ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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それぞれの思惑

 活気が失われない町中を歩いていると、道中、怪我をしている人間が多いことに気付いた。

 どこで何が起こったのか、治療もせずに血を流したまま、這う這うの体で町を移動している人間の数がやたらと多い。何か事件があったのだろうと思う。

 

 まさかうちの一味ではないだろうな。

 一人歩くキリは人々の姿を見ながらそう考えていた。

 

 「ルフィたちかなぁ、ひょっとして。あり得そうだなぁ」

 

 相変わらず通りに人の姿は多いが、様子は明らかに変わっている。怪我人ばかりがぞろぞろと群れを成して歩いて、手を貸し合う者も少なくはなく、喧騒の種類が違っているような。少なくとも俯瞰的に眺めるキリは以前とは違う風景だと認識している。

 

 そう言えばやけに人が多い。

 怪我人もそうだが以前もこんなに活気があっただろうか。

 

 歩きながらふと考えた彼の耳に、一際大きい声が聞こえてきた。

 

 「が、ガスパーデ様ァ!」

 「ん?」

 

 細い路地を挟んで向こう側の通り。モヒカン頭で細身の男が狼狽していた。

 道が細くて見辛い。

 それでも聞こえた名前とわずかに見える姿から、有名な海賊が居るのだとわかった。

 

 懸賞金9500万ベリー、“将軍”ガスパーデ。

 体の前面だけ見える巨体とむっつりした顔が垣間見れた。

 

 キリは途端に微笑む。

 

 何か面白い話が聞けそうだ。

 咄嗟に壁へ身を寄せ、隠れながら覗き込むようにそちらを眺め、聞き耳を立てる。どうやら彼らは気付く素振りもなく話を続けようとしていたようだ。

 モヒカン頭の、おそらく部下だろう男が必死になって声を発している。

 ガスパーデは身じろぎ一つせず聞いていた。

 

 「すいません、ちょうど援軍を呼びに行こうと思ってたところで……酒場で小僧が暴れてやがるんです。ほら、例の新聞のルーキー。ちっとばかし腕が立つもんで、もう少し人を――」

 「てめぇは誰だ?」

 「へ?」

 

 口を開いたガスパーデは真っ先にそう言った。

 冷淡に、感情がなく、何とも思っていないかのような声。

 違和感を禁じえないキリが眉を動かして、全く同時にモヒカンの男が冷や汗を垂らした。

 

 「い、いや、おれはあんたの船の、乗組員で……」

 「他人に負けるような弱者は、おれの部下には居ねぇ」

 

 突然、モヒカンの男が全身から血を噴き出した。背後から誰かに襲われたようである。

 武器は見えない。姿も攻撃の方法も。

 ただ一瞬で全身を切り裂いたその傷は目にすることができて、只者でないとは一目で気付いた。ガスパーデではない。別の誰かが背後から襲ったのだ。

 

 飛来した血しぶきを見ても表情は変えず、やはりガスパーデは身じろぎしない。

 その異常性を感じたキリは笑みを消していた。

 

 「ゴミが。てめぇの汚ぇ血で服が汚れちまった」

 

 冷たく言いのけて歩き出す。

 感情を乗せない、冷たい声だ。人間性を感じられないとも言える。今まさにそこで死にかけた人間が倒れたというのに、一切興味を示さないどころか、居なかった物とする素振りすらある。

 

 覗き込むのをやめて壁に背を預け、佇まいを直したキリは嘆息した。

 

 名を上げただけはあるが好みのタイプではない。海賊らしくはあるとはいえ、どうやら仲間を使い捨てにする船長なのだろう。

 ルフィとは対極に位置する海賊だ。

 気は合わなそうだと断じ、肩をすくめる。

 

 「ルフィが一番嫌うタイプの人間かな。顔合わせたら厄介なことになりそう」

 

