ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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DEPARTURE

 盛況を博した宴は深夜を迎える頃にはすっかり鳴りを潜めて、人々は片づけもほどほどに家へと帰り、眠りに就いた。町全体が静かになった後、明かりが無くなった街並みは満月によって照らされている。どこか幻想的にも見える光が島に降り注ぎ、家々を浮かび上がらせていた。

 

 自身の家に戻ったシルクは、窓ガラス越しに満月を眺める。

 祖母と共に住む家は二階を宿屋としつつ、一階は簡易的な酒場。彼女たちが住むのは二階にある角の部屋で、室内にはベッドが二つ並び、二人で暮らしている。

 

 窓側に置かれたベッドにパジャマを着たシルクが座り、もう片方にはセツヨが寝ていた。

 静かな寝息が聞こえている。きっともう眠ったのだろう。だがシルクはいつも通りには眠れず、妙に寝つきが悪くてベッドに寝転ぶことにさえ疲れていた。

 

 仕方なく月を眺めながら考える。

 今日は大変な一日だった。遭難していたルフィとキリを拾ったことに始まり、海賊たちの襲撃と戦闘。それが終われば経験したことのない規模の宴だ。

 大変だったと思う。しかし終わってみれば案外楽しいものだった。

 

 興奮冷めやらぬといったところか、はたまた別の要因か。

 不思議と浮かない様子の、寂しげに見える表情のシルクは物憂げに月を見つめる。

 月の見え方さえ変わってしまったかのよう。大きなそれが不思議な力を放っているようで、その光がどこか奇妙にも思えて目が離せなくなりそうだった。

 

 今夜ばかりは眠れる気がしない。その理由がわからないのが厄介だ。今までも眠れない夜は経験したことはあるが理由がわからないなど初めてである。

 ちらりと背後を振り返ってセツヨを見るが、穏やかに寝ている。なんとも言えない鬱憤を相談できそうな雰囲気ではない。起こすのは躊躇われたためずっと一人で悶々と悩んでいた様子だった。

 

 小さく溜息をつき、立ち上がる。

 ベッドを離れたシルクはパジャマ姿のまま部屋の扉を開けて廊下へ出た。眠れそうにない時は時折こうしている。港が近いため海を眺めることが習慣となっていたのだ。

 

 階段を下りて一階へ。裏口から外へ出ようとした時、ふと酒場の方から声が聞こえた。

 盗人というわけではないだろう。時間を気にしてか声は潜められていたが、覚えのある声だ。宿の中に居るのは今日ばかりは主人の二人だけではない。

 

 なぜか足音を消し、ゆっくり近付く。

 壁に背を預けて忍ぶように、角から酒場のスペースを見た。

 席につき、小さなランプの灯りに照らされるのは、やはり客人たる二人だった。ルフィとキリがまだ起きていて何やら話しているらしい。

 

 ほっと胸を撫で下ろした。

 とりあえず不審者ではないことに安堵し、頬を緩ませて彼らの下に行こうとする。ただ、彼らが話している言葉が聞こえた一瞬、なぜか足がぴたりと止まってしまった。

 

 理由はよくわからない。

 彼女は壁際に隠れたまま話を聞こうとしたようだ。

 

 「海賊なんてあんなもんだよ。町を襲って何の罪もない人を傷つけ、宝を略奪して、何の責任も取らずに逃げ出す。シャンクスみたいに良い海賊なんて滅多に存在しない」

 

 静かに語るキリの声だ。ランプの炎に照らされた彼はルフィの麦わら帽子を持っていて、糸と針を使って修繕しているらしい。穏やかな表情が確認できた。

 対面に座るルフィはテーブルに顎を置き、だらしない姿勢。

 

 どちらも昼間より落ち着いた様子に見えて少し奇妙な空気を感じる。そのせいか、シルクは声をかけることを戸惑い、隠れたままで彼らの話を聞く羽目になってしまった。

 二人はシルクに気付かないまま話している。

 

