心底楽しそうに駆け出したルフィが敵として見定められた。
今となってはガスパーデ海賊団だけでなく、数多の海賊が彼を睨みつけ、倒して名を上げようという欲求に駆られている。
酒場の最上階は暴動にも似た様相となっていた。
怒号が響き渡って騒がしさが増し、階下の者たちにまで影響を与えるほどである。
ルフィは笑顔のままで脚を振り上げて、前方で壁のように連なる男たちへ振り抜いた。
「やっちまえェ!」
「ゴムゴムの、鞭!」
伸びる足による一撃が、一斉に敵の姿を捉え、軽々と蹴り飛ばしていく。勢いは止まらず、蹴られた男たちが後ろに居る者たちを押しやって飛ばされた。
伸びた足を引き戻し、さらに駆け出す。
今度は両腕を高速で動かして予備動作を行い、走りながら拳を繰り出した。
「ゴムゴムの
「ぎゃああっ!? 伸びてきたぁ!?」
「野郎、やっぱ強ぇぞ!」
「おもしれぇじゃねぇか3000万! そうじゃねぇと楽しめねぇ!」
次々伸びるパンチが連続して敵を捉える。
屈強な男たちが宙を飛んでいき、辺りに悲鳴が響き渡った。
しかしそれでも途切れない。向かってくる敵の数は増える一方で、ルフィが敵を弾き飛ばす度、歓声と共に楽しんでいるらしい野次がどちらからも聞こえてきた。
流石は海賊の島。喧嘩一つ取っても異常性が伝わる。
酒も入っているらしいとはいえ、どうやら怯えている者は居ないようだ。
むしろ望むところだろう。びびっている敵を倒すよりかは、楽しげに、それでいて全力で襲ってくる敵を倒した方がよほど気分が良い。
命を賭けていながら、不思議と楽しい喧嘩だ。これが海賊島の雰囲気かもしれない。
殺到してくる敵は数が多く、どれだけ精神的に余裕があっても物理的な苦戦はあった。そこで地面を蹴って高く跳んだルフィは空中から無数の蹴りを放つ。
「ゴムゴムのォ~……スタンプガトリング!」
「うおっ!? 上だ!」
「うるせぇなこの野郎っ! 見りゃわかるだろうが!」
怒号が多く、出会ったばかりの海賊団が肩を並べる環境も多いため、口汚く罵り合う声も決して少なくはなかった。今は大半がルフィを敵として認識しているが、時間が経てばただの乱闘と化す時間もそう遠くはないだろう。
シュライヤにとっては僥倖だ。
敵から奪った棍棒で大男を殴り倒した後、彼は苦笑してルフィを見る。
「まったく、騒がしい野郎だ。なんでおまえが割り込む必要がある」
呆れるものの敵の数は減っていた。多くがルフィの乱入を喜び、キャプテン・キッドとの決闘を見た後で血が滾っていたばかり。その張本人を討ち取れるとあって歓喜していた。
力試しに加えて航海によるストレスの発散のようだ。
話題のルーキーらしく、多少形は歪であるものの、ルフィの人気は凄まじい物だった。
「こっちの数が減ったな。まぁ全部任せる気もねぇが――」
「おらおら、どけどけェ! 裏で仕入れた迫撃砲様だァ!」
棍棒を担いでシュライヤが足を止めた時、またしても大声が聞こえて注目が集まる。
見れば日に焼けた肌を持つ筋骨隆々の男が、大きなバズーカを担いで立っていた。つい先程見た記憶のある光景である。多くの者がそう気付いたようで、慌てる声も少なくない。
「死にたくねぇ奴はどいてろ! こいつでまとめてぶっ飛ばしてやるぜ!」
「おいバカやめろ!? さっき跳ね返されたの見てなかったのか!」
「おれたちまで巻き込むんじゃねぇ!」
「発射ァ!」
ズドン、と音がして弾が発射された。砲弾のようなサイズであった。
放たれた弾はルフィを目指して進んでいき、敵を殴っていた彼も視線を向けて気付く。しかし動じない。即座に息を吸い込んで腹を膨らませた。