 しばしその場で突っ立って時を待ち、やがて壁から背を離して歩き出した。

 向かう先は小さな路地の向こう側である。

 

 敢えて行先を変更し、細い路地を抜けて男が倒れる場所へ出た。

 暗い道から明かりのある場所へ出て辺りを見回した。すでにガスパーデの姿はない。少し時間を置いてから来た甲斐はあったらしく、人混みに紛れて行ってしまったようだ。

 これで怪しまれる心配はない。

 キリは血にまみれて倒れた男を観察し始める。

 

 「後ろからざっくりか、容赦ないな。武器は……かなり大きいか。ガスパーデがやったんじゃないだろうけど、その右腕ってとこかな」

 

 しゃがみ込んだ彼はモヒカンの男の状態を確かめ、小さく呟いた。

 考えるのは敵の姿。

 厄介なのか、そうでないのか、それだけを思考している。別段彼に対する気遣いもなく、死ぬかどうかの瀬戸際も注意していない。言わば興味がなかった。

 そのことに気付いたのか、男は蚊の鳴くような声を絞り出した。

 

 「た、たすけてくれ……」

 「まだ生きてたんだ。案外しぶといね」

 

 よろよろと持ち上げられた手を冷静に見て、数秒。

 にこりと微笑むキリはゆったりとした話し方をする。

 

 「助けて欲しい?」

 「た、たのむ……」

 「だけど、こっちは聖人じゃない。等価交換くらい理解できるよね。役に立てる?」

 「な、なんでも、はなす……だから」

 「その言葉、一度言ったからには違えないようにね」

 

 懐から取り出す紙で男を持ち上げてやり、運び始める。血がしみ込んで力を失いかけるものの、大量に重ねれば落とすこともなく、周囲の視線を集めていた。

 それらを一切気にせず歩き、突発的ながら、中々良い判断かもしれないと考えた。

 自画自賛ではあるが、ガスパーデの噂を頭の片隅に置いていた自分に笑みがこぼれる。

 

 「例の将軍様が相手じゃ警戒しといて損はない、か。悪巧み好きそうな顔だもんなぁ」

 

 先程ちらりと確認した実物を見て呟く。

 考えてみれば面白い。そちらの方が楽しめそうだ。

 珍しく好戦的に笑う彼は、前方に目を向けながら違う場所を見ているようだった。

 

 

 *

 

 

 掻き集めた紙幣を束にして、テーブルの上に荒々しく叩きつける。

 ナミは勝ち誇った顔でにんまり笑っていた。

 

 差し出したのは言われた通りの五十万ベリー。しかし彼女の背後には紙幣や硬貨を大量に入れて膨らむ袋が、十個ほど置かれている。現在はゾロやサンジに守られているらしく、羨ましげに見てくる海賊たちは疲弊していて、襲い掛かっては来なかった。

 全て彼女の物、だそうだ。

 盛大な喧嘩の最中、倒れた男たちから盗み取られた金が山となって彼女の懐へ入っていた。

 

 その中からたった五十万ベリー。

 もはや痛くもかゆくもない。色を付けてやってもいいくらいだろう。もっとも、そんなことをすれば胴元を調子に乗らせるだけだと判断しているため、ナミは態度も大きく笑うだけだった。

 

 「はい、五十万ベリー。きっちりあるから確認してね」

 「分かり易い奴だ。ま、海賊としちゃ正解だがな」

 

 紙幣の束を持ち上げた胴元は一枚ずつ数え始める。

 金の扱いには慣れているようで、慣れた動作で即座に確認されていく。

 五十枚数え終わった時、それを手元へ置いて、顔には納得の笑みがあった。

 

 「確かに。参加料は受け取ったぞ」

 「それじゃ」

 「ああ。こいつが参加資格のエターナルポースだ。ゴール地点を指してる」

 

