ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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ローグタウン編
休息の後で


 ココヤシ村を出発してから一週間が経った。

 麦わらの一味とアーロン一味の交戦で怪我をしている者が多く、まずは皆の傷を治そうとの提案があり、時間を休暇に使ったのである。その結果として七日間が過ぎた。

 

 無人島とあまり人が立ち寄らない小さな町を行き来すること数日。

 世間から身を隠しながらの休暇には効果が見え、しばらく包帯が解けなかったキリも元通りの姿になって、ゾロも胸の深い傷跡を気にせずともよくなった。

 傷ついた魚人たちも怪我を治療し、人間である彼らとの日々を過ごした後。

 どことなく空気は変わりつつあって、まだ全員ではないが、協力しようとする態度を見せる者は着実に増えていた。これも彼らが友好的に接し続けた結果であろう。

 

 ただし、彼だけは。

 アーロンだけは頑なに人間と親しくしようとはしなかった。

 

 彼が他とは違うところは不服を態度に表すだけでなく、実際に異論を唱えて自由を勝ち取ろうとする部分にある。他の魚人と違ってアーロンは船長。その自覚もあるのだろう。

 自身がルフィに勝てば、一味は自由を勝ち取る。

 すでに約束されているためそれを利用しない手はなかった。

 

 怪我を治療するための一週間、彼は毎日ルフィへ挑み続けた。

 キリやナミが時間やタイミングを制限したため、徐々に怪我は治っていき、今やルフィにもアーロンにも戦闘の名残は残されていない。包帯は取れて完治している。

 ただ、それでも毎日のケンカがやめられることはなく、すっかり習慣にすらなっている。

 

 手加減せずに本気で殴り合う姿は恒例行事となっており、仲間たちはいつの頃からか緊張感すら持たず楽しげに応援し始め、ぶつかる二人を遠巻きに眺めて止める様子はない。

 勝者はいつもルフィ。そのせいで賭けにもならない。

 だが関心はあるようで、いつも観戦者が居て盛り上げられるのが通例だった。

 

 アーロンはそれを望んでいないものの、ケンカに集中するためか止めようともせず。

 今日もまた、いつも通りに行われている。

 

 イーストブルーの名もつけられていない小さな無人島。

 ビーチでは最後の休暇を楽しむ海賊たちの姿があり、妙な盛り上がりを見せる集団があって、彼らの視線の先では二人の船長が殴り合っていた。

 

 「ウオラァ!」

 「んんっ!」

 

 振り下ろすようなアーロンの拳をルフィが頭突きで受け止めて、一瞬動きが止まる。

 その一瞬で素早く動き、軽やかな動きで回転して、回し蹴りを腹に叩き込んだ。

 

 凄まじい衝撃。内臓にまで響く痛みが一瞬とはいえ体の自由を奪う。

 体をくの字に曲げたアーロンが動けないと見てさらにルフィが拳を振りかぶり、振り向く勢いで強かに頬を殴りつけた。強烈な一撃でアーロンが倒れる。

 砂を巻き上げて地に伏した一瞬。

 ルフィがとどめとばかりに両腕を後方へ伸ばした。

 

 「ゴムゴムのォ……バズーカ!」

 「ぐおぉっ――!?」

 

 起き上がろうと上体を跳ね上げた瞬間だった。追撃としてルフィの掌底が胸を叩いて、重いはずの巨体がふわりと宙を舞う。そしてアーロンは再び背中から砂の上に落ちた。

 これでまた決着だろう。観衆たちがわっと声を出す。

 ビーチでの一戦はいつも通りルフィに軍配が上がり、それを伝えるべくウソップが叫ぶ。

 

 「それまで! 勝者、麦わらのルフィ!」

 「うおおぉ~!」

 

 両の拳を突き上げてルフィが雄々しく叫んだ。

 今だけはただの観客となっている魚人たちも同じく叫んでおり、上機嫌で騒いでいる。

 それを見たアーロンは歯噛みし、表情を歪ませてゆっくり起き上がった。

 

 仲間たちの姿を、今更怒ったりはしない。種族至上主義である彼は人間を嫌うが、魚人族に対しては比較的友好的に接しており、仲間との絆は非常に強固な物を築いている。また、自らの怒りの原因を知っているため無暗に八つ当たりをするほど浅はかでもない。

