ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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GROWN KIDZ

 唐突なタイミングでムッシュールが歩き出していた。

 眼前に立つ二人に怯えることもなく、後方にワポルを置いて一人で進む。

 最も早くルフィが反応して、彼もまたムッシュールに向かって歩き出し始めた。

 

 「ウチの弟をびびらせてくれたな。この分は高くつくぜ」

 「知るか。あいつが臆病だっただけだろ」

 

 ゆっくりとだが二人の間にある距離が詰まり、徐々に近付いていく。

 

 「おいおい、おれの前で弟を侮辱する気か? そりゃ許されねぇぞ」

 「その前にあいつが海賊をバカにしたんだ」

 「そうだったっけ? まぁ別に謝る気はねぇけどな」

 

 歩く途上で、唐突にムッシュールが膝を曲げた。これを見た瞬間にルフィが眉を動かし、彼が駆け出すと反応して、両者が同時に足を振り上げる。

 互いの蹴りが激突し、衝突の余波で空気が弾けるように鳴る。

 足を触れ合わせたまま、二人の視線が交わっていた。

 

 衝突によってビリビリと足に衝撃が走る。

 ぶつかった後も力を加えていたが、どちらも押し切ることはできずに後ろへ離れた。

 

 地面を滑るように着地する。

 動きを止めずにルフィが駆け出して、遅れずムッシュールも前へ出た。

 再び素手で激突する。ルフィが軽い動きで拳と蹴りを繰り出す一方、ムッシュールは長い手足を上手く使い、ヒットアンドアウェイで的確に距離を作ろうとした。

 どちらも戦闘に慣れた動きを見せ、実力はほぼ互角だ。

 

 「おおおっ!」

 「んんっ!」

 

 腰を捻って繰り出される蹴りを屈んで避け、ルフィが拳を突き出した。

 アッパー気味で顎を打ち抜き、直後の回し蹴りが腹に当たり、すぐに回転して頬を殴る。続けて三度の攻撃でムッシュールの足がふらついていた。

 

 宙返りをしたルフィが一旦距離を開け、右腕を捻じりながら後方へ伸ばす。

 回転を加える強烈な一撃が迫り、ムッシュールは目を見開く。

 

 「ゴムゴムの――!」

 

 接近しようとするルフィを目視して、咄嗟にムッシュールが右腕を掲げて前へ出した。

 指を広げて掌を見せ、突き出される拳を受け止めようとするかのように。

 気にせずルフィが攻撃を繰り出すとその手に変化が起きた。

 

 「ライフル!」

 

 拳は確かにムッシュールに当たった。だが彼の想像とは違い、接触の瞬間バフッと音がして、腕ではない柔らかい何かに触れていた。

 彼のパンチを受けたのは大きなキノコである。

 それはムッシュールの腕から生えていて、傘の部分が腕の先にあった。

 

 毒々しい色のキノコを目にしてルフィの動きが止まる。

 腕を引いた彼を追おうとはせず、笑みを浮かべるムッシュールは余裕を見せていた。

 

 「なんだ!? キノコ? お前腕がキノコじゃねぇか!」

 「おれはノコノコの実を食った全身キノコ人間。こうした変形は朝飯前よ」

 

 受けた拳を強く押し返し、拳を止められたことより腕がキノコになった事実に驚くルフィは、そこにばかり目が行って注意力が散漫になっている。

 その間にムッシュールの腕はさらに変化した。

 

 一瞬にして傘の部分が変色した後、なぜか高速回転を始める。

 見栄えはまるでドリルのようで、変色したのはキノコの種類が変わって硬くなったからだった。

 

 甲高い音を立てて回転する腕は鉄にも等しい硬度を誇る。

 自分で受けた訳ではないが危険性は伝わった。

 同時に、悪魔の実の能力でドリルを実現させた彼に対する羨望の想いもあり、目を輝かせ始めるルフィはその腕を羨ましがって、身構えながらも集中力を欠いたようだ。

 

 「スピンドリル!」

 「すんげぇぇっ! ドリルじゃ~ん! お前の腕ドリルじゃ~ん!」

 「ムッシッシ! ただのキノコと侮るなよ! こいつはお前の肉を抉る!」

 

 振るわれるドリルが雪面を抉り、辺りに舞う。わずかとはいえ視界を遮るようだった。

 ムッシュールは前に一歩踏み出して腕を突き出す。真剣な目に戻ったルフィは即座に見切り、その場から動かず背を反らすだけで回避した。

 

