ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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王の帰還

 風が強くなってきた。

 振り続ける雪を吹き飛ばすそれは吹雪となり、厳しい環境を作り出している。

 その中を歩いてある男たちがドラム城へ到達した。

 

 垂直の壁を登ったロブソンが城の前に立つ。

 これにより背に掴まっていたワポルとムッシュールが眼前の城を視界に入れたのである。

 

 「おぉ、懐かしき我が城! ドラム城! 相変わらずの美しさだ!」

 

 両腕を広げるワポルは雪の上に立ち、上機嫌に声を大きくしている。

 しばらく離れていた我が家に帰ってきたのだ。その嬉しさは大きいらしく、どうでもいいと言いかねない顔をしているムッシュールとは正反対の姿だった。

 彼の声を止める物はなく、辺りに広く伝わっていく。

 

 「しかぁし! なんだあの美観を損ねる旗は! 我がドラム王国の国旗はどこに行った!? なんでわけのわからん海賊旗が掲げられとるんだァ!」

 「ほう、本当だ。ということはここは海賊の国――」

 「んなわけあるかよ兄ちゃん! ここはおれの、おれたちの国だろ! ドラム王国の国王はおれ以外に居るわけがねぇんだ!」

 

 城に掲げられた海賊旗に気付き、ワポルが喚き始めた。

 かつてそこには、ドラム王国の国旗が掲げられているはずだった。しかし今は見知らぬ海賊旗が風に揺られて存在しており、それを一種の宣戦布告と取っても不思議ではない。

 

 一体誰がやったのか。

 憤るワポルの隣ではムッシュールが呑気な表情を見せる。

 彼は全く怒ってはいない。国を長く離れていたこともあってか、彼の立ち振る舞いには国に対する愛情や執着心は一切感じられず、なぜか弟のワポルに対する愛情はある。

 怒ったワポルとは対照的に冷静な態度だった。

 

 大きな声が聞こえていたのだろう。開かれたままの扉の向こうから人影が現れる。

 やってきた人物を見つけ、睨みつけるワポルは忌々しそうに歯噛みした。

 

 現れたのはDr.くれはだった。

 防寒着も着ずに身軽な格好で現れると、腰に手を当てて彼らの前に立ちはだかるのである。

 ワポルは見るからに怒りを募らせていた。

 敵意の込められた視線を受けて、くれはは怯むこともなく笑う。

 

 「ひっひっひ。何かお探しかい? ガキども」

 「むっ!? 出やがったなババァ! おれ様の城で何してやがる!」

 「今はあたしの家さ。ついでに墓にしてやったんだよ。ここで死んだあのバカのね」

 「なにぃ?」

 「あんたも忘れちゃいないだろう。Dr.ヒルルクのことさ」

 

 彼女がその名を告げた瞬間、ワポルが目を見開いた。

 

 「あのヤブ医者の墓だと!? このドラム城がか! おれ様の城をあんな薄汚ぇドブネズミの墓にするとはどういう了見だ、カバ野郎!」

 「仕方ないだろう。あいつの息子が、あの旗を掲げるって聞かなくてねぇ」

 「そんなもん知ったことか! いいか、この城はおれ様の物で、おれ様の許可なく荒したてめぇらはドラム王国始まって以来の大罪人! 即刻処刑してくれる!」

 「やれやれ。相変わらず話の通じない奴だねぇ」

 

 呆れた口調でくれはが言う。その態度もまた怒りを買うものだったらしく、憤慨するワポルはその場で地団駄を踏み、癇癪を起した子供のように怒り狂った。

 ムッシュールはつまらなそうにしていて、ロブソンは我関せずといった顔。

 笑い声を発するくれはに再び鋭い声が飛んだ。

 

 「笑うなァ!」

 「今更何をしようが無駄さ。ここはもうドラム王国じゃない。あんたの国は滅んだんだよ」

 「ま~っはっはっは! カバめ! 滅びるわけがあるか、王であるおれ様が帰ったからにはドラム王国は復活する! このおれの力によって何度でも!」

 「あんたにそんな力はないよ。いい加減自覚したらどうだい」

 「うるさぁ~い! おれに指図するなぁ!」

 

 地団駄は止まらず、彼の足下の雪だけ踏み固められていく。

 ついにワポルは怒り心頭となり、目を血走らせ始めた。

 

