ROMANCE DAWN STORY   作:ヘビとマングース

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冬に咲く、奇跡の桜

 チョッパーは走っていた。くれはを探していたためだ。

 どこへ行ったのだろうと城内を駆け回り、しばらくいくつかの部屋を回って、彼女を探した。流石に知り尽くした場所であるためそれを続けていれば発見することはできる。

 手術室とも呼ぶべき一室で彼女を見つけた。

 入り口に立ったチョッパーは息を切らしながら彼女に言う。

 

 「ドクトリーヌ。話があるんだ」

 「ああ……そうかい」

 

 振り返ったくれははなぜか冷ややかな顔をしていた。しかしチョッパーは海賊になるのだという興奮で気付かず、自分の話を始める。

 弾む声は普段よりもひどく楽しそうだ。

 

 「おれ、海賊になるんだ」

 「何だって?」

 「海へ出るんだよ。船医としてあいつらの仲間になって、世界を旅するんだ」

 「バカを言うんじゃないよっ!」

 

 突然くれはが叫び出した。

 普段滅多に怒鳴らない彼女の大声を聞き、チョッパーは肩をびくつかせる。

 

 これまで長く一緒に居たが怒鳴られた経験など数えるほどしかない。くれははそう簡単に怒る性格ではなかったはずだ。それが突然、理由もわからず声を荒らげている。

 チョッパーが困惑するのも無理はない。

 怒鳴られるにはいつも理由があった。気に入らないだとか、機嫌が悪いとか、そんな程度の理由で怒られたことは一度としてなく、チョッパーも反省すべき点に気付いていた。だが今日に限ってはそれがない。なぜ怒っているのかをすぐに理解することができなかった。

 

 まさか、海賊になることを否定しているのか。

 そう言われるとは思っておらず、表情は一変する。

 てっきり応援してもらえると思っていたチョッパーは激しく動揺していた。

 

 「海賊になるだって? 連中がどんな存在か知ってるのかい」

 「し、知ってるよ。あいつらワポルとは違うんだ。いい奴らだし、おれを仲間だって――」

 「何も理解しちゃいないさ。海賊ってのは人間のクズどもだ。ルールを守れない連中が真っ当に生きれずになるもんだよ。他人も傷つけるし殺しもする」

 「あいつらはそんなことしない!」

 「だが海賊がそんな連中なのも事実だ! 何も知らないお前が軽々しく語るんじゃない!」

 

 くれはの声が大きく、さらに強くなる。

 チョッパーの動揺は拭いきれなかったが、彼女に反抗して意志は強固になっていったようだ。

 

 「お前に医術の全てを叩き込んだのはこのあたしだよ。恩を仇で返す気かいっ」

 「そ、そんなつもりじゃ……」

 「だったらここに居ればいい。これだけ立派な城に住めて何が不満だ。これだけの規模なら住みたいと思ってる奴がごまんと居ようが住むことなんざできないんだからね」

 「でも、それじゃだめなんだ。おれは海賊になりたいから」

 「海賊なんて碌なもんじゃない。あっという間に屍になるのがオチさね」

 「それでもいいんだ!」

 

 耐え切れなくなってチョッパーが大声を出した。すると反射的にくれはも叫ぶ。

 

 「生意気言うんじゃないよ! たかだかトナカイが海へ出るなんて聞いたこともないね!」

 「そうだよ、トナカイだ! でも男だ!」

 「何も知らないお前が海へ出て一体何ができるっていうんだい! 仲間と呼ばれてのぼせ上っただけのガキが生き残れるほど、この海は甘くないんだよ!」

 「何も知らなくたっていい! あいつらと一緒にこれから知るんだ!」

 「その前にあっさりおっ死んじまうよ!」

 

 その時、くれはがズボンの腰の裏に挟んでいた武器を取り出して、右手で思い切り投げつける。

 チョッパーの真横、扉へ素早く突き刺さった。

 飛んできた物体は包丁だったようだ。刺さった後でそちらを確認し、見事に深々と突き刺さっている様を見たチョッパーは恐れ、思わず悲鳴を発する。

 