 「死ねェ!」

 「死ぬかァ!」

 

 両者が同時に足を動かす。

 ムッシュールが前に走ると、ルフィは横へ飛び退いて回避した。

 何度となくドリルを当てようと腕が振るわれるが、どうやらルフィの方が素早い。

 触れることは叶わぬまま大きく跳んで距離を取られた。

 

 想像以上に素早い。ムッシュールは歯噛みする。

 格闘戦に関しては彼も自信がある。長い手足はそれだけで武器であり、逃げようとしても追いつかれてしまう。ましてや今はキノコでドリルまで作っているのだ。

 それなのにルフィは最小限の動きで素早く逃げていく。

 人生初めての苦戦かもしれない。しかし、だからこそ楽しかった。

 

 彼は今まで幽閉生活を余儀なくされていた。自分より強い人間を知らなかった。

 ムッシュールは笑う。

 彼を倒すこと、それ自体を遊びのように楽しんでいたようだ。

 

 ルフィが距離を取ったことで彼は足を引く。追うつもりはない。敢えてルフィが退いたのを見送った後、口の端は上機嫌に釣り上げられていた。

 ドリルの回転は尚も続いている。

 右腕を振り上げ、雪面を見たムッシュールは戦法を変えるつもりでいた。

 

 「やるじゃないの……だが本番はこれからだ!」

 

 振り下ろされたドリルは地面を抉り、大量の雪が宙を舞った。

 一時的に視界が白く染まる。ルフィは拳を構えたまま表情を歪め、ムッシュールの姿が見えなくなったことに気付き、舞い落ちる雪の向こう側を注意深く見つめる。

 

 雪に乗じて襲ってくるか、と警戒したのだが、いつまで待っても攻撃は来ず。

 視界が開けた後、ようやくムッシュールが消えたことに気付く。

 そこには静かな風景があり、前方には誰もおらず、チョッパーが驚いている顔が見える。気になって周囲を見回してみたが誰も居ない。

 彼はどこにも見当たらなかった。

 

 「消えちまったぞ。またキノコの能力か?」

 

 膝を曲げて両方の拳を握り、辺りを窺ってルフィが警戒する。

 周囲は雪原。障害物は城だけ。隠れる場所はあるとはいえ距離がある。

 逃げたのではない。どこからか攻撃してくるはずだ。

 そう思って警戒しながら待っていると、チョッパーの鋭い声が飛んでくる。

 

 「後ろだッ!」

 

 咄嗟に頭を下げる。

 その場へしゃがんだ直後、頭上をムッシュールの足が通り、蹴りが空ぶったらしい。

 やはりどこかに潜んでいたムッシュールがそこに居て、反射的に振り返るルフィは彼の姿を間近に捉え、素早く反撃のため体を回転させる。

 

 蹴りを外して隙だらけだった彼の軸足を蹴りつける。

 落ちるように尻もちをついてしまい、さらに隙だらけの状態だった。

 

 ルフィは軽く跳んで空に向かって右足を伸ばし、天高くから彼を踏みつけようとする。その予備動作は分かり易いためムッシュールが気付くのも当然だった。

 座り込んだまま足を見上げて、表情に危機感が生まれる。

 

 「ゴムゴムのォ――!」

 「スピンドリル!」

 

 再び右手がキノコの傘に変化し、高速回転を始める。

 地面を削ってその上に乗っていた雪が舞う。

 ルフィの足が降ってきたのはその直後だった。

 

 「斧ッ!」

 

 岩盤を踏み抜きかねない勢いで、草履を履いた足が地面を踏みつけた。しかし人間の体を踏んだ感触は感じられず、攻撃が当たらなかったことを理解する。

 舞い上がる雪に紛れてムッシュールの姿が消えていた。

 驚愕するルフィは咄嗟に首を振り、辺りを見回すが、やはり彼の姿は見えない。

 

 「くそっ、どうなってんだぁ!?」

 「雪に隠れて移動してるんだ! 気をつけろ、また来るぞ!」

 

 離れた場所からチョッパーが助言する。

 その瞬間、気配を感じてルフィが左側を見た。

 気付いた時には再びムッシュールの蹴りが迫っており、今度は避けられず、防御する。

 