 その頃になってくれはの後方から新たな影が現れる。

 走ってきたのはチョッパーと、彼を追っていたルフィだ。

 颯爽と現れた彼らの表情はそれぞれ違い、瞬時に状況を理解したチョッパーは厳しい顔をして、くれはが話している相手が誰かさえ知らないルフィはぽかんとしていた。

 

 「ドクトリーヌ!」

 「ああ、来たかい。あいつの息子だよ」

 「息子だぁ? なんだあのバケモノは」

 

 人獣型のチョッパーは小さな体躯で、二足歩行であり、奇妙な外見をしている。

 とても人間が息子と呼ぶ姿には見えずに、ワポルは眉間に皺を寄せた。だがムッシュールは珍しい生き物に興味を持ったらしく、素直に喜び始める。

 

 「おおっ、なんだあの動物は! いつの間にあんな珍妙な動物が住むようになったんだ?」

 「呑気なこと言ってる場合かよ兄ちゃん! おれたちの城だぞ!」

 

 傍から見れば、彼ら二人も奇妙な兄弟である。奇抜な格好をしていて性格も独特。見ている者が首をかしげてしまう程度には変わった人間だろう。

 特に注目を浴びるのは兄のムッシュールだ。

 ルフィは二人とも知らないものの、チョッパーは以前ワポルを見たことがあるのだが、そんな彼ですらムッシュールについては知らない。今初めて見た人物だ。

 

 昔は確かに居たはずの取り巻きはおらず、傍に居るのは兄一人。

 くれははその兄を知っている。

 かつてドラム王国に存続の危機を与えた人物。永久追放となった男だった。

 

 ワポルが連れ帰ったのだと見た瞬間に理解できた。

 状況を知ろうとするチョッパーが二人を見たまま彼女へ問いかける。

 

 「ドクトリーヌ、あいつら……」

 「ああ。ワポルとその兄、ムッシュールだよ。前に話したことがあったね、“毒の雪”の話は」

 「毒の胞子が、雪みたいに国中に降り注いだって。まさかあいつが?」

 「厄介な奴を解き放ったもんだ。ムッシュールはワポルにとっても頭痛の種だったはずだが、やはり黒ひげ海賊団とやらの襲撃があったからか。あいつは強いよ」

 

 真剣に話す二人の後ろに立ち、覗き込むように前方を眺めるルフィはまだ首を捻っていた。

 

 「誰だあいつら? 友達か?」

 「その逆さ。ドラム王国最大の汚点。あたしらの敵だよ」

 「海賊なのか?」

 「そうだよ。しかも性質が悪い方のね」

 「おいババァ! 勝手なこと言ってんじゃねぇぞ!」

 

 ルフィへの返答を遮る声が木霊する。

 ワポルの指がくれはを指し、厳しい声がぶつけられた。

 

 「確かに海に居る間は海賊の真似事をしていたが、あんなもん所詮はお遊びだ! おれ様は国王様だぞ! 誰が好き好んで海賊なんかになるってんだ!」

 「おかしなことを言う。だったらなぜ海賊の真似事をした」

 「おれ様が王様だとバレれば命を狙われるだろうが! 身分を隠すためにやったに過ぎない! 薄汚くてろくでもねぇ海賊になりたがる奴なんぞ、みぃんなクズだ!」

 「あぁしまった、鏡を持ってなかったね。自分の顔を見せてやりたがったが無理そうか」

 

 ワポルの発言を聞いてルフィは顔をしかめていた。

 嫌悪感を感じたのだろう。どうやら意見は合いそうにない。

 むっとした顔で腕を組んだ彼は荒々しく息を吐いた。

 

 「おれあいつ嫌いだ。海賊をバカにしやがって」

 「世間じゃそんなもんさ。海賊を良く想う奴の方がよっぽど変わってる」

 「んなことねぇよ、海賊は面白いのに。なぁチョッパー」

 「お、おれは、海賊じゃねぇから……」

 

 何気ない素振りで声をかけられ、戸惑ったチョッパーは咄嗟に視線を落とした。

 いつの間にか距離感が違っている気がして、くれはがフッと笑みをこぼす。

 

 その笑みが気に入らなかったのだろうか。再びワポルが喚き出す。

 

 「何勝手にくっちゃべってやがんだカバどもォ! おれ様をコケにしやがって……王様の命令に従えん奴は処刑! てめぇら全員処刑だ!」

 「うるせぇ! お前なんかに負けるか、バーカ!」

 「なんだとこの野郎! てめぇ、名を名乗れ、カーバ!」

 「モンキー・D・ルフィ。海賊王になる男だ」

 「海賊……王?」

 