 くれはは服の下からも包丁を取り出して指に挟む。

 一本や二本ではなく、手慣れた様子で持たれたまま、彼女はさらに厳しい声を飛ばした。

 

 「海賊になってお前に何ができる!」

 「仲間の命を救うことができる! おれが万能薬になるんだ! みんなはおれが助けるんだ!」

 「口だけで人を救えるほど医者は簡単じゃない! お前もあのヤブ医者のように幻想に生きるつもりかい!」

 

 そう言われてチョッパーはハッとした。

 

 「違う……幻想なんかじゃない。ドクターの研究は完成してたんだ!」

 

 チョッパーの足下へ新たな包丁が刺さる。

 無意識に体がびくりと震えたが、彼は歯を食いしばってその場を動かなかった。

 一端に男を気取ったその姿が気に入らなかったのか。

 くれはは激情を表して、指に挟んで複数の包丁を持っていた。

 

 「とにかくあたしゃ許さないよ! そこまで言うならあたしを踏み越えて行きなァ!」

 「ドクトリーヌ……なんで――」

 「お前みたいな泣き虫が男だって? 笑わせんじゃないよ!」

 

 勢いよく包丁が投げられた。

 今度は当たる。飛んでくる軌跡を見たチョッパーは一瞬の内に確信した。

 考えようともせず咄嗟に体が動いて、悲鳴を上げながら床を転がる。そんな彼を見ても一切の容赦はせず、くれはは次々と包丁を投げ始めていた。

 

 これは完全に殺す気だ。

 心の底から怯えたチョッパーは悲鳴を上げながら走り出す。

 

 「待ちなチョッパー! 勝手は許さないよ!」

 「ギャアアアアア~ッ!?」

 

 チョッパーは全力で城内を駆け、必死にくれはから逃げようとした。しかし彼女も足が速く、年老いているとは思えないほどの健脚と体力で追い縋る。

 彼らの姿は山頂にやってきた多くの村人が目撃した。

 ちょうど大砲を動かしていたためか、彼らの間を縫うようにしてチョッパーが逃げる。

 飛んでくる包丁には大迷惑といったところで、その中には怒りもせず、何かを思案するようなドルトンの姿もある。怪我を押してでも手伝っている最中だった。

 

 一階に降り、エントランスを抜け、正面の扉から外へ出る。

 だが真っ直ぐには走らず一度脇へ逸れ、彼は町へ降りる際に使っているソリを持ち出した。

 

 獣型になって走り、ソリを引く。

 もう迷わない。今度こそ仲間たちの下へ向かっていた。

 背後には追い付いてきたくれはも感じ取っており、やはり怒声が聞こえている。

 

 後ろは振り向かずに前だけを見ながら、チョッパーは心を痛めていた。

 

 (どうしてわかってくれないんだドクトリーヌ……ドクターの言葉は嘘なんかじゃない。あの日ドクターの信念は形になったんだ。この国を救うために!)

 

 雪を跳ね飛ばしながらソリが雪面を走る。

 自身の体でソリを引くチョッパーは速度を緩めず城の正面へ到達した。

 それからそう遅れず、くれはも中庭へ続く大きな門をくぐる。

 

 外では四人が待っていた。

 ルフィやウソップは時間を潰すために雪遊びをしていて、キリは雪で濡れた足の力が抜けたのか座り込んでおり、その傍にナミが立っている。

 遊んでいたせいで気付くのが遅れた。

 最初にチョッパーに気付いたのはナミである。

 

 「よぉ~しできたぞ! 空から降ってきた男、雪だるさんだ!」

 「ふっふっふ、低次元な雪遊びだな、お前のは。見よ! おれ様の芸術、スノークイーン!」

 「おおっ! すんげぇ~!」

 「ねぇ、あれチョッパーじゃない? なんか追われてるみたいだけど……」

 