ゴムの体に銃撃は無効。
瞬く間に膨らんだ体は風船のようで、真正面から弾を受け止める。
「風船!」
「なにィ!?」
「ほら見ろ、言わんこっちゃねぇ!」
ぐぐぐと受け止め、勢いよく跳ね返した。
空中を駆ける弾丸は放った男の下へ戻っていき、為す術もなく、大男に直撃する。
凄まじい音を立てる爆発は一瞬で彼の意識を奪ってしまった。
戦闘は激化する一方。そこへシュライヤも飛び込んでいく。
喧嘩が好きなだけの海賊とは違うが、その方が早いと踏んだらしい。海賊たちと遊んでいる場合ではなく目的はルフィに話をつけること。それ以外にない。
手に持った棍棒で近くに居た海賊を殴り飛ばし、彼にもまた男たちが殺到する。
混乱は深まるばかりだった。
いつの間にか階下に居た海賊も最上階へ来て参加している。ただ騒ぐためだけに。
圧倒されるウソップとビビは大口を開けてその光景を見ていて、なぜこうなったのだろうと頭を抱えたい一心ながら動き出せずに、唖然として立ち尽くすままだった。
一方、普段なら怯えているはずのナミはと言えば、レース目前のためか拳を握っている。怯えるどころかルフィを目標に檄を飛ばし、熱心な声で応援していた。その姿は普段を知っていれば違和感が拭えない。が、言葉を聞いてみれば納得もできる。
「ルフィ! そいつら全員のしちゃいなさい! 臨時収入で五十万ベリー払えるからね!」
「盗む気だ……倒れた奴らの財布から奪う気だ」
「私も、そんな気がしてきた……」
「これだけ居れば五十万どころじゃないわね。一人も逃がしちゃだめよ!」
拳を突き上げて応援する彼女は邪な想いに囚われていた。傍から見ていてよくわかる。
ウソップとビビは揃って肩を落とし、どうしたものかと溜息をつく。
もはや二人に止められる状況ではなさそうだ。
「ほら、何やってんのよキャプテン・ウソップ! ルフィを援護!」
「えぇっ!? いやいやいや、今手ェ出したらこっちに来るだろ、敵が! 援護は得意だが誰がおれを守ってくれるんだよ!」
「大丈夫よ、大騒ぎになってるし。いいから一人でも多く倒しなさい」
「悪魔か、おまえは。この騒ぎの中で気付かれたらどうなると……」
「じゃあ気付かれないようにそっと倒しなさい」
「ナミさん、それはちょっと無理があるような……」
困り顔のビビが助け舟を出したところで聞き入れる気はなさそうで。
結局ウソップは恐る恐るパチンコを取り出し、乱戦となった状況下で援護を始める。
気付かれないようにと必死な努力を続け、しかし放たれる弾丸は着実にルフィの周辺に居る敵にダメージを与えていった。
ルフィの戦いやすさは増したようで、一太刀も受けることなく殴打を続ける。
キッドから受けた傷があるとは言っても行動に支障はない。
身軽な動きは止まることがなかった。
少し離れた場所ではシュライヤも身軽な動きで敵を倒している。必要に応じて武器を持ち替え、的確な動作で敵を打ち、倒れていく男たちは後が断たなかった。
更なる怒号が増して、混沌と化す現場は凄まじい様相に変わっていた。
少しでも騒ぎに参加すべく階下から上がってくる人影は多い。彼らもそうだった。少し前まで入り口の前に居た、他の麦わらの一味の面々も、何があったのかと見学にやってくる。
正直なところ想像はできていた。
そのため、上がってすぐに暴れるルフィの姿を見つけたのである。
先頭に居たゾロが腕を組んで呆れるのだが、その横からサンジとイガラムが飛び出す。
「やっぱりあいつか……ちょっと目を離した隙によくもまぁここまで――」