 ルフィの言葉に皆が驚く。

 くれは、チョッパー、そしてワポルもまた驚きを隠せなかった。

 それぞれ意味は違っていたが、この瞬間、ルフィに注目が集まっていたのは確かだ。

 

 「海賊王だと? ま~っはっはっは! お前カバじゃないの~? 王様ってのは選ばれた人間にしかなれねぇもんなんだ。お前なんかが王になどなれるか! たとえ海賊の王でもな」

 「なる。絶対に」

 「フン、カバには何を言っても無駄みたいだな。もういい、無駄口はもうたくさんだ」

 

 唐突にワポルが両腕を広げる。

 不審な動きにルフィとチョッパーが目を鋭くした。

 

 「貴様ら全員、おれ様が直々に処刑してやる。後悔してももう遅いぞ!」

 

 腕を広げた状態で、天を仰いで力強く叫ぶ。

 

 「バクバク(ショック)“ワポルハウス”!」

 

 叫んだ直後に彼の体が変形を始める。バクバクの実の能力を使ったのだ。

 人体が変質する奇妙な音が響き、肉と骨が動くと同時に、食べた物が血肉となっていく。見る見る変貌していくその様はおぞましい様相ですらあった。

 息を呑んで見守るルフィやチョッパー、ムッシュールまで驚愕していたようだ。

 

 「食った物はやがて血となり肉となる……これこそバクバクの真の奥義」

 

 数秒経った後、彼の肉体は人の物ではなくなっていた。

 全貌は家に見えてしまうほど変わっている。

 頭の上から小さな煙突が伸び、胴体はブリキで、ドアまであり、両腕は大砲の砲身。体長は先程の倍ほどにまで大きくなって、丸々として見えるが強靭な肉体となっていた。

 まるで別人。だが顔はワポルその物で、奇怪な姿でその場に立つ。

 

 おそらくさっきよりも強くなるための変形なのだろう。チョッパーは歯噛みし、彼に対する敵意を強めて、厳しい視線でワポルを捉える。

 その隣と、さらにワポルの隣。ルフィとムッシュールは驚愕の声を発した。

 

 「すんげぇぇ~っ!? 家になっちまった!」

 「んなっ、なんてこった!? 弟がひどく住みにくそうな家に!」

 「兄ちゃん、これがバクバクの実の能力だ。そんなに驚くことでもねぇだろ」

 

 ルフィは当然として、ムッシュールもその能力を知らなかったらしい。

 驚く二人はどことなく似ているような、ほとんど同じ驚き方で大声を出していた。

 チョッパーは言葉を失い、くれはは呆れて溜息をつく。

 

 奇怪ではあったがワポルは攻撃の準備を終えていた。

 両腕にある大砲。あれは飾りではないはずだと考える。

 

 意識を切り替えたチョッパーの体がぐぐぐと動き始める。身長が伸び、体つきが変化して、毛皮があるとはいえ人間にそっくりな外見となっていく。

 身長二メートルはあろうかという体格のいい外見だ。

 ヒトヒトの実の能力で人型となったチョッパーはルフィよりも大きくなり、背を伸ばして立つ。

 

 驚いたのはルフィだ。

 さっきまで小さかったチョッパーが自分より大きくなっている。

 声を大きくする彼を見やり、くれはが呆れた顔で解説した。

 

 「うぇえええっ!? チョッパーがでかくなった!? お前ほんとはそんなにでかかったのか!」

 「何言ってんだい、動物系(ゾオン)の能力者は三つの変身形態を持ってるんだ。これは人型、一番人間に近い形態に変わっただけさ」

 「ああ、そうなのか。三段変形面白トナカイってことだな」

 

 ルフィはにんまり笑って楽しそうにしている。チョッパーの変身能力に気を良くしたようだ。

 背後で上機嫌になっているとは知らず、チョッパーは前を見たまま。

 敵意を隠さない視線がワポルを睨みつけていた。

 

 「お前たち、この島から出ていけよ」

 「あん?」

 「おれはお前を殴らねぇから、今すぐ島から出ていけ」

 「おっとっと、もう一匹カバが居やがったのか? 何を言ってるのかわからんわァ!」

 

 咄嗟にワポルが左腕を上げ、砲口がチョッパーを捉える。

 脅しではない。それはおそらく本物で、能力を使って彼の肉体の一部となった。発射するかしないかはワポルの意志一つ。今すぐ撃たれてもおかしくない。

 それでもチョッパーは退かなかった。

 