 違和感を持ちながら呟かれたナミの声により、遊んでいた二人がそちらを見る。

 確かに城からチョッパーが来ていた。しかしその後ろから来るくれはが怖い顔をして、しかも包丁を投げ始める。ぎょっとしてしまうのも無理はない。

 向かってくる最中に速度が緩められることもなく、チョッパーは真っ直ぐ近付いてきた。

 

 「みんなソリに乗って! 山を下りるぞォ!」

 「何ぃぃぃっ!?」

 

 驚愕した三人が叫んだ。

 速いスピードでチョッパーが近付いてくる上、止まる気配が感じられない。

 飛び乗るしかないのかと考え、咄嗟に三人は急ぎ始めた。

 

 「なんかよくわかんないけど言う通りに! ルフィ! 私怪我人だから助けて!」

 「おし! あっはっは、逃げろ~!」

 「おい待て待て、キリはどこ行った!?」

 「あ、ここだよ」

 「お前何寝てんだよ! そんな場合かっ!」

 「いやー力が抜けて転んじゃって。運んでくれない?」

 「バカヤロォ~!?」

 

 まず先にルフィがナミを抱えてソリに飛び乗る。

 ルフィは振り返って即座に腕を伸ばそうとしたものの、ウソップがキリの姿が見えないことに気付くと、いつの間にか倒れていた彼は雪に埋もれていた。焦るウソップが彼の首根っこを掴み、伸ばされたルフィの腕がウソップの左腕を掴むと、チョッパーのソリは宙へ投げ出される。

 

 ロープウェイに使われるロープの上を走っていたようだ。

 細いロープの上を器用にチョッパーが駆け下りる。

 ソリは辛うじてバランスを取り、決して安全ではなかったが、落ちることもなく進む。ただし乗り遅れたウソップとキリの体は完全に空中にあって悲鳴が絶えない。

 ウソップの悲鳴が山に木霊する中、反比例するようにルフィの笑い声が響いた。

 

 その姿は空を飛んでいるかのようで。

 空を飛ぶという魔女の噂はここから生まれたのだろう。

 月夜に浮かぶソリは幻想的な雰囲気を放っていた。

 

 慌ただしかったが彼らはくれはから逃げることに成功する。

 くれはは、遠ざかっていくソリを見ながら立ち止まる。

 

 複雑な表情だ。喜んではいないが悲しんでもいない。憎んでもいないが、見送るでもない。素直に表現できない感情をそのまま表すかのように、彼女は口を閉ざして見送る。

 もう危害を加えようとはしなかった。

 ロープを切ることもなければ包丁を投げることもしない。もうその必要がない。

 しばらくしてから、溜息をつくと同時にやれやれと首を振った。

 

 「あんな別れ方でよかったので?」

 

 痛む体を庇いながらドルトンが歩いてくる。

 視線はくれはの背中へ。前へ回り込んで顔を見ようなどとはしない。

 それが今できる精一杯の気遣いだ。

 

 「なぁに。預かってたペットが一匹もらわれていくだけさね」

 

 腕組みをして笑みを浮かべ、くれはは優しい眼差しで小さくなったソリを見つめる。

 

 「湿っぽいのはキライでね」

 

 その時、密かに、くれはの目から涙がこぼれた。

 彼女は何も言わずにサングラスをかけ、背を向けたまま叫ぶ。大砲を運んでいた村人たちが外へ出てきたことには気付いている。あらかじめ動かしていたため、あとは並べるだけだ。

 

 「準備を急ぎなァ! ぐずぐずしてると出航しちまうよ!」

 「は、はいぃ!」

 

 激励に対して返ってきたのはわずかに怯えた声。

 くれはは気を良くしたように不敵に笑う。

 

 何気なく空を見上げた。

 すでに月が浮かぶ時間帯。今日は満月だ。

 一時はどうなることかと思ったが今も雪が降っている。それも、おあつらえ向きというべきか、穏やかな様子でちらほらと少しずつ。

 吹雪いていない今は絶好のチャンスだった。

 

