船の動きが止まってすぐ。真っ先に動いたのはルフィだった。
町を眺めて好奇心が抑えられなくなり、メリー号から飛び出して一足先に陸地へ降りる。
自身がキリと行動すると知っているため、待ち切れない様子で呼んでいた。
「よーし着いたァ! 行くぞキリ! 処刑台だ!」
「はいはい。それじゃみんな、またあとで」
キリも同じく飛び降りて、二人揃って行ってしまう。歩いてはいるが思いのほか速く、脇目も振らずに去っていく背は瞬く間に町へ近付いていった。
すっかり置いていかれた形で、呆れた様子でナミが肩をすくめる。
いつも通りと言えばそれまでだが相変わらず恐怖心を持たない姿だ。
あれでは騒動を起こすのもそう遠くないだろうとして、自分も急ぐべく振り返る。
「ルフィの調子が良い時は危ないわね。私たちもさっさと済ませましょ」
「うん。行こっか」
「町の入り口までお供しますよ、レディたち。まずはお手を」
「ありがとサンジくん。でもそれは大丈夫だから」
先に行った彼らのように飛び降りはせず、ゆっくり地面へ降りて隣の船へ目をやる。
ナミが船上のはっちゃんを見つけて声をかけた。
「ハチ、メリーのこと頼むわよ。掠り傷一つつけさせないで」
「了解だぞ。みんな楽しんで来いよぉ~」
親しげに手を振る彼に対して手を振り返し、ナミとシルク、そして町に入るまでは同行するサンジも歩き出した。和やかに談笑しながらメリー号を離れていく。
残っていたのはウソップとゾロだけだ。
ウソップは何やら買う物をメモに纏めていたらしく、少し遅れて船の中から出てくる。
待ち切れない様子でゾロは先に船を降りていて、どこか呆れた顔でもあった。
「おいウソップ、まだか?」
「待て待て、もう準備できた。おまえこそ買う物わかってんのか?」
「おれが買うのは刀だけだ」
「楽でいいよなぁ。武器屋に寄ったらすぐ用が終わるんだし」
ウソップも船を降りて、ゾロと並ぶと歩き出す。
黒っぽい色の硬い岩場を歩き、転ばないよう足場を選びながら進む。かなりデコボコしていて危なげな場所だった。慎重になる必要もないがどうしても視線は下を向く。
歩きつつ、ゾロがウソップへ尋ねる。
どうやら彼が行きたい店は一つだけではないらしい。
一体なぜそれほど目的地が多いのか、聞いておきたかった。
「おまえはどこに行く気なんだよ。武器が欲しいんじゃなかったか?」
「その武器を作るためには色々と必要なんだよ。おれの手先の器用さにかかりゃスーパーだって宝庫になるんだぜ? 色んな店に行きゃもっと精度は上がる」
「そうかい、なんとなくは理解できるが。今は何作ってんだよ」
「そうだなぁ。これは聞くだけでも恐ろしいだろうが、ウソップ輪ゴームを強化させるべく割り箸と強いゴムを使って作られる、ウソップ輪ゴーム銃なんてどうだ?」
「ただのおもちゃじゃねぇか」
「おもちゃじゃねぇよ。おまえは知らねぇのか? 目の前で輪ゴムを飛ばされる、その構えを見せられた時の恐怖を。知らねぇんなら試してやってもいいぞ」
「いや、いらねぇ」
「ウソ~ップ――!」
「いらねぇっつってんだろ」
和やかに話しながらすぐに町の入り口へ辿り着く。そう離れた距離ではなかった。
客人を迎えるための門があり、アーチのようなそれにローグタウンと記されている。
目前に見えるだけでものどかな空気で、少し前まで立ち寄っていた町よりずっと大きく、人の数も多い。言ってみれば海賊とは無縁の平和な町だ。
漠然と見ただけでもいくつかの店が確認できる。ただすぐ近くに武器屋はないようだ。
ほーっと口を開けて感心するウソップは、今まで見た中で最も規模が大きい町に驚いていて、隣では別段感動もなくゾロが歩き出していた。
先に行ってしまおうとする彼を見つけ、ウソップはまた違った驚きを与えられる。
「おいおい待てよゾロくん! なんでおまえが先頭になる!?」
「あ? 問題でもあったか?」
「問題しかねぇだろ! いいからおれについて来いって、危ねぇから!」
「別に敵の姿はねぇが」
「意味が違ぇんだよ! おまえが先行くと迷うだろうが!」
彼の戦闘の腕に関わらず、道に関しては任せておけないとウソップが必死になる。このまま行かせれば同じ道をぐるぐる回る可能性すらあった。しかし言われたゾロは納得していないのか、なぜかそう簡単にはウソップの後ろに回ろうとせずに、尚も進んでいってしまう。
慌ててウソップが小走りで追い始めた。
「待てってっ。おまえいい加減自覚した方がいいぞ」
