ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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巨兵海賊団

 拘束を解かれたドリーとブロギーが再会していた。

 どちらも大きな怪我はなく、最初に戦闘が始まった場所へ集い、麦わらの一味も集結して、島に居る全員がその場に座っている。

 

 戦闘が終わり、空気が緩んでいた。

 事が終わればいがみ合いはない。彼らは冷静な顔で体を休めている。

 

 「まさかこんな結果になるとはな……予想外だった」

 「ああ。おれも同じ気持ちだ」

 

 ブロギーの言葉に応じ、ドリーが呟く。

 彼らは普段とは違う疲労感を感じている。ただ疲れた、というだけではない。決闘に敗北した事実が彼らに重くのしかかり、抗うつもりはないが、想像もしなかった事態に驚きを隠すことはできなかった。状況を受け入れることと驚きはまた別物らしい。

 

 敗北は素直に受け入れる。否、受け入れさせられたと言ってもいい。彼らを打ち負かしたのは自分よりよほど小さな人間。決闘の結果が明らかだったのだ。

 ようやく自由を得て、それはそれで複雑であり、清々しい気分でもあった。

 

 ふとドリーが口を開く。

 顔を上げたブロギーは彼の顔に視線をやった。

 

 「考えてみれば、これもエルバフの神の審判なのかもしれん」

 「どういう意味だ?」

 「おれたちは長く戦い過ぎた。いい加減にしろと言われたのかもしれんな」

 「ガババババ、そりゃ確かに。もしそうだとしたら笑い話だがな」

 

 朗らかに笑ったブロギーは兜に手をやり、少し俯いて考えた。

 

 「ひょっとしたらおれたちは驕っていたのかもしれんな。長く人に会う機会がなかった。己の力を過信し、負けるなどと微塵も思っていなかっただろう」

 「ゲギャギャギャギャ、その通りだ。まさかと思ったのがその証拠」

 「それではこの敗北も当然。強くなった気になって、おれたちはまだまだだった」

 「ああ。まったく、恥と思うならまずそれからだな」

 

 同意するドリーも笑い、憑き物が落ちた様子で肩を揺らす。

 二人とも晴れやかな顔だった。

 そこには後悔の念も感じ取れず、心からの感情が現れ、ただひたすらに上機嫌だ。

 

 すっかり日が落ち、闇に包まれた世界。

 地べたに座る麦わらの一味は一個に固まって二人を眺めていた。

 

 二人の視線が下へ向かい、一同を見下ろして語る。

 

 「とにかく結果は結果だ。エルバフの神の名の下、我らはお前たちに従おう」

 「故郷へ帰るのは後回しとするか。約束だ。お前たちの傘下に入る」

 「ん~、そうか」

 

 胡坐を掻いて座り、腕組みをして目を閉じたルフィが考え始めた。

 考え事は得意ではないものの、伝えなければならない言葉があるらしい。

 数秒の後に目を開いて話し始めた。

 

 「まぁ一応そういうことでいいけどな。おっさんたちにはおれたちの仲間になって欲しいんだ」

 「うん? 仲間?」

 「傘下ではなくか?」

 「ああ。呼び方はなんでもいいよ。別に部下なんて欲しくねぇからさ、仲間になってくれたらそれでいいんだ。楽に行こう」

 「そうか。当初とは言ってることが違う気もするが」

 「おかしな奴だな。まぁいいだろう」

 

 多少の困惑を含んでいたが納得したらしく、二人は頷く。

 それから視線を上げて、暗闇に包まれた島を眺めて力の抜けた声で言った。

 

 「この島を離れることになるのか」

 「一世紀……長い付き合いになった」

 「丸いおっさんと巨人のおっさん、昔は海賊だったんだろ? 二人とも船長だよな」

 「ああそうだ。その頃は巨兵海賊団と名乗っていた」

 「今となっては全てが懐かしい。仲間と共に数多の戦いを駆け抜けた」

 

 尋ねるルフィに答えを返しつつ、彼らは過去の情景を思い出しているようだった。

 百年以上前の出来事など覚えているのか。当人になってみなければわからないとはいえ、種族が違えば常識も違い、案外すぐに思い出せる物なのかもしれない。

 