 「ここにはお前たちの居場所なんてない。このまま何もせず出ていってくれ」

 「カバめ。それはこっちのセリフだ。おれの国に貴様らは必要ない!」

 

 チョッパーに向けられていた砲口が突如上へ向けられる。

 

 「当然あんなヘボ医者の旗なんぞいらねぇわけだ! 偉そうに国王を見下ろしてんじゃねぇ!」

 「あっ――!?」

 

 気付いた時には、すでに砲弾が放たれていた。

 止める暇もなく空を飛んだ一発の砲弾。チョッパーが見上げている前で、ヒルルクの旗が刺さる塔に激突し、小さな爆発と共に旗が宙を飛ぶ。

 直撃はしていない。塔が壊れただけだ。

 だがそれとは別の問題として、攻撃された旗が落ちたことは事実だった。

 

 落ちる様をまざまざと見ていたルフィは咄嗟にチョッパーを見る。

 彼は呆然として、言葉を失っている様子だった。

 

 「チョッパー、あの旗……」

 

 返答はない。

 チョッパーは旗があった場所をじっと見つめたまま。

 それを見たルフィは表情を変える。

 

 「ま~っはっはっは! 清々したぜ! 二度とおれ様の城を汚すんじゃねぇ!」

 「お前……何してんだよ! ドクターのドクロマークに!」

 「あ? チッ、鬱陶しい野郎だぜ」

 

 ワポルの笑い声をきっかけにして、チョッパーの中で何かが切れたのだろう。

 人型の状態のまま、突然駆け出した彼がワポルへ迫る。

 

 迎撃の意志が感じられぬままチョッパーが接近していた。ワポルは動こうとせず、だが代わりにムッシュールが二人の間に割り込んだ。

 拳を振りかぶっていたチョッパーは反射的に拳を突き出そうとして、肩を押さえられる。

 ムッシュールの両手が肩を押さえ、二人は力で押し合う姿勢になった。

 

 動きを押さえられようとも怒りは収まらず。

 子供のように笑うムッシュールではなく、視線はあくまでワポルを捉えた。

 両者は全力で押し合い、縫い付けられたようにその場から動かなくなる。

 

 「待て待て、おれの弟に何をするつもりだ? んん? その振り上げた拳で殴ろうってのか」

 「くっ、ドクターは、お前たちだって救おうとしたのに!」

 

 押し合う二人を眺めて余裕を持ち、ワポルはにやりと笑って言った。

 

 「救う? あのヤブ医者が? ま~っはっはっは! 救えるわけねぇだろうが! あんなヘボ医者に治療されたんじゃむしろ寿命が縮まっちまうぜ!」

 「ぐっ、うっ……!」

 「医者ってのはおれ様お抱えのイッシー20みたいな奴らを言うんだ。そこに居るババァもてめぇの親父もクズだ! 医者だなんて名乗ってんじゃねぇよカバども!」

 「お前ッ、ドクターを悪く言うなァ!」

 

 パッと後ろに下がったチョッパーはムッシュールから距離を取った。

 頭に血が上って突発的に、改めて拳を振り上げ、前へ走ると同時に振り抜く。ムッシュールの顔面を狙ったはずだったが、素早く背を仰け反らせると回避してしまい、紙一重で空を切る。

 腕を組んでその場を動かず、余裕を湛えた表情。

 二度、三度と腕を振るもののやはり完璧に見切られ、避けられてしまう。

 

 三度目のパンチが空を切る頃になれば、ムッシュールからの反撃もあった。

 気のない様子で蹴りが出され、チョッパーの腹に重く突き刺さる。

 思わず彼は背を丸めて呻き声を発した。

 

 「どうしたんだよ、当たってないぞ」

 「殴らねぇんじゃなくて殴れねぇだけじゃねぇか! ま~っはっはっは!」

 「くそぉ、ちくちょうっ……!」

 

 チョッパーはさらに殴り掛かる。

 だがムッシュールは見事に彼のパンチを避け、今度は力を入れて反撃した。

 空振りして体勢が崩れたところを、隙だらけの腹に膝蹴りが入り、直後に顎を掌底が捉える。力も入らずふらふら歩いた彼の頬に、全身を使った回し蹴りが叩き込まれた。

 