「あぁ! んナミさぁ~ん! ビビちゅわ~ん!」
「ビビ様ぁ~!?」
ドタドタ走る男たちを物ともせず、サンジとイガラムの目の色が変わっていた。
二人が持つ感情は違っており、サンジは仲間の女性陣を見つけて喜び、イガラムはビビが殺伐とした状況に置かれていることを嘆いている。しかし感情がどうあれ、どちらも今すぐに駆け出しそうな様子で前のめりになっており、傍に居たゾロは表情を歪めた。
「このクソ外道どもが! ナミさんとビビちゃんを怖がらせるとは言語道断! おれが全員オロしてやろうかクソ野郎ども!」
「ナミは怖がってねぇだろ、あれ」
「うん。なんか、煽ってるよね」
「ビビ様ぁ~!? やはり私が傍を離れるべきではなかった! 今すぐ参ります!」
「おい待ておっさん! ビビちゃんを助けるのはおれだろうが!」
冷静に状況を見れば気付けることもあっただろう。ゾロとシルクは立ち止まり、なんとなくとはいえ状況を読み取ることができた。しかしその二人に限ってはそんな余裕すらないようで、一方的に騒いで止める暇もなく走り出してしまう。
止めるのも億劫で引き止めはしなかった。
ゾロとシルクは揃って溜息をつき、走り去る二人の背を見送る。
「アホが二人になると一気に疲れるな」
「イガラムさんは、普段は良い人なんだけどね。ちょっと心配性だから」
「アホコックは女を見るとああなるしな」
「悪い人じゃないんだけど、張り切っちゃうからね」
全く心配はしていないが心労は感じる。
暴れるルフィも然り。なぜかナミは雄々しく拳を突き上げていて、ウソップはパチンコを使って援護しているのが見え、遠目から見てもビビは困惑している。
いつも通り、おかしな状況だ。
そう珍しい状況ではないため二人は慌てず、呑気に呟く。
「仕方ねぇ。行くか」
「うん。早く止めてあげた方がいいかも、ウソップとビビのために」
急がず歩き出してゆっくりそちらへ向かう。
騒ぎ続ける仲間たちは心配する必要がなさそうに見える。ルフィが怪我をしているらしい風体には多少の違和感も伴うが、元気そうなので危険視はしていない。
先に行った二人も加勢するだろうし、さほど問題はないだろう。
走っていったサンジとイガラムは、素早く仲間たちの下へ向かっていた。
目的は一つ、自身の大事な女性を守ること。
脇目も振らずに真っ直ぐ駆けて、通り過ぎる海賊には目もくれず、非常に素早い。
一足先に到達したのはサンジだった。
足を止めず、全力で地面を蹴りつけて、ナミに最も近い位置に居た男へ跳び蹴りを放った。
「てめぇ、誰に許可を得てナミさんに近付いてんだコラァ!」
「おふっ!?」
走るままの勢いで頬が蹴りつけられたことで、気付けば全身が宙を飛んでいた。足をつけて耐えることすらできずに、意識さえも遠ざかって、肩口から地面を滑っていく。
巧みに着地し、しゃがんだままでポーズを一つ。
すっと立ち上がった彼は煙草を指に持って煙を吐いた。
その後、ナミに顔を向け、穏やかな笑みを見せる。
「お待たせ、ナミさん……あなたのナイトが到着しました」
「いいわよサンジくん! 近くに居る奴は全員倒して!」
「あ~いっ! お任せあれ~!」
凛々しい顔を見せたのも一秒足らずだった。ナミに名前を呼ばれただけでサンジの表情は一瞬で緩んでしまい、軽いステップで敵へ躍りかかる。ふざけた態度だが強さは見事。乱入に驚く敵は次々蹴り飛ばされていった。
しかし慣れているのか対応の動きも早い。
サンジにも注目が集められて、すぐさま乱闘の規模は大きくなる。
イガラムもまた素早くビビの前へ到達していた。