 話を聞いていたウソップは興味を持った顔に変わっていた。

 彼らの話を聞いてみたい。

 そう書いてある表情で好奇心を露わに二人を見つめる。

 ついには誰かが気付く前に自ら尋ねたのである。

 

 「師匠たちの栄光の時代かぁ。どんな冒険があったんだろうな」

 「あ、おれも興味ある。おっさん、聞かせてくれよ」

 「んん? そうかそうか、そう面白い話でもないかもしれんが、なぁに、ちょうどあれこれ思い出してきたところだ。少し話してみるか」

 「まぁ待てドリー、せっかくならメシにしよう。酒はないが恐竜の肉で乾杯はどうだ?」

 

 ブロギーが一味にそう言った時、いの一番にルフィが立ち上がった。心底嬉しそうに口の端を釣り上げ、非常に分かり易い顔をしている。

 答えは当然イエスであった。

 

 「そんじゃ宴にしよう! おれたちの決闘とエルバフに乾杯だ!」

 「おおっ、そりゃいいな! いつかおれもエルバフに行ってやる! その前祝いで師匠たちと乾杯なんて最高じゃねぇか!」

 「いいよな、キリ!」

 「そうだね。英気を養うのも必要だし」

 「よぉし決まった! そんじゃお前ら、準備するぞ~!」

 

 疲労さえ忘れて元気に叫ぶルフィにつられ、仲間たちもそれぞれの反応で立ち上がる。

 ゾロとサンジはやれやれという顔で、ナミとシルクは苦笑し、ビビとイガラムは同意する様子。嬉しそうに鳴き声を発するカルーは心から賛成する姿だった。

 当然ウソップはルフィと同じく大賛成。

 唯一、キリだけが感情を理解し難い笑顔である。

 

 ルフィの宴好きはいつものことだ。今更驚きはしない。

 しかしこの島で宴をするならば些か準備も面倒で、船も離れた場所にあり、すでに夜になっているが今からあちこち移動して時間を使わなければならないだろう。

 多少は面倒と思いながらも仕方ないと考え、手を叩くナミが指示を出し始めた。

 

 「はいはい、それじゃあんたたち、さっさと準備するわよ。あんまり遅くまで起きてると明日の航海に響くわ。すぐに出航するんだから疲れは残さないように」

 「え~っ?」

 「何言ってんだよナミ、師匠の冒険譚を聞かなきゃなんねぇんだから、時間なんていくらあっても足りないんだぞ。なぁ今日くらいいいだろ?」

 「あんたたちいっつもそんなこと言ってんじゃない」

 「まぁまぁ。せっかくの機会なんだし、今日くらいは、ね?」

 

 ナミは宴をさっさと切り上げようと考えていたようだが、即座にルフィとウソップから不満の声が上がり、感情のままに動く彼らには溜息さえ漏れ出た。

 助け舟を出したのはシルクである。

 いつもの調子で彼らに同意し、どこか甘やかす態度でもあって、呆れたナミが肩をすくめた。

 

 「シルクは甘いわね。そんなだから調子に乗らせるのよ」

 「いいじゃない。海賊は自由なんだから」

 「はぁ、しょうがないわねぇ。まぁいいわ。とにかく準備するわよ」

 

 ナミが指示を出そうとした時、ふむふむと頷く二人が口を開いて割って入った。

 ドリーとブロギーもいつの間にか乗り気になっている。

 宴をするなど気が遠くなるほど昔の話で、海賊の血が騒ぎ、無視できずにはいられない。

 

 「おお、宴か。懐かしいな。昔はおれたちも仲間たちと大騒ぎしたものだ」

 「ゲギャギャギャギャ、酒はあるか? 準備ならおれたちも手伝うぞ」

 「酒ならメリーにあるよ。こうなったら全部持って来よう!」

 「ちょっと待ちなさいルフィ! 全部はだめよ、ここじゃ補給もできないし!」

 「いいじゃねぇか別に。だって宴だぞ」

 「何の疑いもなくそう言えるあんたの基準が恐ろしいわよ……」

 「まずメリーに行かねぇとな。ウソップ、巨人のおっさん、一緒に行こうぜ」

 「おっし!」

 「傘下の初仕事か。ゲギャギャ、いいだろう」

 