 「今は世界中に海賊が居るだろうけど、大半があんな連中。そりゃ一般市民に好かれないよね」

 「うん。おれもそう思う」

 「幻滅した? 今ならまだ引き返せるよ。冒険したいだけなら、海賊じゃなくても冒険者になればいいわけだし。海賊やめるなら懸賞金もかけられてない今だけがチャンスだ」

 

 外見の様子よりよっぽど真剣な話をしているらしい。

 息を呑むシルクは慌てて口元に手を当て、存在感を消そうと躍起になる。

 

 海賊だと名乗ったのは今日の昼のこと。それが今、三日月のギャリーと戦った後でこの先のことを話している。あれだけ楽しそうにしていた二人の真剣な声を聞いて邪魔してはいけないと思ったのだ。海賊をやめるか、続けるか、きっとこの場で決まるのだろう。

 穏やかながらも緊張感のないルフィは平然と答えた。

 

 「いいよ。おれはこれがいい」

 

 何ともあっけない返答だった。虚をつかれて驚いてしまう。

 真剣な話題だろうにここまで悩まないものか。

 眉をへの字にして困惑するシルクだが、一方で予想していたのか、キリはくすくす笑うだけ。驚いてはいないし、ルフィの言葉を否定する気もなさそうだ。

 

 「海賊になりたくて海に出たんだ。おれはおれがなりたい海賊になるぞ」

 「それもそうか。じゃあルフィがなりたい海賊って?」

 「うーん、そうだなぁ……やっぱり宴がしてぇな。さっきも楽しかったじゃねぇか」

 「らしいと言えばらしいけど、それだけ? あんまり海賊っぽくはないなぁ」

 「バカだなキリ、海賊は歌うんだぞ。そんで宴をするんだ。冒険した後に宴したら楽しいだろ。おれはそういう海賊になるんだ」

 「具体性があるんだかないんだか。まぁいいよ、それで。そっちの方がルフィらしいってわかってきたから。冒険とケンカと宴が肝だね」

 

 声は穏やかだがやり取りは昼間とそう変わらなかった。相変わらず二人の仲は良さそうで、聞いているシルクまで微笑んでしまうような気楽な空気。

 自然と肩の力が抜けてくるのがわかる。

 悩みが消えたというわけではないが、それでも先程よりマシだった。

 

 どうしようと思う。二人の会話に参加するか、それとも部屋へ戻るのか。

 考えるシルクの耳にまた二人の声が聞こえた。

 

 「そう言えば、シルクが面白いこと言ってたよ。ボクらがピースメインみたいだって」

 「ピースメイン? なんだっけそれ。どっかで聞いたなぁ」

 

 気になる言葉を耳にした。部屋に戻ろうかとも考えたシルクは動かずに耳を立てる。

 

 「昔の海賊の呼び名だよ。大航海時代が始まる前、海賊はモーガニアとピースメインの二つに分かれてた。海賊王が生まれた後はすっかり廃れた呼び名だけど」

 「あぁ、思い出した。シャンクスの船の副船長から聞いたんだ」

 「海賊を狩る海賊。ボクらがそのピースメインに見えたって」

 「へぇ~。いいな、おれも好きだぞピースメイン」

 

 窺い見ればルフィがからから笑っているのが見える。

 悪い気分ではないらしい。それどころか上機嫌そうだ。

 盗み聞きを悪いとは思いつつ、続きが気になって今更離れることはできそうになかった。

 

 「目指す海賊はピースメインってこと?」

 「いんや。それは違う」

 「あれ? そういうことじゃないんだ」

 「おれがガキだった頃にさ、マキノが言ってた」

 

 あっけらかんと言うルフィにキリが小首をかしげた。唐突に出てきた名前に戸惑ったのだろう。疑念を露わにしてすぐに質問していた。

 

 「ルフィ、マキノって誰? 突然言われてもわからないよ」

 「フーシャ村の酒場の店主だ。いっしょに副船長の話聞いてたんだけどさ、ピースメインのこと聞いたら言ったんだよ。ヒーローみたいだって」

 「まぁそう見るのも仕方ないかもね。海賊を倒すわけだし」

 「そうじゃねぇ。いいか、ヒーローと海賊は別物なんだ。おれだってヒーローは好きだけど、海賊になりたいんであってヒーローになりたいわけじゃねぇ」

 「んん? それどういうこと?」

 「たとえば肉があるだろ。海賊は肉を食って宴をするけど、ヒーローはそれを困ってる奴に分けちまうんだ。おれは肉を食いてぇし宴だってやりてぇ。だからヒーローにはなりたくない」