おそらく今までで最も足が速かっただろう。多少息を切らしながら、彼女を背にして無数の海賊たちに立ち向かい、誰にでもなく勇ましく吠えた。
「おまえたち! 私の目が黒い内は、ビビ様には指一本触れさせんぞ!」
「イガラム!」
「ビビ様! お待たせしました! これよりこのイガラムめが護衛致します!」
少し前とは打って変わって意気揚々と。
仁王立ちした彼は首元のタイに指をかけた。
「砲撃準備~!」
威風堂々と言い放てば、どこからともなく妙な音楽が奏でられ、彼の独特な髪型に仕込まれていた小型で筒状の砲台が現れる。
見ていた者たちは驚かずにはいられなかった。
一体どこから出てくるのだと、感想は皆が同じだっただろう。
横目で確認したルフィでさえ釘付けになり、目が飛び出さんばかりに驚いていた。それどころか周囲に居る好奇心旺盛な男たちまでもが、戦闘をそっちのけに声を出し始めた。
「うおおっ!? なんだそれおっさん! イカスぅ!」
「おいおいすげぇファンキーじゃねぇか! どこで仕入れた!」
「つーか普通そこは選ばねぇだろ!」
敵味方を問わず一斉に騒ぎ出す様は呑気にも見え、その中でイガラムは真剣な顔つきだ。
狙いを定め、発射しようとしている。
その挙動に気付いた一部の人間が動き出し、発射の前に止めようと向かい始めた。
「チッ、貴族みてぇな髪型しやがって。偉そうにしてんじゃねぇぞおっさん」
「それ全部剃ってやろうか」
「私のことはなんと言われても結構。しかしビビ様を傷つけさせはしない!」
壁となって襲ってくる敵に対して言い放ち、ぐいっとタイが引っ張られた。
「イガラッパッパ!」
轟音。そして一斉に弾が発射される。
放たれた弾丸は小さな砲弾でもあって、敵の姿を捉えた瞬間に大爆発を起こし、酒場の中に更なる黒煙を漂わせる。髪や肌を焦がす嫌な臭いが辺りに充満していた。
どうやって放ったのかは、傍から見ていても理解できない。
ルフィを始め、イガラムの装備に興味を持っていた者たちは、またしても一斉に騒ぐ。
「すげぇぇぇっ!? どうやって撃ったんだ今の!」
「いやあり得ねぇだろ! なんでそこ引っ張って弾が出る!?」
「あのおっさん、アホなんだな……」
「ああそうか、アホじゃなきゃあんな戦い方思いつかんわな」
口々に呟きながらも喧嘩は続けられて、辺りに漂う黒煙が少しばかり邪魔になる。咳き込む者も少数は居て、ようやく晴れかけたかと思った時にはイガラムが次弾を放ち、また爆発。それだけでなく別の誰かもバズーカを乱射しているらしかった。
至る所から煙が上がって、乱雑に飛ばされていたテーブルや椅子も燃え始めて、半ば火事にも近い状況である。戦闘の熱量は尚も増していた。
人が集まる熱気だけでなく、辺りでちらほら見える火による熱気が肌を撫でる。
だからといってやめようなどと言い出す人間は誰もおらず、協力して火を消すどころか、次第に攻撃を仕掛ける相手はルフィやシュライヤだけではなくなっていた。
今となっては目に見える全員が敵になっていたようだ。
黒煙はさらに広がっていく。しかしある時、風が吹いてそれらが飛ばされた。
急に視界が開けて、喜びながらも驚く者たちが見たままを口にしている。
「おっ、なんだ? 風?」
「春一番か」
「んん? いや待て……風吹いてるが、なんか、切れてねぇか!?」
強い風の音が聞こえた直後、誰に斬られる訳でもなく、肌が裂かれて鮮血が散る。屈強な男たちが数人纏めて斬り飛ばされていた。
場所を選びながらも、酒場の中でかまいたちが吹き荒れている。
剣を構えるシルクは微笑みを湛え、他の海賊に違わず楽しげに剣を振るった。