 テーブルの下から取り出された物がナミの目の前へ置かれる。

 一つの島だけを指し続ける指針、エターナルポース。砂時計に似た形のそれはすでにどこかの島を指しているらしく、手に取ったナミは板金に刻まれた島の名を読み取る。

 パルティア。確かにそう書かれていた。

 

 「このパルティアって島がゴールね」

 「そうだ。レース開始は明日の朝、グランドフォールをきっかけに全員が一斉に走り出す。せいぜい船が壊れねぇように注意しとくんだな」

 「グランドフォール? それ何?」

 「なぁに、見りゃわかるさ。数年に一度の事象だ、まずはその身に体感してみな」

 

 何か含みを感じる物言いだったが、詳細を教える気はなさそうだ。

 せっかく勝ち誇っていたものの、少々気分を害されたらしく、ナミは唇を尖らせて不満そうな顔になる。しかしそれ以上の追及は無駄と感じてすぐに踵を返した。

 

 胴元に背を向け、大金を守る仲間たちの下へ赴く。

 何であれ、とにかく参加資格は受け取った。これでレース参加は確実である。

 

 ナミが持つエターナルポースが気になったルフィは目を輝かせていた。

 初めて見る物に興味を持っている。それだけでなくレースに参加することが確定されたのだ。

 好奇心を刺激されるには十分過ぎるだろう。

 彼は当然のように質問していて、ナミも上機嫌に快く答える。

 

 「なぁナミ、それなんだ?」

 「レースに必要な物よ。この指針を辿ってゴールを目指すの」

 「そんで優勝したら三億ベリーか」

 「そういうこと。参加するからには絶対勝つわよ、みんないいわね?」

 「ししし。楽しくなってきた」

 

 近くに転がっていた椅子を起こして、その上にしゃがみ、ルフィは肩を揺らして笑う。戦闘の後だが疲労感は全く感じさせず、新たな傷も負っていない。

 集まった面子の中で最も元気そうだと言って過言ではなかった。

 

 仲間たちは同じ場所に集まり、戦闘が終えられ、ひどい有様の最上階に居た。

 傷だらけで去っていく者たちが多い中で、彼らだけは無傷で立っている。

 

 戦いはすでに終わった。誰が勝者ともなく、いつしか自然と手が止まったのである。

 

 皆、いまだ余裕綽々といった顔色だったが、その中で一人だけ表情が暗かった。

 元気なルフィに比べ、心労から疲弊した様子のウソップは大きな溜息をつく。

 一難は去ったが、明日には更なる一難がある。ルフィの調子が良い時にはこれを止めることなどできないのだろう、とはこれまでの航海で嫌というほど思い知った。従ってもはや反論の言葉も自然と出て来なくなり、ただ危険が来ないようにと願うばかりだ。

 

 「ハァ、海賊レースか……何も起こらず終わるなんてこと、あるわけねぇよなぁ。今日だけでこれだけの問題があったってのに、本番の明日は一体何があるってんだ」

 「まぁいいじゃねぇか。色々あったけど参加できるんだしよ」

 「大体だなぁルフィ! おまえが考え無しにどこでも首突っ込むから――!」

 「そういやあいつは? 賞金稼ぎ」

 

 抗議している最中に視線が外され、椅子から降りたルフィは辺りを見回す。

 シュライヤは少し離れた位置に居た。

 落ちていた酒瓶を拾い上げ、中身を口にして喉を潤し、乱暴に口を拭って息をつく。

 彼を見つけたルフィは平然と歩き出し、ウソップの抗議を背にして離れていった。

 

 「おまえおれたちの船に乗るんだろ?」

 

 声をかけられてシュライヤが振り返る。

 鋭い目だ。誰も信用していないかのような、強い感情が見えた気がする。

 

 なぜか初めて会った頃のゾロを思い出してしまって、そう言えば当初は信頼されていなかったなと思い返す。しかしその頃も今も、ルフィは相手の心情に合わせようなどとしなかった。

 腰に手を当て楽しげな笑顔で、彼を迎え入れるように声をかけていた。

 