 交差した腕に蹴りが当たる。

 肉弾戦ではダメージにならないものの、耐え切れずに体が吹き飛んだ。ルフィは勢いよく地面を転がって雪にまみれ、全身を使って必死に勢いを殺そうとする。

 それを眺めるムッシュールは勝ち誇った顔で笑っていた。

 

 「ムッシッシ! 雪国名物“雪化粧”! どこから来るかわからんぞ!」

 「ふん……どっから来たって効かねぇ。おれはゴムだから」

 「果たしてそうかな? 試してみようか!」

 

 上機嫌な様子で再びムッシュールが雪を巻き上げた。

 非常に慣れた手腕である。長らく国を離れていようと、やはり祖国は肌に合っているのか、極寒の中で生き生きと動く姿には辛そうな様子など微塵もない。

 どうやら寒さには強いらしく、肌に雪が触れても嫌とは感じないようだ。

 

 雪国の戦法、“雪化粧”。

 簡潔に言えば雪の中に身を潜め、奇襲を行うだけだが、これが厄介である。

 雪国で育ったムッシュールは雪の中へ飛び込めば完璧に気配を消すことができ、移動をする最中も物音が生じない。雪が音を吸い込み、そう時間もかけず相手の死角へ移動できる。下手な人間にはできないが彼にとっては朝飯前だった。

 

 また気付けばムッシュールが居なくなっており、ルフィは厳しい顔になった。

 隠れながら戦われては長引くだけだ。

 

 面倒に思ったのだろう。

 隠れてしまうのならば無理やり引っ張り出す。

 そう決めたルフィは集中して耳を澄まし、周囲を見回して、雪の中のムッシュールを探した。

 

 ドラム城の前は静寂に包まれていた。物音を立てれば嫌でも耳に入る。

 数秒、ルフィは耳を澄ましてムッシュールの存在を感じ取ろうとしていた。目視では気付けないことは先程試してみて気付いている。頼れるのは聴覚だけだ。

 しかしそう考えていることに気付いたのだろう。

 突然ワポルが大声を出し、さらに城へ向かって走り始めていた。

 

 「ま~っはっはっは、カバどもめ! 今の内だ!」

 「あ、待て!」

 「あいつ、邪魔口、城に――」

 「隙ありィ!」

 

 どたどたと走るワポルに気を取られ、チョッパーが反応しようした瞬間だった。

 雪を跳ね飛ばしてルフィの背後にムッシュールが現れ、ドリルを使い、彼の後頭部を狙う。当たれば間違いなく頭蓋骨を割って脳を突き破る。

 完全に死角。避けられるはずがないと思っていた。

 ルフィは、振り返ることなく横へ足を踏み出し、顔のすぐ横をドリルが通過する。

 視覚に頼らず攻撃を回避したのだ。

 

 「な、何ッ!?」

 「おおっ――!」

 

 さらに振り返ろうとせぬまま、ルフィが背面へ足を伸ばす。高速で伸びていくそれは間違いなく蹴りであり、攻撃であった。

 攻撃を終えて動けなかったムッシュールの腹に当たる。

 彼の腹を押すように蹴り、凄まじい衝撃を受け、足が離れて彼が地面を転がる頃になっても、顔は前を向いたまま。ルフィは城へ向かうワポルとチョッパーを見ていた。

 

 逃げるワポルを追うため、チョッパーが獣型、本来のトナカイの姿になっている。

 雪に足を取られることもなく走っていた。

 それを眺め、ルフィは彼の名を呼ぶ。

 

 「チョッパー!」

 「え?」

 

 走り続けてワポルを追いながらチョッパーがルフィに振り返った。

 

 「城にはナミが居る! あいつが悪さしねぇように、目を離さねぇでくれ!」

 「お、おれが……?」

 「任せたぞ!」

 

 足を止めそうになりながら、必死に走ってチョッパーが息を呑む。

 任せた。

 些細な一言でひどく嬉しくなり、ぐっと歯を食いしばる。

 

 「おおっ! 任せろ!」

 

 前を向いてさらに速度を上げる。今度はもう振り返らない。

 今も城内の一室で眠っているだろう彼女は、患者である。同時に今は、ルフィの仲間であり、任された相手でもある。死なせる訳にはいかなかった。

 チョッパーの目には更なる強い光が灯り、ワポルを追っていく。

 