 彼らに怒鳴ったところで怒りが消えることはないのだ。

 今日まで一度たりとも、笑顔を見せる仲間に怒りをぶつけたことはなかった。

 

 ケンカを終えた彼らから少し離れた場所。そこでは穏やかな光景がある。

 まだ朝だが焚火を作って、その上ではサンジが手早く料理を作り、香ばしい匂いが辺りを漂う。傍らではゾロが一部の魚人たちと酒を酌み交わし、こちらも和やかに過ごしていた。

 

 そこからほんの少しだけ離れると、美しいビーチの雰囲気に合う白いチェアが置かれていた。

 片方にはビキニ姿で寝そべるナミが居て、隣には水着の上からTシャツを着るシルクの姿。

 和やかな辺りの風景に心を癒しつつ、騒がしいルフィたちを見て少し呆れた表情だった。

 

 「あいつら飽きないわねぇ。毎日毎日よくやるわよ」

 「うん、そうだね。アーロンも、もう少し仲良くしてくれればいいのに」

 

 チェアに寝そべるナミはサングラスを外し、雄たけびを上げるルフィの背を見て呆れる。さほど興味を持っている風でもなく溜息をついていた。

 シルクは座った状態で彼らを眺め、少し寂しげな顔をしている。

 

 魚人と人間、もっと仲良くすればいいのに。

 そう思う彼女はアーロン一味の魚人たちとの交流を図る機会も多く、親しい態度で接している。

 アーロンの態度を見ていて何か想うところがあるようで、ナミの過去や事情を知りながら、そう呟かずにはいられなかったらしい。反応するナミはやれやれと首を振っていた。

 

 「ほっときなさいよ。今まで散々好き勝手やってたツケが回ってきたんでしょ。それにあんたは誰にでもやさし過ぎ。転んでもタダで起きるタイプじゃないんだし、もっと痛い目に遭うくらいでちょうどいいのよ。気にすることないわ」

 「うん……ごめんね。ナミの前で言うことじゃなかったよね」

 「別にいいわ。あんたのことはわかってるつもりだし」

 

 申し訳なさそうにするシルクに苦笑し、ナミは肩を揺らす。

 かつての陰りは無い。仇敵を傍に置いてひどく楽しそうにしているのは間違いなかった。

 

 「それに自分が動かなくても物が来るのは楽だしね。ハチ、ドリンクまだ?」

 「ニュ~、持ってきたぞナミ」

 

 ナミが少し声を大きくすれば、手にお盆を持つはっちゃんが近付いて来た。

 サンジが用意した二人分のコップを彼女たちへ手渡してやり、自身の仕事を終える。

 

 近頃、アーロン一味の中で最も友好的な彼が雑用を行う機会が多くなっている。誰に言われた訳でもなく、ナミに対して悪いという気持ちがあるのか、常に自主的な行動だ。

 いまだ不満を抱える者たちを抑えつつ、アーロンを抑えるのも彼。

 気付けばはっちゃんは二つの海賊団を繋ぐ存在となっていた。

 

 特製のドリンクを渡した後、はっちゃんが申し訳なさそうな顔を見せる。

 先程終わったばかりのケンカを目にしての感想らしい。視線はナミへ向けられ、六本もある腕の一本で頭を掻きながら、発されたのはもはや習慣となりつつある謝罪の言葉だった。

 

 「悪いなぁナミ。おれもアーロンさんを説得してるんだけど、あの人は極度の人間嫌いだから。おまえらには迷惑かけるよ。まだおまえにも謝ってねぇんだろ?」

 「いいわよ、最初から期待してないから。それにあんたは昔からマシな方だったし」

 「ニュ~、すまねぇ。みんな色々あったからな。魚人島の悪ガキばっかり集まったんだ」

 

 再び頭を下げてはっちゃんが謝る。

 その様子を見たシルクが少し表情を変えて尋ねた。

 