 「あーなるほど。ほんとぶれない人なんだね」

 

 力なく笑うキリはわかっているのかどうかさえ怪しいが、妙に力が抜けているのは確か。ただ話を聞き流したという訳ではない様子に思える。

 少し俯き、ぽつりと呟いた。

 

 「海賊は海賊、か」

 「ああ。海賊は自由なんだぞ。でもヒーローは窮屈だ」

 「あはは、確かに。好き勝手やれる分、ボクも断然海賊が良いかな」

 

 小さな、それでいて無邪気な笑い声が広がる。

 暗闇に包まれた酒場はシルクにとって見慣れた場所なのに、今だけはあの二人の世界。

 楽しげに海賊のことを話す二人を中央に置き、支配しているわけでもないというのに独特の空気を放って、混じる物を許さない何かを感じさせる。

 

 まるで自分と彼らとの距離を感じさせるようで。

 立ち尽くすシルクは彼らから視線を外し、自身の前方にある闇を見た。

 

 海賊は海賊。

 町を襲うギャリーたちやモーガニアも、海賊を倒すピースメインやルフィたちも、どちらも変わらず同じ存在。今まで考えたことはなかった。どこか別物に思っていた節もある。

 彼らは海賊で、自分はただの町娘。

 

 唐突に虚無感を感じてしまう自分が居て不思議に思う。そうだ、と思い出した。仲間になると言って、仲間だと認められて、どこかで安心している自分が居た。けれど自分が海賊になったという自覚はなくて、明日がどうなるかも見えていない。だから今日は眠れなかったのだ。

 

 自分は海賊なのか、この町の一員なのか。

 しばし俯いて考えるがもやもやした感情が胸の内を占める。ますます表情は苦しげになって、唇をきゅっと強く結んだ。果ては両目も閉じてしまう。

 視界が無くなって暗闇の中。鮮明に声が聞こえてきた。

 

 「シルクは、どうするかな」

 

 キリがルフィへ問いかける声だ。

 シルクの目がパッと開き、彼らを見ずに耳を傾ける。

 自分でもなぜかはわからないが胸の鼓動が高鳴っていた。おそらく動揺していたから、驚きを隠せないのだろう。その一言にひどく緊張してしまっている。

 

 よく覚えている。ルフィに向かって仲間になると言ったのは彼女自身だ。

 海賊として海へ連れ出されても文句を言えないことは理解している。ただ問題なのは、自分がそれを望んでいるのかいないのか。それがわからなくて思い悩んでいて、今もまだ結論を出せずにいるだけ。ひょっとしたら彼の一言で何かが変わるのかもしれない。

 期待と不安を胸にルフィの一声を待った。すると平坦な声が聞こえる。

 

 「それはあいつが決めるよ。おれたちと来るか残るか、自分で決めればいい」

 

 果たして待ち望んだ答えであったか否か。

 金槌で頭を殴られたような衝撃を覚え、シルクは呆然と思考を投げ打った。

 当然、二人はシルクが聞いていることを知らないためその後も止まることはなく、ただ思うがままを口にする。聞こえてくる言葉は間違いなく彼らの本心だった。

 

 「来たいならくりゃいいし、残りたいならここにいりゃあいいだけだ。強制はしねぇよ。海賊は自由で、誰かに命令されるもんじゃねぇだろ」

 「よく言うよ。ボクのことは無理やり連れ出したくせに」

 「それはおまえが海賊やりたがってたから」

 「確か断ってたはずだけど」

 「いいや、海賊やりてぇって思ってた。おれの目は節穴じゃねぇぞ」

 「ハァ、じゃあそれでいいよ……まぁ、今にして思えば、間違ってないと思うしね」

 