 立ち上がったドリーがルフィとウソップを持ち上げ、自身の肩に乗せる。

 彼らは島の全景を眺め、月に照らされるジャングルを目撃した。

 

 「うっほぉ~! 絶景だなぁ~」

 「流石ドリー師匠、でけぇ男だっ」

 「ゲギャギャギャギャ。お前らとは体のでかさが違うからな」

 

 普段見ることのない景色に子供のようにはしゃぐ。

 二人を乗せて、ウソップの案内に任せてメリー号へ向かおうとした。

 その間際、手を伸ばしたサンジが歩き出そうとするドリーへ声をかける。だが話そうとする相手は彼の肩に乗っているルフィとウソップだったようだ。

 

 「おい待て待て、お前ら宴だっつうのに肉の丸焼きだけで済ますつもりか? 料理にはある程度の調味料と調理器具が必要なんだよ。おれも連れてけ」

 「そりゃそうだ。おっさん、サンジも乗っけてくれ」

 「構わんぞ。お前の仲間を全員乗せても軽いものだ」

 「しっしっし、そりゃそうだ」

 

 ドリーはサンジをも抱え上げ、肩に乗せて歩き出す。

 必要な物を取るためにメリー号を目指し始めた。

 

 その間に残った者は別の準備があるらしい。

 指揮を執るのはナミだ。

 先程ブロギーの家を訪れた時に見上げるほど大きな焚火があった。それがあれば猛獣や恐竜も近付かないだろうし、視界も確保できて安全になるだろう。

 彼女は大きな焚火をご所望である。

 

 自分たちだけでは苦労するが今はブロギーが居る。

 ちょうど今しがた決闘が終わったばかり。協力するため、指示を出すための理由はあった。

 ナミは仲間たちとブロギーに向けて指示を出す。

 

 「それじゃこっちは火を用意しましょう。ブロギーさん、向こうにあったみたいな焚火が欲しいんだけど、力を貸してもらえるかしら」

 「いいぞ。もう慣れたもんだ」

 「ありがと。ウチの男どもなら好きに使ってくれていいから」

 「おい」

 「別にいいでしょ? どうせやることもないんだし」

 「そういう問題かよ……」

 

 思わず反応したゾロを黙らせ、ナミは朗らかな笑顔になる。

 不服そうにも見える顔だが反論がないところを見ると文句はないのだろう。分かり辛い男ではあるものの意外と分かり易かったりもする。彼の扱いにも慣れた様子だ。

 

 立ち上がるブロギーに続いてゾロも動き出そうとした。

 その時、座ったままのキリが目に入る。

 

 いつにも増して静かであった。表情こそ何も変わっていないものの、やはり口数が違うだけで印象ががらりと変わってしまい、何とも言えない異質さを感じる。

 ゾロは眉間に皺を寄せた。

 右手でガシガシと荒々しく頭を掻き、どことなく困った顔だ。

 

 歩き出す前にゾロは彼に声をかけ、呼び出した。

 ついて来いという意図だったようだ。

 

 「何ボサッとしてんだ。行くぞ」

 「ん? ボクも?」

 「男だろ」

 「そうだっけ?」

 「お前……」

 「わかったわかった。ちゃんと働くからそんな怖い顔しないでよ」

 

 機嫌よく笑う彼も立ち上がって後ろに続く。

 先に森へ向かっていたブロギーを追い、キリとゾロも広場を離れた。

 歩きながら、不意にブロギーが振り返ってキリを見る。

 

 「なぁキリよ」

 「ん? ああ、さっきのことなら、ごめん。別に本心じゃないからさ」

 「いや、それは別にいいのだが」

 

 ブロギーは穏やかな目で彼を捉えて、何かを感じ取ったか、冷静に言った。

 

 「努力をするのは構わんがな、お前こそ一人で無理をしているのではないか? これだけ仲間が居るのだ。あまり一人に慣れない方がいいぞ」

 「……うん。気をつけるよ」

 