 「はっちゃんも、人間のことは嫌い?」

 「う~ん、微妙なとこだ。おまえらのことはもう怖くねぇけど、人間全部を好きになったってわけじゃねぇ。おれは他のみんなほど嫌ってるってわけでもねぇけど……」

 「みんなは、嫌いなのかな」

 「色々あったからな。でも、だからってナミにしたことが許されるわけじゃねぇだろう。本当にすまなかったと思ってる。みんなも説得して、なんとか謝ってもらうからよ」

 「無理しなくていいわ。言葉じゃなくてこれから体で払ってもらうからね」

 

 悪戯っぽくナミが笑ったことで、はっちゃんも少しは救われたのか。肩の力が抜けて彼の笑顔が見れた。その様子を見ていると本当に悪いと思っていたのだと伝わってくる。

 気にしていないと言えば嘘になるかもしれないが、彼が悪い訳ではないのだ。

 ナミは平気な顔で笑いかけていた。

 

 ナミがいいとしてもやはり種族の違いを越えて仲良くするというのは難しいことらしい。一部の者たちはすでにルフィたちと騒げるほどになっているが、アーロンを始めとした一部はいまだに強い敵意を感じさせる目を見せている。そして諦めに近い感情の者が一部だ。

 少なくとも麦わらの一味とは和やかに話せる者。アーロンの勝利を願い、時を待つ者。そのどちらでもなく流れに身を任せようという者と、今や一味は三分していた。

 

 決して良い状態ではない。どんな意見であれ、せめて一丸となっていて欲しかったところだが。

 シルクは今のアーロン一味を見てそう思い、今後を憂いて、表情はわずかに曇っていた。

 

 「やっぱり、素直に仲良くするっていうのは難しいのかな……」

 「ニュ~……そうだ、モームにも餌やらねぇと。悪ぃな、おれもう行くよ」

 「あ、うん」

 

 複雑そうな顔ではっちゃんが離れていく。

 航海に際して連れてきたモームへの餌やりは良い口実だっただけで、本心は上手く言い表せられないほど動揺していただろう。去っていく背は戸惑いを隠し切れはいなかった。

 その背を見送ってシルクは嘆息し、ナミは心配し過ぎだと気楽に構えている。

 視線は自然な様子で騒いでいる集団へと向けられた。

 

 「はっちゃんも迷ってるのかな。なんか、辛そうだった」

 「無理もないわね。アーロンがあんなだから板挟みなんでしょ」

 「うん……もっとわかり合えればいいのに」

 

 視線の先ではちょうどアーロンがルフィたちに背を向ける瞬間だった。

 騒ぐ一同を意に介さず、だが悔しげに歯を食いしばり、彼らの下を去ろうとする。

 

 アーロンは特にそうして離れていることが多かった。毎日ルフィへ挑みかかって決闘を行う以外に目立った反抗は起こさないものの、態度を軟化させないと伝えるよう、輪に入ることはない。

 今日もそうしようとしたのだろう。

 ただ今はサンジが料理を振舞っている最中のため、ルフィは気軽にアーロンへ声をかけていた。

 

 「おいアーロン、今からメシだぞ。どこ行くんだ?」

 「うるせぇ。くっ、おれに構うな……!」

 「なんだよ、せっかく教えてやったのに。魚人だってメシは食うだろ」

 

 そう言ってアーロンは歩き去り、砂浜を離れることはなかったが距離は相当離れてしまう。かけられる声を拒否して、近しくなろうというそれにも否定的だ。

 見送ったルフィは憮然とした顔で呟いた。

 

 「おれやっぱりあいつ嫌いだ。全然話聞こうとしねぇし」

 「まぁまぁいいじゃねぇか。今のとこ反乱起こす感じもねぇしさ。それよりメシにしようぜ」

 

 背後から気楽に言うウソップに連れられ、表情を変えたルフィは周囲に居た魚人たちと共にサンジの下へ赴き、ようやく食事を始めた。その後はいつも通り宴にも等しい大騒ぎとなる。

 

 自身の仲間がそうしていると知りつつ、怒鳴る気さえ持っていなかった。

 ビーチの端までやってきたアーロンは流木に腰掛けて落ち着く。

 殴られた体の痛みに耐えて、ただ悔しいと考える。

 