 見送ってからルフィが振り返った。

 腹を擦るムッシュールはすでに動ける体勢で、ギロリと彼を睨みつける。

 

 「お~痛ぇ……なんでバレたのかねぇ。おれの位置が」

 

 敵意をぶつけながら呟いた。

 ルフィは応じようとはせず黙って拳を構えるだけ。

 苛立った顔になり、ムッシュールは初めて怒気をぶつけ始めた。

 

 「くそ、痛いのは嫌いだ。熱いのも嫌いだ。自由じゃないのはもっと嫌いだ」

 「うるせぇ。おれはお前らが嫌いだ」

 「おれはよ、王子に戻るんだ。ワポルが王になってドラム王国は復活、おれはその王子になる。暑くてうざったい火の国じゃなくて、この国で、おれたちのこの国で」

 

 バッと両腕を広げ、ムッシュールは希望に満ちた目をする。

 

 「おれは自由になるんだ。親父の呪縛から逃れて、ようやく自由な人生を得られる」

 「お前らが言ってんのは自由じゃねぇだろ」

 「いいや、自由さ。おれたちがそう決めた。だから自由なのさ」

 

 暗い空を見上げていた目が降りてきて、顔の向きはそのままにルフィを見る。

 風が強くなりつつある。辺りは吹雪になりつつあった。

 

 「そのためにはよぉ、邪魔しねぇでくれねぇか。ここでやめてもいいんだぜ?」

 「いやだ。おれはお前らをぶっ飛ばす」

 「ムッシッシ! だったら仕方ねぇ」

 

 佇まいが変わった気がした。

 顔つきはさっきとは別人のようになり、感じる威圧感がまるで別物。

 ルフィは表情こそ変えぬものの、違和感から一歩後ずさってしまった。それは本能から来る人体の反射であり、彼の意志に反した反応である。

 

 これまで口を閉ざしていたくれはが口を開く。

 チョッパーが去っても外に居て、腕を組んだ姿でルフィに忠告を行う。

 

 「気をつけた方がいい。あいつの強さは肉弾戦とは別のものだ」

 「なんか知ってんのか?」

 「あいつはね、キノコの胞子を武器にする。それだけなら大したことじゃないが毒キノコまで扱えるようだ。死にたくないなら吸い込まないことだよ」

 「毒か。そんな奴戦ったことねぇや」

 

 両腕を降ろし、真っ直ぐルフィを見つめ、前傾姿勢で立つ。

 底知れぬ何かを感じ、思わず眉間に皺を寄せてしまう。

 本気になった彼は無邪気に笑う子供ではない。

 自らの獲物をどう仕留めようかと考える、一匹の獣であった。

 

 攻めるべきか、出方を見るべきか。

 常人なら迷うところだがルフィは一切迷わなかった。

 

 敵から目を離さずに前へ走る。ルフィが選んだのは特攻に近い攻撃だった。相手が動くよりも先に攻撃を叩き込もうと、全力で敵に向かって駆けていく。

 くれはが小さな舌打ちをするが気付く様子はない。

 対するムッシュールは笑みを深めて勝ち誇った顔だ。

 そう来るのならば、負ける気はなかった。

 

 「思い知らせてやる……雪胞子(スノウ・スポール)!」

 

 迎え撃つムッシュールは両腕を前に伸ばしてルフィに掌を見せる。

 その掌から紫色の胞子が飛び出し、吹雪の如く、壁のように連なってルフィに迫った。

 

 「うわっ!?」

 「こいつで滅んじまえェ!」

 

 避けようとしたのは直感である。触れてはならないと感じて、考えようとする前に勝手に体が動いていて、気付けば自分から地面を転がって逃げていた。

 放たれた毒の胞子は誰も居ない雪面を走る。

 吹雪によってその軌道は変わるが、少なくともルフィやくれはが吸い込むことはなかった。

 

 胞子は風の影響を受けやすい。吹雪いてきたのは幸いだっただろう。

 起き上がるルフィは背筋に走った悪寒を無視できずにいる。

 生物として強烈に感じた危機感は、辛くも彼の命を守ったようだった。

 

 「ハァ、なんだあれ……あれが毒か」

 「チィ、避けやがった。相変わらずいい動きしやがる」

 「冗談じゃねぇ。ナミだってまだ起きてねぇのに、あんなの喰らってたまるか」

 