 村人たちが城の前で大砲を並べている。

 今頃、チョッパーは彼らの船まで辿り着いただろうか。

 船出を祝うにはちょうどいい。何から何まで出来過ぎているほどに。

 

 ある男の言葉を思い出す。

 

 (聞け、くれは。この塵は――)

 

 それはくだらない、腕もない、ある医者の人生。

 生き様、と言ってもよかった。

 

 (これがおれの30年かけて出した答えさ)

 「これでいいんだろう? あんたが居たとしてもこのタイミングだったさ」

 

 小さく呟いた後でわずかに背後を振り返る。

 すでに準備は終わったはずだ。ならばやることは一つだけ。

 くれはの鋭い声が辺りに響き渡る。

 

 「準備はいいかい若僧ども!」

 「へいっ!」

 「撃ちなァ!」

 

 くれはの号令に従って、大砲は一斉に轟音を鳴らした。内部に装填された物質が全て空へ打ち上げられ、攻撃のためではなく、ある現象を引き起こすために空中で炸裂する。

 行動の意図が読み取れず、ドルトンは頭上を見上げながらくれはへ尋ねた。

 彼女はすでに笑みを浮かべていた。

 

 「Dr.くれは、これは一体何を……」

 「黙って見てな」

 

 砲撃音からしばらく。何かが炸裂する小さな音が響く。

 島中に響いたその音は多くの者が気付き。

 メリー号の前へ到着していた面々も、振り返ってドラムロックを眺めていた。

 

 ソリから降りたチョッパーがドラムロックがある方向へ少し歩き、ソリに乗っていた四人はそんな彼を気にしつつ、何が起きたのだろうと見上げる。

 船上にはサンジ、ビビ、イガラム、カルー。目覚めたゾロとシルクも居る。

 皆が不思議そうに空を見ていた。

 

 それは、一瞬にして起こる変化ではなく、徐々に景色を変えていく。

 あり得ないはずの光景が生まれようとしていた。

 

 「これがあんたの信念かい。なぁ、ヤブ医者」

 (いいか……? この赤い塵はただの塵じゃねぇ。コイツは大気中で白い雪に付着して、そりゃあもう鮮やかな――)

 「オオオオオッ! オオオオオォ――!」

 

 チョッパーが叫んでいた。

 その目からは大粒の涙がボロボロとこぼれ、もはや押し込めることすらできなくなっている。

 

 彼にはそれが何かわかった。

 大好きだったヤブ医者が生涯をかけて開発した成果。

 かつて言っていたのだ。山一杯の桜を見た時、治らないはずの自分の病が治ったと。それ以来、全ての病気にドクロと桜を掲げたのだと。

 

 空がピンク色に染まっていた。

 わずかに光るように見えるのは満月の力を借りているのだろうか。

 大砲によって空へ放たれた赤い塵が、小さな雪に触れた時。

 

 「ウオオオオオオオオオッ!!」

 (ピンク色の雪を降らせるのさ!!!)

 

 ドラムロックに、サクラが咲いていた。

 ひらひらと舞い落ちる雪はピンク色に染まってまるで桜の花弁のよう。

 咲くはずのない花が島中に降り注ぎ、その姿は島中の人間が目撃していて、あまりの美しさに目を見張って息を呑んだ。

 

 この時、ドラム島の歴史は確かに変わる。

 人々を困らせてばかりだったはずの一人の医者が、あり得ないはずの光景を生んだのだ。

 

 ひょっとしたら彼がやったのだと知らない者は居るかもしれない。それでいいと思う。少なくとも彼が生きた証を心に刻み込み、生涯忘れないだろう者は存在している。

 くれはが、チョッパーが、ドルトンがその生き証人だ。

 歴史に名を残せなかったちっぽけな医者の、精一杯の医学をその目に焼き付けた。

 大した医術も持っていなかった男だが、確かにその景色は人々の心を癒したのである。

 

 くれはは不意にサングラスを上げる。

 涙はない。今は晴れ晴れとした表情だった。

 美しく咲いたサクラを見上げて、彼女は小さく告げる。

 