 彼の言葉と佇まいを思い出して、違和感を感じていたのだろう。短くそれだけ言って頷き、再び前を見て歩き出す。

 キリが纏う空気の変化には仲間たちも気付いていた。

 しかし触れてはいけない気がして指摘する者はおらず、話している間は今までと何も変わらないため、勘違いかと断じてしまうことも多い。

 

 何気ない会話、宣戦布告、戦闘と、今日だけで様々な顔を見た。

 一度冷静になれば不思議に思ったらしく、ブロギーはそう言ったようだった。

 

 彼の後ろを歩きながらキリは微笑みを絶やさず、ゾロは黙して語らない。

 奇妙な沈黙が生まれるが二人は特別な反応を見せることもなかった。

 楽しげなブロギーの声だけが聞こえてきて、まずは焚火を作る木材を手に入れることと、ついでに恐竜の肉を手に入れようと彼らはジャングルへ入っていった。

 

 

 *

 

 

 開けた場所に大きな焚火が設けられ、夜の闇を切り裂いている。

 巨大な恐竜の肉を焼き、傍らには簡易的なキッチンが作られていて、船にあった酒樽も全て運び出され、静かな島内に大声が響いていた。

 

 盛大な宴である。

 決闘を終えて互いの健闘を称え、今はどちらも遺恨を残さず、笑顔になっていた。

 

 それぞれが精一杯その時を楽しんでいた。

 ドリーとブロギーは指先に酒樽を持ち、上機嫌に喉を潤している。いつ以来か思い出せない宴に心が躍り、生の実感が得られて、とにかく楽しくて仕方ない様子だ。

 やはり海賊の宴は性に合っていた。

 意味もなくひたすら騒ぎ、酒を食ってメシを食らって、ただ素直に自由に生きる。

 これこそが自分たちの生き方だった。

 

 ルフィが肉を食らい、ウソップが酒を片手に歌って、ナミとビビは笑顔でそれを聞き、時には茶化したり応援する声を飛ばしていた。

 その傍らでは肉を食い過ぎたカルーがぐったりしており、苦笑するイガラムが介抱している。

 サンジは慣れた手つきで次々料理を生み出し、時折女性陣へ向かって声をかけるが、どうやら雰囲気作りのために料理をやめないつもりのようだ。

 

 宴は、楽しい。

 彼らの輪に加わった二人はようやくその事実を思い出していた。

 

 「ゲギャギャギャギャ! 今日は良き日だ! もう一度こんなに美味い酒を呑める日が来るとは思っていなかった!」

 「ガババババ、確かにそうだ。しかしサンジ、お前のメシは格別に美味いな。ちと量は少ないが今まで食った中で一番美味いかもしれん」

 「ったりめぇだろ。味はもちろんだが、まぁ量のことは心配すんな。今に見てろ、お前らの胃袋に悲鳴上げさせてやるよ。一流コックの体力は伊達じゃねぇんだ」

 「おおそうか。それなら遠慮はせんぞ」

 「上等だ。ぶっ倒れるまでかかって来い」

 

 料理に集中しているとはいえ、サンジもまた楽しそうにしている。

 普段からルフィの相手で忙しいが、今日の苦労は倍以上になりそうだ。

 しかし料理人冥利に尽きると言うのか、苦労を楽しいと言えるのは嬉しい事態だった。

 

 上機嫌に笑うナミがウソップに声をかける。

 酒樽はドリーとブロギーに渡しているが、酒瓶は数が多く、彼女もその一本を呑んで気分が高揚していたらしい。すっかり怯える気持ちを失くしていた。

 丸太に腰掛け、隣に座るビビが少し戸惑いながら笑っている。

 それでも以前よりずっと柔らかくなった笑顔だ。

 

 「あはははは! ほらウソップ、黙ってないで次の曲行きなさい!」

 「オーケー、オーケー。それじゃファンの期待に応えて作詞作曲キャプテン・ウソップの一曲をお届けしようか。ウソップ応援歌!」

 「ウソップさんは歌が上手なのね。それに自分で作れるなんてすごい」

 「プロと比べるほどじゃないけどね。所詮は素人で海賊だから」

 「うぉい! 聞こえてるぞそこォ!」

 