「ここに来んのはおまえだって初めてじゃねぇか。そう変わらねぇだろ」
「いや変わるだろ。今までおまえを一人にしてよかったことがねぇんだぞ」
「んなことねぇ」
「実はバカなのか?」
「誰がバカだ。失礼なこと言うな」
「強がるのはやめて、なぁ? もう認めろって。その方が楽になれるぞ」
「うるせぇ」
あくまでも認めないため、結局は肩を並べて歩くことになった。
むっつりした顔のゾロをなだめながら、ウソップがやれやれと溜息をつく。
町はかなり広そうだが、真っ直ぐ歩いているだけで武器屋はすぐに見つかった。
考えてみれば平和に暮らす町人には武器など必要ない。それを求めるのは外からやってきた人間、海賊か賞金稼ぎくらいの物だろう。町の入り口から比較的近い場所に存在していて、目立つように、尚且つ分かり易く剣を模した看板が掲げられていた。
見つけた以上はここを先にすべき。
二人は言葉を交わすこともなく同じことを考え、そちらへ向かう。
流石のゾロもそこから迷うほどひどくはないだろう。
からかうようにウソップが笑いかけた。
「よかったなゾロ。これじゃ流石に迷えねぇだろ。先頭でもいいぜ」
「てめぇ、斬るぞ。なにへらへらしてやがる」
人の数もそれなりに多いが進むのに苦労するほどではなく。
歩行者の間をすり抜け、二人は武器屋へと入って行った。
店内はこじんまりとした様相だった。奥が自宅を兼ねているのか、外観よりも小さいという印象を受け、それでも店内には多種多様の武器が並べられている。
棚がいくつか並べられており、店の隅には数個の樽が置かれ、刀がたくさん置かれていた。
ここならばそれなりの物が揃うだろうとの判断。
先に入ったゾロがカウンターの向こうに居る店主へ声をかけた。
「悪ぃ、邪魔するぜ」
「へいっ、いらっしゃい! お客様今日は何をお求めで?」
独特な髪型の小柄な男だ。
店主の名はいっぽんマツ。
客と知って両手を擦り合わせながらにこにこと接客用の笑顔を浮かべ始めた。
どことなく胡散臭い人間だと二人同時に考えた。しかし物が揃えばそれでいい。ゾロは気にせず店内を見回しつつ、いっぽんマツへ説明する。
「刀を二本欲しい。だがあいにく持ち合わせがなくてな」
「それじゃいくらぐらいのご予定でしょう? ウチは上から下まで色々ありますからねぇ」
「使えんのは十万だ。これで頼めるか」
「十万ベリー?」
それを聞いていっぽんマツの様子ががらりと変化する。
笑みは消え、不服そうな態度を微塵も隠さなくなってしまい、だらしない姿勢でカウンターにもたれかかってしまった。どう見ても客商売の態度ではない。
あからさまな姿にはウソップも呆れ、気にしていないゾロの後ろで思わずツッコむ。
「ハンっ。一本五万じゃ大した刀は揃わねぇな。良い武器を使うには金が必要なんだよ」
「こいつ分かり易い奴だな。一気に顔変わったぞ」
「久々に客が来たと思ったら貧乏人かよ。ったくついてねぇなぁ」
「ひどい言われようだぞ。客なのに」
すっかりやる気を失ってしまったいっぽんマツは頬杖を突いて溜息さえついてしまう始末。
呆れてしまうほどの身代わりの速さだった。思わずウソップが呟くが反応もせず、態度を改める気もなくて投げやりな接客になってしまう。
「あぁ、一本五万か? そっちの樽に突っ込んでんのがそうだよ。どれでも持ってきな」
「悪いな」
「しかし刀三本とは変わってるな。まるでどっかの海賊狩り――おぉ?」
刀が置かれている樽を目指そうとしたゾロを見て、ふといっぽんマツの表情が変わる。
彼の腰にはすでに一本の刀があった。その上で二本も欲しがるとは変わった奴だ、と思って見ていれば、その刀が妙に目に付く。
白塗りの鞘と柄。どうも普通の物ではなさそうだ。
長く武器屋をやっているため、武器に関しては目利きに自信がある。
いつの間にかわなわなと震え始め、彼は恐る恐る口を開いた。
「よ、よぉ……その腰にある刀、ちょっと見せちゃくれねぇか?」
「なんだ、急に」
「いやその、い、一応査定してやろうってことさ。そいつの銘は知ってんのか?」
「いや。普通の刀だろ」
「そ、そうか。まぁ見せてみろよ。悪いようにはしねぇからよ」
緊張から脂汗を掻き、明らかに挙動不審な様子でいっぽんマツが誘う。見ていて怪しかったがゾロはカウンターまで戻って手渡す。銘を知るくらいは問題ないだろうと思っての行動だ。
その刀を手に持ち、触れた瞬間、一本松は驚愕する。
それは凄まじい出会いだった。
(こっ……これはっ!?)