 もはや一息つく暇もない。

 軽々と宙を舞ったチョッパーの体は地面に倒れ、大の字になって雪に埋もれた。

 

 流石にくれはが顔色を変え、思わず動き出そうとする。

 その時、ワポルとムッシュールは揃って笑っており、彼らの大声だけが辺りに響いていた。

 そしていつの間にか、ルフィの姿がどこかへ消えていたのだ。

 

 「チョッパー!? 無茶するんじゃないよ!」

 「ドクトリーヌ……こいつら、ドクターをバカにしたんだ。おれの命の恩人なのに」

 「あぁわかってる。だからってあんたが死ぬ必要はない。ちょっと下がってな、このガキどもはあたしがきつくお灸をすえて――」

 「それじゃだめなんだ」

 

 耐え切れずに前へ出ようとしたくれはが、その一言で足を止めた。

 

 「おれがやらなきゃだめなんだ。ドクターの夢はおれが叶えるって決めたから」

 

 拳をぎゅっと握って、痛くなるほど歯を食いしばる。

 倒れたままでチョッパーが叫んだ。

 

 「あの旗だけは絶対に折らせない! あのドクロはドクターの信念なんだ!」

 「やかましいぞバケモノォ! てめぇ一人で一体何ができる!」

 「おい、邪魔口!」

 

 ワポルが倒れたチョッパーに大砲の腕を向けた時、上から声が降ってきた。

 訝しむ顔で視線を上げる。

 いつの間にか、城の天辺にルフィが立ち、落ちたはずの海賊旗が再びそこに立てられていた。

 

 折ったはずの海賊旗は、ルフィの上着を使って先程と同じく存在している。

 代わりに彼は上着を失っているものの、今だけは寒さなど感じず、それ以上に怒りを感じる。強い眼差しはワポルを捉えて離さなかった。

 気付いたチョッパーがゆっくり起き上がり、城の上に居るルフィを見つめた。

 

 「誰だ、あの麦わら帽子は……不敬な奴だな。おれの城に、またその旗を立てるのか」

 「お前はウソッパチで海賊やってたんだろ。半端な覚悟で命も賭けずに海賊やってたお前らは、この海賊旗(はた)の意味を知らねぇんだ」

 

 不意の一瞬、ぞくりと、チョッパーの背筋に何かが走る。

 なぜかはわからない。だが今や彼の姿から目が離せなくなっていた。

 

 「旗の意味だと? そんな海賊どものアホな飾りに意味なんぞあるか!」

 「だからお前はヘナチョコなんだ」

 「何ィ!?」

 「これは、お前なんかが冗談で振りかざしていい旗じゃないんだ」

 「ふざけるな! 意味がわからんわ! そんなヘボ旗、何度でも折ってやるぞ!」

 

 チョッパーに向けられていた砲口がルフィに向く。

 咄嗟にチョッパーが叫ぶが、ルフィは逃げず、ワポルから目を離さない。

 

 「避けろ! 危ない!」

 「お前なんかに折れるもんか。ドクロのマークは――」

 「旗ごと死ねェ!」

 

 砲弾が放たれ、発射の衝撃で大気が震える。

 真っ直ぐに飛んだ砲弾は間違いなくルフィに迫っていて。

 そしてチョッパーは、最後まで彼が逃げなかったのを目撃していた。

 

 「“信念”の象徴なんだぞォ!!」

 

 ルフィに砲弾が直撃する。

 爆発が起こり、爆炎の中に彼とドクロの旗が消えた。

 

 避けられるタイミングではなかった。避けなかったのも肉眼で確認していて、ごくりと息を呑むチョッパーは彼が死んでしまったのではないかとも想像する。

 しかし、爆炎が消えて、黒煙が晴れた時。

 ルフィは右手で旗を持ち、変わらずそこに立っていた。

 

 その姿を見て総毛立つ。

 攻撃を受けて尚も動かず、血を流しながらも彼はそこに居た。

 驚くのはチョッパーばかりでなく、ワポルやムッシュールでさえも釘付けとなる。

 

 「ほらな。折れねぇ」

 

 あっさりと、簡潔な一言。

 何かを感じ取ったのか、ワポルは無意識の内に後ずさる。

 それと同時にルフィが顔を上げて彼を見た。

 

 「この旗を作った奴がどんな奴だったのかはよく知らねぇけどな。これは命を誓う旗だから、冗談で立ってるわけじゃねぇんだぞ」

 