 悪戯っぽい笑顔で言うナミに叫ぶも、気にせずウソップが歌い出し、さらに騒がしくなる。

 それぞれが思い思いに過ごして統一感がないものの、少なくとも幸せそうなのは確かだ。

 

 少し離れて、地面に倒れた樹木がある。

 根本の方には太い幹を背にして地面に座るキリが居て、片手には中身の減ったグラス。柔らかい笑みを浮かべて騒ぐ一同を眺めている。

 天辺に近い場所にはゾロが座り、キリに背を向ける形で酒瓶を傾けていた。

 こちらはひどく静かで、すぐ後ろにあるジャングルの静けさに身を預けるかのよう。

 

 しばし輪から離れていた二人の下へ、酒瓶を持ったシルクが歩み寄る。

 彼女も食べ、飲み、歌を聞いて楽しんでいた。その一方で彼らのことも気になったのだろう。

 倒れた樹木を前にして二人の間に立ち、両方へ声をかけた。

 

 「お酒、足りてるかな? 瓶ならまだ少しあるよ」

 「大丈夫。ボクは困ってないから」

 「こっちにもらえるか? ちょうど足りなくなってたとこだった」

 「うん」

 

 シルクに振り返り、ゾロが手を振った。頷く彼女は持ってきた酒瓶を渡してやる。

 二人とも地べたに座っていた。

 大きな木であるため距離があり、その間を繋ぐように、二人の間でシルクが木の幹へ腰掛ける。

 

 「みんな宴が大好きだね。ドリーさんとブロギーさんも喜んでるみたい」

 「船長があれだからね。みんなすっかり毒されてるよ」

 「二人も?」

 「そりゃもう。ただゾロさんは酒が少ないって怒ってるみたいだけど」

 「言ってねぇだろ。怒ってねぇ」

 「あはは。次の島までちょっと我慢だね」

 「だから怒ってねぇって……あぁ、もういい」

 

 やれやれと首を振るゾロが黙ってしまった。二人はくすくすと笑い声を漏らす。

 こうしている限りは以前と何も変わっていない。

 ただ、以前と違って今は少し気になることもあって。

 笑みを消したシルクは、火に照らされる仲間たちを見ながら、左側に居るキリへ問うた。

 

 「どうして、決闘しようと思ったの?」

 「んん? どうしてって」

 「本当に必要だったのかな……」

 

 キリは視線を落とし、グラスに残った酒をゆらりと揺らした。

 

 「さぁ、どうだろう。少なくともボクはそう思ったかな」

 「目的は何だったの?」

 「それなら話した通りだよ。この先の航海で色々必要になる」

 「そっか……だけど、ルフィは」

 

 言いかけた瞬間、ぐっと唇を噛み、言い淀んだ。

 一度呑み込みかけた言葉を吐き出し、シルクはどこをともなくじっと前を見つめる。

 

 「ルフィは、納得してなかったと思う」

 

 言えた、と思った。

 きっと彼らなら気付いているだろう。他の仲間も、全員がそうかはわからないが、気付いている者は居るはずだ。だが指摘するのは今が初めてだった。

 言わずにはいられない。あの空気を感じた後ならば特に。

 シルクは幾分緊張した面持ちで、宴の最中ながら、彼の返答を待った。

 

 ゾロは酒を飲む手を止めて口を噤んでいる。

 辺りに重苦しい沈黙があった。

 

 キリは、なぜかすぐに答えを出そうとはしなかった。

 何かを考えていたのかもしれない。

 少し間があった後に、やはり笑みは崩れぬまま、静かな声で言う。

 

 「そうだね。多分、本心じゃ反対だったかな」

 「それじゃあどうして」

 「ずるいこと言っちゃったからなぁ。クロコダイルの名前を出した」

 

 おどけるようにそう語るが、少し疑問を持つ言葉だ。

 シルクは思わずキリの顔を見る。だが彼女の疑問に答えたのは唐突に口を開いたゾロだった。

 

 「ずるいって?」

 「クロコダイルを慕ってるってことだろ。それが気に入らなかった、そんなとこじゃねぇのか」

 