触れた瞬間にわかってしまった。これは本物。感動を覚える一本だ。
動揺がひどくなって目を見開いて驚く。
間違いない。尚且つ、初めて見た。
全身が震えるほどの衝撃に包まれてしまい、傍から見ていれば危なく思えるほどの変貌っぷり。見ていた二人は当然不思議そうにしている。
驚き、動揺したいっぽんマツはすぐに考え始める。
これほどのお宝、価値も分からない素人に持たせたままなのはもったいない。というよりそんな理由云々を考えるより先に、ただ純粋に欲しいと思った。
この一本が欲しい。武器に携わる者としてそう思わずにはいられなかった。
ではどうするか。簡単なことだ、自身は武器屋なのだから。
交渉すればなんとかなるかもしれない。
いっぽんマツは動揺を抑え込み、涼しい顔になって刀を置いた。
「だめだ、こいつはナマクラだ」
「なんだと?」
「ひぃっ!? すいません、嘘ですっ」
一言呟いた直後にゾロが胸倉を掴み、いっぽんマツがまた血相を変えた。慌てて謝罪すれば許してくれたようで、手は離されるが、さっきより幾分顔つきが険しくなっている。
慎重に言葉を選ばなければならない相手らしい。
今度は考えながら、なんとか穏便に話を進めようと話し始める。
「まぁ聞け。ナマクラではねぇが、こいつよりランクが高い刀はウチにもある。そこで……おれがこいつを買い取ってやろう。十万ベリーでどうだ?」
「あぁ? 何言ってんだよ」
「そうすりゃおまえの持ってる十万ベリーと合わせて二十万。刀三本買っても一本五万ってことはねぇだろう。少しはマシなもんが揃えられるんじゃねぇか」
「必要ねぇよ。一本五万で十分だ」
「ま、待て待て。なら二十万出そう。そしたら一本で十万使える」
「だから、必要ねぇって」
「ええいっ、なら三十万出す! これでどうだ!」
何やら必死の形相になっていることに違和感を覚えるも、ゾロはきっぱりと言い切る。溜息交じりで呆れた顔、そんな気はさらさらないと表情が告げていた。
「どれだけ積まれても譲れねぇんだ。こいつは――」
「あぁっ!? これはっ!」
その時、見守るウソップの横を通り抜け、カウンターへ駆け寄る人物があった。
バンッと勢いよくカウンターに手をついて前かがみに、置かれた刀を見つめている。短髪で眼鏡をかけた女性だ。突然の行動にゾロといっぽんマツも驚いた。
だが驚きはすぐに別の物に変わる。
いっぽんマツは名前を言うなと心の中で叫び、ゾロは、その容姿に度肝を抜かれた。
刀を抜いて、眼鏡を外して刀身を眺める姿、顔、表情まで。在りし日に見た、親友の姿その物。
幼き日に死んだ彼女、くいなが、成長してそこに居るかのよう。
目を見開いたゾロは我を忘れ、時を忘れた。
やがてその女性、たしぎが刀身に見惚れて幸せそうに微笑み、ぽつりと呟く。
再び時が動き出したのはそれからだった。
「これ、和道一文字ですよね」
「……和道?」
(ああああっ、言っちまったぁぁあああっ!)
