、メシにしようぜ。おれがあれ取るから」

 「任せるよ」

 「おれから渡して欲しかったら、仲間になれ」

 「やっぱりいらないや」

 「チェッ、いい案だと思ったんだけどな」

 

 ルフィは両腕を伸ばして次々フルーツを取っていく。一定の速度で淀みなく、ずいぶんと素早い。ひとまず見える位置にある物は全て落とせた。

 地面に落としたフルーツを見て満足気な笑顔。

 その内の一つを拾い上げたルフィはキリに放り投げ、自身は先に地面へ座った。

 

 「ほら、キリも食えよ」

 「仲間にならないけどいいの?」

 「いいよ、メシくらい。仲間にはなって欲しいけどそんなにケチじゃねぇって」

 「さっきは脅されたけどね」

 「でも聞かなかったじゃねぇか」

 「そりゃボクにだって主張はあるから」

 「ちぇ~、おれは本気なのになぁ」

 

 キリもルフィの隣に座って、彼が先にフルーツをかじったのを見た。

 些細な食事の風景でも、幸せそうな笑顔を見れば不思議とキリも笑顔になってしまう。

 同じくフルーツを一口かじり、口内に広がる甘い果汁に気を良くする。

 

 「うんめぇなぁ。でもやっぱ肉がいいな、うん」

 「今日中に島を出るのは難しそうだし、夜のことも考えないとね」

 「島出るにはどうすりゃいいんだろ」

 「イカダでも作った方が早いんじゃないかな。人もいそうにないし」

 「キリ作れんのか?」

 「多分ね。大体の構造はわかるよ」

 

 フルーツを食べながらの、のどかな会話だった。

 ルフィの質問とキリの返答によれば、元は海賊の見習いだったらしいキリは航海に必要な技術を身に着けているという話だ。航海術に料理、応急処置程度の医術や、船の修理まで。船で一番の年下で、航海のイロハを叩き込まれたために色々出来るようになったのだと説明される。

 

 さらに聞くと、初めて船に乗り込んだのは五歳くらいだったという。

 腰を落ち着けたということでキリの口も多少は軽くなった。海賊だったと話してしまったこともあって、隠すほどの内容でもないと思ったのだろう。快く答えを返している。

 

 興味津々のルフィの質問に答えて、過去が少しだけ窺い知ることができる。

 子供の頃から海賊船に乗り、見習いとして航海したばかりでなく、グランドラインへの航海へも同行した。幼い頃から海賊に憧れていたルフィにとっては非常に興味深い話だった。

 

 「すげぇなぁ。キリってほんとに海賊だったんだな」

 「そりゃこんなことで嘘つかないよ」

 「楽しかったか? グランドラインの航海」

 「うん、もちろん」

 「じゃあやっぱおれの仲間になれ。今からグランドラインに行くんだぞ」

 「それはだめ」

 「え~」

 「いい加減諦めて他当たりなよ」

 

 冷静にキリが言えばルフィは笑うだけ。諦めるつもりはなさそうだとすぐにわかった。

 だんだん彼のことがわかってきた気がする。言い出したら他人の言うことを聞かず、子供のようなわがままさを発揮する。しかしそれが嫌かと問われればそうではない。不思議なことにどれだけしつこくても彼に対する怒りは沸かなかった。

 屈託のない笑顔が敵意を削いでいるのだろうか。

 それはそれでずるいと、心の中では多少面倒とは思っているはずなのに、思いのほか快く答えてしまっている自分に苦笑する。

 

 集めたフルーツを食べきるまでさほど時間はかからなかった。大半はルフィがぺろりと平らげたのである。細身に似合わず大食漢なようで、ゴムの腹はわかりやすく少しばかり膨らんでいた。

 呆れが半分、その姿を面白いと考えるのが半分。キリはくすくすと笑う。

 

 「よく食べたね。全部は無理だと思ってたけど」

 「んん、肉ならもっと食えるぞ、おれは」

 「でも少しくらい残しといた方がよかったんじゃない? いつまでここに居るかわからないんだし、簡単に食料が見つけられるかどうかもわからないんだから慎重に行動しないと」

 「あ、そっか」

 「うーん、君はあんまり先のこと考えるの得意じゃないのかな」

 「まぁいいじゃねぇか。歩き回ればまたすぐ見つかるって」

 

 危機感もなく笑う仕草はやはり子供っぽく。怒る気力すら削がれていった。

 あからさまに溜息をついた後、すでにキリの中には文句もない。

 

 ふと、木の幹に背を預け、だらしなく力を抜いて座って、先程よりリラックスした状態となる。

 そちらの方が素なのか、もはや考える気力すら捨てて表情が和らいだ。

 キリの穏やかな顔を見やり、ルフィも同じ体勢になって力を抜く。

 耳を澄ましてみれば風が動く音が聞こえる。葉が揺れるためそこを通ったのだとわかるのだ。静かな森の中で不思議な空気に包まれ、驚くほど心が安らいでいくのを理解する。

 

 「君はお気楽だねぇ。そこまでブレないと羨ましいよ」

 「そうか。海賊やりたくなったか?」

 「それはまた別の話」

 「なかなか頑固だな、おまえ」

 「それを君が言う? 普通ボクが言うセリフだと思うけどな」

 