 「さぁ……行っといで。バカ息子」

 

 

 *

 

 

 出航したメリー号は海を行く。

 後方にはドラム島に咲いた美しいサクラ。船上では月夜に浮かび上がるサクラを肴に、世にも珍しい冬島での花見と洒落込んでいた。

 

 全員が甲板に出て、サンジが作った大量の料理が並べられている。

 宴が始まればいつも通り。それぞれ好きなように騒いで盛り上がっていた。

 

 ルフィとウソップは料理に舌鼓を打ちながら大笑いし、酒を飲むゾロに脱力したキリがもたれかかって、料理を運んできたサンジは笑顔でビビに話しかける。その傍ではイガラムがサンジに文句を言っており、気にせずカルーが料理にがっついていた。

 チョッパーは、壁にもたれて彼らの姿を見ていた。

 その隣にはシルクが膝を抱えて並んでいる。

 

 どこかぼんやりした顔だった。

 寂しがっているのか、考え事をしているのかもしれない。或いは感動を噛みしめているのかも。

 彼の横顔を見たシルクは声をかけるか否かを考える。

 チョッパーとて考え事くらいはするだろう。その邪魔をしたくないと思ったようだ。

 

 しばらく黙っているところへナミが歩み寄ってくる。彼女は笑みを湛えたまま、チョッパーの隣へ腰を下ろすとすぐ、水色のリュックを手渡した。

 受け取った彼はずいぶん驚いた顔だった。

 

 「え……? これ、おれのリュック……」

 「ソリにあったわ。あんたのでしょ?」

 「な、なんで」

 「自分で用意したんじゃないの? それじゃあ……そういうことね」

 

 ナミは微笑む。

 何を言わんとしているかは伝わって、チョッパーは両手で持っていたリュックを見下ろし、ぎゅっと強く胸に抱えた。

 

 「あんたのことはお見通しってわけね」

 「うん……」

 

 きっと敢えて反対して、追い出すようにして送り出したのだろう。たった今それが伝わった。

 俯いたチョッパーはしばし口を閉ざしてしまう。

 そんな彼を見やり、優しく微笑んだシルクがジュースの入ったグラスを差し出した。

 チョッパーの顔が上がり、彼女と目が合う。

 

 「はい」

 「え? おれに?」

 「うん。せっかくの宴なんだから、思いっきり楽しまないと。みんなみたいに」

 

 シルクの笑顔にじっと見入り、チョッパーの手が恐る恐るグラスを受け取った。

 膝の上にリュックを置いて両手で持つ。

 試しに一口飲んでみる。甘い。そのオレンジジュースはナミの畑から取ったみかんを材料に作られており、サンジ自慢の一品であった。

 思いのほか気に入ったらしく、再びシルクを見た彼は素直に礼を言う。

 

 「ありがとう……これ、うまいな」

 「でしょ? ナミのみかんを、サンジが調理したんだよ」

 「サンジっていうのは」

 「金髪でぐるぐる眉毛の人。ちょっと女好きだけど、凄く優しくて仲間想いなの。ちょっとゾロとは喧嘩ばかりしてるんだけどね。あれもきっと仲が良い証拠なんだよ」

 「ふぅん」

 

 騒いでいる甲板の面々を俯瞰的に眺めてみる。

 それぞれが思い思いに過ごしていて統一感がない。仲間とはこういうものなのだろうかと素朴な疑問を持った。彼はこれまで仲間を持ったことがないため、経験を伴う知識を持たない。

 ただ、なんとなく楽しそうだということだけ伝わってきた。

 

 何かの拍子に彼へ目をやったルフィが笑顔を輝かせる。

 しばらくシルクと話していたようだったから声をかけなかったが、今ならいいだろう。

 飛び跳ねて楽しむルフィとウソップは揃ってチョッパーに駆け寄った。

 