笑顔と呆然と悲痛な叫び。三者三様で奇妙な空気が店内を包む。
少し離れて俯瞰で見ていたウソップは肩をすくめ、我関せずとばかりに店内の棚を見始めた。
カウンターではいくつもの驚きが折り重なっている。世に知られた名刀をその手にしたこと。名刀だとバラされてしまったこと。死んだ友人にそっくりな人物を見つけたこと。
事態は困窮を極めているらしかった。
だが、たしぎは心から嬉しそうにゾロの刀を見つめており、その自覚がない様子。
好奇心のままに呟けば、それだけで周囲の空気が変わる。
「きれいな直刃……よく手入れされてる。こんなに美しい刀があるなんて」
「あ、あぁ、まぁ、それなりだな。大体十万くらいの価値だが――」
「十万? とんでもないっ! これは時価一千万ベリーはくだらない名刀ですよ! 大業物二十一工の一振りで、喉から手が出るほど欲しい人なんて数え切れないほど居るくらいの!」
「なっ、なななっ――」
「それじゃおっさん、ゾロを騙そうとしたってことか? 態度悪い上に最悪だな、おい」
たしぎの叫びを聞いて、棚にあったピストルを手にしていたウソップが言う。それを聞いていたいっぽんマツもこれ以上の言い訳はできず、悔しそうに歯噛みする。
一時とはいえ商売を忘れてしまった。それは事実だろう。
ただそれを言った相手が相手で、素直に謝るのも癪らしく、直後には感情的に開き直った。
「だぁーくそっ! 余計なこと言いやがって疫病神が! せっかくの商談を邪魔しやがって!」
「開き直りやがったぞ」
「どの道渡す気はねぇっつってんだろ……」
「あ、あの私、何か余計なこと言いましたか?」
「もういい! てめぇはこの“時雨”を取りに来たんだろ! もう磨き終わってるよ、代刀置いてとっとと帰りやがれ!」
そう言っていっぽんマツはカウンターの裏に置いていた刀を持ち出し、投げつけた。たしぎは危なげな足取りでそれを受け止め、よろよろと姿勢が流れていく。
しかし受け止めきれずに勢いを殺さず棚に突っ込んでしまった。
「あっ、わっ……あぁっ」
「何やってんだてめぇ!? 店ん中荒らすな!」
棚を倒して武器が散らばる。大きな物音が立ってたしぎはその中心で転んでいた。怪我はないようだが無視できないほど騒々しい様子である。
何やら面白そうだとウソップがゾロの傍に戻り、同じく彼女を見つめる。
ただ、ゾロだけはどこかぼんやりしている顔だった。
「すげぇなあいつ。シルク以上にドジだぞ」
「ああ……」
「ん? どうしたゾロ、なんかあったか?」
「いや。昔の知り合いに似てただけだ。大したことじゃねぇ」
「似てる? あぁ、あの姉ちゃんか」
がちゃがちゃと武器の下から這い出て、慌てて頭を下げたたしぎがいっぽんマツに怒られながら武器を拾い始める。それを見てウソップが駆け寄り手伝い始めた。
ゾロはまだぼんやりしているようで、駆けつける余裕はなく。
その間にもいっぽんマツが小言を言うようにぶつぶつ言葉を吐き出していた。
「まったく、あのスモーカーって野郎が来てからこっちは商売あがったりだぜ。海賊も賞金稼ぎもめっきり近付かなくなっちまった。今じゃ海兵様の刀を磨くだけの商売とはなぁ」
「そんな、スモーカーさんの尽力でこの町は平和になったんでしょう?」
「それじゃこっちの商売が困るっつってんだよ! おかげで家計は苦しくなる一方だ!」
いっぽんマツの言葉にたしぎの表情は曇り、棚を立て直しながらウソップもそれを確認する。
スモーカーという名には覚えがある。キリが言っていた有名な海兵。会わないことが肝心だとアドバイスされたことはよく頭に残っていた。
どうやらあまり好かれていないらしい。
町が平和になったことで苦労する稼業もあるのだと、一つ勉強になった瞬間だ。
「たまに客が来たと思えばたかだか十万ベリーの買い物。ここはスーパーじゃねぇんだ、武器にしてみりゃずいぶんな安物だぜ。未来はちっとも明るくならねぇな」