 なぜ勝てないのか。

 どれだけ考えてもわからない。実力の差があるのか、悪魔の実を食べたからか、或いは覚悟や決意といった精神面の違いがあるのか。たかが人間と思う相手に、一度たりとも勝てない。

 どうすれば勝てるのかを幾度も考えた。

 修復したキリバチを使い、魚人ならではの鋭利な牙を使い、或いは純粋に殴りつけた。

 だが試行錯誤したところでルフィから勝利を奪うことはできないままだ。

 

 人間と仲良くする仲間を見て何も言わないのは、そういった時間が多いからかもしれない。

 静かに海をじっと見つめ、物思いに耽る。

 近頃、アーロンは自らの怒りを抑え込み、冷静に考えようとする傾向が強くなっていた。

 

 腹が立つから殺す、ではだめだ。

 忌まわしい敵に勝つためには陸で自らの力を十全に使う戦法と、如何なる場面でも余裕を失わない冷静さが必要だ。怒りに支配されているままではいつまで経っても勝てない。忘れた訳ではない魚人族の怒りを、自らの意志で支配できるようにならねば。

 

 ある時からそう考えるようになったアーロンはすっかり口数を減らし、一人で海を眺める時間が多くなった。誰も寄せ付けず、背中は寂しげにも見える姿でひたすら考える。

 まるでそれこそが修行だと言うかのよう。

 結果こそいつも同じだが、怒りの念は徐々に抑えられるようになっているらしかった。

 

 そこへ、いつも彼が現れる。

 サンジが作った料理を皿に乗せ、二人分を持って隣にキリが座った。

 片方を掲げてアーロンへ見せてやり、うざったそうに見てくる視線を受け止め、いつも通りの柔らかい微笑みを返すばかり。その場を離れる気はなさそうだとすぐにわかる。

 追い返してもその場へ来る彼に気分を悪くして、伝わっているだろうに声をかけられた。

 

 「ほい、ごはん。相変わらず頑張るねぇ。涙ぐましい努力だよ」

 「向こうへ行け」

 「なんで。せっかく持ってきてあげたのに」

 「てめぇらと慣れ合う気はねぇ……向こうへ行け!」

 「やだ。海賊は自由なんだよ。どこで食べようが勝手でしょ?」

 

 好き勝手にのたまう彼はその場を動かず、睨まれたところでにこりと笑いかけるのみ。

 自身とアーロンの間、流木の上にアーロンの皿を置き、先に自身の料理に手をつけ始めた。

 

 忌々しい。

 そんな風に思いながらもアーロンは手を出さず、舌打ちした後で再び海を眺める。

 キリも同じ方向を見ながら静かに語り掛けた。

 

 「ナミは事情が事情だし、ルフィはああだから仕方ないけどさ。ボクは別に嫌ってないよ」

 「あぁ?」

 「君のこと。多分似たタイプだと思うんだけどなぁ」

 

 食事をしながらぼんやりと語られる。

 その意味がいまいち理解できず、険しい顔をするアーロンは彼の横顔を見た。

 

 緩い表情だ。海か空か、少なくともアーロンを見ずに話している。

 返答を出す気などなかったが、気付けば彼も口を開くようになっていた。

 

 「初めて聞いた時から思ってたけど、やり方が悪かっただけじゃないかな。そもそもナミみたいな反乱分子を生んでいなければこんな結果にはならなかった。ボクにやらせてくれればもっと上手くやる自信はあるよ。まぁボクも人間だけどさ」

 「なんだと?」

 「一番良い状態の支配って、自分が支配されてることを相手に理解させないことだと思うんだ。その点君たちは分かり易過ぎるくらい支配してることを知らしめてた。それじゃ反抗的になるのも当然だよ。本気で魚人の帝国を作りたいなら、村人と仲良くして魚人のイメージを良くしつつ、何かしらの対価として金を集めた方が得策だった」

 「人間と仲良くだと? フン、なぜおれたちがそんなことを……」

 「ほら、そこが弱点。プライドに拘ってるようじゃまだ本気になり切れてない証拠だよ。そういう奴を突き崩すのは簡単だ。ボクの考えではね」

 

 肉の切れ端を刺したままのフォークで指され、アーロンの表情が曇る。

 キリはそれをぱくりと口にして咀嚼しながら続きを語った。

 