 「五十万ベリー、もう払ってもらわなくてよくなったんだ。ありがとう」

 「別に礼はいらねぇ。どうせおれも同じ方法を考えてたからな」

 「そうなのか。それで、おれたちの船に乗るのってレースに参加するからだよな」

 「ああ……」

 「でもおまえ賞金稼ぎだろ。なんで狙われるのにこの島まで来たんだ?」

 

 シュライヤの目は、敵意を隠している。一目では気付きにくいだけだ。

 中身が残っている酒瓶を捨て、高い音がして転がる。赤い液体が地面に広がり、転がった瓶が遠ざかる間に、彼は考えながら答えを出した。

 

 「本当のことを言えば、目的はレースじゃなく別にある。おまえらの船に乗るのは可能性が高そうだと思ったからさ。途中で沈まねぇ可能性がな」

 「沈むのか、船」

 「何でもありなんだ。そりゃ沈められることもある」

 「なにィ~っ!? ほら見ろ、やっぱり危険なんじゃねぇか! やめとくなら今だぞルフィ! おれたちには先を急ぐ旅もある!」

 

 話の内容が聞こえていたらしく、血相を変えたウソップの叫びが聞こえる。

 ルフィはそちらに目をやった。

 

 「いやぁ、別に急いでねぇよ」

 「アラバスタの件は!?」

 「キリが大丈夫だって言ってたぞ。なんとかなるだろ」

 

 からからと笑い飛ばして、またウソップががくりと肩を落とす。

 根拠はない。だがキリが急ぐ必要はないと言っていたのだ。彼はそれを信じている。

 再びルフィの視線はシュライヤへ戻って、こちらは全く警戒心のない目だった。

 

 思わずシュライヤは呆れ返る。

 ウソップの方がまだ船長に向いている。そう思うほどルフィの無警戒さは問題だったようだ。

 

 賞金稼ぎとして海賊と戦った経験がある。敵を見る目も鍛えられて、一目見て危険かどうかを判断できるようになるくらいには、たった一人で戦い続けた。

 ルフィの実力はすでに見ている。大乱戦と、キッドとの一騎討ち。

 どちらも驚くほどの強さだと感じて、その点に関しては疑問などない。問題はその後だ。こうして話している時にはまるでどこにでも居る少年だ。

 

 危機感がないにもほどがある。

 或いは、普通過ぎる。

 こんなにも毒気を感じない海賊に会うのは初めての経験で、それだけ警戒心が強くなっていたらしい。嘘つきはそうして油断させた後で行動に出ると知っているからだ。

 

 一方、ルフィは何も考えていなさそうな顔で笑っていた。

 

 「レースのこと詳しいんだな。ひょっとして海賊だったのか?」

 「いや。今も昔も賞金稼ぎさ。これから先もな」

 「そうか。おれの仲間に――」

 「ならねぇ。海賊なんざこっちから願い下げだ」

 

 直接拳を交えた訳ではないとはいえ、共に大騒ぎして情が移ったか。ルフィは気軽に仲間へ勧誘してみようとしたものの、素早いシュライヤの拒否によって遮られた。

 その言い方から特別な感情が伝わった気がする。

 不敵に笑うシュライヤは胸中を隠すかのよう、髪を掻いて背筋を伸ばした。

 

 「おれの帽子は?」

 「あ、そうだった。ウソップ、帽子くれ」

 「ったく、人の話は聞かねぇってのに。ほらよ」

 

 問いかければすぐに返してくれた。

 まず預かっていたウソップが帽子を投げ、ルフィが受け取り、それをルフィが投げる。

 くるくる回って宙を飛び、黒い帽子はシュライヤの手に戻った。

 

 指先で多少毛先を動かしてからそれをかぶる。

 目深にかぶり、少しだけ俯いて顔を隠したのか、視線を外して呟いた。

 