「そう腐るなよおっさん。頑張ってりゃ良いこともあるって」
「ふん、どうだかな。おう、おめぇもさっさと刀選べよ。樽に入ってる奴だ」
顎で指し示されたことでゾロがそちらを見た。すでに分かっているが樽の位置を教えられ、店の隅にあることを確認する。安物とはいえ数はかなりあることはわかった。
ちらりと見れば、ウソップとたしぎは簡単に片付けを終えていた。
もう手伝う必要はない。やっと動き出したゾロが樽へ向かい、刀を選ぼうとする。
ウソップがたしぎに尋ねたのはそんな時だ。
「しっかしゾロが持ってる刀がそこまで価値があるとはな。あんた、刀に詳しいのか?」
「は、はい。と言っても少しだけですけど」
「ちょうどいいじゃねぇか。なぁゾロ、この姉ちゃんに選んでもらおうぜ。同じ五万ベリーなら少しでも良いやつ選んだ方がお得だろ?」
「まぁ、そりゃそうだが」
ゾロへ問いかければなんとか頷かれる。するとウソップがたしぎに向き直った。
「あいつ今から刀を二本買うんだけどよ、あの樽から良いやつ選んでくれねぇかな。おれはそもそも剣士じゃねぇし、あいつは腕こそあっても知識はなさそうだからさ」
「そういうことなら、いいですよ。私で役に立つならご協力します」
「よし、決まった。おいゾロ、強力そうな助っ人が見つかったぞ」
「ケッ。五万で大したもんがあるかよ……」
つまらなそうにいっぽんマツが呟くものの、相手にはされていない様子。
ウソップとたしぎもゾロの傍へやってきて樽を覗き込み始めた。
一つ一つ手に取り、少し抜いてみて確認していく。そうしながらたしぎは、腰に和道一文字と呼ばれる刀を提げるゾロに興味を持っていたらしく、笑顔で声をかける。
「すごい刀をお持ちですね。家宝か何かですか?」
「いや、元は友人のもんだ。まぁ今となっては形見さ」
「そうですか……すみません、余計なことを」
「気にすんな。もう昔のことだ」
二人の会話を聞きつつ、そう言えばそんな話は聞いたことがなかったとウソップも驚く。
思えばゾロの過去について話したことなどあっただろうか。自分から話すタイプではないし、今まで質問するタイミングもなかった。初めて聞くのも当然だろう。
新たな発見をして、邪魔をしないよう二人の会話を耳にする。
「でも、失礼かもしれませんが、珍しいですね。刀を三本も持つなんて例の海賊狩りみたい」
「海賊狩り、ねぇ」
「知りませんか? 元は有名な賞金稼ぎで、今は海賊になった男です」
知らないはずがない。それはこのロロノア・ゾロを指して言う異名である。
静かに慌てたウソップは念のため誤魔化そうと、声だけで二人の間に割って入った。
「ま、まぁこいつは、その海賊狩りのファンみたいなもんさ。どうしてもやってみてぇって聞かなくてよ。おれまで買い物に付き合う羽目になっちまったんだ」
「誰がファンだよ」
「バカ、恥ずかしがるなよ。言ってたじゃねぇか」
「ファン、ですか」
ウソップの言葉を聞いてたしぎがわずかに俯き、真剣な顔つきになる。誤魔化したつもりが妙なことを言ってしまったらしい。何やら雰囲気が変わっていた。
顔を上げたたしぎはゾロを見つめ、海賊狩りに憧れているだろう男へ告げる。
様子の変化から自然にゾロも彼女を見ていた。
二人の視線が合わさり、やけに真摯に伝えられる。
「余計なお世話かもしれませんけど、賞金稼ぎになりたいならやめておいた方がいいです。剣を使って人の役に立ちたいなら海軍はどうでしょうか?」
「唐突だな。思い入れでもあんのか?」
「ありますよ。私は、これでも海兵の端くれですから」
真剣に伝えられて、まず先にウソップが驚愕した。
とてもそうは見えなかったが、相手は海兵。とんでもない人間に声をかけてしまったものだ。もしここに居るのが先日新聞に載ったばかりの海賊だとわかれば、簡単に逃がしてもらえるはずもないだろう。彼女もまた自身の刀を受け取ったばかりなのだ。