 「人間好き嫌いが分かれば弱点も自然と見えるもんだよ。魚人も同じく。だから今日まで君は本気でボクらを殺そうとしなかった。海戦になればボクらじゃ魚人には勝てないのに、そうしようとしなかったのは陸で勝たなきゃ魚人が最強だって証明できないからでしょ?」

 「それで十分だったからだ。今までは運が悪かった」

 「思ってた通りだ。理解しててもやっぱり素直に頷かない。分かり易い奴だね」

 

 ぐっと歯を食いしばった。

 見透かされているとでも言うのか、キリの笑みが深くなっている。彼の言う通りアーロンは理解していた。海の上で戦えば勝てると知っていて、敢えて陸の上での決闘に拘った。それもおそらく以前キリから釘を刺されていた通り、魚人が最強だと証明するためだけに。

 

 本気になり切れていない、という言葉に頭を金づちで殴られたような衝撃が走る。

 もしも自分が本気になっていればすでに彼らと共には居なかったのだろうか。では不満を抱きながら一緒に居るこの状況はなんだ。

 自分でも驚くほど動揺して逡巡する。

 それを言われたということは、おそらくキリなら海で襲っていたのだろう。約束など無視して、否、約束があるからこそ敵は油断するのだ。

 

 自身の甘さを思い知らされるかのような衝撃。

 微笑むキリは食事を止めず、アーロンを見て呟く。

 

 「ボクがそっちの側なら初日に落としてるよ。自分の船だけ沖に置いといて、メリーが島を離れた時を見計らって襲い掛かる。そうすれば陸地には帰れない」

 「てめぇは、おれたちの裏切りを警戒してたってのか」

 「そりゃもちろん。だからその時はその時でなんとかしたよ。流石に結果がどうなるかまではわからないけど、海にさえ落ちなきゃやり直すことはできただろうしさ」

 

 アーロンが視線を外して海を見る。

 全ては彼の掌の上。抑えようとしていた怒りが燃え上がり、だが同時に、なぜか自分が冷静な思考を失っていないことに気付いた。

 

 どちらにせよキリは反応してきたようだ。ならば過去を悔いても仕方ない。

 問題は次に自分がどうするか。

 隣に居る彼を先に殺すか。今まで通りルフィを倒し、正々堂々と自由を勝ち取るか。

 優先すべきは一味か、魚人としてのプライドか、或いは己の意志か。

 思考はスムーズに動いていた。

 

 「一番殺さなきゃならなかったのはてめぇってことか」

 「水に濡らしたら一発で弱るよ。なんなら今日は甲板で寝ようか?」

 「いいや……必要ねぇ」

 

 明確な答えは告げずにそれっきりだった。

 口を噤んだ様子を見てキリが苦笑し、手早く食事を終えて皿を空にする。傍らに置いて佇まいを直すとどことなく嬉しそうに同じ方向を見た。

 

 言葉を止めると後方から楽しげな声が届いて、打ち寄せる波の音が心を落ち着かせる。

 しばらく静寂に包まれて体の力を抜く。

 思えばこれほど穏やかに肩を並べていたのは初めてかもしれない。

 再び話を始めたのはキリだった。

 

 「話戻るけどさ、ボクはそっち寄りなんだ。多分一人だけ浮いてる」

 「意味がわからねぇな」

 「改めてそう思ったのがナミから事情を聞かされた時だった。みんな君らに怒ってたよ、なんてひどいことするんだって。でもボクは、支配する方法に問題があるって思っただけだった。みんなみたいな感想は持ってなかったよ」

 

 キリの声色は少し変わって静かな物。

 聞かずに居ようと思っていたアーロンもいつの間にか聞いてしまっていた。

 

 「ウチの連中はやさしいんだ。ルフィに感化されたのか、元々なのかはわからないけど。ほんと海賊には向いてないんじゃないかって思うくらい」

 「てめぇはやさしくなさそうだな」

 「まぁね。ああいう状況下で熱くなるより先に、冷静に考えようと努めてる。今となってはもう癖かな。多分傍から見ててやさしくない人間だよ。自分でもわかってる」

 

 キリが目を伏せた。

 