 ぶっきらぼうな言葉に驚きが隠せなかった。

 その口調にではなく、内容にである。

 振り向くシルクはゾロの顔を見るものの、彼は視線を外して背を向けたまま。そのため考えもせずすぐにキリへ視線を戻すと真意を問おうとした。

 

 「そうなの? でも、組織を抜けてきたって」

 「あいつの話をする時、憎しみみてぇな感情は感じなかった。ルフィは勘だけはいいからな。おそらく最初から気付いてたんだろ」

 「私はてっきり、逃げ出してきたんだと思ってた」

 「それなら追手が来てるはずだ。敢えて見逃されたんじゃねぇのか?」

 

 尋ねたゾロは背を向けたままキリの答えを待っていたのだろう。

 困惑するシルクの視線が彼の顔を捉える。

 キリは相変わらず宴の様相を見ていた。

 

 「ボクは海賊になりたかった。政治家にはなりたくなかったしね。国盗りの準備が大体終わったかなって頃に無理言って勝手に飛び出してきたんだ」

 「キリも手伝ってたの? その、アラバスタの暴動は――」

 「全部じゃない。ちょっとだけね」

 

 想像できなかった訳じゃない。しかし改めて本人の口から聞かされた今、同じ船に乗る面子の中にビビやイガラムやカルーが居て、動揺が心臓の鼓動を高鳴らせた。

 キリ自身は涼しい顔のまま。

 視線をグラスへ落としてさらに語る。

 

 「ビビやイガラムには悪いと思ってる。もちろんカルーにも。でも詫びることはできない。過去の全てが今のボクを作ったものだ。今できることは、ボスの作戦を止めることだと思ってる」

 「そう、なんだ……」

 「ゾロの言う通りだよ。ボスは命の恩人だ。助けられなければ生きようとは思わなかった」

 

 やけに澄んだ眼差しだった。

 嘘はない。自分を見ている訳ではないがそれだけは伝わった。

 

 「だけど今はルフィの仲間だから、決着はつけないと。もう迷いはないよ」

 「うん……大丈夫、だよね?」

 「もちろん。やるからにはちゃんと勝つよ」

 

 そういう意味ではないと思いつつ、シルクは敢えて続きを口にしなかった。

 上手く言えないのだが、今は彼が心配だった。

 

 突然、タイミングを見計らっていたかのように、ルフィが彼らの下へ駆けてくる。

 左手には肉を持って、頬を膨らませていて、無邪気な様子は子供のようだ。

 楽しそうな笑顔でやってきた彼は三人の顔を見回し、弾む声色で誘った。

 

 「お前ら肉食ってるかぁ! うんめぇぞぉ~恐竜肉! まだまだあるからな!」

 「もうお腹いっぱいだよ。流石にルフィほどは食べれないって」

 「そうか? じゃあ歌おう!」

 「急に話変わったね」

 「だって海賊は歌うんだぞ。早く音楽家仲間にしてぇなぁ~。キリの仲間、ブルックだっけ? 早く迎えに行ってやらねぇとな」

 「うん。でもまだ距離があるからさ」

 「そっかぁ~」

 

 いつも通りの気楽な会話。

 なぜか安心してしまう。

 彼らは何も変わっていない。色々あったが、それを忘れさせるくらい雰囲気は悪くなかった。

 

 「じゃあやっぱり歌おう! 音楽家が仲間になった時のために練習しとかねぇとな」

 「練習って歌の? 必要かな」

 「んん、多分」

 「自信はないんだね」

 「まぁいいじゃねぇか。とにかく歌いたいんだ」

 

 パッと素早くルフィがキリの右腕を掴み、ぐいっと引っ張って無理やり立たせた。

 鮮やかな手並みで彼を連れ去る。

 ルフィが先導してキリを引っ張り、戸惑う彼を皆の輪の中に引き戻して、強引だがひどく楽しそうに笑った。終いにはキリも苦笑してしまい、やれやれと首を振って観念する。

 

 「おぉ~いみんなぁ! 歌うぞ~! 踊れ~!」

 「よぉし、キャプテン・ウソップについて来~い!」

 「ほら、ビビ」

 「わ、私も?」

 「当たり前でしょ。あんたも仲間なんだから」

 