 何を言われるかもわかっていなかったが想像と違って、ちらりと二人の姿を確認する。

 姿勢はさほど変わっていない。あくまでも気楽そうな体勢だ。

 

 「シルクは自分で決めるさ。おれたちの仲間だからな」

 「ここに残るかもしれないのに?」

 「それでも仲間に変わりねぇだろ。あいつが仲間になるって言って、船長のおれが認めたんだ。おれの船に乗っても乗らなくてもこの先ずっと仲間だ」

 「ふむ、間違ってはないのかな。そういう考え方もあるんだね」

 

 ルフィの言葉に驚きを抱く。

 そしていつしか、シルクの目は輝くように喜びを表していたようだ。

 

 出会ってたった一日。きっかけは町の存亡を懸けた一大事だったが、言い出したのはただの勢いで口走ってしまっただけ、自分自身でも本当に海賊になる覚悟があって言った訳ではない。彼はそのことに気付いているのだろうか。

 きっと知っているだろう。シルクに覚悟があるかどうかなど。

 それでもルフィはシルクを仲間だと認めている。その声に、言葉に、目に嘘はない。

 

 遠目ながらにその声の温かさを知ったシルクはきつく拳を握りしめる。

 迷っていたはずなのに、心は驚くほど穏やかになっていた。

 

 「明日には自分で決めてる。おれはそれを聞くだけだ」

 「信頼してるんだねぇ。出会ったばっかりでよくそこまで言えるもんだ」

 「しっしっし、おまえだっていっしょだろ? シルクのこと仲間だって認めてるじゃねぇか」

 「まぁね」

 

 二人の言葉に胸が熱くなる。同時にもやもやした感情が溶けていくようだった。

 ふぅと小さく息を吐いて落ち着こうとする。

 確かに迷いは晴れた気がする。だからといってこのまま決定してしまうのは違うように思えて、一度冷静にならなければと考える自分が居た。

 また、ルフィが話し出す。

 

 「でもシルクの宝はここにあるから、ひょっとしたら来ねぇかもな」

 「その時はどうする?」

 「別にいいよ。無理に言ったって仕方ねぇし」

 「そうだね……来るとしたら、彼女がこの町以外の何かを求めるか」

 「そうだな。なんか欲しいもんがあったら来るかもしれねぇ」

 

 修繕が終わったのか、キリが麦わら帽子をルフィの頭へかぶせた。彼は抵抗も恥じらいもなく、嬉しそうにそれを受け止める。

 和やかな空気。それを間近に感じながら、シルクは思案する。

 

 部屋へ戻ろうと人知れず決めた。

 最後にちらりと二人の姿を確認して、足音を消して階段を上る。

 

 物思いに耽るせいで少し危なげな足取りだったが、無事に部屋まで戻り、音を立てないようゆっくり扉を開けて中へ入り、同様に静かに閉める。

 セツヨは気付かず寝ていたようだ。その寝顔を確認してから自身のベッドへ戻ろうとする。

 

 その時、部屋の片隅に置かれた剣が視界に入った。

 海賊を追い払うため、毎日振るって訓練を続けてきた。けれどいざその時が来ると自分は何もできずに、外からやってきた海賊の少年たちに助けられただけ。果たしてあの戦いで自分は何ができただろうか。無傷で良かったと安堵するのは町民としての態度。しかし自分はそうではない。

 はたと気付いた様子で、シルクの視線が上がった。

 

 「そっか」

 

 納得できた気がする。どうしてもやもやしていたのか、なぜ迷っていたのか。それはきっと自分の在り方に違和感を感じていたから。思考はきっと入れ替わっていた。

 

 ルフィに向かって強く訴えたあの瞬間、すでに生き方は変わっていたのだ。

 壁に立てかけられていた剣を取り、抱きかかえるように持ってベッドへ腰掛ける。まるで子供のようにそのままごろりと力なくシーツに全身を預けた。

 

 暗い部屋の中で天井を見つめる。

 迷いはある。幼い頃から過ごした町と部屋だ。寂しさはあって、親と想い続けたセツヨを一人にしてしまうことに恐怖さえ覚える。けれど、どうしようもないほど胸が高鳴っていた。