 「おぉいチョッパー! 楽しんでるかぁ~!」

 「楽しんでるかチョッパ~! 海賊と言えば宴だぞ! 盛り上がってるかぁ~!」

 「う、うん」

 「ふぅ~だめだな。それじゃ全然盛り上がってないぞ。そこでだ。やれば思わずテンションが上がってしまう宴の奥義を教えてやろう。準備だルフィ!」

 「おう!」

 

 近寄ってきた二人は声も大きく、上機嫌で、後ろを向いて何かを準備する。

 くるりと振り返った時、壁に背を預けて座る三人は二人の変な顔を見た。短く折った割り箸を鼻の穴と口に突っ込み、見るからに妙な顔を作っていたのだ。

 ナミは呆れ、シルクは苦笑し、チョッパーは少し驚いた顔。

 自信満々の二人はその顔のままピースなど決める。

 

 「こうだぁ! これが宴の奥義なのだ!」

 「あっひゃっひゃっひゃ! おいチョッパー、お前も鼻割り箸やってみろ!」

 「嘘教えるんじゃないわよ。奥義っていうより悪ふざけでしょ」

 「あはは。でも面白いね」

 「シルクは甘やかし過ぎ。調子に乗せない方がいいわよ」

 

 頭を抱えてナミが溜息をつく。それでも上機嫌な二人の笑い声は変わらなかった。

 最後には根負けした様子で、苦笑したナミはチョッパーに目を向ける。

 

 「まぁ、こいつらはいつもこうだけど、あんたも早く慣れなきゃ――ってすんな!」

 

 少し間を置いて彼の顔を見ると、いつの間にか鼻と口に割り箸を差し込んでいて、大口を開けて間抜けな顔をしている。それでいて目つきは真剣なのだから奇妙だ。

 ルフィとウソップは歓迎するように手を叩いて大笑いし、シルクも笑顔で肩を揺らす。

 そんな奴らばかりなのだから目くじらを立てていても仕方ない。

 結局はナミも朗らかに笑った。

 

 チョッパーは甲板の喧騒を一つ一つ見回す。

 みんなが好き勝手に騒いでいて、統一感はなくとも、幸せな空気はある。

 

 水に弱いというキリは雪にやられて力が入らないらしく、先程からだらけた姿勢だ。

 わざとらしくゾロにもたれかかり、体重を預けて、彼が煩わしそうにしていることに気付きながら色々と頼みごとをしている。むしろ意図的に迷惑をかけようとするかのようだ。

 

 「ゾロ、ちょっとそっちの皿取ってよ」

 「自分で取れよ。それくらいできるだろうが」

 「ほら、力抜けちゃってるから」

 「知るか。あともたれんな。邪魔だ」

 「でももたれないと倒れちゃうよ」

 「倒れてろ」

 「ひどいなぁ。ゾロは結構鬼畜だよね」

 「うるせぇ。つーかてめぇにだけは言われたくねぇんだよ」

 「なんで?」

 「あ~めんどくせぇ……」

 

 キリはずいぶんめんどくさい人間らしい。

 ゾロは反対に、顔は怖そうだが、それだけめんどくさがりながら話し相手になっているあたり、外見よりずっと面倒見はいいようだ。

 

 視線を動かして、今度はサンジとビビを見る。

 サンジが鼻の下を伸ばしながら話しかけるのだが、怒った顔のイガラムが逐一邪魔している。

 仲が良いのか、悪いのか。

 ビビは少し困った顔をしているものの止めようとはせず、本気でいがみ合っているのではないのだとわかる。そしてやはり、カルーは我関せずという顔だった。

 

 「いやぁ~ビビちゃん、きれいな桜だねぇ。でもおれの目には君の方がよっぽど――」

 「サンジさん! あなたには前々から言いたかったのですがビビ様にそんな軟派な言葉をかけないで頂きたい! これは護衛隊長としての責任がありますので!」

 「邪魔すんなおっさん! おれはビビちゃんと話してんだ!」

 「いいえ、邪魔させて頂きます! ビビ様は王女だということを忘れていませんか!」

 「海賊にゃ関係のねぇ話だぜ! おれは恋に生きるのさぁ~!」

 「ええい、そのようなことはさせません! ビビ様は私がお守り致します!」

 「ちょ、ちょっと二人とも……まったくもう」

 「クエ~」

 