 ルフィとキリが戻ってきたことで騒がしさの様相が変わる。

 今まで座っていたナミがビビの手を引いて参加し、倒れていたカルーも元気よく立ち上がって、諸手を挙げて先頭に立つウソップは誰よりも大きな声を出していた。

 イガラムは微笑ましそうにその光景を眺め、料理の手を止めたサンジが思わず参加する。

 ドリーとブロギーは両手を叩いて喜んでいた。

 

 喧騒はさらに大きくなった。

 少し離れてその様を眺め、シルクは真剣な顔で考える。

 

 今や自分たちにとって当たり前のその景色が、なぜかとても儚げなものに見えた。

 

 「キリは、命の恩人と戦うんだね。嫌いなわけでもないのに、勝とうとしてるんだ」

 「それがあいつの覚悟ってことだろ」

 

 小さな呟きに反応したゾロがすぐに答えを出した。

 酒瓶を傾けて中身を飲み干し、厳しい顔のまま彼は闇夜を睨みつける。

 

 「もしかしたら試したのかもな」

 「試す?」

 「本当に船に乗せとくのかどうかをだよ」

 「ルフィが、キリを追い出すって? そんなの考えたこともないよ」

 「うちの船長はどうしようもねぇほどわがままだからな。捨てられねぇんだよ。それこそ自分のポリシーを曲げてまであいつを手放そうとしねぇ。だから決闘を邪魔した“汚名”まで着た」

 「……うん」

 「だがあれでやっとルフィもわかっただろ。あいつが本気だってことを」

 

 シルクは頷き、ルフィの心情を理解した気になる。

 彼は子供のように純粋で、わがままで、これと決めたら他人の意見も聞かない。だからといって甘い考えでいる訳でもなかった。おそらく他の仲間たちよりずっと早く覚悟している。

 キリを抱える危険性も理解しているはずだ。

 それでも彼が傍に居ることを許し、手放さず、共に在ろうとしている。

 今、目の前にある光景は少し意味の違ったものに見えた。

 

 ルフィに無理やり腕を取られ、仲間たちと一緒に踊るキリ。

 子供のように純真に笑って、驚くほど楽しそうだ。

 

 「みんな、変わろうとしてるんだよね。ずっと同じでなんていられないから」

 「それが強くなるってことだろ。少なくともあいつらは前に進もうとしてる」

 

 シルクは少し視線を落とす。

 

 キリはこれまで何人かの人間に命を救われたことがある。

 仲間たちが死んだ時はブルックに守られて。その後はクロコダイルに命を拾われて、しばらく経ってルフィに心を救われた。

 そして選択を強いられた今、片方と共に進むことを決め、片方と戦う決断をした。

 一人で勝手に決めてしまった彼は、どれほどの苦悩を感じたというのだろう。

 

 空になった酒瓶を置き、ゾロが仲間たちの方を見る。

 顔は真剣なまま、先程よりは少し柔らかくなっていたようだ。

 しかし一方で強い意志を滲ませ、誰かに吐露する訳ではなく小さな声で言葉を吐き出す。

 

 「おれは振り落とされるつもりはねぇぞ。何の因果かあいつらと一緒に海へ出ちまった。てめぇの野望を果たすまで、自分の言葉を裏切るわけにはいかねぇ」

 

 彼の言葉は他人事ではない。

 楽しそうに踊る仲間たちの姿を見ながら、シルクは少しだけ笑みを見せた。

 

 「そっか……私も、強くならなきゃね」

 

 どうすればいいのかはわかっていない。だが変わり続けようとしている二人の覚悟を目の当たりにして、このままでいればいい訳ではないと感じさせられた。

 それが大人になるということなのだろうか。それとも少し違うのか。

 どちらにせよ、彼女もまた変わるきっかけを得たようだ。

 

 「ゾロとシルクも来いよぉ!」

 「お前ら何さぼってんだ! 歌って踊るのが海賊だろ!」

 「シルクちゅわ~ん! 早くこっちにおいでぇ~!」

 