戦闘になれば厄介だ。ゾロが居るもののウソップが慌て出す。
そんな彼を背後に置いてたしぎと見つめ合い、ゾロは静かに耳を傾けている。
「刀をお金稼ぎの道具にするなんて、許せません。私は海兵ですけど、海賊だけじゃなくて賞金稼ぎにもあまり良い印象は持てないんです」
「よっぽどの刀好きか。あんたも珍しい奴だな」
「そうかもしれません……どうしてこの時代、悪が強いんでしょう。名のある剣豪たちはみんな海賊だったり、賞金稼ぎだったり、世界中の名刀が彼らの手にあるんですよ。刀が泣いてます」
「さぁな。それぞれ理由ってもんがあるんだろ。あんたがそう思うのと同じさ」
ゾロが不敵に笑って言ったところでたしぎは納得できていない顔つき。
視線を外し、俯いた後、次に顔を上げた時は自分に言い聞かせるように言った。
「だから私は、悪人の手に渡った世界中の刀を回収することを誓ったんです。作られた刀は罪のない人を斬りたいなんて思ってない、そう思うから」
「へぇ……なら、こいつも奪うのか? 和道一文字っつったか」
宣言を受け取り、笑みを深めたゾロが自らの刀に手を伸ばした。
一千万ベリー以上の価値が付く名刀。回収するには十分な代物だろう。
そう思って言ってみれば、慌てた様子でたしぎが両手を振る。まるで否定するかのようで、事実彼女の口から発されたのは否定するための言葉だった。
「い、いえ、私は別に刀が欲しいわけじゃないので。ただ悪人が持っていることが許せないだけですから、あなたから回収する必要なんてありませんよ」
「そうか。そりゃ安心だな」
「それに、大事なお友達の形見なんでしょう?」
「ああ。こいつは渡せねぇんだ。相手が誰であってもな」
ゾロが次の刀に手を伸ばし、柄を握って抜こうとする。しかし柄に触れた途端気付いた。何か妙な感じがする刀であると。
見た目はそう特別ではない。質が悪い訳でもなさそうだ。
それなのに手から伝わる感触は覚えがなく、なんとなくではあるものの理解する。
時を同じく、その様子を見ていたたしぎも何かに気付いていた。
彼女は触れた感触ではなく外見を見て判断する。戸惑いを抱き、知りたいという欲求から自作のメモを取り出してページを捲り、自身が綴った文字を見つけた。
こちらも本物。しかも、そうお目にかかれる物ではなかった。
「あ、あれ? これってやっぱり……」
「妙な感じがする。普通じゃねぇな」
「なんだ? どうかしたか?」
後ろからウソップが覗き込む時、たしぎがじっと注目して呟く。
その時にはいっぽんマツも状況を理解し、腕を組んだまま冷や汗が流れるのを自覚していた。
「三代鬼徹! これも業物の一本です! 普通の相場なら百万ベリーくらいするはずなのに、五万ベリーなんておかしいですよ!」
「百万? なんでそんなのが五万ベリーの樽に入ってんだ。おっさん、間違えたのか?」
「い、いや、それは……」
「こ、これ! これにするべきですよ、絶対! いえ、本当に五万ベリーで買えるならですが、状態も良いですしこんなに良い物を眠らせておくなんてもったいない!」
ゾロの手によって鞘から引き抜かれ、刀身が現れる。
光を受けて怪しく光るかのよう。素人目にも普通の刀には見えない。
ウソップがごくりと息を呑み、ゾロは何かを感じ入るよう静かに見つめて、しかしたしぎだけはその刀身にうっとりしていた。まるで見惚れる様子である。
「うわぁ、逞しい乱刃ですね……やっぱり本物は迫力が違う」
「妖刀か」
誰に聞くでもなく理解してゾロが呟いた。
それを耳にしていっぽんマツが重くなった口を開く。汗を掻き、緊張しているらしい顔つきに変貌していて、ゾロが持つ刀を複雑そうな顔で見ていた。
「知ってたのか?」
「いや。わかる」
「ああそうさ、おまえが言う通りそいつは妖刀だよ。鬼徹って名はな、初代を始めその悉くが妖刀だったんだ……腰にぶら下げた奴は一人残らず悲運の死を遂げちまう。今の世の中、鬼徹を好んで使おうなんてバカは居やしねぇ。使えばこの世に居られなくなっちまうからな」