 「だがレースの間は世話になる。問題あるか?」

 「いいや、ねぇ」

 「なら明日の朝、港へ行く。少しの間厄介になるぞ」

 

 そう言って彼はその場を後にしようと歩き出した。

 唐突な行動にルフィが目を大きくして、咄嗟に止めようとする。

 

 「待てよ。せっかく同じ船に乗るんだからさ、朝までおれたちと居りゃいいだろ」

 「悪いがそのつもりはねぇ。海賊と仲良くなる気が起きなくてね」

 

 行ってしまう直前、振り返ったシュライヤは敵意を滲ませてルフィを見ていた。

 

 「おれの目的は一つだけだ。それを果たしたらとっとと降りるよ」

 

 言い終えるとすぐに行ってしまう。

 島に居る人間は海賊のみで、名と顔が知られてしまった以上は危険も多いだろうに、仲間を求めようとしない態度には頑なな物がある。言葉にしないだけでよほどの決意があるのかもしれない。シュライヤはそのまま振り返りもせずに行ってしまった。

 

 自然と見送る形となったルフィは何も言わずその背を見る。

 協力を申し出た割には素っ気ない態度だった。

 何かが気になるのか、彼はしばしの間、言葉を失くして突っ立っていた。

 

 その背へナミが声をかける。

 やっとで用事を終えたところだ。もう酒場に用はないらしかった。

 

 「さぁルフィ、そろそろ行きましょ。色々あったんだし、明日に備えて船で休みましょうよ。これ以上のトラブルは勘弁だからね」

 「え~? 肉は?」

 「戻ってからでいいじゃない。少なくともここに居るのはもうこりごり」

 「そうだ、それがいい。いつまでもここに居たら、次はどんな奴が近付いてくるかわかったもんじゃねぇ。船は襲っちゃいけねぇらしいし、一番安全なら一刻も早く戻ろう」

 

 ナミの意見にウソップが同意して、肉が食えるならとルフィも頷いた。

 

 移動を始めようとしてナミの手早い指示が始まった。

 ゾロとサンジが大金が詰まった袋を二つずつ持ち上げて、重いそれに動じず、イガラムも手伝うために二つ持ち、シルクとビビが協力して一つ持ち、ウソップは必死の形相ながら一人で一つの袋を持ち上げた。そして当然とばかりにナミは持たない姿勢らしい。

 ルフィも両腕で二つを運び、それでもまだ袋は余っていた。

 

 盗んだはいいがあまりにも多過ぎる。

 大金を捨てるのは頂けないとは言っても、限度があるだろう。ウソップが提案を始めた。

 

 「持てねぇ分は置いていった方が――」

 「だめよ。これ全部私のなんだから」

 

 ぴしゃりと言ってナミが拒否する。

 せっかく手に入れた大金をむざむざ捨てるなどもったいない。如何なる手段を用いても持って帰らなければ気が済まないようだ。

 袋を一つしか持っていないウソップを見る彼女は、平然とした顔で告げる。

 

 「ウソップ、もう一つくらい持てるでしょ」

 「持てるかァ! おまえこれどれだけ重いと思ってんだよ! むしろ自分で持て!」

 「いやよ、か弱い私に持てるわけないじゃない」

 「おれだってごくごく普通の人間だっての! こいつらと一緒にすんな!」

 「しょうがない……ねぇ~サンジくん? 私、これを全部持てるくらい逞しい男が好きなの」

 「は~いナミさんっ! おれにかかればちょろいもんさぁ!」

 「ちょろいのはおまえだろ」

 

 声を大にして回り出すサンジに、周囲に居る多くが呆れていた。

 特に仏頂面のゾロは呟かずにはいられなかったらしい。

 