 警戒しながらもルフィは走る。

 毒が怖いといっても攻撃しなければ勝負にならない。毒の脅威を肌で感じながら、彼は退くことを考えずに、あくまでも自身が攻めることを選択する。

 

 その選択はムッシュールにとって良いものではなかった。

 胞子は無限に使える訳ではない。体内で作られた物だけを体外へ放出できる。

 使えば使うだけ消費していき、種類にもよるとはいえ、連続使用できる物は一種とてなかった。言わばこのタイミングでの使用はただの脅しであり、仕切り直しのためでもある。

 

 当たれば僥倖。即刻勝負を終わらせることができる。

 避けられても敵は毒の脅威を感じて怯えるはず。

 どっちになろうと自分が優勢になる。

 そう思っていたが、細かく物を考えるタイプではないルフィはすぐ攻勢に転じてしまった。これは完全な想定外であり、ムッシュールは余裕を感じさせる笑顔に驚きを隠す。

 

 彼もルフィと同じく、頭を使うのが得意ではない。

 先の先まで読めないのは互いに同じ。本能で戦うのが彼らの特技だった。

 

 走りながらルフィは両腕を高速で動かす。

 予備動作を行って勢いをつけ、連続するパンチをムッシュールに叩き込もうとしていた。

 とにかく攻撃が来るのだと思って、ムッシュールは右手をキノコの傘に変え、前に出した。

 

 「ゴムゴムの!」

 「無駄だ。おれの腕は衝撃を吸収するキノコにもなる――」

 「ガトリング!」

 

 敵のパンチを受け止めて流れを作り、攻勢に転ずる。そう考えたムッシュールが目を見開いた。

 やってきたパンチは一発ではなく数え切れないほど多かった。

 高速で突き出される拳が全身を打つ。何発かは防御のために構えた傘に当たるとはいえ、片手だけでは全身を覆い隠すことはできない。またそれほど大きなサイズでもなかった。頭から足先に至るまで、触れた箇所には強烈な痛みが走る。

 

 何発入ったかは本人もわからず、何発打ったかさえ本人にもわからない。

 ただ少なくともムッシュールは足をふらつかせていた。

 好機と見るや否や、ルフィは後方に腕を伸ばし、前へ駆け出した。

 

 鼻血を吹き出すムッシュールの顔を見据えていて、接近と同時に拳を突き出す。

 

 「おおおっ、ブレットォ!」

 「ブガァッ!?」

 

 顔の中心に拳が埋まった。

 耐えることすらできずに地面から足が離れ、体が宙を飛ぶ。決して小さくはない肉体は雪面を滑って軌跡を残し、激しく転がって、ルフィからずいぶん離れた場所で止まった。

 もう少しでドラムロックから落ちるという位置。

 殴り飛ばしたルフィは大きく息を吐いて彼を見つめる。

 

 「ハァ、ハァ……やったのか?」

 

 呟いた直後に体が動く。

 ムッシュールはすぐに起き上がり、痛そうに顔をしかめ、鼻先を撫でながら立ち上がった。

 ダメージはあるはず。しかし彼の態度がそれを感じさせない。

 

 攻撃を受けたこととは別に、ルフィに対する恐怖心は見られなかった。

 子供のように笑って語り出す。

 

 「ちくしょう、鼻血が出てきた。おれがこの国の人間を殺しちまった時でさえ、親父にもぶたれたことはないんだけどなぁ」

 

 次の瞬間には目がつり上がり、明確なまでの怒気が溢れ出す。

 

 「よくもやりやがったな! すげぇイテェじゃねぇかバカヤロー!」

 

 勢いよく両腕を広げ、背を丸めた。

 ルフィはその背から何かが飛び出してくるのを目視する。

 

 「クロスシェード!」

 

 それは帯状に連なった毒の胞子だった。雪胞子(スノウ・スポール)とは別の種類、別の毒が、七本の槍となって背から飛び出し、ルフィへ向かって落下してくる。

 目視で毒だと気付けないにしても危険であることには違いない。

 地面を蹴ったルフィは一つずつそれらを避け、後退しながら全てを回避した。

 

 怒り狂った様子のムッシュールはまだ止まらない。

 今度は雪に隠れようとはせず、真っ直ぐ駆けてくる。

 