 そこかしこで騒がしく、忙しない時間が続いていた。

 まだ飛び込もうとできなかったのも事実であるが、チョッパーはその空気を存外楽しんでいる。

 

 ナミとシルクの間に挟まれ、すぐ傍ではルフィとウソップが騒いで、ナミの怒声も飛んで。彼自身は鼻に割り箸を突っ込んで変な顔をしている。

 彼が呟いた時、ナミとシルクはその声をしっかり耳にしていた。

 

 「おれ……おれさ」

 

 多少の戸惑いはあったかもしれないが、勇気を持って。

 純真無垢な笑顔になってチョッパーは言う。

 

 「おれ、こんなに楽しいの初めてだ」

 

 子供っぽく、ひどく嬉しそうに頬が緩められた。

 その声を聞いて、その顔を見たナミとシルクは微笑ましく想い、嬉しく思う。

 彼もきっとこの一味に馴染むだろう。自然にそう思えば安堵できた。

 

 大笑いしながら転げ回っていたルフィがすっくと立ち上がる。

 一番近くにあったジョッキを持ち、突然大声を出して皆の注目を集めたのである。

 

 「よぉしお前ら! もう一回乾杯するぞ! 冬の桜と新しい仲間に!」

 「また? 乾杯ならさっきもやったじゃない」

 「いいじゃねぇか。そっちの方が楽しいだろ」

 「おれは賛成だぞルフィ。さぁ~お前ら酒でもジュースでも肉でもいいから持って集まれ! 我らのキャプテン・ルフィ様が音頭を取ってくださるぞ!」

 

 同意したウソップもジョッキを持ち、調子よく手を叩きながら皆を呼び集める。

 仕方ないなと笑う者、面倒だと言いながら立ち上がる者、上機嫌にやってくる者も居た。しかしやはり副船長だけは倒れていて、それだけならともかく自分で動く気はなさそうだった。

 

 「せんちょ~。ゾロに見捨てられたよ。肩貸してー」

 「なんだ、キリはしょうがねぇ奴だな」

 「いやお前が言うなよ」

 「どっちもどっちよ。いいから早くしなさい」

 

 気分を害した様子もなく笑ったルフィがキリに肩を貸してやり、やっと彼も立ち上がる。

 これで大半が揃った。

 クルーの輪に加わっていないのは座ったままのチョッパーだけである。

 

 ルフィが振り返って彼を呼んだ。

 

 「何やってんだよチョッパー。お前も早く来い」

 「お、おれも?」

 「当たり前だろ。お前だってもう仲間なんだから」

 

 呼ばれたチョッパーはおずおずと立ち上がり、戸惑いを感じさせるものの、歩み寄ったシルクが手を引いて輪の中に入る。そうすると彼も躊躇わずに参加できた。

 これで全員が揃い、手にはグラスやジョッキを持って準備が整う。

 ルフィは心底嬉しそうな顔で笑った。

 

 「それじゃあ冬の桜と新しい仲間に! かんぱ~い!」

 「かんぱ~いっ!!」

 

 身長の低いチョッパーも含め、全員がジョッキをぶつけた。

 中身が飛び散ろうが服が濡れようが今は気にしない。宴では些細な問題などどうでもよかった。とにかく食って飲んで騒ぐのが現在の仕事だ。

 

 輪に加わったチョッパーは改めて海賊を知った気がする。

 これが本物の海賊なのだと肌で感じ取った。

 

 具体的な何かを知った訳ではない。しかし確かに感じ取った何かがある。

 楽しいとは、こういうことを言うのだ。

 まるでヒルルクと共に暮らしていた頃のように、心から笑い、無邪気に騒いで、時には怒ったり泣いたりもする。思うがままに、力一杯自由に生きるのが海賊なのだろう。

 チョッパーは心から笑い、精一杯今を自由に楽しんだ。

 


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