 「アホか。いつまで体よく利用されてる気だよ」

 「なんだとコラマリモォ! 恋のハリケーンは誰にも止められねぇんだ! 恋のなんたるかを知らねぇくせにいちいち口出ししてくんな、アホめ!」

 「鼻血出し過ぎて死んでみたらどうだ。少しはマシになるだろ」

 「アァ!?」

 「二人とも喧嘩しないの。ちょっと目を離すとすぐこれなんだから」

 

 肩をすくめるシルクが諫めるものの、二人の睨み合いは止まらない。もはや聞いているのかどうかさえ定かではなかった。いつものことである。

 注意したシルクをそっちのけに、言葉による小競り合いは終わっていなかった。

 

 「ま、おまえは二つ運んで満足してりゃいいさ、貧弱剣士め。おれは三つだ」

 「アホのおまえじゃ無理に決まってんだろうが。おれなら四つは軽い」

 「ならおれは五個」

 「六個だ」

 「おい、考えて物言ってんのか? 物理的に無理だって気付かねぇらしいな、このボケナスは」

 「その言葉そっくりそのまま返してやるぜ。おまえとおれとじゃ体の出来が違うんだ」

 「あぁ……?」

 「やるってのか」

 「二人とも、いい加減にしないと飛ばすよ」

 

 あまりにも目に余ったのか、剣は腰にあるベルトへ納めたまま、右腕に風を纏い始めたシルクが声だけで割って入る。彼女自身はビビと共に袋を持ったままだったが、その場から二人を吹き飛ばすくらい簡単なのは誰もが知っていた。

 

 サンジはシルクの言葉に従い、応じたゾロも睨みを利かせたまま身を引く。

 少なくとも大喧嘩にはならなかったようで、剣呑な空気は霧散する。

 

 「やさしいシルクちゃんに感謝しろ、クソマリモ。六つも持ってりゃ腕が抜けてただろうにな」

 「感謝すんのはおまえの方だろ。ボロが出なくてよかったな」

 「んだとコラ」

 「あ?」

 「いい加減にしないと――」

 「は~いシルクちゃん! やめます♡」

 「ったくめんどくせぇ野郎だ」

 

 シルクの一喝によって制止され、今度こそ喧嘩は止められた。

 サンジは笑顔で応じ、ゾロはやれやれと首を振る。

 

 見ていたルフィは止めようとせず、楽しそうに笑っていた。

 

 「しっしっし。ゾロもサンジもアホだなぁ」

 「おまえが言うんじゃねぇよ」

 「しかしどうすんだ、こんなに運べねぇぞ。キリが居りゃ運べたかもしれねぇけどよ」

 

 やはり運ぶのは無理だと判断したウソップが呟く。少し前から皆も思っていたことだ、一斉に反応していた。この場に唯一集まっていないのはキリだけなのだ。

 少し表情を変え、疑念を表して、ルフィの言葉は誰にともなく質問を飛ばす。

 真っ先に反応したのはゾロだった。

 

 「そういやキリはどこ行ったんだ? 誰かいっしょじゃなかったのか」

 「まぁ、色々あるんだろ、あいつも。心配はいらねぇと思うが」

 「も~、肝心な時に何やってんのよ。あいつが居なかったら誰が運ぶわけ?」

 「よければ、私たちがお手伝いしましょうか?」

 

 苛立つ様子でナミが腕を組んだ時、割り込むように声が飛んでくる。

 首を捻って振り返れば、見知らぬ女性が立っていた。

 

 清廉でやさしげな声。ウェーブがかった長い金髪と、プロポーション抜群の若々しい女性で、愛嬌のある顔には柔らかな微笑があり、緑を基調とした服、足首辺りまであるロングスカートだ。

 誰もが美人だと称する美貌と雰囲気でたおやかにそこにある。

 彼女は麦わらの一味を眺めて、やけに親しげな態度だった。

 

 隣には小柄な人影、アニタが立っている。

 ポケットに両手を突っ込み、そっぽを向いて少しつまらなそうな顔。

 それに気付いたシルクが小さく声を漏らした。

 