 両手がドリルになっていた。攻撃性のみを重視して防御は考えていないのだろう。

 荒々しい足取りで雪を蹴り飛ばしながら進み、ルフィが待ち構えるのを見ても策を用いようとする気配はなく、我武者羅に攻撃しようとしているのは明白だった。

 

 「お前が能力者でもドリルは止められねぇよ! おれの両手はドリルだぞ!」

 「ゴムゴムのォ~……」

 「ムッシッシ、下手に手を出せばお前の腕が――」

 「ピストル!」

 

 拳を突き出したルフィの腕は真っ直ぐ伸びた。

 フェイントも入れない平凡な一撃はしかし速く、予想外のスピードに思考が止まる。

 笑顔が固まったムッシュールは、笑い声を途切れさせ、気付けば左頬を殴られていた。両手のドリルを振るう機会もなく殴り飛ばされるのである。

 

 「ぶぼぉっ!?」

 「んん、ドリルは羨ましいけどな。でも使わなかったらだめだ、かっこよくねぇ」

 

 雪の上をごろごろ転がるムッシュールを見て冷たい一言。

 伸ばした腕を引き戻したルフィはすぐに走り出す。

 

 決着をつけるなら今。

 なぜかムッシュールの動きは遅く、元に戻った両手を地面につき、跪いたまま。

 起き上がる拍子にルフィに背を向けた状態になった。

 振り向かないのならそのまま終わらせる。ルフィはとどめのために接近を試みていた。

 

 「このまま一気に終わらせてやる。ゴムゴムのォ!」

 「ガフッ、ゴフッ……すげぇな。おれよりずっと速ぇ。こりゃ止められねぇな」

 

 ぶつぶつ呟くムッシュールは振り返らず。

 迫ってくるルフィの気配を背後に感じながら、ある時にやりと笑った。

 

 「だったら、捕まえちまえばいいだけだよな。最初からこうすりゃ簡単だった」

 「バズー――え!?」

 「走菌糸(ラン・ハイファー)!」

 

 雪の中を、真っ白な菌糸が走る。

 同色であるためどこを移動しているのか見切ることはできない。

 そしてルフィの足下へ到達した時、急成長を行い、ルフィの四肢を取り込んで地面に立つ。その姿はまるで隆起した真っ白い岩のようだった。

 

 体の一部が取り込まれてしまい、ルフィは動けなくなる。

 さらにこの菌糸、岩のように硬く、内部でどれほど力を込めようが壊れる気配がない。

 

 必死にもがくルフィを見るムッシュールは今度こそ上機嫌に笑う。

 自身が生み出せる菌糸に早く気付けなかったのは自らの頭がそう働かないからだと気付かず。

 勝ち誇る彼はすでに勝利を確信していた。

 

 「うわっ、なんだこれっ!? キノコか? 食えんのか?」

 「雪化粧にはこんな使い方もあるんだ。これでお前は逃げられねぇ……」

 

 想像以上に長引いていたのは彼に取っても利があった。

 一度使ったはずの胞子が再び生成され、ムッシュールは両手を伸ばす。

 

 「雪胞子(スノウ・スポール)!」

 「いっ――!?」

 

 両手の掌から毒の胞子が噴射される。

 身動きが取れないルフィが逃げられるはずもなく、その姿は紫色の胞子の中へ消えていく。数秒は耐えられようとも、周囲を囲まれては吸い込まずにいられるはずもなかった。

 

 くれはは思わず顔をしかめる。

 対照的にムッシュールは心からの笑みを浮かべていた。

 

 「これで終わりだ」

 「バカだね。忠告してやったってのに……」

 

 胞子が風に流されて、少しした後にルフィの姿が見えるようになる。

 やはり吸い込んでしまったらしい。見るからに肌の色が変わり、黒ずんだ様子で、力が入らず俯いてしまって表情は見えない。だその上、彼の目は焦点が合わなくなっていた。

 かなり強力な毒だ。

 ムッシュールが勝ち誇るのも当然であり、もはや手を出す必要はない。

 

 勝敗は決した。それだけが事実。

 とどめを刺そうともせず彼の顔を眺める。

 毒の胞子を吸い込んでしまったからには助かる手はなく、拘束されたこの状況から逃げ出すことさえできないと考えている。よってこれ以上何かをする気はなかった。

 

 腰に手を当てたムッシュールはくれはに振り返りもせずルフィを眺める。

 この様をワポルに見せたい。勝利を誇り、考えることはそれだけだったようだ。

 


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