「前の島じゃ、活躍できなかったからね。練習の成果はここで見せなきゃ」
ビュン、と剣を振れば、同じ軌道で風が走る。
目に見えない刃は遠く離れた位置に居る男たちまで切り飛ばした。
そこからは少し違った場所。
人々の間を縫うように走り抜け、一歩も足を止めずに進み続ける影がある。
影が通った後には血を噴き出す人間だけが残され、無事に済んだ者など一人もおらず、訳も分からぬ内に次々誰かが倒れていく。
両手に刀を持ったゾロだった。
素早い動作と力強い斬撃で敵を捉え、一瞬の攻防で敵を倒し続けている様子だ。
彼もまたストレスを発散するかのよう、口の端を釣り上げている。
「数だけは上等だな。次から次によくやりやがる」
「おい小僧ォ! ここを通れると思うなよ!」
「ん?」
駆けるゾロの前方に長刀を持った細身の男が立ちはだかる。
視線を交わらせたのは一度。
それだけで十分だった。
「来やがれ!」
「おう。じゃ遠慮なく」
走る最中に姿勢を低くしてさらに速くなった。小細工はせず真っ向勝負。男もそれを待ち受けて仁王立ち、刀を大上段に振り上げた。
一瞬の交差。飛び出した血が一直線に空を走る。
敵を斬ったゾロは振り返りもせず、結果も見ずにその場を去り、さらに前を目指していた。
別段感想はない。その程度の相手だったのだろう。
勝ちを誇るでもなく前へ進んで、やがて彼はナミたちのところへ到達した。
「おいナミ、どうなってんだこりゃ」
「色々事情があるの。レースに出るわよ」
「レース?」
「とにかくまずそこら辺の奴倒してきて。参加料が必要なんだから」
「待てゾロ! おまえはここでおれたちを守れ! いい加減こっちも危ねぇっての!」
ナミとウソップ、ビビの三人は胴元が座る椅子の後ろにまで避難していた。胴元自身が屈強なボディガードに守られているため、その環境を利用した安全地帯と考えているらしい。本人は迷惑そうにしていたが三人が動く気配もなさそうだった。
レースに出るとは、耳慣れない言葉だ。さっぱり意味がわからない。
ただ状況を考えればこのままで終われそうにない。戦いは避けられないだろう。
溜息をついて頭を振り、やれやれと納得することにしたようだ。
「落ち着いて話し合ってる場合でもねぇな。まぁいい、気晴らしにゃなるだろ」
「待ちなさいゾロくん! お、おれたちは!?」
「何言ってんだ。おまえが居りゃ十分だろ、キャプテン」
「おまえまでそう言うのか!? おれを過大評価し過ぎるのはいけないんだぞ! おぉい待て、まだ話は終わってねぇってば! た、助けてぇ~!」
「それだけ騒げてりゃ十分だ。王女様をしっかり守れよ」
言うだけ言ってゾロは離れてしまい、戦場へと飛び込んでいく。
そこでは彼だけでなく、数多の人間が大声を上げていた。
船長のルフィが先頭となって大騒ぎをして、伸びる腕や足で敵を打ち払い、体中に包帯を巻いた姿だが新たな傷も作らずに大立ち回りを繰り広げる。
シュライヤも無傷で一人ずつ海賊を倒し、今も息を切らさず走り回る。
サンジは張り切る姿で数多の男を蹴り飛ばしており、近くをゾロが通れば反射的に挑発的な言葉を投げつけ、それを聞いたゾロは一太刀で数人の敵を斬り飛ばす。そちらに近付きながら剣を振るシルクは一人だけ悠々と歩き続けて、イガラムはビビを守るため仁王立ちのまま。
どこを見ても、誰を見ても普通ではなかった。
窮屈さを感じるほど密集して戦う人々は、百や二百ですら軽々超える数だろう。
それだけの人間が戦う様はまさに異常の一言である。