「も、持ってるだけで死んじまうってことか。呪いとかいうレベルじゃねぇだろ」
顔を真っ青にしたウソップが呟いて後ずさりするが、なぜかゾロは手放そうとしない。
角度を変えながらじっくり眺め、入念に吟味している姿だった。
「ご、ごめんなさい! 私、そんな物だとは知らなくて……!」
「何やってんだよゾロ、早く戻せって! どんだけ価値があっても死んだらそれまでだぞ! 他のにしとけって、こんだけ色々あるんだから!」
「そいつの言う通りだ。やっぱりそいつは売れねぇ。おれだってさっさと処分してぇけど、呪われそうでよ。中々手放せなくて困っちゃいるが、おれが売って死なれちゃ寝覚めが悪ぃ」
「要するに死ななきゃいいわけか」
売れないと語るいっぽんマツに目を向け、機嫌を良くしてゾロが笑った。
「気に入った。こいつをもらう」
「バッ!? バカなこと言ってんじゃねぇ! 死ぬ気か、おまえ!」
「あいにく呪いだの神だのってのは信じねぇ性質でな。なら勝負しよう。おれがこいつに勝ったらもらっていく。負けたらおれは、それまでの男だったってことさ」
驚愕する面々をそっちのけに、ゾロはウソップとたしぎの傍を離れた。
そして店の中央で抜き身の三代鬼徹を投げる。
天井付近まで上がった後、回転しながら落ちてくる刀の下へ自身の左腕を伸ばす。
三代鬼徹の切れ味は抜群。もしそのまま当たってしまえば腕一本など平気で落とせる。それが妖刀たらしめるだけの理由であり、恐ろしさである。
そうでなくとも異常な行動にしか見えない。
見ていた三人は同時に声を上げ、馬鹿な真似をするゾロへ叫んだ。
「バカ野郎ッ!? 冗談じゃねぇんだぞ、腕が無くなる!」
「ゾロォ!? おまえやめろォ!」
「危ないっ!」
誰もが危険だと思い、目を逸らさなかったのが不思議なほど。降ってくる鬼徹が腕に迫る。
しかし、果たして予想された光景だったのか。
鬼徹はするりとゾロの傍を通り抜け、腕には傷一つつかず、木目の床にストンと突き刺さる。見た目通り腕は落ちていない。怯えて引くこともなく、左腕は真っ直ぐ伸ばされたまま。
呪いを気合いで押し返した。そう見えなくもない一瞬だった。
腕を伸ばしたままゾロが笑う。
「もらっていく」
勝負は、彼の勝ちだった。
たしぎはへなへなとその場に座り込んでしまい、ウソップは大量の冷や汗を拭って、いっぽんマツは思わず尻もちをついて驚愕する。
こんな男は見たことがない。そもそも、刀と勝負するなど考える人間が居るだろうか。
鬼徹を床から引き抜いたゾロはたしぎを指差して声をかけた。
「おい、もう一本選んでくれ」
「え? あ、は、はい!」
「アホォ! このアホォ! おまえマジでびびったじゃねぇかくぬやろーがっ!」
「痛ェ! 本気で叩くな、バカ!」
あまりにも驚いてしまったらしく、泣きそうな顔になってウソップがゾロの背を叩く。体は鍛えても痛く感じて迷惑そうだ。ゾロは彼を睨んで必死に止めようとする。
そうしている姿はまだ歳も若い、至って普通の青年。
本気になればこれほど違うのか。
座り込んだ状態から、たしぎは呆然と眺めていた。
同じくカウンターの向こうからゾロを見ていたいっぽんマツは息を呑み、やがて立ち上がる。
何を想ったか店の奥へ走り出し、完全に姿が消える前に慌てて叫んでいた。
「ま、待て! おまえらちょっと待ってろ!」
「ん? なんだよ」
ゾロが振り返ってそちらを見ること数十秒。ドタバタ騒がしい足音が奥から戻ってきて店内に現れる。当然いっぽんマツが走って来たのだ。
その手には一振りの刀がある。
カウンターに置き、威厳を込めて腕を組んで、ゾロを見据えて静かに話し始めた。
「造りは黒漆太刀拵。刃は乱刃小丁字。良業物、“
「へぇ、大した刀じゃねぇか。だがあいにく金がねぇんだ。そんな上等なもん買えねぇ」