 この衝動を止めるのは自分にとっても、きっとセツヨにとっても失礼になってしまう気がする。

 

 全ての点が今繋がり、線になった。

 乳飲み子の頃、海賊の手によって置き去りにされた。

 幼少期、海賊の冒険譚に憧れた。

 成長するにつれて、海賊という存在を強く意識して、町を守るために剣の腕を磨いた。

 

 考えてみれば簡単なことだ。彼女の人生においてその存在は強烈に根付いて、いつだって無視できないものになっている。意識せずとも生まれた頃から常に関わりがあった。

 

 今なら奇妙なほどに納得できて、心中は穏やか。

 シルクは天井を眺めたままぽつりと呟いた。

 

 「おばあちゃん。起きてる?」

 

 返答はない。きっと眠っている。

 けれど今なら届く気がして、今しか言えないとも思って、今言いたいという気持ちがあって。

 シルクは静かな声ながら強い意志を持って言った。

 

 「あのね……私、決めたよ」

 

 端的な言葉。説明らしい説明はなかった。

 それでいいと思う。それ以上言う必要はないと思えて、彼女は目を閉じた。

 今なら眠れる気がする。胸の中のもやもやは消えて気分は晴れやか。大きな喜びがあって叫び出したっておかしくないのに、自分で不思議に思うほど冷静で、妙に眠たくもあった。

 

 シルクが穏やかな寝息を立て始めたのはそれからたった数秒後のこと。

 剣を抱いたまま、布団もかぶらずに寝てしまっていた。

 

 今の時期ならば昼間は暖かいが、夜になれば少し肌寒くなる。普段はきちんと布団をかぶっているというのに今日だけは、幼き日のようにお転婆な様子を色濃く出している。その寝顔も含めて、まるで本当に幼き日に戻ってしまったかのよう。

 そんな彼女に気付いてセツヨがゆっくりと起き上がった。

 

 起きた時にベッドの端から落ちてしまった布団を持ち上げ、丁寧にやさしく彼女へかけてやる。

 剣を取り上げたりはしなかった。その様さえも、愛おしい。

 あどけない顔で眠る彼女を見ても何も言わず、セツヨはただやさしく微笑んで、再び自分のベッドへ戻った。寝転んで布団をかぶりながら思う。いつかこんな日が来ると思っていたと。彼女の告白に決して驚いてはいなかった。

 

 来るべき時が来たのだと受け止めて、セツヨも再び眠ろうと目を閉じる。

 寂しくもあるが、懐かしくもある。

 セツヨは笑顔のままで眠りに就いた。

 

 

 *

 

 

 辺りが明るくなり始めた頃。町と海には霧が立ち込めていた。

 まだ朝日は昇っていない。町は昨夜の疲れを残して眠り続けている。

 

 その中で密かに起き出して動き出す影が二つあった。

 やけに眠たげなルフィは大あくびを繰り返しながら宿の扉をくぐって通りへ立ち、その背後ではキリが金貨が入った袋を手の中で遊ばせ、自分たちが使ったテーブルへ置く。宿代と食事代のつもりだろう。世話になった量を考えれば足りなかっただろうが残していくことを決めたようだ。

 

 まだ町民たちが起き出さない頃に二人は旅立とうとしている。

 きっかけはルフィの一言だった。眠る前に早く冒険がしたいからとキリをせっつき、まだ十分な睡眠を取れていないものの、早起きして海へ出ようとしたのである。

 

 しかし起きる時間になってみれば、眠気には勝てないのか、ルフィはだらしないままだった。今も足取りはふらふらと危なく、キリは溜息をつく。自分で言い出したのに、と不満を持ちながら歩み寄って隣に立ち、力を入れずに手でぺちぺちと頬を叩いた。

 

 「ほらルフィ、しっかり起きて。楽しい楽しい冒険だよ」

 「んん~、ねみぃ……」

 「自分で言ったんでしょ。船で寝ることもできるから今は自分で歩いてね」

 「うい」

 