 「でもそれでいい。そういうのはルフィがやる。仲間はルフィを信頼してるから」

 

 そして静かに目を開き、穏やかな海を見た。

 

 共に船出してから一体何度覚悟しただろう。

 小さな小舟で出航した時。軍艦島で海軍の艦隊に打ちのめされた時。自分より格上の敵と戦い死にかけた時。そして再び全員で合流した時だって。

 一つ苦難を乗り越える度に、徐々に思考が変わっていく。

 或いは、戻っていく、だろうか。

 

 口調は柔らかく。仕草は幼い物で、声は静かに。

 ただ表情だけはどこか陰りを見せて。

 キリが呟いた。

 

 「ルフィは一味にとっての太陽。ボクは闇だ。光が当たらない方がいい。ルフィに出来ないことをやるためには、誰にも気付かれない方がずっといい」

 

 ひょっとしたら負い目があったのかもしれない。

 しかし彼は確かな口調でそう告げ、アーロンは押し黙って受け止めていた。

 何を返答するでもなく沈黙が続いた後、キリの笑顔がパッと元に戻る。

 

 「ああいう人だからね、周りがフォローしなきゃいけないんだよ。本人も言ってたし。だから無理にでも好きになれなんて言わないけど、助けてやってくれないかな。魚人族の力でさ」

 「ふざけるな」

 

 間髪入れずに答えたアーロンは置かれていた皿を持ち上げる。

 自身の分だろうそれをフォークを使って食べ始め、唐突にそうしながら自分の考えを告げる。

 

 「おまえが何を考えてようが知ったことか。おれは必ずあいつを殺す。自由を勝ち取って魚人が天に立つ世界、アーロン帝国を作り上げてやる。今はそのために力を蓄えるだけだ」

 「あれ? この雰囲気だと任せろじゃなかった?」

 「フン、誰が。いずれおまえも始末してやる。おまえが考え付かない方法でな」

 

 掻っ込むように平らげると皿を置いて立ち上がる。

 アーロンは再びルフィへ向かって歩き始め、微笑むキリに見送られた。

 

 「麦わらァ!」

 「ん?」

 

 大きな肉にかぶりついていたルフィが振り返って気付く。

 真っ直ぐ向かってくるアーロンを見つけても動きを見せる訳ではない。今は食事にばかり注意が向けられていて全く動こうとしていなかった。

 そうと理解するからこそ、挑発のためアーロンが歩きながら声を大きくする。

 

 「あの程度でおれが諦めるとでも思ったか? 休憩は終わりだ。もう一度おれと勝負しろ!」

 「え~? 今おれメシ食ってんのに。おまえも食えよ、肉」

 「受けねぇってんならそのまま食ってろ。代わりにおれはココヤシ村を滅ぼしに行くぞ」

 「しょうがねぇ奴だな」

 

 食べかけだった肉を置いてルフィが立ち上がる。

 先に足を止めたアーロンを見据えるものの、歩き出す前に周囲のウソップや魚人に言う。

 

 「うし、相手してやる。おれの分も残しといてくれよ」

 「いやむしろ他人の分まで食ってんのおまえだからな。おまえこそおれたちの分残しとけよ」

 

 ウソップに苦言を呈されながらもルフィが前へ進み、再びアーロンと対峙する。

 確かに決闘は一日に一度と決まっていた訳ではない。挑戦は常にアーロンからだったがルフィが断ったことはなく、常に逃げることなく勝利を奪ってきた。それが船長としてできることだと自覚している節すらある。彼らを傘下に入れた以上は無視することはできない。

 

 もはや恒例。ウソップもすぐに動き出して彼らの間に入る。

 命を賭ける真剣勝負とはいえ、どこか催し物のように。

 審判代わりに手を上げ、振り下ろした。

 

 「それでは二回戦参りましょう。アーロン選手VSルフィ選手! ファイッ!」

 

 意気揚々と告げられた結果、二人は同時に駆け出した。

 

 「オオォ!」

 「んんっ!」

 

 両者真正面から激突し、どちらも全力を出して戦い始める。決闘であってケンカであり、己のプライドを賭けた一瞬であって、決して手を抜ける状況ではなかった。

 激しい攻防によって生み出される音が場を盛り上げ、また魚人たちが騒ぎ始める。

 