 唐突に彼らを誘う声があった。話は聞こえていなかったはずだがずいぶんとタイミングが良い。

 シルクの笑みが深まり、さっとその場から立ち上がる。

 その時にはまだゾロが座ったままで、彼の背を見るシルクが名前を呼ぶ。

 

 「ほら、ゾロも行こう。みんな呼んでるよ」

 「おれはいい。そんな気分じゃねぇしな」

 「そんなこと言わずに――あっ」

 

 待ち切れなかったのか、伸びてきた手が二人の腕を掴んだ。

 振り向けば満面の笑みを浮かべるルフィがしっかりと二人を捕まえていた。

 嫌な予感がする。

 ゾロがはっきりと表情を歪め、シルクの笑みが困ったものになり、二人は同時に危機を感じる。

 

 「お、おい待て、お前まさか――!」

 「ちょっと待ってルフィ、それはちょっと危ないかなって――」

 「にっしっし! お前らも来~い!」

 「うおわっ!?」

 「きゃあっ!?」

 

 伸びた腕が急速に縮んでいき、二人の腕がぐいっと強く引っ張られた。

 宙に浮いた体は素早くルフィの下まで連れ去られて、危険を感じるほど勢いよく、そしていざ彼のところへ到着しようとした時にはパッと手が離された。

 

 あまりに無慈悲な行動である。

 地面に落ちかけたシルクをキリが紙を広げて受け止め、ゾロは為す術もなく地面を滑る。

 

 相当な勢いで地面を転がるゾロを目撃して、どうやら自らのミスに気付いたのはそれからだったようだ。自分の横を通り過ぎて行った彼を見送り、ルフィが自分の頭を掻く。

 受け止めてもらったシルクはほっと息を吐き、キリを始めとした仲間たちは爆笑している。

 そんな中で起き上がったゾロは怒りに打ち震え、ゆっくりルフィへ振り返った。

 

 「あっ……わりぃゾロ」

 「てめぇおれに恨みでもあんのか? あ?」

 「す、すみません」

 

 凄んだ顔で胸倉を掴まれ、至近距離で睨まれたせいで悪いと思ったらしい。

 珍しく素直に謝るルフィは冷や汗すら垂らしそうな顔だ。

 次は腹を抱えて笑っていた仲間にも怒鳴り声を発して、刀を抜こうとする仕草まで見せ、それでも本気で斬ろうとしない姿は彼もこの一味の仲間である何よりの証明であった。

 

 しばしのいざこざはあったものの、全員が揃った。

 盛り上げ隊長を自称するウソップが口火を切ると次の曲を考え始める。

 

 「やっと全員揃ったな。でだ、次はどうするルフィ。あと何の曲があったっけな」

 「あれにしよう。ビンクスの酒!」

 「へぇ、そんなのよく知ってるね」

 「昔シャンクスたちがよく歌ってたんだ。みんなで歌ったら気分いいじゃねぇか」

 「いいね。それにしよう」

 「おれァ知らねぇぞ」

 「お前は知らなくていいんだよマリモ」

 「あぁ!? なんだとアホコック!」

 「まぁなんとなく始めてみればいいさ。こういうのはやってみれば掴めてくるもんだし」

 

 ドタバタと荒々しく走り、大きな焚火を囲んで、二人の巨人がそれを見守る。

 個性ばかりが際立って一向に揃わない踊りと共に、皆が一斉に歌い出した。

 

 「それじゃ行きましょ~! せーのっ!」

 「ヨホホホ~、ヨ~ホホ~ホ~! ヨホホホ~、ヨ~ホホ~ホ~!」

 

 伴奏はなく、歌うというより叫んでいるかのような。

 それでも彼らは酒瓶や調理器具、皿や骨、そこらにある適当な物を持ち寄り、音を鳴らして、手を叩いて、大声を発して音楽を奏でた。

 音を楽しんでこその音楽。

 技術は感じられずとも、誰もそれを拒む者は居なかった。

 

 当初は適当に切り上げようと考えていた宴だが、想像以上の盛り上がりで結局朝まで続き。

 心から宴を楽しんだ彼らは、眠る時まで幸せそうにしていた。

 


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