 「アニタちゃん」

 「誰? 知り合い?」

 「キリの友達なんだって。私たちを案内してくれたの」

 

 尋ねたナミに答えてやると、シルクとビビは抱えた袋を一度下ろした。

 他の面々も一度荷物を置いて彼女たちに集中する。

 視線は自然と金髪の美女に集まっていた。

 

 「えっと、あなたは……」

 「め、女神!? いやいや違う、人間の女性だ。しかしこんなにも美しいレディが居るなんて。名前も知らないのに失礼。どうやら僕は君に恋をしてしまったようだ――」

 「サンジくん、邪魔」

 

 目の色を変えて浮かれ始めたサンジはナミによって耳を引っ張られ、排除される。

 余計な茶々を入れる人間が居なくなって、代表としてシルクが質問した。

 

 「あなたは、ひょっとしてアニタちゃんのお姉さん?」

 「はい。ミシェールと申します。アニタちゃんがお世話になったみたいで」

 「違うよミー姉ぇ、私がお世話したの」

 「あらそうなの? じゃあ、アニタちゃんがお世話したみたいで」

 「は、はぁ」

 

 微笑を湛えながら、どこか抜けた人物らしい。

 なんとなく力の抜ける話し方を受け、シルクは少し困った顔をしてしまった。それも仕方ないとでも言うかのように、ミシェールの隣に立つアニタは溜息をつく。

 

 姉妹と言うには如何せん似ていなかった。顔立ちから態度、髪の色まで違っている。

 それでも仲が良さそうなのは間違いではなくて、多分聞かない方がいいのだろうと考える。

 

 少なくとも悪い人間ではなさそうだ。

 盛大な喧嘩で死屍累々といった最上階に平然と立ち、血や怪我人がそこら中にある環境下でにこにこ微笑んでいるのは疑問も抱くが、そうでなければ海賊島に住むのは不可能なのだろう。

 言いようのない感情は抱くものの口には出さず。

 シルクがミシェールへ質問しようとした時、先に彼女が口を開いていた。

 

 「アニタちゃんから事情は聴きました。みなさん、キリちゃんのお友達なんでしょう? よかったら私たちの宿で泊まっていきませんか?」

 「はい! ぜひ!」

 「サンジくん黙ってて。宿って、あなたたちが?」

 「はい。と言っても私たちだけじゃなくて、みんなで切り盛りしてるんですけど」

 「どうして私たちを……」

 「だって、キリちゃんのお友達でしょう?」

 

 最後まで言わせず、言い切った。

 答えになっているかは定かでないが、迷わず言い切る姿には感化されてしまいそうになる。

 キリの友人という話、信じる要素はない。実際に彼と話している姿を見ていない以上、彼女もまた他の海賊たちと同じように何か考えていてもおかしくないだろう。なにせこの島、海賊しか生息しない海賊島だ。すぐに信じることは難しい。

 

 警戒するナミやウソップは言葉を呑んで立ち尽くす。

 しかし何も考えていない素振りでルフィが一歩前へ出た。

 ミシェールを見つめ、普段と変わらぬ顔で尋ねる。

 

 「その宿、肉は食えんのか?」

 「もちろん。特別料金でお安くしておきますよ」

 「ほんとかぁ? ししし、じゃあ行こう、その宿に」

 

 なんともあっさりした決定だ。驚くナミとウソップが素早く彼へ駆け寄る。

 

 「ちょっとルフィ、本気? 信じていいとは限らないわよ」

 「おまえついさっきまで何してたか覚えてんだろ。海賊が束になって襲ってきたんだぞ。おれたちを騙して、寝込みを襲われるかもしれねぇってのに、本当に行く気か?」

 「心配いらねぇよ。キリの友達だ」

 

 笑って告げて警戒心など欠片も無い。理由としては弱い気もするが振り返って確認すると、サンジだけでなくシルクやゾロまで同意している様子。ビビとイガラムは困惑した顔で口を挟む余地もないらしく、彼らの決定に従うつもりで居たようだ。