バロックワークスに潜入して、エージェントとして活動を続け、強くなった気で居たビビは言葉を失ってしまう。自分がそこへ飛び込んでも生き残れるのだろうか。
凄まじい戦いを目にして、胸の内にある感情が生まれる。
今度はキッドとルフィの戦いを見た時とは違う。人々の姿を見て連想した光景があった。
祖国の危機。国王軍と反乱軍が衝突する姿を幻視した。
もしもバロックワークスの企みを阻止できなければ、祖国に住む人々がそうして戦い合うのだ。血を流し、倒れて、無慈悲に国を乗っ取るための手伝いをしてしまう。クロコダイルの企み通りになってしまう。祖国が、傷つけられてしまう。
それだけは絶対に避けなければいけない。ビビがそう思うのも無理はなかった。
迫力のある光景を見ると改めて決意が生まれ、表情からは恐怖心が消えた。
わずかに振り返ってそのことに気付いたナミが、口元を緩める。
「どうかしたビビ? やる気になってるみたいだけど」
「ええ……私、怖がってる場合じゃなかった。私が止めなきゃいけないんだ。アラバスタは絶対に傷つけさせない。そう思ったの」
「あっそ。それはわかったけど、今の内にしっかり見ときなさいよ」
「え?」
「あそこで戦ってるの、今はあんたの味方だからね」
指で示した方向には麦わらの一味の姿がある。
わかっていたつもりなのだが、なぜそんなことを言われたのかわからずに呆然としてしまう。目を合わせて呆然としていると、くすりと笑うナミは肩をすくめて言った。
「あんた一人で戦ってるんじゃないんだから、もっと楽にしてなさい。思いつめた顔ばかりじゃせっかくの美人が台無しよ」
「あっ……でも、国のことは、あなたたちに任せてばかりじゃ」
「それはそうよ。でもだからって全部一人で背負い込む必要なんてある? ほら、あいつらあんなに強いんだし、どうせ一緒に行くなら利用しない手はないでしょ」
気楽に笑ってずいぶんなことを言う。ビビは呆気に取られていた。
ナミは心底楽しそうに、頼もしい姿で、笑顔で話している。それが妙に印象に残った。
「ルフィが認めたんならあんたも仲間よ。いいから、私たちも頼りなさい」
「は……はい」
思わず頷いてしまったが、いまだ呆然としたままだった。
ちょうどその頃、敵の顔を踏み台に高く跳び上がったルフィが彼女らの方へ来て、胴元の前に置かれたテーブルに着地する。途端にボディガードが身構えるが一切気にしない。
首にかかっていた帽子を頭へかぶって、どれだけ荒んだ空間でもやはり笑顔。
ルフィの目はビビを見ていた。
「なぁビビ、おまえも行くか? 強くなりてぇんだろ」
「え? 私も……?」
「危ねぇ時はおれが守ってやるからさ。一緒に行こうぜ」
唐突な誘いだったが、彼は先程の話が聞こえていたのだろうか。
疑ってしまうほどにはタイムリーな言葉だったと思う。
だがそれを耳にして黙っていられない人間も居る。護衛役のイガラムだ。ビビを守るために居る彼を差し置いて、ビビを危険な場所に連れて行くなど、許容できるはずもない。
当然とばかりにイガラムの声がルフィへ飛んで、反対する言葉が聞こえてきた。
「んなっ!? 何を言っているんだルフィくん! ビビ様を戦闘に巻き込むなんて!」
「ビビも結構強ぇんだろ? たまには動かねぇとストレス溜まっちまうもんな」
「そんな理由で! 危険ですビビ様、私がお守りしますのでどうかその場を動きませぬようお願い致します! こんな野蛮な喧嘩はあなたにふさわしくない!」
「おっさん心配しすぎだって。なぁビビ、ビビも体動かしてぇよな?」
散々戦った後で驚くほど澄んだ目だ。思わず吸い込まれそうになる。