「金はいらねぇ。鬼徹の分もな。何も言わずにもらってやってくれ」
唐突に態度が変わってやけに真剣な顔になった。
従ってゾロも真剣に話を聞き、笑みを消して向き合う。
自身の家宝とも言える一本を持ち出して、いっぽんマツは覚悟を決めている。
雪走というその刀、五万ベリーの樽に突っ込まれたそれらとは明らかに見栄えが違う。かなりの一品であることは間違いない。故に、それを持ち出してくる真意を知りたかった。
まさかお得意様になれと言う訳もあるまいに。
決意した声で伝えられる想いを受け取るとでもいうのか、いっぽんマツがゾロへ語る。
「さっきは騙そうとしてすまなかった。おれァ、そんな自分に恥じちまったよ……刀は持ち主を選ぶという。あんたは久しく見ねぇ良い目をした剣士だ。こいつを連れてってやって欲しい」
「いいのか? 見ず知らずの男に託してよ」
「そうさせてくれ。今のおれに迷いはねぇ。男が男に夢を託して何が悪い」
「へっ……なら、断るわけにはいかねぇな」
薄く笑って、カウンターへ歩み寄ったゾロは雪走もまた手に取った。
腰の右側に刀を三本差し、以前と同じ状態になる。
三代鬼徹、雪走、そして前からあった和道一文字。全て腰に納まった。たったそれだけでいっぽんマツの体がぶるりと震えて、感動に近い何かを感じ取っている。たしぎもまた、彼の姿を見て同感できるほど体の震えを感じていた。
この男はいずれ大成するだろう。不思議とそう思わされた。
彼の覇気に気圧されて、二人は同じ感想を抱いていたようだった。
「うし。やっぱり三本あると落ち着く」
満足した様子で呟き、歩き出したゾロは後悔もなく店の出口へと向かい始める。
「行こうぜウソップ。用は済んだ。次はおまえの用事だろ」
「お、おう。でもタダってのはすげぇ話だな。いいのかよ?」
「断った方が無礼になる。有難く頂戴しとこうぜ」
「んん、そうだな。男と男の誓いの一瞬だよな」
「何言ってやがんだ」
二人は軽い足取りで外へ出て行ってしまい、いっぽんマツはその背を見送った。まるで自分の息子を送り出すかのように万感の想いを持って。
果たしてそれは雪走に向けられる物か、或いは向けられているのはゾロなのか。
それを知るのはいっぽんマツ本人のみであった。
へたり込んで座っていたたしぎは、二人の背が見えなくなってからぽつりと呟く。
顔には薄く微笑みがあり、まだ動揺から立ち直れていない様子だ。
「すごい……腰が抜けて立てないや」
凄い物を見たと心から思う。自分とは違うとも、自分以上だとも思う刀との向き合い方。まさか勝負するだなんて発想に至るとは。自分では考え付かなかった思考だ。
腰に三本差している姿もひどく似合っていて、かの海賊狩りにも勝るほど。
そう思った時、はたと気付いた。
失念していたとばかりに表情が変わり、一瞬で焦りが心の中を満たす。
「あ、あれ? 三本の刀に、腹巻……それにあの人、ゾロって呼ばれていたような」
明らかに気付くのが遅れていた。
これも彼女が、刀を目にすると我を忘れてしまうほどの刀剣マニアであったせいだと言える。和道一文字を見たその瞬間から感動に打ち震え、続けて三代鬼徹、雪走と、驚くほどの名刀ばかりを見たせいで考える暇さえなかったようだ。
冷静になって考えればおかしい点はいくつもある。
海賊狩りと同じ名前だったこと。三本刀を必要としていること。
そして何よりも、新聞に載っていた男が二人、そっくりそのままで目の前に居たこと。
慌てた彼女は腰が抜けていたことすら忘れて立ち上がり、もつれる足で必死に店を飛び出した。一度盛大に転んでしまったが気にしている暇もなく通りを見回す。
すでに二人の姿は見つからない。どこへ行ってしまったのか。
愛刀“時雨”を手に呆然と立ち尽くす彼女は、しばらく混乱したままで冷静さを取り戻せず、その場から一歩も動くことができずに立ち尽くしていた。