 昨夜話していた時や宴の時とはまるで別人。元気のない姿でとぼとぼ歩く。そんなルフィを隣に見ながら、比較的足取りに力があるキリは苦笑しながら見守った。

 

 無人の町は閑散として人気を感じない。

 空気は少し冷たく、それでやっと気を張ることができそうだがルフィには効かないらしい。

 

 港は宿からほど近い場所にあり、昨日と同様にさほど時間もかけずに到着することができた。

 船は昨夜の内に準備している。宴の最中、キリが船大工に会って話を通し、町を救った礼だとして無償で譲り受けていた。これも形を変えた略奪のような気はするが、ご厚意によるものなため、誰からの悪評も得ずに話を進められたのである。

 

 譲り受けたのは五人が乗っても広々使える小型帆船だ。船室が一室のみあり、マストと帆もあるが小舟より少しマシになった程度の見栄え。やはり海賊らしさはない。

 海賊旗の一つも掲げれば見栄えは変わるだろうに、あいにく今はその準備もない。

 しばらくは海賊らしく見えない海賊として航海することになる。遠目に船を見つけたキリは教えるために眠そうなルフィの肩を叩きながらそう思った。

 

 「ちゃんとあったよ。ボクらの船だ」

 「んあ? おーあれか。前よりでっけぇな」

 「交渉したからね。と言っても一応気遣って小さめにしといたんだけどさ」

 「ししし、まだ二人だからな。あれで十分だ」

 「本格的なのはまた後々だね。良い船もきっと見つかるよ」

 

 気楽な会話を続けながら歩いていると、霧に紛れながらも自分たちの船の上に誰かの姿が見えるようになった。小柄な人物が背を向けて立っている。

 

 二人同時に首をかしげて眺めた。

 他人の船で何をしているんだ、と思えば、その人物はくるりと振り返り、二人に顔を見せる。

 

 驚きは二人の方が大きかった。

 腰に手を当て、船の上で仁王立ちするのはにっと笑うシルクだった。

 

 「こら。私を誘わずにどこ行くつもりだったの?」

 「あ~っ、シルク!」

 「ずいぶん早いね。ボクらも早過ぎたと思ったくらいだったのに」

 

 怒る風を装っているがそうは見えず。笑顔ではつらつとしたシルクは喜びを噛みしめている様子だった。船を降りて二人の前に立ち、正面から見つめ合う。

 

 昨日とはまた違った印象を受ける。その姿は何かを吹っ切ったように見えた。

 迷いはすっかり感じられずに、ルフィとキリの方が虚を衝かれる。

 驚きを見せる二人へ向けてシルクが言った。

 

 「私、行くよ。海賊の仲間だもんね」

 「いいのか?」

 「お宝はここにあるんでしょ。一度航海に出たらいつ戻ってこれるかわからないよ」

 「うん、いいの。もう決めたから」

 

 見れば彼女の剣とリュックが一つ、船に乗せられている。

 決意は固まっているらしく、今の彼女の目には迷いは見られない。

 

 多くの言葉は必要なさそうだった。

 ルフィは嬉しそうに笑って肩を揺らし、キリも同じくやさしく微笑む。

 

 「さあ、出発しよ。もう行くんでしょ?」

 「準備はもうできてるよ。町の人に手伝ってもらったから」

 「うし。じゃあ行くか」

 

 ルフィの号令に従い、三人は船へ乗り込んで出航準備を始める。

 ぐるりと見回せば全貌が見えてしまう小さな船。キリが港と船を繋ぐロープを解いて回収し、シルクが手慣れた動きで帆を張った。

 あっという間にすべての準備は整って、ルフィが大声で宣言する。

 

 「よぉし、出航だァ!」

 

 おおっ、と二人が威勢よく返答し、小さな海賊船は走り出した。

 霧によって視界が悪い中で船はゆっくりと進み出す。先は見えず、目的地はいまだ定められていない。けれどその姿は威風堂々。迷いや戸惑いはなかった。

 船が順調に走り出してからシルクが語り出す。

 