不思議と言い返せない力がある気がして。
何と答えていいかわからなかったとはいえ、なぜか、すんなり決められた気がする。
一歩を踏み出し、ビビは頷いた。
やってみようと思ったのだ。考えてもわからないから、動いてみようと。
視線はビビを捉えていたイガラムからは悲鳴が上がるものの、彼女は自らの意志で決める。
「うん。私も一緒に連れて行って」
「ビビ様ぁ!? 危のうございますぅ!」
「大丈夫よイガラム。私だってフロンティアエージェントの一員だったんだから。それに、誰かに任せるだけじゃだめだって思うから」
そう言ってビビは懐から武器を取り出した。
小指に装着したリングから糸が伸び、先端にはアクセサリーのような小さな刃がある。彼女が最も得意とする独特な装備、
武器を取り出したからにはやる気は十分。ビビはルフィを見て笑顔で頷く。
それを受けて彼も声を漏らして笑い、その場から跳び上がると再び戦場へ向かった。
「うし、行くぞ! ついて来いビビ!」
「ええ!」
「あぁぁ~っ!? お待ちください、それなら私もぉぉっ!」
駆け出す二人にイガラムも加え、三人は安全地帯を離れて中心部へ乗り出してしまった。
果たしてあれは正解だろうか。
見ていたウソップはげんなりした顔で見送り、その隣ではナミがやれやれと首を振る。
「あいつ勇気あるよな。しかし普通誘われたところで行くかね?」
「肝が据わってんのよ、あんたと違って」
「んん、もっともだ」
でなければ敵の組織に潜入などしていない。
そう納得したウソップは小さく頷き、反論の言葉はない様子。苦笑したナミは彼から視線を外して遠ざかるビビの背を見る。
これで少しは変わればいいと思う。
同性であり、共に時間を過ごすことも多かったからそう思った。
どうやら自分の問題が解決して以来、困っている人間が気になって仕方ないらしい。国について憂う彼女の顔を見ていて心配だったのはそういうことなのだろう。相手の心情を気にしながら、声をかけずには居られなかった。かつては自分も同じだったから。
ルフィが気付いてくれたのも有難く、戦闘はどうかと思うが、運動は良いことだろう。
見送るナミの視線は驚くほどやさしかった。
「そこかァ! さっきから鉛玉ぶつけてくる奴はァ!」
「ひいぃ!? み、見つかったぁ!?」
「反撃よウソップ! 近付けさせないで!」
「よしきた――っていうかおまえも戦えよ!」
「いやよ。だって怖いもん」
「おれだって怖ぇよ!? 男だってなぁ、あんだけ強い奴ばっかじゃねぇんだ! わかってんのかコンニャロー!」
「私に言わないでよ」
とりあえず今はこちらに向かってくる敵をどうにかせねばならないようで、ルフィを行かせるんじゃなかったと二人揃って後悔する。
ナミが武器である棒を手にして構え、ウソップは逃げ腰ながらパチンコを構える。
こちらへ来るか、と走ってくる巨体を眺めていた時、それより先にボディガードが動いた。
声を出した男が止められて、拍子抜けした二人はぱちくりと瞬きを繰り返す。
「おまえら、いつまで人の背中で隠れてるつもりだ。いい加減そこを離れろ」
「あら? マケてくれない上に文句まで言うの? 男ならこっちがびっくりするくらいの懐の深さを見せて欲しいもんだけどね。うちの船長みたいに」
「フン、ぬかせ。ああいうバカは道半ばで死ぬもんさ」
酒瓶を傾けつつ言う胴元を見やり、ナミは勝ち誇る笑みで返してやる。
「いいえ、死なないわ。ルフィは海賊王になる男だもの」
その言葉を聞いてわずかに眉が動いた。
今度はナミがふふんと得意げに胸を張り、してやったりと胴元を見下ろした。