 ワポルが悪寒を感じる頃、見上げるチョッパーは強く惹きつけられた。

 

 「お前なんかがへらへら笑ってへし折っていい旗じゃねぇんだぞ!!!」

 

 突然の絶叫に、気付けばワポルは心から悲鳴を上げて、チョッパーは大きく身震いしていた。

 反応は様々。

 くれはは穏やかな笑みを浮かべ、ムッシュールは好戦的に頬を釣り上げる。

 少なくともルフィを海賊として認めない者が居なかったのは確かだ。

 

 これが本物の海賊。

 ルフィを見上げるチョッパーは言葉にできない感情を覚え、判断に困る。

 

 かつて言われたことがある。

 海賊はいいぞ。お前もいつか海へ出ろ。

 ヒルルクの言葉を脳裏に、ルフィを見つめ、チョッパーは考えることすらできずにいた。

 

 「チョッパー!」

 「えっ……?」

 「おれはこれからこいつらぶっ飛ばすけど、お前はどうする?」

 「お……おれは……」

 

 ルフィは手に持っていた旗を壊れた塔の天辺に突き刺し、そこに立てる。

 腕をぐるぐる回すと準備は完了のようだ。

 ワポルたちを見下ろし、すでに目の色が変わっていた。

 

 海賊になれ、と追ってきた時とはまるで別人。あの時の彼は子供のように無邪気で、人の話を聞かないほど自分勝手で、とても海賊とは思えなかった。

 今は違う。

 チョッパーの目から見ても彼は本物の海賊であり、強い人間だった。

 

 お前はどうする。

 そう聞かれて、すでに答えは胸の中にあった。

 

 ただ口にするのを戸惑っていた一瞬、ムッシュールが前へ歩き出してくる。

 不敵な笑みを浮かべて、彼はルフィだけを見ていた。

 何やら危険な意志を感じ、チョッパーもまた表情を引き締め直す。

 

 「おれがドクターの旗を守るんだ。一人でだって、ドクターの旗さえあればおれは――」

 「もう一人じゃねぇぞ」

 

 さほど大きな声ではなかったが、ルフィの呟きがチョッパーの耳に届く。

 振り向いた時、笑顔で彼が落下してくるところだった。

 

 「おれがお前の仲間だ!」

 

 勢いよく落ちてきたルフィは地面に激突。大量の雪が舞い上がる。しかし本人は全く痛みを感じていない様子で立ち上がり、大事そうに帽子を被り直した。

 ほっと安堵すると共に心配になる。

 チョッパーは彼に近付き、その背へ声をかけた。

 

 「お、お前、大丈夫なのか?」

 「ああ、心配いらねぇ。ゴムだから」

 「そうなのか……海賊ってすげぇんだな」

 「そうさ。すげぇんだ、海賊は」

 

 しししと笑いながら振り返る顔は駆け回っていた時と同じで。

 自分でも気付かぬ内にチョッパーも笑みを浮かべ、今度は怯えず彼と肩を並べた。

 

 絶叫していたワポルがやっと冷静さを取り戻せたようだ。見るからに怯え切った顔の彼はルフィに怯えており、今は自分より小さいムッシュールの背に隠れようとする。

 そのムッシュールは全く怯えていない。

 ルフィを好敵手と認めるように、一心に彼を見つめていた。

 

 「あ、兄ちゃ~ん!」

 「おお可愛い弟よ、そんなに怯える必要はない。あいつはおれが仕留めてやるから」

 「たたた頼んだぜ! あいつこのおれに逆らいやがったんだよ! 王様なのに!」

 「そりゃいけねぇな。お前を怖がらせた罪は償わなきゃならねぇ」

 

 ムッシュールが前でワポルが後ろ。

 対するルフィとチョッパーは横並びで彼らに立ち塞がる。

 戦闘の気配はさっき以上に濃く辺りへ漂っていた。

 

 「行くぞ。準備はいいよな」

 「うん」

 「邪魔口は任せた。おれはあいつを止めなきゃいけねぇみたいだ」

 

 握った拳をぶつけるルフィに言われ、チョッパーはちらりと彼の横顔を見る。

 

 (仲間……)

 

 不思議な感覚だった。

 ヒルルクは家族で、くれはは師匠。

 仲間ができたのは生まれて初めてだと思う。

 

 自分の鼓動が高鳴っているのを感じながら、今は理由を考える時ではないと考えて。

 チョッパーはルフィと共に自身の敵を見据えた。

 


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