 「ねぇ。二人とも、自分の夢を持ってるんだよね」

 「ああ。おれは海賊王に」

 「ボクも同じく、かな。ルフィを海賊王にするために」

 「そうだよね……私もね、考えたの。海賊になる理由」

 

 船首の傍で座るルフィとキリを見つめ、床に座り、膝を抱えたシルクが告げる。

 それは彼女自身の夢で、きっと二人を巻き込んでしまうだろう言葉。昨日ならば聞かせるのに戸惑ったかもしれないが今はそれがない。自信満々に堂々と言える。

 その時の彼女の目は楽しそうに輝いていた。

 

 「私は、ピースメインになる」

 

 笑顔でそう告げると、二人の顔がきょとんと驚きを露わにした。

 

 「ピースメインに?」

 「そう。私、自分の町を守りたいと思って強くなろうとしてた。これでも結構強くなったつもりだった。でも、いざとなったら何もできなくてさ。きっと二人が来なかったら無茶苦茶にされてたと思う。それがなんだか悔しくて」

 「いやぁ、やってみなきゃわからなかったと思うよ」

 

 キリの返答に勢いよく首を振り、否定を示す。

 きっと何もできなかった。彼女は強くそう思っているようだ。ならばわざわざ強く否定することもないかと思い、二人はまた口を噤んでシルクへ続きを促す。

 

 「もっと強くなりたいの。でも強くなるだけじゃだめ。きっと私たちみたいに、町を海賊に襲われて、困ってる人たちがいっぱいいると思うから、そういう人たちを助けたい」

 「海賊と戦って、ってことだよね」

 「そう。だけど、ヒーローになるつもりはないよ」

 

 突発的な発言に表情が変わった。

 シルクはしてやったりとばかりににやりと笑って言い切る。

 

 「私さ、海賊に捨てられてあの町の一員になったの。だからきっと海賊の子供。多分だけど、昔からずっとね、海賊になってみたいって思ってたんだ」

 

 だから目指すのはピースメイン。

 悪戯っ子のような気軽さで、ぺろりと舌を出しながら簡単に言い切ってしまう。

 そんな彼女は存外可愛らしく、珍しくて、早々出会える人物ではない。

 

 話を理解した途端、ルフィとキリは大笑いを始めた。目を細めて天を仰ぎ、我慢することなく笑い声を響かせる。静かな朝に広がっていく声は風に乗って走っていった。

 

 変わった人物だ。だが気分が良い人間でもある。

 仲間として共に航海するには十分な気概を持ち合わせているだろう。

 

 海賊が好きで、憧れるだけの少年少女が三人。まだ実績はなく、船出したばかり。それなのに行く先は希望に満ち溢れているようで、ただただ期待で胸が膨らんだ。

 ひとしきり笑った後、すでに二人は彼女を仲間と認めていた。

 

 機嫌はさらに向上。不思議と三人の気は合うかのよう。

 無邪気な笑みを浮かべる彼らはまだ若く、海賊とも名乗れぬ冒険者。しかしだからこそ進む先はあまりにも広く見えて、未知なる物ばかり。

 それらを知りたいと望んで胸が躍り、互いに顔を見合わせ、果てのない海を見た。

 

 「ししし、面白くなってきた。今度はどんな奴が仲間になるかな」

 「さぁね。なんにしても退屈はしなさそうだ」

 「ふふふ。なんだか楽しくなってきたね」

 「よっしゃ。キリ、シルク、おれはやるぞ」

 

 ルフィが一番先頭に立って立ち上がり、固く握った両の拳を天高く掲げた。

 不思議なことに、その時になって霧が徐々に晴れ始めて、強い太陽の光が彼を照らす。

 

 その背はきっと二人にとって忘れられぬものとなっただろう。

 光に照らされたルフィは海に向かって大声で宣言した。

 

 「海賊王に、おれはなる‼」

 

 天から差し込む光と輝く海。辺りは白い霧で幻想的な風景。

 三人になった小さな海賊団の航海は、静けさを保つ町、いつの間にかセツヨを先頭とした数多くの町民たちに見守られて、またも朝日の下で始まった。

 


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