 

 重苦しい溜息。ついに二人も諦める。

 ナミとウソップを懐柔したルフィは袋を持ち上げ、ミシェールに案内を頼もうとした。

 

 「宿まで案内してくれよ。キリも呼んでやらねぇとな」

 「そうですね。でもそれならご心配には及びません。私の妹のマギーちゃんが探しに行きましたから、きっと二人で来てくれますよ」

 「まだ妹居んのか?」

 「三姉妹なんです、私たち」

 「そっか。おれも三兄弟だからおんなじだ」

 

 上機嫌に笑い、笑みを向け合って話は纏まったらしい。

 ついに歩き出そうとしていた。

 喧嘩からすでに数分、思えばずいぶん足を止めていたように思う。人の姿も大抵は消えているが元気な者はまだ同じフロアにおり、大金を持っていればいつ襲われるともしれない。

 一同は慌てて荷物を持ち上げる。

 

 ただ、いまだに人の手が足りないのは変わっていなかった。

 再び困り始めることになるのだが、それを見計らってミシェールが歩き出した。

 

 「大変でしょうから私も手伝いますね」

 「あ、待ってくれミシェールちゃん。か弱い君に重い物を持たせてしまうなんて男のプライドが許さねぇ。そんなのクソ剣士と長っ鼻に持たせるから気にしなくていいよ」

 「っておい、おれかよっ」

 「何勝手に決めてんだよ……」

 「うふふ、大丈夫です。これでも結構力持ちですから」

 

 持つ者がなかった荷物へ歩み寄り、むんずと掴んで、腕を上げる。

 大方の予想を裏切って軽々と持ち上げられてしまった。日頃鍛えているはずのシルクでさえ苦戦するそれを、彼女は片腕に一つずつ持ち、二つを一気に運ぼうとしていた。

 想像よりずっと軽々と、しかも微笑みを絶やさないため、皆があんぐりと口を開ける。

 振り返ったミシェールは意気揚々と先頭を歩き出した。

 

 「案内しますね。みなさんついてきてくださ~い」

 「可憐だ……そして素敵だぁ~!」

 「仕方ないわ。何かあってもこいつらが居れば大丈夫か。ただしあんたたち、私のお金が盗まれるようなことがあったらただじゃおかないわよ。絶対に守って」

 「おう!」

 「あと無駄な出費は抑えること」

 「んん、肉食うだけだから大丈夫だ」

 「それが心配だって言ってんのよ」

 

 彼らもミシェールの後に続いて歩き出し、酒場を出ようとする。

 歩き出してからだが、ビビがようやく口を開き、少し前に居たナミへ言った。

 

 「ナミさん、船で休まないなら、留守番してるカルーを呼びに行きたいの。いいかしら」

 「そうね、一人で待たせるのも可哀想だし。でも一人で行くのは危ないから――」

 「無論私が護衛を!」

 「おれがエスコートするぜビビちゅわ~ん!」

 「ゾロとシルクがいいわね。あんたたちはうるさ過ぎ」

 「ええ~っ!?」

 「おれじゃないのぉ!?」

 「当然よ。もうトラブルは要らないんだから、静かに行って静かに帰ってきなさい。誰かと喧嘩しないように注意するのよ、いいわねビビ」

 「あはは……うん。わかったわ」

 

 喧嘩が終わっても騒がしさは相変わらず。全く肩に力が入っていないやり取りが行われる。

 苦笑するビビはその空気に慣れつつあった。

 これが彼らの生き方なのだとすでに理解している。

 

 少し不思議で、基本的に騒がしく、だけど嫌味が無い。

 自由を謳歌する生き方を教わるようだ。

 

 階段を降り、外を目指す一団はミシェールとアニタの案内に従い、一路彼女たちの宿へ向かう。

 


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