 それを見ながら、皿を二枚持ったキリは彼らの横を通り抜け、集団の下へと戻ってきた。

 騒ぐ魚人たちを横目に調理を続けているサンジへ歩み寄る。

 

 「サンジ、おかわり」

 「自分で取れ。おれは今忙しい。んナミさぁ~ん! シルクちゃ~ん! 今日の料理はどう? お腹いっぱいになったぁ~? おかわりはいかがでしょうか!」

 「ありがとサンジくん。でももう満足だから大丈夫」

 「あ~いっ! デザート作るから待っててねぇ~!」

 「なるほど。確かに忙しそうだね」

 

 簡易で作られたキッチンに皿を置いてキリが微笑む。今日も彼の仲間たちはいつも通りだ。

 近くに置かれていた椅子に座り、サンジの横顔を見る。

 女性陣のためにデザートを作る彼は幸せそうに頬を緩めているが、キリが声をかければ少しは引き締まった様子。たまに視線を向けながら会話が始められる。

 

 「傷も癒えたし良い頃合いだ。そろそろ出航しようか」

 「お、いよいよグランドラインか」

 「でもその前に最後の準備だけして行こう。グランドラインは最初の航海が大事だからね」

 「そうだな。魚人どもが獲った魚ならあるが野菜を買い足しときたい。ナミさんとシルクちゃんが栄養失調にでもなったら大変だ。慎重に栄養バランスを考えねぇと」

 「ボクらは?」

 「海藻でもしゃぶってろ」

 「ほんと分かり易い性格してるよね。ウチのクルーは厄介なのばっか」

 「鏡見てから言えよ。おまえも十分大概だぞ」

 

 手を止めないままサンジが尋ねる。

 何かを察していたのか、どことなく真剣な様子も入り混じっていた。

 それを受け流すかのようにキリが笑みを緩くする。

 

 「さっき、アーロンと何しゃべってたんだ?」

 「内緒」

 「言えねぇようなことだったのか」

 「人間誰しも秘密の一つや二つあった方が深みが出るんだよ。サンジにはないの?」

 「さぁな」

 「ちなみにだけど教えてよ。誰にも言わないから」

 「バーカ。言ったら深みが無くなんだろ」

 

 女性へ向ける笑みとも違って、少しばかり無邪気さを感じる屈託のない笑顔。

 笑ったサンジは出来上がったばかりのデザートをキリに渡し、肩をすくませる。

 

 明確な答えは返ってこなかった。だが追求しようとしない。

 言わば彼はキリの理解者でもあるのだろう。

 敢えて多くを語らなかった彼をそのままにして、いつも通りの態度で接していたのだ。

 

 「何にせよ一味のためってやつだろ? マリモが心配して仕方ねぇんだ。ガキじゃねぇんだから別に黙って何やってようが構わねぇけどな、あんまり無茶はすんなよ」

 「ありがとう。サンジってやさしいんだね」

 「おまえに褒められたとこで嬉しくはねぇけどな。必要なのはレディの声なんだよ」

 「代わりにキスでもしてあげようか? ボク男だけど」

 「ふざけんな、死んでもごめんだ。いいから黙ってそれ食ってろ」

 

 笑顔から一転して顔をしかめたサンジが吐き捨てるように言い、キリはからからと笑う。

 

 調理を終え、デザートも作り終えたようだ。

 皿を二枚持ったサンジは会話を終えてナミとシルクの下へ向かう。妙に軽い足取りでやはり男を見ている時とはあまりにも態度が違っていたが、これもすでに見慣れた物だ。

 

 「ナミすわぁ~ん! シルクちゅわ~ん! デザートできたよぉ~!」

 「女好きはいいけどよくあそこまで変貌できるなぁ。変な人だ」

 

 他人事のように呟いてデザートに手をつけ、口に含む。その後で気付いた。

 

 「あ、そういえばおかわり欲しかったんだっけ……まぁいいか」

 

 一口食べてから気付いたものの、口の中に広がった甘味に気を良くして頷く。

 周囲の騒がしい声を聞きつつ、細かいことを忘れて、キリはデザートに舌鼓を打った。

 


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