 腹もある程度満たされて、心地良い風と緑の匂いに気分が良くなる。隣に居る少年も出会ったばかりではあるが邪魔にはならない。むしろ慣れてきて居心地が良くなってきたところだ。

 キリはそっと目を閉じた。

 

 熱い気候のせいかすっかり服も乾いている。いよいよ奇妙なほどに落ち着き始めて眠気すら感じるようになっていた。

 ルフィもまた、隣の彼を見習って目を閉じてみる。

 視界が無くなれば弱弱しい風もより一層鮮明に感じた。なるほど、気分は悪くない。体の力を抜くと心地良さが増して眠りたくなってくる。

 

 遭難していることを忘れているらしい。二人は妙に安堵していた。

 緊張感も敵意も持たずにまどろみを感じて脱力する。

 力を抜きながら、それでも会話は終わらず、今度はキリがやる気に欠けた声で切り出す。

 

 「海賊やるのって大変だよ。生半可な覚悟じゃやり通せない」

 「だったら心配いらねぇよ。覚悟ならもうできてる」

 「どうして、海賊になろうと? 冒険がしたいなら冒険家でもいいじゃないか。わざわざ悪名を得るような真似しなくてもいいのに」

 「おれはな。海賊王になるんだ」

 

 目を閉じたままで、キリの呼吸が変わった。

 驚いた様子でわずかに息を呑み、ルフィが気付かぬ内にまた元に戻る。

 声色は変わらず。至って平静な声で再度尋ねた。

 

 「海賊王って言えば、グランドラインを制覇した海賊に与えられる名前だ。世の中有名な海賊は数えきれないほどいるけど、そう呼ばれたのはあのゴールド・ロジャーただ一人。まさか君がそれを目指すの?」

 「ああ、そうだ。そのために村を出たんだからな」

 「また大きく出たなぁ。もう少し小さい夢だって十分海賊やれるよ」

 「いいんだ。おれはこれがいい」

 

 ししし、と特徴的な笑い声。

 ルフィの声には自信が満ち溢れていた。一体なぜそれほど確信を持って言えるのかはわからないが、なれないとは微塵も思っていない、そんな風に思わせる。しかしだからこそ覚悟の強さも感じ取れた。なると決めているのなら、おそらく命さえ賭けるつもりなのだろう。

 それを勇気と呼ぶか覚悟と呼ぶかは受け止める側の勝手である。

 

 少なくともキリは面白いと思っていた。お世辞にも褒められた夢ではないが、バカはバカでも、愛すべきバカだ。こういう手合いは案外周囲が思っている以上の成長を見せたりする。

 達観した様子でキリが呟いた。

 

 「それはそれで、面白いかもね……」

 「おっ、ほんとか? 海賊やるか?」

 「ううん、やらない」

 

 目を開けてキリの顔を見、唇を尖らせる彼を無視して、キリが立ち上がった。

 元々休息を取るほど疲れていなかったのだ。昼寝を諦めるのは心苦しいが、気分が変わったこともあって動きたくなり、誘うようにルフィを見下ろす。

 

 「それじゃあ、未来の海賊王がいつまでもこんな島に居る訳にはいかないでしょ。さくっとイカダなりなんなり作って島を出ようか」

 「うし、そうすっか」

 

 ルフィが立ち上がったことを確認し、先にキリが歩き始める。

 イカダを作るならビーチに近い方がいいと考え、向かう方向はさっきまで居た場所。それに気付いたルフィが首をかしげて彼へ問う。

 

 「戻るのか?」

 「島を出るなら海が見える場所にいなきゃ。奥に行っても多分何もないよ」

 「バカだなぁおまえ。何があるかなんて自分で見に行かなきゃわからないだろ。それが冒険なんだぞ。何もないかどうかを見に行くのが冒険なんだ」

 「いや、それはそうだろうけどさ」

 「とりあえず行ってみようぜ。ひょっとしたら何かあるかも」

 「何もなかったら?」

 「んん、それも冒険だ」

 

 キリが向かおうとした方向とは逆の方向を目指し、意気揚々とルフィが歩き出す。キリは呆気に取られてその背に見入るばかりだった。

 流石は海賊。自分勝手で他人が善意で言った言葉さえ受け流してしまう。

 溜息をついて、しかし自分が元海賊ということもあってキリは怒りを持たず、やれやれと首を振りながら彼の後ろへ続いた。態度とは裏腹に少し楽しそうでもある。

 

 「キリはさ、海賊だったんだろ? 冒険とかしたことなかったのか?」

 「いいや、毎日が冒険だったよ。色んな物だって見てきた」

 「じゃあキリだって冒険好きだろ。ちょっとくらい寄り道した方が楽しいぞ」

 「さっきも言ったけど、ボクはもう海賊じゃないんだから冒険する必要はないの」

 「海賊だったら冒険しても問題ないってことか?」

 「あいにく海賊にはならないけどね」

 

 またもルフィが不満そうな声を出すが、キリは笑って受け流すばかり。

 軽口を叩きながら肩を並べて歩く様は当人たちが思っている以上に親しさを感じさせ、まるで何年も前からの付き合いに見えた。

 二人は一路、冒険のために島の奥を目指す。

 


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